木村拓哉 Flow supported by Spotify - TOKYO FM 80.0MHz - 木村拓哉

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2023年11月12日Flow 第二百七十六回目「拓哉キャプテン × 冨永愛」Part2

11月のマンスリーゲストは、2019年のドラマ「グランメゾン東京」で共演したモデルの冨永愛さんです。
ここでしか聴けないトーク、お楽しみに!


木村:NY、そしてパリ、どんどんどんどん世界的ファッションモデルとして活動していくわけなんですけど。コレクションモデルって、また違うんですか?俺、全然詳しくないんですけど。ファッションモデルさんとコレクションモデルさんっていうのは違うんですか?

冨永:ファッションモデルっていうのが大きな枠で、その中のコレクションモデルっていうのがランウェイを歩くモデル。はたまた雑誌だけやるモデル、はたまた今やインスタグラムのモデル。

木村:インスタグラムのモデル?

冨永:…も兼ねるみたいな。

木村:変な話、言ったもん勝ち的なところありますよね。

冨永:(笑)。そうですね。今や、たしかに言ったもん勝ちです。ただ、コレクションモデルっていうのはコレクションに出てないとコレクションモデルって言えないので。

木村:そうだよね。

冨永:うん。そこは無理ですね。だから、最高峰みたいな感じ。

木村:お~、今、カッコイイっすね!

冨永:すみません(笑)。

木村:そこに居たことのある人しか言えない。第3者が言ってもね、何の意味もないんですよ。居たことのある人だから、「だから、最高峰ですよね!」っていう。ノックアウト~!

冨永:(笑)。

木村:結構俺、今回はダウン取られますね~。

冨永:(笑)。あんま変わんないっすよ。

木村:結構くらうな~、今日は。なるほどね。でも、そこに居ることのできる人っていうのは選ばれるわけだから、選ばれるっていう事は皆平等にオーディションっていう形で。それは愛ちゃんも行ったの?

冨永:はい。行きました。しこたま行きました。

木村:しこたま?

冨永:しこたま行きました。17歳でNYに行って、ファッションウイークの間、15軒ぐらいのブランドのオーディションを地下鉄とか乗りながら、地図持って…地図持ってってすごい昭和だけど(笑)、回るんですよ。

木村:愛ちゃんが17歳の時には、5回ぐらい折りたたんだ地図をばばばばって広げて。

冨永:そうそうそうそう(笑)。ばばばばって広げて、今ここだからこう行って、ここの地下鉄乗ってここで降りてっていうのを散々やって、オーディション受けまくって。

木村:言葉も喋れない中。

冨永:そうですね~。やってました、やってました。

木村:すっげー。

冨永:でも、皆ね、やることなんで。そこに行くためには。

木村:そのオーディションには色んな国から色んな人種の人が来るわけじゃん。

冨永:世界中から集まってきます。

木村:それこそ差別的なものってあったりしたの?

冨永:ありましたね~、当時。いまだにあるとは思うんですけど。やっぱりファッションっていうのは欧米の文化なんですよね。だから、その中にアジア人が入ってくるっていうのは非常に稀な事で、NY、パリ、ミラノ、ロンドンっていうファッションウイークの中でアジア人が歩いてるっていうのは、ほん~とに…そのシーズンで1人ぐらいだったんですよね、当時は。

木村:へー。でも昔、(山口)小夜子とか…。

冨永:はい、いました。彼女もほんとにオンリーワンで。1人だけの枠をアジア人で奪い合うわけですよね。

木村:日本からって、他にいた?

冨永:当時はいなかったかもしれないですね。2~3人はいたかもしれないです。中国の方もいらっしゃったし、韓国もいらっしゃったし。枠の奪い合いでしたね。

木村:マジ?でも、一時期さ~、それこそ自分なんかが高校でチャカチャカチャカチャカ浮かれてる時に、カッケーっていう女の人たち、スーパーモデルさん。スーパーモデルさんって、コレクションモデルさんとは違うよね?

冨永:同じです。

木村:あ、それ一緒なんだ!ドラゴンボール的なアレじゃないけどさ~、モデルさんなのにスーパーがついちゃって。

冨永:そうね~。クラウディア・シファーとかリンダ・エヴァンジェリスタ、ナオミ・キャンベル、ケイト・モス。

木村:あの人好きでしたね~。ステファニー・シーモアとか。クリスティ・ターリントン。結構出てくるでしょ、僕。好きでしたね~。

冨永:(笑)。彼女は今でもすごく綺麗ですね、クリスティさんは。

木村:へー。カッコイイよね。

冨永:カッコイイです。最近スーパーモデルたちがカンバックしてきてて、色んな雑誌も出てますし、ランウェイも歩いてますね。

木村:え?今歩いてるの?

冨永:今歩いてます。最近、VERSACEだったかな…のランウェイで、全員歩いてて。

木村:全員!?

冨永:その時代のスーパーモデルが全員歩いてて、めちゃくちゃカッコ良かった。

木村:へー。ちょっと探してみよ。すごいね。
そしてそして、コレクションだけでなく、雑誌とか広告とか撮影あるじゃないですか。世界各国ガンガン回ったりもしてましたよね。

冨永:そうですね~。今日はL.A.にいて、明後日はロンドンにいて、そのあとにはミラノ行って、その後はどこどことか。ジェットセッターってやつですよね。

木村:今セッターって言ってましたけど、ラグは生まれないぐらいですよね。

冨永:もう、分かんない感じですね。今自分が、どの時間軸で生きてるのかが分からなくなるっていうか。

木村:そうだよね。時差っていうものが国と国の間にはありますけど、今ロサンゼルスにいて、明後日ロンドン、その後ミラノねってなったら、ちょっとした時空旅行ですからね(笑)。
そこまで忙しくて、世界飛び回ったりとかしてる時って、「私って何なの?」っていう、ちょっと自分自身を見失うというか、そういうふうになりかけた事ってあったりします?

冨永:ありますね。多分、木村さんも経験した事あると思うんですけど、やっぱりそういうふうにすごく忙しくしてると孤独になりますよね。孤独を非常に感じる。

木村:ほうほう。

冨永:自分って何なんだろうって、そういう事にはなりますよね。寂しくなる。

木村:愛ちゃんが孤独だったんですか?(笑)。

冨永:はい。何ですか?(笑)。めちゃめちゃ孤独でしたね。だから結局つまるところは自分との闘いになっちゃうんですよね。孤独をどういうふうに自分で消化して仕事に向かっていくかとか、自分って何なんだろうって考えたときに、何を活力にして何をモチベーションにして生きていくのかっていう事もすごく考えましたね、この時代に。

木村:ほー。でも、腐りはしなかったわけでしょ?

冨永:う~ん、そうね~。完全には腐ってないって事ですよね。腐りかけたかもしれないけど。でも、負けん気の強さがあったから腐らなかったんでしょうね。絶対見返してやるっていう。

木村:(笑)。おー。

冨永:「お前ら、見てろよ!」っていうのが、ちょっと差別もあり。そこがあったから、大丈夫だったんだと思う。

木村:なるほど。自分自身も感じたり思ったりっていう事はあるんだけど、この間フッて人の文章を見て、そうじゃんって思ったのが、僕グランメゾン東京が終わった後にファーストソロコンサートをやらせていただいて。

冨永:観に行った~。

木村:ありがとう(笑)。そのライブの時もそうだったし、その後に2回目のライブをやらせてもらった時も、「どんなに苦しくても辛くても、そういう事があっても、絶対腐るなよ!」って来てくれた人に言ったんですよ。あ、俺、人に言ってんじゃんって思って。自分にもう一度、鏡じゃないですけど、人に言ったことを言った人間がそうなったらダメじゃんっていうので、あー、俺、人に言ってるわっていうのがあって、それでコンって頭が切り替わったというか。そういうのがあるの。
いやでも、愛ちゃんの今の、その当時のモチベーションを「お前ら、見てろよ!」っていう(笑)。いや~、好み(笑)。

冨永:(笑)。

木村:世界的トップモデルとして、10年間ですよ、10年活躍した頃に、いきなりコレクションからの引退を発表したんですよ。

冨永:そうですね、2010年ですね。

木村:何で?

冨永:いやなんか、う~ん、ファッションの世界って、特にモデルたちは入れ替わりがすごく激しいんですよね。もうほんとに流行りすたりの世界だから、3年活躍できたらいいかなぐらいのターンなんですよ。自分自身も10年やってて、辞め時を探してたっていうのもあったんですよ。

木村:あー、そうなの?

冨永:そもそもファッション業界っていうのが、この当時好きじゃなかったんですよ。やっぱり差別もあるし、ちょっと調子良くなれば「綺麗だね~、あなたアメージング」とかいい事ばっかり言うんだけど、ちょっと落ちてくるともう見向きもしなくなるみたいな。表裏をひっくり返すのが得意じゃないですか。外国人の人たちが正直というか。

木村:シビアって言えばいいのかな。

冨永:シビアですね。かなりシビアなんで、こんな世界にそんなに長くいてもしょうがないと思ってたんですよ。(笑)。

木村:サバイバーだなぁ(笑)。

冨永:だから、やっぱり見返したいっていう気持ちがあったんで、見返したなと思ったら辞めようと思ってたんですよ。

木村:へー。

冨永:今、髪の毛が真っ黒でバストぐらいの長さがあるんですけど、2010年に丁度そのくらいの髪型だった時に、いわゆるアジア人のヘアスタイル、イメージ。黒髪、ロング…を覆したくなったんですよね。だから、金髪にしてショートにしたんですよ。

木村:(笑)。

冨永:真っ白の…金髪にして。

木村:あ、金じゃなくて。

冨永:はい。もう白に近い、ベージュに近い色にして、そのアジア人っていうアイデンティティを取っ払って、どうなるか。それでも私を使うのかっていう勝負に出たんですよ(笑)。なんかよく分からないけど、今思うとね、そういうふうな気持ちだったんじゃないかなと思って。
その時期のコレクションのウイークの中で、「このブランドだけ出てね」っていうエクスクルーシブ契約っていうのがあるんですよ。それはすごく特別な契約でトップモデルの証って言われてるんですけど。要はそのシーズン、このブランドだけが彼女を使える特別感。2010年の一番最後、GIVENCHYっていうブランドで、それを私は得たんですよね。
で、これじゃね?ここじゃね?辞め時みたいな。これもう最高。これ以上はないって思って、それで辞めたんです。これでいいと思って。

木村:(笑)。これじゃね?っていう(笑)決断です。

冨永:なんかね、後悔したくなかったっていうか、引きづりたくなかったから、やれるところまでやって自分が納得することが出来たら、潔く身を引こうと思ってたんですよね。ほんとに恵まれてたことに、そのチャンスを得たので辞めたの。

木村:なるほど。ランウェイを歩くことのできるコレクションモデルなんだけど、それが最高峰なんだけど、その中でいろんなショーに出てるのも最高峰の皆さんなんだけど、そうじゃなくてうちだけ出てって事だもんね。

冨永:そうです。

木村:いやいやいや、そこを経験したら、もう今じゃね?っていう事になって。

冨永:そうそう。そこから日本に完全に帰ってきて、ベースをちゃんと日本に持って。ちょうど息子も幼稚園に入る時期だったんで。

木村:その前はまだお子さんが小っちゃかったわけでしょ?

冨永:はい。

木村:という事は、そのお子さんを帯同して、世界を飛び回ってたっていうこと?

冨永:そうです。子連れ狼みたいな(笑)。

木村:いや、狼。ある意味、狼かもしれないね(笑)。すごいね。でも、エネルギーにはなったでしょ?

冨永:はい。かなり。

木村:ママって呼ばれてるの?

冨永:お母さんです。

木村:お母さんって呼んでくれる相手というか、存在自体は結構パワーになりました?

冨永:なりましたね。ほんとに孤独を感じていたし、何のためにこれをやってるのか、生きてるのかみたいな疑問があって、そのあと子供を持った時に、すごい180度変わりましたよね。モデルっていう仕事もファッション業界っていうのは好きじゃなかったけど、モデルって仕事が好きになれた、表現をするっていう事が好きになれたし、モチベーションも大切に守らなければいけない存在があるっていう事でかなり、ほんとに変わりましたね。

[後TM]
M.One and Only/木村拓哉

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