俳優 八名伸夫さんをお迎えして
- 2019/06/30
ゲストは八名信夫さん
今回お迎えするのは、映画『仁義なき闘い』やドラマ『西部警察』、そして、「まずい、もう1杯!」で有名な、キューサイの青汁のCMにもご出演されていた俳優の八名信夫さんです。
小山「八名さんは強面専門の芸能事務所『悪役商会』の会長でもあります」
宇賀「みなさん、怖い方ばかりなんですか?」
八名「そんなことないよ、優しいよ」
小山「電車に乗っていると、子どもに泣かれたりするんですよね?」
八名「孫を連れたおばあちゃんが『あんまり見ちゃだめ』『悪いことするとああいう顔になるんだよ』って。でも、いまは言われない。年をとると、顔が柔和になるんだね。だから悪役の仕事が少なくなっちゃった」
じつはもともと、東映フライヤーズの野球選手だった八名さん。ピッチャーとして活躍していたものの、ケガを負って4ヶ月以上の入院を余儀なくされます。その最中、当時の東映の大川博社長から「来年からは契約をしないから、きみは映画の方へ行くように」と言われ、俳優に転向しました。しばらくは仕事もなく、困っていた八名さんでしたが……活路を見出したのが、「悪役」でした。
八名「悪役は死んでしまえば次の仕事ができるでしょう。殺されれば殺されるほど、俺は悪役で生きていけるんだ、と」
小山「これまで何回殺されたんですか?」
八名「1200かな」
宇賀「1200!」
八名「当時は、高倉健さんとか石原裕次郎さんになりたいとか、いろいろな希望もあったんだけど、俺は悪役のオーラしか出てこない、っていうのがあるときわかるわけ。高倉健さんがかっこいいのは、悪役の仕事がきちんとしているからだ。そう思わないとね」
小山「自分の方が、格好良すぎるとといけないんですね」
八名「みじめにむごたらしく、いやらしく死んでいかないと、主役の人が怒ることもあるよ」
小山「なぜ、『SUNDAY’S POST』に八名さんをお呼びしたのかというと……八名さんはいま、地方で撮影した映画を、全国で上映する活動をされているんです」
八名さんはこれまで2本の映画を自主制作されています。1作目の『おやじの釜めしと編みかけのセーター』は東日本大震災をきっかけに制作。そして、昨年完成した『駄菓子屋小春』は、熊本地震がきっかけでした。
八名「1作目に出演していた人が、熊本で災害にあって。それで熊本に行って、被災地のみんなと会って、いろいろなことを聞いて……すごくショックだった。テントみたいなところにお年寄りが1人、ずっと暮らしていて。なんで仮設に入らないの、と訊いたら、『私はここで生まれたから、ここを守りたいんだ』って。そういう人と話しているうちに、これは何かしないとなあと」
熊本を舞台にした映画『駄菓子屋小春』は地上げ屋に負けずに、熊本城近くの商店街で駄菓子屋を営む小春と、店に集う子どもたちの物語です。八名さんは脚本、監督、撮影、編集などを担当されています。
八名「熊本の人って明るいの、みんな。どんなに苦しくても笑顔で、災害にあったと思えないようで。それが余計に悲しさや苦しさが伝わってくるんですよ」
そして、八名さんの思い出深い手紙のお話もうかがいました。
それは、八名さんが3歳の時にはなればなれになった、生みのお母さんから届いた手紙でした。
八名「31歳のときかな。生みの母親から手紙が届いて、読んだら、自分が結核になり、はなればなれになったのはやむを得なかったんだ、ということ、そして一目だけ会いたい、と書かれていました」
小山「30年ぶりの手紙だったんですね」
八名「そのとき、母は下北沢に住んでいて、僕は当時杉並に住んでいて、近かった。それである日、家のドアをノックされて、パッと開けたら(母親が立っていて)『ああ、生みの親だ』ってすぐにわかった。開けた途端にわかった。部屋に上がって、いろいろなことを話して……お母さんってなかなか呼べなくてねえ」
再会から5、6年後に、八名さんの生みの母親は亡くなります。遺骨を引き取り、その足で京都の撮影所に向かった八名さんは、京都のお寺でお墓をつくろうとしましたが……
八名「それから1週間、寝られなかったの。押し入れに母親の遺骨があると思うと。それでどうしようかなと思っていたときに、育ての親から電話がかかってきたの。『信夫、遺骨を持ってきなさい。八名家のお墓に入れましょう』と。みんな反対したよ。でも、育ての親が『私が責任を持つから構わない』って。ものすごく感謝していますね」
八名さんの自主制作『駄菓子屋小春』の上映会は、全国で開かれています。これからの予定は7月28日(日曜日)岡山県灘崎文化センター、そして10月19日(土曜日)会津若松市稽古堂。上映会にあわせて、八名さんの講演会も開催されます。これからまた20ヶ所以上回るそうです!
八名「熊本はこうやって頑張っているんだ、こうやって乗り越えていかないといけないんだっていうことを、被災地じゃない人に見てもらいたい」 そして今回、特別に八名さんのサイン入り野球ボールをプレゼントにいただきました。3名の方にプレゼントします。ご希望の方は、【郵便番号102-8080 TOKYO FM 「SUNDAY’S POST」】までお願いします。
宇賀「みなさん、怖い方ばかりなんですか?」
八名「そんなことないよ、優しいよ」
小山「電車に乗っていると、子どもに泣かれたりするんですよね?」
八名「孫を連れたおばあちゃんが『あんまり見ちゃだめ』『悪いことするとああいう顔になるんだよ』って。でも、いまは言われない。年をとると、顔が柔和になるんだね。だから悪役の仕事が少なくなっちゃった」
じつはもともと、東映フライヤーズの野球選手だった八名さん。ピッチャーとして活躍していたものの、ケガを負って4ヶ月以上の入院を余儀なくされます。その最中、当時の東映の大川博社長から「来年からは契約をしないから、きみは映画の方へ行くように」と言われ、俳優に転向しました。しばらくは仕事もなく、困っていた八名さんでしたが……活路を見出したのが、「悪役」でした。
八名「悪役は死んでしまえば次の仕事ができるでしょう。殺されれば殺されるほど、俺は悪役で生きていけるんだ、と」
小山「これまで何回殺されたんですか?」
八名「1200かな」
宇賀「1200!」
八名「当時は、高倉健さんとか石原裕次郎さんになりたいとか、いろいろな希望もあったんだけど、俺は悪役のオーラしか出てこない、っていうのがあるときわかるわけ。高倉健さんがかっこいいのは、悪役の仕事がきちんとしているからだ。そう思わないとね」
小山「自分の方が、格好良すぎるとといけないんですね」
八名「みじめにむごたらしく、いやらしく死んでいかないと、主役の人が怒ることもあるよ」
小山「なぜ、『SUNDAY’S POST』に八名さんをお呼びしたのかというと……八名さんはいま、地方で撮影した映画を、全国で上映する活動をされているんです」
八名さんはこれまで2本の映画を自主制作されています。1作目の『おやじの釜めしと編みかけのセーター』は東日本大震災をきっかけに制作。そして、昨年完成した『駄菓子屋小春』は、熊本地震がきっかけでした。
八名「1作目に出演していた人が、熊本で災害にあって。それで熊本に行って、被災地のみんなと会って、いろいろなことを聞いて……すごくショックだった。テントみたいなところにお年寄りが1人、ずっと暮らしていて。なんで仮設に入らないの、と訊いたら、『私はここで生まれたから、ここを守りたいんだ』って。そういう人と話しているうちに、これは何かしないとなあと」
熊本を舞台にした映画『駄菓子屋小春』は地上げ屋に負けずに、熊本城近くの商店街で駄菓子屋を営む小春と、店に集う子どもたちの物語です。八名さんは脚本、監督、撮影、編集などを担当されています。
八名「熊本の人って明るいの、みんな。どんなに苦しくても笑顔で、災害にあったと思えないようで。それが余計に悲しさや苦しさが伝わってくるんですよ」
そして、八名さんの思い出深い手紙のお話もうかがいました。
それは、八名さんが3歳の時にはなればなれになった、生みのお母さんから届いた手紙でした。
八名「31歳のときかな。生みの母親から手紙が届いて、読んだら、自分が結核になり、はなればなれになったのはやむを得なかったんだ、ということ、そして一目だけ会いたい、と書かれていました」
小山「30年ぶりの手紙だったんですね」
八名「そのとき、母は下北沢に住んでいて、僕は当時杉並に住んでいて、近かった。それである日、家のドアをノックされて、パッと開けたら(母親が立っていて)『ああ、生みの親だ』ってすぐにわかった。開けた途端にわかった。部屋に上がって、いろいろなことを話して……お母さんってなかなか呼べなくてねえ」
再会から5、6年後に、八名さんの生みの母親は亡くなります。遺骨を引き取り、その足で京都の撮影所に向かった八名さんは、京都のお寺でお墓をつくろうとしましたが……
八名「それから1週間、寝られなかったの。押し入れに母親の遺骨があると思うと。それでどうしようかなと思っていたときに、育ての親から電話がかかってきたの。『信夫、遺骨を持ってきなさい。八名家のお墓に入れましょう』と。みんな反対したよ。でも、育ての親が『私が責任を持つから構わない』って。ものすごく感謝していますね」
八名さんの自主制作『駄菓子屋小春』の上映会は、全国で開かれています。これからの予定は7月28日(日曜日)岡山県灘崎文化センター、そして10月19日(土曜日)会津若松市稽古堂。上映会にあわせて、八名さんの講演会も開催されます。これからまた20ヶ所以上回るそうです!
八名「熊本はこうやって頑張っているんだ、こうやって乗り越えていかないといけないんだっていうことを、被災地じゃない人に見てもらいたい」 そして今回、特別に八名さんのサイン入り野球ボールをプレゼントにいただきました。3名の方にプレゼントします。ご希望の方は、【郵便番号102-8080 TOKYO FM 「SUNDAY’S POST」】までお願いします。
手紙文化を盛り上げよう! ポスト会議#09
全国におよそ2万4千局ある郵便局と連携を取りながら、新しいムーブメントを作ったり、商品開発をしていく企画コーナー「ポスト会議」。今回、お迎えしたのは、横浜にあるアートセンター「象の鼻テラス」の大越晴子さんです。
大越「横浜の赤レンガ倉庫と山下公園のあいだに広場がありまして、そこにアートスペースを兼ね備えた無料の休憩施設として運営しているのが象の鼻テラスになります」
小山「じつは……僕の別の番組のゲストで来ていただきまして。お話をうかがったときに、これはSUNDAY’S POSTに呼ぼう!ということで、スカウトをしてきました」
薫堂さんがもっと知りたい!と思ったのは、象の鼻テラスで展示されていた、「家族からの手紙」というプロジェクト。企画した、松本郁さんにもお越しいただきました。
松本「私はアドレスラベルという、住所や名前のシールをつくる専門の会社で働いています。手紙の良さを表現できる方法を考えていたところ、人の手紙をたくさん集めて、それをいろいろな人に見てもらえるといいなっていう風に感じまして。本のかたちにまとめて、展示をしてみました」
実際に展示された本も見せてもらいました。
松本「右ページが実際の手紙、左がそのエピソードです」
小山「人の手紙をそのまま製本するって、読み応えもあっていいですね」
松本「1つひとつ読んでいると、まったくわからない登場人物がいたりとか、ストーリーも突然始まるので、想像しながら読むっていうのが楽しくて」
小山「本来、手紙は読者がひとりじゃないですか。それがこうやって並んでいると、どんな人がどんな人に出したんだろうって想像するのが面白いですね」
宇賀「置き手紙もあるんですね『食卓にいちごがあります。ウーロン茶もあります。おにぎりとのり巻き』」
松本「この方の家は、東西南北でお部屋の位置を書いていまして。『北の冷蔵庫』って出てくる手紙もあって、ということは、もうひとつあるのかな? とか」
宇賀「人の手紙って読んじゃいけないものっていうイメージあるじゃないですか。こうやって覗き見できるのも楽しいですね」
松本「私も最初は罪悪感があったんですけど、集まったのを見るうちに楽しくなっちゃって」
小山「手紙って自由なんだなっていう気がしますね。これ、また同じ同じ展示をする機会はあるんですか?」
松本「また違うかたちで、手紙の面白さがいろんな人に伝わればいいなとは思っています」
宇賀「番組でも一緒に企画をしたいですね」
小山「番組で1冊、手紙の本を作りますか? これ、いいかもしれない……」
大越さん、松本さん、ありがとうございました!
今週の後クレ
今回のメッセージは、沖縄の本島から少し離れた阿嘉島にある<阿嘉郵便局>の岡野光稀さんでした!「実は阿嘉島の人口は246人で島に金融機関が郵便局しかないので、島民の皆様の生活に寄り添ったサービスを提供したいという気持ちで働いています。島を歩いていると野菜を貰えたりとか、今日のごはん何作るの?とか、そういう話をするのがとても楽しみですね。」
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この番組ではみなさんからの手紙を募集しています。
全国の皆さんからのお便りや番組で取り上げてほしい場所
を教えてください。
〒102-8080 東京都千代田区麹町1−7
SUNDAY'S POST宛