小日向文世さんが俳優になるまでの紆余曲折を語る(2017/01/21 放送)
今週は、俳優の小日向 文世(こひなた ふみよ)さんをお迎えしました。
北海道三笠市出身の小日向さんは、1954年1月23日生まれのもうすぐ63才。絵が好きで、学生時代は放課後の部室で油絵を描いていたそう。高校卒業後は東京の御茶ノ水にあるグラフィック・デザインの専門学校に進学しますが、スキーで左手を骨折。医療ミスがあってなかなか良くならず、入院を繰り返して8度も手術することになってしまったとか。
北海道三笠市出身の小日向さんは、1954年1月23日生まれのもうすぐ63才。絵が好きで、学生時代は放課後の部室で油絵を描いていたそう。高校卒業後は東京の御茶ノ水にあるグラフィック・デザインの専門学校に進学しますが、スキーで左手を骨折。医療ミスがあってなかなか良くならず、入院を繰り返して8度も手術することになってしまったとか。
「結局、2年間棒に振ったんです。それがハタチの時ですね。全部終わったのが。さぁ、ハタチからどうするか。だけど、もうデザイン学校に戻るよりもこんな痛い思いしたから好きなことを自分にやらしてあげようと思って。で、自分何がやりたいのかなと思ったら、カメラマンがカッコイイなと思って」「最初の病院が手術のミスを認めて、それまでの手術費が全額出たんですよ。それで僕はカメラを全部買って、入学費も全部払って、写真学校に入ったんです」
写真学校に2年間通った小日向さんはプロのカメラマンの助手も経験。俳優を目指した理由についてはこんなふうに話してくれました。
「でもね、やってるうちに、良い写真を撮っても人の目についた時にこれ誰が撮ったんだろう?って思わないのが悔しかったんですよ。写真を撮った人は俺だぞ!って言いたかった。で、それにはもう被写体になるしかないって思ったんですよ」
「卒業式の日にみんなは就職決定してたんですけど、俺何したいんだろう?って自分に正直に問い詰めたんですよ。もし神さまがなんでもやらしてやる、って言ったら何やりたい?って。そしたら俳優って出たんですよ(笑)」
そこで中村雅俊さんと松田優作さんがいた文学座の試験を受けた小日向さんですが、30人の定員に6千人ほどの志願者がいたそうで、あっさりと一次試験で不合格。その翌年に『オンシアター自由劇場』に入団しますが、それまではなんと中村雅俊さんの付き人をやっていたとか。
「バイト先の社員の方に、俺、中村雅俊さんのコンサートの企画してる社長の知り合いなんだけど、スタッフ探してるんだけどやる?って言われたんですよ。えっ、中村さんって文学座ですよね。来年コネで文学座に入れるかもしれない…やります!って言って、中村雅俊さんのコンサートのスタッフに入ったんです。コンサートでドライアイスとシャボン玉を出す係なんですよ。あとはリハーサルの時に機材を運んで運転したりとか」
「それで翌年、中村さんが“でもお前さ、役者目指すんだったら俺の付き人やってないで、どっか受けた方がいいぞ”って言うから、わかってます、自由劇場ってのを受けます、って言ったら知ってましたね。ああ、あそこな。お前にはムリかもしんねえぞ、って言ったんですよ。だけど、試験受けに行って受かって、すぐ中村さんに電話ですよ。受かりました!って。喜んでくれましたね」
その時の小向さんは23才。「上京する時にまさか自分がそういうふうに行くとは思ってないですから、ホント人生わかんないですよね」とおっしゃっていました。
小日向さんは、2月11日から公開となる映画『サバイバルファミリー』に主演。ある日、とつぜん電気がなくなってしまった社会で家族とともに慌てふためく父親の姿をコミカルに演じています。「これね、家族に観てもらいたいんですよ」という小日向さんは、奥さんを演じる深津絵里さんについてはこんなことをおしゃっていました。
「女房役に深津さんは嬉しかったですねぇ。深津さんと共演なんて。こんな夫婦役なんかできないと思ってましたから。で、深津さんどんどん汚れていくでしょ。メイクも汚して、主婦だからそんな派手目の衣装じゃないのにそれを汚し、エキストラの中に入ると目立たないんですよ、全然。それが愛おしくなるんですよ。いやぁ、良かったですよ」
「電気がなくなることによって水も止まっちゃう。それから電気系統、車もまったく動かなくなる。飛行機も飛ばなくなる。とにかく都会にいたら物なくなりますから、あっという間に。やっぱり人間って生きようとする本能がありますから。空腹になり、喉が渇き、なんとかして飲もうとするし、なんとかして何か食い物を…そこで豚を追っかけるわけですよ(笑)」
小日向さんにこれまでの挑戦について伺うと、こんなエピソードを話してくれました。
「劇団の頃に、演出家の串田和美さんがいろんな表現を探していこうという中で、劇団の中で『ペリカン党』っていう黄色い燕尾服を着た集団を作ろうって言ったんですね。で、その集団っていうのは音楽やったり、コントをやったり、いろんなことをする集団だった。その中で、テーマとしては道化=アホっていう。アホ劇っていうね。まぁ道化なんだけど、それを表現として探していこうっていう集団にしたんですね」
そこで小日向さんが生み出したのが、テルオくんというキャラクターだったそう。
「ちょっと面白い少年で、いつもちょっとオシッコが漏れてて、背中に腹話術の人形を背負ってて。それで、ペリカンという集団に勝手についてきて、出るなって言うのに勝手に舞台に出てきて腹話術を始めるんだけど、全然腹話術ができない、っていう面白い少年をその日の夜に考えたんです」
そして、小日向さんは翌日、テルオくんをみんなの前で披露。見事に大受けして採用されることになります。
「(今日からお客の前でそれをやれと言われた時は)時間よ止まれ、と思いましたよ。もうね、ホントに幸せだった。僕の役者人生の中でそれが一番大きな転機になってますね。それから表現っていうものがうわぁっと広がったような気がします。自信にもなりましたね」
映画『サバイバルファミリー』は2月11日公開
来週も引き続き、小日向文世さんをお迎えしておおくりします。お楽しみに!