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雲 雲 雲 木 人々 街並み
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ABOUT

毎週日曜日14:55-15:00(FM FUKUOKAのみ10:55-11:00)オンエア!毎回、世の中の”モノ”を取り上げ、そのモノの 歴史からイマ、未来をショートストーリー仕立てでお送りする番組です。身近なモノが少し、へえ~となるお話をお届けします。

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笠間 淳

声優。4月10日生まれ、広島県出身。
主な出演作品は、ナレーション「すくすく子育て」(NHK Eテレ)、劇場アニメ「THE FIRST SLAM DUNK」(三井寿)、アニメ「ガンダムビルドダイバーズ」(クジョウ・キョウヤ)、アニメ「お前はまだグンマを知らない」(轟二矢)、アニメ「タブー・タトゥー」(カーター)、ゲーム「アイドルマスター SideM」(葛之葉雨彦)など。

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笠間 淳

REPORT

  • 2025.11.16
    第109回 11月16日「時計」前編
    日々の生活。農作物の栽培や収穫時期。気候の変化への備え。
    目には見えない“時”を把握することは、生きる上で重要だったことでしょう。
    人類は太古から、自然の力を利用して時間を認識してきました。
    そのために発明したのが時計です。

    最初は約7,000年前のエジプトで使われていた地面に立てた棒の影で時刻を知る日時計。
    その後、日時計は太陽が出ていないと使えないため、水時計が発明されます。
    これは容器の底に穴を開けて、減った水の量で時刻を知る仕組み。
    しかし、水時計も水の蒸発や凍結があって不安定。
    次に考案されたのが、サウナ好きの方はよく見ているかもしれない砂時計です。

    時は流れ・・・

    初めての機械式時計が作られたのは1300年頃、
    ルネサンス期の北イタリアから南ドイツにかけての地域。
    まだ文字盤はなく、2つの錘で歯車を動かし、鐘を鳴らして時間を知らせるこの時計は、
    修道院や教会の塔の上に登場しますが、1日に30分から1時間ほどもずれたようです。

    300年ほど時が経ち、1656年には振り子式時計が登場。
    「振り子は同じ長さなら、大きく振れても小さく振れても1往復する時間は変わらない」
    ガリレオ・ガリレイが発見した原理を応用して発明したのは、
    オランダのクリスチャン・ホイヘンス。
    振り子式時計は、1日のずれを2分から3分ほどに大幅に改善しました。

    一方、ゼンマイを使った持ち運べる時計が、
    ヨーロッパで人気となったのは、その少し前の16世紀。
    初期の携帯型機械式時計は卵のような厚みがあって大きく
    ポケットには入らないため首からぶら下げていました。
    ドイツでは「首時計」、イタリアやフランスでは「胸時計」と呼ばれていたそうです。
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  • 2025.11.09
    第108回 11月9日「炊飯器」後編
    1955年(昭和30年)に発売された世界初の自動式電気炊飯器。
    その開発には多くの苦労がありました。

    米と水の量によって沸騰までの時間は変わり、気温や温度にも影響されます。
    竈門での羽釜による米炊きは、主婦の経験や勘に基づく部分が多く
    言語化されていないことを電気製品に落とし込まなければならなかったからです。

    メーカーから開発を依頼された三並義忠さんは、
    美味しい炊飯のメカニズム解明を試みました。
    わかったのは「強火で一気に炊くこと」。
    そのためには、釜の水が沸騰してから20分間加熱してスイッチを切る。
    しかし、季節や気温などに影響されずに、
    どんな条件でもお米が美味しく炊ける炊飯器を実現するのは困難でした。

    突破口は、水をタイマー替わりに使うアイデアを思いついたこと。
    釜の外にも水を入れる部分を設計し、20分で沸騰する量の水を入れ、
    沸騰したら、それを感知してスイッチが切れる仕組みをつくり
    自動式電気炊飯器が誕生しました。

    この発明は「日本の主婦の睡眠時間を1時間延ばした」と言われ
    発売から5年で家庭への普及は3割近くに達しました。
    1970年代になる頃には9割を超えています。

    一方で、炊飯器は進化を続けました。1972年には保温ジャー機能が登場。
    1988年にIH式が出て、より全体を均一に加熱できるようになり、美味しさが増しました。
    2010年代半ばからは、高級IH炊飯器が主流になっています。
    今では、精米具合に合わせた炊飯ができたり、パンを焼いたり、
    料理ができる製品もあって、昔の人が知ったら、さぞ驚くことでしょう。 

    こうした進化も、開発に携わった人たちの努力があったからこそ。
    感謝の気持ちを込めて、美味しいご飯を炊きましょう。
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  • 2025.11.02
    第107回 11月2日「炊飯器」前編
    諸説ありますが、炊飯器の“元祖”、
    日本初の電気釜の発売は1923年(大正12年)。

    この年には関東大震災がありましたが、
    大正デモクラシーを背景に大衆文化が花開いた時期でした。
    コロッケをはじめとする洋風料理が普及しはじめて1924年に初めてサラダ油が発売。
    東京では被災した都電に変わり、市営バスが登場。
    野球場、劇場、映画館、美術館が続々オープンしました。

    ただ、初期の電気釜は、あくまで火のかわりに電気を熱源にしたもの。
    焦げないよう、水分過多にならないよう、米の状態を見ている必要があり、
    船や軍隊では使われましたが、家庭には普及していません。

    歴史を振り返ると、大陸から伝わった米は、
    当初は煮て、その後は蒸して食べられていたようです。
    その後は長らく、竈門で鉄の羽釜を使って炊くようになりました。
    初めちょろちょろ、中ぱっぱ、赤子泣いてもふた取るな 
    という言葉がありますが、
    まずは弱火で米に水分を吸収させ、次に強火で沸騰させ、
    バランスよく蒸し煮して、仕上げに余熱で蒸らすと 
    ツヤツヤでもちっとした美味しいご飯の出来上がり ♡

    ただ、この炊飯は、なかなか手間と時間がかかる作業でした。
    竈門で炭火を調節する必要があり、朝食は家族より早く起きてやらなければいけません。

    そんな主婦の苦労を解放したのが、自動式電気炊飯器の発売。
    スイッチを入れれば、炊飯器がご飯を炊いてくれるという世界初の開発は、
    今風に言えば「神」。高度経済成長期に「三種の神器」と肩を並べる
    生活必需品になっていきます。
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  • 2025.10.26
    第106回 10月26日「飛行機」後編
    1927年、チャールズ・リンドバーグが、
    プロペラ機「スピリッツ・オブ・セントルイス」に乗ってニューヨークからパリへ。
    世界初の大西洋単独無着陸飛行に成功します。

    この頃すでに飛行機は、郵便輸送や旅客用として利用されていました。
    日本でも1922年に民間会社の運航がスタート。最初は堺-高松間を週3往復する路線でした。
    その後、他の航空会社も参入し、航空路線は増えていきます。

    この頃に使われていたのは外国製の機体ばかりだったので、国産飛行機への期待が高まり
    海軍機を改造した国産飛行機「ニッポン号」による日本人初の世界一周が1939年に達成されました。
    これはおよそ2ヶ月、52,860km、194時間という長旅だったそうです。

    戦後になると飛行機は、大量輸送を担う交通機関として大活躍していきます。
    第二次世界大戦下のドイツで開発されたジェットエンジンの技術が急速に進歩して
    1950年代の終わりにはボーイング707とダグラスDC-8が登場。
    プロペラ機からジェット機へと主流は移っていきました。

    70年代に入ると乗客数500名を超えるジャンボジェット ボーイング747が普及。
    誰もが飛行機を利用できる時代となり、21世紀に入ってから日常感は増しています。

    そんな飛行機を構成する部品は、ジャンボクラスになると数百万点。
    特に最新旅客機は、約50%が炭素繊維複合材料でできています。
    これは、炭素繊維を樹脂と一体化させたもの。
    重さは鉄の4分の1なのに、強さは10倍、硬さも7倍以上。
    耐疲労性、耐腐食性、振動減衰性などの特性を持つ一方で、
    熱膨張率は低く、大きさが変わらないという特別な素材。

    優れた素材、膨大なパーツを1つにまとめる技術が、
    私たちに快適で楽しい空の旅を提供してくれているのです。
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  • 2025.10.19
    第105回 10月19日「飛行機」前編
    ジェットエンジンなどの推進装置の力で進み、
    その時に生じる空気の流れを翼で揚力に変えて空中を飛ぶ飛行機。

    人類が古から見ていたであろう空を飛ぶ夢が、現実になったのは20世紀に入ってすぐ。
    石油を燃料とする、小型で軽量なエンジンが開発され、動力飛行が可能になったのです。
    人類初の動力飛行に成功したのは、アメリカ人のライト兄弟。
    1903年、ライトフライヤー号に乗って4回飛行を行い、
    最高記録は4回目の時間59秒、距離260mでした。

    実は、その12年前に、カラスを見て空を飛ぶ法則を考え、
    ゴムを動力に模型飛行機を飛ばした日本人がいました。
    愛媛県八幡浜市出身の軍人 二宮忠八です。

    二宮は人間が乗れる機体も考案。
    実現すれば役に立つと軍に開発を提案しますが、却下。
    そこで、軍人を辞め、資金をためて、いざ飛行機の開発!
    という時に入ってきたのが、ライト兄弟のニュースでした。
    二宮は悔し涙を流し、自分が開発しても二番煎じと、製作を断念したとされていますが、
    現在、彼は「日本の飛行機の父」と呼ばれています。

    そして、ライト兄弟の偉業は素晴らしいものでしたが、
    彼らの飛行機は操縦が難しかったため、すぐに航空技術発展の舞台はヨーロッパに移ります。
    程なく、今とほぼ同様の操縦桿が開発され、1910年代には金属製航空機が誕生しました。

    日本人が初めて動力飛行機で飛行したのは1910年。
    陸軍軍人の徳川好敏と日野熊蔵が、それぞれフランス製、ドイツ製の飛行機で、空を飛びました。
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  • 2025.10.12
    第104回 10月12日「点字ブロック」後編
    点字ブロック開発には3人の存在がありました。
    中心は岡山市で旅館を営み、町の発明家でもあった三宅精一さん。
    視覚障がい者の危険な場面を見て、安全に歩行できる道を創ろうと考案しました。

    2人目は、三宅さんから子犬を譲り受けた岩橋英行さん。
    偶然にも視覚障がいしゃ者の福祉向上に取り組む方で、
    岩橋さんの話を聞いて、三宅さんはアイデアの全国展開を目指します。

    最後に三宅さんの弟・三郎さん。
    建築会社に勤めていた知識で、兄の考えを具現化しました。

    3人が世界初の点字ブロックを岡山盲学校近くの交差点に敷設したのは1967年。
    費用は自腹でしたが、達成感と感動に、3人は全国へ!と意気込みます。
    ところが当時はまだ福祉の意識が低く、前途は多難でした。

    状況が変わったのは1970年頃。
    盲学校教職員の陳情で初めて駅のプラットフォームに点字ブロックが敷設。
    また、東京都が視覚障がい者向け施設の多い高田馬場に導入を決定。
    しかし、道半ばの1982年、三宅精一さんは亡くなります。

    兄の遺志を引き継いだのは三郎さん。
    福祉への意識も次第に高まり、2000年には交通バリアフリー法が施行され、
    翌年にはJISが点字ブロックの形状を規定し
    ようやく点字ブロックは全国に広まっていったのです。

    ただ、課題もあります。
    点字ブロック上に荷物を置く、自転車を停めるという行為で、
    利用者が怪我をする恐れがあります。そうしたことはやめましょう。

    一方で、点字ブロックに高齢者や子どもがつまずく、
    突起で車椅子が通りにくいという指摘もあり・・・
    思いやりと新たなアイデアが、誰もがもっと安全に利用できる道路環境を創ることでしょう。
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