渡貫淳子さんが南極で生み出した“悪魔のおにぎり”(2019/06/08 放送)
先週に引き続き、今週も元・南極観測隊員の渡貫淳子(わたぬき・じゅんこ)さんをお迎えしました。
子育て中にたまたま新聞で南極観測隊のことを知り、3度目の挑戦で合格した渡貫さん。第57次 南極地域観測隊に調理隊員として参加し、2015年の12月から1年以上に渡って昭和基地に滞在しました。
昭和基地の厨房は日本と同じようなもので、電気ではなくガスで調理をしていたとか。ちなみに、調理隊員は渡貫さん以外にもう一人いて、献立は2人で考えていたそうです。
「基本はご飯を炊きますね。あと、お昼はどうしても午後の作業があるので、麺類ですとか丼ですとか、ぱっと食べられるものを中心に献立は組んでました。ラーメン、うどん、そば、親子丼、天丼、牛丼、中華丼…そんな感じでしょうか」
昭和基地の越冬隊は約30人。昼ごはんと晩ごはんはみんなで集合して食べるそうで、1ヶ月に1度くらいは隊員の誕生日会などを兼ねてささやかなパーティーも開催されていたとか。
また、昭和基地ではお酒も飲めるそうです。
「お酒は飲み放題です、というと語弊がありますか(笑)。いちおう誤解のないようにお伝えしておきますと、食費はあらかじめ給料から1年間分引かれるんです。そのお金の中から相方さんと私で30トンぐらいの食料を仕入れていくので、飲み放題、食べ放題と言えども、元々の出どころはそこなんですね」
渡貫さんが帰国後にテレビで紹介して話題となり、コンビニなどでも大人気となったのが『悪魔のおにぎり』。これは昭和基地で食材をやりくりする中から生まれたものなんだとか
「ご飯が足りないっていうのは許されないじゃないですか。かと言って、コンビニがあるわけじゃないから、みなさん好き勝手に好きなものを食べに行ける環境じゃない。そうすると、ちょっとずついろんなものが残るんですよね。でも、それをゴミとしては捨てられない」
「で、ある日、お昼にたしか天ぷらうどんを作ったと思うんです。天かすが余りました。どうしようかな…と思いながらそのまま取っておいたんです。で、夜ご飯で今度は白いご飯が余って…。私としては、たぬきのおにぎりを作ったつもりなんです。色味が茶色すぎてちょっと色気がないなと思ったので、余ってたアオサ海苔を入れてちょっと華やかにしたつもりだったんです」
「で、たまたまそれを食べた仲間が、夜食にしてはカロリーが高いだろうと。どう考えても太るだろうと。だけど、美味しいから食べるんだよな…っていうことで『悪魔のおにぎり』っていう名前は仲間がつけてくれました。タイトルがこうじゃなかったらここまで売れてないと思います」
そして、渡貫さんは南極観測隊の調理隊員としての心構えについて話してくれました。
「(南極では)食べる自由がないんですよ。私なんかはまだ献立を立てられる、あとは食材をぜんぶ把握できているので、あれが食べたいとか、自分である程度の選択肢はあるんですけど、食べ手の方には選択肢がまったくないんですよね。ですから、大げさかもしれないですけど、少なくとも食べるもので心を満たす…そんなご飯を作れたらいいなという思いでした」
南極を離れる時は「号泣しましたね」という渡貫さん。「達成感以上に、なんでしょう…喪失感の方が大きかったですね。1年間築き上げてきたものが全部なくなるっていう、そういう感覚ですね」とその時の心境を話してくれました。
また、帰国後についてはこんなことをおっしゃっていました。
「私たちの中ではよく言われることですが、廃人になりました(笑)。物とか情報が溢れていることに対応できなくなっちゃったんです。娯楽も食べ物もあるものだけでやってきたわけですよね。逆にそれを楽しむような生活をしてきたので、これだけ選択肢がある日常が逆に不便だなって今は思います」
「意外でしたね。向こうにいる時は、みんなで日本に帰ったらあれ食べよう、これ食べようっていろんな話をしてたのに、帰ってきたら選べないんです。ありすぎるってこんなに不便なんだなって、それは今も実感してます」
ちなみに、昭和基地ではインターネットが使えて日本の情報も入ってくるそうですが、渡貫さんはだんだんと必要性を感じなくなってネットニュースなどはほとんど見ていなかったそうです。
そんな渡貫さんが昭和基地での生活で得たものはなんだったんでしょうか?
「人間捨てたもんじゃないなと(笑)。人に迷惑をかけずに生活しなさいって言われた世代ではあるんですよ。ですけれども、迷惑かけないのなんか無理なんですよね。いかに自分が支えてもらって生活しているかを実感した1年でもあったんです」
「事故もトラブルもケンカもなく1年平和に過ごしてたら、たぶん私の記憶には何も残ってないんですよ。いろんなトラブルがあって、ぶつかることもあって、そういった生活をしてきたからこそ、今こうやって良い時間だったなって思えるんだと思います」
そして「また南極に行きたいですか?」という質問に対して、「難しい質問ですね。でも、あの食堂の窓から見る南極大陸はもう一度見たいとは思います」と答えてくれた渡貫さん。ご自身にとって挑戦とは「特別なことではない」そうです。
「やりたいことを形にするために頑張っただけです。ふつう日常で南極に行きたいんだって言ったら、みなさん、はっ?って言うじゃないですか。ところがそれが観測隊の中に入るとスタンダードなんですよね。だから、私たちにとっては南極って言葉はぜんぜん特別な言葉じゃないんですよ」「本人はやりたいことを形にしただけで挑戦した意識はないんです」
最後に、渡貫さんに「挑戦は特別なものではないとして…するべきですか?」と聞くと、こんな答えが返ってきました。
「本当のことを言っていいですか?私は迷ってるんだったら無理しなくていいと思います。もし、一つでも不安要素があって躊躇されてるんであれば私は勧めません。でも、ホントにやりたいことだったら迷いは吹っ切れます(笑)。私がそうだったので」「私は南極行かずして死ねないと思ったので(笑)」
「だから、諦めるか諦めないか、だったと思います。諦められるんだったらそれは…(もう挑戦ではないです)」
番組では、そんな渡貫さんの挑戦に関するメッセージを色紙に書いて頂きました!こちらを1名様にプレゼントします。このホームページのメッセージフォームから「渡貫淳子さんの色紙希望」と書いてご応募ください!
子育て中にたまたま新聞で南極観測隊のことを知り、3度目の挑戦で合格した渡貫さん。第57次 南極地域観測隊に調理隊員として参加し、2015年の12月から1年以上に渡って昭和基地に滞在しました。
昭和基地の厨房は日本と同じようなもので、電気ではなくガスで調理をしていたとか。ちなみに、調理隊員は渡貫さん以外にもう一人いて、献立は2人で考えていたそうです。
「基本はご飯を炊きますね。あと、お昼はどうしても午後の作業があるので、麺類ですとか丼ですとか、ぱっと食べられるものを中心に献立は組んでました。ラーメン、うどん、そば、親子丼、天丼、牛丼、中華丼…そんな感じでしょうか」
昭和基地の越冬隊は約30人。昼ごはんと晩ごはんはみんなで集合して食べるそうで、1ヶ月に1度くらいは隊員の誕生日会などを兼ねてささやかなパーティーも開催されていたとか。
また、昭和基地ではお酒も飲めるそうです。
「お酒は飲み放題です、というと語弊がありますか(笑)。いちおう誤解のないようにお伝えしておきますと、食費はあらかじめ給料から1年間分引かれるんです。そのお金の中から相方さんと私で30トンぐらいの食料を仕入れていくので、飲み放題、食べ放題と言えども、元々の出どころはそこなんですね」
渡貫さんが帰国後にテレビで紹介して話題となり、コンビニなどでも大人気となったのが『悪魔のおにぎり』。これは昭和基地で食材をやりくりする中から生まれたものなんだとか
「ご飯が足りないっていうのは許されないじゃないですか。かと言って、コンビニがあるわけじゃないから、みなさん好き勝手に好きなものを食べに行ける環境じゃない。そうすると、ちょっとずついろんなものが残るんですよね。でも、それをゴミとしては捨てられない」
「で、ある日、お昼にたしか天ぷらうどんを作ったと思うんです。天かすが余りました。どうしようかな…と思いながらそのまま取っておいたんです。で、夜ご飯で今度は白いご飯が余って…。私としては、たぬきのおにぎりを作ったつもりなんです。色味が茶色すぎてちょっと色気がないなと思ったので、余ってたアオサ海苔を入れてちょっと華やかにしたつもりだったんです」
「で、たまたまそれを食べた仲間が、夜食にしてはカロリーが高いだろうと。どう考えても太るだろうと。だけど、美味しいから食べるんだよな…っていうことで『悪魔のおにぎり』っていう名前は仲間がつけてくれました。タイトルがこうじゃなかったらここまで売れてないと思います」
そして、渡貫さんは南極観測隊の調理隊員としての心構えについて話してくれました。
「(南極では)食べる自由がないんですよ。私なんかはまだ献立を立てられる、あとは食材をぜんぶ把握できているので、あれが食べたいとか、自分である程度の選択肢はあるんですけど、食べ手の方には選択肢がまったくないんですよね。ですから、大げさかもしれないですけど、少なくとも食べるもので心を満たす…そんなご飯を作れたらいいなという思いでした」
南極を離れる時は「号泣しましたね」という渡貫さん。「達成感以上に、なんでしょう…喪失感の方が大きかったですね。1年間築き上げてきたものが全部なくなるっていう、そういう感覚ですね」とその時の心境を話してくれました。
また、帰国後についてはこんなことをおっしゃっていました。
「私たちの中ではよく言われることですが、廃人になりました(笑)。物とか情報が溢れていることに対応できなくなっちゃったんです。娯楽も食べ物もあるものだけでやってきたわけですよね。逆にそれを楽しむような生活をしてきたので、これだけ選択肢がある日常が逆に不便だなって今は思います」
「意外でしたね。向こうにいる時は、みんなで日本に帰ったらあれ食べよう、これ食べようっていろんな話をしてたのに、帰ってきたら選べないんです。ありすぎるってこんなに不便なんだなって、それは今も実感してます」
ちなみに、昭和基地ではインターネットが使えて日本の情報も入ってくるそうですが、渡貫さんはだんだんと必要性を感じなくなってネットニュースなどはほとんど見ていなかったそうです。
そんな渡貫さんが昭和基地での生活で得たものはなんだったんでしょうか?
「人間捨てたもんじゃないなと(笑)。人に迷惑をかけずに生活しなさいって言われた世代ではあるんですよ。ですけれども、迷惑かけないのなんか無理なんですよね。いかに自分が支えてもらって生活しているかを実感した1年でもあったんです」
「事故もトラブルもケンカもなく1年平和に過ごしてたら、たぶん私の記憶には何も残ってないんですよ。いろんなトラブルがあって、ぶつかることもあって、そういった生活をしてきたからこそ、今こうやって良い時間だったなって思えるんだと思います」
そして「また南極に行きたいですか?」という質問に対して、「難しい質問ですね。でも、あの食堂の窓から見る南極大陸はもう一度見たいとは思います」と答えてくれた渡貫さん。ご自身にとって挑戦とは「特別なことではない」そうです。
「やりたいことを形にするために頑張っただけです。ふつう日常で南極に行きたいんだって言ったら、みなさん、はっ?って言うじゃないですか。ところがそれが観測隊の中に入るとスタンダードなんですよね。だから、私たちにとっては南極って言葉はぜんぜん特別な言葉じゃないんですよ」「本人はやりたいことを形にしただけで挑戦した意識はないんです」
最後に、渡貫さんに「挑戦は特別なものではないとして…するべきですか?」と聞くと、こんな答えが返ってきました。
「本当のことを言っていいですか?私は迷ってるんだったら無理しなくていいと思います。もし、一つでも不安要素があって躊躇されてるんであれば私は勧めません。でも、ホントにやりたいことだったら迷いは吹っ切れます(笑)。私がそうだったので」「私は南極行かずして死ねないと思ったので(笑)」
「だから、諦めるか諦めないか、だったと思います。諦められるんだったらそれは…(もう挑戦ではないです)」
番組では、そんな渡貫さんの挑戦に関するメッセージを色紙に書いて頂きました!こちらを1名様にプレゼントします。このホームページのメッセージフォームから「渡貫淳子さんの色紙希望」と書いてご応募ください!