もうひとつの被災地、千葉県旭市

東日本大震災の発生したのは
3月11日の午後2時46分ですが、
同じ3月11日。
『午後5時26分』という時刻が
大きな意味を持つ場所があります。
今回は、もうひとつの被災地
千葉県旭市の飯岡地区を取り上げます。

東日本大震災では、
ご存知のように東北以外でも亡くなった方が沢山います。
中でも千葉県では22人が亡くなり、
いまも2人の行方が分かっていません。
このうちの16人という大きな被害が出たのが、
旭市です。中でも飯岡地区は被害が甚大でした。
5年前、旭市の飯岡地区では
揺れの1時間ほど後から
津波の第一波、第二波が押し寄せました。
でも、それほど大きくはなかったため、
住民の方はその後、避難所などから
自宅に戻ってしまいました。

そして、午後5時26分。

最大7.6mの第3波が襲い掛かってきて、
沢山の方が犠牲になりました。
あれから丸5年経って、飯岡地区はどうなったのか。
「いいおか津波を語り継ぐ会」の代表、
中條富夫さんにお話を伺ったところ、
そこにはこんな現実がありました。

当時の旭市の全壊家屋は336棟。
震災の後、沿岸部には防潮堤が整備されたものの、
飯岡で震災前と同じ場所に再建した家の数は30棟に満たず、
震災から3年目に完成した復興住宅も、
入居人数が少ないそうです。
元々この地区は高齢者が多いこと、そして
震災前から小さな工場や商店を細々と営んでいた中に
津波が追い打ちをかけたことなどが理由だと
中條さんは言います。

働き口がないと、
特に若い世代は地区を離れざるを得ません。
現に中條さんによると、復興住宅では
入居している33世帯の殆どが
一人暮らしか二人暮らしの高齢者だそうです。

震災によって、高齢者ばかりが残った飯岡。

そんな中で語り部を続ける中條さんに
その理由を伺ったところ、意外な答えが返ってきました。

それは、マスコミや視察に来た他の地区の人に語る
中條さんの姿を見て、残された高齢者たちが
「自分たちは忘れられていない、取り残されてなんかいない」と
希望を感じているからなんだそうです。
災害の後、インフラは復旧しても、
忘れられてしまうと言うことがどれだけ辛いことなのか・・・
胸に突き刺さります。

中條さんは、
旭市や飯岡に遊びに来てくれる人が増えることが
残った高齢者の何よりの励みになるとも仰っていました。
これからの時期、
田園風景や森を歩くハイキングコースや
海岸沿いのサイクリングロードなども楽しめる旭市。
東京駅からは特急で90分です。

旭市の観光情報
http://www.city.asahi.lg.jp/kanko/index.html

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