川島明 そもそもの話

TOKYO FM/JFN 37 Stations
Every Saturday 17:00-17:55
エフエム青森 Every Saturday 19:00-19:55

そもそも、なんでこの世界に?
そもそも、有名になったきっかけは?そもそも、あの作品を手がけた理由は?
芸人、俳優、ミュージシャン、漫画家、映画監督、スポーツ選手、料理人……
誰でも知ってるあの人の、意外と知らない“そもそもの話”。
平日の喧騒を逃れた土曜日。
バリトンボイスの聞き巧者 麒麟・川島明がおくるインタビュー番組。
様々な質問や相談に川島明が答えていきます。

番組では、リスナーからのメッセージも募集中!

Message

On Air Report

img
30 Oct 2025

【#95】ゲストは"静かにパンクを響かせるアーティスト" 武田真一さん!【2025.9.6 OA】

『川島明 そもそもの話』9月6日放送のゲストは、武田真一さん!
川島さんとはテレビ東京『川島明の辞書で呑む』で共演されていますが、川島さんいわく「会う前と後で印象が170度変わった」とか!「お酒を飲むと人が変わる」という武田さんと、今回はお酒なしでじっくりトーク!のはずが、気づけば度々の”口三味線”も!?

◆パンク好きからアナウンサーに◆
バンドブーム全盛期に青春時代を過ごした武田さんは、高校・大学とパンクバンドでギターを弾いていました。そんなパンクに傾倒していた武田さんがアナウンサーになった理由は「就活でたまたま受かったから」。そもそも、言葉を扱う仕事に就きたいという想いがあり、コピーライターを目指していたものの上手くいかず、友人の誘いでNHKも受けた結果、採用されたのだそう。
新人時代は地元の熊本放送局で、5分ほどのニュースリポートを制作する業務やラジオニュースのアナウンサーなどをしていたそう。ここでは、ディレクターとアナウンサーを兼務しており、記者の仕事から映像編集まで…その業務内容は多岐にわたっていたと言います。
そんな新人時代の赤っ恥エピソードも明かしてくれました。15分間のテレビニュースのアナウンサーをしていた際、原稿の束が5~6束、アナウンスブースに自分で持って行くときに順番を間違えて持って行ってしまい、生放送中に原稿を見失って焦っている状態のまま、1~2分経ってしまい、そのまま映像は熊本城のお天気カメラに切り替わったことがあったのだとか…!当時は全くエリートアナウンサーではなく、ただただ”パンクの心を持ったアナウンサー”だったようです。

◆転機となった臨時ニュース◆
その後、1999年に東京へ異動になり、全国放送のニュースでアナウンサーをするようになります。その年のある日、大きな銀行合併の臨時ニュースが飛び込んできたことがありました。臨時のニュースは基本ベテランのアナウンサーが担当するそうですが、その時はたまたまベテランのアナウンサーがそのタイミングで席を外していて、武田さんが急遽担当することに!急に訪れたチャンスをなんとか務め上げ、これがきっかけで“武田さんにある程度任せても良いのではないか”と、局内の雰囲気が変わっていったと言います。先輩のアナウンサーに言われた「お前の舞台はお前が思っているよりもずっと早く来る、だから準備しておけ」という言葉も印象に残っているとおっしゃっていました。

◆新潟県中越地震◆
武田さんにとって大きな出来事だと言うのが、2004年の「新潟県中越地震」。
当時、武田さんは正午のニュースを担当していましたが、正午のニュースの担当アナウンサーは日中に臨時ニュースを伝えることになった際にシフトに入るというルールになっていたそう。この「新潟県中越地震」に際して、武田さんは発災から4日後に、ガレキの中から当時2歳の男の子が助け出される瞬間を伝えることになりました。
道路が崩れていて、そのガレキの中に車が埋まっている中、”どうやら男の子が生きているらしい”との情報があり、ガレキの中から男の子がしっかり消防隊員の服を掴んで助け出される様子を映像で生中継され、それを見ながらスタジオの武田さんが「生存してます!」と涙ながらに実況したことは、今でも心に残っている瞬間だと言います。
「ニュースは人が亡くなったとか、事件があったとか、悲惨な出来事を伝えることがほとんど」と話す武田さんですが、「その中で人の命が助かったことをニュースとして伝えられたのが本当に嬉しかった」ともおっしゃっていました。
ここで、このエピソードに関連して、武田さんから川島さんに伝えたいことがあるそう。それは、川島さんの2024年の『ラヴィット!ロック』でのスピーチ。ここで川島さんは「つらいことがあったらラヴィット!をつけてください。ラヴィット!やっている限り大丈夫です。」と話していましたが、これを見て感動し、涙が出たと言う武田さん。「放送の役割って、人の不幸を伝えるだけでなく、寄り添う、笑いを提供する、勇気づけること」と、ご自身の考えにも通じるスピーチだったと語っていました。

◆DayDay.◆
2023年、55歳でNHKを早期退職し、その年の4月から日本テレビ『DayDay.』のMCに就任!
定年まで残り5年となり、"夏休みが終わるような、旅が終わるような寂しさ"があったと話す武田さん。目標が見えなくても、先が見えない大海原に一歩踏み出してみたいという想いから、この決断を下したとも言います。
『DayDay.』とともにMCを務める南海キャンディーズの山里亮太さんについて伺うと、「正義感が強い」「社会に対していろんな思いを持っている」「若い人、子育て中の人に対して、メディアとしてどういうことができるだろう…と考えている」とお話しに。
『DayDay.』での山里さんは、スタッフに対して"なんでこのニュースやるんですか?"と、受け身ではないスタンスなのだそう。もともとアナウンサーとしてニュース出身の武田さんは、”ニュースは出来事がそこにあって、起きたらそれを伝える”という考え方を持っていたと言いますが、「『DayDay.』という番組が社会に対してどう作用するか?社会をどう変えるか?」と問う山里さんのスタンスに刺激を受けているとも。

♪オンエア・リスト♪
M1. アンジェリーナ / 佐野元春
BGM. BAD FEELING / BOOWY
BGM. 解剖室 / THE STALIN
M2. 青春を切り裂く波動 / 新しい学校のリーダーズ
M3. ともに / WANIMA
M4. 約束の橋 (New Recording) / 佐野元春 and THE COYOTE BAND

番組公式Xはこちら!フォロー、リポスト、いいね、よろしくお願いします!
番組宛のメッセージはこちらからお送りください。
More >
img
18 Sep 2025

【#94】ゲストは"くるまに乗って、ゆったりと芸能界を走る漫才師" 令和ロマン 松井ケムリさん!【2025.8.30 OA】

『川島明 そもそもの話』8月30日放送のゲストは、令和ロマン 松井ケムリさん!
川島さんいわく、初対面の時からどっしりと構えていて、その周りを"くるま"が走り回る、車庫のような男!そんなケムリさんのこれまで、そして今に迫りました。

◆お父さんは偉人◆
お父さんが”すごい人”なケムリさん。現在の肩書きは大和証券取締役副会長兼関西テレビ放送監査役…と、これまでのお笑い芸人とは太さが違いますが、最近はカンテレに行くとMCよりも深めにお辞儀されることもあるとか。「独断と偏見で選ぶ~」というフレーズをテレビで耳にして「時に独断は必要だが偏見はダメだ」と格言を残す、偉人のようなお父さんですが、Perfumeのファンクラブに入って、LIVEで飛んできた銀テープを大切に保存したり、家のオーディオでSEKAI NO OWARIの曲を聴いて「Fukaseは深いよなあ」とポツリとつぶやいたり…若い感性もお持ちのようです。

◆学生芸人からNSCへ◆
そんな恵まれた家庭のもとで、幼い頃から大きく苦労することもなく育ったケムリさん。学生時代から人前に立ちたいという気持ちが大きかったと言い、高校生の頃には竹下通りを何往復かしたこともあったそうですが…特にスカウトはされなかったそう。
現在の相方・髙比良くるまさんとの出会いは大学のお笑いサークルでのこと。くるまさんの第一印象は”ずっと喋ってるやつがいるな…”というもので、最初に見た時は”いかにコンビニで新品のジャンプを手に入れるか”というような話をしていたとも。もともと、くるまさんではない方とコンビを組んでいて、このコンビでプロになりたいとも思っていたケムリさんでしたが、大学3年の時にフラれてしまいます。それを見かねたくるまさんから、半ば同情にも近い形で「魔人無骨」というコンビを結成。こうしてケムリさんとくるまさんはコンビとなったのです。
その後、吉本のお笑い養成所・NSCへと入りますが、そこで学生芸人はかなり目をつけられていたと言います。先輩芸人のナイチンゲールダンス・ヤスさんがクラスの半分くらいの生徒を率いて「授業サボろうぜ」と働きかけていたことがあったのも影響していたのか…ともおっしゃっていましたが、授業始まる前に学生芸人だった人が挙手させられたり、他事務所との対抗戦に全く出してもらえなかったり…"いけ好かないヤツら"として扱われていたとか。

◆M-1グランプリ◆
2019年に「令和ロマン」に改名し、2022年には『ABCお笑いグランプリ』で準優勝!これがきっかけで風向きが変わった、仕事でご飯を食べられるようになり、ケムリさんにとっては大きな出来事だったと言います。
その翌年、2023年には『M-1グランプリ』で優勝!初の決勝の舞台でしたが、笑神籤を轢いて出てきた順番はなんとトップバッター!リハーサルでもトップバッターを引いていたこともあり、その瞬間は「マジでやらせだと思いました」と言いますが、ここでくるまさんはM-1を盛り上げる役割に徹しようと方針転換。緊張する時間すらない中でネタを披露したところ、最終決戦の3組に残ります!もともと、さや香が「見せ算」のネタをやることは知っていたこともあり、「優勝候補はおのずと僕らかヤーレンズさんになった」「それで優勝を意識した部分はあった」と当時を振り返っていました。こうして令和ロマンは優勝を果たしましたが、その瞬間はあまり実感はなかったとも。
2023年の優勝直後のインタビューで宣言した通り、翌年の2024年もエントリー。そして、再び決勝に進みますが…またもや笑神籤により、トップバッターに!「仮の仮にやらせだったとしてもすごい」とケムリさんも話していましたが、2人ともその可能性は全く想定していなかったとか。ただ、2年連続トップバッターという状況が思いのほか追い風となり、2年連続優勝を果たしました!ケムリさんいわく、くるまさんは2023年のM-1に心残りがあった様子だったそうですが、2024年に優勝した際には本当嬉しそうだったとか!

◆くるまさん吉本退所◆
こうしてM-1グランプリを連覇し、一番テレビに出ていた時期に、突然、くるまさんの名前がニュースで報道され始め…結果としては、くるまさんが吉本を退所することで、芸能活動を再開する…という前例のない状況を経験することに。でも、こうした状況の中でも解散は全くよぎらなかったとか。「解散しても何も変わらない。漫才がなくなるだけで損しかないと思った。」と力強くおっしゃっていました。一方、川島さんから見てすごいと思ったのが"こうした混乱した状況の中でも全く動じず、1ミリも痩せなかったこと"。ケムリさんは「戻ってくると思ってたからある程度元気だった。」とも話していました!

◆最近一番楽しい仕事◆
ケムリさんが"最近一番楽しい仕事"として挙げたのがTOKYO MXで放送中のTV番組『キッズが見てる!もしもタレントじゃなかったら』。毎回、様々なタレントがもし、タレントになっていなかったらやってみたかった仕事に挑戦する様子に密着し、その様子をスタジオでケムリさんと子役の子どもたちが見守っていますが…VTRを観るときの子どもたちがあまりにも自由奔放すぎて…可愛くて癒されるのだとか!
『もしタレ』の公式Xでは今回お話にあがった自由奔放な子役たちの様子が見られます!ぜひチェックしてみてくださいね◎

♪オンエア・リスト♪
M1. ワイルド アット ハート / 嵐
M2. 路上のルール / 尾崎豊
M3. ログマロープ / 日食なつこ
M4. 浅草キッド / ビートたけし
M5. ドライブ / ケツメイシ

radikoタイムフリーで聴く方はこちらから!
「タイムフリー30」なら9/30(火)朝5時まで聴けます。

2024年12月14日放送、相方・髙比良くるまさんがゲストで登場した回の放送後記はこちらをチェック!

番組公式Xはこちら!フォロー、リポスト、いいね、よろしくお願いします!
番組宛のメッセージはこちらからお送りください。
More >
img
17 Sep 2025

【#93】ゲストは"アジアを彩る表現者" DEAN FUJIOKAさん!【2025.8.23 OA】

『川島明 そもそもの話』8月23日放送のゲストは、DEAN FUJIOKAさん!
川島さんとは初対面ながら、完全に同世代!そんなDEANさんの海を越えた人生をたどっていく55分間となりました。

◆バラエティ好き◆
最近は、配信サイトで日本語字幕付きでバラエティ番組を親子で視聴する時間が多いというDEANさん。『罵倒村』や『トークサバイバー!』など、親としては”これ見せてもいいのか…?”とちょっぴり思うような作品を楽しく見ているのだと言います。親子で同じ時間に同じものを共有して、かけがえのない時間を過ごしているようです!

◆メタル好き◆
幼少期に通ってきたカルチャーは、ゴジラやウルトラマンなどの特撮、ジブリ映画などなど…川島さんと同世代ということもあり、近いところを通ってきているようです。DEANさんの地元、福島県須賀川市は円谷英二さんの地元でもあり、特撮作品への思い入れも深いのだそう。
また、音楽を作る仕事にも興味があり、高校からはバンドでの音楽活動にのめり込んでいきました。メタルやオルタナなど、ひずんだ音が好きだと言います。メタリカの武道館ライブを観に行った際には、首が痛くなるほどヘッドバンキングをした思い出があるそう。

◆シアトルの大学へ◆
日本を離れて、アメリカ・シアトルの大学へ進学。その理由は、ニルヴァーナが好きだったことと花粉症がひどかったから…!?
当時、DEANさんが暮らしていた地域は治安が悪く、”そこからどうやって抜け出そうか”ということばかり考えていたとか。木の上にトイレットペーパーが花を咲かせている…というような可愛いいたずらもあれば、キャンパス内で銃乱射事件が起こり、キープアウトのテープの脇から教室へ入ったり…ということも時にはあったと言います。

◆アジアを移り住んだ20代◆
バックパッカーとして旅していた中、香港でスカウトされ、芸能の道へ。「お金もらえるなら」とフリーランスで始めてみたものの、その時のギャラはまだもらっていないと言います。ただ、次第にモデルの仕事はダイレクトブッキングももらえるようになり、気づけばモデルから自然に俳優の仕事へスライドしていきます。当時は本名の「ディーン・フジオカ・タツオ」名義で活動していましたが、長くて覚えづらいという理由から、いつしか「ディーン・フジオカ」を名乗るようになったと言います。2005年には香港映画「8月の物語」で主演のうちの1人に抜擢されるほどにまでのぼりつめました。
その翌年、DEANさんは活動の拠点を台湾へ移します。当時、映像制作の中心だった台湾でエンターテインメントのメインストリームを体感したいという想いもあったとか。台湾では、アイドルドラマ「ホントの恋の見つけかた」に出演。一気に人気者へと駆け上がっていく中で、”メディアの力ってすごい”とも感じたと言います。
さらに、2009年には音楽制作の拠点をジャカルタに置きます。DEANさん自身、やはりどこかで音楽をやりたいという気持ちがあり、東南アジアのミュージックシーンからはアメリカに通じるものを感じていたこともあって、このような道を選んだとおっしゃっていました。

◆そして、日本へ◆
そういった海外での活動を経て、2011年から日本でも活動を始めます。それまでは”どれだけ日本から離れられるか”を意識していたそうですが、東日本大震災をきっかけに方向転換。”帰らなければならない””できることがあるのではないか”と思うようになったと言います。日本に足を運ぶようになり、足かけ4年で東京へ拠点を移しました。
2015年には、NHK朝の連続テレビ小説『あさが来た』に出演。作中でDEANさんが演じた五代友厚は、ご自身にとって”縁が切れてしまっていた日本社会と自分をもう一度つないでくれた存在”だと言い、この作品がきっかけで日本に帰国する理由をもらえたとも。
海外と日本では映像作品の撮影スタイルが異なるそうですが、DEANさんいわく「もう日本の撮り方に慣れちゃった」のだそう。日本はすぐにカットをかけてしまう一方、海外ではちょっとのミスでは止めずに、そのまま続けてしまったり、撮影現場が整ってないのにカメラを回し始めることもよくあるのだとか。

♪オンエア・リスト♪
M1. My Dimension / DEAN FUJIOKA
M2. Master Of Puppets / Metallica
M3. 午夜天使的翅膀 (Midnight Messenger Mandarin ver.) / DEAN FUJIOKA
M4. Priceless / DEAN FUJIOKA
M5. 一起看黃昏 (Teleportation Chinese ver.) / DEAN FUJIOKA & 告五人
M6. History Maker / DEAN FUJIOKA

radikoタイムフリーで聴く方はこちらから!
「タイムフリー30」なら9/23(火)朝5時まで聴けます。

番組公式Xはこちら!フォロー、リポスト、いいね、よろしくお願いします!
番組宛のメッセージはこちらからお送りください。
More >
img
17 Sep 2025

【#92】ゲストは"田村亮というジャンルを裸足で突き進むカッコいい兄さん" 田村亮さん!【2025.8.16 OA】

『川島明 そもそもの話』8月16日放送のゲストは、田村亮さん!
ロンドンブーツ1号2号が解散してからは初対面となった2人が、気になるコンビ解散のことからお笑い芸人としてのそもそもの話まで、1対1でじっくりトークを繰り広げました。

◆ロンブー解散◆
1993年、田村淳さんと結成したコンビ「ロンドンブーツ1号2号」は、今年6月に解散。3月に淳さんから提案を受け、話し合ってお互い納得した上でこの決断を下したと言います。
この解散の発表の場は、6月24日のテレビ朝日『ロンドンハーツ』緊急生放送SPでした。ゲストのアンタッチャブル山崎さん、FUJIWARA藤本さん、狩野英孝さんらにもサプライズで発表することになっていたため、出演者はもちろん、スタッフの間でもコンビの解散をあらかじめ知っていた人はかなり限られていたそう。
亮さんいわく、淳さんは「現状維持、止まっているのがイヤな人」。失敗してでも前に行きたい、何なら失敗したいという姿勢の淳さんから解散の提案を受けて、亮さんは”めちゃめちゃ淳っぽい!”と思ったとか。ちなみに、亮さんが奥さまにコンビ解散のことを打ち明けた際、淳さんとの話し合いのことも含めて丁寧に説明したところ…「何も言えねェ」と、北島康介選手以来のフレーズが飛び出したそう…!

◆ロンブー結成秘話◆
そもそも、どうしてお笑い芸人を目指したのか…亮さんのそもそもの話もたっぷり伺いました。
亮さんは高校を卒業してから一度は就職したそうですが、どこかで”チャレンジしている感覚がないなあ…”という心残りがあり、お笑い芸人、もしくは車関係の仕事をしようと思ったと言います。そんな中、お笑い劇団の劇団員の募集を通じて出会ったのが、田村淳さん!当初は原宿の路上でストリートライブをして活動していたそう。
しばらくして、銀座7丁目劇場のオーディションを受けますが、結果は不合格。ただ、ここで不合格の理由を教えてほしい!と直談判したことで、劇場のライブに時々呼んでもらえるようになり、そこからお笑い芸人としてデビューすることになります。

◆金髪◆
亮さんのトレードマーク・金髪についてもお話を。
お笑い芸人としてデビューして、2年目の頃から今に至るまで金髪のままだと言う亮さん。そのきっかけは、先輩・加藤浩次さんに「小汚いイメージがついてしまっているが、それを払拭したい」と相談したこと。加藤さんは「金髪だなあ」と一言。”やってみよか”と軽い気持ちで金髪にしてみたところ、劇場の担当者は怒ったそうですが、支配は「ええやん!」と好評だったことで、金髪キャラが定着したのだとか。のちに淳さんも赤髪になり、ロンドンブーツ1号2号の知名度は飛躍的に高まっていきました。ちなみに亮さん、お子さんが受験の面接のとき以外は、ずっと金髪をキープし続けているのだそう…!

伝説のバラエティ企画
デビューから2年後、初の冠番組となったテレビ朝日『あなあきロンドンブーツ』をきっかけに、お茶の間の人気者へと駆け上がっていったロンブー。同じ頃、関西でもMBS『暴ロンブー』が始まったことで、関東でも関西でも人気を獲得していきました。
ロンブーのバラエティ番組では、過激な企画が人気を集めましたが…その舞台裏のお話しもたっぷりと。
『あなあきロンドンブーツ』の人気企画「ガサ入れ」では、彼女の浮気を疑っている彼氏からの依頼を受けて、彼女の部屋をガサ入れして浮気調査を敢行。時にロケ現場がとんでもない空気になったり、出演してくれたカップルが大げんかをし始めたり…と、様々なハプニングがあったそうですが、なんとかロケをオンエアするべく、収録後には男性側、女性側に別れてそれぞれケアすることは欠かさなかったと言います。
『イナズマ!ロンドンハーツ』の人気企画「やるキッス」は、彼女が目の前でキスされる様子を見るのを、彼氏が耐えられるか…というもの。ちなみに、10人全員とキスするとカップルで海外旅行できる…というルールなのだとか。川島さんも「いい意味でも悪い意味でもテレビが元気な時代」「最低で最悪で最高だった」と、当時を振り返っていました。

♪オンエア・リスト♪
M1. 岬 / ロンドンブーツ1号2号BGM. Boots / jealkb
M2. 声 / ロンドンブーツ1号2号
M3. 底なし / ザ・ピーズ
M4. 壊れたJukebox / MASH

番組公式Xはこちら!フォロー、リポスト、いいね、よろしくお願いします!番組宛のメッセージはこちらからお送りください。
More >
prev 1 2 3 ... 25 next
879_ch_h

Page Top