第149回 8月23日「そうめん」後編
2026.08.23

室町時代には、すでに製造職人がいたとされるそうめん。
しかし、食べられていたのは宮中や寺院などで庶民に身近なものではありませんでした。
状況が変わったのは江戸時代。
水車を利用する製粉機が開発され、小麦粉の供給が増えたことで庶民にも普及したのです。
また、街道が整備され、流通が発達したことで産地が形成されました。
奈良県の「三輪」、兵庫県の「播州」、香川県の「小豆島」、徳島県の「半田」など
地域ごとのそうめん文化も生まれ、贈答品や行事食としても定着。
夏の食文化の1つになっていったのです。
実は、そうめんの「夏」のイメージは、七夕と関係しています。
平安時代の宮中では「七夕に食べると疫病にかからない」という中国の言い伝えに則り
七夕儀式で、そうめんのルーツ「索餅」をお供えして食べていました。
また、17世紀の料理本『料理切方秘伝抄』には、
「織姫の機織りにかけた糸をそうめんに見たて、七夕にそうめんを食べると、
機織りが上達すると言われていた」ともあります
こうした歴史から、現在7月7日は、七夕であるとともに「そうめんの日」になっています。
そして、夏の流しそうめんを楽しみにしている方は多いでしょう。
実はあれは比較的最近になってから考案されたもの。
昭和30年 宮崎県の高千穂町で、新聞各社の支局員が屋外でそうめんを茹で、
高千穂峡の冷水にさらして食べて涼を得たことが、記事になりました。
それを読んだ方が「そうめん流し」のお店をオープンしたことから広まったのです。
ビジネスのアイデアは、どこあるかわからないものですね。
しかし、食べられていたのは宮中や寺院などで庶民に身近なものではありませんでした。
状況が変わったのは江戸時代。
水車を利用する製粉機が開発され、小麦粉の供給が増えたことで庶民にも普及したのです。
また、街道が整備され、流通が発達したことで産地が形成されました。
奈良県の「三輪」、兵庫県の「播州」、香川県の「小豆島」、徳島県の「半田」など
地域ごとのそうめん文化も生まれ、贈答品や行事食としても定着。
夏の食文化の1つになっていったのです。
実は、そうめんの「夏」のイメージは、七夕と関係しています。
平安時代の宮中では「七夕に食べると疫病にかからない」という中国の言い伝えに則り
七夕儀式で、そうめんのルーツ「索餅」をお供えして食べていました。
また、17世紀の料理本『料理切方秘伝抄』には、
「織姫の機織りにかけた糸をそうめんに見たて、七夕にそうめんを食べると、
機織りが上達すると言われていた」ともあります
こうした歴史から、現在7月7日は、七夕であるとともに「そうめんの日」になっています。
そして、夏の流しそうめんを楽しみにしている方は多いでしょう。
実はあれは比較的最近になってから考案されたもの。
昭和30年 宮崎県の高千穂町で、新聞各社の支局員が屋外でそうめんを茹で、
高千穂峡の冷水にさらして食べて涼を得たことが、記事になりました。
それを読んだ方が「そうめん流し」のお店をオープンしたことから広まったのです。
ビジネスのアイデアは、どこあるかわからないものですね。



