「日本的ロマンとイタリア的現実」
2年前だろうか。バルサミコ酢で有名なモデナに住む日本人男性を取材したことがある。彼は、日本の高校を卒業後、自動車関係のエンジニアリングの勉強をするためにモデナに来ていた。 モデナといえば、フェラーリの創設者エンツォ・フェラーリの出身地。また、マセラティやデトマソもこの町に本拠を置く。隣町のサンターガタにはランボルギーニの工場だってある。つまりここは、キリスト教徒にとってのエルサレム、サーファーにとってのノースショア、阪神ファンにとっての甲子園のように、クルマ好き、特にスーパーカー好きにとっての聖地といえる。
まだ10代後半の日本人の男の子が、友達もコンビニも渋谷センター街もないモデナに単身乗り込んだ理由は、世界的に有名なクルマを生み出した土地とそこに住む人を知りたかったからだそうだ。 僕がボローニャに住んでいた頃、友人の1人にモデナ人がいた。市内でパブを経営していた彼は大のクルマ好き。しかし、愛車は全てドイツ車。仕事用にBMWのステーションワゴン、街中の移動にスマート、そしてナンパ用にBMWのカブリオレ(オープンカー)というラインナップ。クルマ複数台所有のお手本みたいな選択とそれを可能にするお財布の厚さに関心しつつ、何故ドイツ車なのか、何故イタリア車じゃないのか、お前の血の色はフェラーリの赤じゃないのか、と聞いてみた。彼の答えは「イタリア人が造るクルマなんか信用できるか!」だった。そんなイタリア的現実に僕が抱いていたロマンティックな幻想は見事に打ち砕かれてしまった。
(続く)