ON AIR REPORT オンエアレポート

8月生まれの作曲家、アントニオ・サリエリ

16/08/08


今夜もお聞きいただきありがとうございます。

1750年8月15日イタリア生まれ、作曲家、指揮者、教育者として活躍したアントニオ・サリエリに注目しました。
ベートーヴェンやリストの師であるサリエリは、映画『アマデウス』のイメージで、モーツアルトを毒殺した悪役のイメージですが、実際はどうだったのでしょうか?

<プレイリスト>
M1 サリエリ 作曲 《ダナオスの娘たち》 より 序曲
ジャンルイジ・ジェルメッティ(指揮)、ローマRAI(らい)交響楽団

M2 サリエリ 作曲《ピアノ協奏曲 ハ長調》 より 第1楽章
アンドレアス・シュタイアー(フォルテピアノ)、コンチェルト・ケルン

M3 ベートーヴェン 作曲《ヴァイオリン・ソナタ 第3番》 より 第3楽章
イツァーク・パールマン(ヴァイオリン)、ヴラディ―ミル・アシュケナージ(ピアノ)

サリエリは、当時の音楽家の最高位である宮廷楽長として活躍し、生涯人気を誇った作曲家でした。
その作曲の中心は、オペラで、生涯でおよそ40の作品があります。中でも最も成功した作品のひとつが「ダナオスの娘たち」。
1784年、サリエリにとって初めてのパリでの公演だったため、当時絶大な人気のグルックが自分の作品として発表し、歓迎されたあとで、実はサリエリの作品だと明かしたとされます。

サリエリは、モーツァルトより6歳年上ですが、35歳で亡くなったモーツァルトよりはるかに長く、75年の人生を送りました。2人は常にライバルという形で表現されますが、実際は、サリエリが積極的にモーツァルトの作品を取り上げて指揮、モーツァルトもオペラ「魔笛」に招待し、サリエリが見に来て、ほめてくれた」と手紙に書いています。モーツァルトの死後、「レクイエム」を初演。今年の2月には2人の共作が発見されています。確かに、モーツァルトは、サリエリの存在のために宮廷楽長につけなかったため、サリエリの悪口を書いた手紙も残っていますが、少なくともサリエリの方は敵意を抱くようなことはなかったというのが現在の見解です。

サリエリは、ベートーヴェン、ツェルニー、シューベルト、フンメル、モシェレス、リスト、モーツァルトの息子のフランツ・クサヴァーなどの師でもありました。

横山さんは「サリエリの作品は、モーツアルトかな?ベートーヴェンかな?という部分がありますが、流れがぶつぎれで、モーツァルトのような空間の緊張感や、ハイドンのような意外性、ベートーヴェンのメッセージ性どの点も及ばず平均的な作曲家のイメージです。だからこそ耳なじみがよく一般に支持されたのかもしれません。ベートーヴェンは、「ヴァイオリン・ソナタ」の1番から3番をサリエリに捧げています。人格者だったのかもしれませんね。」と話していました。