株式会社アカツキの塩田元規さんが考える“いい会社”とは?(2019/11/30 放送)
今週は、株式会社アカツキのCEO、塩田 元規(げんき)さんをお迎えしました。
塩田さんが2010年に創業した株式会社アカツキ。「一言でいうなら、“エンターテイメント×IT”みたいな事業領域をやってるんですけど、自分たちとしては“人の心を動かす”っていうのをキーワードにしています」とのことで、モバイルゲームの開発・運営を中心に、エンターテイメントのビルディング『アソビル』や『うんこミュージアム』といった施設も手がけています。
モバイルゲーム事業では「どういうゲームだったら売れるか」よりも「どういう世界とストーリーを伝えたいか」を重視しているという塩田さん。アニメ化もされた『八月のシンデレラナイン』についてはこんなことをおっしゃっていました。
「当時これを作ったプロデューサーが、女子高生って絶対に甲子園行けないんですよって。野球の連盟規則みたいなやつに、男子であること、みたいなのが書いてあって…でも、そういうシーンってけっこう多くないですか?みたいな」「何か勇気を持って踏み出したいのに壁があるっていう。そういうのをゲームを通してもう一歩踏み出す勇気を届けたい…とかって熱烈に語ってきて。僕はそういうのが大好きなんで、だったらやってみようかって」
「最初に、届けたい体験とか届けたい物語とか、メッセージが凄く重要だと思っています。僕たちの会社はゲーム以外の全プロジェクトに、WHY…なぜやるのか?っていうのが定義されていて、これ売れるんでこれ作りましょう、って言われても、みんなもうやれないですよ」
塩田元規さんは1983年島根県出雲市生まれの現在36才。両親は小学校の先生で、お母様が勤めている小学校に通っていたとか。
「なので、周りから塩田先生の息子さんっていう目で見られるじゃないですか。たぶんですね、気づかないうちに人よりがんばり屋さんになるっていうか。田舎の長男って、家を継ぐのはお前だ、みたいな文化があったり…」
また、早くにお父様を亡くした経験が現在の行動力にも繋がっているようです。
「父親は37才の時にガンで亡くなってて。僕が中1の時だったんですけど、その時ぐらいから、37才で人は死ぬんだなっていう…」「自分の人生をどう生きようかなっていうのを凄く考え始めた歳で。小学校の頃は楽しく遊んでたんですけどね。ある種、父親の死っていうのも僕にとっては大きかったですね」
そんな塩田さんが、ベンチャー、自分で起業することを意識するようになったのは高校生の頃だったとか。
「僕の前の世代の、ホリエモンさんとか藤田(晋)さんとかが出始めた頃で、周りの親戚に経営者も何人かいたんで、自分の人生を生きるって、どこかに就職するよりは自分の表現をしたいなってその頃から思い始めたっていう感じですね」
そして、大学は横浜国立大学の工学部に進学。工学部を選んだ理由についてはこんなことをおっしゃっていました。
「やっぱりテクノロジーは変わっていくっていう流れと、自分の中で“手に職”じゃないですけど、プログラムさえできれば一人で生きていけるのかなって当時思ったんで…」
大学時代は真面目に勉強に取り組み、理系だけではなく経営学部の授業にも潜り込んでいたという塩田さん。ある先生の授業に感動したことをきっかけに、『ハッピーカンパニープロジェクト』という学生団体を立ち上げたそうです。
「財務コンサルタントの社長さんだったんですけど、財務コンサルの人なのに、経営って目に見えない働いている人の幸せとかそういうものがこれからは大事で、そこが統合されていくみたいな話をされたんですね。もの凄く感動して、その先生のところに行ったら、そんなにそういう話に感動するんだったらいろんな経営者に会ってみれば?って言われたんですよ。で、会えるなら会ってみたいと」
「学生団体で幸せそうな会社を探してみようと思って、Yahoo!で調べてそこに直接電話をかけるっていうのをやったんですね。代表電話に。で、横浜国立大学の塩田元規といいます。今、ハッピーカンパニープロジェクトという団体を作っていて…経営者の哲学とか理念とか、そもそも会社って何?人生って何?とかわかりませんと。それを教えて下さいって」
「半分ぐらいはガチャ切りされるんですよね。誰だ?と言われるですけど、半分ぐらいの人が社長さんに繋いでくれたりとかして、20社近くの人が会ってくれたんですよね。それでインタビューしながら、人生とは?会社とは?っていうのをやっていく団体を当時立ち上げましたね。ホントに面白かったです」
そうやっていろいろな経営者の話を聞く中で、塩田さんは感動して泣いたこともあったそうです。
塩田さんが2010年に創業した株式会社アカツキ。「一言でいうなら、“エンターテイメント×IT”みたいな事業領域をやってるんですけど、自分たちとしては“人の心を動かす”っていうのをキーワードにしています」とのことで、モバイルゲームの開発・運営を中心に、エンターテイメントのビルディング『アソビル』や『うんこミュージアム』といった施設も手がけています。
モバイルゲーム事業では「どういうゲームだったら売れるか」よりも「どういう世界とストーリーを伝えたいか」を重視しているという塩田さん。アニメ化もされた『八月のシンデレラナイン』についてはこんなことをおっしゃっていました。
「当時これを作ったプロデューサーが、女子高生って絶対に甲子園行けないんですよって。野球の連盟規則みたいなやつに、男子であること、みたいなのが書いてあって…でも、そういうシーンってけっこう多くないですか?みたいな」「何か勇気を持って踏み出したいのに壁があるっていう。そういうのをゲームを通してもう一歩踏み出す勇気を届けたい…とかって熱烈に語ってきて。僕はそういうのが大好きなんで、だったらやってみようかって」
「最初に、届けたい体験とか届けたい物語とか、メッセージが凄く重要だと思っています。僕たちの会社はゲーム以外の全プロジェクトに、WHY…なぜやるのか?っていうのが定義されていて、これ売れるんでこれ作りましょう、って言われても、みんなもうやれないですよ」
塩田元規さんは1983年島根県出雲市生まれの現在36才。両親は小学校の先生で、お母様が勤めている小学校に通っていたとか。
「なので、周りから塩田先生の息子さんっていう目で見られるじゃないですか。たぶんですね、気づかないうちに人よりがんばり屋さんになるっていうか。田舎の長男って、家を継ぐのはお前だ、みたいな文化があったり…」
また、早くにお父様を亡くした経験が現在の行動力にも繋がっているようです。
「父親は37才の時にガンで亡くなってて。僕が中1の時だったんですけど、その時ぐらいから、37才で人は死ぬんだなっていう…」「自分の人生をどう生きようかなっていうのを凄く考え始めた歳で。小学校の頃は楽しく遊んでたんですけどね。ある種、父親の死っていうのも僕にとっては大きかったですね」
そんな塩田さんが、ベンチャー、自分で起業することを意識するようになったのは高校生の頃だったとか。
「僕の前の世代の、ホリエモンさんとか藤田(晋)さんとかが出始めた頃で、周りの親戚に経営者も何人かいたんで、自分の人生を生きるって、どこかに就職するよりは自分の表現をしたいなってその頃から思い始めたっていう感じですね」
そして、大学は横浜国立大学の工学部に進学。工学部を選んだ理由についてはこんなことをおっしゃっていました。
「やっぱりテクノロジーは変わっていくっていう流れと、自分の中で“手に職”じゃないですけど、プログラムさえできれば一人で生きていけるのかなって当時思ったんで…」
大学時代は真面目に勉強に取り組み、理系だけではなく経営学部の授業にも潜り込んでいたという塩田さん。ある先生の授業に感動したことをきっかけに、『ハッピーカンパニープロジェクト』という学生団体を立ち上げたそうです。
「財務コンサルタントの社長さんだったんですけど、財務コンサルの人なのに、経営って目に見えない働いている人の幸せとかそういうものがこれからは大事で、そこが統合されていくみたいな話をされたんですね。もの凄く感動して、その先生のところに行ったら、そんなにそういう話に感動するんだったらいろんな経営者に会ってみれば?って言われたんですよ。で、会えるなら会ってみたいと」
「学生団体で幸せそうな会社を探してみようと思って、Yahoo!で調べてそこに直接電話をかけるっていうのをやったんですね。代表電話に。で、横浜国立大学の塩田元規といいます。今、ハッピーカンパニープロジェクトという団体を作っていて…経営者の哲学とか理念とか、そもそも会社って何?人生って何?とかわかりませんと。それを教えて下さいって」
「半分ぐらいはガチャ切りされるんですよね。誰だ?と言われるですけど、半分ぐらいの人が社長さんに繋いでくれたりとかして、20社近くの人が会ってくれたんですよね。それでインタビューしながら、人生とは?会社とは?っていうのをやっていく団体を当時立ち上げましたね。ホントに面白かったです」
そうやっていろいろな経営者の話を聞く中で、塩田さんは感動して泣いたこともあったそうです。
「塩田くん、会社とは人を幸せにするためにあって、いい会社って雰囲気がいい会社だと。売上とかビジネスモデルじゃないんだって。で、塩田くん焦ってるから、人生ってゴールと達成するものがあって、それを達成したら幸せになると思ってるだろ?と言われて」
「僕もそう思ってたけどそうじゃなくて、人生っていうのは旅だから、ゴールとか目標は大事なんだけど、それって何のためにあるのかと言えば、今を味わうためなんだと。塩田くん、人生を味わいながらそういう経営をしていく素晴らしい会社を作ったらいいんじゃないか?って言われて号泣したんですよね」
「当時、死ぬっていう怖さもあったから、何か成し遂げて死なないと…とか。極論、大学に入る時もいい大学に入った方がいいじゃんとか、いい会社入った方がいいじゃんっていう。ずっとレースをやってるじゃないですか。それって終わりがないんだよって言ってもらえて」
「僕はその時に、働いている人たちがそういう旅をできる、幸せになれる会社を作ることに自分の人生をコミットして、自分も楽しんでいこうっていうのを決めて、MBA(経営修士)に行ったっていう感じですね」
↓こちらは今年10月に発売された塩田さんの著書『ハートドリブン 目に見えないものを大切にする力』。
来週も引き続き、塩田元規さんをお迎えします。