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雲 雲 雲 木 人々 街並み
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ABOUT

毎週日曜日14:55-15:00(FM FUKUOKAのみ10:55-11:00)オンエア!毎回、世の中の”モノ”を取り上げ、そのモノの 歴史からイマ、未来をショートストーリー仕立てでお送りする番組です。身近なモノが少し、へえ~となるお話をお届けします。

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笠間 淳

声優。4月10日生まれ、広島県出身。
主な出演作品は、ナレーション「すくすく子育て」(NHK Eテレ)、劇場アニメ「THE FIRST SLAM DUNK」(三井寿)、アニメ「ガンダムビルドダイバーズ」(クジョウ・キョウヤ)、アニメ「お前はまだグンマを知らない」(轟二矢)、アニメ「タブー・タトゥー」(カーター)、ゲーム「アイドルマスター SideM」(葛之葉雨彦)など。

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笠間 淳

REPORT

  • 2024.02.25
    第19回 2月25日「入浴剤」後編
    古くから世界にあった入浴剤に類するも。
    日本でもそれは同じで冬至の日の柚子湯や端午の節句の菖蒲湯のように
    お風呂に薬用効果のある植物を入れる習慣は昔からありました。

    その日本で初めて入浴剤が生まれたのは明治30年。
    最初の商品は漢方薬メーカー 津村順天堂の「くすり湯 浴剤 中将湯」でした。

    開発のきっかけは、ある社員が更年期障害・冷え性対策の夫人薬
    「中将湯」の製造時に出る残滓を、もったいないと持ち帰ったこと。 
    生薬なのでお風呂に入れると、いつもより体が温まり、子どもの湿疹がおさまったのです。
    そこで、この効果をPRして銭湯に販売すると注文が殺到しました。

    一方で「冬は温まるが夏は暑くて汗が止まらない」という声が上がります。
    そこで昭和5年に今度は爽快感を得られる夏用入浴剤を発売。
    150グラムで50銭。当時の銭湯は大人5銭なので、かなり高価なものでした。

    この頃は、まだ内風呂があまりない時代。
    さらに戦時は入浴剤の生産は止まって一時は忘れられたものになります。
    復活したのは戦後の高度経済成長期。団地と内風呂が広く普及して
    国民は家庭でのささやかな贅沢と至福のひとときを求めたのでしょう、
    入浴剤の需要はどんどん伸びていきました。

    そして、その後も忙しさとストレスが増す社会の中、
    さまざまなバリエーションの入浴剤が登場。
    私たちを癒し、楽しませ、時に「どれを使おうか?」と悩ませてくれています。

    お気に入りの入浴剤が恋しくなりましたか?
    今夜はお家のお風呂でゆっくり疲れを癒して下さい。
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  • 2024.02.18
    第18回 2月18日「入浴剤」前編
    今週と来週は「入浴剤」の物語 。
    ナビゲーターの笠間さんも温泉とお風呂が大好き。
    笠間さん的に5本の指に入る群馬県草津温泉の入浴剤や
    疲れをとるための炭酸系入浴剤などを自宅のお風呂で愛用しているとか。

    笠間さんが愛するように家庭のお風呂の元といえば温泉。
    現在、日本にある宿泊施設を伴う温泉地は3,100以上、源泉総数はおよそ2万8,000。
    ともに世界一で、日本は世界屈指の温泉大国です。

    泉質や効能もさまざまで、そんな自然の恵があれば人は放っておくはずはなく
    古から病気やケガの治癒に、健康の保持や増進に役立ってきました。
    家庭のお風呂が一般的になった今の時代に入浴剤が使われるのも必然かもしれません。

    ここ20年ほどの入浴剤市場を見ると多少の上下はありながら売り上げは伸びていて
    2002年の424億円が2021年には現在のところの最高額568億円を記録しています。
    種類も年を追うごと増え、充実したお風呂タイムを過ごすアイテムとして
    欠かせないものになっていることは皆さん実感しているでしょう。

    ただ、入浴剤に類するものの歴史は日本だけに留まらず、諸外国にも見られます。
    例えば古代ギリシャでは病気の人を海水に浸すことで治癒した、
    古代エジプトでは香油と花と共に入浴した、古代メキシコでは薬草などを病気の
    治療目的でお風呂に入れて入浴が行われていたという記述が残っています。

    そんな歴史を経て、現在のような入浴剤が登場したのはごく最近。
    来週の後編では入浴剤誕生の物語をお伝えします。
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  • 2024.02.11
    第17回 2月11日「チョコレート」後編
    今週は「チョコレート」の後編。

    人類とチョコレートの原料カカオの関わりは古く
    紀元前3300年頃には南米エクアドルで自然界のものが食べられていました。

    人類はやがてカカオを栽培するようになり
    15世紀にメキシコ高原を支配したアステカ王国では
    神秘的な力を持つとして儀式の品や薬、さらには通貨としても用いられています。

    その後、ヨーロッパで最初にカカオがやってきたのはスペインでした。
    アステカ王国を征服し、カカオで作られた飲み物で
    チョコレートの元祖とも言える「ショコラトル」が伝わったのです。
    とうもろこしの粉や唐辛子などを混ぜた甘味がなく、スパイシーなショコラトルは
    強精・媚薬効果も期待されてスペイン貴族階級の嗜好品となりました。

    カカオの利用が食べ物へと広がったのは19世紀。
    それまでのカカオ飲料は脂肪分が多く水やミルクと混ざりにくい、
    豆の発酵時に生じる酸味があるといった難点がありました。
    これを1828年にオランダ人 C.Jバンホーテンが解決してココアパウダーをつくります。

    ほどなく、イギリスの菓子職人 ジョセフ・フライが、カカオ豆のペーストに、
    さらにカカオマスからとった脂肪分を足すと固形化することを発見。
    チョコレートの原型が生まれ、今に至るチョコレートの百花繚乱時代への流れが出来ます。

    横浜税関によると2022年の日本のココアパウダーの輸入量は
    過去最高の2万3,765tで最大の輸入港は全体の4割を占める横浜港です。

    カカオ豆を海外で栽培する人、日本に運ぶ人、チョコレートに変える人、
    ひとくちで幸せな気分にしてくれるチョコレートは
    さまざまな人の“思い”の結晶なのかもしれません。
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  • 2024.02.04
    第16回 2月4日「チョコレート」前編
    バレンタインデーが近づいてきた今週と来週は「チョコレート」の物語。
    チョコレートの原料はココアと同じくカカオの実の種です。

    チョコレートの作り方を簡単に説明すると
    まずはカカオ豆を発酵させ、乾燥させます。 
    そのあと低温で時間をかけて焙煎し、皮を取り除き、粉砕。
    すると、カカオ豆は脂肪分が55%ほどもあるため、茶色のペースト状になります。
    これが「カカオマス」と呼ばれるもの。

    いま頭の中のイメージでできたカカオマス。 
    これは、そのままキープしておいて下さい。 

    それとは別のカカオマスを用意しました。
    カカオマスは強い圧力をかけて絞ると脂肪分のオイルと固形物に分離し
    オイル部分を「カカオバター」、固形物を「ココアケーキ」と言います。
    そのカカオバターを先ほどのキープしておいたカカオマスに混ぜて
    砂糖や牛乳を混ぜると通常の茶色のチョコレートが完成します。

    ちなみにココアケーキは粉砕すると「ココアパウダー」となり、これはココアの原料。
    カカオバターに砂糖や牛乳を粉末にした粉乳を加えたものがホワイトチョコレートです。
    なんとなくイメージしていただけたでしょうか?

    カカオの樹は1年の平均気温が27度以上、高温多湿の土地で育つため
    国内で使うカカオ豆はほぼ全て外国産。
    発酵・乾燥過程まで施されたものが日本にやってきます。
    2022年の輸入量はおよそ4万4千トン。 
    輸入先で圧倒的に多いのが西アフリカのガーナ、次いで南米のベネズエラ、エクアドル。
    豆の味は品種や産地、栽培地の気候、発酵の仕方などでずいぶん違います。
    そんな「チョコレート」の物語は来週へと続きます。
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  • 2024.01.28
    第15回 1月28日「テレビ」後編
    先週は多くの国の研究者がバトンを繋いで生み出したのが「テレビ」という話でした。
    1929年以降、各国でテレビ放送が始まる中で、技術の遅れや戦争があった日本では、
    ひと足遅れて1953年(昭和28年)にNHKがテレビ放送をスタート。 
    テレビ時代が幕を明けます。

    その4年後の昭和32年にはカラー放送が始まり、
    昭和34年、当時の皇太子殿下と美智子妃殿下の「ご成婚パレード」、
    昭和39年、「東京オリンピック」などを足がかりにテレビは一般家庭に普及していきます。

    戦後復興期の象徴として冷蔵庫・洗濯機とともに「三種の神器」となったのもこの頃。
    そして、昭和50年台に入ると世帯普及率は90%を超え、ほどなくほぼ100%に到達。
    国民はテレビから瞬時に伝わる情報を共有するようになり、
    歌、ドラマ、ギャグ、アニメ、事件、コマーシャルなど多くのブームが生まれました。

    ちなみに日本の歴代テレビ視聴率ベスト3は

    ③ 位 2002年 サッカーW杯 日本 対 ロシア 66.1%

    ② 位 1964年 東京オリンピック 女子バレー 66.8%

    ① 位 1963年 NHK紅白歌合戦 81.4%


    21世紀に入ると、ブラウン管テレビは、液晶テレビ・有機ELテレビへと移行。
    薄く、大きく、映像は驚くほど綺麗です。
    そして、動画配信サービスやインターネットも楽しめるようになりました。
    時代ともにスタイルを変えつつ、テレビは私達のエンタメライフに一役買ってくれています。
    ちなみに2月1日はNHKがテレビ本放送を始めた「テレビ放送記念日」です。
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  • 2024.01.21
    第14回 1月21日「テレビ」前編
    最近のテレビは薄型になり、画面が大きくなり、本当に迫力ある映像を楽しめます。
    2022年の、日本における薄型テレビの出荷台数は、およそ487万台。
    そのうち4割がサイズ50型以上で、半数以上が4K対応だそうです。
    あなたの家ではもう4K、あるいは8K対応タイプですか ?

    テレビの開発については誰が、いつと端的に言うことはできません。
    さまざまな人の発明と開発の結びつきと応用によって生まれたものだからです。

    1つの起源は日本では江戸時代末期だった1843年、
    スコットランドで画像をスキャンして電送する装置が開発されたこと。
    その後、無線通信が発明され、さらにブラウン管がつくられたことで
    テレビの受信装置の原型ができ、大正時代の1911年、
    ロシアで世界初のテレビによる送受信の実験が成功します。
    しかし、この時はまだ、映像の信号を増幅させる真空管の技術が未熟で、
    実用化には至りません。

    そのテレビを実用化レベルに引き上げたのが日本人。
    のちに日本では「テレビの父」と言われる工学者 高柳健次郎さんが、
    大正15年と昭和元年にあたる1926年、ブラウン管での電子映像表示に成功したのです。
    その後、さらに技術の開発・改良がさまざまな国であり、1929年(昭和4年)、
    イギリス国営放送のBBCを皮切りに世界で次々とテレビ放送がスタート。
    瞬く間にテレビは20世紀最大のメディアとなっていきました。

    私たちが毎日の暮らしで、楽しい時間を享受しているテレビは、
    多くの国の研究者がバトンを繋いで生み出した魔法の箱なのです。
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