木村拓哉 Flow supported by Spotify - TOKYO FM 80.0MHz - 木村拓哉

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2024年04月21日Flow 第二百九十九回目「拓哉キャプテン × Awich」Part3

4月のマンスリーゲストはアーティストのAwichさんです!
Awichさんとのトークセッションも今週が最後。Awichさんの「人生の1曲」も伺います。


木村:自分プロデュースいるよね?

Awich:います、います。
俯瞰した自分がいるっていうのは私にとってはめちゃくちゃ大事なことで、眠れない夜のセッションというか自問自答の中で生まれたセルフなんですよ。そこと会話するから自分の人生が俯瞰して見えるし、1回そこで吐き出してるので、周りにいる人たちとは落ち着いて会話できるっていうか。そこを私はめちゃ大事だなって思って、ありがたい気づきだなって思ってます。
だから、私は自分のファンの子たちには日記をめちゃくちゃ推奨してます。

木村:それはポジティブな事だけではなく、思ったことを。

Awich:はい。だからこそ日記は自分の聖域というかsecret placeとして誰にも見られないし、カッコつけなくていい所。あと綺麗ごと言わなくていい所、偽善者ぶらなくていい所。自分の中にあるほんとの声というか、これが分からない、これがムカつく、これが嫌い、これが大好きとかも全部、何も飾り付けずに言えるところ。そこで自分との対話をすると、“ほんとに好きなのってこれなんだ”とか、“私ってこれ得意なんだ”とか分かってあげられるから、それに基づいて行動がとれるというか。

木村:日記という自分に対するカルテですよね。

Awich:あー、そうですね。だから、プロデューサー、セラピストみたいな。

木村:でもさ、時には自分自身がドクターにもなるし、ナースにもなってるし。だから一方通行でずっとドクターやってるわけじゃなしに。

Awich:そうですね。たしかに、たしかに。

木村:そこがスイッチしてるっていう感じは。だから健康で健全なんじゃない?

Awich:たしかに。

木村:でもちょっとビックリしたんですけど、日本に戻るきっかけになる出来事が、旦那さんが他界してしまうっていうタイミングがあったらしいんですけど。そういう時も、今お話に上がっていた…。

Awich:はい。それが一番実感した。その効果と言ったら変なんですけど、必要性というか。自分がほんとに立ち直れないって思ったり、人に対する怒りとか悲しみとか苦しみを誰にもぶつける事ができない状態の時に自分の気持ちを書き出してみるというか、自分との自問自答みたいなものも書き出してみるというか。
ほんとに生きていく意味が分からなくなった時も「生きていく意味が分かりません」って書いたら、「何でわからないの?どういう所が分からないの?」って聞いてくれる自分がいるんですよ。「どういう所が分からないってどういう事なんだろう?」とか、分からない所もずっと自問自答していくと、「とよみ(娘)はどうするの?」とか、「お父さんお母さんはどうするの?」って聞いてくれる自分がいるっていうのを一生やってましたね。旦那が他界した時。

木村:でもそこで、「何で?」とか「どうして?」って思えなくなった人たちって、ほんとに良くないとは思うんだけど、自分で自分の鼓動を止めるような選択をされる人たちがいる事も事実じゃないですか。だから、そこでAwichみたいに気持ちがボロボロになろうが、「倒れても絶対前だけを見てやる!」っていうようなサヴァイヴな感じ?

Awich:うんうん。たしかに。

木村:それがきっとあったんだろうなって凄く感じたし思ったし。それ、戻ってきたのっていくつの時だったんですか?

Awich:24歳の時。

木村:24?

Awich:それこそ学校卒業した直後に旦那が亡くなって、それで帰ってきましたね。娘ともども。

木村:その時、だから本人が24で娘さんが?

Awich:3歳。

木村:3歳。でも、その状況になって、もう1回リスタートじゃないけど、もう1回ギアを入れるきっかけになる事ってなんだったんですか?

Awich:2年間ぐらいずっと自問自答してたんですけど、その中でやっぱり、この人生を終わってもいいかもしれないって思う瞬間も何回もあって。

木村:もう日記を書くのやめようかなと思うタイミングもあったんだ。

Awich:はい。でも、それを止めていたのが「娘の事どうする?」みたいな。娘にとって、私がいなくなったら(両親が)2人ともいなくなったら、彼女はどうやって生きていくんだ?みたいな疑問が最初にあって。やっぱり、彼女にとって私が必要だってなったんですよ。私が必要だって、どういう状態で必要なんだろう?って考えたときに、こんなにいつも泣いてて、ダラダラしてる私が彼女にとって必要かな?私が必要だったら、どういうふうにすれば彼女にとって一番いいんだろう?みたいな。
最終的に気づいたのは、私が幸せに一生懸命に生きてる事が彼女にとっていい事。それを私は彼女に見せたい。じゃー何をして生きたい?って聞いたときに、やっぱり自分が好きな事。じゃー好きなことは何?「ラップ」。

木村:(笑)。出たね、答えね。

Awich:(笑)。っていうふうに、長い自問自答の中で行きつくことがなんとか出来たんですよ。
そういうふうに気づいていく時に、父親に言われた一言も結構大きくて。ずっと長い間実家でお世話になってたんですけど、ある日父が、「お前いつまでそんなふうにしてるんだ?」って言ってきたんですよ。私は未亡人のシングルマザーってかわいそうだから、一生こんなふうに誰かの命を悔やんで生きていく権利があるって、どっかで思ってたんですよ。だから、誰かに何か言われる筋合いなんてないって思ってたんですけど、父にそう言われた時に「はっ!?」みたいな感じで、最初はちょっと怒ったんですよ。だって私、最愛の人を亡くしたんだよ。何でそんなことを言えるの?みたいな感じでちょっと反抗したんですけど、「言っとくけどな、うちなんちゅはな、全員愛してる人とか家族とか友達を失って、それでも生きてきたからお前がいるんだぞ!」って言われたんですよ。それを言われた時にハッとしました。お父さんもお兄ちゃんを亡くしてるし、お母さんも友達とかいろんな人を亡くしてるし、戦時中も戦後の時代もほんとにいろんな怒涛の時代を生き抜いてきた力強い人たちから私は生まれてるんだなって思ったときに、立ち直るDNAが私の中にはあるって気づかされて、「おー、やったろう!」って思えて。

木村:(笑)。

Awich:(笑)。「やったろう」って思って、自問自答の最終アンサーみたいなのも相まって「よし!」って思えました。

木村:なんか素敵な家族だし、素敵なDNAだなって話を聞いててめちゃくちゃ思うんですけど。

Awich:ありがとうございます。“なんくるないさー”が発揮されちゃう。

木村:その“なんくるないさー”ハンパないね。

Awich:私、めちゃくちゃパワフルな言葉だと思っていて。小っちゃい頃は、何とでもなるから何もしないとか、ちょっとlazyな雰囲気を持ってると思ってたんですよ。だから、「宿題しない、なんくるないさー」みたいな(笑)。

木村:(笑)。それ、使い方あってるのかな?

Awich:多分そこは間違ってたって、大人になって気づくんですよ。ほんとに、何とかするから。大丈夫だから。何があっても何とかする。あと、人生ってほんとにどうにでもなるというか、宇宙とか地球の歴史の中のほんとに小っちゃい私たちの人生の中で色んな悩みがあって、いろんな分かれ道があると思うんですけど、どっちに行ったとしても本当は大丈夫なんだよっていう、めちゃくちゃ深い所から来てるフレーズなんだなって、大きくなって気づいて。どっちに転んでも大丈夫だから堂々と行きなさいっていう言葉。

木村:いや〜、もうなんかあれだな。俺が今日カウンセリングを受けてる感じになっちゃったな。

Awich:いやいや(笑)。

木村:それで、完全復活したAwichの快進撃がちょっと怖いんですけど。
2020年1月アルバム『孔雀』をリリースして、そして同じ年に配信シングル『Shook Shook』でメジャーデビュー。この時が34歳。

Awich:そうですね。

木村:2年後、アルバム『Queendom』を発表して。だから3年ですよ。3年でアリーナの単独ライブと日本武道館公演を成功させ、僕は多分、その日本武道館のステージ上のAwichの「なんか色々言ってるけどさ」っていう。「私、こうなんだよ!」みたいな事を言ってるのを目にして耳にして「おもろ」っていう感じになりました。

Awich:(笑)。ありがとうございます。

木村:そして去年か。最新アルバム『THE UNION』を発表したという事で、その『THE UNION』に込めたのは、自分が自分らしくいる事。弱さも強さもさらけ出す事。相手にもそれを許す事っていう。

Awich:それで本当のUNIONが生まれるんじゃないかなって、その想いを込めたアルバムです。

木村:へー。それで、今現在は37歳というAwichなんですけど、この先に見つめるものってあったりするんですか?

Awich:あります。ズバリ、グラミー賞獲ります。

木村:おー。グラミー。しょうがないんだよ。だって、Awichってそういう人なんだから。

Awich:ありがとうございます(笑)。

木村:「私、こうするから」っていう事はしますからね!

Awich:そうだった(笑)。

木村:グラミー賞。それは、特別な想いあるんですか?

Awich:そうですね。沖縄の若いアーティストたちが大きな夢を見れるようになってるっていう現実があるんですけど、もっと広げたいっていう気持ちがあって、日本人があのグラミー賞を獲る事で若いアーティストたちも獲れる前提で最初から夢を見てくれるじゃないですか。言ったら、日本人だけじゃなくてアジア人全員がそう思ってくれるような世界ができたらいいなと思ってて。それはもちろん、個人的には娘にとってもいい事だし。だけどパンって皆が「やるぞ!」っていう世界って面白いと思ってて。そこを目指すために、それをやる事が私の生きがいというか、自分に「命を何に使いたい?」って問いかけた時に、私の今持ってる命をそういう事に使いたい。だから獲ります。

木村:獲ります!

Awich:(笑)。

木村:この番組ですね、ゲストの方に「人生の1曲」っていう、割とハードル高めな質問をさせてもらってるんですけど、伺ってもいいでしょうか?

Awich:はい。色々考えたんですけど、ここはやはり自分の曲がいいなと思って。その中でも、私のこれまでの人生をまとめている曲があって。それが「Queendom」という曲です。
私が沖縄で生まれ育って、Queenと呼ばれるように、自分で言っちゃうんですけど(笑)。言われるような位置までの人生の経緯だったり、これから私がどう生きていきたいかっていう覚悟だったりを語っている曲です。

木村:これは人生の1曲っていうより、彼女が自分を鼓舞するがごとくのプロファイルですからね。

Awich:そうですね。

[O.A曲]
M1.Queendom/Awich

[後TM]
M. Yellow Summer/Kenichiro Nishihara 
レーベル:IntroDuCing! / 規格品番:FAMC-091

2024年04月14日Flow 第二百九十八回目「拓哉キャプテン × Awich」Part2

4月のマンスリーゲストはアーティストのAwichさんです!

木村:14歳の時に、沖縄産ヒップホップのコンピレーションアルバム『Orion Beat』に客演て書いてありますけど。

Awich:はい、客演で。14歳でヒップホップに出会った瞬間に「ラッパーだ」って言い張ってたんですよ、私が。ヤバくないですか?(笑)。

木村:(笑)。14で?

Awich:14で。これだ!って思った瞬間、もう名乗るしかないって思って。次の日ぐらいから学校で、「私、ラッパー」って言ったりして。友達とか「ラッパーって何?ラップ?サランラップ?」みたいな。「マジで意味わからん!」って言われてたんですけど、言い張っていて。
14歳の時は基地の外の英会話教室に行ってたんですけど、そこは軍を退役した人が教えてる場所だったんですよ。だからヒップホップにめちゃくちゃ近い先生たちがいっぱいいて、「I’m rapper.」って言ったら「Ohhhh!」みたいな。「お前面白いな!ラップしてみろ!」って言われたりして。

木村:(笑)。「I’m rapper.」って言った後は、実際に体現してたの?

Awich:「やってみろ!」って言われた時にやれるように、ちょっとだけ書いたり用意したりしてたんですけど。

木村:一応、準備はしてたんだ。

Awich:はい。あと「ラッパーだから、これ教えろ!」とか言って、2PACの歌詞とか、悪い言葉が入ってるlyricとかも「意味教えて!」とか、「この言葉を例文で使ってみて!」とか、そういう質問ばっかりしてたんですよ。
そしたら笑われたり、「お前面白いな!」って言われたりして、「このレコードショップに行けば、沖縄のラッパーたちが集まってるから、そこに行ってこい!」って言われて、そこへ行って、「私、ラッパーなんですけど!」って言ったら、そこには日本人のDJとかラッパーが居て可愛がってもらうようになって、「今度、沖縄のラッパーとかDJが集まるコンピレーションアルバムが出るんだけど歌ってみる?」って言われて。
この時は名前も入らずに、“イントロでかましてる誰か”みたいな感じで出してもらって。だからクレジットも入ってないんですけど、MUっていうアーティストの「ジャマルヤン」っていう曲のオープニングで、いきなりラップかまし始める女の子が14歳のAwichでした。

木村:ちなみにAwichっていう名前を名乗ったのは、どのタイミングなんですか?

Awich:それも14歳です。

木村:えー、マジで?14の時にAwichにしたの?

Awich:はい、決めてますね。そこのレコードショップに行くようになって「ラップ名は?」って聞かれ時に「無い」と思って、その夜に考えたんですけど。
色んな名前を考えてみたけど自分の本名が「あきこ」なんですよ。「あ」っていうサウンドだったり「A」っていうアルファベットは絶対だなって思ったんですけど。それを無視するわけにはいかないと思って、自分の名前が「亜細亜(アジア)の“亜”」「希望の“希”」「子供の“子”」で「亜希子」なんですけど。それをずーっと書いたり、消したり、眺めたりして。
最終的に「アジア=Asia」「希望=wish」「子供=child」。

木村:あー!

Awich:そう。親が“アジアが希望して生まれてきた子供”みたいな意味で付けてくれたんですけど、それを「Asia wish child」にしてキュって!

木村:なるほど、それがAwichなんだ。

Awich:Awichなんですよ。次の日、そのレコードショップに行って皆に発表したら「分かりにく…」って言われて。

木村:(笑)。

Awich:「嫌だ!」って言われて、「は?」みたいな。「日本人発音しにくいよ!」って、めっちゃ文句言われて。

木村:そ〜ぉ?

Awich:はい。「意味わかんない!」って言われて。その時めっちゃガンコだったんで、「もう決めたことなんで、これで行きます!」って言って、これで行くことにしました。

木村:もちろんAwichって、今はアーティスト名として確立してるから何の違和感もないけど、意味合いをちゃんと伺うとめちゃくちゃ腑に落ちましたね。

Awich:ありがとうございます。

木村:その後、アメリカのアトランタに留学されて。何でアトランタに行ったんですか?

Awich:当時、アメリカのサウスのヒップホップがめちゃくちゃ流行ってたんですよ。アトランタってアメリカの南の方にあるんですけど、アトランタ周辺の音楽って結構、その当時独特だったんですよ。言ったら、2PACとも全然違うし。スヌープ・ドッグとか西海岸のヒップホップ、東海岸の例えばNYとかジェイ・Zとかのヒップホップとも全く違うものが南から生まれてきてたんですよ。リル・ジョンとか、ヒップホップじゃないけどR&Bで言えばアッシャーとかTLCとかモニカとか、音楽でめっちゃサウスが流行ったんですよ。
それが沖縄に似てるなって思ったんです。沖縄のアーティスト、例えばSPEEDとか安室奈美恵とか、それの前はモンパチとかBEGINとかもそうなんですけど、いきなり全国区で流行るみたいな。雰囲気が田舎のプライドみたいな(笑)。

木村:しまんちゅ(笑)。

Awich:似てるってめちゃ思ったんですよ。アメリカの人たちが沖縄に色んな所から来るんですけど、アトランタ出身とか南部出身の人とめちゃ気が合うんですよ。お前らの田舎魂みたいなのが、うちなんちゅ(沖縄生まれの人)と似てるみたいな。
調べれば調べるほど、例えば「サザン・ホスピタリティ」って言う言葉がある。それは“南部のおもてなしの心”みたいな。“誰でも友達、誰でも家族”っていうふうに、“もてなし”てあげる。それって沖縄の「いちゃりばちょーでー」じゃん、みたいな。

木村:あるんだ。

Awich:「いちゃりばちょーでー」って、“居合わせたら兄弟”っていう言葉があるんですよ。

木村:へー。

Awich:照らし合わせていくと、めちゃくちゃ似てる部分がいっぱいあった。LAとかNYに行くのも考えたんですけど、それってもう出来上がってる都市に行くっていう感じ。でもアトランタってめちゃくちゃ成長期で、どんどん変わっていくというか変貌遂げている時期っていうのを遠目でも分かったので、そこに自分を突っ込むというか、身を置くというのも面白そうだなと思って、アトランタって決めました。

木村:へー。でも今の沖縄の「いちゃりばちょーでー」は、そういう考えが国内にあるのに、もっと浸透してほしいよね

Awich:そうですね。知って欲しいって思って、沖縄の音楽とか沖縄のラッパーをフューチャーしたプロジェクトをいっぱいやってるんですけど。沖縄では当たり前に「いちゃりばちょーでーだろ!」とか言って、皆優しくするとか、一緒に遊びに行くとかするし。

木村:それは表面上の入り口から入るのかもしれないけど、そのマインドって、言ったからにはっていう責任も生まれるじゃないですか。だから表面上のなんちゃってじゃなくて、「いちゃりばちょーでー」って言葉にした以上、僕にとってあなたはっていう関係性がそこに生まれるカルチャーじゃないですか。それは、この島国だったらもっと浸透して欲しいなっていう感じがありますけどね。
ビックリしたのが、インディアナポリス大学で起業学とマーケティング学の学士号を取得したってあるんですけど。元々は音楽だったよね?

Awich:元々は音楽とかミュージックビジネスを学びに行こうと思って行ったんですよ。途中で色んなことがあって、音楽を途中で諦めることになります。

木村:なぜ?

Awich:結婚をして子供を産む経験をするんですよ。
実は沖縄でお世話になってた人のお陰で高校卒業後、ちゃんとデビューする契約をしてたんですよ。で、19歳とか20歳の時に実は1回デビューしてて。なんですけど、ガンコなところがあって「絶対アメリカには行きますよ」って言って、行って。
行ったら行ったで好きな人に出会って結婚するって言い張って、妊娠もして。妊娠したっていうことを伝えると、もう皆ガッカリ。当時は、15年ぐらい前なんですけど、やっぱり20歳とか19歳の女の子がデビューするって頑張ってる時に妊娠したっていうと、「え?もう終わりだね」っていう雰囲気があったんですよ。自分自身もそれに抵抗することもなく、複雑な気持ちではあったんですけど、音楽する暇とか余裕はないなと思って。あと皆のモチベーションを下げてしまったっていう気持ちもあったし、1回ここで諦めます。

木村:なるほど。でも、今のAwichの語りの温度を聞いててすごく思ったけど、やっぱり「私こうする!」って小っちゃい頃からずっと貫き通してきてるから。「だって、私好きになったんだもん」っていう。

Awich:そういう感じだったと思います(笑)。

木村:すげー理解出来る。

Awich:ありがとうございます。そういう感じでしたね。だから、道はなくなってしまったっていう気持ちではあったんですけど、ずっとlyricとかは書き続けていたし。いつかは、もしかしたらっていう気持ちは持っていたんですけど。実際の活動としてはストップしてましたね。

木村:でも、人を好きになったり、家族が増えたり、命を授かったりした後に生まれてくるlyricだったり、視点だったり。今までムカついてたけどこれってすごい事じゃんとかっていう変化あった?

Awich:ありました。気づいた事を日記だったりlyricだったりには、必ず書き留めるようにしてたんですけど。例えば昔は、親に対しての怒りとかムカつきを書いてたけど、子供が生まれた瞬間に、人を無償に愛する気持ち(を書くようになった)。今までは誰かを好きになる気持ちって駆け引きだったなっていう事に気づいたんですよ。相手も私の事好きかな?とか、好きじゃなかったら私の好きも見せないとか駆け引きだったんだけど、娘に対しては無償の愛というか、こいつが私の事どう思おうと愛せるっていう、恐れずに誰かのことを愛せる気持ちってこうだったんだとか。今思えば、親ってどんなに私が反抗してもそこに居てくれるし。そういう愛っていうものの存在を今知った、みたいな事とかを書いたりしてました。

木村:そういうタイミングと時間が必要な時も、きっとあるだろうし。ライフワークの中での音楽っていうのは、ちょっとブレイクがあったかもしれないけど、必要なブレイクだよね?

Awich:そうですね。必要なブレイクだったかもしれません。
学校が私の1つの捌け口というかエスケープだったので、学校は辞めずにずっとマーケティングと経営学を学んでたっていう事ですね。

[O.A曲]
M1.やっちまいな feat.ANARCHY/Awich

[後TM]
M. Yellow Summer/Kenichiro Nishihara 
レーベル:IntroDuCing! / 規格品番:FAMC-091

2024年04月07日Flow 第二百九十七回目「拓哉キャプテン × Awich」Part1

4月のマンスリーゲストはラッパーのAwichさんです!

木村:ちょっと個人的な話になっちゃうんですけど、パリで撮影をしてたんですよ。それで、夜ロケをしていたら、すっごい真っすぐこっちを見ている女の子が1人いまして…。

Awich:(笑)。

木村:めっちゃ真っすぐ見てんな、あの子と思って。でも、夜に照明を焚いて撮影をしている風景が物珍しいという事で真っすぐ見てるんだろうなって思ってたら、「待てよ!」っていう。僕は直接お会いしたことないけど、ひょっとしたらひょっとして彼女Awichじゃないかという事になりまして。
僕も撮影のスタンバイだったりカメラのスタンバイがあって「少々お待ちください」っていうタイミングだったんで、その真っすぐこっちを見ている女の子の方にトコトコトコって歩いていったら、そしたら彼女がですね「初めまして、Awichです。」って挨拶をしてくださって。

Awich:はい。まさかの、パリの街角で。

木村:まさかのだったんですけど、ちょうどパリコレに来られていて。僕は撮影してたんですけど、あの時Awichは何をされてたんですか?

Awich:私はご飯を食べに行って、車で帰るところだったんですよ。パリコレの間って結構、広場に人だかりがあって、色んな所で「あそこに誰々がいた!」みたいな事が起こってるじゃないですか。。

木村:そうですね。

Awich:だから、普通だったら人だかりでアッとか思う事ないんですよ。なんですけど、車でその人だかりの隣を通った時「よーい、はいっ!!」って聞こえたんですよ。パリだよね?あれっ?と思って、日本の撮影かもしれないって一緒に居たマネージャーにも言って、パッと見たら、金髪の方がいらっしゃって(笑)。

木村:コックコート来たやつが立ってて。

Awich:そうそうそう。ホテルも近かったんで、運転手さんに「ここで降ります」って言って、「ちょっと見に行ってみようよ」みたいな感じで。普通はそんなことしないんですけど、私たちの中でもほんとに珍しかったです。
散歩がてら見に行ってみようよみたいな感じで見に行って、遠目からめっちゃ見てたんですよ。睨む勢いで「誰だ?」って見てたら、え?え?え?みたいな。マネージャーと2人で。「え?え?え?キムタク?ヤバい、ヤバい、ヤバい!ご挨拶しましょう」ってなって。

木村:なるほど。それで、「初めまして!」って話になったんですけど。でもなんかね、お会いするのも初めてだったし、お話するのも初めてだったんですけど、お話を伺ってる部分もあったし。あと自分が一方的にですけど、色んな世論だったり自分に向けられてる気持ちや言葉に対してステージ上でぶちかましてるのを、僕ほんとに勝手に1人で見てて、こいつおもろ!って思ってて。

Awich:嬉しい!

木村:歌番組にご出演されてるのを拝見した時もそうですけど、遠い知らない人じゃなく、同性異性関係なく、“こいつカッコイイよね”って単純にストレートに思える人だったので、パリで会ったときに、会っちゃったっていう感覚が僕の中にはすごくありました。

Awich:嬉しいです。ありがとうございます。

木村:この番組はですね、ゲストの方が人生をどういうふうにFlowしてきたのか色々お話を伺っていく番組なんですけど、Awichは1986年沖縄県の那覇で生まれて。

Awich:そうです。

木村:小っちゃい頃、どんな感じだったんですか?

Awich:小っちゃい頃は、ほんとに男の子みたいなやんちゃ坊主でしたね。髪もずっと短かかったし。でも、昼は元気なんですけど、夜はほんとに記憶があるぐらい昔から不眠症だったんですよ。

木村:小っちゃい頃から?

Awich:はい。自分の部屋をもらった時から。親と一緒に寝てる時は眠れてた記憶があるんですけど、自分の部屋ってなって嬉しいってなった半面、夜全然眠れなくて。

木村:なんで?寝たいっていう気持ちはあるけど寝れずに?

Awich:幽霊とかオバケみたいなものに対して異常に恐怖心があるというか。霊感が強いわけではないんですけど、目をつぶるとうごめいてる感じがしてて。

木村:イメージが?

Awich:イメージが。それで目を開けちゃうんですよ。それをずっと繰り返して、眠れないから起き上がって机に向かって結局何かを書くみたいな。

木村:何書いてたの?

Awich:まず日記とか書いてたんですけど。

木村:それ何ちゃいの時?

Awich:9とか10歳ぐらいの時ぐらいからですね。

木村:9歳10ちゃいの時から。

Awich:9ちゃい10ちゃいから(笑)。今日あった事とか、誰々がムカつくとか、大人大っ嫌いとか、そういうのばっかり書いてて。その後ちょっとポエムっぽい感じになっていって。沖縄のアーティストを周りの大人たちが聴いてたから必然的に聴くようになって、中学校に入る前はアクターズスクールの例えばSPEEDとかDA PUMPとか聴いてたんですけど、中学校に入ってからちょっと詩的なCoccoとか聴いてたら、詩的な表現が素敵だなと思って、自分でもやってみるとか。そういう子供でしたね。夜と昼の顔があるみたいな。

木村:でもさ、眠れずちょっとオバケ怖いな。目を閉じたら色んなイメージが膨らんできちゃうなっていうストレスはあったかもしれないけど、嫌なことはちゃんと嫌だって表記したりとか。気持ちのぶつけ方、自分のぶつけ方っていうのをそこで1つ、見出したのかもしれないね。

Awich:そうですね。多分、そこから来てると思います。今の私の、自分の生活の中で生まれてきたことを歌詞にするスキルというか。そこで修行してた(笑)。

木村:音楽っていうものに言葉を乗せるってなるとリズムも必要だし、メロディも必要になってくるけど、そのリズムとかメロディっていうのは、それも沖縄の?

Awich:そうだと思います。やっぱりアメリカのカルチャー、アメリカの存在が小っちゃい頃から周りにあって。英語を習い始めたのは10歳ぐらいの時かな。10歳11歳ぐらいの時に、おばさんが基地の中にいっぱい友達がいて、「あんたは基地の中に行って英語を習いなさい」って言われて、「やりたい!」って。基地って授業では戦争にまつわる事とか、危ない武器がいっぱいある所とか、そういうふうに教えられるんですけど、休みの日にオープンゲートでフェスとかがあって友達と行くと、めっちゃカラフルだし、匂いも違うし。人間もご飯もお菓子も全部がデカいんですよ。

木村:(笑)。

Awich:「ピザでかーい!アイスクリームでかーい!」みたいな。だから子供ながらに、危険だからダメだって言われてる所と憧れの矛盾が渦巻くような存在だったんですよ、基地って。だから、おばさんに「中、行けるよ」って言われた時に、「行くー!」みたいな感じで行って、米軍の人と結婚してる韓国人女性に沖縄で英語を習うっていうチャンプル状態の状況で英語を習ったんですけど、韓国人女性から英語を習ったことがめちゃ私のためになってると思ってて。

木村:なんで?

Awich:韓国人って英語の発音めっちゃいいんですよ、なぜか。なぜかというか、彼らの言語の発音の作りだと思うんですけど、英語と近い発音がめちゃくちゃあって。だから、アメリカ人がそのまま自分が喋れるからって英語を教えるよりも、最初喋れなかった誰かが喋れるようになった経緯を覚えていて、その経緯を教えてくれるみたいな。

木村:なるほどね。お魚さんが水にチャポンって入った瞬間に泳げるんじゃなくて、泳げなかった私がこうやって泳げるようになったよっていう泳ぎ方を教えてくれたっていう。それはすごいラッキーだったよね。

Awich:ラッキーでした。そこで発音とか文法とかもビシバシ習ったんですけど、その中でやっぱり音楽とか、周りにいる子供たちから習うカルチャーというか、それがどんどん身についていくというか染みついていくというか。
当時、中学校ぐらいになった時にヒップホップが日本でも流行ってたんですよ。

木村:その時日本で流行ってたヒップホップって何でした?

Awich:Zeebraさんとか。

木村:おー。

Awich:DABOさんとか。テレビでも、例えばポンキッキーズにスチャダラパーさんが出るとか。そういう時代だった。だから、ラップっていう表現があるんだ。これはアメリカから来ていて、ヒップホップっていうカルチャーから来ていて、ヒップホップっていうのは黒人の声なき声を伝えるための手段として生まれたものっていうのを学んで、そこから2PACに出会って。2PACは革命家というか、彼の中でも色んな葛藤はあったけどコミュニティリーダーとして人々を導いていこうとしていた存在。だけど私が出会った頃にはもう亡くなっちゃっていて。だから、彼にのめりこんだというか。

木村:Awichが幼少時代に基地で出会った人もそうだし、匂いも色も大きさも、すごく無理なく気づいたら自然にビートが鳴ってて、言葉がダダダダダダダって打ち込まれててっていう。

Awich:そうですね。

[O.A曲]
M1.どれにしようかな/Awich

[後TM]
M. Yellow Summer/Kenichiro Nishihara 
レーベル:IntroDuCing! / 規格品番:FAMC-091

2024年03月31日Flow 第二百九十六回目

今週は皆さんから頂いたメッセージを紹介します。

まずは、先日発表されましたドラマについてのメールです。

【愛知県 ひろみん 50歳 女性】
キャプテン、こんにちワン!
テレビ朝日開局65周年記念 木曜ドラマ「Believe−君にかける橋−」4月25日スタートですね!
「グランメゾン東京」のスペシャルドラマも解禁されました。
フランスパリでの撮影も無事に終わって日本に帰国お疲れ様でした。
フランスパリでの撮影の裏話出来る範囲でいいので教えてください。


木村:まずは、「Believe−君にかける橋−」という作品。こちらの脚本は昔からお世話になってます井上由美子さん、そして監督は「BG〜身辺警護人〜」とかでお世話になってた常廣さんなんですけど。今回は設計者というか、大手ゼネコンに所属する設計者・狩山陸という役をやらせて頂くんですけど、いろんなね〜、憶測の記事だったりとか、いっぱい出ておりますが、ここはですね一つ、ふたを開けてみて「あ〜、なるほど」という形で体感して頂ければ嬉しいかなと思っておりますので。ほんとに毎日、今撮影に臨んでおりますので。いや〜、早く形になったものを自分も観たいなと思うんですけど。

そして「グランメゾン東京」のスペシャルドラマの放送も決定したという事で。こちらは以前ありました「グランメゾン東京」がミシュランガイドの三ツ星を獲った数年後からストーリーがスタートしておりまして。全世界がパンデミックに陥りました、あの新型コロナウイルスの蔓延による飲食業界の苦境の中で、あのグランメゾン東京がどう踏ん張ってきて、どう過ごしてきたかという所もしっかり描いております。
キャストはほんとにありがたい事で、非常に嬉しい事で誇らしいんですけど、早見倫子役の鈴木京香さん、平古祥平役の玉森裕太、相沢…いましたね〜、ミッチー及川光博、そしてギャルソンを務めてくれる京野陸太郎で沢村一樹さん。他にも寛一郎、朝倉あきさん、吉谷彩子さんね。尾上菊之助さん、冨永愛さん、中村アンさん。当時のキャストが誰一人変わる事なく集結してくれたっていうのが、こんな恵まれた作品あんまりないなって思うんですけど。そこに自分も尾花夏樹として参加させて頂いております。
パリに2週間くらい滞在させて頂いて、撮影させてもらったんですけど。そのパリの撮影の裏話お願いしますって書いてあるんですけど、あんまり自分のスペースだからといって色んなことを話すと「おめ、また何言ってんだ!?」っていう事になるんですが。
とりあえず、ドラマ「グランメゾン東京」の方は2024年の冬放送という事なので、是非楽しみに待っててほしいと思います。

続いては3月のマンスリーゲスト、三代目 J SOUL BROTHERSの岩田剛典さん、今市隆二さん、ØMIさんのトークを聴いてくれた方から、感想メッセージが届いています。

【愛知県 まきまきこ 59歳 女性】
今月のゲスト、三代目J Soul Brothersの御三方の話、楽しかったです。
岩田さんこと岩ちゃんが、昔、粘土で遊ぶような子!!それでなんでも出来てその道!!
至る所で驚きを感じ、皆さんの不思議な繋がりに「へぇー」を連発して聞き入っていました。
どの歳になっても、冒険して、チャレンジしたらいいじゃん。そんな風な事も感じながら、色々な音楽も楽しめました♪
芸能と言う分野であり、普通の仕事からのこの道への転身など、様々な活動をされている様子を知って、皆さんのパフォーマンスを見る見方も変わりそうです。
キャプテン、聞き出してくれてありがとうございます。
何かこれからの生きていく道も色々でいいじゃない!と前向いていけそうな勇気貰った!
皆さんありがとうです。

【愛知県 ルネ 18歳 女性】
3歳から木村さんのこと好きで、デビュー当時から三代目のこと好きなので、ラジオ聴きながら泣いていました!!
木村さん目線からのライブの感想とっても貴重なお話で良かったです!!!

【栃木県 菜緒 29歳 女性】
岩田さん、今市さん、登坂さん、
実際に会ってみてイメージとのギャップがあった方はいましたか?


木村:ギャップっていうものは、そんなに無かったかな。なんか皆、嘘ついてない感じするじゃん。岩ちゃんも、物凄く家族の愛情にちゃんと包まれたうえで色んな興味を示したところに、自分を赴かせて今に至っているし。隆二なんかは、あまり通ることの少ないような経験もしてたし。なんだけど憧れがあって、やってみようかなって今に至ってるし。ØMIに関してはちょっとビックリしたんだけど、実際にね、ヘアサロンでも働かれていて、今はステージに立つという立場にいるっていう。
ギャップはそんな無かったけどな〜。みんな、嘘が無いっすよ。きっと他のメンバーの方たちもそうだと思いますけど。
三代目 J SOUL BROTHERSのニューアルバム『Land of Promise』が3月27日にリリースされたという事で、彼らが今後どういう体現をしていくか、そのアルバムにはデータとしてしっかり皆さんに届くものが用意されてるらしいので、チェックしてほしいなと思います。

ØMIが美容師を目指したきっかけが「Beautiful Life」というドラマだったっていう話もあったんですけど、こんなメッセージも頂いております。

【福岡県 なおちゃん 41歳 女性】
キャプテンこんにちは、いつもラジオ聴かせていただいております。
自分自身が将来の夢について迷っていた時、木村拓哉さんが出ていたビューティフルライフを拝見し、「美容師になろう!」と決意しました。
木村拓哉さんは自分自身にとって希望の人でした。
この番組に人生を救われました。
ありがとうございました。


木村:いえいえ、どういたしまして。
2000年にやらせて頂いた「Beautiful Life 〜ふたりでいた日々〜」っていう作品があったんですけど、そこで沖島柊二という美容師の役をやらせていただきました。
その作品を観て、こういう事やってみようかなって思ってくれる方たちが実際にいてくれたりとか、今もそれを続けてくれていたりとか。それだけじゃなく、色んな自分が携わった作品によって皆が人生のハンドリングを色々切ってくれているっていう、皆の人生にタッチできているっていう自分がそれを知ることが出来るのは、ほんとに、何だろうな、誉ですね、誉。ちょっと言い方濁しすぎかもしれないですけど、こういう事をやらせて頂いている自分にとっては、一番の誉れかな。
でもさ、この間もある番組にお邪魔した時に「これを観てました」とか、「これを観て、こういう事を志してみました」とか、皆さん仰ってくれるんですけど、なんか過去の話が多いなと思って。
過去は過去でやった事実は事実なんだけど、そこで盛り上がっていただけるっていう事実は一つあるんだけど、自分自身としては過去の話で盛り上がるっていうよりも、これから自分が何を生み出せるか。自分が何にタッチできるかっていうのもしっかり楽しめるようじゃないとダメだなって、フッと思ったんですよね。なので、そうしま〜す(笑)。

こんな質問メールも届いてます。

【三重県 と〜もtomo 42歳 女性】
1年前から、介護の専門学校に通ってます。
1日一回以上は、必ず木村拓哉さんのインスタグラムをチェックすることが、私の意欲生きがいに繋がっています。いつも、エネルギーパワーをいただき、感謝.感謝です。
質問です。毎朝起きて、すぐ初めにすることは、何ですか?
とても気になっています。聞かせてください。


木村:え、朝起きてすぐ初めにすること?えー、まずうがいします。うがいして、常温のお水をゴクゴクゴクではなく、トクトクトクトクぐらいで飲みながらコーヒーメーカーの電源を入れますね。で、ブーッて内部洗浄されるお水が下に出てくるので、それを受け取るマグカップをセットし。その時もちょっと飲んでるんですよ、水を。トクットクッみたいな。で、内部洗浄し終わったマグカップに溜まったものを流しに流して、ショートサイズの所をポチッて一回推すとコーヒー豆を挽くやつがブヲヲヲーって回りだしてコーヒードリップが始まるって感じですかね。
朝は、iPhoneに次の日何時出発だから何時には起きないとなっていう時間に(アラームを)セットして。最近はアラームもしくは音楽のボリュームをちゃんと前の日の夜に抑えめにしといて、その音が流れたときのドキッとする感じが無く起きれるようになったんですけど。以前は、そのボリュームの調整を忘れていて、朝4:45ぐらいにすっげー音量で「We are the world」が流れ出したときは、ちょっと焦りましたね。ヤバい、ヤバい、ヤバいと思って。目覚ましを止めるというよりかは、しーーーーっていうね、慌てた事があったので、それ以来ボリュームに気を付けてますね。
今、携帯の中に設定してある曲数で言うと4曲ぐらいあるんですけど、その4曲は確実に起きられますね。朝早い撮影で寝過ごした、やっちまったっていう、消防隊員のように着替えて家を出たことは最近は無いです。過去ありますよ。

4月という事で環境が変わったり、学校行ってたんだけどそうじゃなくなったりとかさ、色んな新生活がスタートすると思いますけど、でも大丈夫です。
この曲聴いて、みんな羽ばたいちゃってください。稲葉浩志で「羽」。

[O.A曲]
M1.羽/稲葉浩志

[後TM]
M. Yellow Summer/Kenichiro Nishihara 
レーベル:IntroDuCing! / 規格品番:FAMC-091

2024年03月24日Flow 第二百九十五回目「拓哉キャプテン × 三代目 J SOUL BROTHERS 岩田剛典・今市隆二・ØMI」Part4

3月のマンスリーゲストは、三代目 J SOUL BROTHERSの岩田剛典さん、今市隆二さん、ØMIさんです。
3人とのトークセッションも今週がラストです。今週はØMIさんの「人生の1曲」を伺います!


木村:急にディレクターから、「せっかくこういう機会なんで、隆二だったり岩ちゃんだったりØMIから聞いてみたいことを何でも木村にぶつけちゃってくださいよ!」って横やり入ったんですけど、特にないですよね。

三代目:いやいや。あります、あります。

岩田:洋服とか、どこで買われてますか?

今市:それ最初?(笑)

ØMI:ドラゴンボールで言うと神龍のお願い事だよ(笑)。

岩田:確かに。それでいいのかなぁ。

木村:服はショップに行って実際に買うっていう事は、あんまり無いですね。でも、自分の友達だったりとか、それこそずっと前から付き合いのある人がやってるお洋服屋さんだったりっていうのは、服を買いに行くっていうだけじゃなくて、その友達だったり知り合いが今何してるの?っていう感じでお邪魔する事もあるし。あとは、隆二と多分、非常に近いところにあるとは思うんだけど、「こんな面白いの入りましたよ」っていう連絡を頂いたりすると、「ちょっと見に行っていいっすか?」って言って、そこ行って買わせてもらったりとか。

岩田:じゃあもう、長年の行く場所というかルーティーンになってて決まってる感じ。

木村:そうっすね。だから、好きでつけているアクセサリーも、メンテナンスしないとそろそろ革紐切れるなっていう時があったりすると、そこに連絡入れて「何月何日何時ぐらいにちょっと行っていいっすか?」って言って、ちゃんとお店行ってメンテナンスして、また帰ったりとか。そういう感じですかね。

岩田:木村さん、いつも何着てらっしゃるんだろうと思って。メンバーは真似したり、お揃い買ったりとかして青春を送ってきたんで。

木村:隆二は分かってくれると思うんですけど、今ちょっとエイジング中なので、ほんとつまんねーっていうぐらい、制服みたいに(同じものを)着てます。

三代目:なるほど、なるほど(笑)。育ててらっしゃる。

木村:あるんだよ。これ着て行こうかなとか、今日誰々に会うから、ちょっとそのノリにしようかなとか、色んなアイディアは出てくるんですけど、映画の撮影で現場行ったら私服脱いで役衣装に着替えちゃうから、あんまりエイジングにもならないし。でも今日は着てるかもなって思ったりすると、もうほんとに「またそれ着てるの?」っていうぐらい制服化したセットアップが今は多いですね。
あとは、別にないですよね?

三代目:いやいや、あります(笑)。

ØMI:歌番組とかで、ご一緒させて頂く機会とかあったじゃないですか。その時に、僕らって木村さんからはどう見えてたのかなって、すごい聞いてみたかったというか。ミュージックステーションとかでご一緒させて頂いて声かけてくれた時とかに、木村さんたちトップオブトップから見える自分たちってどう見えてたのかなって、すごい気になる。

木村:まず即答で答えたいのが、トップオブトップって全く思ってなかったし。ほんとに。踊り揃ったこと一度もないし。

三代目:(笑)。

木村:歌はヘタだし。

三代目:(笑)。

木村:ああいう歌番組に出させていただいた時に、歌を磨いて磨いて磨いて磨いた人が楽屋で発声練習なんかもしたのちに生放送に挑んでる方もいらっしゃるし。ダンススキルってものを日頃から鍛錬に鍛錬を重ねて、ベストな状態を生放送にぶつける人たちもいるし。だから、自分ができる事は手を抜かないでやりてーなっていう個人的な思いではやっていたし。J SOUL BROTHERSの皆に声をかけさせてもらう時も、先輩後輩っていう感じも全然なかったし。それこそ、ほんとに1アーティストとして見てましたよ。

今市:自分、いいですか?お店の周年かなんかの時に一緒に祝わせていただいて。皆さん、結構お酒も飲んでたんで、俺が詰め寄られるみたいな感じがあったんですけど、その時に木村さんが助けてくださったんですよ。それ、覚えてますか?

木村:覚えてる、覚えてる。

今市:それで、ほんとにカッコいい方だなと思いながら、他のアパレルのイベントでもご一緒させてもらった事もあって、その時も仕事ではないのに木村拓哉さんっていう図がずっと変わらずにあったので、やっぱり男の日本代表って言えば木村さん…。

三代目:男・日本代表(笑)。

木村:そんなジャンルないからね。

今市:何がすごいかって、すごいプロフェッショナルだなって思ったんで、仕事もプライベートも崩さずっていうか。それっていうのは意識してやられてるのか、素の木村さんが元々そうなのか、どうなのかなっていうのが。

三代目:ずっと変わらずですか?

木村:変わるっていう感覚が自分の中ではないですけどね。スイッチを押すとかチャンネルを切り替えるっていう感覚はないんですけど。

今月は三代目 J SOUL BROTHERSから岩ちゃん、隆二、ØMIの3人と一緒にお送りしてきたんですけど、今後の目標だったり夢だったり。2024年、それぞれのソロの動きもある中で、俺こんな事やってみてーんだよなとか、こんな事挑戦したいんだよなって事って、具体的にあったりしますか?

岩田:じゃ、先に始まる自分から。デビューさせて頂いて14年目にして初めて1人でアリーナツアーを周らせていただく事になりまして。元々ダンサーだった自分が、アーティストとしてこうやって大きな会場でパフォーマンスできるっていうのは夢でもあったので、三代目でもたくさん夢を叶えさせてさせていただいた先にまた新たな夢が生まれてっていう。その夢が実現する年になりそうなので、今までの道のりを支えてくださったファンの皆さんに感謝の気持ちも込めて、ほんとに万全で臨みたいなっていう思いがありますね。
グループとしては上半期ソロ活動が多いんですけど、去年すごくツアーの評判も良かった年だったので、その熱を冷めさずチャレンジしたいなって思ってますね。

木村:でも、それを実現させるには相当なカロリーが必要だよね。

岩田:仰る通りですね。

木村:あれを持続させるって相当だぜ。他にあったりしますか?隆二。

今市:自分たち三代目、今年で14年になるので、改めてというか、ファンの方の存在っていうのがいかに大切かっていうのを年々感じていますので、そういう方に愛してもらったグループが三代目なので、そういう方たちのためにも変わらずというか、三代目を輝き続けさせられるようにソロも含めて決まったことはしっかりやって、ファンの方に幸せになってもらうって事が一番ですかね。

木村:ØMIは?

ØMI:日本を代表するグループの一つの例えとして、自分たちの名前が今後も上がっていくような活動を、ちゃんと規模感も踏まえてやっていけるグループになる事が大きな目標かなとは思ってますね。

木村:3月27日にアルバムも。

三代目:はい。

木村:アルバムタイトルは?

ØMI:『Land of Promise』っていう。

木村:それを是非、三代目のファンの方たちに手に取っていただきたいなと僕も今日こうやってお話をしてて思いましたし。是非是非、今年24年の暴れる三代目を皆さんで支えてっていただけたらなと思いやす。

三代目:ありがとうございます。

木村:この番組、毎回ゲストの方に「人生の1曲」を伺っております。今週は、ØMIの人生の1曲を伺います。

ØMI:僕、すいません。「らいおんハート」です。

木村:嘘でしょ!

ØMI:ほんとです(笑)。

木村:何故に?

ØMI:僕、この曲をオーディションで歌ったんですよ。1次審査で。

木村:ぜってー上手いじゃん!ぜってーいいじゃん!

三代目:(笑)。

ØMI:この曲を1次審査で歌って、無事通過して、このグループに加入になったので。

木村:へー。

ØMI:2018年に初のソロアリーナツアーをやった時も、自分の音楽ルーツをたどるみたいなコーナーを設けてて、その時にもバンドアレンジバージョンで「らいおんハート」を歌わせていただいたりしてたんですよ。

木村:マジですか?

ØMI:はい。

木村:呼んでくれりゃー良かったのに。

ØMI:呼んでよかったんですか?(笑)

木村:呼ばれた場合は、僕、後ろでパフォーマンスだけやる。

三代目:(笑)。

ØMI:そんな贅沢なことできないです。

[O.A曲]
M1.らいおんハート/SMAP

[後TM]
M. Yellow Summer/Kenichiro Nishihara 
レーベル:IntroDuCing! / 規格品番:FAMC-091

2024年03月17日Flow 第二百九十四回目「拓哉キャプテン × 三代目 J SOUL BROTHERS 岩田剛典・今市隆二・ØMI」Part3

3月のマンスリーゲストは、三代目 J SOUL BROTHERSの岩田剛典さん、今市隆二さん、ØMIさんです。
今週は今市さんの「人生の1曲」を伺います!


木村:14年目を迎える三代目 J SOUL BROTHERSなんですけど、(活動は)グループだけじゃないじゃないですか。今日ここに来てくれた3人はグループのメンバーでもあるんだけど、ソロライブが、岩ちゃんはもうちょっとだよね。

岩田:はい。3月末からスタート致します。

木村:3月23日。

岩田:はい。3月23日土曜日。

木村:宮城を皮切りに全国、今年10公演。隆二が4月4日からソロツアー。

今市:はい。そうですね。

木村:これ、バランス大丈夫なの?

三代目:(笑)。

岩田:なんとか。

木村:ほんとに?

岩田:今年の上半期は割と個人個人の活動に力を入れて。その間しっかりとグループとしての準備事は同時に進めつつ、という時間の使い方にしてますね。

木村:なるほど。みんなメンタルは心配無さそうなんですけど、フィジカルはどう整えてるんですか?飯とか気を付けてる?

ØMI:時期によるかもしれないですね。暴飲暴食する時は全然あったりするんですけど、ツアー前だとガッツリ身体追い込んでっていう期間は設けてます。でも、メリハリかもしれないです。ジム行ったらいつもいるみたいな人もいるんですけど(笑)。

岩田:NAOTOさんとかは、ほんとにずっとやってたりとか。ライフワークみたいな感じで。ツアー前に追い込むメンバーがいたり、そんなにしないメンバーもいたり。

木村:でも、思ったよ。広い会場を縦横無尽に移動し始め、最終的には着てたものを、「いらねー!」みたいになった時の J SOUL BROTHERSの、「これ相当みんなやったよね」っていう感じの説得力はあったね。

三代目:嬉しいです。

木村:岩ちゃんの2ndアルバム「ARTLESS」、これ「Paradise」っていう曲の振り付けはs**t kingzのNOPPOがやってくれてるっていう。

岩田:そうなんです。結構s**t kingzには、たくさんお世話になってきてまして。

木村:あ、そうなんですか?

岩田:はい。三代目でもたくさん振り付けしていただいたりとか。EXILEの方でも、かなり昔からお世話になってるメンバーですね。NOPPO氏も。

木村:でも、メンバーのELLYが動きを作るような事もあるって。

三代目:あります。はい。

木村:あれは誰が考えたの?「花火」。

三代目:ELLYです。

ØMI:「花火」も、僕らで言うと「R.Y.U.S.E.I.」もELLYです。

木村:あ、R.Y.U.S.E.I.もELLYなんだ。

ØMI:ランニングマンもELLYが。

木村:自分は、ある程度の時期を過ごしてきたので、逆にあの「R.Y.U.S.E.I.」で、メンバーが1列になってランニングマンやった時に、「これ今やんの!?」って正直思ってた。

三代目:そうですね〜(笑)。

木村:思ったんだけど、逆に「R.Y.U.S.E.I.」をタイムリーで受け取ったオーディエンスの皆は「うわぁ〜」って、そこでなったじゃん。
あれを見たときに、ファッションもそうかもしれないけど、あの時皆が夢中になってた物ってもう1回周ってくるっていうか、サイクルがあるんだなっていうのはメチャクチャ感じましたね。

三代目:そうですね。

木村:ここからはプライベートにも触れてみたいなと思うんですけど、インドア・アウトドアで言ったら、どんな感じですか?

ØMI:僕、ØMIはインドアですね。どちらかと言うと。

木村:休みの日?

ØMI:はい。一歩も家を出ない日は全然ありますね。

木村:何してるの?家で。

ØMI:ほんとに、何にもしてないんですよ。

三代目:(笑)。

木村:それは無いでしょ?

ØMI:それこそベタですけど、ずっと映画観てたりとか、YouTubeでずっと何かやってたり、音楽聴いてたりっていうので1日過ごしちゃうとか、食事もUber Eats頼んで(笑)みたいな事、全然ありますね。何か予定が入ってないと外に出るって事があんまないですね。

木村:えーっ!そうなんだ。

ØMI:(外に)出られます?

木村:絶対出ます。

三代目:へー。

木村:雨さえ降ってなければ、多分海。あと、「ゴルフとかどうですか?」っていう事にもなるし。

三代目:あー、そうですよね。

ØMI:釣りとかもやられるんですよね?

木村:釣りも好きですね。釣りっていうか、僕の感覚では漁なんですけど。

三代目:(笑)。船で?

木村:もうほんとに食材を。

三代目:なるほど。

今市:じゃー、食べられるんですね。

木村:もう絶対持って帰って。

今市:それは最高ですね。

木村:ちゃんと頂きます。唯一、目的も無く動いてしまうのはバイクかもしんない。

三代目:バイク。多趣味ですね。

木村:隆二は?

今市:僕はですね、元々インドア派だったんですけど、ここ数年でちょっとアウトドア派になってきたなっていうので。最近、ビンテージ物が結構好きだったりするので。

木村:服?

今市:服とか、それこそバイクとかもそうですし。休みの日は、買い物はアウトドアになる?

木村:買い物は一応なるんじゃない。

今市:家にいるか、外に出て色々巡ったりとか。あとは仕事も兼ねてバイクに乗ったりっていうのが多いですね、最近は。

木村:今、僕の目の前に隆二が座ってくれてるんですけど、それこそスタジオに「今日、お願いしまーす」って3人が入ってきた時に、無言のメッセージを感じた。

今市:ほんとですか?(笑)

木村:隆二からは感じた。ØMIと岩ちゃんは、「ラジオよろしくお願いしまーす」っていう感じの自然体なんだけど、隆二は若干、「俺、これ持ってんすよ」みたいな。

三代目:(笑)。

今市:分かるもんなんですね。やっぱり木村さんのラジオに出させてもらうって事だったので、一張羅で来ました。なかなか無い機会なんで。伝わるものなんですね(笑)。

木村:岩ちゃんは?

岩田:僕もどっちかって言えばインドア派かもしれなくて。でも、休みの日ができたってなったら、さすがに人と会う予定だけは作りますね。でも、日中は結構ずっとグータラしてたい派だったりもして。ほんと夜ごはん行くぐらいですかね、友人と。

木村:ドラマの撮影期間中とかは、いつセリフ入れたりとかしてるんですか?

岩田:いやー、でもほんと、車の移動中とか。やっぱり家が一番落ち着きますけど、家でずーっとブツブツ言う感じになっちゃうんで、やっぱりドラマ中は中々息抜きが出来なくて。木村さんは普段どうされてたんだろう?って、逆に聞きたいですね。

木村:息抜き?

岩田:そうですね。連ドラとかって休みが中々取れなかったりとか。その間に他のお仕事もされてると思うんで、切り替えとかも含めて、セリフを入れる時間だったりもあるし。

木村:セリフはね。あれだけはね。あれだけはほんとに。だってさ、これ言ったら元も子もないけど、監督からOKが出た瞬間にめちゃくちゃ時間かけて入れ込んだものが、もういらないんですよ。もう2度と言わない言葉になる可能性もあるんですよ。OKが出て、「良かった〜、OKで」って思うのと同時に「あれ?これもう2度と言わないんじゃない?」っていう4ページ分だったり6ページ分がある時は、ちょっと肩透かしっていうか。昭和的に言うとズコーってなります。

岩田:分かりますね〜。あっけないな、意外とっていう。

木村:この番組、毎回ゲストの方に「人生の1曲」を伺ってるんですけど、今週は隆二の人生の1曲を伺いたいと思います。

今市:ターニングポイントと言われる曲はたくさんあるんですけど、今回選ばせてもらったのはBrian McKnightというR&Bシンガーの「Back At One」という曲です。

木村:これは何でこちらになるんですか?

今市:歌を始めたきっかけはEXILEが好きでとかだったんですけど、元々そんなに洋楽を聴いてるタイプでは無くて。歌のスキルを上げるとか、ボイトレに通う中で、洋楽を聴くきっかけになったのが、このBrian McKnightの「Back At One」だったり、人前で初めて洋楽を歌ったのも「Back At One」だったりで。
2017年ぐらいに、2か月間ご本人の家にホームステイする事になって。
ほんとにレジェンドみたいな人で、スキルで言うと世界一上手いんじゃないかと思ってるんですけど。そんな人の家に行くのは結構な覚悟が必要でしたけど、後悔したくないし、こんなチャンスないと思って気合入れて行きましたね。

[BGM曲]
M.Paradise/岩田剛典
M.花火/三代目 J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBE
M.R.Y.U.S.E.I./三代目 J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBE

[O.A曲]
M1.Back At One/Brian McKnight

[後TM]
M. Yellow Summer/Kenichiro Nishihara 
レーベル:IntroDuCing! / 規格品番:FAMC-091

2024年03月10日Flow 第二百九十三回目「拓哉キャプテン × 三代目 J SOUL BROTHERS 岩田剛典・今市隆二・ØMI」Part2

3月のマンスリーゲストは、三代目 J SOUL BROTHERSの岩田剛典さん、今市隆二さん、ØMIさんです。
今週は岩田さんの「人生の1曲」を伺います!


木村:ご存じの方は大勢いらっしゃると思うんですけど、全国38局ネットという事もありまして、まず岩ちゃんから。
愛知県生まれ、岩田剛典。中学校時代はバスケ部、空手部。

岩田:兼部してまして、両方入っていたんですけど。

木村:バスケ部やりながら空手部?へー。完全に和と洋ですよね。

三代目:(笑)。

木村:かたや素足。かたやバッシュ。

岩田:そうですね、でした(笑)。

木村:バスケの試合がある時はバスケをやり、空手の演武がある時は空手。

岩田:週の中でも、例えば空手は月水金とかいう感じで稽古の時間が決まってたりしたんで、逆に他の曜日は全部バスケ部の練習だったりとかして。

木村:クッタクタじゃない?

岩田:そうでした。でも両方好きだったんで、両方やりたいなって事で兼部してましたね。

ØMI:勉強もめちゃめちゃできるんですよ(笑)。

岩田:いやいやいや、そんな事ない(笑)。

ØMI:慶応大学出てるんですよ。

木村:運動もできて頭も…。

ØMI:僕もこれ見てて、こんな事やりながら勉強もやってたんだと思ってすげーなみたいな。

今市:勉強が好きだったんだもんね。

岩田:勉強が趣味って今言いそうになったでしょ(笑)。趣味ではない。

今市:でも、好きだったでしょ。

岩田:小学校の時とかは、好きでしたね。

木村:でも、高校に入ったらバスケットでも空手でもなく、ラクロスっていう。

岩田:これかなりマニアックな所行ったんですけど。

木村:ラクロスってこれだっけ?

岩田:そうです。ちょっとアイスホッケーに近い。地上でやるアイスホッケーみたいな雰囲気ですね。

木村:大学でバスケットでも空手でもラクロスでもないダンスサークルに入り、部長も務め、全国大会で優勝って、これなんか出来すぎじゃないですか?

岩田:(笑)。嘘ではないんですけど。

木村:踊り自体は始めたのは大学?

岩田:高校3年生の秋からですね。

木村:ラクロスやりながらも、ちょっと踊りをやってみようかなっていう事になったの?

岩田:ちょうどですね、部活の引退試合が秋ぐらいだったんですよ。終わった後、毎年高校で文化祭があるんですけど、文化祭でステージに立ってダンスを披露する先輩方を見ててかっこいいなと思ってて。その当時のラクロス部員の同級生の相方と、「ちょっと頑張ってやってみる?」みたいな話になって。初めて人前でダンスを披露したのが文化祭だったんですよね。そこからっていう感じですね、ダンスは。

木村:それで大学4年生の時に。

岩田:そうですね。21の時ですね。

木村:J SOUL BROTHERSのパフォーマーオーディションに参加してメンバーに選ばれ、その時就職の内定は決まってたんですが、それを辞退し今に至る。

岩田:はい。今に至ります。

木村:いやいやいや、なんかあれだね。どこもケガのない人生だね。

三代目:(笑)。

岩田:そんな事ないですけど(笑)。

木村:小学校の頃から勉強するのが好きだったって言ってたけど、勉強以外にハマったアニメなのかマンガなのか遊びなのかは、あったりしました?

岩田:幼少期は粘土で人形作ったりとか、絵を描いたりとか、そういう工作っていうのかな、図画工作の時間が一番好きでしたね。

木村:え?ないの?プレステとかそういう言葉が出てこないんだよね。

岩田:プレステも好きでした(笑)。

木村:でもさー、図画工作も時間割の中の一つじゃん。でもそれがすごい好きなわけで、他の算数も社会も国語も理科も全部好きだったわけでしょ。

岩田:小学生だけです。

木村:でも、いい子じゃん!

三代目:(笑)。そうですよね。

木村:そんなすげー、ごめんね、いい子が何でオーディションに?

三代目:(笑)。

岩田:大学4年の時に就職活動して、実は内定している企業さんもあったんですけど、今同じチームメイトでリーダーをやっている小林直己さんが僕のダンサー時代の先輩で、僕が大学4年の時はもう直己さんはEXILEで、新しくLDHが作るグループのリーダーを任されてる段階だったんですけど。そこで直己さんから「オーディション受けてみない?」って連絡をもらったんですよ。

木村:そうなんだ。

岩田:そうなんですよ。パフォーマーが何人合格するか、何人組になるかも聞かされていなかったんですけど、ゼッケン着けて自己紹介して、1分フリーダンス、で、フリースタイルで披露して…みたいな動画を撮って、みたいな事で審査をしていただきました。

木村:じゃー、先輩だった直己からの連絡が無かったら受けてないんだ。

岩田:そうですね。今には至ってないと思います。

木村:続いて、隆二ね。

今市:ありがとうございます。

木村:京都なんですね。

今市:生まれだけが京都で、生まれてすぐ神奈川の川崎の方に来たんですけど、生まれたのが京都ですね。

木村:そして、幼少期は小学校5年生から中3まで野球。グループ加入前は18歳から圧接工の仕事をされていたって、ここに書いてあるんですけど。圧接工っていうのはラジオをお聴きの皆さんに分かりやすく説明すると。

今市:現場ですね。現場作業員でマンションの躯体工事ですね。マンションは基本的にコンクリートが多いんですけど、コンクリートの中に鉄筋が入ってるんですけど、鉄筋をパズルのように組み立てて。

木村:ワイヤーでクルルルルンって。

今市:そうです、そうです。そこで鉄筋が繋がってないところを火であぶって圧力でくっつけるっていうのが圧接なんですよね。

木村:で、現場で働いていたんだが、まず2006年に一度「VOCAL BATTLE AUDITION 」に参加するんだけども二次審査で落選してしまい、がしかし、2010年に開催された「VOCAL BATTLE AUDITION 2」に参加して、3万人が参加したオーディションを勝ち抜いて三代目 J SOUL BROTHERSのボーカルに決定したっていう。

今市:はい。懐かしいですね。

木村:(岩ちゃんとは)全然違うルートだよね。しかも一回落ちてるんだよ。

ØMI:一回目はEXILEのメンバーのTAKAHIROさんが選ばれたオーディションに隆二も参加してて、あの時選ばれてたらEXILEになってた可能性があるってことだよね。

今市:万が一の話ですけど、そうです。自分の人生で初めて受けたオーディションがVOCAL BATTLE AUDITION1ですね。

木村:VOCAL BATTLE AUDITION1に「俺、行ってみよ」って思ったきっかけは何ですか?

今市:EXILEの大ファンだったんで。結構オタクレベルで好きで。

木村:特に推しメンは?

今市:推しメンは歌が好きだったんでATSUSHIさんが当時は好きで。

木村:じゃー、まさかライン入れてないですよね?

今市:あー、入れてましたね。坊主にしてライン入れてとかはやってた時期もありましたね。あとは、EXILEのメンバー間の仲の良さとか、ちょっととっぽい感じとかがすごく好きで、知らない曲は無かったですし。それこそATSUSHIさんのパートは日本一俺が上手いって自負するぐらい、物真似じゃないんですけど完コピしてましたね。

木村:じゃー、大ファンだった世界、めちゃくちゃ好きだった世界に、ちょっと俺触ってみたいなっていう感じで、まずは一発目2006年のオーディション。

今市:そうですね。当時、まだ19歳とかだったんで、オーディションってものを受けるのは男としてこっぱずかしい感じはあったんですけど、EXILEがやるんだったら実力試しも兼ねてやってみようっていうので受けたのがきっかけです。だからEXILEがオーディション開かなかったら受けてなかったと思います。

木村:オーディション会場に誰かいた?

今市:それこそ2次審査で落ちたんですけど、自分の2個前とかがTAKAHIROさんだったんですよ。それをすごい覚えてて、やっぱり一番オーラがあって、歌い終わった後もインタビューとかされてたんで、あの人受かるだろうなとは思ってましたね。

木村:続いてØMIなんですけど、東京生まれなんだが小学校から高校までずっとサッカーやってて都大会でベスト8まで。ちなみにポジションは?

ØMI:フォワードでした。

木村:なんか、サイドバックとかじゃないもんね。

三代目:(笑)。

木村:絶対違うよね。この人、フォワードですよねっていう。やっぱり、そうなんだ。二十歳の時、美容師?

ØMI:そうなんですよ。

木村:免許も持ってるの?

ØMI:持ってます。専門学校出て国家試験受けて、表参道でちょっと美容師をやってました。

木村:えー?そのあとアパレルショップでも働いてたって書いてあるんですけど。

ØMI:美容師を辞めたあとに、アルバイトでアパレルショップで販売員を普通にやってたりとかして。それこそ僕、美容師目指したのは木村さんのドラマの影響が…僕らの世代はやっぱりすごくあのドラマの影響を受けた人が多くて、僕もその1人で。人生何やりたいかなって考えてた時に青春時代に観てた影響とかもあって、大学出てフラフラするよりかは何か手に職を付けたい。じゃあ何かって考えたときに「美容師だ!」っていうのでなったっていう経緯もあったりして。

木村:えー?あの『Beautiful Life 〜ふたりでいた日々〜』ってやつですか?

ØMI:もちろんそうです(笑)。あんまり言っちゃいけないのかと(笑)。

木村:それはすごい光栄なんですけど。へー、そうなんだ。

ØMI:すごく影響を受けてその道に行ったって言うのはありましたね。

木村:一番のやりがいを感じますよ。みんなからのそういう事実を聞かせてもらったりとかすると。それで、隆二と同じ2010年の「VOCAL BATTLE AUDITION 2」に参加して、同じように。

ØMI:そうですね。2人で一応合格っていうのを頂いて三代目 J SOUL BROTHERSのボーカルになりましたね。

木村:だから、ほんとにバラバラなルートだよね。

三代目:そうですね〜。

木村:この番組、毎回ですね、ゲストの方に「人生の1曲」っていうのを伺ってるんですよ。今週は岩ちゃんの1曲を伺いたいなと思うんですけど、何になりますか?

岩田:僕の人生の1曲はですね、自分がダンスを始めたきっかけの楽曲でして。ダンス始めたのって1本の映画を観て、映画館から出たあと、ラクロス部の相方と「このダンスやろうよ!」って言って始めたのがダンスとの出会いだったんですけども。その映画『RIZE』のサウンドトラックから「Break It On Down」という楽曲。ダンスを始めて、最初に人前に立ったステージで使った楽曲でもあります。

[O.A曲]
M1.Break It On Down(Battlezone)/Flii Stylz & Tenashus

[後TM]
M. Yellow Summer/Kenichiro Nishihara 
レーベル:IntroDuCing! / 規格品番:FAMC-091

2024年03月03日Flow 第二百九十二回目「拓哉キャプテン × 三代目 J SOUL BROTHERS 岩田剛典・今市隆二・ØMI」Part1

3月のマンスリーゲストは、三代目 J SOUL BROTHERSから岩田剛典さん、今市隆二さん、ØMIさんの3人をお迎えしました。
どんなトークになるのか、お楽しみに!


木村:僕は個人的にですね、去年行われました三代目 J SOUL BROTHERSのドームツアー、東京ドーム初日公演にお邪魔させていただいたんですけども。
いや〜、あれヤバかったっすね。

三代目:ほんとですか。ありがとうございます。

木村:なんなんすか、あれ?

三代目:(笑)。

木村:EXILEさんたちが、ああいう広い会場でライブをやる時に、会場のど真ん中に360度型のステージを組み、どっちが正面どっちが後ろっていう構成ではなく、360度宇宙空間みたいなライブをされてるのを、色々な映像だったりとかで見てはきたんですけど、これか〜!っていう、まさに本物を目の当たりにした感じだったんですけど。

三代目:ありがとうございます。嬉しいです。

木村:東京ドームで3Days。最後まで持ちました?

三代目:ギリギリ。ボロボロですね。

木村:個人的にいろんな目線で見てしまったんですけど。どうやって捌けてるの?とか。

三代目:あー。

木村:ライブ前、「定刻で行きま〜す」とか、「開演30分前で〜す」とかスタッフがお知らせをしてくれるじゃないですか。

三代目:はい。

木村:これネタバレかもしれないけど、その時ってJ SOUL BROTHERSのメンバーの皆はどこにいるの?30分前は。

ØMI:楽屋にいて。ほんと直前ですね。始まる5分前ぐらいにステージの下に入っていって。

木村:あのステージの下にはどうやって移動してるの?

ØMI:実は花道って言われてる先に、またカーテンの道を作って見えないようにして。そこを普通に歩いて。花道の下をしゃがんで歩いて(笑)。

木村:それでメインステージに。

ØMI:なんで、移動中はすごい不格好ではあるんです(笑)。

木村:コンサートを運営する側が皆の持っているペンライトをハンドリングというか、色を「せーの!」で変えられるって、こんなにも効果があるんだなって。色んな噂は聞いてて、実際に僕も手に持っててなるほどなって。

三代目:ほんとですか?ありがとうございます。

木村:「あれ?勝手に消えた」と思ったら、いきなりグリーンに光りだして。「あれ、光った?」と思ったら、東京ドームの中がグリーンのライトで一色になったりとか。逆に細かい演出は言えないけど、ボーカルの今市くんとØMIくん2人だけがステージに立って。「なんか空気変わったぞ!」って思った瞬間にペンライトがバーンって白く光って、光の中に2人しかいないみたいな空間があったりとか。
いや〜すごい、もうね、セットもセットだし。いろんな特別なステージの機構もそうだし。あと共に盛り上げてくれていた、あれはLDHさんの…。

岩田:サポートメンバー。

木村:すごい数いたからね。

三代目:(笑)。そうですね。たしかに。

ØMI:コロナ禍の時だと、なかなかあの人数をライブで使えなかったですけど、今回はコロナ禍も開けてのドームだったのでサポートメンバーも100人近く参加してもらって。

木村:東京ドームって広い空間なんだけど、サポートメンバーのパフォーマンスもものすごくフォローになってたというか。人が動いてきっと大気が動くと思うんですけど、人の周りの空気が滞ってる空間が1つもなかった。

三代目:嬉しいです。良かったです。

木村:だからすっげーって。もちろん J SOUL BROTHERSのメンバーも、そろそろ限界ですっていう体力を体感しながらも、目の前にオーディエンスの皆がいてくれると、ここはしゃがんでらんねーなっていう感じで、グワってアクセルを皆が踏みしめていたなっていうライブでしたね。

三代目:嬉しいです。ありがとうございます。光栄です。

木村:(ライブが終わった後)家に帰って、まずどんな感じなんですか?

ØMI:普通ですね。すぐ風呂入って、寝て(笑)。デビューして14年になると、あんまり興奮して寝れないみたいな事は無くなってきてる感じで。僕はですけど、割とすぐ寝れる感じなんで、割と日常にすぐ戻れる感じはしますね。

木村:へー。でも、それは東京だからかな?

ØMI:それはあるかもしれないですね。自宅に帰れるっていうのが。

木村:それが宿泊先のホテルとかだったりすると…。

ØMI:ちょっと変わるかもしれないですね。

今市:自分は映像を見返しますね。その日のライブの映像を。

木村:あ、そっち派だ!

今市:毎回見てますね。

木村:ØMIは見ないの?

ØMI:僕はあんまり見ないかもしれないです(笑)。ツアーがスタートした頃は照明が大丈夫かなとか、機構うまくいってるかなってチェックとして見るんですけど。もう、このツアー固まったな、スタッフの動きとか、100人出てくれているサポートの動きも固まってきたなと思ったら、だいたい流し見ぐらいになって、あまり見ない日もありますね。

木村:でも今市くんは、その日やったライブは…。

今市:後半の終わりかけぐらいにやっと見なくなるぐらい。基本的には見てますね。

木村:それは、どこをチェックしながら見るんですか?

今市:ツアーの前半戦とかはもちろん一緒でチェックですね。サポートの動き、演出とか、映像とか含めて。あとは個人的な動きとか、それこそ歌とかダンスとか。あとカメラ割りとかも。結構、総合的に見ちゃうときりがなくなって。修正点が毎回出てくるなっていう感じですよね。

木村:岩ちゃんは?

岩田:僕はいつもと違うイレギュラーな事が起こった所だけ見ます。

今市:笑うために(笑)。

岩田:そうそう。あとは他のメンバーの失敗とかも見たいタイプなんで(笑)。

木村:ひょっとして、それはあれですか?タキシードに着替えて山下さんが…。

岩田:あそこは毎回見てます。あとパフォーマーが転んだりとかする時もあるんで、その映像は誰かが切り抜いてメンバーだけのグループトークに上げたり。そういうやり取りが行われてますね(笑)。

木村:割とクラスメートっぽいですね。

岩田:そうかもしれないですね。

木村:そんな三代目 J SOUL BROTHERSなんですけども、パフォーマー5名、ボーカル2名の7人組。リーダー兼パフォーマーのNAOTO、そして小林直己、パフォーマーのELLY、山下健二郎、タキシード健二郎ね。あと岩ちゃん、ボーカルの今市くんとØMIからなる7人組ダンス&ボーカルユニットなんですけども。
今回来てくれたのが、岩ちゃんと今市くんとØMIの3人。パフォーマー、ボーカル、ボーカル。
今、自然な形で、“岩ちゃん”だったり“今市くん”だったり“ØMI”だったりって勝手に呼んでしまったんですけど、「俺のことはこうやって呼んでください」って言うのはありますか?

ØMI:僕はØMIで大丈夫、嬉しいです。

岩田:僕もです。僕も岩ちゃんで大丈夫です。

今市:自分は下の名前が。

一同:(笑)。

今市:だって、せっかく木村さんに言ってもらえるんだから。

木村:じゃー今日をきっかけに、ØMIの事は“ØMI”、岩ちゃんの事は“岩ちゃん”、そして隆二の事は“隆二”。

今市:あー、嬉しいです。

木村:っていう事でいいですか?

今市:いいですか?逆に(笑)。

木村:こちらこそよろしくお願いします。
そして2010年に結成された三代目 J SOUL BROTHERSなんですけど、同じ年の11月にシングル「Best Friend's Girl」でメジャーデビューを果たした後、2012年のNHK紅白歌合戦に初出場。2014年の元旦にリリースしたベスト&オリジナルアルバムは、4週連続1位。すごいっす。そして、2015年に初のドームツアーを開催したっていう。
これ、勢いとんでもないんですけど。それこそ、階段をステップアップしていく感じっていうよりかは、急に高速エレベーターで高いとこに上がった感じはしなかったですか?

今市:特にボーカル2人はオーディションで受かったんで、オーディション受かった次の日から目まぐるしく世界が変わって、HIROさんからも「24時間365日三代目のことを考えてないと追いつかないと思うから」みたいな事を言われて。
3年間ぐらいは休みなかったですね、正直。だからもう、ほんとに目の前のことをやるので精一杯っていう感じでした。

木村:今HIROの名前が出ましたけど、他に先輩方から「こうした方がいいよ」とか、「レモンサワーは何杯にした方がいいよ」とかアドバイスはあったりしました?

三代目:(笑)。

ØMI:ほんとに仰っていただくように、その当時はほんとに毎日レモンサワー飲んでて。

木村:(笑)。

ØMI:確かに“LDHっていうとレモンサワー”っていうのが世間には定着しちゃったけど、最近はそこまでではなくなってきたんですけど。でも当時はほんとに盛りなしで毎日呑んでて、その時にボーカルだとATSUSHIさんから「もっとこうした方がいいよ」とかアドバイスをもらうこともありましたし。EXILEメンバーも当時イケイケだったので、お酒の席でお互い酔っぱらうとぶつかり合ってワーみたいな時は結構ありましたね。

木村:なんか、すごい空間になりそうだね。

ØMI:そうっすね。カオスの時も結構ありましたね(笑)。

木村:メンズが集まって、八百屋さん2軒分ぐらいのレモンを使い。

三代目:(笑)。

今市:なんか、その時間がすごい良かったなって。同じ釜の飯を食うとか、ノミニケーションっていうか分かんないですけど。

木村:ノミニケーションね。

今市:仕事じゃない時間を共に過ごすことで色んなことも共有できるし、教えてもらえるしっていうので、会社全体がそれで強くなってたなって。

[O.A曲]
M1.Awakening Light/三代目 J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBE

[後TM]
M. Yellow Summer/Kenichiro Nishihara 
レーベル:IntroDuCing! / 規格品番:FAMC-091

2024年02月25日Flow 第二百九十一回目

今週は皆さんから頂いたメッセージを紹介します。

木村:いつもたくさんのメッセージありがとうございます。
まずは、今月のマンスリーゲストAIちゃんとのトークを聴いてくれた皆さんから感想メッセージが届いてます。

【石川県 ひろ☆ 62歳 女性】
キャプテン、こんにちは!
2月のゲストAIさんとのトーク楽しかったです。
子供の頃の話からジャネットジャクソンのミュージックビデオ出演まで、拓哉さんとAIさんの会話がどんどん熱をおびてくるのが伝わってきました。

【岡山県 ゆきえ 44歳 女性】
AIさんのここまでこられた道のり、そして変わり続けている姿に元気をもらいました!
AIさんが「木村さんはもっともっと乗り越えてこられている」と仰っていましたが、そうだよな〜そうだよな〜
でも、そんな中、私たちに元気を届けてくれてるよな〜と改めて感謝の気持ちでいっぱいになりました。ありがとうございます。


木村:いや〜、初めてだったかな。AIちゃんと1対1で、じっくりお話をさせて頂くって事は。でも、非常に魅力的な人ですね。彼女が小っちゃい頃から、たくさん愛情にあふれる方に囲まれてgrow upされたんだなっていうのがすごく分かったし。
自分に正直な、自分に無理をせず。自分に正直な人ってさ、きっと周りにも嘘つかないじゃないですか。それがお話してても、すごくよく感じ取れたし。彼女がしっかり人の目を見てお話してくれる感じも、僕は一緒に居て、非常に素敵な時間を過ごさせてもらったなって感じてましたね。
そして、AIちゃんがセレクトした人生の1曲で「We are the world」が流れたときに、ラジオをお聴きの皆さんにはちょっと伝わりづらいんですけど、実はWe are the worldのミュージックビデオを2人で観ながら2人で真似をしながら一緒に歌ってましたね。
現在、3月末まで全国ツアーが続くという真っ最中のAIちゃんなんで、くれぐれもしっかり完走できるように身体には気を付けてほしいなと思います。Good Luck!

続いてはこちらのメッセージです。

【愛知県 みっちゃん 20歳 女性】
キャプテン、こんにちわん!
私には同じクラスで気になっている男性がいます。
その方は、優しくて真面目で可愛い感じで、手帳型スマホケースをボロボロになるまで使っている所が好きです。
もう学校の授業が全然無くて、3月上旬の卒業式と、その前日しか無いので、その時に手紙で(渡せなかったらLINEで)、想いを伝えようと思うのですが、母は「学校を卒業したら関わらないから諦めな」という感じです。
この方以上に、私の理想の人と出会えるか不安です。
こんな気持ちは初めてで、どうすれば良いのか分かりません。
どうすれば良いと思いますか?


木村:2024年になってますけど、皆さん素敵な真剣な恋愛してるんだなっていうのが伝わってきて、僕は心地良いんですけども。どうだっていいじゃんみたいな、そういう捉え方を皆さんしないでしっかりとこの気持ちを相手にどう伝えようとか、今この好きだっていう気持ち、この人以上の人と出会えるのかしらっていうふうに思ってる方たちが結構多いなっていう気がしますね。
手紙なのか、渡せなかったらLINEでって、みっちゃんは言ってますけど、お母さんの冷静な感じもすごいよね。「学校卒業したら、会ったりしないから。」っていう。お母さんはね、みっちゃんの気持ちのどこらへんまでをご理解されてるのかは僕には分からないけれど、会う会わないはみっちゃんが気持ちを伝えるか否かによって、今後も会うか一切会わなくなるかっていうのはみっちゃん次第だと思うし。
僕は多少ですけど、人生の先輩としてみっちゃんにアドバイスさせていただけるなら、やっぱり気持ちはしっかり伝えたほうがいいんじゃないかなとは思いますよ。関係がどうなるにせよ、気持ちを伝えることによって「今後も会おうね、会ってね、会いたいな。」っていう関係性になれるかもしれないし。気持ちを伝えたうえで、「私はこう思ってました。じゃー元気でね。」で終わるかもしれないし。それはほんとに2択に大きく分かれるとは思いますけど。
お母さんのアドバイスはお母さんのアドバイスとしてさ、一応みっちゃんもさ、“うるせーな”じゃなくて、“ありがとね”っていうふうに聞いて、みっちゃんはみっちゃんの気持ちをちゃんと彼に伝えたほうがいいと思いますよ。
そうした後じゃないと、彼との関係も今後流れていく時間も分からないですから。それは誰にも分からないと思うので、是非是非伝えることを僕はおススメします。

続いてはこんなメッセージです。

【京都府 ちぃー 59歳 女性】
キャプテンこんにちは! 初めて送ります。
京都に来られた時キャプテンが寄られる和菓子屋さんに行って来ました。
そしてキャプテンが食べられた同じ和菓子を買って来ました。
キャプテンが気に入られるのも納得です!
お店の方もとても素敵で帰り際、「これでご縁が出来ましたので又お越しください」と言って頂きました!
そしてキャプテンが「クルーの皆の事をお願いします」って伝えてはった事も聞かせてもらえて感激しました。お店を出た瞬間とても幸せな気分でいっぱいになりました。
京都にいながら今まで出会えなかった縁を引き合わせてもらえて本当に感謝感謝です。
上手くお伝え出来ないですが、幸せな気持ちを伝えたくて送らせて頂きました。
キャプテンありがとうございます!


木村:この和菓子屋さんって言うのは、御倉屋さんの事なんじゃないかなと思うんですけど。これはね、行き当たりばったりなんですけど、京都に来たお土産にお茶を購入して帰りたいなって思う自分がいて、移動の車を運転してくださってたスタッフの方がたまたま選んだ道で出会ったお店で、「お時間おありですか?」って仰ってくれて、「はい、あります。」って言ったら、「ご一服いかがですか?」ってお抹茶を点ててくださって、うわー感激と思って。また頂いたお抹茶が、味わったことがないくらい甘さを感じる抹茶だったんですよ。美味しいと思って、そこに「良かったらどうぞ」って一緒に出してくださった和菓子が、“御倉屋さんの旅奴”っていう黒糖を使った焼き菓子なんですけど。食べて、うわ、うんめーと思って、お抹茶も点てていただいてお土産も購入させていただいたので、こんな縁はないなと思ったから、思い切って「すいません、このお茶菓子はどちらの?」って言って伺ったのが御倉屋さんだったんですよ。
それで僕は、これはお土産にもしたいし、現場のスタンバイチームにも絶対喜んでもらえるだろうなと思って、今度は御倉屋さんを検索して、運転してくださるスタッフに「すいません、ここまでお願いします」って言って、お邪魔したお店ですね。
その時にね、お店の方が「こうやってご紹介いただけると、日本全国からたくさんのお客さんが来ていただけるので、ほんとにありがたいです。」って言ってくださったんで、「クルーが来た際には、クルーの事をよろしくお願いします」って言って帰ったんですけど、その事だと思いますね。
皆さんのご縁の中にちょっとだけ関わらせて頂けた事に、僕自身もHappyな気分になったので、わざわざこうやって知らせてくれてありがたかったなって思います。ありがとうございます。

続いては、こちらのメッセージです。

【山口県 たっくんLOVE1 53歳 女性】
先日、SMILE-UP.が能登半島地震の支援活動に行かれて、その中にキャプテンもいらしたようですね。
今も多くの人が避難所生活の不自由な生活をされていて先の見えない不安の中、みなさんが来てくれたというだけでも気持ちが弾み笑顔になれたと思います。
ドラマ撮影の合間をぬっての遠距離移動もお疲れさまでした。


木村:集団避難を強いられた中学生のみんながいたんですけど。あと先生とか、避難先の施設の皆さんだったりとか。その場所では栄養価の高い食事は取れてるって伺ったので、スイーツにしようという事で、温かいホットチョコとクレープとか、あと受験も控えてるという事だったのでGood Luckという事も込みで日用品だったりとか物資も届けに行かせていただいたんですけど。
ほんとみんな元気だったし、すごい笑顔だったし。元気になってもらおうと思って行った俺らが一番元気をもらったというか。物資を運んだつもりなのに、物資以上のものを俺らが与えてもらって帰ってきたなっていう。だから、この感覚が次を…要は終わりじゃないっていう想いにさせてくれるんだろうなって思いましたね。
みんなマイナスマインドな言葉を言わないんですよ、ほんとに。だから強いなって思ったし。「“受験頑張れ”って背中にでっかく書いてください」って言われたんだけど、頑張れはちょっと違うなと思ったから、“受験楽しんで”って背中にデカデカと書いてきましたけど。
でもね、3カ所お邪魔したんですけど、最後の3カ所目なんて、施設の周りが真っ暗で。ほんとに、避難先にされてる施設以外には街の明かりすら見えないような場所だったりしたんですよ。そういう状況の中で、大きなイベントで受験っていうのものが中学校3年生のみんなにはあったりするわけじゃないですか。いろんな事が平等だよと言われる世の中ではあるけど、これはちょっと平等じゃないなと思いましたね。この中で受験に向かって準備をしなきゃいけないみんなっていうのは、ほんと強いよ。みんなの方が、俺らの想像以上に強いっすよって思いましたね。
あと共通して思ったのが、きっとこの子真面目なんだろうなっていう子も、こいつノリ相当いいよねっていう子も共に温かいっていうか、温度がない子が1人もいなかった。それがすごい印象的でした。

じゃー、ここで1曲。
避難先でたくさんの受験生にも会わせていただいたんですけど、日本全国の受験生の皆さん、ほんともうあとひと踏ん張りだと思います。そして、新生活に向けて夢を追う人とか、確実に前に進んでると思います。
じゃー1曲、AIちゃんのこのナンバーお届けしましょう。

[O.A曲]
M1.みんながみんな英雄2024/AI

[後TM]
M. Yellow Summer/Kenichiro Nishihara 
レーベル:IntroDuCing! / 規格品番:FAMC-091

2024年02月18日Flow 第二百九十回目「拓哉キャプテン × AI」Part3

2月のマンスリーゲストは、シンガー・ソングライターのAIさんです!
AIさんとのトークも今週がラスト。AIさんの「人生の1曲」も伺います。


木村:プライベートでは、ママでもあるじゃないですか。お子さんが2人いらっしゃって、娘さんと息子さん。このお名前、子供に対するパスがすごいですね。

AI:(笑)。やっぱり、“平和”がいいなと思って。平和がいいっていうのが小っちゃい時からあって。小っちゃい時にユニセフのCMとか、あったじゃないですか。お腹がポコッと出て、ハエが飛んでて、泥みたいなご飯食べてる映像とか昔はよく流れてたんですよね。ママもチャリティーなことをやってて、色々見たり会ったりする経験もあって、すごく平和って大事だなって思ってて。だから曲にもちょいちょい、そういうメッセージは入れてたんですけど。
自分の子供の名前をどうしようって思ったときに、もう“平和”しかないな。「平和」って呼ぶだけで、周りが平和に気づくんじゃないかなって。“平和が大事だっていう事に気づいてほしい”と思って、“平和”にしたんですよね。

木村:そしてもう1人が、博士の“博”に“愛”と書いて”博愛(はくあ)”。平和ちゃんと博愛くん。すごいな〜。

AI:博愛は平和が平和にしちゃったからどうしようかなと思って、平和と同じくらい大事な物。平等だったり愛する心みたいなものが欲しいなと思って。たまたま旦那さん名前の“ヒロ”がこの“博”なんですよ。で、私は“愛”って名前なんで。

木村:あー、なるほど。

AI:合わせると博愛でバッチリじゃんと思って、博愛くんになりました。

木村:2人とも、どんな感じですか?

AI:いやもう、全然平和じゃないです(笑)。

木村:(笑)。

AI:これはマジで。しかも平和になってほしいと思って付けたのに、「平和〜」っていう感じじゃない。「平和っ!!何やってんの?平和!!」みたいな。「博愛っ!!」とか。もう全然、博愛じゃなくて。自分が反省ですね。

木村:それはきっと、まだなんですよ。Not yetで。

AI:ほんとそう思ってるんです。分かっていただいて、ほんとにありがたいです。

木村:そんなAIさんなんですが、現在全国ツアーの真っ最中という事で。あとどれくらいあるんですか?

AI:3分の1ぐらい残ってるかなっていう感じですかね。

木村:去年8月に最新アルバム「RESPECT ALL」をリリースして、去年の10月から今年の3月24日の国際フォーラムまで、“RESPECT ALL”ツアーを敢行するということで。
俺、AIちゃんが今日スタジオに入ってきてくれた時に「ちゃんとしてるな〜」って思ったのが、自分自身にちゃんと責任を感じてる人って、皆が外してリラックスモードになっても、ちゃんとマスクされてたりとか。やっぱりそういう人ってね、すごい少ないんですよ。もちろんいるんだけど、大事ですよ、こういうのって。

AI:ほんとにもう、それしかないですもんね。自分が本気でかからないように。

木村:コロナだけじゃないもんね。

AI:そうなんです、ほんとに。

木村:インフルエンザもダメだし。自分が体調崩す=現場が止まるっていうのがあるからね。それは、ほんとに気を付けてほしいなって思いますけど。心がけてることって、健康面以外にあったりしますか?

AI:1番はほんとに健康で。あとは何だろうな、それ以外はそんなに…。

木村:ない?

AI:ないかもしれない(笑)。なんかあるっけ? なんかあります? 健康以外で心がけてる事。。

木村:う〜ん。やっぱりモチベーションは保ちたいから、僕も今年はそういう場所を自分でも作りたいなとは思ってるんですけど。

AI:イエーーーイ!

木村:全力投球したいじゃないですか。全力投球してるんだけど、パーフェクトっていうのが1度もないから。

AI:そうですか?

木村:ないない。だから、“パーフェクトっていうのは、いつできるんだよ”っていうのを、いつも自分に突っ込みながらやってる気がします。

AI:それは分かります。ほんとに自分も、まだいけるもん。でも、それを思ってるからすごくいいんですよね、多分。“まだいける”って思ってるって事じゃないですか。もっと出来るって。

木村:もっと出来たい! I wannaっていう感じなんですけど。それは、もっていたいかな。

AI:木村さんも、そう思ってるのね。

木村:思ってるよ(笑)。

AI:我々も頑張ろう(笑)。

木村:みんな一緒ですよ、そこは。ほんとにそう思う。
さらに新曲もリリースされて、去年12月に「ワレバ」。これ最初、カタカナで「ワレバ」って見たときに何じゃこりゃって思ったんですけど、曲を聴いてすぐ分かりました。「Whatever」の事を俺らに分かりやすく、「ワレバ」って言えばいいんですよみたいなね。すごい面白い内容の曲なんですけど。

AI:ありがとうございます。

木村:そして今年の1月1日には、AUの三太郎シリーズのCMソングにもなってます「みんながみんな英雄2024」。この2曲って、どういう感じに仕上がっていったんですか?

AI:「ワレバ」はCMでも使われた曲なんですけど、最初に「頑張ってる人を応援してる人を応援してあげるみたいな曲があるといいな〜」っていう話があって、頑張ってる人を応援する? あ〜、頑張ってる人を支えてる人を応援する曲。これいいなと思って。たしかに、そういう曲ないですねっていう感じで始まって。
でも1番大事なことで知っておきたいのが、人って1人だと思うとつまらなくなったり、文句言いたくなったり。だから、お互いの事が必要なんだよっていう言葉を入れたんですけど。
「お互いのこと必要だから Whatever, Whatever 乗り越えていける Whatever」
もう、それだけでいいと思っていて。伝えたいメッセージは、お互いがいるから超えられたこととか、成長出来てるとか、私たちがティーンエイジャーになれたり大人になれたりするのは、“支えてくれてる人がいるからだという事を、すごくこの曲で伝えたいな”と思って作ったんです。

木村:今月は、こんなAIちゃんとお送りしてきましたが、3月24日のライブまで実際の目標っていうのがありますけど、個人的に何かあったりしますか? 今後こうして行きたいな、こうしてみたいなっていう事って。

AI:家の掃除をいつか完了させたい(笑)

木村:(笑)。家の掃除。綺麗好き?

AI:全然綺麗好きじゃないんですよ。もう全然。汚いんですよ。汚いから、ずっと掃除しないと。

木村:カーペット?フローリング?

AI:フローリングなんですけど、テカテカの。やっぱり、掃除機も毎日何回もしないといけないし。

木村:じゃー掃除が目標ということで。
あと、この番組では毎回ゲストの方に「人生の1曲」というのを伺ってるんですが、今週はAIちゃんの人生の1曲を伺いたいなと思うんですけど。何になりますか?

AI:やっぱり「We are the world」。

木村:マジ?

AI:はい(笑)。それしかないじゃないですか。だってもう、こんだけ「We are the world」の話しといて全然違う曲なんて(笑)。

木村:いや、それもありだって。全然ありだけど、ほんとにいいんですか?

AI:是非。「We are the world」最高じゃないですか。

木村:最高っす!

AI:何回聴いてもいいし。

木村:イントロの「チャララララ〜♪ ド〜ン」っていう。じゃー、それが流れるな。

AI:最高ですよね。あそこからしてもう、ワクワクしますよね。

木村:うん、する。ほんとする。

[BGM]
M1.みんながみんな英雄2024/AI
M2.ワレバ/AI

[O.A曲]
M.We Are The World/USA for Africa

[後TM]
M.ママへ/AI


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