あの日から15年 それぞれの復興⑥

今週11日で東日本大震災から15年。

復興の歩みはいまどこまで進んでいるのか。


そして、私たちは次の災害にどう備えるのか。



『あの日から15年 それぞれの復興』と題してお伝えしています。



宮城県気仙沼市唐桑町に住む菅野一代(かんの・いちよ)さん


2011年3月11日大地震が発生した時、


海の近くで牡蠣むきの作業をしていたと菅野さんは、


直ぐに家族揃って近くの高い山に避難したと言います。


津波第一波襲来後、牡蠣をとる舟=筏の存在が気になった菅野さんは、


避難した場所から再び海に向かってしまったと話します。

菅野さん

遠くから何をしてるんだ~早く逃げろみたいな。津波って私一回で終わりだと思っていて、ところが津波って何回も繰り返すっていうのは知らなくて、第二波、山が迫ってくるように見えて、何が起きているのか・・             ほぼほぼパニック状態で、高いところにいかなきゃという意識はあったので山に上れば、必死になって駆け上がって、           バリバリって音がするんですよ。こわいし、後ろもフ振り向きたくないし、必死に山に逃げて、波にのまれずにすんだ。     第二波で戻ってきたかなりの人たちが亡くなっているっていう。

津波は繰り返しやってくる。


津波は第一波より第二波、三波の方が高い事がある。


この事を理解していなかった菅野さん。



今でも当時聞いた津波の音を思い出すと言います。


気仙沼では、地震、津波に加えて火災も発生しました。

菅野さん

一日、二日目してから、気仙沼市内からマグロ船が火が付いたまま近づいてくるんですよ。                      重油が流されてるので、瓦礫に重油がしみこんで、海の上で燃えているんですけれども、                       海が燃えているとしか思えなくて、うん・・恐ろしかった。津波のおそろしかったけども、私は火がおそろしくて・・               避難所にも火の粉が飛んでくるんですよ。それが草木に燃え移って、いろんなところで煙がくすぶっているんですよね。その火がこわかったきがするけれども、次から次へと、こわい、こわい経験をしましたよね。

「津波火災」と言いますが菅野さんが避難していた近くの


鹿折(ししおり)地区ではおよそ10ヘクタールにわたり市街地が焼失しました。


菅さん

しばらくは、煙を見ても怖くてトラウマですよね。海に近づくのも怖かったし・・                                でも今、まさか、こういう風になるとは凄いですよね。人って・・いろんな人の思いが、まず、記憶もそうですけど、                   何百年かかるんだろうっていう光景がきれいになるっていうね。戻るっていうより前よりもきれいになっていますもんね。


菅野さんは、震災後、


ボランティアに来た学生が寝泊まりできる場として自宅を開放しました。


この事がきっかけで家を改装して民宿『唐桑御殿 つなかん』を開業。


県外から来た学生との絆が生まれていきました。



『あの日から15年 それぞれの復興』



来週は、その、つなかんに来た

学生ボランティアが被災地に残したものについてお伝えします。

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