第484話 割り切らない生き方
-【石川県にまつわるレジェンド篇】仏教哲学者 鈴木大拙-
Podcast
[2024.12.07]
思索空間と水鏡の庭
石川県金沢市出身で、禅の思想を世界に広めたレジェンドがいます。
鈴木大拙(すずき・だいせつ)。
今、禅は「マインドフルネス」にその名を変え、世界的なブームが続いています。
スティーブ・ジョブズもはまった、禅。
そのルーツをたどれば、1950年代前半、鈴木大拙が単身アメリカに渡り、コロンビア大学やイェール大学で禅の講義を英語で行ったことに端を発しています。
大拙は『禅と日本文化』という著作を自ら英訳。
雑誌『タイム』や『ニューヨーカー』で大きく取り上げられ、効率主義や大量生産に疲れた欧米人は、東洋思想に飛びつきました。
2011年に金沢市に建てられた『鈴木大拙館』は、金沢が生んだ賢人の足跡のみならず、その精神世界を知るために欠くことのできない記念館になっています。
名匠・谷口吉生(たにぐち・よしお)設計によるこの記念館は、小立野台地から続く斜面緑地を背景に、石垣や水を張った池により、金沢の風土を再現。
自然に溶け込んだ記念館は、まるで彼が唱えた思想を具現化するかのように、悠然と立っています。
大拙は、割り切らない、ということを大切にしました。
もともと、西洋は、割り切る文化。分ける、イコール、わかる。
善か悪か。右か左か。勝ち組か負け組か。
そして東洋は、二分するまえの全体にこそ、意味を見出す文化だったのです。
分けない、世界。
あいまいさ、溶けて見えない、境界線。
日本の家屋は、軒、縁側という、内と外、どちらともつかない空間を有していました。
反対に西洋は、軒はなく、すとんと真っすぐな、石やレンガの壁。
外界と内側をハッキリ区別したのです。
いつしか日本は、そのあいまいさを手放すようになってしまった、どちらとも言えない世界の、わび・さびを捨てさってしまった、そう、大拙は嘆きました。
今こそボーダーレス、多様性、ダイバーシティが叫ばれていますが、70年以上前に、それを語っていたレジェンドがいたのです。
禅をグローバル化した、世界に名立たる仏教哲学者、鈴木大拙が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
水鏡の庭と外部回廊・石積み
禅を世界に広めた鈴木大拙は、1870年11月11日、石川県金沢市本多町に生まれた。
本多町は、徳川四天王の本多忠勝(ほんだ・ただかつ)に由来する一族が住む一画。
父は加賀藩の医師で、由緒正しい家系だった。
町医者も兼ねた父は、蘭学を学び、西洋の医術を取り入れつつ、東洋の漢方の研究にも熱心だった。
幼い大拙に、父は、よくこう話した。
「学びなさい。知っているとか、わかったとか、そう思ったら、おまえよりもっと知っているひと、もっとわかっているひとがいると思いなさい。
学問に天井はない。いいですね、一生、学び続けなさい」
家には、難しい本があふれていた。
大拙はわからないながら、ページをめくった。
6歳のとき、大好きだった父が亡くなる。
ショックだった。
家計も一気に厳しくなる。
貧しさを、自宅の半分をひとに貸すことで凌ぐ。
母は、信心深いひとだった。
もともと北陸には、信仰の厚いひとが多かった。
毎朝、お灯明をあげ、仏様にお参りする。
母にならって、大拙も覚えた。
父の理知的な面と、母の宗教心、二つが彼の中で芽吹いていった。
ただ、家計の逼迫が、彼に茨の道を進ませることになる。
禅の大家・鈴木大拙は、学業優秀で、小学校では校長から表彰されるほどだった。
石川県専門学校附属初等中等科に、合格。
神童の名をほしいままにした。
この学校で、生涯の友となる西田幾多郎(にしだ・きたろう)と出会う。
中学では、どこか超然としているところがあった。
はしゃいだり、ふざけることはなく、いつも、どこか遠くを見つめている。
西田は、そんな大拙を面白いやつだと思った。
大拙の英語と国語の点数は、いつも満点。
誰も追いつけないレベルだった。
「きっと、こいつは、将来の日本を背負っていく男になるに違いない」
西田がそう思ったとき、突然、大拙は中学をやめた。
家が貧しくて、学費が払えない。
まわりの学生たちは、悠々と学校に通い続ける。
自分のほうが優秀なのに、やめなくてはいけない。
こんな理不尽なことがあるのか。
人生に疑問を抱く。
臨済宗の国泰寺に、初めて参禅した。
「草や木、花たちは、ただ根を伸ばし、なんの迷いもなく、すくすくと育っていく。その場所で、なんの疑いもなく。
なのに人間はどうだろう…
その場所で生きたくても、生きられない…」
しかし、初めての修行はわずか1週間ほどで、終わりを告げる。
母が恋しい。
座禅に集中できなかった…。
鈴木大拙は、中学をやめたあと、奥能登、珠洲郡で、小学校の代用教員になった。
英語を教える。
下宿先は、寺だった。
自分の人生は、こんなはずではないと思いながら、不満の中で生きる。
そんなとき、最愛の母が亡くなる。
急いで駆けつけたが、息絶えたあとだった。
母の真っ白な顔を見たとき、不思議な感覚に襲われた。
「母は、亡くなったが、でも、母は死んではいない。
理性では心を鎮めることができないが、感覚では、母はまだ生きている…母さんは…今も生きている」
生と死のはざま。
そこに、境界線はなかった。
これまで全く知らなかった世界が、そこにあった。
物事を、簡単に割り切ってはいけない。
二つに分けることで、大切な何かを見失う。
母は、最期に教えてくれた。
世界は、決して割り切れないということを。
「花を理解したいと思うのなら、話は簡単です。
あなたが花になりなさい。
花になって、陽の光を浴び、雨を受けなさい。
そうすれば、きっと垣根は取り払われる。
自分と花を区別しては、永遠に花は、わからない」
鈴木大拙
鈴木大拙(1956年 86歳)
【ON AIR LIST】
◆光の跡 / 星野源
◆aqua / 坂本龍一
◆マニジュ / 佐野元春 & THE COYOTE BAND
★今回は「鈴木大拙館」様にご協力いただきました。ありがとうございました。
開館時間など、詳しくは公式HPにてご確認ください。
鈴木大拙館 公式HP
<鈴木大拙館とは>
D. T. Suzukiとして世界的に知られる鈴木大拙は金沢が生んだ仏教哲学者。
生誕地そばに建つ鈴木大拙館は、大拙の考えや足跡をひろく伝えることにより、大拙についての理解を深めるとともに、来館者自らが思索できる場となることを目的に、国際的な建築家・谷口吉生氏により設計され、2011年10月に開設されました。
館内は「展示空間」「学習空間」「思索空間」の3つの空間と「玄関の庭」「露地の庭」「水鏡の庭」の3つの庭で構成され、街中にありながら深い静寂が保たれています。
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