21 Jul 2025
【#84】ゲストは"エピソードのジュークボックス" 彦摩呂さん!【2025.6.21 OA】
『川島明 そもそもの話』6月21日放送のゲストは、彦摩呂さん!
川島さんいわく、彦摩呂さんはブラックマヨネーズの小杉さんにどんどん似てきているし、小杉さんの方も彦摩呂さんに似てきていて…そのうち融合して1つの球になるのではないか?という説も飛び出していましたが…謎多きその半生を深掘りしていきました。
◆アイドルだった頃◆
大阪出身の彦摩呂さん。高校生の頃にスカウトされ、着せ替えのモデルをしていたことも。その後、役者を志望するようになり、20歳で上京。第2の「一世風靡」を目指したアイドルグループ「幕末塾」を仲間と結成し、そのメンバーの1人になります。フジテレビ「ナイスガイ・コンテスト」で準グランプリを獲得したことがきっかけで、太田プロに所属することになりました。
ちなみに、当時から「彦摩呂」という芸名で活動していたそう。その由来は…彦摩呂さん自身が「彦」というフレーズを芸名に入れたく、「彦」を使った芸名を考えていたところ、周りの誰かが「彦摩呂でええやん!」と言ったことがきっかけで、「彦摩呂」がしっくり来てしまい…この芸名になったのだとか。
グループは秋元康さんのプロデュースのもとデビュー。1989年にリリースされたデビュー曲「Come on Let's Dance」はTM NETWORKのカバーで、いわば”小室ファミリーのはしり”のような存在だったのです。しかし、この頃は『ベストテン』『トップ10』『ヒットスタジオ』がちょうど終わってしまい、歌番組が氷河期だったこともあり、バラエティ番組でしか歌を披露する機会がなかったそう。こうした時代の狭間で幕末塾は今ひとつヒットを飛ばすことができず…彦摩呂さんいわく、秋元康さんがちょっと休憩した…”秋元康の道の駅”とも呼ばれているとか!?
◆グルメリポーターの道へ◆
その後は映画のオファーが舞い込んでくるように。3枚目とまでは行かない”2.5枚目”くらいの立ち位置の役柄が多かったと言います。ドラマの出演も多数あり、『白鳥麗子でございます』『刑事貴族』などの作品に出演します。そんな中で”情報番組もやりたい!”という想いを抱いていた彦摩呂さん。事務所の社長に直談判しに行ったところ、しばらくしてから事務所の先輩・山田邦子さんの番組『山田邦子の旅くらぶ』のレポーターに抜擢されます。日暮里の駄菓子屋横丁で行われたと言う初回のロケから、彦摩呂さんのレポートの腕はピカイチだったそうで…翌週からレギュラーになったとか!
◆彦摩呂流 食リポテクニック◆
ご自身が出演したロケの映像を観ながら、”どうすれば美味しく見えるのか?”を研究していたと言う彦摩呂さん。例えば、”すぐに口に入れて食べてしまうと、食べる瞬間をカメラが追い切れないんや…!”という気づきから、箸上げしてからすぐに食べずに2秒待って止めるようにしたとか。カメラがパンアップしてズームするのに2秒かかるそうで、それを待つ時間にもなるし、一度箸の動きを止めることで映像の編集点にもなるのだとか。彦摩呂さんはこのテクニックを「命の2秒」と呼んでいました!また、お店の入り口をくぐるとき、のれんをくぐったら、そのまま彦摩呂さんがのれんを持って、カメラが通り過ぎてから話すことで、のれんがカメラのレンズに被らないようにする…という「のれんの長持ち」という技もあるそう。
また、彦摩呂さんの代名詞と言えば「海の宝石箱や~!」ですが、このフレーズが生まれた経緯についてもたっぷりお話を!ある程度グルメリポーターとして活躍を続けると、マンネリに悩むようになったと言います。一方、周りを見れば石塚英彦さんの「まいう~」や松村邦洋さんの「ピロピロ、バウバウ」など、キラーフレーズを持つライバルが多数!こうして、キラーフレーズがないことに悩んでいたある時、北海道で海鮮丼を食レポするロケがあったそう。その海鮮丼の刺身がキラ~っと光り、つい自然に「海の宝石箱や~!」と叫んでしまったのだとか。この話を聞いて、川島さんからは「かぐや姫の話してんの!?」とツッコミが入っていましたが…まるで古典落語のような彦摩呂さんの完成されたエピソードをたっぷり堪能する川島さんでした。
♪オンエア・リスト♪
M1. 負けないで / ZARD
M2. Come on Let's Dance / 幕末塾
M3. 時代を殴るには自分の素手がいい / 幕末塾
M4. 彦摩呂 / グループ魂
M5. 見上げてごらん夜の星を / 坂本九
M6. 新宝島 / サカナクション
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川島さんいわく、彦摩呂さんはブラックマヨネーズの小杉さんにどんどん似てきているし、小杉さんの方も彦摩呂さんに似てきていて…そのうち融合して1つの球になるのではないか?という説も飛び出していましたが…謎多きその半生を深掘りしていきました。
◆アイドルだった頃◆
大阪出身の彦摩呂さん。高校生の頃にスカウトされ、着せ替えのモデルをしていたことも。その後、役者を志望するようになり、20歳で上京。第2の「一世風靡」を目指したアイドルグループ「幕末塾」を仲間と結成し、そのメンバーの1人になります。フジテレビ「ナイスガイ・コンテスト」で準グランプリを獲得したことがきっかけで、太田プロに所属することになりました。
ちなみに、当時から「彦摩呂」という芸名で活動していたそう。その由来は…彦摩呂さん自身が「彦」というフレーズを芸名に入れたく、「彦」を使った芸名を考えていたところ、周りの誰かが「彦摩呂でええやん!」と言ったことがきっかけで、「彦摩呂」がしっくり来てしまい…この芸名になったのだとか。
グループは秋元康さんのプロデュースのもとデビュー。1989年にリリースされたデビュー曲「Come on Let's Dance」はTM NETWORKのカバーで、いわば”小室ファミリーのはしり”のような存在だったのです。しかし、この頃は『ベストテン』『トップ10』『ヒットスタジオ』がちょうど終わってしまい、歌番組が氷河期だったこともあり、バラエティ番組でしか歌を披露する機会がなかったそう。こうした時代の狭間で幕末塾は今ひとつヒットを飛ばすことができず…彦摩呂さんいわく、秋元康さんがちょっと休憩した…”秋元康の道の駅”とも呼ばれているとか!?
◆グルメリポーターの道へ◆
その後は映画のオファーが舞い込んでくるように。3枚目とまでは行かない”2.5枚目”くらいの立ち位置の役柄が多かったと言います。ドラマの出演も多数あり、『白鳥麗子でございます』『刑事貴族』などの作品に出演します。そんな中で”情報番組もやりたい!”という想いを抱いていた彦摩呂さん。事務所の社長に直談判しに行ったところ、しばらくしてから事務所の先輩・山田邦子さんの番組『山田邦子の旅くらぶ』のレポーターに抜擢されます。日暮里の駄菓子屋横丁で行われたと言う初回のロケから、彦摩呂さんのレポートの腕はピカイチだったそうで…翌週からレギュラーになったとか!
◆彦摩呂流 食リポテクニック◆
ご自身が出演したロケの映像を観ながら、”どうすれば美味しく見えるのか?”を研究していたと言う彦摩呂さん。例えば、”すぐに口に入れて食べてしまうと、食べる瞬間をカメラが追い切れないんや…!”という気づきから、箸上げしてからすぐに食べずに2秒待って止めるようにしたとか。カメラがパンアップしてズームするのに2秒かかるそうで、それを待つ時間にもなるし、一度箸の動きを止めることで映像の編集点にもなるのだとか。彦摩呂さんはこのテクニックを「命の2秒」と呼んでいました!また、お店の入り口をくぐるとき、のれんをくぐったら、そのまま彦摩呂さんがのれんを持って、カメラが通り過ぎてから話すことで、のれんがカメラのレンズに被らないようにする…という「のれんの長持ち」という技もあるそう。
また、彦摩呂さんの代名詞と言えば「海の宝石箱や~!」ですが、このフレーズが生まれた経緯についてもたっぷりお話を!ある程度グルメリポーターとして活躍を続けると、マンネリに悩むようになったと言います。一方、周りを見れば石塚英彦さんの「まいう~」や松村邦洋さんの「ピロピロ、バウバウ」など、キラーフレーズを持つライバルが多数!こうして、キラーフレーズがないことに悩んでいたある時、北海道で海鮮丼を食レポするロケがあったそう。その海鮮丼の刺身がキラ~っと光り、つい自然に「海の宝石箱や~!」と叫んでしまったのだとか。この話を聞いて、川島さんからは「かぐや姫の話してんの!?」とツッコミが入っていましたが…まるで古典落語のような彦摩呂さんの完成されたエピソードをたっぷり堪能する川島さんでした。
♪オンエア・リスト♪
M1. 負けないで / ZARD
M2. Come on Let's Dance / 幕末塾
M3. 時代を殴るには自分の素手がいい / 幕末塾
M4. 彦摩呂 / グループ魂
M5. 見上げてごらん夜の星を / 坂本九
M6. 新宝島 / サカナクション
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