高砂淳二さんが写真家になったきっかけを語る(2018/08/04 放送)
今週は、写真家の高砂淳二さんをお迎えしました。
宮城県の石巻市出身で、自然をテーマにした写真を撮ってきた高砂さん。大学では電子工学を学んでいたそうで、写真家になろうと思ったのは、自分探しのために大学を休学して訪れたオーストラリアでの体験がきっかけだったとか。
宮城県の石巻市出身で、自然をテーマにした写真を撮ってきた高砂さん。大学では電子工学を学んでいたそうで、写真家になろうと思ったのは、自分探しのために大学を休学して訪れたオーストラリアでの体験がきっかけだったとか。
「ぐるっと4分の3ぐらいを回ったところでパースにたどり着いて。西側の綺麗な街なんですけども、そこでふとダイビングをしたいなと思いまして。それで近くのダイビングショップに行って、通ってライセンスをとりまして、潜り始めたんですよ。そうしたら面白いこと、面白いこと。もうやみつきになってですね」
「そんな時に一緒に潜っている仲間が水中で写真を撮ってまして、写真が売れたっていうんですね。で、僕はその時にぴんときて、うわぁそんな仕事があるのか!と。これだと思ったんですよね。その時点でこの職業にしようと思いましてね」
「それまで楽しいことをして一生過ごしたいと思ってたので、楽しいのはまさにこれだ!と思って(笑)これを一生やって遊んでいるように生きていこうと思ったんですよ」
オーストラリアから帰国した高砂さんは実家に帰って「大学はもう辞める」と言ったそうですが、親族の猛反対を受けて大学だけは卒業することにしたそう。
「そのことをぶっちゃけ教授の先生に言ったんですね。そしたら、じゃあお前は写真やれ、なんとか卒業できるようにしてあげる、みたいなことを言ってもらってね。言ってみるもんだなって思いましたね。それからは真っ先に内容のない卒業論文を書いて、さっさと終わらせて、あとはアルバイトしながら写真を撮ってましたね」
「卒業した辺りに、ダイビング雑誌のフォトコンテストってのがありまして、それに応募したんですよ。そしたら入選にひっかかって。ちょっと勇気を持って、編集部のほうに『俺を使ってくれ』と言いに行きまして、そしたら『お前、体力ありそうだし、なんでもやるんだったら使ってやると』ということを言われて。ホントになんでもやらされましたけども(笑)。最初はアルバイトで入りましたけど、まんまとそういう仕事にありつくことができました」
そのダイビング雑誌の専属カメラマンを経てフリーになった高砂さんですが、独立は意図したものではなかったそうです。
「沖縄でその雑誌の仕事で潜ってたんですけども、そしたら急に水中で気を失いそうになりまして。一緒に潜ってる人に助けられて…っていうのが何回かあったんですね。で、潜水学の先生とかに診てもらったら『ダイビングもうしないほうがいいな』って言われたんですよ。それで僕もショックでしたし、編集部としても使いにくくなっちゃって」
「ところが、辞めてみて少しづつ浅瀬とかを潜っていくうちに、もうちょっと、もうちょっと…って潜っていっても、いくら潜っても、めまいが起きないんですね。結局、今まで起きずじまいなんですよ(笑)。だから、意図せずフリーになるきっかけになっちゃったっていう感じですね」
そして、3年かけて撮りだめた写真を『free』という本にまとめて発表した高砂さん。この本についてはこんなふうに話してくれました。
「例えば、浮遊感を感じる海だったら凄く浮遊感が出るように撮ったり、あとは透明感のいい水だったら気持ちのいい感じで撮ったりとか、そんな撮り方をしてたもんですから。3年間で撮ったものを見ると、“開放感”っていうのがまさにテーマだっていうことに気がついて。それで『free』っていうタイトルで小学館から初めての本を出したんです」
高砂さんの故郷、宮城県の石巻市近郊では現在、5人の写真家が参加した震災復興の写真展『フォトノマキ』が開催されていますが、高砂さんは石巻の近くの女川町で海の生き物を写真を撮影し、それを女川駅前の市場で展示しているそうです(詳細はこちらのリンク(高砂さんのブログ)を参照)。
「小さい頃からホヤとかウニとかカキとかを食べて育ってきて、何の感謝もせずに食べてきたので。今、自然の写真を撮るようになって、食べてるものもみんな生きてるんだな、って思うようになったもんですから、石巻のすぐ近くの女川で潜って、食べる前の生前の魚とかホヤの姿を撮って、それを女川の駅前の市場の前で大きくして飾ってるんですね。だからそれを見てもらって、食べる前に生きてたんだなって思って食べて欲しいなと」
↓こちらはそんな高砂淳二さんが2016年に発表した写真集『Dear Earth』
こちらの写真集については来週詳しく伺います。お楽しみに!