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雲 雲 雲 木 人々 街並み
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ABOUT

毎週日曜日14:55-15:00(FM FUKUOKAのみ10:55-11:00)オンエア!毎回、世の中の”モノ”を取り上げ、そのモノの 歴史からイマ、未来をショートストーリー仕立てでお送りする番組です。身近なモノが少し、へえ~となるお話をお届けします。

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笠間 淳

声優。4月10日生まれ、広島県出身。
主な出演作品は、ナレーション「すくすく子育て」(NHK Eテレ)、劇場アニメ「THE FIRST SLAM DUNK」(三井寿)、アニメ「ガンダムビルドダイバーズ」(クジョウ・キョウヤ)、アニメ「お前はまだグンマを知らない」(轟二矢)、アニメ「タブー・タトゥー」(カーター)、ゲーム「アイドルマスター SideM」(葛之葉雨彦)など。

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笠間 淳

REPORT

  • 2026.08.16
    第148回 8月16日「そうめん」前編
    何をもって「そうめん」なのか? その定義をお伝えしましょう。
    主原料は小麦で小麦に塩と水を加えたのがそうめん。
    そこに麺同士がついてしまわないように植物油が使われています。

    基本の原料が同じものに「ひやむぎ」と「うどん」があります。
    その違いは、太さ。食品表示上で区分されているのです。


    ◼️ そうめん:直径 1.3 mm 未満

    ◼️ ひやむぎ:直径 1.3 mm 〜 1.7 mm 未満

    ◼️ うどん:直径 1.7 mm 以上


    そうめんのルーツとされているのは古代中国の索餅(さくへい)という食べ物。
    中国語で「索」は縄を指し、「餅」は日本でいう餅ではなく、
    小麦と米粉を混ぜ合わせたものを意味します。
    索餅は小麦粉と米の粉を練って縄のような形にねじったものでした。

    これが奈良時代、醤油・味噌・納豆・ごま油と一緒に遣唐使の船で日本に渡来。
    やがて麺状になり、名前も索餅から、平安時代から鎌倉時代頃に索麺となり
    室町時代に素麺になったと考えられています。

    「索」と「素」の字は形が似ていますし
    「さくめん」「そうめん」も音が似ていますよね。

    ちなみに、日本の麺というと蕎麦のイメージがあるかもしれませんが、
    古いのは素麺や饂飩のように小麦を原料としたもの。

    蕎麦は当初、そば粉にお湯を加え、練り混ぜ団子状にして食べる「そばがき」でした。
    麺状の「蕎麦切り」にして食べるようになったのは江戸時代頃。
    比較的最近のことなのです。
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  • 2026.08.09
    第147回 8月9日「かき氷」後編
    庶民にかき氷が広まったのは明治時代。
    明治2年、横浜の馬車道に「氷水店」がオープンしました。

    店主の町田房造さんは、徳川幕府の使節団としてアメリカに渡り、
    アイスクリームを初めて食べた日本人とされる人物。
    日本で初めてのアイスクリーム「あいすくりん」を製造・販売し
    細かく砕いた氷にシロップをかけた氷水(こおりすい)も提供しました。

    原料は、アメリカから輸入した天然氷。
    当初は「冷たいものを食べると腹をこわす」という噂で売れませんでしたが、
    安全性が認知されると爆発的な人気を博したとか。

    その後、かき氷が普及したのは、2つの開発によります。
    1つは人工的に氷を製造できるようになったこと。
    明治16年、日本人による日本最初の製氷会社が、京橋区新富町に設立されています。
    もう1つは、明治20年、氷商の村上半三郎さんが、手回しハンドル式のかき氷機を発明したこと。
    これで細かい氷ができるようになりました。

    家庭でも、かき氷を楽しめるようになったのは、冷凍庫付の電気冷蔵庫が普及し、
    家庭用のかき氷機が登場した昭和40年以降。
    子どもの頃に熊さんやペンギンさんでかき氷をつくった方もいるでしょう。

    最近では、削った氷の食感がジャリジャリではなく、ふわふわになるよう
    徹底的にこだわった、かき氷機が開発され、ヒット商品も生まれています。
    また、シロップも素材と加工法にこだわった商品がたくさん出てきています。

    一方で、1990年代に天然氷でつくるかき氷のブームが起こり、
    埼玉や栃木にある氷の産地の高級かき氷店が人気を集めています。
    最近では、通年営業するかき氷店も登場しています。

    あなたはどんなかき氷が好きですか?
    夏の暑さを和らげる至高の一服ですよね、かき氷。
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  • 2026.08.02
    第146回 8月2日「かき氷」前編
    氷を薄く削り、シロップをかけた「かき氷」。
    名前の由来には諸説あります。昔は夏の氷が貴重なもの。
    天然氷の欠けた部分を削って食べたので「欠き氷」という説や
    大胆に氷を削る、東京の言葉で“ぶっかく”ので「ぶっかき氷」が変化して
    「かき氷」になった説などがあります。

    そんなかき氷に類する物の起源を世界に見てみると
    古代中国では、宮廷で氷を削り、蜜をかけて食べていた記録があります。
    古代ペルシャでは、砂漠で氷を保存するヤフチャールという冷蔵施設が開発されて
    果物や花びらから作るシロップを水や氷で割って飲むシャルバトがありました。
    このシャルバトが発展して、今のシャーベットやソルベになったようです。
      

    日本を見てみると、平安時代に書かれた清少納言の「枕草子」に
    削り氷(けずりひ)に甘葛(あまかずら)というシロップをかけたものが
    「あてなるもの」、今の言葉で言うと「上品なもの」として紹介されています。
    この削り氷(けずりひ)が、現在のかき氷の原型。

    当時は、冬にできた氷を氷室と呼ぶ穴や部屋で保存していました。
    奈良市や天理市には氷室神社があり、氷の神様が祀られています。
    ともに近くに氷室があって、冬の氷を保存し、夏になると朝廷に献上していました。
    夏の氷や削り氷は、長らく皇族や貴族だけが口にできるものだったのです。

    でも、夏は庶民だって暑いのは変わりません。 
    江戸時代になると冷や水売りなるものが登場しています。
    「冷や水」は、深い井戸から汲んだ冷たい水に白玉や砂糖を入れたもの。
    「ひゃっこい、ひゃっこい」と言いながら売り歩いたとか。
    庶民が夏に氷を楽しむようになるのは、もう少しあとのことです。
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  • 2026.07.26
    第145回 7月26日「扇子」後編
    今に繋がる扇子が完成した鎌倉・室町時代、
    扇子は武将が戦場で指揮する時にも使われるようになります。

    また、次第に庶民の間でも正月や御宮参りなど、生活の節目に扇子が使われるようになりました。
    一方で、この時代に生まれた能楽歌舞伎・茶道といった
    日本の文化芸能に欠かせない小道具としての地位を築きました。

    そして、折り畳めるコンパクトさとデザインの芸術性に東洋の神秘を感じたのでしょうか
    大航海時代を迎えると、扇子は中国経由でヨーロッパへ伝わり、独自の発展を遂げます。
    17世紀のパリには、扇子を扱う店が150軒以上あって、
    上流階級のコミュニケーションの道具として大流行したといいます。

    こうして扇子の歴史を見てきましたが、
    まだ、涼むために扇子をあおぐという話は出ていません。

    実は、いま一般的なこの使用目的広まったのは、町人文化が花開いた江戸時代の後期。
    歌舞伎や寄席など、庶民の娯楽が増える中で外出用のおしゃれ小物として広がったのです。

    あなたもこの夏、扇子を使って過ごしませんか?
    例えば京都には、公家文化を繁栄した雅で華やかな京扇子があり、
    東京には、京都から技術が伝わって生まれた粋な江戸扇子があります。
    そして、今もヨーロッパ人は日本の扇子に魅せられるのでしょう。
    多くのハイブランドも扇子を販売しています。

    お気に入りの扇子を持っていると涼しく、楽しく
    暑い夏を乗り越えられるかもしれません。
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  • 2026.07.19
    第144回 7月19日「扇子」前編
    扇子が生まれた国として有力なのは日本。
    折り畳まない団扇のようなものは、古代文明の頃からありました。
    中国では、高貴な人が顔を隠すための「翳(さしば)」という道具。
    これが古墳時代の日本にも伝わり、翳をかたどった埴輪も発見されています。

    その翳から扇子が考案されたと考えられているのが8世紀頃。
    奈良時代の終わりから平安時代にかけて。

    当初は、文字を書き記すための薄い木の札「木管」の端に穴を開け、
    こよりでまとめて紐で繋いだ「檜扇(ひおうぎ)」と呼ばれるものでした。
    これもあおいで涼をとる道具ではなく、男性貴族のメモ帳だったようです。

    やがて、「檜扇」の装飾性は高まり、おしゃれアイテムとして宮中の女性にも広まります。
    彼女たちは、とっさに他人の視線を遮る道具としても使ったようです。
    やがて、檜扇は貴族が正装する時の必需品となり
    贈答品やコミュニケーションツールにもなりました。
    和歌を書いて贈ったり、花をのせて贈ったりしたことが、当時の文献に記されています。

    檜扇に続いて登場したのが「蝙蝠扇(かわほりおうぎ)』。
    これは、片面だけに紙を張りつけたもの。
    名称は広げた形が蝙蝠に似ているからとも「紙貼り」の音が変化したとも言われています。

    鎌倉時代になると、扇子は中国へ輸出されます。
    続く室町時代に、中国産が「唐扇」として逆輸入され、
    両面に紙を貼った扇子が完成しました。
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  • 2026.07.12
    第143回 7月12日「提灯」後編
    電気がない時代、提灯は現在の懐中電灯・街灯・ネオンサイン・室内照明具など
    複数の役割を果たしていました。

    日本に初めて街灯、当時はガス灯が灯ったのは1872年(明治5年)。
    その後、大都市には電灯も含めて街灯が設置されていきますが、それは限られた地域。
    昭和初期まで、提灯は照明具として重宝されていました。

    戦後になって、経済成長とともに、広く街灯が設置され、クルマが普及。
    提灯をさげて夜道を歩くことは無くなりましたが、今なお幾つかの用途で大切に使われています。

    例えば「祭」。
    夜中まで楽しむための照明具であり、お祭りの雰囲気を演出しています。

    そして、居酒屋などの店先にある店名や
    「おでん」「焼き鳥」といった主力商品が書かれた「看板提灯」。
    あれを見ると、惹かれて暖簾をくぐりたくなりますよね? (笑)

    次に「神前」。
    神社の拝殿などには神前用提灯が飾られていますし、
    個人や企業の名前を入れて奉納する「奉納提灯」もあります。

    さらに、前編でふれたお盆の時に飾る「盆提灯」。
    お葬式で門前提灯や祭壇の両脇などに提灯を飾る場合もあるというように
    今なお、提灯は日本人の文化に欠かせないものになのです。

    ちなみに提灯には二大生産地があります。
    1番は岐阜提灯がある岐阜県。2024年の出荷額シェアは53.4%。
    2番目は八女提灯がある福岡県でシェア34.3%です。

    あなたは最近、どこかで提灯を見ましたか?
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