川島明 そもそもの話

TOKYO FM/JFN 37 Stations
Every Saturday 17:00-17:55
エフエム青森 Every Saturday 19:00-19:55

そもそも、なんでこの世界に?
そもそも、有名になったきっかけは?そもそも、あの作品を手がけた理由は?
芸人、俳優、ミュージシャン、漫画家、映画監督、スポーツ選手、料理人……
誰でも知ってるあの人の、意外と知らない“そもそもの話”。
平日の喧騒を逃れた土曜日。
バリトンボイスの聞き巧者 麒麟・川島明がおくるインタビュー番組。
様々な質問や相談に川島明が答えていきます。

番組では、リスナーからのメッセージも募集中!

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On Air Report

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17 May 2026

【#124】ゲストは"笑いで人を包み込む、ブランケットのような先輩" ココリコ 田中直樹さん!【2026.4.4 OA】

『川島明 そもそもの話』4月4日放送のゲストは、ココリコ 田中直樹さん!
川島さんいわく「トップクラスにやさしい先輩」。若手時代に出演した『黄金伝説』で助けてもらったことを今でも感謝していると言います。そんなココリコ田中さんの意外と知らないそもそもの話をじっくりと伺いました。

◆お笑いの道へ◆
子どもの頃からお笑いが好きだったと言う田中さん。ただ、新喜劇よりかはコメディ映画を見ていて、『Mr.Boo!』シリーズが大好きだったとか。現在の相方の遠藤章造さんとは小学校から同じ学校だったものの、よく話すようになったのは中学1年生で同じクラスになってからだと言います。当時から遠藤さんは”こんな面白いヤツおんねや…!”と驚くような存在だったと言います。
その後、田中さんはデザインの専門学校に通っていたのですが、いつしか就職活動もあまりせず、卒業制作も進行が間に合っておらず…というぐうたらな日々を過ごすように。すると、遠藤さんが毎日家に来て手伝ってくれて、なんとか卒業制作が完成。無事に専門学校を卒業した田中さんですが、就職先が決まっておらず…進路に悩んでいました。一方その頃、遠藤さんはプロ野球選手になる夢を諦めようとしており、もう一つの夢だったお笑い芸人を目指し始めていたとか。そんなタイミングで、遠藤さんが田中さんを誘う形でコンビを結成!こうして2人はお笑い芸人の道を歩き始めました。

◆ココリコ◆
結成当初のコンビ名は「ココリコボンバーズ」というもの。このコンビ名の由来についてもお話を伺いました。
中学の頃、ともに野球部だった2人がある日、一緒に帰っていたところ、道端に手帳に落ちていたことがあったそう。拾ってみると「喫茶ココリコで待ち合わせ」と書いてあり、裏側には持ち主の連絡先の記載が。近くの公衆電話から連絡してみると、連絡がつき、すぐに持ち主の女子大学生が拾いに来て、お礼に5000円をくれたのだそう。
時は流れ、東京でお笑い芸人になってからコンビ名を考えていた際、ふと中学の時の手帳のエピソードを思い出した2人は、"意味はないけど縁起のいい言葉"として「ココリコ」というフレーズを使おうと考えます。ただ、”前に出るタイプじゃないから、力強い言葉をつけよう”ということになり、「ボンバーズ」が勝手に付け足されて、この名前になったのだとか。ちなみに、「ココリコ」とはフランスにおけるにわとりの鳴き声を意味する言葉だとは後になってから知ったそう。
さらに時が経ち、銀座七丁目劇場のライブに出演するようになると、極楽とんぼやTEAM-0(月亭方正さんが所属していたコンビ)といった先輩芸人たちと出会います。当時から加藤浩次さんにはとてもお世話になっていたと言いますが、この頃に加藤さんに「ボンバーズなんて似合わないよ」「ボンバーズちぎっちゃえよ」とアドバイスされたことで、コンビ名を「ココリコ」に改名。すると、周りからも、ご自身にとっても、不思議とおさまりがよくなり…「ココリコ」というキャッチーなコンビ名を引っ提げて、仕事の幅も広がっていったと言います。ココリコの2人にとって、加藤さんは世に出るきっかけをくれた恩人だとも。

◆ガキの使い◆
今回、事前アンケートで”人生における大きな出来事”として日本テレビ『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』の存在を挙げた田中さん。たまたま前説を担当することができた2人は、半年ほど経つと次第に本編のオープニングにも呼ばれるようになり、いつしかレギュラーメンバーへと昇格。人気番組ということもあり、プレッシャーのかかる立場ではありましたが…初舞台の時から一緒にいた月亭方正さんの存在には大きく助けられたと言います。
その後、田中さんが28歳の頃にはテレビ朝日で冠番組『ココリコ黄金伝説』が始まり、30歳の頃には番組はゴールデンタイムで放送されるようになります。2人は引き続き『ガキの使い』の前説も担当したいと思っていた一方、松本人志さんは「ココリコはもうゴールデンで番組を持つようになったから、前説は卒業させてあげようと考えていたそうで、これが結果として、ライセンスといった後輩コンビにも活躍の場が広がることにつながっていきました。

◆黄金伝説◆
コンビでMCを務めたテレビ朝日『黄金伝説』では、特に初期の頃はココリコの2人が過酷すぎるロケに出る内容が人気を博しました。
例えば、うなぎパイ、ニワトリの卵、海苔、ヤギのミルクなどなど…一週間、一品の食べ物のみで生活しなければならない『一週間一品シリーズ』では、1週間常にカメラが回りっぱなしだったことが精神的にもきつかったと言います。
同じ時期に後輩のロンドンブーツ1号2号はテレビ朝日で冠番組『ぷらちなロンドンブーツ』を持つようになり、『ガサ入れ』などの華がある人気企画で人気を博します。ある時、この2つの番組が偶然、同じ日に沖縄でロケを行っていたことがあったそうで…ロンブーの2人はグラビアアイドルとのロケで楽しそうにしていた一方、ココリコの2人は”一発屁をこいたら100円もらえるというルールのもと、そのお金で沖縄本島を縦断できるか?”という企画に臨んでいたそうで…ロンブーにちょっぴり憧れていた部分もあった田中さんにとってはしんどい一日だったと振り返っていました。

♪オンエア・リスト♪
M1. 大迷惑 / ユニコーン
M2. 悲しみの夜明け / 遠藤章造と田中さん(ココリコ)
M3. Theme From “Reportage” / コールドカット
M4. 誓い / BEGIN
M5. 半斤八両 / サミュエル・ホイ(許冠傑)

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14 May 2026

【#123】ゲストは"新しい舞台を作る、笑い上戸のリーダー" ダウ90000 蓮見翔さん!【2026.3.28 OA】

『川島明 そもそもの話』3月28日放送のゲストは、ダウ90000 蓮見翔さん!
先日、演劇界の芥川賞と言われる「岸田國士戯曲賞」を受賞され、さらなる注目を集める蓮見さんを迎えて、たっぷり1対1でお話を伺いました。

◆お笑い少年◆
ご自身の幼少期について「ずーっとお笑いだけ見てきた」と話す蓮見さん。小4のときにテレビ東京『モヤモヤさまぁ~ず2』を見て、さまぁ~ずが大好きになったことに端を発すると言います。そのきっかけとなった放送が、ある年の年末スペシャルで"華があるところに行ってこい"というノリで、蓮見さんの地元・花小金井にさまぁ~ずが来た回だったとか。こうしてさまぁ~ずを好きになると、すぐに近所のTSUTAYAに行き、さまぁ~ずの単独ライブのDVDを全部見漁り、どんどんお笑いにハマっていきます。
ただ、中学生にして“俺なんかはお笑いをやっちゃいけないやつだ…”と感じるようになり、あまり人前でお笑いをすることはなかったと言います。ただ、ラジオ番組へのネタ投稿は「ちょっとやってた」そうで…TBC東北放送『トータルテンボスのぬきさしならナイト!』や文化放送『髭男爵 山田ルイ53世のルネッサンスラジオ』などをポッドキャストで聴いて投稿していたとか。ただ、当時は1回も読まれたことはなかったそう。

◆ダウ90000の旗揚げ◆
それでもやはりエンタメへの未練を捨てきれてないかったようで、蓮見さんは日本大学芸術学部、通称”日芸”へ進学。ちなみに、東京都立井草高校から日芸へと進むのは、爆笑問題の田中裕二さんと全く同じ進路なのだとか。
ここで蓮見さんは、中高と演劇部で活動していた同級生に誘われる形で演劇サークル「はりねずみのパジャマ」を結成。当時は教室で毎月コントライブを開催していて、同級生と蓮見さんがコントを4本ずつ書き下ろして披露していたそう。ただ、蓮見さんはその同級生の作るコントには面白さで1回も勝つことができなかったと感じていたとか。このサークル活動は上手くいっていたのですが、コロナ禍に入ると活動が思うようにできなくなってしまい、サークルは空中分解してしまいます。
こうした状況の中で、蓮見さんは「ダウ90000」を旗揚げします。最初の5年くらいは固定のメンバーで活動したいと考えていたこともあって、当時のサークルメンバーを集めて、「就職する気がないやつだけ残ってください」と言ったところ、8人も残ってしまった…というところから、現在の8人組の「ダウ90000」が生まれていったのだとか!「はりねずみのパジャマ」の時の同級生が破天荒なタイプだったこともあり、「ダウ90000」では、蓮見さんは全て緻密に計画に立ててから行動するようにしているそうで、「ダウ90000」というグループ名も、ちゃんと「ダウ90000」という名前に決まるようにメンバーでの話し合いを蓮見さんが進行していって、見事子の名前を名づけることに成功したのだと言います。

◆暗黒期◆
こうしてダウ90000としての活動が始まった中で、恩人と呼べる存在だというのが渋谷・ユーロライブのプロデューサーの小西朝子さん。活動初期に開催していたコントライブの噂を耳にして、見て来てくれたと言います。当時は定員30人の会場で、しかもコロナ禍なので実際に会場に入っていた観客は15人程度でしたが、定員200人のユーロライブで開催されていた「テアトルコント」というイベントに出演させてもらうことができたとか。
そんな中でダウ90000に試練が訪れます。それが2022年の『ABCお笑いグランプリ』。関西で開催されている伝統的な賞レースということもあり、関東芸人にとってはアウェーな場ではありますが…ダウ90000はこの年、決勝に進出。”お笑いの賞レースに認めてもらえた!”と喜んでいたのも束の間、審査員を務めていた陣内智則さんに「いいお芝居を観させてもらった」とコメントされ、お笑いをやろうとしていたのに、結果としては皮肉にもお芝居として評価されてしまうことに。しかも、その直後にメンバーがコロナに感染。グループの活動が思うようにできなくなり、「演劇って言われちゃいました~」というイジりをすることもできず、さらに、グループで出演するドラマの仕事が決まってしまい、グループの活動がさらに芝居寄りに。こうして、どんどんお笑いから離れていってしまったこの時期は暗黒期だったと話していました。

◆メダルゲーム◆
今回判明した蓮見さんと川島さんの共通の趣味が「メダルゲーム」。川島さんが「あれは、暇をやりに行っている」と言うと、蓮見さんも「時間の無駄遣いをしに行く」「すごく贅沢な遊び」と共感!川島さんはNHK『ドキュメント72時間』の"メダルゲームの聖地"の回を未だにオンデマンドでよく見ているそうなのですが、蓮見さんはその"聖地"を実際に訪れたとか。意気投合した2人のメダルゲーム談義は尽きることなく続くのでした。

◆先輩たちの言葉◆
蓮見さんが先輩たちにかけられた”印象深い言葉”もいくつか伺いました。
おぎはやぎ矢作兼さんには「君はほんとに才能ないみたいに笑うな。」と言われたことがあるそう。蓮見さんは、本当に心から笑っているのに、愛想笑いだと思われることがよくあるそうなのですが、その特徴をこの言い方で表現するすごさに感動!この言葉を言われたときは嬉しかったと言います。
稲垣吾郎さんには2年ほど前に共演した際、「君はまだテレビに出る顔つきをしてないね。」と言われたとか。川島さんも「ムチャクチャやな、やっぱあの人!」と反応していましたが…もちろん、ボケで言うわけでもなく、本当に思ったからこそ出てきた、稲垣さんらしさの詰まった言葉が印象に残っているのだと言います。
千原ジュニアさんには「その考え方してんのがすでにもう芸人やけどな。」と言われたことがあるそう。これは、2人でサシ飲みした際に、ジュニアさんが出演していた『ざっくりハイタッチ』を蓮見さんが高校時代にあまりに熱中してみていたがあまり、”ジュニアさんは俺で笑わないだろうな…”と思っていたことを庄司に打ち明けた時に言われた言葉だそう。この言葉をきっかけに、お笑い芸人としての自信を持てるようになり、これ以降、カメラを見て喋れるようになったともおっしゃっていました!

♪オンエア・リスト♪
M1. 桃色ロマンス / カネヨリマサル
M2. 青春狂走曲 / サニーデイ・サービス
M3. 昇天 / 東京60WATTS
M4. 川べりの家 / 松崎ナオ
M5. くだらないの中に / 星野源

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05 May 2026

【#122】ゲストは"笑いを音符に変えるじょっぱりプロデューサー" 古坂大魔王さん!【2026.3.21 OA】

『川島明 そもそもの話』3月21日放送のゲストは、古坂大魔王さん!
収録前の雑談トークは盛り上がっていたのに、収録が始まった途端に変なことを言い始める!?青森ならではの”じょっぱり精神”が全開の古坂さんと1対1でたっぷりお話を!

◆青森出身◆
古坂さんの地元の青森県は大阪のお笑い文化があまり入ってこない土地で、テレビで観られるお笑いはドリフターズくらいしかなかったそう。そのため当時は『8時だョ!全員集合』をみんなが見ていて、学校の朝礼で先生もその話をしているほどだったとか。その後、とんねるずが出てくると、『とんねるずのオールナイトニッポン』に熱中し、『スネークマンショー』といったオーディオコントも追いかけるようになります。なお、古坂さんは地元のラジオ番組にラジオコントのテープを送っていて、小6の時には地元のラジオ局・RAB青森放送のラジオ番組でレギュラーコーナーを担当していたこともあったのだそう。
今でこそ、シソンヌ・じろうさん、ラバーガール、りんごちゃん、王林…などなど、青森出身の芸能人はたくさんいらっしゃいますが、当時は青森から東京に行ってお笑いをやっている人の前例がいなかったそう。その状況が逆に古坂さんのモチベーションを高め、"東京で流行っているファッションの逆をやろう"というスタンスで上京することになります。ちなみに、こういった意地を張った、すねたようなスタンスのことは、青森県では「じょっぱり精神」と言われているのだそう。

◆上京◆
こうして日本映画学校に入学し、当時の相方の小島さん、村島さんと出会いますが、3週間目に学校を辞めてしまい、その後、太田プロ預かりになります。3人は「底抜けAIR-LINE」というトリオを結成。当然、メンバーは3人ですが、当初は"4人組"を名乗っており…”3人で4人組です、どっちだよ!”という”じょっぱり精神”全開のお笑いをやっていたのだそう。
その後、爆笑問題が初代王者になった『ボキャブラ天国』の前身番組『GAHAHAキング』に出演。海砂利水魚、ネプチューン、U-turnといった面々も出演した中、底抜けAIR-LINEは暴れすぎてしまい、勝ち抜き番組なのに1週目で落ちてしまったのだとか。

◆ボキャブラ天国◆
その後、底抜けAIR-LINEはフジテレビの大人気番組『ボキャブラ天国』に出演。当時の番組の盛り上がりについて古坂さんは「毎週M-1があったような感じ」と言います。パイレーツは1週出ただけで、次の日から大人気になり、次の週には会場から大歓声が沸いていたり、BOOMERにマルサが入ったこともあったとか!?当時は毎週、制作会社の「ハウフルス」の事務所に行ってネタをひねり出していて、そのネタがオンエアでハマれば、街を歩けなくなるほどの人気を得られたのだそう。
こうして、『ボキャブラ』ブームが続く中で、古坂さんは"どこかでボキャブラから抜けなきゃ…次のブームに乗らないと…"という想いも次第に抱き始めます。そのタイミングで始まったのが『爆笑オンエアバトル』。『オンバト』に出ると、『ボキャブラ』には出演しづらくなりますが…古坂さんはここでも意地を張って、オンバトの初期から出演することを選びました。

◆上田晋也さん◆
子どもの時に見ていたドリフの楽曲から、とんねるずの『情けねえ』『ガラガラヘビがやってくる』などなど、音楽にも興味があった古坂さん。一緒にやっていた芸人仲間がテレビで活躍しているのを横目に”一回ネタじゃなくて音楽をちゃんとやろう”と思った時期も。こうして、一旦お笑いの活動を控えた古坂さんに声をかけたのが、海砂利水魚(現・くりぃむしちゅー)の上田晋也さん。「絶対控えるな」「お前がブツブツ言ってるのが面白いんだ」と言ってくれたそうで、古坂さんのことを面白いと話している上田さんがセンス無いと思われるのは恥ずかしい、という想いからCSで『上田ちゃんネル』という上田さんと古坂さん2人によるトーク番組を立ち上げてくれたのだそう。10歳年上ということもあり、出会った頃の印象は最悪だったそうですが…今では「恩人は上田さん」だと力強くお話されていました!

◆ピコ太郎◆

古坂さんがプロデューサーを務める「ピコ太郎」のお話も。代表曲「PPAP」のもとになった音は97年にできていたそうで、『オンバト』のチャンピオン大会で披露した「テクノ体操」のネタで流しているのだそう。"笑いの音をカッコよく作ったら面白いだろうなあ…"というのが発想のきっかけだとか。その曲を10年ほど温め続けていて、2016年に楽曲としてリリースされたのが「PPAP」なのです。
世界的に大ヒットとなった「PPAP」ですが、このヒットは古坂さんいわく「ネットの底辺でため込んだ知識の集大成」なのだそう。"他業種の人が同時にリツイートすると拡散される"という知識をもとに元・AKB48の梅田彩佳さん、LiSAさん、AAAといった交流のあるアーティストに頼んでリツイートを依頼したのだそう。そういった小さい努力の積み重ねが少しずつバズを生み出し、そこにトドメとなったのが、ジャスティン・ビーバーのリツイートだったのです。この話を聞いた川島さんは「体育館でドミノを組んで倒したら、体育館が倒れた」「一番憧れていたドリフみたい」と状況を例えていました!
この大ヒットで、ピコ太郎や古坂さんは一躍時の人になりました。それまで、爆笑問題には「音楽なんかやめろ」、くりぃむしちゅーには「お前は音楽じゃない」とずっと言われていましたが、半年後に楽屋で会ったところ、太田さんや上田さんに「音楽辞めろって言ってごめん」「でも、ジャスティス・ビーバーの人差し指に負けるとは思わなかった」と謝られたとも。
そんな「PPAP」は今年でリリースから10周年!それを記念したピコ太郎「PPAP」10周年プロジェクトが現在進行中。第8弾となる『Tottemo Release 80.8(08)』が3月25日(水)から配信開始されています!ぜひチェックしてみてくださいね◎

♪オンエア・リスト♪
M1. 俺ら東京さ行ぐだ / 吉幾三
M2. ドリフの早口ことば / ザ・ドリフターズ
M3. Firestarter / ザ・プロディジー
M4. PPAP(ペンパイナッポーアッポーペン) / ピコ太郎
M5. 人生、盛っちゃって! / ピコ太郎

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05 May 2026

【#121】ゲストは"決して割れないストーンズの唯一無二のMC" SixTONES 田中樹さん!【2026.3.14 OA】

『川島明 そもそもの話』3月14日放送のゲストは、SixTONES 田中樹さん!
現在ツアー真っ最中のド忙しい中、スタジオに来てくれた樹さんと1対1でじっくりトーク!樹さんやSixTONESのそもそもの話を紐解いていきました。

◆バカレア組◆
中学生になると同時に事務所に入った樹さん。ただ、そもそも芸能活動には興味がなかったと言います。お母さんが履歴書を出していて、気づいたらアイドルへの道を歩み始めていました。この時のオーディションでは、菊池風磨さんや中島健人さんも一緒に受けていて、樹さんにとって最初にできた仲間だと言います。風磨さんには自身と近いものを感じていた一方、健人さんは”もうケンティー”だったとか!
その後すぐに、Hey!Say!JUMPのコンサートリハーサルに呼ばれ、そのコンサートにジュニアとして出演。しっかりとレッスンをやってから現場へ…というようなイメージもありますが、樹さんいわく「実際は現場たたき上げ」なのだとか。それまで、ダンスを覚えるという習慣すらなかったこともあって、当時の心境について伺うと「もうわけわかんない」と振り返っていました。
2012年には、日本テレビで放送されたドラマ『私立バカレア高校』に出演。先輩グループ、A.B.C-Zの舞台の公演の空き時間にドラマに出ることを告げられ、そのまま衣装フィッティングが始まったと言います。このドラマには現在のSixTONESのメンバー6人が出演しており、この6人はいつしか”バカレア組”と呼ばれるようになりました。撮影は田舎の廃校で行われ、夜には肝試しをしたり…と、本当の学生のような過ごし方をしていて、仕事のためになかなか学校では経験できなかった思い出作りを、この撮影を通じてすることができたともおっしゃっていました。

◆グループ結成◆
こうして"この6人で行くんだ"という手応えも感じていた樹さんですが、すぐにグループ結成とはならず、苦しい時期が続くことになります。松村北斗さんとジェシーさんがジュニアの中で真ん中の立ち位置を得た一方、それ以外の4人は端っこの立ち位置に定まってしまい、明確に2人と大きな差が開いてしまいます。当時について樹さんは「終わったなって思った」と言います。4人で「あまりもの」というLINEグループ作ったりしたこともあったりと、自虐的なムードが漂っており、高校卒業間近というタイミングもあって、一時は就職も考えていたこともあったとか。
この状況を乗り越えるきっかけが、2014年頃にジェシーさんが6人に「もう1回6人でやりたいんだけどどう思う?」と声をかけたこと。ジェシーさんも“やっぱあの6人だな”ってずっと思っていたようで、樹さんも辞める前に最後にやってみるか…!と、全BET。これがきっかけとなり、2015年にSixTONESが結成されました。

◆CDデビューまでの5年間◆
2015年にSixTONESが結成されてから、CDデビューまでの間には5年と言う長い月日がありました。
樹さんによると、当時はそこまで円滑にグループは進んでおらず、「あいつらは直談判でやってるから選ばれたメンバーじゃない」「おててつないで仲良しこよしでも上手くいかないぞ」といったようなことを言われることもあったとか。
そんな樹さんがデビューまでの5年間で特に努力していたことが「トーク」。当時、"必要不可欠な人間にならないといけない"という想いを抱えていた樹さんなりに、重要なメンバーに見えるために必要なことを考えた結果、"仕切る人"を目指そうという結論に至り、MC力を鍛えることを決めたとか。グループ内では当初、高地さんがMCを務めることが多かったのですが、高地さんは意外とポンコツなので上手くいかないことも多く…そんな中でメンバーから「樹よくしゃべるし、樹やれば?」と言われたことで、自分の役割を見出すことができたと言います。トーク力を鍛えることはなかなか難しいことですが、小さい頃から見ていたダウンタウンの番組を何度も見て分析したり、逆に反面教師的に「なんでこの人の話は入ってこないんだろう…?」と考えたりもしたとか。その結果、「難しい言葉は使わない、喋り言葉を使うようにする」ということを意識するようになったとお話しされていました。
その後、2019年のジュニアのライブでSnow Manとの同時デビューが発表。ジュニアのライブで発表されたことについては、他のグループのファンもいた場だったこともあり、複雑な気持ちもあったと言いますが、Snow Manとの同時デビューは「正直心強かった」とも。樹さんにとって、Snow Manは大好きなグループで、仲のいい存在だともおっしゃっていました。

◆メンバーについて◆
樹さんにとっての恩人を伺うと、やはりジェシーさんのお名前が。先ほども話にあがっていましたが、樹さんが「このグループの心臓」と表現する存在がジェシーさんなのです。
SixTONESの6人で話し合うこともあるそうで、今後のことから近い仕事のことまで様々なことを話すのだとか。"仕事のことは全部6人全員でやる"と決めているため、時にぶつかることがあっても6人で決めることを鉄則にしているのだそう。
そんな樹さんのこれからのお話も最後に伺うと、「個人の目標は全くない」と話す一方で、「SixTONESの番組が上手くいけばいいなあ」とも。求められたら、そのお返しとして全力でやると決めている樹さん。この1~2年がグループとして勝負の期間だと考えており、今は脳みそのキャパシティをなるべくグループのことに使いたいともおっしゃっていました!

♪オンエア・リスト♪
M1. HANDS UP / SixTONES
M2. THE D-MOTION / SixTONES
M3. この星のHIKARI / SixTONES
M4. Imitation Rain / SixTONES
M5. 一秒 / SixTONES
M6. Rebellion / SixTONES

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