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雲 雲 雲 木 人々 街並み
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ABOUT

毎週日曜日14:55-15:00(FM FUKUOKAのみ10:55-11:00)オンエア!毎回、世の中の”モノ”を取り上げ、そのモノの 歴史からイマ、未来をショートストーリー仕立てでお送りする番組です。身近なモノが少し、へえ~となるお話をお届けします。

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笠間 淳

声優。4月10日生まれ、広島県出身。
主な出演作品は、ナレーション「すくすく子育て」(NHK Eテレ)、劇場アニメ「THE FIRST SLAM DUNK」(三井寿)、アニメ「ガンダムビルドダイバーズ」(クジョウ・キョウヤ)、アニメ「お前はまだグンマを知らない」(轟二矢)、アニメ「タブー・タトゥー」(カーター)、ゲーム「アイドルマスター SideM」(葛之葉雨彦)など。

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笠間 淳

REPORT

  • 2026.09.02
    第151回 9月6日「太陽光発電」前編
    2015年に世界の平均気温上昇を、産業革命前に比べて2℃より十分低く保ち、
    1.5℃に抑える努力をするという長期目標を掲げたパリ協定が採択され、
    翌年発効しました。

    この協定では、195の参加国すべてが、温室効果ガス排出量の削減目標を提出。
    5年おきに更新して提出することも求められています。

    以後、より重要性が高まったのが再生可能エネルギー。
    その中で主要な1つが、太陽の光エネルギーを電気に変える「太陽光発電」です。

    日本では特に、再生可能エネルギーの中で、太陽光発電の割合が最大。
    NPO法人 環境エネルギー政策研究所の速報値によると
    去年の全発電電力量に占める割合は、火力発電が64.5%、原子力発電が9.4%で
    再生可能エネルギーは26.1%。
    再生可能エネルギーのうち9.9%が太陽光発電によるものでした。

    太陽光発電の主なメリットを3つ挙げると、まずはエネルギー源が無尽蔵にあり、
    発電時にCO₂などの大気汚染物質は発生せず、クリーンなこと。
    次に、規模に関係なく発電効率が、ほぼ一定。
    一般の家や大規模施設の屋根、広い空き地、山の中、ビルの壁面など、
    環境と施設に合ったシステムを設置できること。
    最後に、災害時など、電力会社からの電気供給が止まった時も電気を使えること。
    蓄電池と合わせて利用すれば、夜も電気を使用可能です。

    反対に課題を挙げると、エネルギー源が太陽光なので
    気候条件によって発電量が左右されること。
    また、導入コストも下がってきてはいるものの、更に導入を拡大するためには、
    いま以上に出費を少なくするための技術開発が必要だとされています。

    一方で、東京都や札幌市のように、住宅への太陽光発電導入に、
    補助金制度を設けている自治体もあります。
    自宅への設置を考えている方は、調べてみるといいかもしれません。
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  • 2026.08.30
    第150回 8月30日「フリートーク 〜 冒険」
    8月30日は、1965年に同志社大学の遠征隊がアマゾン川源流からボート下りに成功したこと、
    1970年に冒険家 植村直己さんが、北アメリカ最高峰マッキンリー単独登頂に成功して
    世界初となる5大陸最高峰制覇を成し遂げたこと、
    1989年に海洋冒険家 堀江健一さんが、世界最小の小型ヨットで
    太平洋単独横断に成功したことにちなみ「冒険の日」。
    そこで、今回は笠間さんの冒険話を聞きました。

    実家が、広島の「結構、山のほう」だという笠間さん。
    子供時代は川釣りで川を遡り、源流に向かって行ってたりしていたとか。
    そんなある時、足元を何かに噛まれたので見てみるとオオサンショウウオだったそう!

    そして、これまでで最大の冒険といえば、やはり声優を目指したこと。
    「かなり冒険をしたなと思いますけど、その冒険に出ようと思った、
    その時の思いついた、その感じを大切にして良かった」と振り返ると思うそうです。

    最後に将来やれるものならやってみたい冒険。
    それは北海道の釧路湿原を釣りをしながら冒険したいとか。
    これは少年時代から愛読している釣りマンガの影響だということです。
    いつか実現できるといいですね。

    この夏、あなたは何か冒険をしましたか?
    大げさなことはしなくても、冒険心は何歳になっても持ち続けたいですね。
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  • 2026.08.23
    第149回 8月23日「そうめん」後編
    室町時代には、すでに製造職人がいたとされるそうめん。
    しかし、食べられていたのは宮中や寺院などで庶民に身近なものではありませんでした。

    状況が変わったのは江戸時代。
    水車を利用する製粉機が開発され、小麦粉の供給が増えたことで庶民にも普及したのです。
    また、街道が整備され、流通が発達したことで産地が形成されました。
    奈良県の「三輪」、兵庫県の「播州」、香川県の「小豆島」、徳島県の「半田」など
    地域ごとのそうめん文化も生まれ、贈答品や行事食としても定着。
    夏の食文化の1つになっていったのです。

    実は、そうめんの「夏」のイメージは、七夕と関係しています。
    平安時代の宮中では「七夕に食べると疫病にかからない」という中国の言い伝えに則り
    七夕儀式で、そうめんのルーツ「索餅」をお供えして食べていました。

    また、17世紀の料理本『料理切方秘伝抄』には、
    「織姫の機織りにかけた糸をそうめんに見たて、七夕にそうめんを食べると、
    機織りが上達すると言われていた」ともあります
    こうした歴史から、現在7月7日は、七夕であるとともに「そうめんの日」になっています。

    そして、夏の流しそうめんを楽しみにしている方は多いでしょう。
    実はあれは比較的最近になってから考案されたもの。
    昭和30年 宮崎県の高千穂町で、新聞各社の支局員が屋外でそうめんを茹で、
    高千穂峡の冷水にさらして食べて涼を得たことが、記事になりました。
    それを読んだ方が「そうめん流し」のお店をオープンしたことから広まったのです。
    ビジネスのアイデアは、どこあるかわからないものですね。
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  • 2026.08.16
    第148回 8月16日「そうめん」前編
    何をもって「そうめん」なのか? その定義をお伝えしましょう。
    主原料は小麦で小麦に塩と水を加えたのがそうめん。
    そこに麺同士がついてしまわないように植物油が使われています。

    基本の原料が同じものに「ひやむぎ」と「うどん」があります。
    その違いは、太さ。食品表示上で区分されているのです。


    ◼️ そうめん:直径 1.3 mm 未満

    ◼️ ひやむぎ:直径 1.3 mm 〜 1.7 mm 未満

    ◼️ うどん:直径 1.7 mm 以上


    そうめんのルーツとされているのは古代中国の索餅(さくへい)という食べ物。
    中国語で「索」は縄を指し、「餅」は日本でいう餅ではなく、
    小麦と米粉を混ぜ合わせたものを意味します。
    索餅は小麦粉と米の粉を練って縄のような形にねじったものでした。

    これが奈良時代、醤油・味噌・納豆・ごま油と一緒に遣唐使の船で日本に渡来。
    やがて麺状になり、名前も索餅から、平安時代から鎌倉時代頃に索麺となり
    室町時代に素麺になったと考えられています。

    「索」と「素」の字は形が似ていますし
    「さくめん」「そうめん」も音が似ていますよね。

    ちなみに、日本の麺というと蕎麦のイメージがあるかもしれませんが、
    古いのは素麺や饂飩のように小麦を原料としたもの。

    蕎麦は当初、そば粉にお湯を加え、練り混ぜ団子状にして食べる「そばがき」でした。
    麺状の「蕎麦切り」にして食べるようになったのは江戸時代頃。
    比較的最近のことなのです。
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  • 2026.08.09
    第147回 8月9日「かき氷」後編
    庶民にかき氷が広まったのは明治時代。
    明治2年、横浜の馬車道に「氷水店」がオープンしました。

    店主の町田房造さんは、徳川幕府の使節団としてアメリカに渡り、
    アイスクリームを初めて食べた日本人とされる人物。
    日本で初めてのアイスクリーム「あいすくりん」を製造・販売し
    細かく砕いた氷にシロップをかけた氷水(こおりすい)も提供しました。

    原料は、アメリカから輸入した天然氷。
    当初は「冷たいものを食べると腹をこわす」という噂で売れませんでしたが、
    安全性が認知されると爆発的な人気を博したとか。

    その後、かき氷が普及したのは、2つの開発によります。
    1つは人工的に氷を製造できるようになったこと。
    明治16年、日本人による日本最初の製氷会社が、京橋区新富町に設立されています。
    もう1つは、明治20年、氷商の村上半三郎さんが、手回しハンドル式のかき氷機を発明したこと。
    これで細かい氷ができるようになりました。

    家庭でも、かき氷を楽しめるようになったのは、冷凍庫付の電気冷蔵庫が普及し、
    家庭用のかき氷機が登場した昭和40年以降。
    子どもの頃に熊さんやペンギンさんでかき氷をつくった方もいるでしょう。

    最近では、削った氷の食感がジャリジャリではなく、ふわふわになるよう
    徹底的にこだわった、かき氷機が開発され、ヒット商品も生まれています。
    また、シロップも素材と加工法にこだわった商品がたくさん出てきています。

    一方で、1990年代に天然氷でつくるかき氷のブームが起こり、
    埼玉や栃木にある氷の産地の高級かき氷店が人気を集めています。
    最近では、通年営業するかき氷店も登場しています。

    あなたはどんなかき氷が好きですか?
    夏の暑さを和らげる至高の一服ですよね、かき氷。
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  • 2026.08.02
    第146回 8月2日「かき氷」前編
    氷を薄く削り、シロップをかけた「かき氷」。
    名前の由来には諸説あります。昔は夏の氷が貴重なもの。
    天然氷の欠けた部分を削って食べたので「欠き氷」という説や
    大胆に氷を削る、東京の言葉で“ぶっかく”ので「ぶっかき氷」が変化して
    「かき氷」になった説などがあります。

    そんなかき氷に類する物の起源を世界に見てみると
    古代中国では、宮廷で氷を削り、蜜をかけて食べていた記録があります。
    古代ペルシャでは、砂漠で氷を保存するヤフチャールという冷蔵施設が開発されて
    果物や花びらから作るシロップを水や氷で割って飲むシャルバトがありました。
    このシャルバトが発展して、今のシャーベットやソルベになったようです。
      

    日本を見てみると、平安時代に書かれた清少納言の「枕草子」に
    削り氷(けずりひ)に甘葛(あまかずら)というシロップをかけたものが
    「あてなるもの」、今の言葉で言うと「上品なもの」として紹介されています。
    この削り氷(けずりひ)が、現在のかき氷の原型。

    当時は、冬にできた氷を氷室と呼ぶ穴や部屋で保存していました。
    奈良市や天理市には氷室神社があり、氷の神様が祀られています。
    ともに近くに氷室があって、冬の氷を保存し、夏になると朝廷に献上していました。
    夏の氷や削り氷は、長らく皇族や貴族だけが口にできるものだったのです。

    でも、夏は庶民だって暑いのは変わりません。 
    江戸時代になると冷や水売りなるものが登場しています。
    「冷や水」は、深い井戸から汲んだ冷たい水に白玉や砂糖を入れたもの。
    「ひゃっこい、ひゃっこい」と言いながら売り歩いたとか。
    庶民が夏に氷を楽しむようになるのは、もう少しあとのことです。
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