川島明 そもそもの話

TOKYO FM/JFN 37 Stations
Every Saturday 17:00-17:55
エフエム青森 Every Saturday 19:00-19:55

そもそも、なんでこの世界に?
そもそも、有名になったきっかけは?そもそも、あの作品を手がけた理由は?
芸人、俳優、ミュージシャン、漫画家、映画監督、スポーツ選手、料理人……
誰でも知ってるあの人の、意外と知らない“そもそもの話”。
平日の喧騒を逃れた土曜日。
バリトンボイスの聞き巧者 麒麟・川島明がおくるインタビュー番組。
様々な質問や相談に川島明が答えていきます。

番組では、リスナーからのメッセージも募集中!

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02 Jun 2026

【#127】ゲストは"天真爛漫とストイックさをあわせ持つ、フィギュアの妖精" 高橋成美さん!【2026.4.25 OA】

『川島明 そもそもの話』4月25日放送のゲストは、ミラノ・コルティナ五輪での”神解説”が話題の高橋成美さん!
2時間睡眠が日常という超ショートスリーパーな高橋さん。一方、走るのも日課になっていて、収録当日もTOKYO FMの近くで13キロほど皇居ランしてからスタジオにやってきたらしく、「今めっちゃ眠いです」ともおっしゃっていましたが…そんなコンディションの中で、高橋さんのそもそもの話をじっくりと伺いました。

◆スケートの道へ◆
3歳の時にフィギュアスケートを始めた高橋さん。スケートに対する最初の印象は”楽しいなあ”というものだったそう。8歳の時には5種類の3回転ジャンプが飛べるようになり、9~10歳の男女が競うフィギュア全国大会で3位に入賞。当時は天狗になっていたとご自身でもおっしゃいます。
小4の時には父親の転勤のために中国へ引っ越します。この時、転勤先はアメリカと中国のどちらかが選べたそうですが、中国には当時、高橋さんが憧れていた申雪選手、趙宏博選手というペアのフィギュアスケーターがいたため、高橋さんは渾身のプレゼンをして中国への引っ越しを勝ち取ったのだとか。その後、12歳の時にペアに転向。この背景には浅田真央さんという圧倒的なライバルの存在からくる挫折があったと言います。その後には、カナダのモントリオールにフィギュア留学をしたことも。ここでは髙橋大輔さんとペアを組んでいたのですが、大輔さんに「妹みたい。お兄ちゃんだと思っていいよ。」と言われたことで、中国では「髙橋大輔の妹」と嘘をついていたこともあったのだとか。

◆なるりゅう◆
2012年、20歳の時に出場した世界選手権では、ペアで日本選手初の銅メダルを獲得。その後、“りくりゅう”で話題になった木原龍一さんとペアを組むことに。当時、高橋さんは肩を大けがしてしまったことがきっかけで、スケートの道を諦めて帰国していたのですが、そんな中でソチ五輪でフィギュア団体戦が導入されることに。そこで高橋さんに白羽の矢が立ったのです。一方、木原さんは就活に向けてフィギュアを辞めかけていたタイミング。そんな折、フィギュア連盟の方が声をかけたことで、2人はペアを組むことになりました。
高橋さんは「今のりくりゅうを見ると完璧だから、当時は相性が良いと思っていたけど、りくりゅうに比べると良くなかったのかな…」ともおっしゃいますが、高橋さんにとって”なるりゅう”は毎日必死に生きていた時期。結成からオリンピック本番までの時間は1日も無駄にできなかったと言います。
2018年、26歳の時、高橋さんは競技生活を引退。川島さんの「やり切った?」という質問には言葉を詰まらせていましたが…今も解説という新しい仕事をするようになり、”まだ何も終わってない”とも感じているそう。スケートをやっていたことで、タレントの世界でシード権をもらうことができたような感覚だと言い、「やりきったと言えるのはまだ先」と考えているとか。

◆松竹芸能◆
引退から2年後、高橋さんは松竹芸能に所属。5歳の頃から芸能人への憧れを持っていた高橋さん。海外生活が長かったこともあり、日本っぽい「松竹」という名前の付く芸能事務所に惹かれたのだと言います。タレントとしての初めての成功体験はフジテレビ『アウト×デラックス』への出演だったと言います。高橋さんとしては普通の話をしているだけのつもりだったのに、気づけば”みんな認めるアウト”な存在に!その瞬間、”ちゃんとアウトって思ってもらえるんだ…”と自分自身のことを肯定してもらえたように感じたと言います。
今回、高橋さんからタレント活動で参考にしている存在として名前が挙がったのが、ますだおかだの岡田圭右さん!実は、松竹芸能に入りたいと思ったのは岡田さんの影響もあったそうで、”自分なりの色を出す”という岡田さんの仕事に対する姿勢に勇気づけられたと話していました!

◆これから◆
最後に、これからの展望について伺うと…「近い目標だと、2年後か3年半後にスポーツ庁の長官になりたい」というお話が!スポーツの価値について考える中で、”まず、日本の体育教育から変えたい”という思いがあるそう。「スポーツを通じて、自分の感情が動くのもスポーツ」と考えており、スポーツから得られるものは計り知れないことを実感しているからこそ、スポーツがみんなにいきわたる世界を作りたいと思っているのだとか。

♪オンエア・リスト♪
M1. STARS / Snow Man
M2. Sk8er Boi / アヴリル・ラヴィーン
M3. DREAM / 清水翔太

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28 May 2026

【#126】ゲストは"脱力系革命戦士" くりぃむしちゅー 有田哲平さん!【2026.4.18 OA】

『川島明 そもそもの話』4月18日放送のゲストは、くりぃむしちゅー 有田哲平さん!
実は、前々から出演オファーをしていた有田さん。ただ、この番組の収録日の前日に『しゃべくり007』の収録があることが多く、朝の5時まで打ち上げをしているためになかなか難しかったのですが…この度、ついにゲスト出演が実現!会うのは2~3年ぶりだと言う川島さんとじっくり1対1でお話を繰り広げました。

◆お笑い芸人になるまで◆
幼少期は音楽が大好きな少年だったと言う有田さん。暇さえあればレコードを聴き漁っていたそうですが…小5の時に”革命戦士”長州力に出会ってしまい、一気にプロレスに傾倒。同じくプロレス好きの相方・上田晋也さんとは高1の時に同級生として出会い、ともに『お笑いスター誕生!』が好きだったことから意気投合します。
上田さんは割と早い段階でお笑い芸人を志していたようですが、有田さんはそこまでお笑い芸人になることは考えていなかったそう。そんな中、ある日、有田さんは下北沢で開催された合コンに参加するも上手くいかず…当時、江古田に住んでいた有田さんは、当時久我山に住んでいた上田さんの家に泊まりに行きます。”昔、お笑い好きだったよなあ…”と思い出話のつもりで話していたところ、実は上田さんはその日にお笑い事務所に提出するための履歴書を書いていたところだったそうで…その流れで有田さんも一緒にコンビとして活動することに。しばらくすると大学も辞めて、コント山口君と竹田君の付き人をしながら下積み時代を過ごします。

◆改名◆
こうして「海砂利水魚」としてコンビ活動を始めた2人は、社会現象を起こしたフジテレビのバラエティ番組『ボキャブラ天国』に出演。ただ、ともに出演していたネプチューンや爆笑問題の活躍がめざましく、いつしか差をつけられてしまいます。気づけば『ボキャブラ』の放送も終了し、先が見えていなかった中、コンビに転機が訪れます。それがTBS『ウンナンの気分は上々。』での”改名対決”。1回目の対決ではバカルディが「さまぁ~ず」に改名。実はこの時、海砂利水魚が負けていたら、2人ともラグビー部だったことから「ザ・トライ」に改名することになっていたそうですが…結局、海砂利水魚は2回目の対決でコンビ名を改名することに。有田さんの好きな食べ物がクリームシチューだったという理由で「くりぃむしちゅー」に改名することになりました。さまぁ~ずは改名後、すぐに大ブレイクしますが、くりぃむしちゅーは1年くらい"何もない時期"があったとか。そんな中で上田さんの”うんちく”がきっかけとなり、仕事が増えていきました。


◆しゃべくり007◆
2008年には日本テレビで『しゃべくり007』の放送がスタート。初めは週末夕方の放送で、レギュラー放送が始まることを告知する番宣番組には、実は麒麟も出演していたのだとか。すぐに人気に火がつき、半年後にはプライムタイムでの放送に昇格。現在も続く大人気番組となります。ゲストは登場するまで出演者には秘密にされているため、有田さんをはじめとするパネラーにとっては、とにかくふざけるしかない状況に追い込まれるのと言います。ただ、『しゃべくり』では、他の番組ではカットされることが多いボケ合戦やミニコントのシーンを中心にオンエアされており、放送を見た有田さんは”ちゃんとふざけなきゃ…”と思ったともおっしゃっていました。ちなみに、進行役を務める上田さんはあまりテレビを見ないらしく、時の人がゲストで登場したときは、そのゲストのことをよく分かってない状況で仕切っていること多々あるそう…!

◆脱力タイムズ◆
フジテレビ『全力!脱力タイムズ』は芸人ゲストにだけ台本が渡されないシステムで収録が行われる、芸人にとっては試練の番組。川島さんは一度、ダミーの台本を渡されたことがあるそうですが…本番では全然違う流れで収録が進んでいき…川島さんは「やり方が汚いですよね」とも。このダミーの台本も一生懸命考えており、これをそのまま収録しても番組が成立するほどのクオリティだと言います。
有田さんいわく、『脱力タイムズ』の作り方はプロレスの考え方にもつながる部分があるそう。「"脱力タイムズはコントだから…"っていう撮り方でも成立するが、ちょっと恥ずかしい」「(今のやり方だと)その場で生まれたみたいになるから…嬉しいじゃん」と、制作の舞台裏を明かしてくださいました。
◆川島さんの転機◆
ここで、「川島の転機は2回ある」と切り出した有田さん。1つはテレビ朝日『くりぃむナントカ』に川島さんがゲストで出た際に、番組内で有田さんが体制批判をし始めたところ、川島さんが乗っかってきた時。川島さんいわく、『ホームレス中学生』の後の時期で、全てにかみつくしかなかったタイミングだったとか。有田さんは川島さんに対して”毒みたいなのも入ってきたんだ”と驚いたと言います。
もう1つがTBS『有田ジェネレーション』の”川島VSバリネコ”のくだり。マツコ・デラックスさんやミッツ・マングローブさんが世に出てきたタイミングで、番組が見つけたドリュー・バリネコさんという女装家が全くのポンコツキャラで、いつしか番組内で「いい加減にしろバリネコ!」と川島さんがイチからエンタメを教えるくだりが定番になりました。ちなみに、一時は有田さんと川島さんとバリネコさんのグループLINEが存在したこともあったそう。
また、川島さんが忘れられない出来事として話していたのが、『くりぃむナントカ』の収録後、タクシーを待っていたところ、有田さんと一緒になった時にポツリと言われた「川島、いま業界でもう1回来るって言われてるから」という言葉。この言葉を糧に仕事を頑張ることができたと明かしていました。

♪オンエア・リスト♪
M1. Tomorrow Never Knows / ザ・ビートルズ
M2. 未来への鍵 (feat.AKEEM DA MANAGOO) / ZEEBRA
M3. 夢で逢えたら / 銀杏BOYZ
BGM. パワー・ホール / Z・Z・Z

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24 May 2026

【#125】ゲストは"少年のままペンを握る漫画の神様" 秋本治さん!【2026.4.11 OA】

『川島明 そもそもの話』4月11日放送のゲストは、漫画家 秋本治さん!
川島さんにとっては”誇張ナシで神様と断言できる方”だと言うレジェンド漫画家をお迎えして、1対1でじっくりお話を伺いました。

◆漫画少年だった頃◆
幼い頃から漫画が好きだったと言う秋本さん。漫画家を目指し始めたのは小学校5~6年の頃だと言います。当時、手塚治虫先生が監修した漫画の描き方をテーマにした本があり、それを参考に見よう見まねで漫画を描いていたとか。
その後、14歳の頃には『石ノ森章太郎のマンガ家入門』という本が出版されます。こちらは、石ノ森先生の監修による、漫画家になるためにはどうすればいいかが全部書かれた本。この強烈な参考書は当時、日本中の少年少女にショックを与えたそうで…秋本さんもこの本に衝撃を受けた1人だったそう。漫画家になってからも読み返すと言うほどの、読めば読むほど深い1冊だとおっしゃっていました。

◆アニメーターを経て漫画家に◆
秋本さんが漫画家になる前には、アニメーターをしていた時代がありました。高校時代に漫画部に所属していて、そこでアニメ制作の面白さを知ったことで、アニメーターを目指すように。東京にたくさんあったアニメ会社を見学に行き、その中でアニメ会社の「タツノコプロ」に就職。そこでは『ガッチャマン』のアニメ制作にも携わっていたとか。
学生時代からずっと漫画を描いていた秋本さんですが、アニメーター時代もその習慣は続いていたそう。アニメ会社を辞めたタイミングで、それまでに描き溜めていた作品を出版社の漫画賞に送ったところ、編集部から声がかかり、トントン拍子で漫画家としてデビューすることになりました。

◆こち亀◆
こうして1976年に『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の連載が始まり、秋本さんは漫画家としてデビューを果たしました。
この印象的な長い作品タイトルは、秋本さんいわく「目立とうとして付けた」のだとか。連載が始まった当時は”すぐ終わるだろう…”と思っていたことから、読み切りのつもりで最初は描いていたとか。秋本さんいわく、それまであまりギャグ漫画を描いた経験がなかったそうで、デビューしてから、話の組み立て方を教わったとか。当時のジャンプは若手漫画家を積極的に起用していたため、秋本さんもプロでありながら修業しているような感じで、連載をやりながら漫画の描き方を覚えていったとおっしゃっていました。
当初は懐かしいネタがストーリーの中心だった『こち亀』ですが、次第にストーリーの中に時事ネタやトレンドも取り入れるようになります。秋本さんによると、コミックス第100巻が終わった頃にパソコンや携帯電話といったサービスが登場したそうで、次第にそういった新しいネタもあえて入れるようになったと言います。
数ある『こち亀』のエピソードの中でも、川島さんが特にすごいと思った回が"お化け煙突"の話(第575話 / コミックス第59巻8話『おばけ煙突が消えた日の巻』)。”お化け煙突”のエピソードは調べてもあまり出てこず、当時生きてた人しか体験できないことですが…秋本さんによると、ある時、足立区で”お化け煙突写真展”なる展覧会が行われていたそうで、それにインスピレーションを得て、図書館で資料を集めて調べ、このエピソードが生まれていったのだとか。

◆ミスタークリス◆
1985年からは『こち亀』の連載と並行する形で『ミスタークリス』の連載もするように。当時は月刊連載の漫画を描きながら、週刊連載の漫画も描いている漫画家がいたそうで、秋本さんもやってみたら案外描けたと言います。
『ミスタークリス』の連載当初、「女の子を描くのが苦手だった」という秋本さん。そのため、”月刊で女の子が主人公だけど、男の子だということにすれば描きやすい”ということから、『ミスタークリス』の物語が生まれたとか。東京の下町を舞台にした『こち亀』に対し、『ミスタークリス』は海外が舞台。『こち亀』で描けないものを『ミスタークリス』で描くことで、れぞれの作品で描いたものがもう一方にもインスピレーションを与え…いつしか相乗効果が生まれていったと言います。秋本さんは「『こち亀』が続いたのは『ミスタークリス』のおかげ」ともおっしゃっていました。

◆アイデア◆
秋本さんの漫画のアイデアはどこから湧いているのか伺うと…「ラジオを聴いてるとき」というお答えが!音楽を流していたこともあったそうですが、人の声を聞きながらの方が作業しやすいそうで、ふと流していたラジオで耳にした面白そうなネタを手元にメモして、それを集めて作品ができあがることもあるのだそう。
ここで川島さんから「『こち亀』のネタはストックしている?」と質問が。秋本さんいわく、今でも時々ネタを考えてしまうことはあると言います。仮想通貨、SNS、VTuberなどなど…川島さんをはじめ、読者からすると”これ、両津がやってたら…!?”とついつい考えてしまうテーマは世の中に溢れていますが…一体、どんなネタがストックされているのでしょう?!

◆TimeTuberゆかり◆
現在、秋本さんはグランドジャンプにて最新作『TimeTuberゆかり』を連載中。担当編集者の知り合いに『こち亀』のファンがいて、”こういうのを読みたい”と持ちこんできたところから始まった作品。”トンチンカンぶりを描いたら面白いのではないか”というところを出発点に、『TimeTuberゆかり』を通じて描きたいものを描いている最中だと言います。そんな『TimeTuberゆかり』のコミックス第3巻が、2026年3月18日に発売されています。みなさん、ぜひチェックしてみてください◎

♪オンエア・リスト♪
M1. 葛飾ラプソディー / 堂島孝平
M2. ガッチャマンの歌 / 子門真人
M3. だまって俺についてこい / 天童よしみ
M4. 淑女の夢は万華鏡 / 奥菜恵
M5. 気持ちだよ / 吉田拓郎

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17 May 2026

【#124】ゲストは"笑いで人を包み込む、ブランケットのような先輩" ココリコ 田中直樹さん!【2026.4.4 OA】

『川島明 そもそもの話』4月4日放送のゲストは、ココリコ 田中直樹さん!
川島さんいわく「トップクラスにやさしい先輩」。若手時代に出演した『黄金伝説』で助けてもらったことを今でも感謝していると言います。そんなココリコ田中さんの意外と知らないそもそもの話をじっくりと伺いました。

◆お笑いの道へ◆
子どもの頃からお笑いが好きだったと言う田中さん。ただ、新喜劇よりかはコメディ映画を見ていて、『Mr.Boo!』シリーズが大好きだったとか。現在の相方の遠藤章造さんとは小学校から同じ学校だったものの、よく話すようになったのは中学1年生で同じクラスになってからだと言います。当時から遠藤さんは”こんな面白いヤツおんねや…!”と驚くような存在だったと言います。
その後、田中さんはデザインの専門学校に通っていたのですが、いつしか就職活動もあまりせず、卒業制作も進行が間に合っておらず…というぐうたらな日々を過ごすように。すると、遠藤さんが毎日家に来て手伝ってくれて、なんとか卒業制作が完成。無事に専門学校を卒業した田中さんですが、就職先が決まっておらず…進路に悩んでいました。一方その頃、遠藤さんはプロ野球選手になる夢を諦めようとしており、もう一つの夢だったお笑い芸人を目指し始めていたとか。そんなタイミングで、遠藤さんが田中さんを誘う形でコンビを結成!こうして2人はお笑い芸人の道を歩き始めました。

◆ココリコ◆
結成当初のコンビ名は「ココリコボンバーズ」というもの。このコンビ名の由来についてもお話を伺いました。
中学の頃、ともに野球部だった2人がある日、一緒に帰っていたところ、道端に手帳に落ちていたことがあったそう。拾ってみると「喫茶ココリコで待ち合わせ」と書いてあり、裏側には持ち主の連絡先の記載が。近くの公衆電話から連絡してみると、連絡がつき、すぐに持ち主の女子大学生が拾いに来て、お礼に5000円をくれたのだそう。
時は流れ、東京でお笑い芸人になってからコンビ名を考えていた際、ふと中学の時の手帳のエピソードを思い出した2人は、"意味はないけど縁起のいい言葉"として「ココリコ」というフレーズを使おうと考えます。ただ、”前に出るタイプじゃないから、力強い言葉をつけよう”ということになり、「ボンバーズ」が勝手に付け足されて、この名前になったのだとか。ちなみに、「ココリコ」とはフランスにおけるにわとりの鳴き声を意味する言葉だとは後になってから知ったそう。
さらに時が経ち、銀座七丁目劇場のライブに出演するようになると、極楽とんぼやTEAM-0(月亭方正さんが所属していたコンビ)といった先輩芸人たちと出会います。当時から加藤浩次さんにはとてもお世話になっていたと言いますが、この頃に加藤さんに「ボンバーズなんて似合わないよ」「ボンバーズちぎっちゃえよ」とアドバイスされたことで、コンビ名を「ココリコ」に改名。すると、周りからも、ご自身にとっても、不思議とおさまりがよくなり…「ココリコ」というキャッチーなコンビ名を引っ提げて、仕事の幅も広がっていったと言います。ココリコの2人にとって、加藤さんは世に出るきっかけをくれた恩人だとも。

◆ガキの使い◆
今回、事前アンケートで”人生における大きな出来事”として日本テレビ『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』の存在を挙げた田中さん。たまたま前説を担当することができた2人は、半年ほど経つと次第に本編のオープニングにも呼ばれるようになり、いつしかレギュラーメンバーへと昇格。人気番組ということもあり、プレッシャーのかかる立場ではありましたが…初舞台の時から一緒にいた月亭方正さんの存在には大きく助けられたと言います。
その後、田中さんが28歳の頃にはテレビ朝日で冠番組『ココリコ黄金伝説』が始まり、30歳の頃には番組はゴールデンタイムで放送されるようになります。2人は引き続き『ガキの使い』の前説も担当したいと思っていた一方、松本人志さんは「ココリコはもうゴールデンで番組を持つようになったから、前説は卒業させてあげようと考えていたそうで、これが結果として、ライセンスといった後輩コンビにも活躍の場が広がることにつながっていきました。

◆黄金伝説◆
コンビでMCを務めたテレビ朝日『黄金伝説』では、特に初期の頃はココリコの2人が過酷すぎるロケに出る内容が人気を博しました。
例えば、うなぎパイ、ニワトリの卵、海苔、ヤギのミルクなどなど…一週間、一品の食べ物のみで生活しなければならない『一週間一品シリーズ』では、1週間常にカメラが回りっぱなしだったことが精神的にもきつかったと言います。
同じ時期に後輩のロンドンブーツ1号2号はテレビ朝日で冠番組『ぷらちなロンドンブーツ』を持つようになり、『ガサ入れ』などの華がある人気企画で人気を博します。ある時、この2つの番組が偶然、同じ日に沖縄でロケを行っていたことがあったそうで…ロンブーの2人はグラビアアイドルとのロケで楽しそうにしていた一方、ココリコの2人は”一発屁をこいたら100円もらえるというルールのもと、そのお金で沖縄本島を縦断できるか?”という企画に臨んでいたそうで…ロンブーにちょっぴり憧れていた部分もあった田中さんにとってはしんどい一日だったと振り返っていました。

♪オンエア・リスト♪
M1. 大迷惑 / ユニコーン
M2. 悲しみの夜明け / 遠藤章造と田中さん(ココリコ)
M3. Theme From “Reportage” / コールドカット
M4. 誓い / BEGIN
M5. 半斤八両 / サミュエル・ホイ(許冠傑)

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