1995年1月17日、午前5時46分。
まだ夜が明けきらない時間、兵庫県南部を激しい揺れが襲いました。
阪神・淡路大震災です。
マグニチュード7.3。
震源が都市の直下だったことで、被害は一気に広がりました。
6,400人以上が命を落とし、住宅およそ25万棟が全半壊。
高速道路の倒壊、密集市街地で相次いだ火災、
そして電気・水道・ガスといったライフラインの長期停止。
日本の大都市が、一瞬で機能を失う現実を、私たちは初めて突きつけられました。
当時、多くの人が「まさか神戸で」「こんなことが起きるとは思わなかった」と語りました。
地震は地方や山間部で起きるもの。
そんな思い込みが、社会全体にあった時代でもありました。
この震災をきっかけに、日本は大きく変わります。
建築基準法の改正による耐震化の促進、
災害医療体制の整備、DMATの創設。
そして、「ボランティア元年」と呼ばれる、市民による支援の広がりです。
発災直後、行政の支援が十分に行き届かない中で、
多くの命を支えたのは、近所の人、家族、見ず知らずの誰かでした。
助けを求める声に応え、黙々と手を差し伸べる姿は、
日本社会の新たな力を示したとも言えます。
一方で、阪神・淡路大震災は、
「防げたはずの命」が数多くあったことも教えました。
亡くなった方の約8割は、建物の倒壊による圧死でした。
古い耐震基準の住宅が多く残っていたことが、被害を大きくしたのです。
この問題は、31年が経った今も、完全には解決していません。
耐震化は進んだとはいえ、全国には、
同じ危険を抱えた住宅が今も数多く存在しています。
また、時間の経過とともに、震災を直接経験していない世代が増えています。
記憶が薄れていく中で、
「震災の教訓を、どう伝え続けるのか」が大きな課題となっています。
阪神・淡路大震災が残した教訓は、
決して過去のものではありません。
南海トラフ地震、首都直下地震など、
大規模災害の発生が現実的に想定される今だからこそ、
あの震災を自分ごととして考える必要があります。
災害は、いつ、どこで起きるかわかりません。
だからこそ、特別な日だけでなく、
日常の中で、備えを考えることが大切です。
家の耐震性を確認すること。
非常用持ち出し袋を用意すること。
そして、いざというとき、どう行動するのかを、
家族や周囲の人と話し合っておくこと。
この週末、備えの確認などを家族でしてみてはいかがでしょうか?