30 Oct 2025
【#95】ゲストは"静かにパンクを響かせるアーティスト" 武田真一さん!【2025.9.6 OA】
『川島明 そもそもの話』9月6日放送のゲストは、武田真一さん!
川島さんとはテレビ東京『川島明の辞書で呑む』で共演されていますが、川島さんいわく「会う前と後で印象が170度変わった」とか!「お酒を飲むと人が変わる」という武田さんと、今回はお酒なしでじっくりトーク!のはずが、気づけば度々の”口三味線”も!?
◆パンク好きからアナウンサーに◆
バンドブーム全盛期に青春時代を過ごした武田さんは、高校・大学とパンクバンドでギターを弾いていました。そんなパンクに傾倒していた武田さんがアナウンサーになった理由は「就活でたまたま受かったから」。そもそも、言葉を扱う仕事に就きたいという想いがあり、コピーライターを目指していたものの上手くいかず、友人の誘いでNHKも受けた結果、採用されたのだそう。
新人時代は地元の熊本放送局で、5分ほどのニュースリポートを制作する業務やラジオニュースのアナウンサーなどをしていたそう。ここでは、ディレクターとアナウンサーを兼務しており、記者の仕事から映像編集まで…その業務内容は多岐にわたっていたと言います。
そんな新人時代の赤っ恥エピソードも明かしてくれました。15分間のテレビニュースのアナウンサーをしていた際、原稿の束が5~6束、アナウンスブースに自分で持って行くときに順番を間違えて持って行ってしまい、生放送中に原稿を見失って焦っている状態のまま、1~2分経ってしまい、そのまま映像は熊本城のお天気カメラに切り替わったことがあったのだとか…!当時は全くエリートアナウンサーではなく、ただただ”パンクの心を持ったアナウンサー”だったようです。
◆転機となった臨時ニュース◆
その後、1999年に東京へ異動になり、全国放送のニュースでアナウンサーをするようになります。その年のある日、大きな銀行合併の臨時ニュースが飛び込んできたことがありました。臨時のニュースは基本ベテランのアナウンサーが担当するそうですが、その時はたまたまベテランのアナウンサーがそのタイミングで席を外していて、武田さんが急遽担当することに!急に訪れたチャンスをなんとか務め上げ、これがきっかけで“武田さんにある程度任せても良いのではないか”と、局内の雰囲気が変わっていったと言います。先輩のアナウンサーに言われた「お前の舞台はお前が思っているよりもずっと早く来る、だから準備しておけ」という言葉も印象に残っているとおっしゃっていました。
◆新潟県中越地震◆
武田さんにとって大きな出来事だと言うのが、2004年の「新潟県中越地震」。
当時、武田さんは正午のニュースを担当していましたが、正午のニュースの担当アナウンサーは日中に臨時ニュースを伝えることになった際にシフトに入るというルールになっていたそう。この「新潟県中越地震」に際して、武田さんは発災から4日後に、ガレキの中から当時2歳の男の子が助け出される瞬間を伝えることになりました。
道路が崩れていて、そのガレキの中に車が埋まっている中、”どうやら男の子が生きているらしい”との情報があり、ガレキの中から男の子がしっかり消防隊員の服を掴んで助け出される様子を映像で生中継され、それを見ながらスタジオの武田さんが「生存してます!」と涙ながらに実況したことは、今でも心に残っている瞬間だと言います。
「ニュースは人が亡くなったとか、事件があったとか、悲惨な出来事を伝えることがほとんど」と話す武田さんですが、「その中で人の命が助かったことをニュースとして伝えられたのが本当に嬉しかった」ともおっしゃっていました。
ここで、このエピソードに関連して、武田さんから川島さんに伝えたいことがあるそう。それは、川島さんの2024年の『ラヴィット!ロック』でのスピーチ。ここで川島さんは「つらいことがあったらラヴィット!をつけてください。ラヴィット!やっている限り大丈夫です。」と話していましたが、これを見て感動し、涙が出たと言う武田さん。「放送の役割って、人の不幸を伝えるだけでなく、寄り添う、笑いを提供する、勇気づけること」と、ご自身の考えにも通じるスピーチだったと語っていました。
◆DayDay.◆
2023年、55歳でNHKを早期退職し、その年の4月から日本テレビ『DayDay.』のMCに就任!
定年まで残り5年となり、"夏休みが終わるような、旅が終わるような寂しさ"があったと話す武田さん。目標が見えなくても、先が見えない大海原に一歩踏み出してみたいという想いから、この決断を下したとも言います。
『DayDay.』とともにMCを務める南海キャンディーズの山里亮太さんについて伺うと、「正義感が強い」「社会に対していろんな思いを持っている」「若い人、子育て中の人に対して、メディアとしてどういうことができるだろう…と考えている」とお話しに。
『DayDay.』での山里さんは、スタッフに対して"なんでこのニュースやるんですか?"と、受け身ではないスタンスなのだそう。もともとアナウンサーとしてニュース出身の武田さんは、”ニュースは出来事がそこにあって、起きたらそれを伝える”という考え方を持っていたと言いますが、「『DayDay.』という番組が社会に対してどう作用するか?社会をどう変えるか?」と問う山里さんのスタンスに刺激を受けているとも。
♪オンエア・リスト♪
M1. アンジェリーナ / 佐野元春
BGM. BAD FEELING / BOOWY
BGM. 解剖室 / THE STALIN
M2. 青春を切り裂く波動 / 新しい学校のリーダーズ
M3. ともに / WANIMA
M4. 約束の橋 (New Recording) / 佐野元春 and THE COYOTE BAND
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川島さんとはテレビ東京『川島明の辞書で呑む』で共演されていますが、川島さんいわく「会う前と後で印象が170度変わった」とか!「お酒を飲むと人が変わる」という武田さんと、今回はお酒なしでじっくりトーク!のはずが、気づけば度々の”口三味線”も!?
◆パンク好きからアナウンサーに◆
バンドブーム全盛期に青春時代を過ごした武田さんは、高校・大学とパンクバンドでギターを弾いていました。そんなパンクに傾倒していた武田さんがアナウンサーになった理由は「就活でたまたま受かったから」。そもそも、言葉を扱う仕事に就きたいという想いがあり、コピーライターを目指していたものの上手くいかず、友人の誘いでNHKも受けた結果、採用されたのだそう。
新人時代は地元の熊本放送局で、5分ほどのニュースリポートを制作する業務やラジオニュースのアナウンサーなどをしていたそう。ここでは、ディレクターとアナウンサーを兼務しており、記者の仕事から映像編集まで…その業務内容は多岐にわたっていたと言います。
そんな新人時代の赤っ恥エピソードも明かしてくれました。15分間のテレビニュースのアナウンサーをしていた際、原稿の束が5~6束、アナウンスブースに自分で持って行くときに順番を間違えて持って行ってしまい、生放送中に原稿を見失って焦っている状態のまま、1~2分経ってしまい、そのまま映像は熊本城のお天気カメラに切り替わったことがあったのだとか…!当時は全くエリートアナウンサーではなく、ただただ”パンクの心を持ったアナウンサー”だったようです。
◆転機となった臨時ニュース◆
その後、1999年に東京へ異動になり、全国放送のニュースでアナウンサーをするようになります。その年のある日、大きな銀行合併の臨時ニュースが飛び込んできたことがありました。臨時のニュースは基本ベテランのアナウンサーが担当するそうですが、その時はたまたまベテランのアナウンサーがそのタイミングで席を外していて、武田さんが急遽担当することに!急に訪れたチャンスをなんとか務め上げ、これがきっかけで“武田さんにある程度任せても良いのではないか”と、局内の雰囲気が変わっていったと言います。先輩のアナウンサーに言われた「お前の舞台はお前が思っているよりもずっと早く来る、だから準備しておけ」という言葉も印象に残っているとおっしゃっていました。
◆新潟県中越地震◆
武田さんにとって大きな出来事だと言うのが、2004年の「新潟県中越地震」。
当時、武田さんは正午のニュースを担当していましたが、正午のニュースの担当アナウンサーは日中に臨時ニュースを伝えることになった際にシフトに入るというルールになっていたそう。この「新潟県中越地震」に際して、武田さんは発災から4日後に、ガレキの中から当時2歳の男の子が助け出される瞬間を伝えることになりました。
道路が崩れていて、そのガレキの中に車が埋まっている中、”どうやら男の子が生きているらしい”との情報があり、ガレキの中から男の子がしっかり消防隊員の服を掴んで助け出される様子を映像で生中継され、それを見ながらスタジオの武田さんが「生存してます!」と涙ながらに実況したことは、今でも心に残っている瞬間だと言います。
「ニュースは人が亡くなったとか、事件があったとか、悲惨な出来事を伝えることがほとんど」と話す武田さんですが、「その中で人の命が助かったことをニュースとして伝えられたのが本当に嬉しかった」ともおっしゃっていました。
ここで、このエピソードに関連して、武田さんから川島さんに伝えたいことがあるそう。それは、川島さんの2024年の『ラヴィット!ロック』でのスピーチ。ここで川島さんは「つらいことがあったらラヴィット!をつけてください。ラヴィット!やっている限り大丈夫です。」と話していましたが、これを見て感動し、涙が出たと言う武田さん。「放送の役割って、人の不幸を伝えるだけでなく、寄り添う、笑いを提供する、勇気づけること」と、ご自身の考えにも通じるスピーチだったと語っていました。
◆DayDay.◆
2023年、55歳でNHKを早期退職し、その年の4月から日本テレビ『DayDay.』のMCに就任!
定年まで残り5年となり、"夏休みが終わるような、旅が終わるような寂しさ"があったと話す武田さん。目標が見えなくても、先が見えない大海原に一歩踏み出してみたいという想いから、この決断を下したとも言います。
『DayDay.』とともにMCを務める南海キャンディーズの山里亮太さんについて伺うと、「正義感が強い」「社会に対していろんな思いを持っている」「若い人、子育て中の人に対して、メディアとしてどういうことができるだろう…と考えている」とお話しに。
『DayDay.』での山里さんは、スタッフに対して"なんでこのニュースやるんですか?"と、受け身ではないスタンスなのだそう。もともとアナウンサーとしてニュース出身の武田さんは、”ニュースは出来事がそこにあって、起きたらそれを伝える”という考え方を持っていたと言いますが、「『DayDay.』という番組が社会に対してどう作用するか?社会をどう変えるか?」と問う山里さんのスタンスに刺激を受けているとも。
♪オンエア・リスト♪
M1. アンジェリーナ / 佐野元春
BGM. BAD FEELING / BOOWY
BGM. 解剖室 / THE STALIN
M2. 青春を切り裂く波動 / 新しい学校のリーダーズ
M3. ともに / WANIMA
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