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雲 雲 雲 木 人々 街並み
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ABOUT

毎週日曜日14:55-15:00(FM FUKUOKAのみ10:55-11:00)オンエア!毎回、世の中の”モノ”を取り上げ、そのモノの 歴史からイマ、未来をショートストーリー仕立てでお送りする番組です。身近なモノが少し、へえ~となるお話をお届けします。

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笠間 淳

声優。4月10日生まれ、広島県出身。
主な出演作品は、ナレーション「すくすく子育て」(NHK Eテレ)、劇場アニメ「THE FIRST SLAM DUNK」(三井寿)、アニメ「ガンダムビルドダイバーズ」(クジョウ・キョウヤ)、アニメ「お前はまだグンマを知らない」(轟二矢)、アニメ「タブー・タトゥー」(カーター)、ゲーム「アイドルマスター SideM」(葛之葉雨彦)など。

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笠間 淳

REPORT

  • 2026.05.10
    第134回 5月10日「学ラン」後編
    明治時代、陸軍の軍服をモデルにつくられた学ラン。
    黒が主流なのは、当時の軍服が黒だったからですが・・・

    実は、かつてヨーロッパ各国の軍服は、カラフルでした。
    その理由は、当時は砲弾の煙の中で味方を識別しやすいようにするため。
    しかし、エネルギーに石炭を使うようになると、
    カラフルな軍服が黒く煤けてしまうようになります。
    そこで、汚れが目立たないよう軍服を黒に変えたので、現在の学ランも黒なのです。

    そんな学ラン。
    当初の素材は、庶民が着ていた綿や麻の服と違い、高価な毛織物でした。
    量販ではなく、オーダーメイドだったため、素材や形状に個人差もあったようです。
    そして、大正末期から昭和初期には、工業用ミシンが登場。
    綿が素材の安価な製品が作られるようになって、地方にも普及しました。

    戦時中になると、衣服の製造・加工は軍の管理下に置かれ
    学生服メーカーは厳しい状況に陥りますが、
    終戦を経て禁止令が解けると、学ランは復活を遂げます。

    ほどなく、化学繊維を使った機能性が高い製品も登場しました。
    また、若い世代のファッション性や自己表現を反映するアイテムにもなります。
    長ラン、短ランなどです。

    一方で “変形”学生服への対策や学校のオリジナリティを表現しやすいといったことなどから
    昭和40年頃からブレザーが普及します。2023年に実施したあるアンケート調査によると
    中学生は54.5%が学ランで37%がブレザー、高校生は34.8%が学ランで48.0%がブレザー。
    高校生は、ブレザーの割合が多いですね。

    しかし、文化や伝統を重んじて、今なお学ランを採用している学校も少なくありません。
    また、ストレッチ性があり、洗濯機洗いができて、撥水・防汚加工が施され、軽量化が進むなど
    学ランの機能性も、かつてないほど高まっています。
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  • 2026.05.03
    第133回 5月3日「学ラン」前編
    詰襟がある男子学生服の通称「学ラン」。
    学ランの“ラン”は何からきているか、考えたことはありましたか?

    “ラン”は、オランダからきているとする説が有力です。
    鎖国政策をとって以降の江戸時代に、日本が西洋で唯一、貿易をしていた国がオランダ。
    そのため、舶来物の生地は「ランダ」と呼ばれ
    舶来物の衣服は「蘭服」と呼ばれていました。

    もともと日本人が着ていたのは和服。
    しかし、江戸時代が終わって、文明開化を目指す明治時代を迎えると
    官僚の制服や軍服から洋装化が始まります。

    今のように義務教育以降の進学が当たり前ではない時代
    将来の日本を担う存在と注目された学生の着る制服も、その流れに則りました。
    明治5年、新たな学校制度を定めた法令の「学制」が発布となり
    近代教育の象徴として洋装が採用されます。

    そして、明治19年に現在の東京大学、当時の帝国大学で、
    陸軍の軍服に倣った詰襟で金ボタンの制服が導入。
    ここから、詰襟タイプの男子学生服が普及していきました。
    その過程で和装との対比で学生が着る「蘭服」というところから
    「学ラン」の呼び方が生まれ、広がっていったと考えられています。

    当時、日本における大学は帝国大学だけ。
    学ランを着ていれば外見から一般大衆と区別されるとともに、自らの威厳を保ち、
    国や大学への帰属意識も表現できるという効果も期待されたようです。
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  • 2026.04.26
    第132回 4月26日「マッサージチェア」後編
    藤本信男さんが、1954年(昭和29年)に発売したマッサージチェアは、基本的に木製でした。
    肩の位置に2つ、アイスホッケーのパックを縦にセットしたような「もみ玉」があって
    腰のほうに向かって動くようにレールがついています。これは自転車のチェーンの原理。
    椅子の横にある自動車のハンドルを片手で廻すと「もみ玉」の位置を調整できるというもの。
    かなりアナログですが、なかなかのアイデア製品。

    この初号機は当時7万円、現在なら100万円ほどですが、銭湯や温泉旅館で人気になりました。
    好奇心でやってみたくなりますし、お金を10円入れると3分動く装置もあって、
    置く側にすれば、話題になって利益も出るので導入したのでしょう。

    1970年代に入ると、マッサージチェアは家庭にも普及し始めます。
    初めての家庭用製品が発売されたのは1975年(昭和50年)。
    それまで別々だった揉む機能と叩く機能が一体化。スイッチで切り替えられるようになります。
    また、もみ玉とアームの取り外し可能にして、普段は普通のソファとして使えるようにしました。

    その後、90年代にはエアー技術が導入されて、足のマッサージもできるようになり
    2000年代に入るとAI技術、3Dセンシング技術が進化して
    マッサージの種類は、どんどん多彩に、きめ細やかになっています。

    最近のマッサージチェアは、AIが40種類〜50種類もあるメニューの中から
    使う人のコンディションに合わせて最適な施術をやってくれたりするとか。
    もちろん、そこそこのお値段はしますが、最新機種が家にあったらいいですよねぇ(笑)
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  • 2026.04.19
    第131回 4月19日「マッサージチェア」前編
    温泉旅館やホテル、健康センターなどでお世話になることもあるでしょう「マッサージチェア」。
    やっぱりそうか!と思うでしょうか。量産製品が開発されたのは日本です。

    時は、映画『ゴジラ』の第1作が公開された1954年(昭和29年)。
    開発者は、藤本信男さんという方。

    ご自身の会社を起業し、それは現在もあるマッサージチェアの製造会社ですが、
    マッサージチェアをつくる前にやっていたビジネスは、銭湯のタイルを洗うタワシの販売。

    当時の日本は、戦後の復興が始まっていたとはいえ、
    浴室がある家はまだ少なく、多くの人が銭湯通いでした。
    人々が1日の疲れを癒す銭湯。藤本さんは、その脱衣場を使って何かできないかと考えます。

    そこで、思いついたのが、マッサージをしてくれる椅子だったのです。
    何かを成し遂げる人というのは、そういうところで閃くものなのですね。

    藤本さんは、マッサージに通い、ツボがどこにあり、
    どこを揉まれると気持ちいいのか、自らのカラダをつかって研究しました。
    そして、人間の体の構造と当時可能な技術から目をつけたのが、椅子の背に当たる背中。

    試作品は、捨てられていた木材や野球のボール、自転車のチェーン、
    車のハンドルなどを集めて組み立て、ようやく1号機の販売に漕ぎ着けました。
    この続きは、来週の「後編」で。
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  • 2026.04.12
    第130回 4月12日「タイヤ」後編
    5,000年ほど前に発明された車輪に起源をもつタイヤ。
    今に繋がる大きな転機が訪れたのは19世紀でした。

    15世紀にコロンブスが西インド諸島のハイチで天然ゴムを発見。
    それがヨーロッパにもたらされ、利用法が研究される中で作られたのが、
    車輪の外周をゴムで覆う「ソリッドタイヤ」です。ただ、当時はまだ「生ゴム」。
    耐久性に乏しく、長時間走ると熱で焼けて煙が出たとか。

    強度やスピードや安定性を求めて開発が続く中で発見されたのが、
    生ゴムに硫黄を混ぜて加熱することで、硬く丈夫なものから柔らかく弾力のあるものまで
    幅広いゴムを生産できる加工技術「加硫法」です。

    そのゴムを利用して考案されたのが、空気を入れるタイヤ。
    空気入りタイヤは、乗り心地を向上し、走行抵抗と騒音を低減します。
    スコットランドの獣医師 J.B.ダンロップさんが、
    自転車用として実用化すると利用が広まっていきました。

    1895年、空気入りタイヤを履いたクルマに応用し、
    自動車レースに出場したのが、フランスのミシュラン兄弟。
    着脱可能な空気入り自転車タイヤの特許を取って、タイヤに未来を見ていたミシュラン兄弟は、
    出場中唯一の空気入りタイヤで健闘。重い車体をスムーズに走らせられることを証明します。
    そして、自動車の量産化が始まる頃には、空気入りのタイヤがスタンダードになっていました。

    その後、現在に至るまでタイヤの進化は続いています。
    ゴムの補強剤としてカーボンブラックを使う。
    タイヤの形状補強材タイヤコードの織り方や素材を工夫する。
    排水や滑り止めのため溝をつける。
    それらは全て、私たちのカーライフが、より快適で安全であるためなのです。

    春先は冬タイヤから夏タイヤへの履き替え時期。
    その際は、ひび割れ、空気圧、溝の深さなど、安全性チェックをお忘れなく!
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  • 2026.04.05
    第129回 4月5日「タイヤ」前編
    日本は世界でもタイヤ大国の1つ。
    2024年の売上高トップ10メーカーには、4社が入っていて、これは日本だけ。
    そんなタイヤの起源は、かなり古い話になりますが、およそ5,000年前の車輪にまで遡ります。

    現存している最古の車輪が、中央ヨーロッパ スロベニアの湿地で発見された
    樫などの木材で作った5,200年ほど前のもの。この車輪の背景は定かではありません。
    しかし、現在のイラク周辺の地にメソポタミア文明を築いたシュメール人は、
    確固たる証拠を残しています。

    今から4,600年ほど前、紀元前2,600年頃の都市ウルの遺跡から出土した
    美術工芸品「ウルのスタンダード」には、馬のような動物が引く戦車
    チャリオットに車輪がついている様子が、描写されています。

    その車輪は木の板を繋ぎ合わせて丸くし、2つの円状の木板の中心を心棒で繋いだもの。
    車輪の外周を動物の皮で覆い、釘で打ちつける工夫がされていたと考えられています。

    それから3,000年の月日が流れ、ローマ帝国時代、
    人類が考案したのが、木の車輪の外側に、鉄の輪を焼き嵌めた鉄の車輪です。
    これにより車輪の強度が格段に向上したため、道は馬車が通行できるよう石畳の舗装で整備され、
    ローマ帝国の領土拡大に繋がっていきました。

    次なる車輪のバージョンアップは、それからおよそ1,900年後の19世紀後半。
    車輪にゴムが使われてタイヤになっていくのです。
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