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雲 雲 雲 木 人々 街並み
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ABOUT

毎週日曜日14:55-15:00(FM FUKUOKAのみ10:55-11:00)オンエア!毎回、世の中の”モノ”を取り上げ、そのモノの 歴史からイマ、未来をショートストーリー仕立てでお送りする番組です。身近なモノが少し、へえ~となるお話をお届けします。

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笠間 淳

声優。4月10日生まれ、広島県出身。
主な出演作品は、ナレーション「すくすく子育て」(NHK Eテレ)、劇場アニメ「THE FIRST SLAM DUNK」(三井寿)、アニメ「ガンダムビルドダイバーズ」(クジョウ・キョウヤ)、アニメ「お前はまだグンマを知らない」(轟二矢)、アニメ「タブー・タトゥー」(カーター)、ゲーム「アイドルマスター SideM」(葛之葉雨彦)など。

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笠間 淳

REPORT

  • 2024.10.13
    第52回 10月13日「絵画」後編
    19世紀になると西洋芸術には、自然主義・写実主義の流れが訪れました。
    市民革命・産業革命で中産階級が台頭したことで、
    農村や自然の風景をありのままに表現する風潮が生まれたのです。
    ミレーの「落穂拾い」に代表されるように絵画も同様です。

    それに対して東洋美術は、人間の主体に重きを置き、心象風景を作品で表現していました。
    この頃に日本で流行していた浮世絵も実は写実的ではありません。
    葛飾北斎の「富嶽三十六景」や歌川広重の「東海道五十三次」などの風景画も
    情緒や感じたことを表現するため、いろいろデフォルメされています。

    それを見て驚いたのが西洋の画家たち。
    論理的に絵画を描く彼らにはないアプローチだったのです。
    ゴッホが浮世絵を愛し、模写し、方法論を取り入れたのは有名な話。
    西洋では浮世絵の影響から印象派が生まれました。

    一方で「湖畔」で知られる日本の画家・黒田清輝はフランスへ留学し
    印象派の影響を受けたことで「日本の近代西洋画の父」と呼ばれました。
    近代になると絵画は西洋・東洋がお互いの要素を取り入れて発展するようになったのです。
    美術館に足を運ぶ時には、そんな背景も知っておくと、より楽しめるかもしれません。

    ところで、絵画は大切な美術品。
    個人で所有している方もいるかもしれませんが、温度と湿度が整って、
    紫外線から守られ、セキュリティーが整った環境で保管したいものです。
    倉庫業者の中には、国が定める基準を満たしたトランクルームで個人の美術品を預かり、
    保管するサービスを展開する企業もあることをお伝えしておきましょう。

    絵画と芸術の秋。
    今度のお休みには美術展に出かけてみてはいかがでしょう。
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  • 2024.10.06
    第51回 10月6日「絵画」前編
    人類がどの時点から絵を描き始めたのか?正確なことはわかりませんが、
    今年7月、インドネシア スラウェシ島の複数の洞窟で見つかっている狩猟の壁画が、
    現生人類最古の5万1,200年前に描かれた可能性があるという研究発表がありました。
    ずいぶん遠い昔の先祖たちも絵を描いていたようです。

    芸術の進化的な起源から見ると、絵には道具によって痕跡が残ること、
    もう少し高度になると、頭にイメージしたことを表出することの面白さがあるといいます。

    また、のちに絵はコミューニケーション・伝達の手段になりました。
    古代文明の遺跡は絵を通して神と王の物語や文化や習慣、知識を後世に伝えています。

    絵とは何か? 
    何をもって絵とするのかについては諸説あります。
    中世に生まれた「絵画論」で挙げているのは3つの根源。
    「影」と「痕跡」と「水鏡」。

    「影」。
    これはローマ帝国時代のプリニウスが『博物誌』で伝えた
    戦地に赴く恋人の影の輪郭を描いたことから絵は生まれたというもの。

    「痕跡」。
    これはキリストが十字架の道行きで差し出されて顔を拭った布や
    それ以前にキリスト自ら顔を押しつけた麻布に顔が映し出されていて
    そこから最初の肖像画が生まれたというもの。

    「水鏡」。
    これは、泉の水面に映った自分を美少年だと思い、恋焦がれ、衰弱して、
    ついには水仙になったというナルキッソスの神話に由来します。
    ナルキッソスが絵を描いたわけではありませんが、
    思う対象を残したい、近づきたいというのも確かに芸術の根源かもしれません。

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  • 2024.09.29
    第50回 9月29日「もしも1週間の休みがとれたなら」
    第5週の放送回は毎回、笠間さんのフリートーク。
    祝日が多い秋ですが、笠間さんはこのところ多忙で休みがなかなか取れないとのこと。
    そこで1週間の休みが取れたら何をしにどこへ行きたいか?空想旅行を話していただきました。

    バイクの免許を持っていてキャンプが趣味の笠間さん。
    答えは北海道をツーリング&キャンプでした。
    行きたい場所は道東、北海道の東側だということです。

    特に愛車で走りたい道があって、それは有名な「天に続く道」。
    国道244号から334号、斜里郡斜里町と小清水町を結ぶ全長約28kmの道路で、
    直線の道の先が天に繋がっているように見えることから、そう呼ばれています。

    風を感じながらキャンプ道具を積んで「天に続く道」を走り、
    温泉に寄りながら海鮮・野菜などグルメを味わいつつ、
    もう1つの目的は大好物だというジンギスカン。

    東京でも美味しい店はすべて制覇したいと思っているほど好きだということで、
    「個人でやっているような、知る人ぞ知る美味しい店を開拓したいです」と、
    「いつか実現して番組で報告したいと思っています」と、
    半ばうっとりとした表情で語っていました。

    早く、そんな休みをとれる日が来るといいですね!
    みなさんも笠間さんのために祈ってあげて下さい(笑)
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  • 2024.09.22
    第49回 9月22日「ペットフード」後編
    ペットフード協会の最新の調査によると、犬も猫も飼育のきっかけの1位は
    「日々の生活に癒しや安らぎが欲しいと思ったから」。
    当番組のナビゲーター 笠間淳さんも動物好き。
    かつては実家で犬を飼っていて、今は猫を飼っているそうです。

    さて、ペットフード産業に大きな変革が訪れたのは、
    第二次世界大戦が終わって10年が過ぎた1956年。
    ラルストン・ピュリナ社が、世界で初めて現在のような
    いわゆる「カリカリ」、粒タイプのペットフードを発売しました。
    同じ年には他の会社がドライタイプのキャットフードも発売しています。

    初めて日本製のペットフードが作られたのは1958年。
    これはマグロの血合肉を使用した缶詰タイプのキャットフードで輸出用でした。
    今で言うとSDGs的なムダをなくす発想だったのでしょうか?

    その2年後、国産ペットフードが初めて国内で発売になります。
    この時の商品は粉末。犬にあげる時に水で溶く必要があったため
    もっと手軽に与えられるよう研究が重ねられ、翌年にビスケットタイプが登場。
    さらにご飯に混ぜるペレットタイプも発売されました。

    それから60年が経った今、犬用も猫用も美味しそうなペットフードがたくさん。
    「え? 人間よりもご馳走?」というような商品もあったりします。
    毎日の生活に癒しや安らぎを与えてくれる大切な家族、それも当然かもしれません。

    ちなみに1ヶ月に使うペットフードの金額は、
    犬も猫も1頭・1匹だけ飼っている人の中央値を見ると
    犬が主食・おやつ合計で4,000円。猫が3,000円。
    どうやら笠間さんは、もう少しかかっているようです(笑)
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  • 2024.09.15
    第48回 9月15日「ペットフード」前編
    今、日本で飼われている犬は約684万頭。猫は約907万頭。
    2017年に飼い猫の数が飼い犬の数を上まわったことが話題になりましたが、
    7年が経ち、ずいぶん大きな差がついています。

    さて、ペットフード。

    世界初のペットフードとして紹介されることが多いのは19世紀の終わりに
    ロンドン在住のアメリカ人 ジェームス・スプラッツ氏が売り出した犬用ビスケット。
    人気商品となってスプラッツさんは1885年に製造会社を設立しています。

    そして、スプラッツさんは故郷に錦を飾ろうと思ったのか
    1894年に拠点をロンドンからNYに移してドッグフードメーカーを立ち上げました。

    一方で、のちにラルストン・ピュリナ社となる飼料会社が、
    アメリカ ミズーリ州 セントルイスで創業。
    このあたりからペットフード産業は生まれ、発展していきます。

    アメリカの一般家庭にペットフードが浸透したきっかけとされているのは、
    1922年に発売された犬用の馬肉缶詰。アメリカは第一次世界大戦中に
    フランスへの食料援助として馬肉缶詰を作っていました。
    戦争が終わったあとで、その馬肉が余り、アメリカには馬肉を食べる習慣がないので
    ドッグフードにしたと言われています。

    ドッグフードが一般的になる頃にキャットフードも登場しますが、
    当初はドッグフードを改良しただけのものだったそうです。
    犬猫共用の商品もあったといいます。
    この頃の猫は犬に比べて少し蔑ろにされていたようで、可愛そうな気もしますね。
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  • 2024.09.08
    第47回 9月8日「イヤホン」後編
    1970年代の終わり、音楽はポータブルの時代を迎えます。
    今はスマートフォンとワイヤレスイヤホンで音楽を聴くのが当たり前の時代ですが
    それは人々のライフスタイルや価値観を変える画期的なことでした。

    1979年。
    ソニーが世界初のポータブルカセットプレーヤー「Walkman」を発売。

    本体の大きさは、ほぼカセットテープと同じ。
    ヘッドフォンも限りなく小型軽量化し300〜400gが一般的だったところを
    なんとおよそ45gにまでしました。

    しかし、開発チームはもっとコンパクトで軽いものを目指します。
    ヒントを見つけたのは、かつての東京タワー建設の映像の中でした。
    高所で働く鳶の職人は強風から鼓膜を守るため10円玉を耳に入れていたという話。

    そこで10円玉サイズの耳に入れる次世代ヘッドフォンを試作しますが
    多くの人の耳には10円玉サイズが入りません。
    改良を繰り返し、ようやく誰の耳にも入る大きさと形状に辿り着きました。
    そうして1982年に発売されたのが、「インナーイヤー型ヘッドフォン」。
    ヘッドバンドは無く、イヤーパッドも無く
    細いケーブルで繋がった裸のドライバーユニットを両耳に入れる
    世界初の略称「イヤホン」です。

    そこからポータブルな音楽ライフにはイヤホンが使われるようになっていきます。
    そして、他の音響メーカーも開発を追随。
    クオリティーと使いやすさは約40年かけて、飛躍的に向上してきました。

    2024年現在の主流はワイヤレス型。
    スマートフォンの普及で、いつも耳にセットしておき、
    音楽を聴く、動画の音声を聞く、電話をするという人も増えています。
    イヤホンは開発から40年が経った今、私たちの毎日をアシストしてくれる
    生活に欠かせなと道具になったのです。
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