ON AIR REPORT オンエアレポート

ベルギーと日本の友好150周年、セザール・フランクに注目!

16/06/27


今夜もお聴きいただきありがとうございます。
ベルギーのブルージュでは、「日本伝統文化芸術祭」がこの週末開かれています。
これは、ベルギーと日本の友好150周年を記念しての行事。

ベルギー出身の音楽家には、作曲家のセザール・フランク、
ヴァイオリニストのイザイ、指揮者のアンドレ・クリュイタンスなどがいます。

今回は、ちょうど日本とベルギーのお付き合いが始まった1866年をはさんで、
1822年ベルギーで生まれ、フランスで活躍、1890年に亡くなった作曲家、セザール・フランクを特集しました。

<プレイリスト>
M1 フランク 《前奏曲、コラールとフーガ》 よりプレリュード
  ベルトラン・シャマユ(ピアノ)
M2 フランク 《ピアノ五重奏曲》 より 第1楽章
  ムーザ・ルバツキーテ(ピアノ)、ヴィリニュス弦楽四重奏団
M3 フランク 《ヴァイオリン・ソナタ 》 より 第4楽章
  矢部達哉(ヴァイオリン)、横山幸雄(ピアノ)アルバム『エシェゾー』(1997)

M1は、1884年、62歳の作曲。管弦楽曲、室内楽曲、宗教音楽、さらに歌曲など幅広く作品をのこしたフランク。
ピアノ曲は若い頃に集中してつくっていますが、途中ブランクを挟みます。62歳のフランクが実に40年ぶりに作曲したピアノ曲です。
M2も、円熟期、1878〜1879年にかけて作曲。(56−57歳)。
サン=サーンスに初演で演奏してもらい、献呈しようとしましたが、サン=サーンスは曲に不満で舞台にフランクの献辞の書かれた自筆譜を残したまま立ち去ります。
軽妙でおしゃれなサン=サーンスと、重厚なフランク、二人の作風の違いを考えれば、この結果も納得かも。
M3も、1886年作。近代ヴァイオリン・ソナタの最高傑作の一つに数えられる。
ベルギーの後輩であるヴァイオリニスト、ウジェーヌ・イザイ(ヴァイオリニスト)に結婚祝いとして作曲され献呈された。
フランクの生前に好評を博した、数少ない一曲となった。

フランクは、幼い頃から音楽の才能を発揮し、12歳でリエージュ音楽院を卒業、パリ音楽院でも数々の賞を受賞しますが、
作曲家を希望、教会のオルガニストをしながら質素な生活をしていました。
次第に認められ、パリ音楽院で教鞭をとり、1871年49歳でサン=サーンスとともにフランス国民音楽協会を設立、
初代会長となります。
1872年、パリ音楽院のオルガン科の教授に就任。多くの弟子をそだてました。
大器晩成、遅咲きの人生、作曲家としての名声もその死後に高まった芸術家です。

フランクは、ショパンやリストより一回り後輩、ロマン派の時代の作曲家です。
ワーグナーなどドイツ系ロマン派の強い影響を受け、半音階進行、転調を多く用いた作風です。
オルガニストなので、ピアノ曲であっても、重厚感や宗教的な印象がある、と横山さん。

M3の「ヴァイオリン・ソナタ」は、その重厚感に外交的な部分ももった華やかな作品で、演奏する機会も
多いとのこと。現在演奏される作品は決して多くはありませんが、今夜は個性が強い作曲家だと改めて感じました、と
横山さんはおっしゃっていました。