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雲 雲 雲 木 人々 街並み
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ABOUT

毎週日曜日14:55-15:00(FM FUKUOKAのみ10:55-11:00)オンエア!毎回、世の中の”モノ”を取り上げ、そのモノの 歴史からイマ、未来をショートストーリー仕立てでお送りする番組です。身近なモノが少し、へえ~となるお話をお届けします。

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笠間 淳

声優。4月10日生まれ、広島県出身。
主な出演作品は、ナレーション「すくすく子育て」(NHK Eテレ)、劇場アニメ「THE FIRST SLAM DUNK」(三井寿)、アニメ「ガンダムビルドダイバーズ」(クジョウ・キョウヤ)、アニメ「お前はまだグンマを知らない」(轟二矢)、アニメ「タブー・タトゥー」(カーター)、ゲーム「アイドルマスター SideM」(葛之葉雨彦)など。

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笠間 淳

REPORT

  • 2025.02.09
    第69回 2月9日放送「仕事着(ユニフォーム)」後編

    明治維新を経て新たな時代に入った日本が目指したのは、
    欧米に肩を並べられる国になること。

    西洋人と交流を持つようになった上流社会の男性は、
    それまでの和装を洋装へと変えました。
    洋装は皇族の対外的な服装、官僚の制服、軍服にも取り入れられ、
    やがて一部の職業の制服にまで広まりました。

    殖産興業の結果、日本は紡績業・繊維業・縫製業が盛んになり、
    絹・綿・羊毛など、衣服の原料が豊かになったため、
    国営の鉄道・船舶・郵便・工場でも制服が定められたのです。
    また、学生服も広く浸透していきました。

    そして、現在のように、仕事着(ユニフォーム)が、
    より機能性に優れ、ファッショナブルになったのは戦後のこと。
    特に大きなきっかけは1970年の大阪万博だったと考えられています。

    コンパニオンと呼ばれる案内係の女性は、
    当時世界で大ブームになっていたミニスカートを着用。
    これが話題となったため、大手企業や新興企業では、
    制服のデザインをデザイナーに依頼してファッション性を取り入れたのです。

    その後、特にワーキングユニフォームの分野における縫製技術が向上。
    より着心地がよく、動きやすく、安全にという改善がなされてきました。
    また、素材加工の技術も進歩を遂げています。

    働く側としては、仕事へと気持ちが切り替えられて安全に快適に作業ができる、
    会社側としては、社内に一体感が生まれ、対外的なブランディングに繋げられる
    仕事着(ユニフォーム)は、日本文化の1つと言えるかもしれません。
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  • 2025.02.02
    第68回 2月2日放送「仕事着(ユニフォーム)」前編
    現代社会では多くの人が仕事着を着ています。
    医師 / 電車の運転士 / 裁判官 / 工場で働く方 / 物流の現場で働く方など。
    それらの仕事着の源流を1つにまとめるのは難しいですが・・・

    歴史を振り返ると仕事着は身分を表したり、権威を知らしめるものでした。
    日本では飛鳥時代に聖徳太子が冠位十二階を制定。
    朝廷で働く人を12の位階に分けて異なる冠の色にしています。
    その後の平安時代には、貴族は身分で衣服に使える色が決められていました。

    時が経つと職業集団が、同じユニフォームを身につけるようにもなります。
    わかりやすい例が、江戸時代の消防士である火消し。
    ここには社会への身分提示という意味の他に仲間との連帯意識の構築の意図が伺えます。
    現在のスポーツにおけるユニフォームが、チーム結束に一役買っているのと同じでしょう。
    火消しは明暦の大火の後、丈夫な生地と織り方の火事羽織を着るようになります。
    危険を考慮し、より機能性を考えてのことでした。

    ほどなく、イギリスで産業革命が起こり
    その技術革新で大きな恩恵を受けたのが繊維産業です。
    紡績機や織機が機械化されて、性能が飛躍的に向上。
    高品質の生地が安価で手に入るようになって
    仕事着(ユニフォーム)の供給と需要は拡大しました。

    産業革命は市民に富とゆとりを生み、また王政から市民社会へと移行していく中で
    人々は礼節のため、自身の評価のため、服装への関心を高めます。
    その中で自分の仕事に向いた実用的な仕事着を身につけるようになりました。
    近代ヨーロッパでは、人は身なりで職業がわかったといいます。
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  • 2025.01.26
    第67回 1月26日放送「ビスケット」後編
    1543年に種子島にやってきたポルトガル人が日本にもたらしたビスケット。
    残念ながら当時の日本人の好みには合わず、江戸時代には外国への窓口があった
    出島近郊の長崎でのみ、外国人に向けて作られていたようです。

    そのビスケットが、幕末になって保存のきく兵糧として注目されます。
    水戸藩の蘭医 柴田方庵という人物が、長崎でオランダ人から学んだビスケットの作り方を藩に送った手紙が残っています。また、薩摩藩も兵糧として準備していました。

    そんな時代を経て明治・大正時代になると菓子店でビスケットの製造・販売が始まります。
    日本で最初にビスケットを研究して製造、販売したとされるのは米津松蔵という人物。
    1875年(明治8年)のことでした。

    この方は、その2年後の第1回内国勧業博覧会にビスケットを出品。
    最高賞を授与されています。イギリスからビスケット製造機を購入した記録もあります。

    ビスケットの美味しさが飛躍的に向上するのは戦後。
    材料の供給が回復し、製造方法の機械化が進み、大量生産も可能となりました。
    1971年(昭和46年)にはビスケットの輸入も自由化されています。

    そんなビスケット。
    今では美味しいものがたくさんありティータイムを至福のひと時に演出してくれています。
    あなたはどんなビスケットが好きですか?
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  • 2025.01.19
    第66回 1月19日放送「ビスケット」前編
    誰もが知るビスケット。
    でも「何をもってビスケットと言うのか?」と尋ねられたら
    多くの人は答えられないかもしれません。
    まずはビスケットの定義を把握しておきましょう。

    全国ビスケット協会の規約によると
    ビスケットは「小麦粉・糖類・植物油脂・食塩を主な材料とし、オーブンで焼いたもの」。
    一般に言うと“主に小麦粉、砂糖、油脂、乳製品から作られる焼き菓子”の総称。
    クッキーやクラッカー、プレッツェル、パイなどもビスケットの一種です。

    ビスケットの名前はラテン語のbis coctus(ビス・コクトゥス)に由来します。
    この言葉の意味は「二度焼かれたもの」。
    紀元前2000年頃、古代ヨーロッパ人が航海や遠征の旅をする時の食料として
    いちど焼いたパンを乾かしたり、さらに焼いたりして水分を減らし
    日持ちする食べ物として携帯したことが起源のようです。

    ビスケットが本格的に作られるようになったのは16世紀の後半頃のヨーロッパ上流社会。
    イングランドの女王のエリザベス1世やフランス王妃のマリーアントワネットは、
    宮廷でビスケットを作らせていたという話が残っています。

    そんなビスケットが日本にやってきたのは16世紀。
    1543年に種子島に漂着したポルトガル人が、鉄砲やカステラと一緒に伝えたようです。

    ただ、当時の日本人の嗜好に合いませんでした。
    鎖国政策の中で唯一、外国に門戸を開いていた出島がある
    長崎周辺で外国人向けに売られるにとどまっていました。

    日本にビスケット愛好家が現れるのは、明治時代になってからのことです。
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  • 2025.01.12
    第65回 1月12日放送「電子レンジ」後編
    今でこそ「一家に一台」の電子レンジ。
    ただ、どんな家電製品も当初は「そんなものが必要なのか?」という
    懐疑的な目で見られて普及には時間がかかるもの。
    電子レンジも「冷たいものを温めるだけなのに高いお金を払う必要がある?」と
    多くの人が疑問を持ったことが想像されます。
    しかし、時代の移り変わりとともに生活スタイルは変わり
    便利な機能が追加されていく中で、その存在価値は変わっていきました。

    1966年には国産のターンテーブル式製品が登場。
    食品の加熱ムラが減り、電子レンジの利用価値は高まります。
    翌1967年、調理が終わった時に「チン」と鳴る機種が発売スタート。
    電子レンジで温めることを“レンチン”と言ったり“チンする”と言う始まりです。
    それまでは食品の種類・分量・温度によって手動で加熱時間をセットしていましたが、
    温度センサー付きの機種も出て、その手間も必要なくなりました。
    その後、本来の“加熱して温める”ことに加えてオーブンレンジ、
    スチーム発生レンジ、オーブングリルレンジ、トースターレンジなど
    さまざまなプラスアルファ機能がついた機種が登場します。

    コンビニの定着や核家族・共働き世帯の増加も電子レンジのニーズを後押し。
    普及が進めば、価格もリーズナブルになっていくもの。
    1980年台に入ると、日本の家庭用電子レンジの普及率は世界一になりました。

    現在の電子レンジはごくシンプルな機種から多くの機能がついたものまで様々。
    より美味しく、健康な暮らしに役立つべく、進化を続けています。
    あなたは、どんな電子レンジを使っていますか?
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  • 2025.01.05
    第64回 1月5日放送「電子レンジ」前編
    スイッチを入れるだけで冷凍食品を解凍できて、お弁当を温められて、
    ちょっとした調理さえしてくれる電子レンジ。
    現代の日常生活に欠かせない“魔法の箱”ですが、その原理を知っていますか?

    宇宙では絶えず電磁波が自然発生しています。
    電磁波は波長によって呼び方が変わり、X線・紫外線・赤外線などが有名ですが、
    その一種「マイクロ波」で食品内部の水分を振動することで熱を発生させ、
    加熱しているのが電子レンジです。

    1945年に、この原理を見つけたのは、アメリカ人技師のパーシー・スペンサーさん。
    実験中にポケットのチョコレートがマイクロ波で溶けていた事がきっかけだったそうです。
    ここからヒントを得て1947年に世界初の電子レンジが製品化されます。

    しかし、家庭のキッチンに置くには大きく、値段も高額だったため、普及しませんでした。
    その後、他社が家庭用と銘打った商品を発売しますが、これも広まりません。
    パン食が主流のアメリカ。19世紀初頭にはガスオーブンが登場し、
    19世紀の終わりには電気オーブンが普及していたことも原因だったとされています。

    一方、日本で電子レンジ製造の取り組みが始まったのは1950年代半ば。
    初の国産業務用電子レンジが発売されたのは1961年。
    1964年に東海道新幹線が開業すると、電子レンジはビュッフェに装備され、
    同年開催の東京オリンピックの選手村にも設置されて話題になります。

    国産の家庭用1号機の発売は1965年。
    パン屋さんの店頭に置かれ、ホットドックの再加熱のため盛んに使われました。
    翌1966年には初めてターンテーブルを採用した家庭用電子レンジが発売。
    食品を回転させることで加熱のむらがなくなり
    電子レンジは一家に一台の爆発的人気商品になっていきます。
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