中野ジェームズ修一さんが福原愛さんと青学駅伝チームを語る!(2019/05/25 放送)
先週に引き続き、今週もフィジカルトレーナーの中野ジェームズ修一さんをお迎えしました。
アメリカ・ロサンゼルスでの経験をきっかけにトレーナーとなり、これまでに卓球の福原愛さんやバドミントンの藤井瑞希さん、青山学院大学駅伝チームなど、数々の有名アスリートを担当してきた中野さん。福原愛さんとはロンドンオリンピックの前に出会ったそうです。
「彼女がその前に2回オリンピックに出ていて。で、メダルがまだ獲れてなかったんですよね。そろそろロンドンオリンピックでメダルを獲らせたい、後2年半しかない。じゃあ今までやってきてないことをしよう、っていうのが当時のコーチの考え方で…」
「当時の彼女が世界ランキングの10位ぐらいだったんですよね。やらなきゃいけないことって普通の筋力トレーニングとかではないんですよ。福原愛の上に9人、世界に強い選手がいるわけですよね。ってことは、この9人が持っていて福原愛が持っていないものを探さなきゃいけないんですよ」
「なので、最初オファー頂いた時に体を見て、状態を見て、あ、この人の体こうなってるんだ…ってインプットして、1ヶ月間はセッションしないんです。何をするかっていうと、彼女の過去の試合の映像を全部探してきて見て、練習を見に行く、試合を見に行く、映像を取り寄せるってことをして、上の選手と何が違うかを探すんですよ」
「体重の乗せ方が違うとか、フットワークのここに問題があるとか。なんでこのフットワークができないんだろう?あ、触った時にこの筋肉が弱いからこのフットワークができないんだ…とかっていう弱点を探しました」
「何か弱いのか?何が劣っているのか?っていうことを探して、そこをトレーニングで補うっていうメニューを立てていくのが仕事なんですよね」
ずっと一対一で指導してきた中野さんが初めてチームを担当したのが、青山学院大学の駅伝チーム。オファーを受けたのは青学が箱根駅伝で5連覇する前のことだったとか。
「何十年やってる大学のチームだと、ルーティーンができてるんですよ」「最初はまず何をやっているのか見させてくださいって言って、準備運動とかトレーニングとか見ていると、そもそも運動生理学上、理にかなったやり方になってないんですよね。医学的におかしい順番・構成だったり…」
「何年もやってきているものをこれダメって言っても、ホントにそれでいいの?ってみんな思うわけですよ。これをこういうふうに変えようって言っても無理なんで、なぜこの動作がいけなくて、こうするとどう良くなるのか、っていうことを理論的に説明するところから入っていくんですよ。選手たちを集めて、筋肉図を見せながら、関節の構造を見せながら…」
中野さんはその際、“こういう理屈だからこういう動作をすればいい”と一方的に言うのではなく、選手たち自身が考えることを重視したそうです。
「どの筋肉とどの筋肉をアプローチしたらここって動き良くなる?っていうことを考えさせるんですよ。各グループごとに考えさせるんですね」「で、ここの筋肉が関係してるかな?とか、こっち側の筋肉が関係してるかな?って見え始めるんですよ。じゃあ、まとまったら発表してって。とにかく体に興味を持ってくれる人たちの集団でなければ指導できないんですよね」
「チームはやっぱり楽しいですね。いろんな性格の子がいるので」「自分も何年もやってくると、原監督ほどではないですけど、愛情も湧いてくるので…」「この子トレーニング頑張ったから(箱根駅伝のメンバーに)選んであげて欲しかったなって思うけど選ばれないこともありますよね。そうするとトレーニングの現場で泣き出す子もいるわけですよ。監督には言えないけれども…っていう」
「チームって大変ですけど、たくさんの選手たちと触れ合えるっていう意味では凄く貴重な経験をさせて頂いています」
福原愛さんと藤井瑞希さんの銀メダル、青学の箱根駅伝5連覇などで注目される中野さんですが、ご本人曰く「いつも成功しているみたいなイメージなんですけど、99%失敗してるんですよ」とのこと。
「このトレーニングをしたらパフォーマンスが下がってしまった、って選手から怒られることもあるし、自分が計画を立てたけども思うように選手のパフォーマンスが上っていかない…ってことなんて日常的で、それが99%なんですよ。厳しい世界ですよ」
「マラソンとかって単純にタイムなんでわかりやすいんですけど、対戦相手があるテニスとか卓球とかっていうのは、準備がちゃんとできなくてコンディションが良くないけれども相手がもっとコンディションが良くなかったら勝てる、っていうケースも出てくるんですよね。なので、そういう意味だと、ホントに自分が関与したことによって勝てたかどうかわからなくなる時はありますね。そうすると、どうしても不安にもなりますけどね…」
中野さんは最後にご自身にとっての挑戦についてこう話してくれました。
「メダリストのトレーナーでありつづけること、ですね。それが挑戦だと思ってます」
「メダリストのトレーナーになりたいっていうのが夢だったんですよね。その夢はロンドンオリンピックで叶いました。凄く嬉しかったです」「凄く涙も出たし、人生に中で一番泣いた時でもあったし」
「ここを継続していくことって凄く大変なんですよね。1回、2回だったらまだしも、そこから3回、4回ってなってくると…次は東京、そしてパリ、で、最後ロサンゼルスって。自分の中ではロサンゼルスオリンピックが一つの基軸になっていると思っていて…」
アメリカ・ロサンゼルスでの経験をきっかけにトレーナーとなり、これまでに卓球の福原愛さんやバドミントンの藤井瑞希さん、青山学院大学駅伝チームなど、数々の有名アスリートを担当してきた中野さん。福原愛さんとはロンドンオリンピックの前に出会ったそうです。
「彼女がその前に2回オリンピックに出ていて。で、メダルがまだ獲れてなかったんですよね。そろそろロンドンオリンピックでメダルを獲らせたい、後2年半しかない。じゃあ今までやってきてないことをしよう、っていうのが当時のコーチの考え方で…」
「当時の彼女が世界ランキングの10位ぐらいだったんですよね。やらなきゃいけないことって普通の筋力トレーニングとかではないんですよ。福原愛の上に9人、世界に強い選手がいるわけですよね。ってことは、この9人が持っていて福原愛が持っていないものを探さなきゃいけないんですよ」
「なので、最初オファー頂いた時に体を見て、状態を見て、あ、この人の体こうなってるんだ…ってインプットして、1ヶ月間はセッションしないんです。何をするかっていうと、彼女の過去の試合の映像を全部探してきて見て、練習を見に行く、試合を見に行く、映像を取り寄せるってことをして、上の選手と何が違うかを探すんですよ」
「体重の乗せ方が違うとか、フットワークのここに問題があるとか。なんでこのフットワークができないんだろう?あ、触った時にこの筋肉が弱いからこのフットワークができないんだ…とかっていう弱点を探しました」
「何か弱いのか?何が劣っているのか?っていうことを探して、そこをトレーニングで補うっていうメニューを立てていくのが仕事なんですよね」
ずっと一対一で指導してきた中野さんが初めてチームを担当したのが、青山学院大学の駅伝チーム。オファーを受けたのは青学が箱根駅伝で5連覇する前のことだったとか。
「何十年やってる大学のチームだと、ルーティーンができてるんですよ」「最初はまず何をやっているのか見させてくださいって言って、準備運動とかトレーニングとか見ていると、そもそも運動生理学上、理にかなったやり方になってないんですよね。医学的におかしい順番・構成だったり…」
「何年もやってきているものをこれダメって言っても、ホントにそれでいいの?ってみんな思うわけですよ。これをこういうふうに変えようって言っても無理なんで、なぜこの動作がいけなくて、こうするとどう良くなるのか、っていうことを理論的に説明するところから入っていくんですよ。選手たちを集めて、筋肉図を見せながら、関節の構造を見せながら…」
中野さんはその際、“こういう理屈だからこういう動作をすればいい”と一方的に言うのではなく、選手たち自身が考えることを重視したそうです。
「どの筋肉とどの筋肉をアプローチしたらここって動き良くなる?っていうことを考えさせるんですよ。各グループごとに考えさせるんですね」「で、ここの筋肉が関係してるかな?とか、こっち側の筋肉が関係してるかな?って見え始めるんですよ。じゃあ、まとまったら発表してって。とにかく体に興味を持ってくれる人たちの集団でなければ指導できないんですよね」
「チームはやっぱり楽しいですね。いろんな性格の子がいるので」「自分も何年もやってくると、原監督ほどではないですけど、愛情も湧いてくるので…」「この子トレーニング頑張ったから(箱根駅伝のメンバーに)選んであげて欲しかったなって思うけど選ばれないこともありますよね。そうするとトレーニングの現場で泣き出す子もいるわけですよ。監督には言えないけれども…っていう」
「チームって大変ですけど、たくさんの選手たちと触れ合えるっていう意味では凄く貴重な経験をさせて頂いています」
福原愛さんと藤井瑞希さんの銀メダル、青学の箱根駅伝5連覇などで注目される中野さんですが、ご本人曰く「いつも成功しているみたいなイメージなんですけど、99%失敗してるんですよ」とのこと。
「このトレーニングをしたらパフォーマンスが下がってしまった、って選手から怒られることもあるし、自分が計画を立てたけども思うように選手のパフォーマンスが上っていかない…ってことなんて日常的で、それが99%なんですよ。厳しい世界ですよ」
「マラソンとかって単純にタイムなんでわかりやすいんですけど、対戦相手があるテニスとか卓球とかっていうのは、準備がちゃんとできなくてコンディションが良くないけれども相手がもっとコンディションが良くなかったら勝てる、っていうケースも出てくるんですよね。なので、そういう意味だと、ホントに自分が関与したことによって勝てたかどうかわからなくなる時はありますね。そうすると、どうしても不安にもなりますけどね…」
中野さんは最後にご自身にとっての挑戦についてこう話してくれました。
「メダリストのトレーナーでありつづけること、ですね。それが挑戦だと思ってます」
「メダリストのトレーナーになりたいっていうのが夢だったんですよね。その夢はロンドンオリンピックで叶いました。凄く嬉しかったです」「凄く涙も出たし、人生に中で一番泣いた時でもあったし」
「ここを継続していくことって凄く大変なんですよね。1回、2回だったらまだしも、そこから3回、4回ってなってくると…次は東京、そしてパリ、で、最後ロサンゼルスって。自分の中ではロサンゼルスオリンピックが一つの基軸になっていると思っていて…」