三協フロンテア presents The Starters(ザ スターターズ)

パーソナリティ ユージ・吉田明世20代~30代の若手起業家をゲストに迎え、
彼らがどんな発想や未来への展望を持ってブレイクスルーを起こそうとしているのかお話を伺います。
高い意識とモチベーションで社会に風穴を開けようと取り組む彼らの話が、
「あなたも、世の中を変えられる!」という、
朝、仕事へ向かうビジネスパーソンのやる気のカンフル剤になることを目指してゆきます。

Guest ゲスト

2019.05.14

伝統を受け継ぐ仕事

株式会社 堀口切子 代表
堀口徹
職人とスポーツ選手の共通点

今週は、【株式会社 堀口切子 代表の堀口徹さん】をお迎えしました。

堀口徹さんは1976年生まれ、東京のご出身。
家業は、大正時代創業の「堀口硝子」で、
堀口さんは大学卒業後に入社し、修行を始め、
2008年に「秀石」を拝命し、その後、独立して「堀口切子」を創業。
伝統的な江戸切子はもちろん、オリジナルな造形で注目を集め、
ニューヨークやパリ、ロンドンなど海外でも作品を発表。
これまでにグッドデザイン賞など様々な賞を受賞されています。

まず「三代 秀石(しゅうせき)」というのは何でしょうか?

「「秀石」は、1921(大正10)年創業の堀口硝子に代々伝わる切子職人の号になります。」

今日は実際に江戸切子をとてもきれいですよね!
簡単に歴史とその特徴を教えて下さい。

「江戸時代後期、1834年、185年くらい前から始まったとされています。
 簡単に言うと日本のカットグラスということですね。
 皆さんがイメージされるのは赤と青のグラスに細かいカットが入ったものかと思います。」

江戸切子の職人、作家を目指すようになったきっかけは?

「そうですね。元々実家が江戸切子の仕事をしていて
 家にもたくさん江戸切子がありました。
 その当時はどこの家にもあるものだと思っていましたが、
 中学3年生の時、ホームルームで将来の職業について考えるタイミングがあり、
 何をやりたいかと考えた時、手先を動かすのが好きでしたし
 伝統のものも好きだったので何か伝統工芸をやりたいなと。
 ただその時は大工や畳職人などもいいなと思っていて、
 その中に当然江戸切子も入っていました。
 実家も江戸切子だし、おじいちゃんからのものだったので
 それを自分が継げたら周りもハッピーになるだろうと思い江戸切子を選びました。」

伝統を継ぐという環境にあって、そこに入っていくというのはすごいことですよね。
修業というのはどこでされたのですか?

「会社としては、実家の堀口硝子に入社しました。
 初代秀石である祖父の一番弟子である二代目の秀石・須田富雄が堀口硝子から出て、
 切子を教える教室をしていたのでそこに通い、切子を学びました。」
 
どんなことを習うのでしょうか?

「師匠と弟子というと厳しいイメージを持たれるかもしれませんが
 おじいちゃんと孫くらい歳が離れているんです。
 関係もまさに孫とおじいちゃん。怒られたことも一度も無いんです。
 祖父と師匠は大正・昭和の厳しい関係だったそうなので
 反面教師となって、私には優しくなったようです。」

なんでも切子職人さんの仕事はスポーツ選手に近いとか?

「実際にやってみると、ゴルフなどに近いかと思います。
 やはり体力や集中力や視力といった点では、
 非常にスポーツ選手に近いものがあると思います。
 とはいえ、個人差も非常にあり、年配の方でも
 体力、体調をキープしながら非常にいい状態で
 いい作品を作られる方もいらっしゃいます。」 

スポーツ選手にはピークがあるとも言われますが
そのピークを超えると大変になってくるのでしょうか?

「感覚的に35〜55歳くらいが体力的なピークはあると思います。
 ある程度経験を積んで、体力のピークもあるのではと。」

職人というと、経験と年齢を重ねたイメージがありますが
ピークとの戦いというのもあるのですね?

「自分は未経験の部分でもありますが
 経験というのはずっと積み重ねていくものです。
 自分の持ち味、プラスになっている部分と
 衰えていく部分とを見極めてその人じゃないと出来ない境地を
 新たに見つけていくというのがあると思います。」

そんな中で、堀口さんがこれまで乗り越えてきたハードルは何でしたか?


「承知的なコレというものはイメージ出来ないですね。
 好きな事を仕事にしたので、苦労はありますが
 大きなハードルという感じはありません。
 ですが、1つ1つ小さなハードルを越えていければ
 次があるような気がしていて、それでここまで来ている
 というのはありますね。」

来週も堀口さんのお話、続きます。
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