今年の9月1日で、関東大震災からちょうど90年がたちました。
関東大震災の死者は、約10万5千人。
家屋の下敷きになり亡くなった方が約13000人。
そして、全体の89%にあたる、92000人が火災により亡くなりました。
中でも被害が大きかったのは、隅田川から東側の、現在の両国駅周辺で、
当時「陸軍被服しょう跡(ひふくしょうあと)」と呼ばれていた場所です。
この場所に逃げてきた4万人のうち、38000人が火に囲まれ、30分という短い間に亡くなりました。なぜそんなに大きな被害が出たのでしょうか。
名古屋大学教授の武村雅之(たけむらまさゆき)さんに伺ったところ、
被服しょう跡でたくさんの方が亡くなった原因は、
避難した人たちが燃えるものをもって逃げられて、
それが被服しょう跡という広大な敷地の一箇所に、みなが集まったのが原因だとのこと。
その状況としては、燃えるものの中に人間が点在するという形だったそうです。
その周りに火が回って、逃げ場が無いので家財道具が燃え上がった。
その燃え上がりを火災旋風が更にひどくし、38000人の人が30分の間に亡くなる、
という悲惨なことになったのだろうとのことでした。
江戸時代は火事のときは延焼を押さえるため、
逃げる時に家財道具を運ぶことは固く禁じられていました。
それが、明治・大正と時が経つにつれて、
人々はその教訓を忘れてしまったから被害が大きくなったのではないかと武村教授は言います。
では、現代の「燃えやすいもの」とは一体何なのでしょうか。
「現代で燃えるもの…といえば、現代で言うと、車ではないかと思うんですね。」
という武村教授。
関東大震災での火災調査にあたった中村清二さんは、
調査報告書の中で
「同じ失敗を何度と無く経験しても、我々は一向に賢明にならなかったのである、
大八車が自動車にかわることはあろうけれども」
それがまさに今当てはまることなのではないでしょうか。
東日本大震災のあと、皆が車で家に帰ろうとして大渋滞を引き起こしたことは記憶に新しいと思います。
火災が起こってなかったからいいけれども、もし火災が起きていれば、
中村清二がいうように、また同じ失敗をくりかえしていたという可能性があるということを、我々はもう一度自覚してみたほうがいいのではないでしょうか。
首都直下地震の被害想定を見ても、
いわゆる木造密集地域の火災被害が甚大になると想定されています。
過去の教訓を現代に生かしたいですね。