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アフリカ生まれの星野ルネさんが日本で育った結果  (2020/08/22 放送)

今週は、漫画家の星野ルネさんにリモート収録でお話を伺いました。

『まんが アフリカ少年が日本で育った結果』などが話題の星野ルネさんは、今月20日に36歳になったばかり。アフリカのカメルーン出身のトリリンガル(日本語とフランス語、勉強中だという英語)で、お母さんが日本人と結婚したことをきっかけに4歳直前で来日したそうです。

「物心ついたらすでに日本の保育園にいたので、自分としては自分だけが周りの子と違うという、そこが一番不思議でしたね。子供なので人種とかそういうものは一切わからないので。なんで俺だけ違うんだろう?みたいな、そういう感覚で」

「日本とカメルーンの違いがわかったのはいつかというと、小学校1年生の冬頃にカメルーンに家族で帰ったんですけど、母親と僕の出身のジャングルに囲まれた村に帰った時に、日本とはまったく違う、電気もガスも水道もないとこに行って、あ、ここから来たんだ…という」

「(その時には)もう日本人ですよね、どちらかと言うと。環境ですね。日本人としてカメルーンに帰ってる感じでしたね」

ちなみに、ルネさんの日本人のお父さんはサルの研究をしていたそうで、研究のためにカメルーンを訪れた時にルネさんのお母さんと出会ったんだとか。


ルネさんは日本とカメルーンの違いについてこんなことを話してくれました。

「いくら物に囲まれていても、日本の中でもいろんな淋しさとかストレスでいろいろ悩まれたり苦しんでる方がいるじゃないですか」「人がたくさんいるのになんか繋がっていないっていう感覚なんですかね」

「例えば、カメルーンの田舎の方だと核家族じゃないので、親戚が30〜40人ぐらい集まって住んでて、みんなで遊んで、ご飯も一緒に食べて、お風呂もみんなで川に入って」

「で、大人は大人で、女の人も家の中で一人で家事をやるっていうんじゃないんで。同じぐらいの年代の女性が10人ぐらいいたりするんで、全員で料理をやって、全員で家のことをやって、夕方にあるとみんなで集まって、30人、40人全員でご飯を食べて、いろいろ喋ったり…」

「物はない、電気も水道もガスもないけど、助け合う人はいるし、子供はずっと遊び相手がいるし、お兄ちゃん、お姉ちゃんがたくさんいるし、相談する人もいっぱいいるし…ってなると、それはまた日本とは違った形の安心とか幸せとかっていうのがあるんですよね」

「日本のニュースなんかを見てて、お母さんが一人で子育てをして育児ノイローゼになったというような話を聞いた時に、僕の目線で言うと、いや当たり前じゃないかな?って思ってしまうんですよ」

「僕はカメルーンで見てて、子供って一人で育てるものじゃなくて、みんなで協力して育てるものっていうイメージがあるんで、核家族で一人で相談する相手もいない状態でやるってそりゃあ大変だろうなっていう」

ルネさんはカメルーンの子育てについてこんなこともおっしゃっていました。

「でもね、カメルーンの子育ては厳しいですよ。カメルーンの村に帰って子供に接してると、僕よりちっちゃい村の若い子に怒られますもん。甘やかすな!って」

「社会は大変だから、子供のうちにちゃんと厳しく育てて、いっちょまえになれるようにしなきゃいけないんだから、お前の甘やかしてるスタイルをうちに持ち込んでくんな!って言われて(笑)。怒られちゃう」


ルネさんが絵を描くのが好きになったのは、まだ日本語が上手く話せなかった保育園の頃だったとか。

「絵を描くことに関しては日本語を喋れなくてもみんなと同じ土台に立てるので。描いてたらたまたま隣りにいた男の子かな?…が、僕の絵をたぶん褒めてくれたんですよ、言葉はわからなかったんですけど。友達もその頃はまだちゃんといなかったので、たぶんそれが凄い嬉しくて。あ、絵を描くと褒めてもらえて仲良くできるんだと」

「(絵は)自分にとっては友達を作るきっかけでもあるし、日本の言葉が通じない相手とのコミュニケーションをするための最初のツールでもあったので、特別なんです」


兵庫県の姫路市で育ったルネさんは高校卒業後、まずは工務店に就職したそうです。

「だんだん仕事に馴染んできた時に、カメルーンで生まれて日本で育ったルネ君なら、日本とカメルーンの架け橋になれるんじゃないの?みたいなことを言う人がいて。でも、僕からしたら、そんなこと知らねえよ、そんなこと言われても…って。たまたま生まれて、たまたま気がついたら日本にいたわけで、架け橋なんて大それたことをなんで俺がしなきゃいけないんだ?って。最初はむしろ反発してたんですよ。勝手なことを言ってくれんじゃねえよと」

「ですけど、だんだん自分の人生を真剣に考えるようになって。カメルーン生まれの星野ルネっていう人間が映画の主人公だとした時に、どういう人生がしっくりくるんだろう?ってなった時に、違うことをしてみたいって言って、図書館に通うようになったんですね。何をしていいかわかんない、とりあえずわかんない時は図書館に行きゃいいだろ、つって、いろんな成功者の(本を読んだんです)」

「本っていうのは知識の化石燃料みたいなもので、偉人たちの知識が凝縮されてる場所なんで、今まで知らなかったような価値観や知識が膨大に流れ込んできて。で、僕は本を読むのが楽しすぎて工務店の仕事を辞めてしまったんです」


半年ほど図書館に入り浸る生活をしていたというルネさんですが、やがてお金がなくなったので知り合いの紹介でバーテンダーの仕事を始めたんだとか。

「そこでお客さんに対して、カメルーンで生まれて日本で育って、こんなことがあった、あんなことがあった、という自分のいろんな話をしたら、時にはみんな笑ったりとか、時には聞いたこともないような話だって興味を持ってくれたりとか、時には感動する人がいたり。その話はこれからの日本の社会で伝えた方がいいんじゃない?って言ってくださるお客さんが多くて」

「言われるとだんだん人間その気になってくるんで(笑)、俺の話はそうやって聞いてて楽しかったり、人の役に立つものなんだ、って思うようになって、メディアの仕事をしようってそこで興味が出始めて」

「で、メディアの仕事をするってなったらやっぱり東京に行った方がいいんじゃないか?っていうことで上京して。結果的にはホントにカメルーンと日本の架け橋的なことをするようになったので、暗示をかけられていたんでしょうね」


ルネさんは、工務店、バーテンダー、タレント、漫画家といろいろなことにチャレンジしてきたご自身の経歴についてこんなことをおっしゃっていました。

「ホントに飛びましたね。僕自身はそれでいいと思ってるですけど、それは元々失うものがなかったところが大きいと思ってて。例えば、子供の頃から一生懸命、一流企業を目指したりなんかして、学校で勉強して、いい大学にも行ってっていう、ちゃんと人生設計をしてしまうと外れるリスクが大きくなってしまうじゃないですか」

「でも、自分は若い頃にあんまり将来のことをそこまでみっちり考えてなかったので。その日その日、自分が一番楽しいことをやるっていう。親や先生には怒られましたけど、好き勝手に生きてた分、逆に言うと失うものもなかったし、遊びをいっぱい身につけてこられたので。思いついたことをすぐするっていう訓練をずっとやっていたようなものなので、僕からしたら凄い普通のことなんです」

「物は言いようで、“その場しのぎ”とも言えるけど“臨機応変”とも言えるじゃないですか(笑)。過去に何度も言われましたもん。お前なにがしたいの?って。そんなこと言われても全部やりてえんだよ!って思うんですけど」

来週も引き続き、星野ルネさんをお迎えします。
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