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雲 雲 雲 木 人々 街並み
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ABOUT

毎週日曜日14:55-15:00(FM FUKUOKAのみ10:55-11:00)オンエア!毎回、世の中の”モノ”を取り上げ、そのモノの 歴史からイマ、未来をショートストーリー仕立てでお送りする番組です。身近なモノが少し、へえ~となるお話をお届けします。

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笠間 淳

声優。4月10日生まれ、広島県出身。
主な出演作品は、ナレーション「すくすく子育て」(NHK Eテレ)、劇場アニメ「THE FIRST SLAM DUNK」(三井寿)、アニメ「ガンダムビルドダイバーズ」(クジョウ・キョウヤ)、アニメ「お前はまだグンマを知らない」(轟二矢)、アニメ「タブー・タトゥー」(カーター)、ゲーム「アイドルマスター SideM」(葛之葉雨彦)など。

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笠間 淳

REPORT

  • 2026.05.24
    第136回 5月24日「缶詰」後編
    19世紀初頭にイギリスで誕生したブリキの缶詰は、
    ほどなくアメリカに渡った移民によって産業化されます。

    1821年には、ボストンに大規模な缶詰工場が建設されて、量産化がスタート。
    製缶に関する技術進歩が続いて、1885年には全ての製缶工程が自動化されました。
    1850年頃になると、缶詰の蓋を切って開ける缶切りが発明され
    蓋を開けるのが大変という長年の問題が解消しています。

    この間に、日本でも缶詰は製造されるようになっていました。
    国産品の始まりとされるのは1871(明治4)年に、
    松田雅典という長崎の実業家が、フランス人にイワシの油漬缶詰の作り方を伝授されたこと。

    ただ、これは試作的なものだったようで、明治10年に殖産振興策の1つとして
    北海道石狩市に国内初の缶詰工場が設立され、石狩川で獲れた鮭を原料に
    サケ缶詰をつくり出したことが、本格的な始まりとされています。

    その後、日清・日露の2つの戦争で、缶詰は兵隊食として大きな需要が生まれて発展。
    昭和初期にはサケ・カニ・マグロ・みかんなどの缶詰が、重要な輸出品になっていました。

    戦後になると主に軍用・輸出用だった缶詰は、次第に一般家庭向け商品へと変化。
    アルミニウム製が登場し、缶は薄くなり、缶切り不要のイージーオープン缶が増え
    内側がコーティングされ・・・と取扱いやすさや安全性を考えて進化すると同時に
    食品は多種類に、より美味しくなっています。

    最近では高級缶詰をうたう商品や実店舗やネット上での缶詰ショップもお目見え。
    日常食として、ちょっとした贅沢品として、私たちを楽しませてくれると同時に
    長期保存できるという点で、防災用としても重要視されています。
    あなたの好きな缶詰は何ですか?
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  • 2026.05.17
    第135回 5月17日「缶詰」前編
    フルーツ・野菜・魚・肉など、さまざまな食べ物を封じ込めた缶詰。
    常温で長期保存が可能なので、保存食として活用している方も多いことでしょう。

    200年ほど前、缶詰に繋がる原理を考えたのはフランスのニコラ・アペールさん。
    ナポレオン皇帝が、軍隊を率いて世界各地に遠征していた当時、
    士気を高めるため、美味しくて栄養のある食料が必要でした。
    ところが、兵糧は塩漬け・酢漬け・燻製が中心で美味しくない上に腐敗も多い。
    そこで、新たな食品保存技術法の公募があり、賞金を手にしたのがアペールさんでした。

    ただ、アペールさんのアイデアは瓶詰め。
    「ビンに調理した食品を詰めてコルク栓をゆるくはめる。
    次に湯せん鍋に入れ、沸騰点で30分から60分加熱。
    ビン内の空気を抜いた後、コルク栓で密封する」というものでした。

    1810年、アぺールさんが、この技術に関する本を出版すると、英語やドイツ語に翻訳されます。
    これを読んで、鉄板に錫をメッキしたブリキを容器にすることを考えたのが、
    イギリスのピーター・デュランドさん。

    デュランドさんは、ブリキ缶による食品貯蔵法および蓋をする容器を開発して特許を取得。
    開発品をTin Canisterと名づけました。Tinは錫、Canisterは保存容器という意味ですが、
    Canisterの頭3文字が、英語で缶を意味するCanの始まりです。

    2年後、この特許を元に、イギリスで世界最初の缶詰工場を設立したのがブライアン・ドンキンさん。
    当時は手作業で、蓋ははんだ付け。生産量は1日わずか60から70缶ほど。
    ブリキは厚く「のみとハンマーで開けて下さい」と書かれていたといいます。
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  • 2026.05.10
    第134回 5月10日「学ラン」後編
    明治時代、陸軍の軍服をモデルにつくられた学ラン。
    黒が主流なのは、当時の軍服が黒だったからですが・・・

    実は、かつてヨーロッパ各国の軍服は、カラフルでした。
    その理由は、当時は砲弾の煙の中で味方を識別しやすいようにするため。
    しかし、エネルギーに石炭を使うようになると、
    カラフルな軍服が黒く煤けてしまうようになります。
    そこで、汚れが目立たないよう軍服を黒に変えたので、現在の学ランも黒なのです。

    そんな学ラン。
    当初の素材は、庶民が着ていた綿や麻の服と違い、高価な毛織物でした。
    量販ではなく、オーダーメイドだったため、素材や形状に個人差もあったようです。
    そして、大正末期から昭和初期には、工業用ミシンが登場。
    綿が素材の安価な製品が作られるようになって、地方にも普及しました。

    戦時中になると、衣服の製造・加工は軍の管理下に置かれ
    学生服メーカーは厳しい状況に陥りますが、
    終戦を経て禁止令が解けると、学ランは復活を遂げます。

    ほどなく、化学繊維を使った機能性が高い製品も登場しました。
    また、若い世代のファッション性や自己表現を反映するアイテムにもなります。
    長ラン、短ランなどです。

    一方で “変形”学生服への対策や学校のオリジナリティを表現しやすいといったことなどから
    昭和40年頃からブレザーが普及します。2023年に実施したあるアンケート調査によると
    中学生は54.5%が学ランで37%がブレザー、高校生は34.8%が学ランで48.0%がブレザー。
    高校生は、ブレザーの割合が多いですね。

    しかし、文化や伝統を重んじて、今なお学ランを採用している学校も少なくありません。
    また、ストレッチ性があり、洗濯機洗いができて、撥水・防汚加工が施され、軽量化が進むなど
    学ランの機能性も、かつてないほど高まっています。
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  • 2026.05.03
    第133回 5月3日「学ラン」前編
    詰襟がある男子学生服の通称「学ラン」。
    学ランの“ラン”は何からきているか、考えたことはありましたか?

    “ラン”は、オランダからきているとする説が有力です。
    鎖国政策をとって以降の江戸時代に、日本が西洋で唯一、貿易をしていた国がオランダ。
    そのため、舶来物の生地は「ランダ」と呼ばれ
    舶来物の衣服は「蘭服」と呼ばれていました。

    もともと日本人が着ていたのは和服。
    しかし、江戸時代が終わって、文明開化を目指す明治時代を迎えると
    官僚の制服や軍服から洋装化が始まります。

    今のように義務教育以降の進学が当たり前ではない時代
    将来の日本を担う存在と注目された学生の着る制服も、その流れに則りました。
    明治5年、新たな学校制度を定めた法令の「学制」が発布となり
    近代教育の象徴として洋装が採用されます。

    そして、明治19年に現在の東京大学、当時の帝国大学で、
    陸軍の軍服に倣った詰襟で金ボタンの制服が導入。
    ここから、詰襟タイプの男子学生服が普及していきました。
    その過程で和装との対比で学生が着る「蘭服」というところから
    「学ラン」の呼び方が生まれ、広がっていったと考えられています。

    当時、日本における大学は帝国大学だけ。
    学ランを着ていれば外見から一般大衆と区別されるとともに、自らの威厳を保ち、
    国や大学への帰属意識も表現できるという効果も期待されたようです。
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  • 2026.04.26
    第132回 4月26日「マッサージチェア」後編
    藤本信男さんが、1954年(昭和29年)に発売したマッサージチェアは、基本的に木製でした。
    肩の位置に2つ、アイスホッケーのパックを縦にセットしたような「もみ玉」があって
    腰のほうに向かって動くようにレールがついています。これは自転車のチェーンの原理。
    椅子の横にある自動車のハンドルを片手で廻すと「もみ玉」の位置を調整できるというもの。
    かなりアナログですが、なかなかのアイデア製品。

    この初号機は当時7万円、現在なら100万円ほどですが、銭湯や温泉旅館で人気になりました。
    好奇心でやってみたくなりますし、お金を10円入れると3分動く装置もあって、
    置く側にすれば、話題になって利益も出るので導入したのでしょう。

    1970年代に入ると、マッサージチェアは家庭にも普及し始めます。
    初めての家庭用製品が発売されたのは1975年(昭和50年)。
    それまで別々だった揉む機能と叩く機能が一体化。スイッチで切り替えられるようになります。
    また、もみ玉とアームの取り外し可能にして、普段は普通のソファとして使えるようにしました。

    その後、90年代にはエアー技術が導入されて、足のマッサージもできるようになり
    2000年代に入るとAI技術、3Dセンシング技術が進化して
    マッサージの種類は、どんどん多彩に、きめ細やかになっています。

    最近のマッサージチェアは、AIが40種類〜50種類もあるメニューの中から
    使う人のコンディションに合わせて最適な施術をやってくれたりするとか。
    もちろん、そこそこのお値段はしますが、最新機種が家にあったらいいですよねぇ(笑)
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  • 2026.04.19
    第131回 4月19日「マッサージチェア」前編
    温泉旅館やホテル、健康センターなどでお世話になることもあるでしょう「マッサージチェア」。
    やっぱりそうか!と思うでしょうか。量産製品が開発されたのは日本です。

    時は、映画『ゴジラ』の第1作が公開された1954年(昭和29年)。
    開発者は、藤本信男さんという方。

    ご自身の会社を起業し、それは現在もあるマッサージチェアの製造会社ですが、
    マッサージチェアをつくる前にやっていたビジネスは、銭湯のタイルを洗うタワシの販売。

    当時の日本は、戦後の復興が始まっていたとはいえ、
    浴室がある家はまだ少なく、多くの人が銭湯通いでした。
    人々が1日の疲れを癒す銭湯。藤本さんは、その脱衣場を使って何かできないかと考えます。

    そこで、思いついたのが、マッサージをしてくれる椅子だったのです。
    何かを成し遂げる人というのは、そういうところで閃くものなのですね。

    藤本さんは、マッサージに通い、ツボがどこにあり、
    どこを揉まれると気持ちいいのか、自らのカラダをつかって研究しました。
    そして、人間の体の構造と当時可能な技術から目をつけたのが、椅子の背に当たる背中。

    試作品は、捨てられていた木材や野球のボール、自転車のチェーン、
    車のハンドルなどを集めて組み立て、ようやく1号機の販売に漕ぎ着けました。
    この続きは、来週の「後編」で。
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