常盤貴子さんが女優になったきっかけを語る(2020/04/04 放送)
今週は、常盤貴子さんをお迎えしました。
大林宣彦 監督の最新映画『海辺の映画館―キネマの玉手箱』に出演している常磐さん。今回の作品は、広島県・尾道の小さな映画館に“日本の戦争映画大特集”を観にいった3人の若者が突然、スクリーンの世界にタイムリープしてしまう…というお話で、常盤さんは原爆投下時の広島に滞在していた移動劇団『桜隊』の看板女優を演じています。
大林宣彦 監督の最新映画『海辺の映画館―キネマの玉手箱』に出演している常磐さん。今回の作品は、広島県・尾道の小さな映画館に“日本の戦争映画大特集”を観にいった3人の若者が突然、スクリーンの世界にタイムリープしてしまう…というお話で、常盤さんは原爆投下時の広島に滞在していた移動劇団『桜隊』の看板女優を演じています。
今回も大林監督らしい独特の世界観を持った作品ですが、大林作品への出演が3作目となる常盤さんはこうおっしゃっていました。
「大林監督の映画に出ている俳優もスタッフもみんな、どうして?って思わない癖がついてるので(笑)。だから監督のアートの一部になりやすい人たちが最終的に残ってるのかな、っていう気はしますね」
大林監督は事前に役についての説明はあまりなく、比較的に自由に演技させてくれるタイプなんだそうです。
「最初の衣装合わせとか、そういう時にちょっとずつヒントはくれるんですね。でも監督も、監督の映画がどういうふうに出来上がっていくかが楽しみでしょうがない…それは自分が決めた通りにすべてが形になっていくっていうよりも、その時その時に起こったことを繋ぎ合わせていって、あ、こんな映画になったんだね、面白いね、って言いたいみたいなんですね、どうも」
「だから、それぞれの俳優さんたちがなぜそこでそうやったのかはわからないけれども、それを採用してみようじゃないか、ってやってくださるタイプなんですよね。で、あまりにもズレてると、ここはこういう気持ちだからと。例えば、戦争のことについて知らない世代の人には、こういう世の中だからこういう言い方をしてくれ…にはなるんですけど、それ以外はわりと自由にやらせてくださいますね」
常盤さんが芸能活動を始めたのはまだ学生の頃だったそうですが、最初から女優を目指していたわけではなかったとか。
「ちょっとバイト感覚っていったら言い方が悪いんですけど、最初はそういう感じだったんですよね(笑)」
「読者モデル的な感じでもいいやぁ、みたいな。雑誌とかでちょっとビューティーページとかをやらせていただく、そのギャラの方が私にとっては魅力的だったのに、マネージャーさんがとてもいい方で、この子は女優に!って言って」
「女優の仕事って1日仕事なのに1行しか喋らない、ギャラも凄い安いんですよ。それに連れて行かれたりとかして。いやいやいや、私モデル業の方がありがたいんですけど…みたいな(笑)。まだそのころ学生だったので」
「何やって生きていくんだろう?とも考えてない。なんか、イェーイ!みたいな感じで(笑)適当に生きてた」
「それが、短大卒業と同時に、就職をするのかこの世界でやっていくのか、の選択を迫られて。その時も事務所の社長が、3年後でも就職はできるから、とりあえずこの業界に就職みたいなことをしてみたらどうだ?って。スターダスト(事務所)に就職と考えて、スターダストでお給料を払ってあげるからって」
当初、常盤さんにとっての女優業は、人が敷いたレールの上に乗ってみるというチャレンジだったようです。
「演技をやってみようか、って思ったことは一度もなくて、マネージャーさんがこの人は演技で!って導いてくれちゃって。いやいやいや、そっちはなんかめんどくさい!って。でも、マネージャーさんという存在があまりにも大きくて…というか怖いじゃないですか(笑)。やっぱり、19とかハタチぐらいの人間にとっては。だから楯突くこともできずに、ああああ…っていう感じで着いていって」
「一番めんどくさそうで一番むずかしそうだからホントは選びたくないと思っていたところなんだけど…故に知ってみたくなってしまった、っていう。自分の中では想像がつかない世界だったので」
「演技をやってみようか、って思ったことは一度もなくて、マネージャーさんがこの人は演技で!って導いてくれちゃって。いやいやいや、そっちはなんかめんどくさい!って。でも、マネージャーさんという存在があまりにも大きくて…というか怖いじゃないですか(笑)。やっぱり、19とかハタチぐらいの人間にとっては。だから楯突くこともできずに、ああああ…っていう感じで着いていって」
「一番めんどくさそうで一番むずかしそうだからホントは選びたくないと思っていたところなんだけど…故に知ってみたくなってしまった、っていう。自分の中では想像がつかない世界だったので」
その後、95年の『愛していると言ってくれ』など、数々のヒットドラマに出演した常盤さん。1999年には『もういちど逢いたくて -星月童話』という香港映画で映画初主演を果たしますが、その時のことをこう振り返ってくれました。
「いかんせん初めての映画だったので、そもそもが映画だからなのか、香港だからなのか、っていうのが私にはわからなかったんですけど、とにかく何だこれ!?っていう世界であったことはたしかで(笑)」
「だって、みんなずっと喋ってるんですね、ギリッギリまで。香港人ってすっごい楽しいことが大好きだから。で、声も大きいし。ずっと喋ってて、ドンッ!って背中押されて前見たら、もう本番が始まってるとか…本番なの?!みたいな」
「よーいスタート!の声でみんな静かになるっていう、その瞬間がわからないっていう。で、そこでどうできるか、どうパフォーマンスできるのかを試される感じ。で、そこでやらなきゃいけない、やる楽しさみたいなものが身についてきたのかもしれないです」
また、常盤さんは舞台への挑戦についてこう話してくれました。
「舞台も途中からなんですけど挑戦して。ずっとテレビでスクリーンがあったのでそれに守られていたのが、舞台に挑戦するっていうのはそうとう怖いことだったんですけど。ご一緒する俳優さんたちが、舞台の方が増えてきて。それで、これはもうやらないとダメだって思って」
「で、挑戦してみたら、なるほど…って。これは、苦手だけどやっていかなきゃいけないものなんだなぁって。やっぱり学ぶことが多いですね」
ちなみに、常盤さんは挑戦すること自体は大好きなんだそうです。
「チャレンジは大好きです。チャレンジしなくていいことまでチャレンジしていく。わざと。よくわからない方向に。なぜそっちへ行くっ!?っていう(笑)」
チャレンジと言えば、常盤さんは芸能界に入ってから友達と一緒にアメリカのシアトルで暮らしたこともあったとか。
「高校の時、休み時間に友達と、いつか大人になったらアメリカで住んでみたいね!なんて話をしてて。そのことをずっと忘れてたんですけど、働き始めてから、友達と話してる時にそのことを思い出して」「で、高校の時そういえばそんな話してたね、その夢実現してみようよ!って言って、やってみたんですよね」
「それが、ちょうど仕事が上手く軌道に乗り始めて、これからやっていかなきゃいけない、っていう時期だったんですけど、そこは事務所の社長が素晴らしい答えをくださって。海外に行くと学ぶことがたくさんあって、それを身に着けてくるから悪いことが絶対にないって言って。コマーシャルとかドラマとかのスケジュールを全部調整してくださって。3ヶ月間行かしてくださって…」
「楽しかったぁ!」
常盤さんはご自身の生き方についてこんなことをおっしゃっていました。
「毎年12月の終わりの方になった時に、なんでこんな年になっちゃったんだろう?っていうのが幸せです(笑)。こんな年になるとは思ってもみなかったねぇ…って。それが最高ですね。私にとっての幸せ」
「だから、来年の目標は…って言ってもいいんだけど、目標通りに絶対いかないで欲しいっていう。そういうものとドンドン出会える日々だったら幸せだなぁって」
※今回の番組は事前に収録したもので、番組内で紹介した映画『海辺の映画館ーキネマの玉手箱』は、新型コロナウィルス感染拡大状況ならびに新型コロナウィルス感染症対策本部において示された方針等に鑑み、公開延期となりました。詳しくは下記公式サイトをご覧ください。
https://umibenoeigakan.jp/info/archives/86 来週も引き続き、常盤貴子さんをお迎えします!