yes!~明日への便り~presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ

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第451話 変化を怖がらない
-【今年メモリアルなレジェンド篇】ミュージシャン デヴィッド・ボウイ-

[2024.04.20]

Podcast 

©Sam Mellish/Alamy/amanaimages


今年、デビュー60周年を迎える、イングランド出身のカリスマ・ロック・ミュージシャンがいます。
デヴィッド・ボウイ。
1964年、広告会社で会社員をしていたボウイは、ひそかに音楽シーンで名をなすことを夢見て、実業家、ジョン・ブルームに手紙を書きます。
「ブライアン・エプスタインがビートルズにしたことを、僕たちにしてみませんか?」
ブルームは、自宅のパーティに、当時、ボウイが所属していたバンド「デイヴィー・ジョーンズ&ザ・キング・ビーズ」を呼びました。
デイヴィー・ジョーンズとは、芸名ボウイを名乗る前の彼の名前。
このパーティでの演奏がきっかけで、同年6月5日、デビューシングル『リザ・ジェーン』が発売されました。
翌年、きっぱり会社を辞めてしまうのですが、このシングルがさっぱり売れません。
ちなみに、2年前に発売されたビートルズのデビュー曲『ラヴ・ミー・ドゥ』は、ミュージックウィーク誌トップ50で最高位17位を記録。
翌年のシングル『プリーズ・プリーズ・ミー』は、メロディメーカー誌シングルトップ50で、1位を獲得しています。

ボウイがシングルを出しても、全く売れない時期が続きます。
挙句の果て、同じ名前のデイヴィー・ジョーンズという名のボーカルが、アメリカで大ブレイク。
そのバンドの名は、モンキーズでした。

名前を変えることを余儀なくされた彼は、1966年、デヴィッド・ボウイを名乗ることにします。
ボウイとは、アメリカの開拓者、ジェームズ・ボウイ。
彼は、テキサスの独立のために戦い抜いた英雄でした。
荒ぶる魂を抱え、ナイフを持ち歩く様は、敵を恐れさせたと言われ、彼が愛用したナイフは、ボウイ・ナイフと呼ばれました。
開拓者、それこそ、デヴィッド・ボウイが目指した姿だったのです。
ジョン・レノン、坂本龍一にも愛された伝説のロックスター、デヴィッド・ボウイが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?

©Electric Hand/Alamy/amanaimages

『レッツ・ダンス』で世界にその名を轟かせたミュージシャン、デヴィッド・ボウイは、1947年1月8日、ロンドン南部の街、ブリクストンに生まれた。
ちなみに、映画で共演した北野武は、彼の10日後に生まれ、ボウイが敬愛するエルヴィス・プレスリーは、12年前の同じ日に生まれている。
父は、恵まれない子どもたちの慈善団体の職員。
母は、近くの映画館やカフェで働いていた。
ボウイが幼少期を過ごしたブリクストンは、ナチス・ドイツに攻撃を受けた地域。
戦争の傷跡は生々しく、崩れたバラックに難民が住みついていた。
特に西インド諸島からのカリブ系移民が多かった。
一歩、家を出れば、多国籍。
肌の色もさまざまだった。
ふと通る店先からは、ジェームス・ブラウンが聴こえてきた。
後に世界中を旅して、定住せず、さまざまな土地で自らのマンネリを打破したボウイの萌芽が、少年時代にあった。
父は言った。
「デヴィッド、おまえもいずれわかる。
この場所は、特殊なんかじゃない。この場所が、縮図なんだ」

デヴィッド・ボウイにとって、6歳で、郊外の街、ブロムリーに引っ越したことも、後の人生に大きな影響を与えた。
ブロムリーは、ブリクストンよりさらにロンドンから離れた、いわゆるベッドタウン。通勤時間、1時間弱。
比較的、安い値段で建て売りの一軒家を購入することができた。
同じような家がびっしり並ぶ、無個性な街。
多国籍から、いきなりの画一化。
ボウイ少年は、退屈を覚えた。
彼はその発露、変化のきっかけを、音楽に求めた。
父が音楽好きで、レコードやラジオが身近にある環境。
初めて、リトル・リチャードの『トゥッティ・フルッティ』を聴いたとき、文字通り、体中に電気が走った。
リトル・リチャードは、黒人で同性愛者。
ポール・マッカートニーもプリンスも影響を受けたと話すレジェンド。
その歌の爆発力に魅了された。
「トゥッティ・フルッティ」とは、砂糖づけにされた、多品種の果物、という意味。
ボウイ少年は、音楽のチカラを本能的に感じた。
ちょうどそんな時期、父が言った。
「全身全霊で情熱を傾けられる何かを、人生で探しなさい」

音楽を生業にすると決めたデヴィッド・ボウイは、16歳のとき、ようやくデビューにこぎつけるが、全く売れない。
彼は、いきなりの暴挙ともとれる行動に出る。
長い髪の男性を擁護する団体『長髪男性への虐待を防ぐ会』を勝手につくり、BBCのバラエティー番組『トゥナイト』に、その代表として出演した。
当時のイギリスは、長い髪の男性イコール、不良、反社会、ととらえられていた。
この自己宣伝も、しかし、うまくいかなかった。
音楽活動をするときも、郊外の街、ブロムリーから電車で通った。
1時間弱の電車の中で、さまざまな本を読んだ。
音楽仲間がみな、ロンドンに安アパートでルームシェアする中、彼は、あえて通勤を選ぶ。
ひとりになれる時間。冷静に自分を見つめる時間。
読書は彼に、さまざまな世界を見せてくれた。
SFなどのフィクションから哲学書、ファッション系、異国の書物、変化を怖れない豊潤な土壌づくりは、電車の中で行われた。
『レッツ・ダンス』の大ヒット後も、彼は自らの模倣を最も嫌った。
俳優に挑戦し、演劇の舞台に立ち、映画に出る。
世界各地をめぐり、文化に触れる。
日本の京都に魅せられ、茶道や歌舞伎に熱中した。

「10代に仏教を勉強したことが何らかの影響を及ぼしているのではないかと思います。
仏教の教えにある、始まりも終わりも無い、つまりひとつの所にとどまっていない、という考え方が今の自分の基本であるように思います」
デヴィッド・ボウイ

【ON AIR LIST】
◆LET'S DANCE / David Bowie
◆LIZA JANE / Davie Jones & The King Bees
◆TUTTI FRUTTI / Little Richard
◆CHANGES / David Bowie

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