渡貫淳子さんが“南極料理人”になるまでの挑戦を語る!(2019/06/01 放送)
今週は、元・南極観測隊員の渡貫淳子(わたぬき・じゅんこ)さんをお迎えしました。
2015年12月から2017年3月まで、第57次 南極地域観測隊に調理隊員として参加した渡貫さん。南極越冬隊30人のうち、一般公募枠は約3割なんだそうです。
「私のような調理担当。それから医療担当、お医者さんですね。あとは環境保全、ゴミの処理をする方ですとか。あとは観測をする方が何人か…」「1年に1回出る募集に応募する。チャンスは1年に1回ですね。知る人ぞ知る期間があるんです(笑)」
日本でも調理師をしていて『南極ではたらく かあちゃん、調理隊員になる』という本も出して渡貫さん。実は、ずっと南極に興味があったわけではなく、南極観測隊のことを知ったのは30代になってからだったとか。
「私の中では調理師として仕事をしていきたいっていう思いで、調理師にまではなった。で、結婚もして子供も生まれた。私の中では自分のやりたかったことはその時点では満たされてたんですよね」
「だけど、ある日めくった新聞で、南極で自分ができる仕事があるってことを知ってしまったんですね。そこからは取り憑かれたように(笑)南極のことを調べました」
「新聞にあった1枚の写真なんですよ。それは自分でも言語化できないというか、なんでそう思ったかはわからないんです。ただ私にとってはすごい衝撃的な…」「ですから、別に自分で藻掻いて藻掻いて探した夢ではなくて…」
お子さんが小さかったこともあり、最初は南極に関する本を読んだりするぐらいだったという渡貫さん。しかし、堺雅人さん主演の映画『南極料理人』を観たことをきっかけに具体的な行動を考えるようになったそうです。
「私の気になる南極というフレーズ、そして私の元々の職業である料理というフレーズがついていたので、普通に観ました。そしたらですね、あれ?私の仕事がここにある!って(笑)」
「たぶんみなさんがこういう会社に勤めたい!って思うのと同じような感覚なんですよ。だから全然特別なことじゃなくて、ここの料理を作りたい!って思ってしまったんです」
「場所がもうちょっと近かったら良かったんですよ」「あまりにも身近じゃない、非現実すぎて、たぶん家族も親しい友人もどなたも本気には…なんか言い出したぞこの人、みたいな。アホなこと言い出したぞ、ぐらいの…」
南極観測隊の試験には2度落ち、3度目の挑戦でようやく合格したという渡貫さん。「よく折れませんでしたね」とたずねると、こんなふうに答えてくれました。
「南極観測のOBの方とかとお話させていただく機会があるんですね。で、お話を聞けば聞くほど、とにかく魅力的なんです。私も現地に行ってわかったんですが、決して真っ白い世界ですとか氷山ですとか、ペンギン、アザラシ…ああいった自然が素晴らしいんじゃなくて、一番素晴らしいのは人でしたね。とにかく人が面白いですね」
「私はたぶん、不特定多数の顔の見えない方に料理を出すよりは、その人の人となりですとか、この人はこれが好きとか、この人はこれが嫌いとか、いろんなことがわかった状態で料理をする方が私自身のモチベーションは上がるんですよ」
「たぶん日本に置き換えると寮母さんみたいな立ち位置になるかと思うんですが、この人たちのために何を作れるか?そういうことの方が私は楽しみを見つけられます」
そして、試験に合格したらすぐに南極へ…というわけではなく、そこからは厳しい訓練が待っているそうです。
「そこから約1年ですね」「まずですね、厳冬期の、冬の雪の山で訓練をします。1日8時間ですとか…雪の中を行動する訓練。私にとっては訓練が一番大変でした」「ただ、南極に行こうっていう人たちは山をやられる方が多いので、慣れてらっしゃる方が非常に多いんですね。私のようなのは逆に少数派なので…」
ただ、渡貫さんは「そういった人間もきちんとフォローできるようにプログラムを組んで頂いているので…」ともおっしゃっていました。
また、今回は南極に行ってからのことも少し聞くことができましたが、観測隊員のための食料はまとめて運び込まれるので、どんどん減っていくんだとか。
「一番最初は山積みのダンボールと戦うので、逆に減っていった方が…でも無くなる恐怖心は常にありますね。玉ねぎがなくなった時はショックでしたね。どうやって行きていこう?と(笑)。今まで玉ねぎがこんなに大切だと思ったことはなかったです(笑)」
「親子丼…卵はありますよ。鶏肉もあります。そしたら玉子丼でいいじゃん、って思われると思うんですが、玉ねぎのないあの味気なさ…。で、カレーは毎週1回かならず食べるんですね。カレーに入れる玉ねぎもない。さぁどうする?って。私は何よりも玉ねぎがダメージでしたね」
↓こちらは渡貫さんの著書と、渡貫さんが考案したヒット商品『悪魔のおにぎり』。
『悪魔のおにぎり』に関しては、来週伺います!
2015年12月から2017年3月まで、第57次 南極地域観測隊に調理隊員として参加した渡貫さん。南極越冬隊30人のうち、一般公募枠は約3割なんだそうです。
「私のような調理担当。それから医療担当、お医者さんですね。あとは環境保全、ゴミの処理をする方ですとか。あとは観測をする方が何人か…」「1年に1回出る募集に応募する。チャンスは1年に1回ですね。知る人ぞ知る期間があるんです(笑)」
日本でも調理師をしていて『南極ではたらく かあちゃん、調理隊員になる』という本も出して渡貫さん。実は、ずっと南極に興味があったわけではなく、南極観測隊のことを知ったのは30代になってからだったとか。
「私の中では調理師として仕事をしていきたいっていう思いで、調理師にまではなった。で、結婚もして子供も生まれた。私の中では自分のやりたかったことはその時点では満たされてたんですよね」
「だけど、ある日めくった新聞で、南極で自分ができる仕事があるってことを知ってしまったんですね。そこからは取り憑かれたように(笑)南極のことを調べました」
「新聞にあった1枚の写真なんですよ。それは自分でも言語化できないというか、なんでそう思ったかはわからないんです。ただ私にとってはすごい衝撃的な…」「ですから、別に自分で藻掻いて藻掻いて探した夢ではなくて…」
お子さんが小さかったこともあり、最初は南極に関する本を読んだりするぐらいだったという渡貫さん。しかし、堺雅人さん主演の映画『南極料理人』を観たことをきっかけに具体的な行動を考えるようになったそうです。
「私の気になる南極というフレーズ、そして私の元々の職業である料理というフレーズがついていたので、普通に観ました。そしたらですね、あれ?私の仕事がここにある!って(笑)」
「たぶんみなさんがこういう会社に勤めたい!って思うのと同じような感覚なんですよ。だから全然特別なことじゃなくて、ここの料理を作りたい!って思ってしまったんです」
「場所がもうちょっと近かったら良かったんですよ」「あまりにも身近じゃない、非現実すぎて、たぶん家族も親しい友人もどなたも本気には…なんか言い出したぞこの人、みたいな。アホなこと言い出したぞ、ぐらいの…」
南極観測隊の試験には2度落ち、3度目の挑戦でようやく合格したという渡貫さん。「よく折れませんでしたね」とたずねると、こんなふうに答えてくれました。
「南極観測のOBの方とかとお話させていただく機会があるんですね。で、お話を聞けば聞くほど、とにかく魅力的なんです。私も現地に行ってわかったんですが、決して真っ白い世界ですとか氷山ですとか、ペンギン、アザラシ…ああいった自然が素晴らしいんじゃなくて、一番素晴らしいのは人でしたね。とにかく人が面白いですね」
「私はたぶん、不特定多数の顔の見えない方に料理を出すよりは、その人の人となりですとか、この人はこれが好きとか、この人はこれが嫌いとか、いろんなことがわかった状態で料理をする方が私自身のモチベーションは上がるんですよ」
「たぶん日本に置き換えると寮母さんみたいな立ち位置になるかと思うんですが、この人たちのために何を作れるか?そういうことの方が私は楽しみを見つけられます」
そして、試験に合格したらすぐに南極へ…というわけではなく、そこからは厳しい訓練が待っているそうです。
「そこから約1年ですね」「まずですね、厳冬期の、冬の雪の山で訓練をします。1日8時間ですとか…雪の中を行動する訓練。私にとっては訓練が一番大変でした」「ただ、南極に行こうっていう人たちは山をやられる方が多いので、慣れてらっしゃる方が非常に多いんですね。私のようなのは逆に少数派なので…」
ただ、渡貫さんは「そういった人間もきちんとフォローできるようにプログラムを組んで頂いているので…」ともおっしゃっていました。
また、今回は南極に行ってからのことも少し聞くことができましたが、観測隊員のための食料はまとめて運び込まれるので、どんどん減っていくんだとか。
「一番最初は山積みのダンボールと戦うので、逆に減っていった方が…でも無くなる恐怖心は常にありますね。玉ねぎがなくなった時はショックでしたね。どうやって行きていこう?と(笑)。今まで玉ねぎがこんなに大切だと思ったことはなかったです(笑)」
「親子丼…卵はありますよ。鶏肉もあります。そしたら玉子丼でいいじゃん、って思われると思うんですが、玉ねぎのないあの味気なさ…。で、カレーは毎週1回かならず食べるんですね。カレーに入れる玉ねぎもない。さぁどうする?って。私は何よりも玉ねぎがダメージでしたね」
↓こちらは渡貫さんの著書と、渡貫さんが考案したヒット商品『悪魔のおにぎり』。
『悪魔のおにぎり』に関しては、来週伺います!