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スウェーデン出身の村雨辰剛さんが日本で庭師になったわけ  (2020/05/02 放送)

今週は、庭師でタレントの村雨 辰剛(むらさめ たつまさ)さんにお話を伺いました。

NHKの『みんなで筋肉体操』にも出演している村雨さんは、1988年7月25日生まれの現在31歳。北欧のスウェーデン出身で、26歳の時に日本に帰化して村雨辰剛という名前にしたそうです。

「(見た目と名前との)ギャップがありますよね」「日本が大好きということで、ちょっと古風なんですけどいかにも日本人らしい名前にしようと思って」

ちなみに、改名するまではヤコブ・セバスティアン・ビョークさんという名前だったとか。

「よくこっちの方が似合ってるじゃん!とか言われるんですけど(笑)僕は改名できて良かったと思ってるんです」


村雨さんは、日本に興味を持ったきっかけについてこう話してくれました。

「当時の自分は田舎育ちなんですね。孤立したような環境で、早く外に出たくて、世界を見たくて。違う国に住んでみれば、“不慣れの環境”に自分がいることで刺激になるだろうし、それでもっと人間として成長できるんじゃないかなと思って」

「日本がいいなと思ったのは、中学生、高校生の時に、世界史で日本の歴史を勉強する機会があって、ホントにハマっちゃったんです。日本史の中の戦国時代だったり」

「やっぱり日本って、島でちょっと孤立された環境で独特の文化が育ったと思うので、そんな国に行ってみたい、住んでみたいっていう気持ちがどんどん募っていきましたね」

「今でも大河ドラマを見たり、時代劇を見たりするのが大好きです。『麒麟がくる』も見てますね」

「ヨーロッパはある程度、歴史と独特の文化があって。でも陸続きで似たような感じがしますよ。でもアジアに行くと、それぞれの国がけっこう文化を持ってるんじゃないかなというイメージがあって。その中で特に日本が特徴的じゃないかなと思って」

「とにかくスウェーデンから一番離れた国じゃないかなって思うぐらい距離があって、人の考え方も価値観も感性とかも完全に違うんじゃないかなと思って。それをまず知りたいなぁっていう」


実際に日本に行ってみたい、日本を直で体験したいという気持ちが強かったという村雨さん。初めて来日したのは16歳の時だったとか。

「ホームステイみたいな感じでご招待頂いて…とある家族のお家にお邪魔しに。神奈川の横浜です」

「行ってみてそこから始まったって感じですね。ホントに知らないものだらけで。家を出れば神社があったり、お寺があったり、スウェーデンで見たことないような光景がたくさんあったから、刺激だらけで良い思いしかしなかったですね。完璧でした。求めていたものそのままだったんで」

村雨さんは初めて日本に来た段階ですでに日本語の勉強もしていたそうです。

「日常会話がギリギリ成り立つぐらいのレベルで…それまでにけっこう勉強してたんですよ。当時高校生でして。毎日、日本辞書を持ち歩きながら…友達からのあだ名が“日本人”だったんですよ」

「田舎育ちで周りに日本人がまったくいなかったので、ネット越しでチャットしてたぐらいのイメージしかなかったんですけど、みなさん親切で凄く良くして頂いて。けっこうチャット越しでも日本語を教えてくれたりとか」

「当時はまだわからなかったんですけど、やっぱり“おもてなし”。日本に興味を持ってくれてありがとうございます、その気持ちを返しますっていう。感謝されてる感じが凄くあって、その気持ちが凄い伝わりましたね」


村雨さんはご自身についてこんなことをおっしゃっていました。

「自分が好きになってハマったら、とにかく追求して、もう夢中になっちゃうんで。たぶんその気持ちに日本人のみなさんも答えてくれたのかなと思います」

「自分がいた環境の考え方とか価値観もいいかもしれないですけど、新しいもの、刺激が欲しくて。それでどんどん新しい人間と出会いたかったんですよね。僕はよく“不慣れの環境”って言うんですけど、不慣れの環境にいることこそが成長に繋がるんじゃないかなと思うんですよね」


村雨さんが再び来日したのは19歳の時でした。

「僕は1回、16歳で日本を経験して…物足りない、今度は住んでみたいっていう気持ちで、その準備が整ってから19で日本に移住しました」

「実は僕、16の時から伝統分野と関わって将来仕事をしたいなと思ってたんですよ。お坊さんになれるのかな?とか、そういうところにやたらと目がいってたんですね。庭になったのは、当時19歳で引っ越してきて、とりあえず生活のための仕事をしてて…」

ちなみに、村雨さんが当時住んでいたのは愛知県だったとか。

「やっぱり戦国時代の中心じゃないですか。休みになればあっちこっち行って、お城を見に行ったりとか。犬山城が近くにあったり、桶狭間の古戦場があったりとか。ロマンを感じながらそういう場所に行ったりしてたんで、凄く良かったです」

そして、村雨さんが造園業に飛び込んだのは23歳の時だったそうです。

「一生やっていくライフワークみたいなものを見つけたいなと思った時に、まだ若いから弟子入りしようと思って。弟子入りすれば技術もつくし、仕事をしながらその道に進んでいけるのかなと思って」

「日本の美学と関わって仕事をする…他に何があるかな?と思ってとりあえずバイトの求人誌を開いてみたら、自分が住んでる近くの造園屋が募集してたので、造園ってなんだろう?ってところから始まったんですよね」

「そこからいろいろぶつかった壁はあったんですけど、天職との出会いですかね」


庭師の仕事は体力的にも大変で、1日目に熱中症で倒れたりもしたという村雨さん。そんな中、親方と兄弟子は厳しいながらも村雨さんに良くしてくれたそうです。

「特別な関係ですよね。ただ上司と従業員という感じじゃなくて、親方ってちょっと家族に近いような形…自分の生活とかいろいろ日本でわからないものとか、親方に相談したり。ホントに自分のお父さんに聞いてるみたいな感じで、いろいろ教えてもらって。僕も日本人として成長できたかなと思います」

村雨さんは庭師という仕事についてこんなこともおっしゃっていました。

「自分で言うのもあれですけど、楽な仕事ではないと思いますよ。たぶん興味がなかったらできないと思います。普通は」

「日本“ならでは”のものが詰まってるのが日本の伝統文化じゃないですか。何をもって美しいというのか、これを庭の世界では勉強できる…静寂な空間といいますか、精神的な面でも奥深い美しさだと僕は思うんですよね」

「仕事を始めた最初の頃から、その好奇心と言うんですかね。もっと知りたい、もっと追求したいという気持ちが今でもやっぱり消えないから…」

「(庭師の仕事には)終わりがないんですよ。そこもいいなと思ったんですよね。これはたぶん一生磨き続けても自分では一人前とはなかなか言えないんですよね。どんなに磨いていってもまだわからないところが出てくるんで…」

来週も引き続き、村雨 辰剛さんをお迎えします!
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