2026年04月12日Flow 第四百二回目「拓哉キャプテン × 新庄剛志」Part2
今月のマンスリーゲストは、北海道日本ハムファイターズの監督、新庄剛志さん!
今週も賑やかにお送りします! お楽しみに!
木村:プロになって入団したのが、阪神。2年間はもうほとんど2軍ってあるけど。
新庄:2軍で外野手だけでやってたんだけど、内野も練習して。1軍の選手は8ポジションあるのに、センターだけ守ってたらセンターだけじゃん。だから「内野の練習させてください」って言ったの。俺、内野の1軍の選手は怪我すると思ってたから。
木村:何で?(笑)
新庄:何となく。それはもう説明はできないんだけど。
木村:出た、宇宙人。
新庄:で、内野の練習を4ヶ月ぐらいしたのかな? そしたらオマリーっていう、サードを守ってる外国人が骨折かなんかして、そこにポーンッて。
木村:「お前行け」って。
新庄:「あ、そう言えば新庄は内野してたな」みたいな感じ。「じゃあ使ってみようか」って言って、1打席目の初球にカーンってホームラン打った。
もうそっから、14年間ぐらいレギュラー。その1球だけで。
木村:マジ? へぇ〜。
新庄:で、オマリーが帰ってきました。さあ、監督が「新庄をどこで使おうか? お、あいつ外野してたな!」って言って。で、センター戻りました。そしたらもう、俺の本領発揮よ。
俺、本当に12球団で一番上手いと思ってたから。「ゴールデングラブ賞連続で獲りますよ」って宣言してたから。
木村:その時、自分で言ってたんだ。
新庄:言ってた。もう見たらわかるやん。遠投とか、肩とか、守備の足の動きとか。
木村:河原で石を投げてスタートしたその肩は、何なん? でも、筋トレとかした?
新庄:めちゃくちゃしてた。筋トレというより、親父が造園やってたから。「ちょっと剛志。これを絞って切りなさい」とか、「ここの石をこっからこっちに持っていきなさい」って。小学校2年生ぐらいの時にその石を転がしながら、「そういう仕事なんだ」と思ってた。それが、握力とか下半身強化に繋がったと思ってる。
木村:それ完全に「ベスト・ キッド」じゃん(笑)。
新庄:そうね(笑)。親父はもうプロ野球選手にさせたかったから。それで、高校の時には握力が90までいったね。
木村:90? すげえ! おもろ!
新庄:でもね、握力がある選手って、バッティング悪いのよ。
木村:それは何で?
新庄:力んで、ボールが当たる時に返しすぎるから。こっちが強いと。
木村:今、急に監督の目線になって、会話が始まりました(笑)。
新庄:やめとこう(笑)。
で、タイガースで10年やって、野村さんと出会って、バッティングも良くなり。で、10年目に「ちょっと日本の野球よりアメリカでやりたいな」って思い始めてて。
木村:それはきっかけがあったの?
新庄:日米野球だね。たぶん俺、日米野球で16打数、11安打ぐらい打ったんじゃないかな? もう、打ちゃあヒット、打ちゃあヒット。
で、肩とかはアメリカのスカウトの方たちが見て、「あの赤いリストバンドのやつは誰だ? 名前は?」ってなって。もう、アピール合戦よ。
そしたら日米野球終わって2日後に、メジャーのスカウトが(来たから)「何やねん?」と思って。
「年俸2200万円。レギュラーは決まってない。マイナーリーグかもしれない」(という条件で)、「はい」。行きました。「OK」。「2200万円、OK」ってサインして、1年目の夏ぐらいかな? 何ヶ月間か、4番を打ち始めて。
思った通りに4番を打って、帰ってきました。 何百人の前で、記者会見。それがさっきの、「記録はイチローに任せて、記憶は僕に任せて」のシーンで。
だから一歩踏み出す勇気と、根性っていうのかな。「動いたら何か起こりますよ」と。
木村:根性の前に、独特な、野生な感じだよね。
新庄:(英語を)喋れんし。俺「サンキュー」しか知らないんだからね。本当に(笑)。
(アメリカに)行っても、全く英語わからん。これ本当に、俺が日本語を教えた方が早いと思ったんだよ。
木村:相手に(笑)。
新庄:で、日本語を覚えてもらった、っていう(笑)。それのが早かった(笑)。
木村:そっちの方が早かった(笑)。だから、皆はその頭になんないんだよな〜。
新庄:でも、「3年で帰る」っていうのは決めてたし、言ってたから。もう3年で十分だろう、と。
なぜかと言うと、その年にメジャーリーグに野手として行ったのは、俺とイチローくんだったの。ピッチャーは結構いたけど。野手の第1号。
イチローくんが活躍するのはもう大体わかるわけやん。日本でもそこまでいい成績を残してない俺が、守備だけで成功しました。挙句の果てには、打順で打たせてもらって。
そしたら、「メジャーリーグは、新庄で通用するんだ」と。そのお陰で、日本から行く野手の選手が増えたと俺は思うんだよね。あれがイチローくんだけだったら、挑戦してないと思う。
木村:でも、その肩は1人しか持ってないからね。
新庄:イチローくんの後に大谷くんは行ったと思うけど。その間はね、挑戦してないと思うよ。それぐらい、日本とアメリカは差がありすぎたから。
木村:でも、大先輩の、本当にパイオニア的な選手の方たちっていっぱいいらっしゃったと思うけど、なんか1人だけその枠じゃないもんね。
新庄:(笑)。よく言われる(笑)。監督就任会見の時もね。見た? 襟。
木村:見たよ。「なんだ、あの襟?」と思って。
新庄:あれが、インパクトなんです。
木村:「あれが」じゃないのよ(笑)。
新庄:あの時のテーマが、「衣装でインパクトをつけて」。
木村:あれテーマあるんだ(笑)。
新庄:あるある。3つあるのよ。(1つ目は)“優勝しません”。
木村:言ったね。
新庄:で、(2つ目は)“衣装”。あとは、“ビッグボス”っていうニックネーム。
この3つは記事になるだろうな、というところで言ったら、「優勝しません」が勝っちゃって。
木村:監督になる人が言う言葉じゃないからね。
新庄:本当は駄目なのよ。でも、嘘で「優勝します」って言える? ほとんどの監督が言うんだけど。
何を言われようが、2年間、3年間は土台をしっかり作って、戦力アップして、層を厚くして。1年目最下位。2年目最下位。ここ! 行け! 優勝や!って言った時に、…2位だったよね(笑)。
木村:(笑)。そのテンションの違いよ。
新庄:初めて、「あら、思い通りにいってねえ」、「この人生面白くね?」ってなったの。ストーリー通りに行くのが俺やから。でも2位よ。「よしよし、面白いやないか」と。
大体俺は3年でいろいろ変わるんだけど、今もう5年目で、「3から5に移したらどれぐらい人生で変わるのかな?」とか「楽しいのかな?」って。
俺、本当はアパレルしたかったの。
木村:そっちも好きだからね。
新庄:そう。スウェットが大好きで。だから今年は、野球に集中しながらも、リフレッシュさせる時にスウェットのアイディアを…(笑)。
木村:スウェットのデザインも大事だと思うけど、打順もちゃんと考えてください。
新庄:はい、わかりました(笑)。
木村:くじでやってる時なかった? ビンゴ大会みたいなやつ。
新庄:1番から8番まであって、「はい、じゃあ2番!」、「お〜、4番! ティロリロリン!」みたいな。
あとは、ファンが見るオーダーを応募して、聞いて、人気順に1番から2番、3番、4番、5番、6番って決めてる試合もあったし。
木村:それは、最終的に嵌まる時もあったの?
新庄:大体勝つよね。
木村:マジで?
新庄:マジで。本当に勝つのよ。だから皆、誰を出しても上手いんですよ。
木村:なるほど。逆に、「ガラガラガラガラ、ぽとん。はい、2番!」ってやってる時、コーチの皆はどうしてんの?(笑)
新庄:もう、ボスの言うことは絶対ですから(笑)。 やりましょうよ、って感じやね(笑)。
木村:それは、ビッグボスに付き合ってくれてんだ。スタッフに恵まれたね。
新庄:そうね。スタッフも全員俺が集めたから。
木村:そうなんだ。
新庄:キャッチャーコーチ、ピッチャーコーチ、全部俺。そりゃ、やりやすいよね。
木村:じゃあ最終的に、今、監督になって5年目に突入してるけど、今は正確には何してんの? ちゃんとベンチで…。
新庄:当たり前やろ(笑)。
1年目は、ファンも喜ばせる野球と、選手を成長させる土台を作っていく年だったんだけど、3年目からは、真剣に勝つ野球をやったよ。1年目は遊びだったけど。3、4年目は、「さぁ、どうやって獲ろう」って。
木村:で、今も真剣?
新庄:もちろん。今年が1番。今年はもう“優勝しないといけない”年なのよ。“優勝したい”じゃないのよ。そのレベルに上がってるから。
木村:クオリティがね。
新庄:ソフトバンクに2連敗してるけど、いつも“3連覇できずに、ファイターズに優勝を持っていかれる”っていう歴史なのよ。だから今年はそれになると思うよ。
木村:お、「なると思うよ」(笑)。「思うよ」ってこのテンションも普通じゃないんだよな〜。すげーな。
新庄:監督になれたことは、自分でもすごいなと思うね。
木村:いや本当だったら、その前に…。バリに何年いた? 結構いたよね?
新庄:14年ぐらい。お金もなくなってきてたのよ。
木村:俺、なんかの番組で見たんだけど、剛志が地元のスーパーで、節約した飯を作ってて。「ここチキン安いんだよね」とか言いながら買って、「大体自炊してるよ」って言って、「ここで暮らしてた」みたいな番組を見た時に、「一緒に遊んだりしてたやつが、今何してんだ?」っていう感覚でいたら、いきなり日本に現れて、またグラウンドにいたのよ。
新庄:気がついたら(笑)。
木村:あれ? っていう。それで、テスト受けてて…。
新庄:そうそう。ある日突然お金がない、って。まぁ、その何ヶ月前から「さあ、どうしていこうか」っていうのを考えながら、ある日突然パッと目覚めた瞬間に、携帯持って、インスタのストーリーに「みんな夢はあるかい?」、「1%の可能性があれば成功する。スタートをきろう」みたいな動画出して、「俺は野球選手になる」って(宣言した)。47歳の時に、全部配信したのよ。
やっぱ、男って先に言ったらやらないといけないっていうのがない? 言ってしまったら、成功させないといけない、っていう。
木村:うん、あるね。
新庄:そこからトレーニングを始めて。トレーニングの配信もずーっとやって。まずは、体がおじちゃんやったらもう取ってくれないと思ったのよ。体から変えよう、って。バッキバキにして(笑)。
テレビでもバッキバキをアピールして、体を見たら「こいつ、プレーさせたら成功するんじゃね?」みたいに思うぐらいの体を作ってたのよ。
木村:なってたね。
新庄:で、「プロ野球選手を目指します」って言って、次に取った行動が、ジャングルに行って、ボールぐらいの大きさの石を集める作業から始めたからね。
木村:また河原に戻ったんだね。
新庄:そうそう(笑)。丸いボールを投げて肩を作らないといけないから、投げては拾って、投げては拾って、トレーニングをしてた。ジムじゃない。ジムがないから。
木村:いや〜、今このラジオもしファイターズの選手が聴いてたら、結構やべえって思うよね(笑)。
新庄:いや、もうヤバいって思われてるから(笑)。
木村:もう既に(笑)。
新庄:もう4年目、5年目になったらだいぶ免疫ついてるけど(笑)。「ボスは何を言うてんの?」って。
木村:「この人が俺たちの監督」っていう。すごいだろうね。
俺、もう1個、剛志らしいなと思ったのが、清宮くん。
新庄:スラッガーね。
木村:お父さんと一緒に「スマスマ」来てくれた時があったのよ。その時はまだ、ガタイもちょっとドカベンチックな、ドーンとした…。
新庄:ぽっちゃり気味ね。
木村:彼の入団が決まりました。ファイターズです。行った先には新庄剛志っていうのがいて(笑)。そこで出会って、一言、「お前(体を)しぼれ」って(笑)。
新庄:いやいや、「デブじゃね?」って(笑)。
木村:だからさ(笑)。
新庄:いやでも、ごめんね。これ正直に言うけど、清宮くんには「デブじゃね?」とは言ってないから。
木村:誰に言ったの?
新庄:『デブじゃね』がワードになると思ったから、マスコミには「デブじゃね?」って言った。そしたら、『清宮デブじゃね?』(と報道された)。
これでいいのよ。やっぱね、新聞の売り上げにも貢献をしないといけないって頭が俺はあるから。そのワードセンスというか…。
木村:もう誰、これ?(笑)
新庄:だって、わざわざ北海道に監督として選ばれたからには、北海道を楽しくしないといけないのよ。野球だけじゃないのよ。それが「デブじゃね?」になったの。
木村:まあな。確かにな。
新庄:で、「もうちょっと痩せようや」って言ったら、「ボス、今体重ちょっと増やしてます」と。「減らすと、打球が飛ばなくなるのが怖いんですよね」って言ったから、「今でも全然飛んでないよ」って言ったの。「前の方が飛んでたじゃん。それは何でかわかる? キレがあるから。キレがあって、お前は元々パワーがあるんだから、1回痩せようや」って。「一緒に進んで行こう」って言ったら、次の日から毎日、早歩きのウォーキングを始めてくれて、シューっとしぼってきて。で、18本ホームラン。今まで0本だったのよ。しぼったお陰で(打てた)。
でもそれは、「痩せてくれた」ということがあったから。
木村:まぁ、結果ね。
新庄:そしたら、男前になったのよ。『anan』の表紙にも出だして(笑)。
木村:いや、そこは1つの基準かもしれんが。でも確かに、本当にかっこいい。見違えてる。
新庄:「モテるよ」って。そしたら多分、美容とかファッションにもこだわり出して。プライベートの時、服装もおしゃれになったな、って。
木村:そこもちゃんと見てるんだ。
新庄:もちろん、全て。グラウンドで1回咳したら「風邪じゃないか? 大丈夫か?」、そしたら「風邪でした」みたいな。ゴホン、を1回だけだよ。そこまで見てる。ちょっとフラフラしてたら、「大丈夫かな?」って聞きに行ったりとか。
木村:それでここまで来てますからね。
新庄:でも、今までは自分のことだけで生きてきた人生で。もう他の人なんかどうでもいい。俺が楽しければいい、っていう人生から、監督させてもらったら、俺のこの脳みそと、この選手を使うっていう考えだけで、選手たちの人生が変わるわけよ。
俺は、人の人生を変える方が面白いなと思ったの。自分の自由気ままな人生を歩むより、「人のためにどうするか」っていうのは面白いね。もの凄く。
[OA曲]
なし
2026年04月05日Flow 第四百一回目「拓哉キャプテン × 新庄剛志」Part1
今月のマンスリーゲストは、北海道日本ハムファイターズの監督、新庄剛志さん!
どんなトークセッションになるのか!? お楽しみに!
新庄:よろしくお願いしまーす!
木村:本当に来た! さっき、このスタジオに来てくれて「久しぶり〜!」って言って握手させてもらったけど、正確には、こうやって会うのは何年ぶり?
新庄:たぶん20年ぶりぐらいかな? 一番最初のきっかけが、「スマスマ」やもんね。「スマスマ」で、俺が野球のフォームを教えたりして。すぐできて(笑)、また当てて(笑)。
木村:で、その後に…。
新庄:めっちゃ美味い焼肉屋に行ったの。俺が奢ってもらって。あと、サングラスを一緒に買いに行ったり。
木村:服選びに行ったり、玉突き行ったり。
新庄:その付き合いでね。
木村:そう。過去を振り返ると、プロ野球選手時代からもよく剛志本人は「宇宙人宇宙人」ってよく言われてましたけど。
でも、急に「俺海外に行く」って言って海外行ったりとかっていう、「そういう訳わかんないことをやるけど、でも、いずれ…」みたいなお話は、ちらほら伺ってたから。監督になって、今ベンチに座ってるのを見ると、「うわ、本当になってるんだ」っていう。
新庄:なったってね(笑)。自分でも思うわ。「俺、本当になったんだ」。
木村:その時に、「こいつ、本当に頭の中で思ってることをそのまま口に出して言ってるけど、いや、正直それはないだろう」って思ってたことが、今もう形になって。それこそ、札幌ドームっていうのが今までベースだったじゃん。それが今、エスコンフィールドっていうのになってるけど、それも、「こうで、こうで、飯も食えて、ただ野球だけっていうのはつまらんと思わない?」みたいなこと言ってたのよ。
新庄:嘘! (エスコンフィールドが)できる前に?
木村:そう。で、「エスコンフィールドっていうのができます」って言って、「いや、こんなのできるんだ、すっげえ。…待てよ、これ誰か言ってたな。誰だったっけ?」って思ったら…。
新庄:俺だ! 俺は、あそこのエスコンフィールドの周りをディズニーランドみたいにして欲しいな、って。スケート場があり、映画館があり、モールがあり、いろいろ。
この間、俺ディズニーランドに初めて行って、「ソアリン」っていう乗り物があって。
木村:いろんな国を旅できるやつね。
新庄:そう! ここで最後にエスコンフィールドにたどり着いて、芝の香りが匂えたらいいな、とか思って。で、球団に言ったのよ。「こういうパークにしませんか?」って。
木村:監督が(笑)?
新庄:フロントに(笑)。いや、それも俺の仕事やから。
木村:そこまでやってんの?
新庄:もちろん! いかに喜んでもらえるパークにするか。お陰様で、むちゃくちゃもうチケット取れないのよ。エスコンフィールドのお陰っていうのもあるんだけど、強くなったからね。
木村:今、久々にこうやって会えて、話ができて、っていう熱だけで、進行がスタートしてしまいましたけど。
ラジオを聴いてくれているリスナーの皆さんにご説明させて頂くと、僕の目の前でゲストとして来てくれた新庄剛志。今現在、日本ハムファイターズの監督なんですけども。
プロ野球選手として、日本のプロ野球では14年間プレーし、アメリカのメジャーリーグでも3年間。あれはメッツですよね。
新庄:メッツ、サンフランシスコ・ジャイアンツで、また出戻りでメッツ。
木村:そうだよね。ゴールデングラブっていうすごい賞があるんですけど、10回獲ってますからね。
新庄:本当は11回なのよ(笑)。ゴールデングラブ賞とベストスニーカー賞が同じ日だったのよ。で、ベストスニーカー賞の方に行ったのよ。(ゴールデングラブ賞は)もう何個も獲ってるから(笑)。
木村:そういう、冗談ぽく言ってますけど、半分本気みたいなちょっと変わった人なんです。
新庄:(笑)。
木村:コメントの中で面白いものがありまして。「記録はイチロー選手に任せて、記憶は俺に任せて」っていう本人の言葉通りなんですけど。そうね。プロ野球選手の皆さんは野球のプレーで人を「ワッ」ってさせていたけど、あの日本ハムの背番号1番を背負ってた時のパフォーマンスとか、もう完全に…。「俺、次はどういうマスクにしようか」って…。
新庄:言ってたね(笑)。
木村:「あれ結構高いよ!」って言ってたのよ。
新庄:カエル行って、スパイダーマン行って、自分の顔面の…。
木村:それの前に、同僚のチームメイトも巻き込んで、「俺が赤な」とか、「お前黄色な。俺青な」とか。
新庄:ゴレンジャーね。やった、やった。
木村:その後に、顔がバババババっていっぱい付いてる…。
新庄:知ってんねぇ。
木村:「知ってんねぇ」って、ああいうエンターテインメントをやられたら普通に目に飛び込んでくるだろ。
それで現在は、日本ハムファイターズの監督になり、もう5年目なんでしょ? もう嘘みたいなんだよ。
新庄:俺の計画では、3年目で優勝して、っていう計画だったんだけど。2位になって(笑)。最後の最後の方でソフトバンクに負けた瞬間に、めちゃくちゃ腹立って。もうその時点で決めたのよ。倒す、と。…次の年、また2位。
木村:(笑)。
新庄:今年こそは、と!
木村:(2019年に)もう一度受ける・受けない…。ジャッジをする側に立つのか、打席に入るのか、っていうのを。
新庄:トライアウトね。47歳で。あの時は、打席に入る(方を選んだ)。
木村:「俺、行こうと思ったら両方行けるよ」っていう感じで(笑)。
新庄:まずは選手して入っといて、コーチ役じゃないけど選手たちに教えていきたいな、っていうのはあったかな。でも、最終的にはここなのよ。監督なのよ。段取りってあるやん。
木村:それ、「段取り」って言っていいのかな?
新庄:俺の頭の中の段取りがあるのよ。トライアウト終わった後にすぐ監督のオファーが来たから、「うわ、やっぱ俺ってすごいな」って。段取りを一気にポーンってゴールまで行ってしまうって。
木村:(笑)。
新庄:前に俺と飯食いに行った時に、「タク、役のセリフっていうのは、何文字ぐらい覚えんの?」って聞いて。「俺は大体、2週間前ぐらいに来た台本を、バーッてストーリー見て、暗記したって思ったら、車にポンって伏せて、スタジオに行く」って言った時に、「は? どういうこと?」って思ったのよ。俺、5行覚えるのにも半日かかるのに。
木村:いや、かかるよ。
こっちから返球させてもらうと、俺が動画観てて好きだったのが、監督目線で、「プロ野球選手を目指してる人たちの実力なんて、もうほぼ一緒なんだよね」て言ってる剛志がスタンドに座ってて、「見てて。打席にバッターが入って、ピッチャーが今から投げますよっていう時の、あの選手の足見てて」って言って。「何を言い出すんだろう?」と思って普通に動画観てたら、ピッチャーがボールを投げました、っていう瞬間に、「あいつステップ踏んどらんやろう。あれ駄目なんですよ」って、なんか急に言い出したりとか。
新庄:(笑)。
木村:「台本の何を覚えて」とか、「カタカナ何文字の専門用語をいかに覚えて」って、そっちから見ると特殊に見えるかもしれないけど、こっちから見たら、150キロ以上の、真ん中に鉄の塊が入ったあんな危ないものを、木のバットで…(打つ方がすごい)。
新庄:お互い、プロ同士ね。
木村:そう。だから、こっちからすると信じられない部分はもういくらでもあるし。
新庄:実際投げれるしね。投げてみて、「え、こっから25キロもスピード速いんだ」と思うよね。
木村:思う。
新庄:すごいよね。
木村:「すごいよね」って、監督が言う?(笑)
新庄:本当にピッチャーはすごいと思う。
木村:いや、ピッチャーもそうだし、それを打ち返す(バッターも)…当てるだけじゃないじゃん。 だって、ある程度の自分の腕力と体幹がないと、あのスタンドまで届かせることできないでしょ。
新庄:そうだね。間違いない。
木村:でしょ? だから一緒だよ。
新庄:本当に尊敬するんだよね。
木村:俺はもう昔っから言ってるけど、スポーツのジャンル関係なく、野球にしても、サッカーにしても、ゴルフにしても、全て。“プロフェッショナル”のスポーツ選手。オリンピックメダリストもそうだけど、もう尋常じゃない。
新庄:あなたもよ。すごい俳優さんいっぱいいるけど、作品で出た数と、視聴率とか、人気にさせたあなた。それはすごいことよ。
木村:いやいや。ここで2人で、お互いに拍手をずっとし合ってるラジオっていうのも、ちょっと気持ち悪いので。
新庄:そうね、聴いてる方はおもんないね(笑)。
木村:ちょっと剛志の人生をフィードバックしてみようかな、と思うんですけども。
1972年1月28日生まれ。福岡県出身?
新庄:出身はね。生まれは、長崎県対馬。対馬の四畳半の部屋で生まれたんよ、俺。
木村:対馬なんだ。その後に大阪?
新庄:親父が造園をするっていうことで、福岡に。で、福岡で育った、という。
木村:小っちゃい頃は? いきなり野球じゃないの? サッカーなの?
新庄:野球が一番最後。一番最初はマラソンなのよ。マラソンが大好きで。
木村:何で好き? マラソンってさ、好きになるのは難しくない?
新庄:いや、俺は運動神経も半端なくすごかったから。将来は瀬古さんになりたかったのよ。瀬古さんと、イカンガーっていうランナーがいて。
木村:いたいた! あと、宗兄弟。
新庄:そう。平和台競技場からスタートしてゴールする福岡国際マラソンを、俺は観に行ったのよ。その時の瀬古さんがカッコ良すぎて。だって、42キロずっと着いていって、平和台競技場に入って歓声を浴びて、150メーターでラストスパートして、1位なんだから。
俺、マラソン大会でずっとそれ真似してたもん。もう余裕なんだけど、「早く行けや、1位」って思いながら(1位の後に着いて行って)、最後のラストスパートで抜く。「俺は瀬古さんになりたい」ってずっと思ってて。(憧れたのは)仮面ライダーじゃなかったのよ。
木村:へ〜、瀬古さんだったの(笑)。マラソンなんだ。
新庄:マラソン。で、その後にサッカー。普通に皆で遊びのサッカーでやったら、「俺、めちゃくちゃドリブル速くね?」って、「むちゃくちゃキック力あるよね」って。俺がガーンって蹴ったら、キーパーがもう逃げるぐらいのキック力だったの。
で、サッカーと同時に、ソフトボールを始めたのよ。
木村:ソフトなんだ。
新庄:ピッチャーして。親父に「マラソン選手と野球選手って、どっちが儲けられるの?」って聞いたら、「そりゃ野球たい」って言うから、「じゃあ野球してみようか」っていうのがきっかけかな。
「じゃあちょっと河原行くばい」って言って、「この石投げてみ」って言われて投げたら、もう小学校4年生ぐらいで90メーターぐらい投げてたのよ。そしたら親父が「ありがとう」って。もう「プロ野球選手だ」って思ったみたいで。
木村:待って。河原の石を投げて判断したの?
新庄:親父はね。ボールじゃなくて、石。
木村:「あ、こいつ行けるな」って。
新庄:野球してたから、遠投するフォームでわかったみたい。
木村:でも、お父さんは別にプロスポーツ選手じゃないよね。
新庄:野球選手になりたくて、やってたの。
木村:そういうのはあったんだ。
新庄:できなくなったんだけど、そのできなかった夢を俺に託して。マラソンとかサッカーしてるけど、親父の中ではもう野球。で、稼げる、と。
で、中学校から野球し始めたら、俺より上手い選手が3人いたのよ。3年間、1人ずつ抜きながらやっていく中で、1位にいがらしだいすけ君っていう子がいて、この子に全然勝てなかったのよ。それが悔しくて、悔しくて、練習しまくって、高校にも行って野球やったら、プロになった。だから、いがらし君のお陰なのよ。
いがらし君も、「新庄がプロ野球選手になれるんだったら、俺、絶対になれたよね」って。(いがらし君は)高校3年の時に肩壊したのよ。
木村:それで野球っていう道からは…。そうなんだ。でも、スポーツの世界ってそれも含め、だよね。メンタルだけじゃなくて、フィジカルがついてこなかったら無理だもんね。
で、高校も(野球を)続け…。
新庄:高校も続け、「もうプロ野球選手にしかならない」、という。親父に、「勉強せんでいい」って(言われた)。「勉強もスポーツもしたら中途半端になる。もうお前はプロ野球選手になるんだから、野球だけしなさい」と。
だから、本当に学校の授業に行かずに、野球の練習だけしてた毎日やったね。
木村:高校で?
新庄:うん。上手かったから、何にも言われないのよ。それも。「あいつはプロに行く選手」って、もう高校自体が思ってたから。
木村:でも実際それでプロになって、入団したのが阪神。
新庄:そう。そこもね、ドラフト5位だったのよ。ドラフト5位、阪神でかかって。
11球団が挨拶に来るのね。「お願いします。もう2位じゃ取れません。1位で行きます」みたいな話だったのよ。
で、生放送でドラフト会議が始まって、「お、来るね」って用意してたら、1位も2位も3位も4位も、名前出てこん(笑)。もう俺、ふてくされちゃって。「大人の世界は嘘つきが多い」って。「1位。せめて2位だろう」と。そしたら阪神5位で、「行きたくねーなぁ」ってなって。
木村:(笑)。
新庄:変なプライドがあったのよ。でも、「5位から這い上がって、まず1位のやつを抜いて、そこから1軍に上がってスターになっていく、っていうのも面白いかな?」って考え出したのよ。
木村:それは自分の中だけで?
新庄:自分の中だけで。ドラフト1位やったら、期待されて試合にもいっぱい使ってもらえるやん。だから5位から這い上がっていこうと思って、もう3年目で掴んだね。
木村:掴んだね(笑)。
新庄:もっとかかるかと思ったら。
木村:本当だったら「何だそれ?」って言いたいんだけど、実際掴んでるから、何も言えないんだよな。
[OA曲]
なし
2026年03月29日Flow 第四百回目
今週はみなさんから頂いたメッセージを元にトークしていきます!
最後までお付き合いよろしくお願いします。
まずは、現在公開中の映画「教場 Requiem」を受け取って頂いた皆さんから感想メールが沢山届いていますので、ご紹介させて頂きます。
【兵庫県 かよっぷ 44歳 女性】
拓哉キャプテン、こんにちばんっ☆
「教場 Requiem」公開初日に映画館で観させていただきました。
スクリーンからも伝わる「緊張感」と大きなスクリーンならではの「大迫力」、そして卒業式のあと風間教官が205期の卒業生ひとりひとりと言葉を交わすシーンに、目頭が熱くなりました。
更にエンドロールの最後には衝撃のラストカット…
本当に見応えのある作品でした!
単なる「Reunion」の続きではなく、教場シリーズの全てが入った詰め合わせギフトのような作品を届けて下さったキャプテン、中江監督、キャスト、スタッフの皆さん、本当にありがとうございました(>ω<)
また風間教官と訓練生達に会いに映画館へ足を運びたいと思います!
木村:本当にたくさんの感想メールがこちらの方に届いております。本当に皆さんありがとうございます。
かよっぷも来てくれたという公開初日のタイミングには、舞台挨拶をさせて頂きまして。「せっかくやらせてもらえるんだったら、何か面白いことしたいよね」っていう。
今回、「教場」の「Reunion」もそうだったし、「Requiem」ももちろんそうなんですけど、東邦の宣伝部の森田さんっていうスタッフが、撮影現場から、作品自体の空気感もそうだし、「どうやったら観てくれる人にわくわくしてもらえるかな」とか、すごいしっかり考えてくれて。皆さんはどういう感じで楽しんでくれたのかなっていうのが、こうやって感想メールを見させてもらったり読ませて頂いたりとかすると、やっぱり「やってよかったな」とか、「考えた甲斐あったな」っていうか。
初日にお面みたいなやつを配らせてもらったんですよ。
よく『初日舞台挨拶』みたいな感じで、客席に座ってらっしゃる皆さんとキャストが一緒に1枚の写真に納まる、っていうやつあるじゃないですか。そういう時に、割と個人的に気になっていたのが、映画のチラシとかパンフレットとかで顔を覆って、顔バレしたり身元がわからないようにちょっと目だけを出して「イェーイ」ってやってくださってる方たちとかが結構な割合でいらっしゃるな、っていうふうに思ってて。
それで、スタッフと話した時に、「あ」っていうただの思いつきだったんですけど、「マルコヴィッチの穴」っていう映画が以前ありまして。映画館の全てのシートに、ジョン・マルコヴィッチさんっていう方が座られているポスターがあったんですよ。それをちらっと思い出して、「もし、風間公親のお面みたいなのを作れた場合、皆さんにお配りして、右目が義眼の設定なので左目だけに穴を開けて、それで皆さんの顔前に持って頂けたら、客席に座ってるのがみんな風間公親っていうのもちょっと気持ち悪くて面白くない?」っていう話をしたら、すぐに行動に移してくださって、作ってもらったりとか。
それを当日に劇場の皆さんにお配りして、写真に収めたら、ちょっとああいう異質な1枚の絵作りをさせてもらえることができて、非常に助かったんですけど。
もう本当に「俺らがマイクフォローに行った方がいいんじゃない?」とか全部具現化させてもらったので、やってる時も楽しかったし、考えてるときも楽しかったし。何より、本番でその場にいた方たちに喜んでもらえたっていうのが、すごく楽しかったですね。
続いてはこちら!
【埼玉県 ハル色のコート 53歳 女性】
拓哉教官、もとい、拓哉キャプテンこんにちわ!
「教場」観ました!
198期、200期の生徒のその後が観られたのも良かったけど、ドラマ「プライド」ファンのワタシとしては、坂口憲二さんと拓哉キャプテンの共演に加えて、拓哉キャプテンと一緒のシーンはなかったけど、松本幸四郎さん(プライドでは市川染五郎さんでしたよね)が出演されたことも嬉しかったです。
そこで拓哉キャプテンに質問です!
松本幸四郎さんが映画の中で解剖医の池上先生と紹介されたとき、「ん?」と思いましたが、その後のシーンでホワイトボードが映って、そこに「池上友則」って書いてありました。
そのまんまプライドでの市川染五郎さんの役名じゃないですか!?
松本幸四郎さんの役名は、なぜプライドと同じなんですか???
観るたびに気になるので、ぜひ教えてください。
まさか、たまたま偶然同じ役名だったとか?
木村:これはもう、完全に中江監督の遊びっすよね。
僕自身は同じシーンでの共演はできなかったんですけど、解剖医さん…池上先生の解剖シーンの撮影の日は、僕も現場に行きました(笑)。「おはようございます」って言ったら、「えー! 来てくれたの!?」みたいな感じで。「いや、もちろん。やってるって聞いたら来るでしょ」、「本当に今回はありがとう」って言って、ちらって、俺もホワイトボードに目がいったんですよ。
パッと見た時に『池上友則』って書いてあって、「待って、これどっかで聞いたな?」って思いながら監督の顔をしらってみたら、監督がすごいニタァッて笑いながらこっちを見てるから、「ああ」ってすぐに分かって、「なるほど」っていう。
これもう完全に「プライド」の友くんのまま、あの時も池上友則だったんで、「なるほど、そういうことするんだ」っていう感覚で、「じゃあ撮影お願いします」って言って。
なんかああいう、「本当に来てくれてありがとう」って言ったら、「いや、当たり前でしょ」みたいな感じで答えてくれたのがすごく嬉しかったし、そこに気づいてくれるお客さんもいてくれるのがまた嬉しいですね。
もうまさにその通りです。たまたま偶然っていうよりかは、むしろ監督が「そこに気づいてくれたら嬉しいな」っていう感じで、置きに行ってる感じでしたね。
そして、こんな可愛い感想メールも頂きました!
【愛知県 いろは 12歳 女性】
木村さん、こんにちは。
私は12歳、小学6年生です。
映画『教場 Requiem』を、家族みんなで映画館に観に行きました。
映画館の大きなスクリーンで見ると、すごく迫力があってドキドキしました。
最後まであきらめない風間教官と生徒の皆さんの姿を見て、私も4月からの中学校生活を一生懸命頑張ろうと思いました。
家族で映画を観た後は、みんなで感想をたくさんお話しして、とても楽しい一日になりました。
まだまだ寒い日が続きますが、木村さんもお身体にお気をつけてください。
木村さん、大好きです!
木村:めっちゃ嬉しいっすね。こういう「皆で感想をたくさんお話して」、「とても楽しい1日になりました」っていう。もうこれですよ、これ。映画、これ。もう一番嬉しい。
でも今回の映画「教場 Requiem」は、年齢制限がPG12なんですよね。だから、12歳未満の方が鑑賞する際には、理解しにくいテーマとか表現が含まれる可能性があるので、保護者の方の助言だったりとかがちょっと必要かな、っていうふうになる作品ではあったんですけど。いろはちゃんもちゃんとご家族で観てくれたということなので。まぁ、若干、クリスマス前後の時期のあのお話は、いろはちゃんには「ん?」っていうふうになるとは思いますけども。でも、感想を家族で話してくれてるっていうのが、もうめっちゃ嬉しいです。
いろはちゃんも、中学校生活はいろんな新しい先生だったりとか、クラスメイトだったりとかとの出会いがあると思いますけども、諦めずに。きっと風間は中学校にはいないと思いますけど、あれは普通の学校にはいない方がいいと思いますんで(笑)。いろはちゃんには、できるだけ毎日笑顔で過ごしてほしいな、と思います。
前編となる映画「教場 Reunion」は、Netflixさんの方で配信中。
そして、後編となる映画「教場 Requiem」の方は、現在も劇場公開中! とのことなので、良かったら皆さん、是非受け取ってほしいなと思います!
[OA曲]
M.今日という日を/Uru
2026年03月22日Flow 第三百九十九回目「拓哉キャプテン × ヒコロヒー」Part4
今月のマンスリーゲストは、ヒコロヒーさん!
ヒコロヒーさんとのトークも今週が最後!
ヒコロヒーさんにとっての「人生の1曲」も伺います!
木村:こっからちょっとプライベートについても伺いたいと思うんですが。公式のプロフィールによると、競馬、麻雀、映画が趣味。それで特技が、盲牌(もうぱい)。これは麻雀をされる時に、目視せずとも、ツモった時に指の感覚で「ソウズ来た」とかっていうのが、全て分かる、と。
ヒコロヒー:はい。
木村:あとは、日常会話レベルの英語。そして韓国語。
ヒコロヒー:ちょっと韓国語は、最近あんまり喋れなくなってましたね。
木村:でも何で、英語も韓国語も日常会話レベルにいけるようになったんですか?
ヒコロヒー:いや、英語は単純に、25歳の自分の誕生日に…。その当時は全く売れてもないし、ネジの検品とスナックやりながらネタだけ書く、みたいな生活で。女の25歳って言うと、もう友達は恋人ができて、ボーナスで海外旅行行って、最新の化粧品が…とか、皆がそうやってる時に「私は何もないな」って思って。資格らしい資格もないし、お笑いも辞める気ないし、25歳の時にどうしようかな、ってなった時に、「1年に1か国語ずつ勉強していこう」と決めたんですよ。
木村:何だ、そのスイッチの入り方は。
ヒコロヒー:「30歳になった時は5か国語喋れる計算になるぞ」って思って、1年目で英語を勉強し出して。そしたら、ちょっと分かると楽しくなってくるから、しかも東京って自分のいるお店にも海外の方とか来てくださってたので、使えば使うほどどんどん楽しくなっていって、ちょっとだけ習得できたかな、みたいな感じです。
だから本当に最初の1年とかはテキストで勉強しました。
木村:でも、ネタも作ってたよね?
ヒコロヒー:はい。ネタも作ってました。
木村:それをやってたのに、よく「1年に1個言葉を覚えよう」ってなったね。
ヒコロヒー:だから、ちょっとネジの検品のシフトを減らしましたね。
木村:それがネジに響くんだ(笑)。
ヒコロヒー:はい(笑)。
木村:で、韓国語もそれの流れで?
ヒコロヒー:韓国語は、好きになった人が韓国の方だったことがあって、韓国の方とお付き合いしてた時にちょっとずつ喋れるようになって、っていう感じでしたね。
木村:へえ〜。でも麻雀が好きなんだね。
この間、自分が30年ちょっとぶりに会った「おお、久しぶり!」っていうヤツが、プロになってて。
ヒコロヒー:えー、すご!
木村:いや、元々共演者だったんですけど。その当時はバッチバチで「何だ、こいつ」というノリだったんですけど。お互いに色んな作品を経て…っていう。
ヒコロヒー:私の想像する方で合ってれば、彼の打ち方ってやっぱりすごいですもんね。私も拝見してます。
木村:(萩原)聖人です。そんな、オブラートに包まなくてもいいです(笑)。
ヒコロヒー:わからへんから(笑)。
木村:じゃあ、インドアかアウトドアかで言ったら、どっちなんですか?
ヒコロヒー:でも、外出かけるの好きなんです。それこそ釣りも好きですし。
木村:え?
ヒコロヒー:そうなんですよ。だから、たまに見さして頂いてます。釣りに行ってらっしゃる姿を。
木村:俺?
ヒコロヒー:はい。SNSなどで。
木村:剣道もやってんの?
ヒコロヒー:剣道は、東京に来た時に(笑)。
木村:嘘でしょ? 地元でじゃなくて?
ヒコロヒー:地元じゃなくて。もう本当に今でも一番戻りたくない時代なぐらい、上京したての時が一番きつかったんですよ。友達もいない、お金もない、家に風呂もついてない、みたいな時に、「メンタルを強化しよう」って思って。で、調べて、社会人で無料でできる道場みたいなのが武蔵小杉の方にあって、そこに行って。
でも、今よりももっと内向的と言うか、社交性の欠片もなかったような時期なので、行ったら、まず剣道って何いっぱい声を出させられるんですよ。
木村:出すよ?
ヒコロヒー:「おはようございます!」ぐらいなら別にいいんですけど、気合い? 「ヤー!」「コテー!」とかってやるのは、練習する時にそれがもう恥ずかしくて。
木村:ああ、まぁ確かに。
ヒコロヒー:そしたら、それが先生に見つかって、皆がバーッて並んでる中で「ちょっとあなた、前に出て1人でやってみてください」って言われて、「ヤー!」とかってやるのがもう本当に嫌で。でも、この嫌なのを頑張って耐えるんだ、ということで半年ぐらい通ったんですけど。
木村:自分自身を変えようと思って?
ヒコロヒー:はい、そうです。もう今思い出しながら喋ってても変な汗が出てくるぐらい、あれは本当に修行でした。
木村:だから、そこに自分を持ってくのがさ。幼少期でもないわけじゃん。大人になってからでしょ?
ヒコロヒー:はい。
木村:1年に1か国を覚えようとかさ。何なん? どっちなの? 共存してんの?
ヒコロヒー:何と何が、ですか?(笑)
木村:分かりやすく言うと、受け身と、攻め手と言うか。
ヒコロヒー:いやでも多分、10代の時が本当にちゃらんぽらんだったので、未だに「ちゃんと学校に行って勉強しとけばよかったな」とか思いますし。それが多分20代超えたぐらいの時に、ガッと来たんじゃないですかね。「何にも知らんな」とか。
部活もやったことがなかったから、部活をやってきた人たちの感覚も分からない。協調性とか、時間は何分前に集まるとか。
木村:それこそ、もし剣道とかを幼少期にやってた場合は…。
ヒコロヒー:もうちょっと違う人間になれてたんじゃないかな、というふうなことを、その辺りですごく思ったんでしょうね。
木村:だって部活とか経験してなかったら、忍耐とか意味わかんない、何やってんの? って思うもんね。
新宿の歌舞伎町の方に…「お店を出した」んじゃなくて、「お店を購入した」って何なんですか?
ヒコロヒー:買ってしまいました。本当にざっくり言うと、ちょっと通ってたワインバーがあって、そこのおっちゃんが結構好きで通ってたんですよ。本当にはすっぱな感じで、「ワイン飲まないなら帰れよ」とか、「ワイン飲む時タバコ吸うんじゃねーよ」とか、あと、ちょっと面倒くさいお客さんとかには「もうお代はいらないから帰ってくれよ」みたいな、結構はっきりした感じのさっぱりしたおっちゃんが好きで。
それで行ってたんですけど、そのおっちゃんが去年の2月に急に死んじゃって。奥様に「店どないするんですか?」って聞いたら、「もう売りに出そうと思ってます」って言われたんで、「ほな、わし買います」って言っちゃって、買っちゃって。
買っちゃったはいいものの、経営のこととかお店をやるなんてしたことがないから、「これどうしよう?」って言って。
そんなことを言ってたらYouTubeのスタッフが面白がってくれて、ちょっと企画ってことじゃなくてドキュメンタリーっていう形で、どうなっていくかを追っていきましょう、みたいなのをYouTubeでちょっとやったりとかしつつ…っていう感じですね。
木村:じゃあ、お店は買わしてもらったけど、それを「わし、これをどうすりゃいいの?」っていう。
ヒコロヒー:そうですね。そこから始まって…。
木村:今は?
ヒコロヒー:オープンしましたね。
木村:それは、どういうお店にしたんですか?
ヒコロヒー:「働きたい」って言ってくれた人たちがいて、その中から5人を選ばしてもらって。ご飯の美味しいフレンチのシェフがいたので、自動的に「ビストロフレンチ」になって。
あとワインセラーも大きいやつがあったので、そのままワインもいっぱい置いて、どういうわけだか、歌舞伎町でまさかのビストロフレンチのお店になりました。
木村:お?
ヒコロヒー:なんですか?(笑)
木村:いやいや、なんか聞き慣れたワードがいっぱい飛び交ったんで、おお、っていう、素通りできないなっていう感じはしたんですけど。
ヒコロヒー:キャッチしてくださって(笑)。で、ちょっと今歌舞伎町でお店をやってますね。
木村:「やってる」でいいんですね。「出てる」ではないですね?
ヒコロヒー:そうですね。関わってる。全然店にはいない。
木村:ちょっと楽しそうっすね。
ヒコロヒー:はい。是非、完全会員制というちょっと生意気な方法をとらせて頂いてるので、もし新宿に来られることがありましたら。
木村:でも、完全会員制なんでしょ? 会員になってないもん。
ヒコロヒー:もう会員です。私と知り合いの人はもう全員会員なので。
木村:「昨日何食った?」って言える人は、入れる?
ヒコロヒー:はい、入れます(笑)。
木村:それはお店の人に「すいません。どちらのご紹介ですか?」とかって言われるんでしょ?
ヒコロヒー:言われないです。もう私のツレなんで(笑)。
木村:(「ツレ」が)出てくれた、良かった。
ヒコロヒー:いや、あんまり目上の方に言う時、やっぱ一瞬憚られますね。「ツレって言ってええのんかな?」って。
木村:いやもうツレなんで。以後、「ツレ」でお願いします。
ヒコロヒー:ありがとうございます。
木村:今月はマンスリーゲストに、棟梁ことヒコロヒーさんをお迎えしてお送りしてきました。
TOKYO FMで「トーキョー・エフエムロヒー」を毎週木曜、夜8時から55分の放送中。
ヒコロヒー:ありがとうございます!
木村:今後、2026年、「こう行きますよ」とか「行ったるぜ」っていうのはあります?
ヒコロヒー:私、僭越ながらですけど、木村さんで何か書きたいです。実現するなんてきっともうずいぶん未来の話になると思いますけど、今日お話させて頂いてて、初めて「あっ」て。それこそ、“伝説の鬼”みたいなイメージだったんですけど、それが生身で2時間ぐらいお話させて頂いて、色々「こんなこと言って欲しいな」とか、「こういう街に立ってみてほしいな」とかが、実はうっすら…僭越ながらですけど。
私はまだペーペーなのでアレですけど、何か形になれる時が来たらちょっと書いてみたいな、っていうのは、今日、うっすら芽生えました。
木村:本当ですか? でもそれがね、いつか…。現場の踏み方としては色んな踏み方があるかもしれないですけど、それもある意味“共演”になりますもんね。だから色んな共演ができたらいいですね。
ヒコロヒー:頑張ります。ありがとうございます。
木村:この番組は毎回ゲストの方に「人生の1曲」っていうのを伺ってて。FM局なんで。ご自身の番組で「私が選曲するよ」っていう筋を通してる人にはちょっと言いづらいんですけど。ゲストの人の「人生の1曲」っていうのを伺ってるんですけど、何になりますか?
ヒコロヒー:「人生の1曲」は、中島みゆきさんの「ファイト」でございます。もうこれは、何度助けて頂いたかという、本当に人生の1曲です。
木村:マジっすか。それは中高で?
ヒコロヒー:もうずっとです。本当に私、ファンクラブに入ってた時期があるぐらいみゆきさんが大好きで。今回いろいろ悩んだんですが、やっぱり一番聴いて、一番奮起させて頂いてきた曲かな、ということで。
木村:なるほど。何か、選曲もすっと腑に落ちたな。ありがとうございます。
ヒコロヒー:ありがとうございます(笑)。
[OA曲]
M.ファイト/中島みゆき
2026年03月15日Flow 第三百九十八回目「拓哉キャプテン × ヒコロヒー」Part3
今月のマンスリーゲストは、ヒコロヒーさん!
まだまだトークは続きます!
木村:2021年に齊藤京子さんと一緒にやられている「キョコロヒー」さんがスタートし、2021年の段階では、もう出演本数ランキングでは5位に入られてて。
ヒコロヒー:ありがたい。
木村:前年まで18本だった出演本数が、1年で210本。
ヒコロヒー:はい(笑)。2025年は多分300とかになってたので、疲れてます。
木村:それ、何だと思う? 何故そこまで求められると思う?
ヒコロヒー:でも私も、自分事ながら非常に興味深くて。多分、世の中が疲れてたんじゃないかなと思いましたね(笑)。
それまでの、いわゆる女芸人とか芸人が求められてるようなことが、私は基本的になにひとつあんまりできなくて。愛嬌もないですし、可愛げもないので、今までの方々のような明るさみたいなところを持ち合わせてない自分みたいなのが、パッて皆様に注目して頂くって、世の中が疲れてたのかな、っていうのをちょっとだけ思いましたけどね(笑)。
木村:でも、だとしたら、めちゃくちゃ必要な処方箋ですよね。疲れてたところに求められるって、とんでもないよね。
ただ単純に、皆は“楽”とかを求めがちだけど、疲れたところに“楽”は求めないもんね。疲れてたら回復を求めるじゃん。リカバーを。
だから、そこに求められてたのかな? っていう分析で考えると、相当な存在ですね。
ヒコロヒー:いやいや。無理してない感じとかが、時代とちょうどよかったんですかね。
木村:でも、無理してるじゃん。
ヒコロヒー:めちゃくちゃ(笑)。働き者なんで(笑)。
木村:そして現在は、俳優業だったり、ラジオだったり、コラム連載だったり、脚本っていう活動を展開されてますけど。いや〜大変だな、これ。
ヒコロヒー:いやでも、全然まだ本当に「勉強させて頂いてる」っていう感じなんで、お笑い以外のことに関しては、あんまり大変って思えるところまで到達してない感じですね。
木村:でもさ、「映画大好きだったんで」ってさっき仰いましたけど、それは観るのが好きだったんですか? 何で映画好きだったんですか?
ヒコロヒー:何で好きだったんですかね? あ、「TOKYOタクシー」も最高でした。
木村:またそんな、無理しなくていいって。
ヒコロヒー:無理してない、無理してない(笑)。
木村:それこそ松竹ですからね(笑)。
ヒコロヒー:そうですね(笑)。
木村:俺、葛飾柴又に行きました。
ヒコロヒー:ほんまに、もう最高でした。
木村:“観る”っていうコミュニケーションではなく、今現在はそこに“いる”じゃないすか。その“いる”感覚はどうですか?
ヒコロヒー:もう本当に夢みたいです。今、ラジオもそうなんですけど、毎週自分の番組のラジオブースに入るたびに「夢みたい!」と思います。ラジオとか始まって5〜6年ぐらい経つんですけど、いまだに。
だから映画も、現場に行くたびに「夢みたい」って思います。小道具さんとか、照明さんとかが、ずっと本とかドキュメンタリーとかで見てたような「あ、これがあの本で読んだ〇〇っていう道具なんや」というふうなことをしてるのを、こうやって自分の目で見られることが、いまだに「すごい、夢みたい」って感じです。
木村:そして、作家さんとしても、2024年に出版した短編恋愛小説「黙って喋って」が、島清恋愛文学賞を受賞。
ヒコロヒー:いい声でありがとうございます(笑)。
木村:でもこれ、実際に芸人さんをされている方がこういう活動で受賞するっていうのは、創設以来初めてのことだったらしいですね。
ヒコロヒー:はい、そうみたいですね。もう訳がわからない思いです。
木村:でもやっぱそういうところにちゃんと届いてるんだもんな。
ヒコロヒー:本当にありがたいですね。今年の年明けぐらいに、金沢でこの賞の授賞式があったんですよ。その時に、多分私がどういう立場か、っていうのを度外視で、本当に本だけを見て決めてくださったんだな、っていうことがすごく嬉しかったこともあったんですけど。
本当に私のこと知らないから、ちょっとカチッとしたスーツを着た運営の偉いっぽいおじさんが、待機してる私のところに焦った感じでパッと来て、私に向かって「すいません! ヒコロヒーさんってどこにいます?」って言うから(笑)、「えっ?」て思って。「ほんまに知らんやん、私のこと」ってなって、そんな感じで言われるから私も焦っちゃって。
木村:一緒に探した?
ヒコロヒー:そうです。「あっちにいました」とか言って(笑)。で、10分後ぐらいにうちのマネージャーが来て、「なんかさっきおじさんに、『ヒコロヒーさんですか?』って聞かれたんだけど」って、もう情報が錯綜して(笑)。
だからそれぐらい、本当に本だけを見て決めてくださったんだな、っていうのがありがたかったです。
木村:何か、“ほどよい”んだよな。“トゥーマッチじゃない”って言うか。そんでもって、色気が若干あるんですよ。その「黙って喋って」っていうのが、そう感じるんですよね。
ヒコロヒー:えー、嬉しいです。
木村:本当に。「色」だけじゃなく、ちゃんとそこに「気」が隠れてるって言うか。表面上はちゃんと「色」が「あ、どうも」っていう感じでいるんだけど、「え、行かない方がいいよね」っていう感じの「気」がいる感じ。
ヒコロヒー:OLみたいな感じの「私は今行かない方がいいかな…」。
木村:うーん、だから、立場上、空気を読むツレ。
ヒコロヒー:出すぎず、引っ込みすぎず。
木村:そう。「今、自分が前に出てて、ここが盛り上がる」っていうよりかは、「今は皆で盛り上がってるよね」っていうのをちゃんと俯瞰で見れるツレ(笑)。
ヒコロヒー:(笑)。ありがとうございます。
木村:でも、さっき仰ってましたけど、ラジオもやってるんですよね。
ヒコロヒー:そうなんです。
木村:TOKYO FMさんで。
ヒコロヒー:ありがとうございます。木曜日の夜8時から「エフエムロヒー」というラジオをやっておりまして。
今日はすごかったです。さっき自分の番組の収録が終わったんですけど、今日の収録の時、うちのスタッフたちが「いや、今日はキャプテンの収録ですもんね。ヒコロヒーさん、このあとね。今日はね、キャプテンのね…」とかって。もう男子スタッフたちがもう「うわーすごい!」って、うちのスタッフ、皆今日勝手に見学とかに来てて(笑)。
木村:なるほど、そうか。同じTOKYO FMさんの中では、自分のこと「キャプテン」って呼んでもらってるんですか。
ヒコロヒー:キャプテン。
木村:そうなんですね。「キムタク」じゃないんですね。へぇ〜。
その「エフエムロヒー」さんでは、どういった感じの内容を?
ヒコロヒー:いや、本当に大したこと喋ってないですね。もうくだらない…。
木村:公共の電波を使って、くだらないことで50分はいけないですよ。
ヒコロヒー:本当にそうなんですよ。ひねくれてるので。
木村:何に対して? リスナーからの何か?
ヒコロヒー:そうです。リスナーからのメールとかに対して、ちょっとほっこりするようなお便りが届いたりとかすると…。私の番組、子供からお年寄りまで、すごいお便り頂くんですけど。
木村:ここも来ますよ。小学生から、80何歳の先輩もある。
ヒコロヒー:それはさすがです(笑)。8歳の女の子からのお便りとか来たら、「ラジオ捨ててくれ!」みたいな(笑)。「もう私のラジオなんか聴かんといてくれ!」、「こんな大人になるな!」みたいなことばっか言って、それだけで50分終わったこともあります。「聴かんといてくれ」って言い続けるだけの回とか。本当にいつTOKYO FMさんをクビになるかわからん。
木村:リスナーとしては、かなりドキッとするラジオですね。聴いてる人的には、「聴かんといてくれ」って言われたら。
ヒコロヒー:もう平気で言ってます。「やめてください。品行方正な人間になりたかったら、今すぐラジオ変えてください」って(笑)。
木村:「今すぐチャンネルを変えろ」ってね。それ、自信があるからこそ言える言葉ですからね。覚えといてね、リスナーの皆さん。すぐに「チャンネルを変えろ」とか、テレビで仰る方もたまにいらっしゃるけど、これは覚えておいてくださいね。
ヒコロヒー:分析するのやめてください(笑)。
最初、番組始まった時に、番組から「これをかけてください」「あれをかけてください」って言われるのがすごく嫌で、「嫌です」って言って。
木村:AMさんでもなく、TOKYO FMに来てるのに?
ヒコロヒー:そうです。本当にラジオが好きだったので。私の好きなパーソナリティの皆さんは、かける音楽にもすごく愛情があったり、そこにメッセージを込められたりとかしてて、そういうパーソナリティさんがやられるラジオをずっと好きで聴いてたので。
TFMさんでラジオやらせて頂くってことになって、もうそれこそ山下達郎さんのラジオをずっと聴いてたから、「わー嬉しい!」って来てみたら…。しょうがないんですけど、大人の事情とかお付き合いで「これかけろ」「あれかけろ」って言われて、最初のうちはおとなしくやるんですよ。やるんですけど、3週目ぐらいでもうどうにも無理で…。
木村:早いね。3週目にそれが始まるって結構だね。
ヒコロヒー:で、自分みたいな身分というか立場で言わして頂くのも生意気なんで、「これをやるのであれば、多分私じゃない人にした方がいいと思います」なんていうお話をさして頂いて。「私がやる必要がない」みたいな(笑)。
木村:(笑)。
ヒコロヒー:「私がやるんだったら、ちゃんと責任持って全部やる」って言って。それで、TFMのスタッフの皆さんが完全に折れた形で、「じゃあもう好きにやってください」っていうことで、今は本当に全部やらせて頂いてます。
木村:わかった。もう、大工の棟梁だね。
ヒコロヒー:(笑)。一番偉い人ってことですか?
木村:いやだから、いやそれぐらい責任を持つってことですよ。「やっとけ」って言われたことを「はい」って言って、汗をかきながら一緒に物は作るけど、要は、そこのケツ拭きと言うか、「何かあったら俺が責任取る」っていうスタンスだね。
ヒコロヒー:そう、それができない。それができなくなるっていうのが、ちょっと心苦しかったですね。
木村:なので、第3回目にして、早くも大工の棟梁的な症状が発症し…。
ヒコロヒー:発症しましたね。
木村:で、今に至る。「今回はこれ」っていう選曲をする時の決め所はどういうところなんですか?
ヒコロヒー:そうですね。でも基本的には、最近自分が聴いて「あ、これを紹介したいな」とか。あとはお便りに基づいて、「今自分はこういう状況です」なんていうお便りを送ってくださった方に、自分みたいなものが言葉で伝えるよりも音楽をご紹介させて頂きたいっていう、そういうところに寄り添えたらいいな、というような。
木村:邦楽ですか? 洋楽ですか?
ヒコロヒー:どっちもですね。
木村:広いんですね。それはやっぱ、スナック経験も生きてるんですか?
ヒコロヒー:かなり生きてると思います(笑)。
木村:絶対そうだよね。
ヒコロヒー:確かにその時に、昭和歌謡とかもそうですし、ちょっとカルチャーめいた方々とかがY.M.O.さんのことを教えてくださったりとか、もっと古い、70年代60年代のいろんなバンドとかUKロックだとか教えてくださったっていうのもあったかもしれないです。
木村:じゃあ結構守備範囲広いんすね。
ヒコロヒー:はい。音楽、どういうのがお好きですか?
木村:僕はもう、基本アメリカンロック。1ヶ所に興味がいったら、その人たちはまず「俺たちは、誰々の音楽を聴いて育ったんだよ」って言うじゃないですか。そうするとそこに行ってみて。
また彼らって、どういうバトンの繋ぎ方してんだろうと思うけど、大体好きなアーティストとかリスペクトしているバンドTを着て、ステージに上がるじゃないですか。
ヒコロヒー:確かに。影響受けた(アーティストの)…。
木村:例えば、エアロスミスに自分が惹かれ、エアロスミスのライブを観てると、スティーヴン・タイラーがツェッペリンのTシャツ着てたりとか、ジョー・ペリーが全然違うアーティストの、キッスとかのTシャツを着てたりとかすると、「おお?」っていうふうになって、またそっちに葉脈が広がっていくって言うか。そういう感じで好きになってましたね。
ヒコロヒー:木村さんって、ちょっとオタクっぽい感じですか?
木村:僕は薄い出汁でよかったのに、俺より濃いめが好きな友達がいてくれたから、だと思う。その友達は、当時バリバリにギターもバンド活動もしてたし。
ヒコロヒー:へ〜、確かに、そういう存在が1人いるといろいろ広がりますよね。
木村:自分は自分で、全然違う。音楽はそっち系が好きなんだけど、「はい。この衣装着て」、「くるくる回って」、「はい、カメラに向かって笑って」っていう。
なんだけど、5〜6歳のヒコロチーちゃんに、「あ、こいつ、絶対ワルやな」って見透かされてる、そのタイミングです。だから、その辺が匂ったのかもしれないですね。
ヒコロヒー:そうですね。
木村:その匂いが伝わっちゃったんだろうな。
[OA曲]
なし
2026年03月08日Flow 第三百九十七回目「拓哉キャプテン × ヒコロヒー」Part2
今月のマンスリーゲストは、ヒコロヒーさん!
今週もどんなトークになるのか? お楽しみに!
ヒコロヒー:実は私、お見かけしたことがあって。
木村:どこで?
ヒコロヒー:お台場の湾岸で、私は「新しいカギ」の収録をやってたんですよ。ケータリングがバーってあって、霜降り明星のせいやっていう奴と一緒にケータリングを「うまそう」って言って撮って、そのままスタジオに戻ったら、私たちがスタジオ間違えてて、一歩入ったところが、「教場」さんのスタジオで。
「えー! ヤバイ、なんか空気が違う!」ってなってパッと見たら、木村さんが…もう本当に一瞬ですよ。一瞬だけ大部屋みたいなところで立ってらっしゃるのが見えて…。
木村:前室かな。
ヒコロヒー:前室で立ってらっしゃるのが見えて、うわーって言って、私たちは戻って。もう、せいやとなすりつけ合いですよね。「お前が間違えたから」とか言って。
でも私とせいやの中で「でも、見た?」って。「わし今さっき木村さん見てもうた」って言ったら「俺も見た」って言って。「ほんまに立ってはったなぁ」っていうのを、私たちの中でかなり言ってましたね。
木村:“伝説の鬼”っぽく言うのはやめてほしい(笑)。「見た?」「見た?」っていう。
ヒコロヒー:(笑)。いやいや、それはもう伝説だらけですから。
木村:それやめてもらっていいですか? 普通にいるんで(笑)。
ヒコロヒー:いえ、あともう1つ謝らないといけないのが、私たちが撮ったケータリングは「教場」さんたちのケータリングでした(笑)。勝手にバーっと撮ってました。それさえも間違えてました。
木村:へ〜、そうだったんですね。
ヒコロヒー:はい、そうなんです。今回ご一緒させて頂くということで、あれを思い出したりしつつ。
木村:以後、もし何かあったら…。
ヒコロヒー:はい、ご挨拶させて頂きます。
木村:逆に、もし今後「あ、いらっしゃるんだ」ってなったら、俺はどういう感じで行けばいいですか?
ヒコロヒー:いやでも、私はめっちゃ嬉しいんですけど、そんな気さくにしてくださるのかっていう気持ちはありつつ、周りのスタッフさんがめっちゃ「な、なんだなんだ?」ってなりそうですよね(笑)。木村さんがヒコロヒーに「おー」とかって言ったら。
木村:いやだって、「ツレ」でしょ?
ヒコロヒー:はい。
木村:だからツレ感で。
ヒコロヒー:いいですか?
木村:じゃあ、脚本家として、第一声は何て言えばいいですか?
ヒコロヒー:脚本家として? もし木村さんに言わせたいセリフがあるとするなら、「昨日何食ったの?」。
木村:それが第一声?
ヒコロヒー:第一声。
木村:「お疲れー」もなく。
ヒコロヒー:はい。パーって近づいてきて、「昨日何食ったの?」。
木村:何かそれを言いたくなる要因として、ヒコロヒーさんの方からの何かを感じ取っていい?
ヒコロヒー:それは「私がニンニク臭いから言ってくれ」って言ってるわけじゃないですよ(笑)。私がニンニクの匂いするから、「何この匂い。昨日何食ったの?」っていう、それじゃないです(笑)。それじゃなくて。
「木村さんに言って欲しいセリフ」と言うか。私の中の作家性で勝手に言わせてもらうと、なんかちょっと突拍子もなさもありつつ…。
木村:(距離感が)近いんだ。すごい近い。
ヒコロヒー:そうです。
木村:だから下手したら、もう目も見ず、って感じだよね。
ヒコロヒー:そうですね。パッて来て。
木村:肩が触れるか触れないかぐらいの距離で、見る見ないも現場任せで、っていう感じで。「昨日何食った?」って言う。
ヒコロヒー:はい。
木村:なるほど。それをちゃんと覚えておきます。
ヒコロヒー:いや、ありがとうございます(笑)。ご一緒させて頂けるように頑張ります。
木村:こちらこそお願いします。
逆に、大阪の松竹さんの地下の施設にいたのに、そっから今は東京にいらっしゃいますけど、上京することになったのって、何かあったんですか。
ヒコロヒー:いわゆる、“脱竹(だっちく)”と呼ばれる行為なんですけど、松竹芸能の芸人が辞めるという行為を「竹から抜ける」という意味で“脱竹”と巷(ちまた)では呼ばれていたりなんかするんですよ。
木村:それ本当に巷なの? 皆は言ってないと思うよ(笑)。
ヒコロヒー:巷です(笑)。でも本当に、さらばさんとか、しんいちさんとか、松竹の当時のエースの皆さんがパッと辞めた時期があったんですよ。それを見て私も、大好きな尊敬してる先輩方だったので、やっぱりこの人たちが抜けるとちょっとやだな、みたいな、あんまり残ってやってる意味がないと言うか。
その当時、私もまだ反抗期が尾を引いてたような感じだったので、その当時に松竹が持ってたネタ見せの偉い作家と大喧嘩するんですよ(笑)。ほんで大喧嘩して施設から追い出されて、ライブとかも一切出られへんくなる、っていう時期がありまして。なんかもうやってらんねーな、って思って「じゃあもう辞めます」って会社に言ったら、会社が「辞めるな」って言うから、「なんでやねん!」ってなって(笑)。
「なんでライブも出られへんのに、おらなあかんねん」っていうことを言ったら、「大阪は確かにその作家さんがいるからちょっと厳しいかもせえへん。でもうちは、東京にも会社があります。そっちはどうか?」って言われて。それで「行ってみて嫌だったら辞めてもいい」って言われたんですよ。
それやったらまあいいか、と思って。大阪にいてもあとは吉本さんに行くしかないので、東京に行ってみてもいいかな、なんてもう本当に軽い気持ちで行って、何か今考えたらうまいこと丸め込まれた、っていう感じなんですけど。
木村:泳ぐ場所、泳ぐ水をちょっと変えてみれば? っていう。
ヒコロヒー:はい。
木村:で、行った先で…。
ヒコロヒー:で、東京松竹に来たは良いものの、やっぱり大阪ではウケるネタも東京ではウケなかったりとか、ウケる箇所がちょっと違ったりとかもして、結構苦労はしましたけど(笑)。
木村:へえ〜。でも、ここのメモに、「上京後、一時、借金総額が500万に達した」っていうふうなメモがあるんですけど。それは何にそんな借金したんですか?
ヒコロヒー:(笑)。これはほんっとに面白くなくて申し訳ないんですけど、ギャンブルでも酒でもなく、本当に生活費でこうなった、っていう感じでしたね。もう家賃もそんな払えなくなったりとか…。
木村:え、タワマン入ってた?
ヒコロヒー:違います違います(笑)。 4万3000円の風呂なしから始まって、ライブとかオーディションとかがあるとチケットノルマとかも当時ありましたし、あと急にバイト休まないと、とかになって。で、そんなバイトばっかやってたらネタ考える時間もなくなるから、もう私の選択は「貧乏でもいいからとにかくネタを考える」、「ウケるネタを作る」っていう方を選んでいったんですよ。
でも、そんなこと言っても、家賃も払わなあかんし、電車賃もかかるし、と、色々やってたら、10年ぐらいかけて500万までいった、っていう感じでしたね。
木村:その収入源のバイトをしなかった分、ってことか。
ヒコロヒー:そうですね。最低限だけだから、バイトで稼ぐのは月5万ぐらい。
木村:その時はバイト何やってたの?
ヒコロヒー:ネジの検品と、スナックで働いてました。お酒がタダで飲めるから(笑)。
あとは当時、お店に来るおじさまたちって言うよりも、ホステスのお姉さんたちがすごい可愛がってくださったんです。バイトなんで“ヘルプ”っていう役で付くんですけど、もう勝手にガンガン飲むから、それは姉さんたちからしたら多分ありがたいじゃないですか。それですごい可愛がってくださって、同伴とかアフターとか、色んなとこに連れてってくださったりとか、いらんなったお洋服をくださったりとか。
そんなふうにして、女芸人の先輩とより、ホステスのお姉さんたちの方が可愛がってくださった感じでしたね(笑)。
木村:(笑)。そっか、実際にその場所に立ってたら、その風が吹いてくるもんね。
ヒコロヒー:っていうようなことをしながら、何とかネタ書いて、劇場立って、オーディション受けて、みたいな日々が、10年ぐらい続きました。
木村:で、たまたまかもしれないけど、あれが始まったじゃないですか。「THE W」っていう、女性の芸人さんたちで誰が…、っていうのがね。それで、2017年第1回目から2020年の第4回まで、4年連続準決まで行き。2021年の第5回に、決勝に出て。
出役なんだけど、脚本も書かれて、ネタを考えるっていう、「0から1にする作業は大変だけど楽しいです」って仰ってたじゃないですか。自分が好きな、そのネタを思いつく入口ってどこなんですか?
ヒコロヒー:入口…。
木村:違和感?
ヒコロヒー:あ、でもそうですね。違和感です。今、しっくりきました。日常生活の中とかでも、何か本当にささやかな違和感みたいな、「ん?」みたいなのが、多分人よりすごく多いんですよ。網目が細かいと言うか。
木村:今このスタジオで違和感あります?
ヒコロヒー:いや、今日はまだないんですけど、何か見つけて帰りたいですね(笑)。
でも、本当に普通の大らかな、真っ当な方だったら、「ああ、そうなのね」って言って流せるようなことも、私みたいにひねた人間は、例えば、私田舎の出身なんですけど、地元の愛媛のテレビとかに東京からタレントさんが来て、「愛媛って本当いいところですね」とか、「なんかここって時間の流れがゆっくりな感じがします」とかって言ってるのをちっちゃい時とかに観てて、「何がやねん」みたいなのを思ってたんですよ(笑)。「『時間の流れがゆっくり』って言う人、何なん?」みたいなのとか(笑)。そういうのがすごい多いです。
木村:結構1人でテレビ観てても、1人ツッコミで「んなわけあるかい」とか、「んなわけないやろ」とか。
ヒコロヒー:ありますね。
あと最近やったら、若くて綺麗な女性タレントさんとかが、「私って本当に自己肯定感が低くて」とかって言うたびに、「何がやねん!」と思います(笑)。「嘘つけ! どこがやねん。こんな綺麗に生まれて、何か肯定感が低いねん」とか、やっぱ日々そういうのが網目に引っかかると、それメモしといて…。
木村:メモ取るんだ。
ヒコロヒー:取ります。スマホのメモを取っておいて、これをどういうシチュエーションでコントに作り変えたらウケるかな、っていう。
木村:それは、作家としてコントに? それとも、自分が表現するコント?
ヒコロヒー:これが本当に、私がもうずっと抜け出せないところなんですけど、結局「書く方が好き」と言うか。
多分私のネタ・脚本って、違う人がやった方が絶対面白いなって自分でも思うんですよ。だからプレーヤーとしての力は、まだまだずっと芸として勉強し続けないといけないし、まだまだ足りてないなと思うことばっかりなんですけど、ただ、「本として完成させるのが好き」と言うか。
木村:じゃあもう完全に作る方…、大工さんサイドだよね。不動産屋さんと言うよりかは、大工さん。
ヒコロヒー:そうかもしれないですね(笑)。
単独ライブとか、自分のコントライブの稽古中とか、自分で稽古しながら、「うわー、これ友近さんやったらもっと上手にやらはるんやろな」とか思ったりすると、落ち込むこともめっちゃあります。
でも、本は絶対面白いと思ってるんです。自分の書くネタ台本は絶対に面白いからアレなんですけど、「これもっと表現力があったらもっとウケるんやろうな」とか思うことばっかりですね。
木村:でも、「この台本、この脚本は絶対面白いんですよ」って今仰いましたけど、それは胸を張って言えるのに、「あの人がやったらもっと面白いんやろうな」って思ってしまうその思考は、不思議だね。
ヒコロヒー:でも本当に、相応に見てるんだと思います。本当に心から、本は本当に面白いと思うんですよ。だから私ぐらいのこの表現力で、一応それでも毎年満席にして頂いてるのは、多分本当に本が面白いだけなんですよ(笑)。
木村:(笑)。そうか?
ヒコロヒー:そうなんです! だから本当に表現力とか、もっと言うと発声とか、もっといっぱい自分の中で細かく…。
木村:発声は変えない方が、僕はありがたいですね。
ヒコロヒー:そうですか(笑)。
木村:何なんだろう? このちょっと落ち着く感じ。
ヒコロヒー:そうですか。声?
木村:声。
ヒコロヒー:低い。酒とタバコで喉をやっちゃってるんで。
木村:でも、やってる声ではないですよ。
ヒコロヒー:そうですか? でも番組で調べて頂いたら、“倍音”っていう声質らしくて、滝とか…。
木村:滝?
ヒコロヒー:滝がザーッていう音あるじゃないですか。あれと同じ周波数が出るって(笑)。
木村:(笑)。それ、何サウンドって言うんだっけ? ああいうのって、メンタルサウンドとかよく言うじゃん。川のせせらぎとか、アルファー派とか。それが、滝?
ヒコロヒー:滝(笑)。
木村:それは、滝にも、すげえ苦行とされる滝と、山の生命を感じる滝とさ、どっちなんだろうね?
ヒコロヒー:確かに。そこまでは「チコちゃん」のでは教えてもらえなかったですね。「チコちゃん」で調べて頂いたんですけど。
木村:でも、(喉を)やられてるっていうイメージはないな。
ヒコロヒー:へ〜、嬉しいです。でもほんまに声と言うかこの声質、雛壇とかには…。
木村:被る人いないでしょ。「誰かに似てるね」とかもないし、それがパッと聞こえてきた時に「あ〜、あの人の声だ」って顔が出てくるって言うか。
ヒコロヒー:えー、嬉しい。でも、ずっとコンプレックスでした。雛壇とかになると、声が落ちていってMCまで届かないから、後ろでガヤっても、もう全然。
木村:ガヤる必要ないでしょ? 本が面白いんだから。
ヒコロヒー:そうですか(笑)。ありがとうございます。
木村:言う時に言えばいいんですよ。
ヒコロヒー:分かりました。ターンが来た時に。
木村:そうっすね。
OA曲]
なし
2026年03月01日Flow 第三百九十六回目「拓哉キャプテン × ヒコロヒー」Part1
今月のマンスリーゲストは、ヒコロヒーさん!
どんなトークセッションになるのか!? お楽しみに!
ヒコロヒー:どうも、「国民的地元のツレ」こと、ヒコロヒーでございます(笑)。
木村:やっぱり自分で言うんですね。「国民的地元のツレ」って。これ、ちょっと解説してもらっていいですか?
ヒコロヒー:はい。最初は自分で勝手に言い出したんですけど…。
木村:え? 人からじゃないんですか?
ヒコロヒー:そうなんです。そしたら浸透して頂いて、で、今はもう本当に皆さんから言って頂けるようになった、っていうことなんですけど。もう最初は自分から勝手に言い出したんですよ。
木村:その「地元のツレ」っていうのは、まず「地元」っていうワードって結構テンションを和らげてくれるじゃないですか。何かちょっとかしこまった部分が一気に払拭される、と言うか。
そこにカタカナで「ツレ」っていう。それ、どういう位置なんですか?
ヒコロヒー:(笑)。いや、これよく言われるのが、関西と関東でちょっと「ツレ」のニュアンスが違うっていうのを聞いたことあるんですけど。
西やと「友達」みたいな。だから「地元の友達」みたいな。ファミレスとかで皆で飯食う時に1人はおりそう、みたいな。男女関係なく、わしみたいなのがおるかな、っていうところで。
木村:「わし」(ヒコロヒー)なんですが、数々のバラエティー番組、ラジオ、ドラマ、映画に出演。僕も拝見してますけども。あとはコラムの連載とか、脚本とか、活動範囲がとんでもないんですけど。
ヒコロヒー:はい。
木村:びっくりしたのが、2024年、短編小説集「黙って喋って」っていう。こちらはなんと、「島清恋愛文学賞」を受賞してる。
ヒコロヒー:はい。ありがとうございます(笑)。
木村:だから、出役ではあるんですけど、ちょっとバカリ(ズム)さん的な感じですよね。
ヒコロヒー:そんな、滅相もないんですけど。
木村:いやいや、だってやってらっしゃることをかなり近しくないですか? 脚本も書かれてるんでしょ?
ヒコロヒー:そうなんですよ。去年ですかね。いや、本当に深夜の30分ぐらいのところですけど、本当に勉強させて頂こうという気持ちで(連続ドラマの脚本を)やらせて頂きまして。
木村:すご! この番組はゲストに生きてくださった方に、「人生をどうやってFlowしてきたのか」っていうのをお伺いする内容にはなってるんですけど。
そもそも「ヒコロヒー」って(名前は)どっから来ました? それも自分で?
ヒコロヒー:そうです。くだらなくて申し訳ないんですけど、芸名を付けるってなった時に、私はもうちっちゃい時から角度の付いてる文字が好きやったんですよ。この直角90度、カクカクしてる感じの。
それでた「ヒ」とか「コ」とかそういう文字が好きやったんで、カクカクしてる自分の好きな文字をパッと集めたら、「ヒコロヒー」になっただけで。だから、角度だけで言うと、ほんまは「田中」とかでも良かったんですけど。
木村:角度推し?
ヒコロヒー:そうですね(笑)。ほんまそれだけです(笑)。
「本名はヒロコなんでしょう?」とか、色々言われたり、考察班とかが「これをハングルみたいなのにしたら、こういう意味になる」 とか、何かいっぱい色んな考察して頂いてるんですけど、皆さんにはそれはそれで自由に楽しんで頂きながら(笑)。
木村:でも、この並びは何回か試したの?
ヒコロヒー:いや、もう何にも試してないです。もうこれで。だからもうパッと書いてパッと提出して、それが今日に至る、っていう感じです。
初舞台の前に、何ていう名前で出るか書かないといけなかったですよ。本名で出るのもなんか嫌やな、何か芸名つけたいな、と思って、パッと書いて、提出して、その名前で初舞台を踏んで、今日に至る、っていう感じです。
木村:へえ〜。じゃあもう最初につけた手書きのゼッケンのままっていうこと。
ヒコロヒー:はい(笑)。
木村:1989年10月15日、愛媛。
ヒコロヒー:36歳でございます。
木村:港町。
なんとなく、僕の勝手なイメージかもしれないですけど、W系のスーツをあえてボタンを外し、襟付きじゃないインナーを着て、カラーもよくある黒とかグレーとかではなく、「それ、どこで出会ったんですか?」っていうカラーのチョイスをし…。
ヒコロヒー:なんやねん。「どこで出会ったんですか?」って(笑)。
木村:ちょくちょく挟まれてるワードの中に、タバコだったり、お酒だったり、っていうのが存在してるので。
ヒコロヒー:そうなんです。
木村:中学・高校の時のヒコロヒーさんの、「写真撮るよー」って言われた時はこうしてたかな、とか、勝手なイメージと言うか。きっと何枚かに1枚は腕組んでたのかな、とか、指と指がくっついたピースだったのかな、とか(笑)。
ヒコロヒー:(笑)。色んな想像して頂いて。
木村:反抗期とかありました?
ヒコロヒー:思春期はもう反抗期だけでしたね(笑)。だから、皆さんが想像する通りの10代の私です。
木村:それは、親御さんのみ? それとも“学校”という組織に?
ヒコロヒー:組織に。組織とか、もう“大人”というものであったりとか。
木村:じゃあもうずっとBGMで尾崎豊が、っていう感じ。
ヒコロヒー:そうですね(笑)。
…かと言って、でも、ワルに走っていく先輩たちのことも、なんか嫌だったんですよ。「もう、そんなことすな!」みたいな。
だから、不良の中でも、おっかない本当のワルに行く人たちもいるわけじゃないですか。まぁ、言っちゃえば私も不良だったんですけど。その中で、本当に踏み外していくような先輩たちは、「何やってんだ」と思いつつ。でも、いわば普通の子たちにも交われず、かなり反抗期でしたね(笑)。
木村:交われない反抗期って、だから“交われないこと”が原因だよね(笑)。
ヒコロヒー:(笑)。友達もいるけど、皆も交われない、みたいな。
木村:「あ、お前も?」っていう。
ヒコロヒー:そうです。はぐれ者たち、落ちこぼれたちで集まって、っていう感じでしたね。
木村:それはきっと、その時の本人たちしかわからない“期”なんだろうね。
ヒコロヒー:そうだと思いますね。
反抗期なかったですか? 木村さん、むちゃくちゃ不良やったイメージあるんですけど。ね。
木村:「ね」って(笑)。
ヒコロヒー:いや、そりゃそうですよ(笑)。ちっちゃい時に見てても思ってましたもん。「この兄ちゃん悪いな〜」みたいな。それは思いますよ。田舎の少女でさえ。
だから、カッコよかったですよね。そういう意味で、男の子たちは皆好きだったんじゃないですか? そういう、「ちょっと悪い感じするけど、ええ兄ちゃん」みたいな感じだったんじゃないですかね。
木村:へえ〜。
で、ちっちゃい頃、「ちょっと私、皆と立ち位置違うな」って思ってたかもしれないけど、その時は何になりたいとかあった?
ヒコロヒー:ないですね。高校時代もずっとガソリンスタンドでバイトやってたんですよ(笑)。
木村:もう本当に、ど真ん中っすね。ツナギの色は?
ヒコロヒー:オレンジ。
木村:うわ…、ありがとう。
ヒコロヒー:「ありがとう」?(笑)
木村:ありがとう。
ヒコロヒー:でも、そこもちゃんと働いてはなかったんですけど、その時の副店長も「別に、ここで働けば?」みたいなことを言ってくれたので「まあいっか」と思って、「じゃあ就職します」とかになって。親と学校に「昨日こう言われたから就職することにするわ」って言ったら、「あかんあかん!」みたいな。田舎やったんで、「あかんよ、そんなん。大学行ってもらわな」みたいなことになって、「え!?」ってなって…。
木村:それは、親御さんが?
ヒコロヒー:もう親も、学校も。
でも、ろくに勉強もしてないし学校も行ってないから、「いや、できません」、「もうわからへん」みたいな。「どうすんの?」って言って。
そしたら、「文章だけで試験できます」みたいなのを、先生が頑張って持ってきてくれたんですよ。ちょっとしたテストと小論文、みたいな。 「これだけでも受けてくれ」って言われて、まぁ大阪行けるしいいやと思って行って受けたら、受かって、っていう感じで。
木村:で、行った先が…?
ヒコロヒー:大阪の近畿大学という。
木村:文芸学部芸術学科。
ヒコロヒー:そうですね。
木村:え、すげえじゃん。
ヒコロヒー:いやいや!
木村:その橋渡しした高校の先生がすごいよね。
ヒコロヒー:かなり頑張ってましたね(笑)。私は出席日数も足りてないから、本当に学校を留年しかけてたぐらい。
木村:学校行ってない時に何やってたの?
ヒコロヒー:学校行ってない連中と一緒に、なんかフラフラ遊んでましたね(笑)。
木村:どこで?
ヒコロヒー:でも、かわいいもんですよ。喫茶店行ったり、ゲームセンター行ったり、漫画喫茶行ったり、裏山で遊んだり、かわいいもんでした。
木村:そこは裏山だったの。漁港ではなく。
ヒコロヒー:はい(笑)。そうです。港の猟師のおっちゃんは怖いから。
木村:そうなんですよ。海に出られてる皆さんはね、規律とかルールとかがすごくおありですからね。
ヒコロヒー:そうなんです。
木村:で、その近畿大学では、落語研究会(に所属していた)?
ヒコロヒー:そうですね。サークルは落研(おちけん)という、まぁお笑いサークルみたいなとこに入ってました。お笑いが好きだったので。
でも、本当にこれもたまたまで、大学を歩いてたら「新入生歓迎」って、大学生たちが「うちのサークル入れ」って言って、勧誘してくるんですよ。一番男前がいたのがこのサークルやったんで、「じゃあここにします」って入って。
木村:じゃあお笑いに興味っていうよりかは、面食いな感じで「お、いた!」って。
そんで、なんで今に至るんですか?
ヒコロヒー:これも本当にたまたまの連続なんですけど。
木村:「たまたま」ってすっげぇな。
ヒコロヒー:その大学も、結局行ったり行かなかったりになっちゃって。その時に、学園祭をやるってなって、うちの落語研究会が、お笑いの大会をやるってことになったんですよ。
それで大学生で素人の子たちが漫才やったりとか、コントやったりとかっていう大会をやるその当日に、男前の先輩に「1人欠員が出た」と、「ちょっと代わりに出てくれ」って言われたんです。「いいですよ」って言って、その欠員の代わりにパッと出て、何かもう適当な言葉を喋って、はけたら…。大きい大学っていうのは、芸能事務所みたいなのがいっぱい学園祭に来ていて。
木村:そっか。むしろ、皆そこまでちゃんと網を張りに行ってるんですね。
ヒコロヒー:そうなんですよ。舞台を降りたら、色んな事務所の方から名刺を頂いて。でも、その当時は本当に全然「芸能界なんて」っていう感じだったので、1年ぐらい何も連絡しなかったんですよ。
でもいよいよ学校も行かなくなって、中退ということになって(笑)。「ちょっとこれどうしようかな?」ってなった時に、ラジオと映画が好きだったので、ラジオの制作か、映画の作る側に入りたいなと思ったんです。「あの時、大人からいっぱい名刺もらったぞ」ってなって、バーッてひっくり返してみたら、「松竹」っていうのが1個あって。松竹って、知識もないから…。
木村:映画?
ヒコロヒー:映画! 「あ、これは! 山田洋次のとこや!」ってなって、電話するわけですよ。
「すいません、入れてください。あの時に名刺貰って『入ってくれ』って言われたんで、入ります」って言ったら、「わかりました。来てください」って言われたから行ったら、大阪の難波の地下の施設みたいなとこ入れられて…(笑)。
木村:施設ではないだろ(笑)。
ヒコロヒー:そういう施設みたいなところに行ったら、何か汚い格好した若者たちが「天下取ったる!」みたいな目でギラギラしてて、それがお笑いの養成所やったんですよ。だから、もう何にもわからんまま行って、「え? お笑いの養成所なの?」みたいなことになって。
木村:「え? 葛飾柴又じゃねえの?」っていう。
ヒコロヒー:そうです(笑)。でも、その時の社員も入って欲しかったんでしょうね。「いやいや、うちは映画もやってて、歌舞伎もやってて、うちは『松竹グループ』で…」って。まぁ嘘はついてないんですけど(笑)。
木村:確かにね。
ヒコロヒー:「でも、映画作りたくて来たし、ちゃうわー」、「もう別にいいや」と思ってたんですけど、結局その養成所で友達ができるんですよ。その当時はAマッソとか、きつねさんとか、さらば青春の光さんとか、お見送り芸人しんいちさんとかもいらっしゃって。「なんか楽しいな」って。
だから、「お笑いをやりたい」っていうよりも、「友達がいるから楽しい」っていう習い事ぐらいの感覚で通って。でもそしたらどんどんお笑いが楽しくなっていって、切実になっていって、「この世界で食っていきたいな」と思った、っていう感じです。
木村:へ〜、すごいね、その「たまたま」は。だって勘違いだもんね。
ヒコロヒー:本当にそうです。
木村:『松竹』に「おっ」って思っただけだもんね。そんで今、こうやってお話をさしてもらってるっていう。
ヒコロヒー:そうですよ。そして今、木村さんとラジオやらしてもらってるんですから。わけわかんないです。
木村:いや、だって逆に、いつもスタッフの皆と「次のマンスリーゲストでどなたかお会いしたい方はいらっしゃいます?」って言われて、「誰だろうな? う〜ん…あ!」って思いついた…「思いついた」っていう言い方も変ですけど。
ヒコロヒー:いえいえ!
木村:自分でも、正直不思議だったんですよ。女性1人でスーツのセットアップのみで…。
ヒコロヒー:山城新伍さんみたいな格好して(笑)。
木村:で、たまにぶん投げられたりとか、跪いて地べたをズサーッみたいな感じになってるし。逆に夜は、それこそ、この間「教場」っていう作品でご一緒した齊藤京子ちゃんっていう方と「キョコロヒー」としてやってらっしゃって。
ヒコロヒー:ありがとうございます。
木村:「そういえば、俺ヒコロヒーさんって現場でご一緒してないよ」ってスタッフに言ったんですよ。そしたら「じゃあゲストにどうですか?」って言われて「ぜひお願いします」って言って、今回です。勝手にすいません。
ヒコロヒー:いえいえ! そんな、とんでもないです。
だから私、ちょっとだけふわっとこの番組に出る経緯を「いやいや、木村さんのラジオって、何で?」みたいに言ったら、「いやなんか、木村さんがお名前挙げてくださったそうです」って。
木村:挙げました。
ヒコロヒー:恐縮です。ありがとうございます。
[OA曲]
なし
2026年02月22日Flow 第三百九十五回目
今週はみなさんから頂いたメッセージを元にトークしていきます!
最後までお付き合いよろしくお願いします。
【静岡県 さとみ 54歳 女性】
キャプテンこんにちは!いつも楽しく拝聴しております。
Netflixで『教場Reunion』を何度も何度も何度も観ました。
最初から最後までハラハラドキドキが止まりませんでした。
風間教官の生徒を思う気持ち、その厳しさの裏にある深い愛情が胸に迫ります。
一人ひとりの成長や葛藤を見つめながら、教場という特別な空間に再び引き込まれました。
ラスト…えーっ!!て声出てしまいました。
ちょっとちょっと!劇場版待ち遠し過ぎます。
そして予告編『Requiem』では、さらに重厚な空気と新たな展開を感じました。
風間教官の静かな眼差しの奥に、どんな真実と想いがあるのか――。
ReunionからRequiemへ、物語の続きを見届けたくなりました。
木村:ありがとうございます。作った側としては、「お客様のこういう感想が聞きたくて作ってたんだ、俺たち」っていう感想をまさに頂けたので、嬉しいしありがたいですね。
そしてもう1通!
【栃木県 ともかしちゃん 17歳 女性】
拓哉キャプテンこんにちは!!!!
教場が1月17日から地上波再放送があって嬉しいです。
私は中学受験をしたため、2020年度は録画するのを忘れるほど忙しくて、教場を見れていなかったので楽しみにしています。
今年は高校3年生になり、大学受験をするので、またTVとはちょっとお別れしなければなりません。
教場の再放送見て、内容を理解してからNetflix契約してreunionみて、映画館にいってrequiemをみて、目いっぱい拓哉キャプテンを見るのを楽しんで、また一年後にたくさん拓哉キャプテンのドラマや映画をみて楽しめるように受験がんばります!
木村:あーそっか。たまたま、ともかしちゃんにとってはそのタイミングだったんですね。俺もタイミング悪いな…。
でも、ともかしちゃんの今後を決める、進路を決める大事なタイミングだと思うので、是非悔いのないように、全力を出し切れるように過ごしてほしいし。僕のやらせて頂いた作品っていうのはいつでも見れるので、ともかしちゃんが今やらなきゃいけないことを全力でやってもらって、その後の余暇で、是非僕の作品を楽しんでいただければなと思います。
続いてのメッセージはコチラ!
【愛知県 ひな 11歳 女性】
はじめまして! 11歳、ひな と申し上げます。
いつもラジオをめっちゃ楽しみに拝聴しております。
私は4月から中学1年生になります。
でも、やばいくらい緊張しやすい性格で、「新しいお友達できるのかな?」と考えると緊張がドックンドックンしたり、不安な気持ちでいっぱいです。
木村さんは初めて行く場所や、初対面の方とお話をする時は緊張、ドックンドックンしますか?
あと、どうしたら緊張しませんか?
アドバイス、よろしくお願いいたします!
木村:ひなちゃんは、緊張がドックンドックンするんです。でも、皆すると思います。めちゃくちゃ明確ですね。
あとね、ひなちゃん。メールには「不安な気持ちでいっぱい」って書いてあるんだけど、ドックンドックンするぐらい、ひなちゃんが今楽しみになってると思うんだよね。きっとそれぐらい、その「新しい友達ができるのかな?」っていうのがひなちゃんの中に間違いなくあるから、ドックンドックンすると思うんですよ。
だから、今回メールで僕に送ってくれた中には「不安な気持ち」っていうふうにしか書いてないと思うんですけど、そのワクワクと楽しみな気持ちをちゃんと探し出してほしいな、とも思うし。
不安もあっていいと思うんですよ、僕。だから“ワクワク”と“楽しみ”と“不安”っていうのをしっかり整理整頓して、ひなちゃんの引き出しの中に収めといた方がいいのかな。というのが、まず1つ目。
あと、初対面の方、初めて行く場所、俺もドックンドックンします。ドックンドックンするけど、初めて行く場所に不安はないかな? 楽しみでしかない。
あと、初めて行く場所で大事なのは、“匂い”だよね。それを自分がどう感じ取れるか、っていうのが(大事)。
どの国に行ってもそうだけど、飛行機の扉をキャビンアテンダントの人が開けてくれた瞬間の、あの自分が嗅ぎ分けられるあの感覚。それを“いい匂い”と捉えるのか、“嫌な匂い”と捉えるのか。その最初の第一歩で、過ごす時間が変わってくるかな、とも思うんですよ。
もし、「わ、嫌な匂いだな」って感じてしまった場合、もうその後の時間で「ここも悪くないな」って思える要素をいくつ拾えるか、だと思うし。「ああ、いい匂い」って思ったら、それはもう手放しに楽しめると思うんですけど、「何か嫌な匂いするな」って思っちゃった時って大変じゃん。
でも、素敵な部分はゼロではないと思うんですよ。だからそれはどこに落ちてんのかな、っていう宝探し的な楽しみ方をするしかないのかな、と思うんですけど。
あと、その初対面の方ね。初対面の人は、どんな人なんだろうね、っていうのは確かにありますけど。僕は、いつも楽しみにはしてます。
だから、結構ドックンドックンは多いかもね。結構してますよ。
僕は、“緊張”っていうものを嫌なものとして…苦手な野菜みたいな感じで捉えると、どうしても嫌なものにしか(感じられなくなる)。食感も嫌だし、色も嫌だし、匂いも嫌だって、全部嫌になっちゃうから、そうではなく、要はひなちゃんの中で、すごく貴重なものとして考えてもらえたらいいかな。僕はそうしてるので。
そうすると、緊張をしてきた時に「来た来た!」っていう、緊張してる自分が、取り組んでいることに対していかに真剣に向き合ってるか、ちゃんと全力で向き合えてるのか、っていうバロメーターに変化させられると思うんで。
まあでも、中学校生活、ドックンドックンいっぱいして欲しいと思います。どんな友達ができたか。どんな友達と出会えたか。っていうものを、ひなちゃん、また教えてください。待ってます。
続いてのメッセージはコチラ!
【愛知県 ゆうの羅針盤 50歳 女性】
拓哉キャプテン、こんにちは!
情報や便利なものがあふれている今でも私がラジオが好きなのは、まるで会話しているみたいな気持ちになれるからです。
「これ、私に言ってる?」と錯覚したり、遠い存在のはずのキャプテンが、ふっと身近に感じられるところが好きなんです。
姿が見えない分、今日は元気そうだな!とか、ちょっと鼻声だけど風邪かな?とか、声のトーンや話し方から、いろんなことを想像しています。
実は私は声フェチなので、声そのものが主役になるラジオは、私にとって特別です。
だから1月みたいに「リスナーのメッセージをできる限り読む回」があると本当に嬉しくなります。
ワッツの頃、ずっと気になっていたデビューイベントの話を読んでもらって、当時の疑問の答え合わせができたことも、今でも心に残っています。
これからも、キャプテンとクルーの距離感を感じられる時間を楽しみにしています。
そして今年も、また一緒に騒げる時間が来るのをめちゃくちゃ楽しみにしています♪
これからも、ずっとずっと応援しています!!
木村:ありがとうございます。騒げる時間を作ろうかな、と思ってます。まだ言えないんですけど、作りまーす(笑)。
いや、まだ、「いつどこどこで」とか言えないですよ。知らないだけです。なんだけど、騒ごうかな、とは思ってるんで。
こうやってゆうの羅針盤みたいに、「これ、私に言ってんの?」って皆思ってくれてるかもしれないわけじゃないすか。だからゆうの羅針盤に言ってるんです(笑)。個人的に。「俺、最近こういうのやってんだ」っていう。で、「騒ごうと思ってんだ」っていうことを、ゆうの羅針盤に今言ってるんですよ。それが、たまたま全国38局ネットだっていうだけですね。
本当にこういうラジオという場所にお邪魔させて頂いて、30年ぐらいやらしてもらってるんですけど、やっぱりやっといて良かったですね。本当に。
嘘っていうのはここの場ではないので、それがやっぱり一番嬉しいかな。自分の声で、自分の想い、自分の気持ち、っていうものを皆さんに聞いてもらえるっていうのは、とても豊かなことだと思うし。
こうやってみんなからのリアクションが返ってくるから、キャッチボールができるわけで。壁当てをしてるつもりは一切ないので、あくまでもキャッチボールです。今後もよろしくお願いします(笑)。
続いてのメッセージはコチラ!
【大阪府 スターファルコン 34歳 男性】
木村さん、こんにちは。突然ですが、是非話を聞いて頂きたくメールしました。
わたくし事ですが、先日90代の祖父が亡くなりました。
身近な人が亡くなった事はありますが、この年になって経験すると死生観が変わり、家族や友人等と過ごす、今この時間に価値があると改めて思いました。
因みに祖父は年のわりに服装や趣味もオシャレな人で、「キムタクのドラマが好きや!」と言っており、家に行くと木村さんのドラマを観ていました。
特に「エンジン」がお気に入りで、祖父の写真を見ると、主題歌だったジミー・クリフの 「I Can See Clearly Now」が頭の中で流れてきます。
木村:スターファルコンのおじいちゃん、ご冥福を心よりお祈りいたします。
「エンジン」っていう作品のそのチョイスの仕方も、かなり「じいちゃん、そこっすか」っていう、また僕もツボっちゃうんですけど。
いやでも、こうやって言ってくれるっていうのは本当に嬉しいですね。このスターファルコンの捉え方って言うか、「今この時間に価値がある」って思えた、そういうことに気づかせてくれたじいちゃんでもあったのかな、とも思うし。
また、そういうことが、タスキを繋いでいくが如く、スターファルコンもきっと、 今、じいちゃんから渡されたタスキを誰かに渡すんだろうな、とも思うし。
俺は作り続けるしかないですね。また誰かが「結構、俺あいつのドラマとか好きなんだよね」とか言ってもらえたらいいかな、と思うし、そういうものを作らなきゃいけないな、と思っております。
[OA曲]
M.I Can See Clearly Now/Jimmy Cliff
2026年02月15日Flow 第三百九十四回目「拓哉キャプテン × SUPER EIGHT大倉忠義」Part3
今月のマンスリーゲスト、SUPER EIGHTの大倉忠義さんとのトークも今週が最後!
そして、大倉忠義さんにとっての「人生の1曲」も伺います!
木村:今月、自身初となる著書『アイドル経営者』っていう本を、講談社さんの方から発売。
大倉:はい、ありがとうございます。
木村:これ書かれてるの面白いんですけど、「デビュー曲の選び方」、「昭和・平成の価値観との向き合い方」、…これ一番怖いっすね、「アイドルの賞味期限」。
これは色んな視点が表記されてるらしいんですけど。“45のルール”があるんですか?
大倉:ジャンル分けするとそれぐらいになりました。
木村:うわ、怖いっすね〜。
大倉:(笑)。でも、自分が偉そうに語るというよりも、ジュニアの子とお仕事をする中で向き合い方について考えた時に、やっぱり人間関係だったりコミュニケーションだな、っていうのが一番思うところでして。
その話をしている時に、「これは、僕と同世代の、違うジャンルのお仕事をされてる方にも響くんじゃないですかね?」っていうことを仰って頂いて、本を出すことに行き着きました。
木村:才能の原石を感じ取ることってできます?
大倉:正直、才能の原石とかは分かんないですけど。
オーディションを2回ぐらいさせてもらったんですね。そこで面白かったのは、10人ぐらいのスタッフ皆で子供を見るわけなんですけども、何か気になる子とか、目に留まる子っていうのは大体一緒だったりするんですよ。なので、自分の主観だけで選んでるんじゃないかって思われがちなんですけども、皆で原石を見つけてるようなイメージではあります。
木村:そういう子達って、色とか若干出てる?
大倉:僕は出てる気がします。でも、この自分の例えが合ってるか分かんないんですけど、学校にいても、追っかけちゃう人とか目に留まる子とかっていたじゃないですか。それが好きな子とは別に、魅力的な子なのかもしれないですけども。そういう子たちは、そんなイメージで存在している気がします。
木村:今日、一緒にお話するんだったらこういうお話ができたらいいな、って勝手に思ってたのが、「アイドル」っていう4文字が、自分の中で未だに着地してなくて。
大倉:木村さんがですか?
木村:いや、全然着地してないよ。メディアとかテレビの中で、「アイドル」っていうワードがポンって出てきた時に、「あれ?」って、「え? こういうことだっけ?」っていうふうにまだ思ってる自分がどっかにいたりして。その話もできたらいいな、と思ってたんで。どう思います?
大倉:「アイドル」ですか? 正直、僕もピンとは来てないです。
木村:でも、すごい抽象的なワードなんだけど、そこを今皆胸張って言ってる方たちもいるし。1つの指針として、目指す方向として、「アイドル」っていう言葉もあったりもするし。はっきりパキンとしたものはないんだけど、「こういうものです」、「こういう重さです」、「こんな色してます」っていう展示物ではないし、形の決まったものでもないし。
だから、「どういうものなんだろう?」、そして「自分から言うことなのか?」っていう…。
大倉:そうですよね(笑)。
木村:要は、そういう活動、そういう表現をしてる人達に対して、周りの方が「ハッ」って思ってくれる、その相手が、初めてその「アイドル」っていうものなんじゃないだろうか、って、勝手に自分の中でイメージしてて。それってどうなんだろう?
大倉:自分のイメージは、憧れている先輩の姿が未だにありまして、「その先輩のようになりたい」で今まで30年近くやってきたと思うんですよ。未だになれてないと思っているその先輩の姿が「アイドル」、っていうところで、自分はそこを目指してるっていうイメージなので。
なので、「アイドル」と言われてもピンとこないですし、違う映画の番宣してる時に、「役者、大倉」って言われてもピンとこないですし。何なんだろう?っていうのがずっとあります。
木村:何だろうね?
大倉:その姿は、僕がお客さんなのかもしれないです。そのアイドルと思ってる先輩は。
なので、僕からしたら先輩は「アイドル」ですけど、その先輩方は自分のことを「アイドル」って言うのに違和感を持たれてるのかもしれないですし。
木村:どうなんだろう? でもそれも、きっと思い方は個人個人あるんだろうな。
でも、逆に本のタイトルを今さっき目にした時にも、逆に、経営者はこのワードをどう思ってんのかな? どう考えてんのかな? どう捉えてるのかな?っていうのは、ちょっと思ってたんですよね。
大倉:自分が「アイドル」と呼ばれていることだったり、読んで頂いていることっていうのにすごく誇りを持っておりまして、どうしてもタイトルにこのワードは入れたかった、っていうのはあるんですよ。
40歳なので、自分で「アイドル」って言っていいものなのか、っていうところも色々出てくるところもあるんですけども、そう思ってくれているお客様がいるので、ここは言わせて頂こうかな、っていう。
木村:そうなんですよ。言ってくれる人がいる限り、そうなんですよね。そこなんですよ、マジで。めちゃくちゃでかいのは。
大倉:僕から見て、木村さんは「アイドル」です。
木村:俺? 俺はいい加減違うんじゃないですか?
大倉:いやいやいや、もう永遠にアイドルです。
木村:いやいやいやいや。
大倉:もう僕は、SMAPさん、木村さんのステージだったりDVD作品を観たり、っていうところで、「自分もこうなりたい」っていう始まりではあったので。もうずっと変わらないっすね。その姿も目に焼き付いてますし。
木村:嬉しさもあるけど、照れくささもあるがゆえの…。実際にお互いやってる立場だから。
僕はむしろ、その部分を一緒にさせてもらう時、もちろん今もそうなんですけど、そう思ってくれてるところっていうのは、とりあえず「うん。ありがとう」っていう感じで、全部横にずらす感じです。
今は必要ないじゃんっていう感じで作業はするんじゃないかな、っていうふうに思いますけどね。
大倉:でも、自分はずっとそうですね。同じ会社じゃなくなった先輩方もそうですけども、僕の記憶の中にある先輩方はもうアイドルの姿だったので、そこはもうずっと思ってますね。
木村:まぁでもその“人の思い”っていうものは、質量もないし、決まった形もないですけど、その気持ちがある以上は、きっとその関係性っていうのは実在してるんだと思うし。“思い”ってありがたいな。本当にすごいな。
それが今に至る、と。
大倉:そうですね。
木村:今月はマンスリーゲストにSUPER EIGHTの大倉忠義をお迎えしてお送りしてきました。『アイドル経営者』という本が講談社の方から発売中ということで。
大倉:お願いいたします。
木村:実際に、エンターテイナーでもある大倉だったり、プロデューサーとしての忠義だったり、っていう2つの視点を持つ本人が実践している“45のルール”。これちょっと俺も45、確認してみますね。俺、どれぐらい違反してんだろう?
大倉:いやいや、違反してないです、全く(笑)。
木村:どうする? 俺2つぐらいしかハマってなかったら。残り43がアウトです、ってなったら。
大倉:やばいっすね〜。
木村:でも、このルール、逆に出役の人間は見る価値あるんじゃないですか?
大倉:是非お願いします。ありがとうございます。
木村:チェックしたいと思います。
今後、指針、目標、夢、やりたいことって、何か、SUPER EIGHTのメンバーでもあるだろうし、そういう1つの会社としてのやりたいことがあると思いますけど、それってやっぱり各々違います?
大倉:全体的に、ざっくり全部一緒かも知れないです。なんですけど、それぞれで目の前にある何かのノルマや目標みたいなのを達成するのは当たり前なんですけども、「長期に渡って何か夢を持つ」っていうところが、自分のグループの活動も、今までもう転がり続けて来たので何が起こるか分からない、っていうのと、ここ数年のコロナだったりとかでどうなるか分からないっていうところがあって。
木村:確かに。
大倉:今の自分の人生は小さい時に思ってたような自分ではなくて、こんなことしてるとは思ってなかったんですけど、自分の“楽しい”を追求してきたらこうなったので、何か決めるよりも、そういう生き方をしたいなと思ってます。
木村:そこは、すごく僕もアグリーな感じですね。
この番組は、毎回ゲストの方に「人生の1曲」っていうのを伺ってるんですけど、大倉忠義にとっての「人生の1曲」、伺ってもいいですか?
大倉:フランク・シナトラの「マイ・ウェイ」です。
木村:まさかの。それは何故?
大倉:「人生の1曲」ってあんまり考えたことなかったんですけど、まず、シナトラが好きなんですね。声とか渋さとかもそうですけど。
その中から、この「マイ・ウェイ」が、「自分の人生のカーテンが降りる時だけど、今まで自分はずっと自分なりにやり続けられた」っていうことをずっと歌ってるんです。自分もそうありたいな、っていうのすごい思いまして。
自分が進む道について、人から「何でそっち行ってんの?」って言われることもありますし、「でも、自分は今これがしたいんだ」、「楽しいんだ」っていうのを正解にしていかなくちゃいけないな、って日々思ってるんですけど、そういう時に、やっぱりこう言えたらカッコイイな、っていうのがあります。
木村:へ〜。でも、「言えたらかっこいいな」って思えてるんだったら、きっとそうしていくんだろうな。
大倉:そうしたいです。
[OA曲]
M.MY WAY/FRANK SINATRA
2026年02月08日Flow 第三百九十三回目「拓哉キャプテン × SUPER EIGHT大倉忠義」Part2
今月のマンスリーゲストは、SUPER EIGHTの大倉忠義さん!
今週もどんなトークになるのか? お楽しみに!
木村:言い方がすごいたやすいんだけど、ちゃんとした大人になっている大倉忠義っていうのは、元々どんなちびっ子だったんですか?
大倉:元々は、もう普通の子でした。
木村:普通の子って。
大倉:地元は大阪なんですけど、地元で普通の公立の学校に行き…。
木村:で、何になりたかった、とかはないんですか?
大倉:いや本当に、お金持ちになりたいから「(将来の夢は)野球選手」って書いてたような、でも野球やってなかったような…。
木村:え、やってなかったんだ。
大倉:やってなかったんです(笑)。でも「野球選手」って書いてるような、お調子者な子供でした。
木村:でも、小6の時なんですか? オーディションに合格して。
大倉:そうです。
木村:それは自分で?
大倉:自分でした。でもきっかけは、大阪の親戚のおばちゃんとかの人たちから、「あんたかわいいから行けるで」って言われたところから始まりまして。本気にしてしまった、当時小学校4年生ぐらいの時に、ファミリークラブの住所を調べてもらって送った、って感じです。
木村:へえ〜、そうなんだ。でも、ここにスタッフからの情報があるんですけど、これ本当? 「新聞配達をしながら学校やレッスンに通ってた」って書いてあるけど。
大倉:してました。そうですね事務所のレッスンも正直なかったんですけども。
関西ジュニアの仕事がその当時全然なくて。先輩が大阪公演でツアーでいらっしゃる時にバックのために呼ばれる、っていうタイミングだったので、大体夏と冬しか仕事がなかったんですね。
木村:仕事って言うか…そうだよね。「本当にいるの?」っていうことだ。
大倉:そうです、そうです。っていう状況が続いてるので、やっぱりお金もないですし…。
木村:そうなんだ。これ俺が言っていいことなのかどうかわかんないけど、その頃、ちゃんとした契約を結んでるわけでもないじゃん。
大倉:その当時はなかったですね。
木村:自分もなかったし。今考えるとすごい不思議っすよね。
大倉:そうですね。よくやってたなと思います。
木村:よくやってたなって、多分お互いがお互いのことを思うと思うんだけど。自分もそうでしたね。
大倉:そうなんですね。グループ組まれたのは、何年目ぐらいなんですか?
木村:え、何年目だ? 急に、当時存在していた雑誌の「POTATO」さんの撮影があるから、何月何日何時にどこどこに来てくれって言われて、「なんすか、それ?」っていう感じで一応行って。そしたらババババッて並んで撮られた写真が、「はい、『スケートボーイズ』です」って(紹介されて)、「それ何ですか?」っていう。
大倉:最初、そうなんですね(笑)。
木村:知ってる、なんかテレビで見たことある人たちが大人数でローラースケートに乗ってたりとかしてて。「スケートボーイズ」って言われて、「いや、ボーイズって言われても、俺スケボーをやったことないですけど」。
大倉:えー、すご! 木村さんもご自身で(オーディションの応募を)送られたわけじゃなかったんですか?
木村:僕は、親戚が勝手に。
大倉:そうなんですね。そこのモチベーションみたいなのも…。
木村:ゼロです。
大倉:ゼロですよね(笑)。
木村:六本木3番出口から降りて、テレビ朝日のリハーサル室に歩いていったら、本当に「えっ、うわ、びっくりした!」っていう感じで女の子から「受け取ってください」って言われて。今も、色も全部覚えてる。セサミストリートのクッキーモンスターだっけ? それが描かれた缶に入ったクッキーと、手紙を頂いて。「まだ名前も知らないあなたへ」って書いてあって。「これから応援させてください」って言って、クッキーを貰ったんですよ。
大倉:すご!
木村:それで、なんかすごいことやってんな、って、なんか変なスイッチが入って。だって名前も知らない子が「応援させてください」っておかしいだろ、って思って。
大倉:えー、おもしろ!
木村:それで、ジュニアっていうところで、それこそ本当にできる人たち、回れる人たちがどんどん鏡に近いところへ行き…、みたいな時間は過ごしました。
大倉:へ〜。これ、未だに僕は「合格」と言われてないんですけど。オーディションをするじゃないですか。誰からも「合格」とは言われてないんです。
木村:僕も言われてない。
大倉:言われてないですよね。今まで続いてる、って感じなんです。
木村:…僕もそうだ。
大倉:(笑)。特殊すぎますよね(笑)。
木村:僕らは2人とも「合格」とは言われてないです(笑)。
大倉:合格ではないんだろうな、と思いながらずっと過ごしてきました。
木村:で、その当時の忠義を、新聞配達まで行かせるその熱量。それは何だったんですか?
大倉:魅力があったんですね、先輩方に。こうなりたい、っていう。
木村:具体的な「俺、この人でした」っていうのは?
大倉:一番最初は、V6の森田剛くんから始まりまして。
木村:へぇ〜!
大倉:その時は小学校の同級生で好きな女の子がいたんですけども、その子が剛くんを好きだったんですね。
木村:ああ、そのパターンね!
大倉:そうなんです。で、「どんな男や?」っていうところから始まって、見てたら、自分も「いや、かっこいいな」っていうところになっちゃいまして。そのパターンでした(笑)。
SMAPの話は聞いてもいいですか?
木村:なんで?
大倉:結成された時って、そのスケートボーイズの中からもう一段階進んだ、って感じなんですか?
木村:半分になったんじゃないですか? 俺、正式に覚えてないけど、12人ぐらいいたのが6人に。
大倉:そういう流れなんですね。で、そのグループ名も伝えられ…?
木村:伝えられたけど、「なんだそれ?」って思ったし。
大倉:最初はそうですよね。
木村:言葉が通じない名前を急に言われて、「むしろ、いやなんだけど」っていうテンション。
大倉:そうなんですね(笑)。
木村:いや、俺の話はどうでもいい(笑)。
大倉:いやいや、気になりました、すごく(笑)。
木村:でも、ある程度の大人になって、めちゃくちゃ冷静な頭で振り返ると、本当に摩訶不思議だよね。
大倉:いや本当に、摩訶不思議です。
木村:大倉忠義本人の話に戻りますけど。そもそも、ギターだったり、鍵盤だったり、楽器っていっぱいありますけど、何でドラムにしました?
大倉:これはですね、僕は一番最初に楽器を触ったのはギターだったんですけれども…。
木村:あれ?
大倉:安田、丸山も、始まりは全員ギターなんですね。なんですけど、一度「バンドを組まないか?」って言われた時に、僕は「ちょっとダンスがしたいので、バンドチームは嫌です」っていうことを言ったんですね。関ジャニになる前にバンドチームがあったんです。そこは自分は外されてしまうんですけども。
そこで、安田はギターをやってて、丸山がベースをやり、違う子がドラムをやって、ボーカルをやって、っていうチームがあったんですけど、それを断ったことにより、僕の仕事はもうほぼなくなってしまったんです。 で、そのバンドチームも続かずに、メンバーが辞めていくんですけれども。
そこに、横山、村上、渋谷、錦戸が合流して、新しいチームで関ジャニとしてやっていく、っていうことになったんです。
木村:自分は?
大倉:いなかったんです。バックでやってたんです。
木村:不思議だな。1回枠から出たってこと?
大倉:同期なんですけども、同期のメンバーでバンドを組むという時に僕が断ってしまったことにより、そこから外れてしまい、その人たちのバックで踊る、っていうことをずっとやってたんですね。そこのドラムが辞めた時に、安田とか丸山が同期なので、「大倉ならリズム感あるんでドラムできると思う」という推薦をしてくれまして。それで、その時に会社から電話かかってきて「ドラムできる?」っていうことになったんですけど(笑)。
木村:すげぇ確認を電話でしてくんだな(笑)。
大倉:そうなんです(笑)。で、僕もそれがラストチャンスだと思いまして、「できます」って嘘ついたんですけど。
その1ヶ月後にはもうライブ本番があったんです。「もし、お前1人でできなければ、東京からドラムを呼んでツインドラムでさせる」っていうことをずっと言われてまして。そこで1ヶ月猛練習して、ステージに出ました(笑)。
木村:(笑)。実際1ヶ月後のライブに出て、叩いて。
大倉:出て、叩きました。
木村:すげえ。
大倉:そうなんです。それがきっかけで、8人で関ジャニ8(後の関ジャニ∞)っていうのが結成されました。
木村:2004年、関西限定シングル「浪花いろは節」でCDデビュー。
大倉:そうですね。そこでやっと契約してもらいました。
木村:そうなんですよ。そこなんですよ。自分も多分、そこだったと思う。
大倉:そういうことですよね。
木村:それまではもう一切、本当になかったと思います。
大倉:多分最近までそうだったと思います。今のジュニアの子たちは、皆契約してもらっていると思うんですけども。
木村:よかったね。
大倉:よかったです(笑)。
木村:そんで、2004年にデビューして、2010年にバンドとして本格始動しはじめ、フェスとかにも出るようになり…。っていうことではないのかもしれないけど、2018年から2019年にかけて、5人体制に形が変わって。
大倉:そうですね。
木村:そういう時は、どっかでテーブル1つにして何か話したりしました?
大倉:話しましたね。
木村:そりゃそうだよね。話さなかったら成立しないよね(笑)。
大倉:でも1人目の脱退の時はですね、話はしたんですけれども、もうその場所で報告、みたいな感じでしたね。
木村:そうだったんだ。
大倉:「そう思っている」っていうところから始まりまして。本人の意思も固くて…、っていう会話はしましたね。
木村:メンバーもそれを受け止め。
大倉:そうですね。
木村:まあ受け止めるしかないよね。
大倉:しかなかったですね。
木村:何言ってんだよ、っていう気持ちもあるかもしれないけど、やっぱそうだよな。
大倉:そうなんです。気持ち的には受け止めきれはしなかったんですけども、でも数年経ってみて、自分も40代に入りいろんなことを考える時に、やっぱり人生のことを考えるタイミングで、彼はその時点で人生を考えて、自分の道を見つけたんだな、って思うと、理解できなくはないな、っていう思いにはなりましたけども。
その当時はやっぱり追いつかなかったですね。
木村:今だからわかるっていう。
大倉:そうですね。時間はちょっとかかりました。
木村:まぁな。その時全て答えが出るわけじゃねえからな。それもそうだな。
で、その後に錦戸くんも(脱退した)。2019年なんですけど、残った5人で、シングル「友よ」っていう作品で再出発して、今に至る、っていう。
大倉:そうですね。
木村:で、2024年、SUPER EIGHTっていうチーム名に改名し…。
いやでも、いろんなプロデュースとかやりながら、アリーナツアー、ドームツアーて、どうやってやんの?
大倉:忙しかったですね。
木村:え、それだけ? その一言で終わりなの?
大倉:(笑)。忙しかったですけど、でも、全部自分1人でやっているわけではないので。その時は、ジュニアの育成部の方にお任せしたりとかでやりました。
木村:でも、脱退だけじゃなくて、途中途中で、あれは安田くんだっけ? ちょっと大きなオペレーションとか受けてたもんね。
大倉:そうですね。そういうこともいろいろありました。
木村:そうだよね。だってこの間なんて、横山くんもずっと走ってたからね。
大倉:そうですね(笑)。
木村:大丈夫か、と思ったけど。いろんな、多面性が半端ないチームだな、って思うんですけど。いや、すごいよね。
大倉:皆いろんなことやってますね。
木村:いろんなことやりすぎだろ(笑)。
[BGM]
M.浪花いろは節/SUPER EIGHT
[OA曲]
M.友よ/SUPER EIGHT


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