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雲 雲 雲 木 人々 街並み
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ABOUT

毎週日曜日14:55-15:00(FM FUKUOKAのみ10:55-11:00)オンエア!毎回、世の中の”モノ”を取り上げ、そのモノの 歴史からイマ、未来をショートストーリー仕立てでお送りする番組です。身近なモノが少し、へえ~となるお話をお届けします。

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笠間 淳

声優。4月10日生まれ、広島県出身。
主な出演作品は、ナレーション「すくすく子育て」(NHK Eテレ)、劇場アニメ「THE FIRST SLAM DUNK」(三井寿)、アニメ「ガンダムビルドダイバーズ」(クジョウ・キョウヤ)、アニメ「お前はまだグンマを知らない」(轟二矢)、アニメ「タブー・タトゥー」(カーター)、ゲーム「アイドルマスター SideM」(葛之葉雨彦)など。

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笠間 淳

REPORT

  • 2025.10.26
    第106回 10月26日「飛行機」後編
    1927年、チャールズ・リンドバーグが、
    プロペラ機「スピリッツ・オブ・セントルイス」に乗ってニューヨークからパリへ。
    世界初の大西洋単独無着陸飛行に成功します。

    この頃すでに飛行機は、郵便輸送や旅客用として利用されていました。
    日本でも1922年に民間会社の運航がスタート。最初は堺-高松間を週3往復する路線でした。
    その後、他の航空会社も参入し、航空路線は増えていきます。

    この頃に使われていたのは外国製の機体ばかりだったので、国産飛行機への期待が高まり
    海軍機を改造した国産飛行機「ニッポン号」による日本人初の世界一周が1939年に達成されました。
    これはおよそ2ヶ月、52,860km、194時間という長旅だったそうです。

    戦後になると飛行機は、大量輸送を担う交通機関として大活躍していきます。
    第二次世界大戦下のドイツで開発されたジェットエンジンの技術が急速に進歩して
    1950年代の終わりにはボーイング707とダグラスDC-8が登場。
    プロペラ機からジェット機へと主流は移っていきました。

    70年代に入ると乗客数500名を超えるジャンボジェット ボーイング747が普及。
    誰もが飛行機を利用できる時代となり、21世紀に入ってから日常感は増しています。

    そんな飛行機を構成する部品は、ジャンボクラスになると数百万点。
    特に最新旅客機は、約50%が炭素繊維複合材料でできています。
    これは、炭素繊維を樹脂と一体化させたもの。
    重さは鉄の4分の1なのに、強さは10倍、硬さも7倍以上。
    耐疲労性、耐腐食性、振動減衰性などの特性を持つ一方で、
    熱膨張率は低く、大きさが変わらないという特別な素材。

    優れた素材、膨大なパーツを1つにまとめる技術が、
    私たちに快適で楽しい空の旅を提供してくれているのです。
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  • 2025.10.19
    第105回 10月19日「飛行機」前編
    ジェットエンジンなどの推進装置の力で進み、
    その時に生じる空気の流れを翼で揚力に変えて空中を飛ぶ飛行機。

    人類が古から見ていたであろう空を飛ぶ夢が、現実になったのは20世紀に入ってすぐ。
    石油を燃料とする、小型で軽量なエンジンが開発され、動力飛行が可能になったのです。
    人類初の動力飛行に成功したのは、アメリカ人のライト兄弟。
    1903年、ライトフライヤー号に乗って4回飛行を行い、
    最高記録は4回目の時間59秒、距離260mでした。

    実は、その12年前に、カラスを見て空を飛ぶ法則を考え、
    ゴムを動力に模型飛行機を飛ばした日本人がいました。
    愛媛県八幡浜市出身の軍人 二宮忠八です。

    二宮は人間が乗れる機体も考案。
    実現すれば役に立つと軍に開発を提案しますが、却下。
    そこで、軍人を辞め、資金をためて、いざ飛行機の開発!
    という時に入ってきたのが、ライト兄弟のニュースでした。
    二宮は悔し涙を流し、自分が開発しても二番煎じと、製作を断念したとされていますが、
    現在、彼は「日本の飛行機の父」と呼ばれています。

    そして、ライト兄弟の偉業は素晴らしいものでしたが、
    彼らの飛行機は操縦が難しかったため、すぐに航空技術発展の舞台はヨーロッパに移ります。
    程なく、今とほぼ同様の操縦桿が開発され、1910年代には金属製航空機が誕生しました。

    日本人が初めて動力飛行機で飛行したのは1910年。
    陸軍軍人の徳川好敏と日野熊蔵が、それぞれフランス製、ドイツ製の飛行機で、空を飛びました。
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  • 2025.10.12
    第104回 10月12日「点字ブロック」後編
    点字ブロック開発には3人の存在がありました。
    中心は岡山市で旅館を営み、町の発明家でもあった三宅精一さん。
    視覚障がい者の危険な場面を見て、安全に歩行できる道を創ろうと考案しました。

    2人目は、三宅さんから子犬を譲り受けた岩橋英行さん。
    偶然にも視覚障がいしゃ者の福祉向上に取り組む方で、
    岩橋さんの話を聞いて、三宅さんはアイデアの全国展開を目指します。

    最後に三宅さんの弟・三郎さん。
    建築会社に勤めていた知識で、兄の考えを具現化しました。

    3人が世界初の点字ブロックを岡山盲学校近くの交差点に敷設したのは1967年。
    費用は自腹でしたが、達成感と感動に、3人は全国へ!と意気込みます。
    ところが当時はまだ福祉の意識が低く、前途は多難でした。

    状況が変わったのは1970年頃。
    盲学校教職員の陳情で初めて駅のプラットフォームに点字ブロックが敷設。
    また、東京都が視覚障がい者向け施設の多い高田馬場に導入を決定。
    しかし、道半ばの1982年、三宅精一さんは亡くなります。

    兄の遺志を引き継いだのは三郎さん。
    福祉への意識も次第に高まり、2000年には交通バリアフリー法が施行され、
    翌年にはJISが点字ブロックの形状を規定し
    ようやく点字ブロックは全国に広まっていったのです。

    ただ、課題もあります。
    点字ブロック上に荷物を置く、自転車を停めるという行為で、
    利用者が怪我をする恐れがあります。そうしたことはやめましょう。

    一方で、点字ブロックに高齢者や子どもがつまずく、
    突起で車椅子が通りにくいという指摘もあり・・・
    思いやりと新たなアイデアが、誰もがもっと安全に利用できる道路環境を創ることでしょう。
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  • 2025.10.05
    第103回 10月5日「点字ブロック」前編
    街中の道路、ビル、駅などで見る黄色いプレートに凹凸がある点字ブロックは、
    視覚障がい者の安全な歩行を補助するためのもの。
    発明したのは日本人ですが、その話は来週に譲ることにして
    今週は少し詳しく、点字ブロックの説明をしましょう。

    点字ブロックの正式名称は「視覚障がい者誘導用ブロック」。
    設置されているのは、建物内部では出入り口や階段の手前など。
    道路では人の歩行が多いところや駅やバス停などの交通機関と繋がるところや
    横断歩道の手前など。駅では車両の乗降口までの経路やトイレの出入り口など。
    点字ブロックの利用者は、白杖や足の裏で形状を認識して意味を読み取ります。

    点字ブロックには2つの種類があって、
    1つは正方形のプレートに線4本が縦に並ぶ「誘導ブロック」。
    これは“線の方向に沿って歩く”という意味。
    もう1つは正方形のプレートに多くの丸い点が浮かんでいる「警告ブロック」。
    “ここに来たら注意!”の意味。階段の前や横断歩道の前、駅のホームの端などにあります。

    世界で初めての点字ブロックが敷設されたのは1967年(昭和42年)。
    岡山県立岡山盲学校近く、国道250号線の横断歩道前でした。

    その後、開発者たちの多大な努力によって普及が進む中、
    デザインが多様化するとともに類似品や模造品も出てきてしまいました。

    そんな中、視覚障がい者から「統一してほしい」という要望が出たことをきっかけに
    当時の日本工業規格(JIS)が2001年に形状を規定。
    これは世界基準になり、今では多くの国で点字ブロックが設置されています。
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  • 2025.09.28
    第102回 9月28日「ごま油」後編
    ごま油の愛好家だったと伝わるのが、古代エジプト女王のクレオパトラ。
    ごま油にバラの花びらを漬けた香油を愛用し、食用にもしていたとか。
    絶世の美女と言われた美しさには、ごま油も一役買っていたのかもしれません。

    というのも、ゴマはスーパーフード。 
    カルシウムは牛乳のおよそ11倍、食物繊維はゴボウの2倍、鉄分は牛レバーの2倍、
    ビタミンEはかぼちゃの4倍ほどもあります。
    ゴマに含まれる成分のゴマリグナンは、抗酸化作用があるともされています。

    ゴマを絞ったごま油も、これらの成分が豊富。
    主成分は食べ物から摂取しないといけない必須脂肪酸のリノール酸と
    悪玉コレステロールだけを減らすとされるオレイン酸で、合わせると80%。

    そして、一般に食用油は時間とともに酸化が進み、
    酸化した油は生活習慣病の原因にもなると考えられていますが、
    ごま油は他の植物油よりも酸化に強いことがわかっています。

    今回の話で「健康にいいごま油をなるべく摂ろうかな?」と思った方もいるでしょう。
    ひとくちにごま油と言っても製造方法はさまざま。
    ゴマを焙煎する、しない。焙煎した場合は時間や煎り方。さらにゴマの種類。
    いろんなごま油を試して見ると、食生活が広がることでしょう。

    ちなみに日本は原料になっているゴマの自給率が低く、99.9%以上が輸入頼み。
    世界の生産量トップ3は、1位からスーダン、インド、ミャンマーの順。
    遠い外国からやってくるゴマが、私たちの食と健康に役立ってくれているのです。
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  • 2025.09.21
    第101回 9月21日「ごま油」前編
    一般にアフリカのサバンナ地方が原生地と考えられているゴマ。
    5千年以上前の紀元前3000年までに、人類はナイル川流域で栽培を始めていたようです。

    世界四大文明が花開いた土地では、ゴマがさまざまな利用をされています。
    メソポタミアではお酒の原料として。インドではアーユルヴェーダのアイテムとして。
    古代エジプトでは、灯油、香料、ミイラづくりの材料、そしてごま油として。

    日本にゴマが伝わったとされるのは縄文時代の後期、中国大陸から。
    奈良時代には栽培が始まり、同じ頃に大陸から搾油技術が伝わったことで
    ごま油が作られるようになり、灯油としても使用されていたようです。

    そうしたゴマの食への利用が、全国に広まったのは鎌倉時代。
    きっかけは中国から摺鉢がもたらされたこと。
    江戸時代になる頃には、胡麻和えや胡麻豆腐など
    現代の私たちが食べている料理のレシピも生まれています。

    そして、何より江戸時代に生まれ、江戸の三大名物となった天ぷら!
    江戸前で獲れた魚を、臭みを抑えるために大活躍したのが、油の中でもごま油でした。
    浅草に残る最も古い天ぷら屋は、今でも100%のごま油を使っています。
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