border 三井倉庫グループ presents 未来につなぐ物語 オンエア時間 三井倉庫グループ presents 未来につなぐ物語 オンエア時間 border

雲 雲 雲 木 人々 街並み
雲 雲 雲 木 人々 街並み

ABOUT

毎週日曜日14:55-15:00(FM FUKUOKAのみ10:55-11:00)オンエア!毎回、世の中の”モノ”を取り上げ、そのモノの 歴史からイマ、未来をショートストーリー仕立てでお送りする番組です。身近なモノが少し、へえ~となるお話をお届けします。

PersonariltyPersonarilty
笠間 淳

声優。4月10日生まれ、広島県出身。
主な出演作品は、ナレーション「すくすく子育て」(NHK Eテレ)、劇場アニメ「THE FIRST SLAM DUNK」(三井寿)、アニメ「ガンダムビルドダイバーズ」(クジョウ・キョウヤ)、アニメ「お前はまだグンマを知らない」(轟二矢)、アニメ「タブー・タトゥー」(カーター)、ゲーム「アイドルマスター SideM」(葛之葉雨彦)など。

>>もっと読む
笠間 淳

REPORT

  • 2026.07.19
    第144回 7月19日「扇子」前編
    扇子が生まれた国として有力なのは日本。
    折り畳まない団扇のようなものは、古代文明の頃からありました。
    中国では、高貴な人が顔を隠すための「翳(さしば)」という道具。
    これが古墳時代の日本にも伝わり、翳をかたどった埴輪も発見されています。

    その翳から扇子が考案されたと考えられているのが8世紀頃。
    奈良時代の終わりから平安時代にかけて。

    当初は、文字を書き記すための薄い木の札「木管」の端に穴を開け、
    こよりでまとめて紐で繋いだ「檜扇(ひおうぎ)」と呼ばれるものでした。
    これもあおいで涼をとる道具ではなく、男性貴族のメモ帳だったようです。

    やがて、「檜扇」の装飾性は高まり、おしゃれアイテムとして宮中の女性にも広まります。
    彼女たちは、とっさに他人の視線を遮る道具としても使ったようです。
    やがて、檜扇は貴族が正装する時の必需品となり
    贈答品やコミュニケーションツールにもなりました。
    和歌を書いて贈ったり、花をのせて贈ったりしたことが、当時の文献に記されています。

    檜扇に続いて登場したのが「蝙蝠扇(かわほりおうぎ)』。
    これは、片面だけに紙を張りつけたもの。
    名称は広げた形が蝙蝠に似ているからとも「紙貼り」の音が変化したとも言われています。

    鎌倉時代になると、扇子は中国へ輸出されます。
    続く室町時代に、中国産が「唐扇」として逆輸入され、
    両面に紙を貼った扇子が完成しました。
    >>続きを読む
  • 2026.07.12
    第143回 7月12日「提灯」後編
    電気がない時代、提灯は現在の懐中電灯・街灯・ネオンサイン・室内照明具など
    複数の役割を果たしていました。

    日本に初めて街灯、当時はガス灯が灯ったのは1872年(明治5年)。
    その後、大都市には電灯も含めて街灯が設置されていきますが、それは限られた地域。
    昭和初期まで、提灯は照明具として重宝されていました。

    戦後になって、経済成長とともに、広く街灯が設置され、クルマが普及。
    提灯をさげて夜道を歩くことは無くなりましたが、今なお幾つかの用途で大切に使われています。

    例えば「祭」。
    夜中まで楽しむための照明具であり、お祭りの雰囲気を演出しています。

    そして、居酒屋などの店先にある店名や
    「おでん」「焼き鳥」といった主力商品が書かれた「看板提灯」。
    あれを見ると、惹かれて暖簾をくぐりたくなりますよね? (笑)

    次に「神前」。
    神社の拝殿などには神前用提灯が飾られていますし、
    個人や企業の名前を入れて奉納する「奉納提灯」もあります。

    さらに、前編でふれたお盆の時に飾る「盆提灯」。
    お葬式で門前提灯や祭壇の両脇などに提灯を飾る場合もあるというように
    今なお、提灯は日本人の文化に欠かせないものになのです。

    ちなみに提灯には二大生産地があります。
    1番は岐阜提灯がある岐阜県。2024年の出荷額シェアは53.4%。
    2番目は八女提灯がある福岡県でシェア34.3%です。

    あなたは最近、どこかで提灯を見ましたか?
    >>続きを読む
  • 2026.07.05
    第142回 7月5日「提灯」前編
    提灯の起源とされているのは中国。
    一説よると、そのルーツは西暦25年から220年の後漢の時代まで遡ります。
    古くから携帯用の灯りとして、また祝祭行事の飾りつけとして、使われていました。

    今も中華街に行くと、たくさんの赤や黄色の提灯を見かけます。
    中国で赤は富や名声や繁栄を象徴する色、黄色は幸運を象徴する色。
    商売繁盛を祈願してのカラーリングなのです。

    そんな提灯。
    中国から日本にはいつ頃伝わったのでしょうか。
    1116年に書かれた「朝野群載」という文書が、日本で提灯についての最も古い記載とされ、
    遅くとも平安末期にはあったようです。当初のものは、竹で作った箱に、和紙を貼り付けた、
    籠提灯(かごちょうちん)のようなタイプ。折りたたむことはできませんでした。

    そして、室町時代の終わり頃になると、蛇腹状に折りたためる提灯が考案されます。
    当時の絵巻に、葬儀の列の中に提灯をぶら下げている人が描かれているので、
    仏具的な役割もあったのかもしれません。
    現在も、お盆の時期には先祖の霊が迷わず家に帰って来られるよう
    目印として盆提灯を灯す習慣が残っていますよね。

    その後の戦国時代から江戸時代にかけて、
    提灯は戦場や祭礼などで使われるようになりましたが、
    この頃はまだ、貴族や武士や僧侶など上流階級が使うものでした。

    庶民が使用するようになったのは江戸時代の中頃から。
    蝋燭が大量生産できるようになり、価格が下がったことで安価な提灯が登場、
    全国各地に広く普及するとともに多種多様な提灯が作られるようになっていきました。
    お盆に提灯を飾るようになったのも、この頃からのようです。
    >>続きを読む
  • 2026.06.28
    第141回 6月28日「マヨネーズ」後編
    日本でマヨネーズの普及に大きく関わったのが、
    マヨネーズなどを製造・販売する食品メーカーの創始者 中島 董一郎さん。

    1912年(大正元年)缶詰会社の社員だった29歳の中島さんは、研修でアメリカを訪れました。
    そこで出会ったのが、ポテトサラダに使われていたマヨネーズ。
    美味しさと栄養価の高さに魅了されたのです。

    帰国後、幾つかの会社を起業した中島さんは、その1つでマヨネーズ造りを始めます。
    目指したのは美味しいだけでなく、栄養価が高いマヨネーズ。
    日本人の体格と健康の向上を願ってのことでした。

    国産初のマヨネーズを売り出したのは1925年(大正14年)。
    2年前に起こった関東大震災からの復興が進み、西洋化の波が押し寄せていた時期で
    「マヨネーズが受け入れられる時期が来た」と中島さんは確信したようです。

    ただ、一般の認知度は低く、高価でもあり、初年度の出荷量はわずかに600kg。
    ちなみに当初の容器は瓶でした。
    そこから売り上げを伸ばしていきますが、太平洋戦争が始まると、原料が手に入らず製造休止。
    生産を再開したのは、終戦から3年後の1948年(昭和23年)でした。

    それから10年後の1958年(昭和33年)、容器にポリボトルを採用。
    扱いやすくなり、食の洋風化で庶民が生野菜を食べるようになったことも後押しして
    マヨネーズは、どの家庭にも置いてある調味料になっていきました。

    今、日本のマヨネーズはJapanese Mayoと呼ばれて海外で大人気。
    うまみ調味料が入っていて美味しい!絞り出す容器が使いやすい!という点が人気の要因だとか。
    とても美味しいマヨネーズ。ただ、カロリーは高いので摂りすぎにはご注意を。
    >>続きを読む
  • 2026.06.21
    第140回 6月21日「マヨネーズ」前編
    マヨネーズの基本の原料をご存知ですか?
    3つあって卵と植物油と酢。

    卵は全部使う全卵型と黄身だけ使う卵黄型があります。
    全卵型はクリーミーな食感とすっきりとした味わいで
    卵黄型はコクのあるしっかりしたうま味を持った味わいとされています。

    ちなみに、酢には酸味を加えるとともに、細菌の繁殖を抑える役割もあります。
    この3つに塩などの調味料や香辛料や糖分を加え
    混ぜて、乳化させたのがみんな大好きマヨネーズ ♡

    「マヨネーズ」の名称は、フランス語から派生した言葉とされています。
    その由来には諸説ありますが、有力なのはスペインメノルカ島の港町マオンを発祥とする説。

    18世紀半ば、フランス軍が当時イギリス領のメノルカ島を攻め
    その指揮官だったリシュリュー公爵が、マオンの小さな料理店に入った時のこと・・・

    美食の国の公爵に出す料理が思い浮かばない店主は、
    思案して塩、ビネガー、オリーブオイルなどで作る定番のソースに
    島の名物の卵を加えて混ぜ合わせ肉に添えてサーブしました。
    美味しい!と思ったのでしょう。公爵がソースについて尋ねると、
    店主は名前がないので「マオンのソース」と答えました。

    公爵がソースのレシピをフランスに持ち帰ると、
    息子が「Mayonnaise(マヨネーズ)」と命名。
    貴族から大衆へ広まり、フランスではどの家庭でも手作りする「おふくろの味」になりました。

    また、フランスからヨーロッパ諸国へ、アメリカへ、ここ日本へも伝わります。
    明治時代の洋食店では、マヨネーズはサラダ用ではなく、
    肉や魚料理のソースに使われていたようです。

    しかし、この頃にマヨネーズを口にしたのは限られた人だけ。
    庶民の調味料になるのは、もう少し後のことです。
    >>続きを読む
  • 2026.06.14
    第139回 6月14日「歯ブラシ」後編
    中国で生まれた歯ブラシは、ヨーロッパにも伝わります。
    しかし、なかなか普及しませんでした。

    状況が変わったのは、18世紀後半のイギリス。
    きっかけは暴動を起こして刑務所に入ったウィリアム・アディスさんという人物。

    当時のイギリスでは、布に煤や塩をつけて歯を磨くのが一般的。
    清潔好きで、その歯磨き方法は効果がないと考えるアディスさんは、
    食事で出た肉の骨と、看守にもらった動物の毛で、歯ブラシを製作。
    出所後に商品化すると、使いやすさから、市民に広まっていきました。

    それから100年後の幕末期、日本にも歯ブラシが伝わり、
    明治5年には、鯨の髭に馬の毛をつけた国産商品「鯨楊枝」が登場しています。
    当時の歯を掃除する道具といえば「楊枝」というイメージだったのでしょう。

    日本に「歯ブラシ」が浸透するのは、大正時代に入ってから。
    歯磨き粉メーカーが、商品名に「歯刷子(はぶらし)」と名づけて発売。
    不健康な歯は病気のもとと熱心に発信したことなどから定着していきました。

    そして、1938年、歯ブラシに革命が起こります。
    アメリカのメーカーが、発明したナイロンを、ブラシの毛に使ったのです。
    ここから大量生産が可能となり、いまスタンダードな歯ブラシが、
    世界に広まりました。

    現在、歯ブラシにはさまざまな工夫が凝らされています。
    ヘッドの形や大きさ、柔らかさ。ブラシの質や触感、カットの仕方、並び方。
    「電動歯ブラシ」はもちろん「超音波歯ブラシ」、口に入れるだけで
    全自動クリーニングしてくれる「スマート歯ブラシ」まであります。

    自分にフィットするものを見つけて、健康と清潔感のため
    オーラルケアをしっかりしましょう!
    >>続きを読む
  • MESSAGE

    番組の感想やパーソナリティへの
    メッセージを募集中!
    たくさんのメッセージ、
    お待ちしております!

    メッセージを送る 矢印 矢印
    放送時間
    3分で分かる三井倉庫グループ
    三井倉庫グループ 公式Youtubeチャンネル
    Share!
    X Facebook Line