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中野ジェームズ修一さんがフィジカルトレーナーとしての挑戦を語る  (2019/05/18 放送)

今週は、フィジカルトレーナーの中野ジェームズ修一さんをお迎えしました。

卓球の福原愛さんやバドミントンの藤井瑞希さん、青山学院大学駅伝チームなどのフィジカル強化を担当している中野さん。まずフィジカルトレーナーという仕事についてこう説明してくれました。

「簡単に言うとですね、準備運動と筋力トレーニングとストレッチ、これの処方を作る専門家です」

「例えば、恵さんが何かの選手だったとします。そしたらその恵さんの体を見て、プレースタイルを見て、この選手だったらこういう準備運動をすればもっとパフォーマンス高まるんじゃないかな、っていう恵さんの体に合った準備運動をメニューを作る」

「そして、なんで上に行けないのか?どの筋肉が弱いからもっとパワーが出ないのか?っていうとこを見抜いて、筋力トレーニングのメニューを立てて。どこの筋肉が固くなってるかを見て、ここの筋肉が硬いから故障してしまう、だからこういうストレッチをちゃんとやりなさい、っていうことをアドバイスする専門家ですね」

「今、筋力トレーニングするっていうこと、フィジカルを強化するっていうことはどの選手も必要だと思ってるんですよね。で、それを専門的に教えてくれる人っていうのはフィジカルトレーナーしかいないんですね」

「例えば、大坂なおみさんがチーム編成をし直しましたよね。もちろんコーチが変わったのも凄く大きなことだと思うんですけども、そのチームスタッフにマッサージをしてくれるケア専門のトレーナーっていうのがいて、それとはまったく別で、フィジカルを強化する、筋力トレーニングの処方だけを出すトレーナーもいる…同じトレーナーでも2つちゃんと種類を分けて雇ってるんですね」

「結局、みんな体が違うので、よりカスタマイズされたものを出していくっていうことがとても重要で。チームとかでやってるとみんな同じような準備運動になって、同じような筋力トレーニングをやるんですけども、みんな骨格の状態も違うし、プレースタイルも違うし…張りやすいところ、疲れやすい部位も違うんですよね。そこを見抜いてその人に合ったメニューを出していくっていうことが重要になってきますね」


中野ジェームズ修一さんは1971年、長野県生まれ。3才からずっと水泳をやっていて、選手を引退した後はスポーツクラブで水泳を教えるようになったそうです。

「スポーツクラブに入って水泳の指導者になったんですけど、お爺ちゃんお婆ちゃんの水泳教室であったりとか、子供の水泳教室も教えなきゃいけないんですよ」

「で、その時に気づいたのが、教え方がわからないんですよね。3才から泳げたんで、息継ぎができないっていうお爺ちゃんお婆ちゃんがいると、なんでかわかんないんですよ。そんなの首を横に向けたら酸素あるんだから吸えばいいじゃん…だけど、吸えないって言うんですよね。それを教えていてイライラする自分がいて…たぶんそれは自分が3才から泳げてしまったからなんですね」

「でも、先輩の中で凄く水泳を教えることが上手な人がいて、その先輩は大人になってから水泳を習得した人なんですよね。で、自分はこの水泳の世界でやっててもたぶん無理だなって思って」


そんな中、そのスポーツクラブのトレーニングジムで指導するうちにトレーニングに興味を持つようになったという中野さん。そして、アメリカのロサンゼルスに行ってパーソナルトレーナーという存在を知ったことが大きな転機になったとか。

「ロサンゼルスっていうのはフィットネスの本場と言われるところなんですけど…今でも覚えてますけど、大きなスポーツクラブのジムで自分がトレーニングしてたら、当時1990年代に“パーソナルトレーナー”ってプリントされたTシャツを着たトレーナーがたくさんいたんですよ」

「真っ黒なTシャツに白い文字で背中にパーソナルトレーナーって書いてあって、電話番号が書いてあるんですね。で、みんなそれを見て、あのトレーナーいいなと思ったら、電話番号をひかえて電話をかけて自分でアポを取るんですよ。で、カッコいいな!と思って。自分もあのトレーナーいいなと思って電話して予約を取ったんですよ」

「で、そのトレーナーに、お前どういう体になりたいんだ?って言われて。当時はボディビルダーが凄くブームな時だったので、大胸筋はこうで、腕はこうで…みたいなことを言ったら、時間はどんぐらいあるんだ?って聞かれて、3ヶ月です、と。週何回来れるんだ?予算はどのぐらいなんだ?じゃあ、3ヶ月後にそうしてやるって言われて、3ヶ月後にホントにそうなったんですよ。自分が伝えた通りの体に。3ヶ月で自分の体ってこうなるんだ!みたいな。もちろんプロテインとか食事の指導とかもあったんですけども」

「当然、自分はハッピーになるわけじゃないですか。なりたい体になったわけですし。しかも、出した対価に見合った結果がちゃんと出るっていうことに凄く感動して、これを自分の職業にしたいなっていうふうに思い始めました」


そんな経験をきっかけに、フィジカルトレーナーを目指してアメリカでの勉強を始めた中野さん。同時に現場での経験を積むためにハリウッド周辺の俳優学校に通う人たちを相手に無料でトレーナーをさせてもらっていたとか。

「たまたまアメリカ人の友達に俳優学校に通ってる友達がいたんですね。で、当然、俳優学校に通ってる方たちってそんなにお金がなくて、アルバイトしながら…っていう感じですよね。体を作りたいけれどもトレーナーを雇うほどの余裕がない。で、私はトレーナーをやらせてくれる体が欲しい、タダでいいからやらせて欲しい。っていうので何人か紹介してもらって、1日3人、4人とか。毎日タダで、いろんな方、いろんな人種の方たちをずっとトレーニングさせてもらってました」

その後、帰国した中野さんですが、当時の日本にはパーソナルトレーナー、フィジカルトレーナーという職種がまったくなかったために現場での経験を積むことが難しかったそうです。

「日本のスポーツクラブの支配人にパーソナルトレーニングをやりたいってお願いすると、え、それってお金を取ろうとしてる?って言われたんですよ。日本のスポーツクラブはお客様から月会費を頂いているので、その中で最高のサービスをするのが日本のスポーツクラブなんだって。お前がタダでやってくれるんだったらいいけど、お金を取ろうとするなよって言われたんですよ」

そこで、中野さんはまず日本にいる外国人の方に指導するようになったとか。

「大使館の奥さんであったりとか、日本に住んでるアメリカの人たちに対してトレーニングをする。たまたま一人知り合いがいて、その方にトレーニングをして、そこからの紹介で広がっていった感じですね」

「最初は1セッション2000円とか3000円とかから始まってるんですよね。当然お金もないですし…」「(場所もないので)直接行くとかその方の住んでるマンションにトレーニングジムがあってそれを貸してもらうとか…そういうふうにしかできない時代が10年近くありましたね。ホントに生活は大変でした」

そんな苦労をしても中野さんはフィジカルトレーナーという仕事が大好きなんだそうです。

「諦めるとか諦めないっていう思考がまったくなくて、トレーナーっていう仕事がめちゃめちゃ好きなんですよ。好きで好きでたまらなくて…例えば、朝起きて、今日何本セッションあると思うと前の日の夜から結構ワクワクで、朝起きると、あ、今日4本もセッションあるよ!って。楽しくなることばっかりで…朝起きてヤだなと思ったことは1回もないです」

「本の締切があるとか、講演会があると準備をしなきゃいけないっていうのは正直イヤだなと思う時はありますけど(笑)、パーソナルなセッション、トレーニングのセッションに関してはもう楽しくてしょうがないですね」

「最近不安なのが、今47なんですけど、いずれは引退しなきゃいけない時が来るじゃないですか。それがイヤなんですよね。どうしようっていう(笑)。一応スタッフには90になってもやるとは言ってるんですけど、それが不安になるぐらいこの仕事がホントに好きなんですよね」


数々の有名アスリートを担当し、今やなかなか予約が取れない人気トレーナーとなった中野さんですが、実績を積むまではかなり時間がかかったそうです。

「スポーツ選手もトレーナーをつけなきゃいけないっていう雰囲気になってきたんですよね。だけど、選手は実績のないトレーナーって不安なので雇わないんですよね。え、過去にどの選手やってきたんですか?って思うし。それは当然じゃないですか」

ちなみに、中野さんが最初に担当した有名なアスリートはテニス選手の伊達公子さんで、いろんな選手からオファーが来るようになったのはそれがきっかけだったとか。

「伊達公子さんがロンドンマラソンにチャレンジするっていう企画があってですね。アディダスがサポートしてたんですけども、伊達さんが1年弱ぐらい前にアキレス腱を完全断裂していて…」「私もアディダスと契約していたので、じゃあ中野さんサポートしてくれませんか?っていうことでサポートに入ったのが初めての有名なアスリートだったんですね」

「彼女はロンドンマラソンを3時間27分で完走できたんですけど、それから彼女の個人トレーナーをずっとやっていて。で、ある時ちょっと復帰したいんだけど…という話があって、じゃあ復帰するまでの体を半年かけて作っていきます、っていうのが私の最初のトップアスリートの仕事だったんですね」

来週も引き続き、中野ジェームズ修一さんをお迎えします。
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