木村拓哉 Flow supported by Spotify - TOKYO FM 80.0MHz - 木村拓哉

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2022年02月13日Flow 第百八十五回目「拓哉キャプテン × 山下達郎」Part3

2月のマンスリーゲストは、僕のセカンドアルバム『Next Destination』に楽曲を提供してくださいました、山下達郎さん。
達郎さんとのトーク、今週は更にディープにお届けします。最後までお付き合い、よろしくお願いします。


木村:この番組では、ゲストに来てくださった方が人生をどうFlowしてきたのかを一緒にお話しさせていただく番組なのですが、達郎さんの人生のFlowの仕方っていうのは、子供の頃とかどんな感じだったんですか?

山下:(笑)。ガリ勉の優等生でした。

木村:ガリ勉の優等生? それは学校の勉強?

山下:学校の勉強。

木村:じゃあ、音楽っていうのは? いつタッチしてたんですか?

山下:小学校6年生の時、鼓笛隊のメンバーをオーディションした時に、先生が黒板に譜面を書いて、「これ(譜面)を小太鼓で叩け」って言って、男の子で叩けたのが僕1人だったんで、「貴方は鼓笛隊をやりなさい」って言われて、女の子9人に男の子1人という鼓笛隊に入れられて。それで僕、小学校6年の時に生まれて初めてドラムを習って。
人生の最大のターニングポイントだったのは、中学校1年の時ね。クラブ活動を決めなきゃならない。

木村:部活。

山下:小学校を卒業した時点では、どっちかというと理系に行きたかったんで、科学部とか天文学とかそういうのやりたかったんです。でも“小太鼓、いいなぁ”と思って、ブラスバンドにしようか科学部にしようか迷って、最初は「科学部」って書いたんですね。
学校って、席が一番後ろに座ってる人が紙とか答案用紙とかを集めるじゃないですか。それで、僕は一番後ろだったんで集めてたら、前に2人、「ブラスバンド」って書いてあって、自分の席に戻って「科学部」を消して「ブラバン」って書いたの。

木村:それ、人のやつを見て(笑)。

山下:そうそう。軟弱で(笑)。でも迷ってたから、“こんなにいるんだったら、ブラバン良いかな”と思って。授業が終わってホームルーム終わって音楽室に行ったら、僕のクラスで僕の他にブラバン、その2人だけだったんですよ。これが人生。あの時、科学部って書いてたら120%ミュージシャンになってない。

木村:今、ここにもいないですよね。

山下:いない、いない。それだけは確か(笑)。

木村:“他にも2人もいるじゃん、ブラバン!”ってなって、自分も(最初に書いた科学部)を速攻消して「ブラバン」って書いて、提出したことによって、音楽の扉がパカッと開いた感じですか。

山下:そこからパーカッションにのめり込んで。

木村:へぇ~。最初はリズムだったんですか?

山下:僕、ドラマーです。中高ずっとブラバンでドラムやってましたから、アマチュアバンドでドラマーだったんです。で、ドラムでリードボーカルじゃカッコ悪いから、シュガー・ベイブっていうバンドを作る時に、ギターを見よう見まねで弾いてたんで、ギターに変わりましたけど。リードギターなんて弾けないから、だったらカッティングだったら何とかなるかなって、それでカッティングになったんです(笑)。

木村:そうなんですか!

山下:ドラムをやってたおかげでパーカッションとか全部自分でできるんで、売れない時は低予算のレコーディングだから、スタジオミュージシャンを雇わなくてもパーカッションは自分でできるから、それで予算が浮くじゃないですか(笑)。

木村:浮くっていうか(笑)。ご自身でパーカッションができてたんだ。

山下:そうです。パーカッションやってたのは、編曲にはものすごく役立つの。

木村:今、ちらっと言葉上でも出ましたけど、1975年にシュガー・ベイブとして「DOWN TOWN」というシングル、アルバム『SONGS』でデビューされて、翌年76年にソロデビュー。

山下:シュガー・ベイブを2年半程やって、解散してソロになりました。

木村:1980年発表の、それこそ「RIDE ON TIME」が大ヒットして。

山下:それまではホント売れない(笑)。売れないシンガーソングライター(笑)。普通、4年アレしたら(売れなかったら)お払い箱ですけどね。大体2~3年で売れなかったら契約切られるんだけど、ディレクターが頑張ってくれて。だからブレイクしたのが27歳ですから、かなり遅いんですよ。良い言い方じゃないけど、わりと遅咲き。

木村:そうだったんだ。

山下:そうです(笑)。

木村:それこそ、シュガー・ベイブだったりとかソロになったりとかの間、日常における音楽っていうのは、達郎さんにはどういう存在だったんですか?

山下:中学を出ていわゆる進学校に入ったんですけど、自分の行きたい高校じゃなかったところで、わりとアウェイだったの。自分がね。その時は「70年代安保」って言って学生運動の時代で、高校1年生の時代からバンドにドラムに明け暮れて、勉強はどんどん(成績が)落ちていくし。それでまぁ、高校2年、3年の時は学校にあんまり行かなくて。要するに、完全なドロップアウトですね。

木村:ええっ!? ドロップアウトしたんですね。

山下:だから、音楽しかやることがなかったんですよ。高校を出て大学に行きましたけど、すぐ辞めてバンドになりました。

木村:じゃあ、達郎さんの栄養になっていた音楽って?

山下:最初はね、ザ・ベンチャーズです。

木村:ベンチャーズ?

山下:メル・テイラーってドラマーがいて、僕はドラムなんで、その人のコピーを一生懸命やってて。これも運命の分かれ道なんだけど、ブラスバンドで、パーカッションの前(の位置にいるのが)がトロンボーンなんですよ。そのトロンボーンを吹いてたヤツが、僕の50年来の親友で、コイツが僕のポップスの先生なんですよ。ビーチ・ボーイズから何から、そいつが全部教えてくれたの。僕にね。

木村:へぇ~!

山下:そいつとアマチュアバンドをやってて。そいつは高校入ったらバンドを辞めて医大受験して、今医者やってますけど。そいつの影響で、アメリカントップ40(とかを聴いていた)。でも、ベスト10は聴かないの(笑)。20位とか30位とかマイナーな曲しか聴かないの。要するにマニア、オタク(笑)。そいつは先物買いの天才で、「これからコレ流行るよ」って言ったら、本当に流行る。邦楽は一切聴かない。全部洋楽。僕らはね、だから友達いないの(笑)。

木村:それを聴き込んで、自分の栄養にどんどん吸収してって。

山下:そうですね。「FEN(Far East Network)」って、米軍放送があるでしょ? (カセット)テープで録って、あればっかり聴いた。
ある日、オールディーズの番組があって、そこでかかったのがドゥーワップで、それがまた人生を変えて(笑)。自分が生まれた年位の音楽なわけだけど、“なんだコレは!”ってなった。
コーラスが好きだったから没入していって、その友達とコーラス主体のグループを作って、ビーチ・ボーイズとかのカバーとか、そういうやつをやってたんだけど、その時代はいわゆるハードロックの始まりで、ジミヘン(ジミ・ヘンドリックス)、バニラファッジ、クリーム…アマチュアバンドはみんなそういうのをやってて。僕らはビーチ・ボーイズとかイギリスのコーラスグループバンドのザ・トレメローズとか、誰も知らないやつをやってて(笑)。「なんでお前らそんなつまんねぇ音楽やってんだ?」って言われてね。「あんな一般的なことやれるか!」って言ってね(笑)。カルトですよ、カルト(笑)。

木村:すごいっすね。意地じゃなくて、胸の張り合い。自分らがやってることが“カッコいい”って思えてる人たちって、胸の張り合いをしてて良いですね。
今回、3曲ドドドっと書いてくださったわけなんですけど、その前には嵐だったり、NEWSだったり、少年隊だったり、KinKi Kidsだったり。

山下:そんなにたくさんはジャニーズには書いてないですね。NEWSは、それ用に書き下ろした曲ではないから。ストックで山P(山下智久)が気に入ってくれて。で、「使わせてくれ」って。

木村:時代の流行りもあるかもしれないけど、達郎さんに求められるもので、若干、時代のニーズだったりとかあります?

山下:あります。このリストは、ほとんどオファーというか、「書いてくれ」って頼まれたんです。木村君の今回のやつは僕が「書かせてくれ」って持っていったんで、そこはすごく違います。

木村:やばい、俺も胸の張り合い(笑)。

山下:あと、今回は別にシングルがとかそういうのじゃないから、制作意図が全く違うんで。それは、だから“木村拓哉のオーラ”ですよ。

木村:いやいや、やめてください。もう張れない位、胸が前に出ていきそうなんで(笑)。
結局、音楽活動自体は50年?

山下:75年デビューですからね。バンド作ったのが20歳の時ですから、音楽活動自体は50年ですね。
本当は、ミュージシャンでそんなに続けられると思ってなかったんですよ。さっき言ったみたいに、オタクなんで(笑)、歌謡曲なんてほとんど聴かないし、日本の音楽はほとんど知らないんですよ。結局、“自分は洋楽に対して造詣がある”って自信があったでしょ。そういう連中とバンド組んで「自信作だー!」ってバーッと出たら、物が飛んで来るみたいな(笑)。
日比谷の野音とかでイベントがあるじゃないですか。必ず野次られる。「もっとどんどんやれー!」とか「踊れねぇぞ!」とかね。僕の音楽ってリズムチェンジが激しいでしょ。昔の夏フェスなんかでも、(演奏は)必ずトップ。(トップだと)野次られても、客がクールだから。(出番が)後ろの方とかトリ前だと、物が飛んで来る。ホントに。そういう時代だったの。ロックって、「ノれるか、踊れるか!」みたいな。そういう時に内生的な音楽をやると「踊れねぇぞ!」って。
僕のライブって1曲目から総立ちにならないでしょ。だから、僕は「1曲目から総立ちになったら、その日で辞める」ってお客に言ってるの。

木村:そうなんですか!

山下:だって、何にも聴いてないのに、何で「ワー!」って1曲目からなれるの?

木村:ヤバい。

山下:これは僕の考え方なんで、武道館でいきなり「ワー!」ってなる人がいたって、それはそれで良いの。だけど「僕の(ライブ)は違う」って言うの。変わってるんです。自分で言うのも変ですけど、僕、変人なんです(笑)。

木村:このTOKYO FMで、ご自身のラジオ(『山下達郎サンデー・ソングブック』毎週日曜日:14:00~14:55)も、1500回を超えている。

山下:今年の10月で(番組は)30年周年になります。

木村:これは前から聞きたかったんですけど、そのラジオ番組でかける音楽。CDだったりレコードだったり、商品としてソフト化されている音源を、ご自身のラジオで流す用の音源として、もう一度達郎さんがマスタリングしてるっていうのは本当ですか?

山下:全部(マスタリングは)してますよ(笑)。これ、番組用のUSBなんですけど、ここに15年分のデータが入ってます。家でマスタリングして、48Kの16ビットでリマスタリングしたデータです。

木村:何で、ラジオで流す用の音源は…。

山下:僕の番組は、古い曲をかける番組なんですよ。50年代、60年代、70年代。下手すると30年代。で、最初は土曜日(『山下達郎のサタデー・ソングブック』)だったんですけど、『サンデー・ソングブック』って、日曜日の14時からやってる番組を92年から始めて。それまでね、ラジオ番組って3年くらいしか続かないっていうジンクスがあって、その時もレギュラー(番組を)始めたんですけど、80年代にレギュラーを持ってた時は、新譜をかけたんですよ、普通に。そうすると、毎週ビルボードのチャートを追わなきゃなんない。それ、けっこう辛いんですよ。買って、聴いて。
オールディーズだったら自分の知識で完全にできるんで、それだったら長続きできるかなって思ったんです。古い曲をかけて、それこそ50年代のエディ・コクランとかバディ・ホリーとかチャック・ベリーとかをかけようと思って、(番組を)始めました。
その時に、僕の前の番組が『木村拓哉のWhat's UP SMAP!』、その後の番組がドリカム(DREAMS COME TRUE)の番組。ドリカムと木村君に挟まれて、そこでエディ・コクランとかかけたら、ショボくて聴けないんですよ。音が古いから。
それで、DATにリマスタリングして、リミッター入れてEQかけて、きちっとラジオで音圧取れるようにリマスタリングして持って来たのが、最初なんだ。そういうことをやって、音圧が稼げて、前後の番組に負けない、と。

木村:完全に、もう、車の修理工場の工場長ですよね(笑)。

山下:だから、古い車でも、今のやつに馬力、音、スピードは負けない。BBCにそういうような番組あるじゃないですか(笑)。

木村:(車を)リメイクする。

山下:そういう感じ。

木村:だからUSBを持ってるんですね。

山下:でも、自分のやってるような、普通の音楽のマスタリングに生かせるようになってきたから。リマスタリングも30年近く自分で独学でやって、だんだん知識が身についてきて。だから無駄なもんはないんですよ、世の中に。

M1.Groovin’ [ARTISAN -30th Anniversary Edition-]/山下達郎

(後TM:MOJO DRIVE/木村拓哉)

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