半崎美子さんがショッピングモールで歌い始めたきっかけとは?(2020/03/21 放送)
今週は、シンガーソングライターの半崎美子(はんざき・よしこ)さんをお迎えしました。
今からちょうど20年前の2000年3月に上京し、17年の下積みを経て2017年にメジャーデビューした半崎さん。下積み時代にショッピングモールで歌って注目を集めたことから“ショッピングモールの歌姫”という称号で知られています。
「36歳でデビューしたんですけど、苦節17年とか下積み17年というふうに凄く苦労人みたいな感じで言っていただいて。ただ、ホントに下積みという感覚が自分にまるでなくて、凄くこう…とってもいいタイミングだったなと思うんですよ、この17年でデビューできたということが」
「自分の中で凄く必要な17年だったという思いがあるので、ショッピングモールで歌っていたこととかすべて、無駄な日は1日もなかったなというふうに思えるんです」
北海道の実家で暮らしていた大学生の時に“突発的に音楽に目覚めた”という半崎さん。当時のご自身をこう振り返ってくれました。
「私はとっても飽きやすく、今は音楽をずっと一途に続けてますけれど、なんでもすぐに諦めてしまうようなホントに骨のない性格でしたね。だから、音楽をやりたいと言った時も、父の信用がなかったので…」
「それ(音楽に目覚めた理由)がホントにわからないんですけど…1つあるとすれば、高校の時に学園祭のステージで初めて人前で歌ったんですね。ドリカムの「すき」という曲を歌ったんですけど、その時に何かちょっと手応えみたいなものを感じたんですよ。歌った後にいろいろ言っていただいて」
「ただ、それで音楽家になりたい、アーティストになりたいという思いには至らず、そのまま大学に進学したんですけれど、大学でクラブでR&Bを歌っている子がいて。一緒に歌おうということで少し歌い始めたら、やっぱりこれだ!っていうことで」
半崎さんのお父様は優しくて親子仲も良かったそうですが、半崎さんが上京してアーティストを目指すことを許してくれなかったとか。
「どうしても中退して出ていきたいって伝えても、毎晩泣いて懇願しても、許しは得られずに…」「どうしても父が首を縦に振ることがなかったので…」
「でも、意志がどうしても固かったので。お金はなかったので、とにかく住み込みであればどこでもいいと思って住み込みの仕事を探して。それでパン屋の住み込みを見つけて…」
「で、もう住み込みを決めて家を出る日、ホントに3月だったんですけど、雪深い日で。玄関の前で…あの…なんか泣けてきた…父が会社に行く時で、私がお父さん行ってくるから!って言ったら、もう顔も見ないで車に乗って出ていったんですよ。それが自分の中で凄くショッキングで…」
「だからしばらくは疎遠状態といいますか」「幸い、母は応援してくれてたんですよ。だから、たまに母を通して父の様子は聞いていたんですけれど…」
ちなみに、今ではお父様も半崎さんの音楽活動を応援してくれているそうです。
「私がCDを出した時は、北海道のラジオ局に手紙と一緒に、娘がCDを出しました、っていうふうに送ってくれたりするぐらい応援してくれてるんですけど、そうなるまでに8年ぐらいはかかりましたかね」
半崎さんが実家を飛び出す時に住み込みの仕事を見つけたパン屋さんは東京の駒込にあったそうです。
「東京に行きさえすれば、テレビにも出てライブもできるっていうふうに思ったんですね。単純に」「ホントに無知は凄いです」
そして、後に半崎さんの代名詞となるショッピングモールで歌い始めたのは上京後、何年かたってからだったとか。
「最初のきっかけは、たまたまレストランでピアノを弾いている子がいて。その子に声をかけて、ピアノを弾けるんですねって(笑)。明らかに不審なんですれども(笑)。で、私うたを歌ってるんですけど、ピアノを弾いてくれませんか?って(笑)。いきなり」
「きよみさんっていうんですけど…最初は、えっ?ってちょっと不審がってたんですけど、その後、私の連絡先を書いて伝えたら連絡を頂きまして。それからデモテープを作ってくださったり、一緒にライブで演奏してくれるようになるんですけど」
「そのきよみさんがショッピングモールの司会を土曜日だけやられてたんですよ」「そこで私自身はショッピングモールで歌う経験を初めてしてショッピングモールの活動に出会うので、きよみさんがホントに恩人というか」
メジャーデビューまでの17年間は事務所に所属せずに活動していたという半崎さん。ショッピングモールで歌うことに出会ってからは、ネットでショッピングモールを調べ、チラシと名刺を持って自分で売り込みに行くようになったそうです。
「1個1個、営業して…」「ただただ必死でした」
半崎さんは、上京してから20年間チャレンジし続けてきたモチベーションについてこう話してくれました。
「例えば、1つショッピングモールがやっと決まったっていう成功の陰に、もちろん何件も失敗というか歌わせてもらえない場所がありましたけれど、たいしたことではないじゃないですか。断られることも」
「自分の揺るぎない信念みたいなものはあるかもしれないですね」
「今考えると…なんですけど、諦めたり、やめたいと思ったことがまず1度もないんです。なぜか必ず私の歌が届くということを信じて疑わなかったというか」
「もちろん、デモテープを音楽関係の方に持っていった時とかも、歌はやめた方がいいとか向いてないとか言われたり…っていうのはあったんですけれども。たくさん(笑)」「責任感のない言葉はもう右から左でした。聞こえてこないんですよ」
「例えば、音楽的にぜんぜん流行りじゃないとか関係者の方に言われたとしても、お客様で感動したと涙してくれたり、歌に支えられたと言ってくれる方がいたので、その方たちの存在が大きかったですね」
今月3月11日にニューシングル「布石」をリリースした半崎さん。この曲に込めた思いをこう語ってくれました。
「この布石は作為的というか意図的なものではなく、自分が積み重ねてきたもの、日々の日常が、振り返ったら布石になっていた…っていうような結果。あとは今現在、例えば何かに取り組んでいて、こんなことやっていてなんになるんだろう?というようなものがあったとしても、それがきっと未来の布石になるっていう。今とか未来も肯定している歌ではあります」
↓こちらがそんな半崎さんのニューシングル「布石」。ジャケットに写っているのは漬物石です。
今からちょうど20年前の2000年3月に上京し、17年の下積みを経て2017年にメジャーデビューした半崎さん。下積み時代にショッピングモールで歌って注目を集めたことから“ショッピングモールの歌姫”という称号で知られています。
「36歳でデビューしたんですけど、苦節17年とか下積み17年というふうに凄く苦労人みたいな感じで言っていただいて。ただ、ホントに下積みという感覚が自分にまるでなくて、凄くこう…とってもいいタイミングだったなと思うんですよ、この17年でデビューできたということが」
「自分の中で凄く必要な17年だったという思いがあるので、ショッピングモールで歌っていたこととかすべて、無駄な日は1日もなかったなというふうに思えるんです」
北海道の実家で暮らしていた大学生の時に“突発的に音楽に目覚めた”という半崎さん。当時のご自身をこう振り返ってくれました。
「私はとっても飽きやすく、今は音楽をずっと一途に続けてますけれど、なんでもすぐに諦めてしまうようなホントに骨のない性格でしたね。だから、音楽をやりたいと言った時も、父の信用がなかったので…」
「それ(音楽に目覚めた理由)がホントにわからないんですけど…1つあるとすれば、高校の時に学園祭のステージで初めて人前で歌ったんですね。ドリカムの「すき」という曲を歌ったんですけど、その時に何かちょっと手応えみたいなものを感じたんですよ。歌った後にいろいろ言っていただいて」
「ただ、それで音楽家になりたい、アーティストになりたいという思いには至らず、そのまま大学に進学したんですけれど、大学でクラブでR&Bを歌っている子がいて。一緒に歌おうということで少し歌い始めたら、やっぱりこれだ!っていうことで」
半崎さんのお父様は優しくて親子仲も良かったそうですが、半崎さんが上京してアーティストを目指すことを許してくれなかったとか。
「どうしても中退して出ていきたいって伝えても、毎晩泣いて懇願しても、許しは得られずに…」「どうしても父が首を縦に振ることがなかったので…」
「でも、意志がどうしても固かったので。お金はなかったので、とにかく住み込みであればどこでもいいと思って住み込みの仕事を探して。それでパン屋の住み込みを見つけて…」
「で、もう住み込みを決めて家を出る日、ホントに3月だったんですけど、雪深い日で。玄関の前で…あの…なんか泣けてきた…父が会社に行く時で、私がお父さん行ってくるから!って言ったら、もう顔も見ないで車に乗って出ていったんですよ。それが自分の中で凄くショッキングで…」
「だからしばらくは疎遠状態といいますか」「幸い、母は応援してくれてたんですよ。だから、たまに母を通して父の様子は聞いていたんですけれど…」
ちなみに、今ではお父様も半崎さんの音楽活動を応援してくれているそうです。
「私がCDを出した時は、北海道のラジオ局に手紙と一緒に、娘がCDを出しました、っていうふうに送ってくれたりするぐらい応援してくれてるんですけど、そうなるまでに8年ぐらいはかかりましたかね」
半崎さんが実家を飛び出す時に住み込みの仕事を見つけたパン屋さんは東京の駒込にあったそうです。
「東京に行きさえすれば、テレビにも出てライブもできるっていうふうに思ったんですね。単純に」「ホントに無知は凄いです」
そして、後に半崎さんの代名詞となるショッピングモールで歌い始めたのは上京後、何年かたってからだったとか。
「最初のきっかけは、たまたまレストランでピアノを弾いている子がいて。その子に声をかけて、ピアノを弾けるんですねって(笑)。明らかに不審なんですれども(笑)。で、私うたを歌ってるんですけど、ピアノを弾いてくれませんか?って(笑)。いきなり」
「きよみさんっていうんですけど…最初は、えっ?ってちょっと不審がってたんですけど、その後、私の連絡先を書いて伝えたら連絡を頂きまして。それからデモテープを作ってくださったり、一緒にライブで演奏してくれるようになるんですけど」
「そのきよみさんがショッピングモールの司会を土曜日だけやられてたんですよ」「そこで私自身はショッピングモールで歌う経験を初めてしてショッピングモールの活動に出会うので、きよみさんがホントに恩人というか」
メジャーデビューまでの17年間は事務所に所属せずに活動していたという半崎さん。ショッピングモールで歌うことに出会ってからは、ネットでショッピングモールを調べ、チラシと名刺を持って自分で売り込みに行くようになったそうです。
「1個1個、営業して…」「ただただ必死でした」
半崎さんは、上京してから20年間チャレンジし続けてきたモチベーションについてこう話してくれました。
「例えば、1つショッピングモールがやっと決まったっていう成功の陰に、もちろん何件も失敗というか歌わせてもらえない場所がありましたけれど、たいしたことではないじゃないですか。断られることも」
「自分の揺るぎない信念みたいなものはあるかもしれないですね」
「今考えると…なんですけど、諦めたり、やめたいと思ったことがまず1度もないんです。なぜか必ず私の歌が届くということを信じて疑わなかったというか」
「もちろん、デモテープを音楽関係の方に持っていった時とかも、歌はやめた方がいいとか向いてないとか言われたり…っていうのはあったんですけれども。たくさん(笑)」「責任感のない言葉はもう右から左でした。聞こえてこないんですよ」
「例えば、音楽的にぜんぜん流行りじゃないとか関係者の方に言われたとしても、お客様で感動したと涙してくれたり、歌に支えられたと言ってくれる方がいたので、その方たちの存在が大きかったですね」
今月3月11日にニューシングル「布石」をリリースした半崎さん。この曲に込めた思いをこう語ってくれました。
「この布石は作為的というか意図的なものではなく、自分が積み重ねてきたもの、日々の日常が、振り返ったら布石になっていた…っていうような結果。あとは今現在、例えば何かに取り組んでいて、こんなことやっていてなんになるんだろう?というようなものがあったとしても、それがきっと未来の布石になるっていう。今とか未来も肯定している歌ではあります」
↓こちらがそんな半崎さんのニューシングル「布石」。ジャケットに写っているのは漬物石です。