為末大さんが100メートル走を諦めてハードルに転向したわけ(2020/02/22 放送)
今週は、為末 大さんをお迎えしました。
2000年のシドニー、2004年のアテネ、2008年の北京と3大会連続でオリンピックに出場し、47秒89という400メートルハードルの日本記録保持者でもある為末さん。1978年広島生まれの現在41歳で、小学生の時に陸上を始め、中学時代には100メートル、200メートル、400メートル、走り幅跳び、三種競技など6種目で日本一になったそうです。
「記録が思うように伸びていって…。今、サニブラウン選手とか桐生選手がいますけど、中学校ぐらいまではたぶん彼らより速いんですよね。会うたびに言ってますけど(笑)」
当時の為末さんが一番の目標としていたのは、数ある陸上種目の中でも花形の100メートル競走だったとか。
2000年のシドニー、2004年のアテネ、2008年の北京と3大会連続でオリンピックに出場し、47秒89という400メートルハードルの日本記録保持者でもある為末さん。1978年広島生まれの現在41歳で、小学生の時に陸上を始め、中学時代には100メートル、200メートル、400メートル、走り幅跳び、三種競技など6種目で日本一になったそうです。
「記録が思うように伸びていって…。今、サニブラウン選手とか桐生選手がいますけど、中学校ぐらいまではたぶん彼らより速いんですよね。会うたびに言ってますけど(笑)」
当時の為末さんが一番の目標としていたのは、数ある陸上種目の中でも花形の100メートル競走だったとか。
「僕が陸上を始めた時は、ロサンゼルス(五輪)のカール・ルイスと、ソウル(五輪)でのベン・ジョンソン対カール・ルイスのあれを見て育ったんで、とにかく100メートルをやりたいっていう、そういう感じでしたね」
しかし、高校の3年間は100メートルの記録が伸びなかったそうで、その後、ハードルに転向。法政大学時代には400メートルハードルで日本学生選手権3連覇を達成しますが、100メートルを諦めてハードルを選んだことに関しては複雑な思いがあったようです。
「自分の中でいろいろ探っていく中で、ハードルだったらちょっと技術が必要だし、ちょっとニッチなんですね。この世界ならいけるんじゃないか、っていうので、ハードルに転向しました」
「心理的な葛藤は結構あってですね、メインで1番だった人間が比較的ニッチなところに移っていったという感じなので、オリンピック行くまではそれが凄いコンプレックスでしたね」
「その時に思ったのは、“好き”とかじゃなくて勝てることをやるんだ、っていう自分の中の割り切りがあって。だからそこで完全に頭の中は高さだけにフォーカスして。好きとかなんとかじゃなくて、とにかく世界で一番高いところまで行けるやり方でやろう、みたいなそんな感じ。それは良かったですね。方向が定まって」
為末さんは当時の心境をこう振り返ってくれました。
「自分に当たってたスポットライトが移動していくのを毎日感じる、っていうんですかね。特に同じ学校に凄い子が来たので、そっちの方に大人もみんな興味が行くんですね。そういうのって、みんなはあんまり気づかないけど、当の本人は凄いわかるじゃないですか(笑)。自分が軽んじられていってる、みたいな。しかも、そいつが凄いイイ奴だったんで…。だけど、ちょっと嫉妬心から辛辣になる、みたいなのもありながら…。でも結局、自分は陸上をやらなきゃいけないんだって言って、ハードルに一生懸命集中しようとして…」
しかし、結果的には為末さんにはハードルが合っていたようです。
「まずうちの実家が、淡々とすることが最もいいことだ、っていう感じの家なんですよ(笑)。だから誕生日も淡々と、クリスマスも淡々と(笑)。パーティーで盛り上がることなんかないっていう(笑)」
「興奮すると人間って歩幅が狂うんですね。伸びたり縮んだり。でも、ハードルって、ハードルの間に歩数を決めて走ってるんで、歩幅がいつもと同じことが大事なんですよ。だから、ハードル競技って、他の短距離選手よりも若干、冷静であることが有利な競技なんで」
「足がまぁまぁけっこう速くて、巧緻性(こうちせい)っていうんですけど、巧みに動くこともできて。そもそも家が淡々としてた(笑)っていうのでピッタリだった」
“走る哲学者”とも呼ばれている為末さん。最新の著書『生き抜くチカラ: ボクがキミに伝えたい50のことば』は子供たちに向けた1冊で、為末さんが今回の番組で話してくれたことに繋がる言葉もたくさん登場します。
恵さん「これも好きなんですけど、“せっかくここまでやってきたんだから、には要注意”。これ以上頑張っても駄目そうだなと思ったらさっさと諦めなさいっていう(笑)」
為末さん「そうですね。これは先生が一番言いにくいことですね(笑)。(諦めることは)大事だと思いますね」「最初に選んだことを最後まで続けてホントは何が得意だったかわかんなくなる、っていうことになるんで。日本人の場合はちょっとだけ軽快になって、これ駄目だったらやめてみよう、ちょっと次に行ってみよう、っていうのをやった方がいいなと思いますね」
恵さん「“好きなことをやるではなく世の中に求められていることをやるもあり”…これは深いですよね」
為末さん「スポーツやってたら、みんな大体、小学校の時にクラスでヒーローだった選手が集まっていて、最後は頂点競うんですけど、最後の方の世界に入ってくると、ホントにそのまま行ける人間が1人か2人だけいて、あとは違う役割をやんなきゃいけない、っていうのが出てくる。それが妙にコンプレックスになったり、悔しかったりするんですけど、ここの役割も社会にとっては必要なんだっていうのは、腑に落ちると俄然頑張れて。ま、そこはそこでの輝きもありますし、幸せも得られるんですけど、その“腑に落ち感”っていうのが上手く受け入れられなくて苦しんだ時期が自分にもあったんで」
恵さん「僕が一番ジンと来たのが42番目の、“生き抜くためには逃げてもいい”。もうこれは最高だと思うんですけど。為末さんだから、オリンピアンだし、走る哲学者だし、もっと厳しく怒られるのかなってイメージしてたんですね、読む前は。そしたら意外に、逃げていいよっていう(笑)言葉が多かったふうに感じます。諦めてもいいよとか」
恵さん「ここホントにジンと来たのは、“なにより大事なのは死ぬまで生き抜くことなんだ”っていうのが、うわぁホント凄いなと思って…。せっかく生まれたんだから死ぬまで生きてみようよっていうことですよね」
↓こちらが、そんな為末さんの最新著書『生き抜くチカラ: ボクがキミに伝えたい50のことば』
来週も引き続き、為末 大さんをお迎えします。