JFN38局結んでお送りする『いのちの森 voice of forest』。
この番組は、「森の長城プロジェクト」をはじめ、
全国に広がる植林活動や、自然保護の取り組みにスポットを当てる
プログラムです。各分野の「森の賢人」たちの声に耳を傾け、
森と共存する生き方を考えていきます。

先週、番組では、森の長城プロジェクトも参加した、宮城県岩沼市の
『千年希望の丘 植樹祭』のレポートをお届けしましたが、
今朝は、この森作りに賛同して、ゲスト出演した歌手の倉木麻衣さんと、
森の長城プロジェクト 理事長の細川護煕さんの対談の模様をお届けします。

6月9日(日)、宮城県岩沼市で行われた
『千年希望の丘 植樹祭』で、4000人のボランティアの方たちとともに
将来、森の防潮堤となる場所に 苗木を植えたお2人なんですが・・・
倉木さん、植樹をするのは初体験だったというのです。

細川さんはもちろんですが、倉木さんも本当に自然に対する関心が強い!
そして話題は、お2人が自然や森に惹かれる理由、
ルーツとしての子ども時代の思い出へと移りました。

細川さんの子供の頃は、夏休みなどは浅間のふもとの妙高や、阿蘇のふもとで、
自然と一緒になって遊んでいたそう。

カッコウやホトトギスの声を聴いたり、ムササビがいる穴を覗いたりリスが走り回るのを眺めたり。

そんな自然と一緒に育ったという細川さんは、

「自然の中で子どもたちが育つと感性が違うと思います。
 いまは芸術の大学で教えているが、
 月や日の出、トリの声を聴かないと感性はハグぐまれない。
 そのように生徒にはよく言っています」

倉木さんもそれに答え、
「自分も星をみたり木に登ったりしてきました。
 木を見るだけじゃなく生命力の力強さ、木が人の姿にリンクするものを感じます。
 種から成長して大きくなり太陽へのびる。
 そこからパワーを頂いてまっすぐ希望をもらって頑張ろうという気持ちになります。

 歌詞で自然のフレーズ、、風や海や山を盛り込んでいます。
 自然へのリスペクトの気持ちや感謝を返していきたい。」

と答えていました。

細川さんは熊本でムササビやリスを見て育ち、
そういう体験が感性を育む、といい。
倉木さんは自然のちからを音楽に変えているという。

そんなお2人は共通して、森や自然の、不思議な力を感じているそうです。

ぜひ、ポットキャストでおふたりの話を聞いてくださいね!



倉木麻衣さんは、6月30日からライブツアーがスタートします。
タイトルは『Re:プロジェクト(りぷろじぇくと)』
今年12月から15周年目を迎えるにあたり、Re…つまり再生という
テーマで、ライブに臨むということです。詳しくは倉木麻衣さんの
オフィシャルサイトをご覧くださいね! 
6月9日(日)、宮城県岩沼市で行われた
『千年希望の丘 植樹祭』の模様をお届けします。
これは岩沼市が進めている計画の一環で行われたもので、
番組が継続して取材している「瓦礫を活かす森の長城プロジェクト」をはじめ、
4000人を超えるボランティアが参加。市が主体となった森作りが、
いよいよ始まっています。



岩沼市では今、10キロにおよぶ海岸線沿いに、コンクリートの防潮堤の
内側に、避難用の小高い丘と、森の防潮堤を作る計画を推し進めています。
その計画のスタートイベントとして行われたのが今回の植樹祭。
仙台空港すぐそばの植樹会場には、ボランティア4000人以上が集まり、
それぞれの想いとともに、タブの木やシイの木など苗木 3万本が植樹されました。

その中に、イベントを岩沼市とともに企画した
森の長城プロジェクト 理事長 細川護煕さんの姿もありました。



この「千年希望の丘」を作ることを決めた岩沼市の井口経明市長に、市の計画について伺いました。

井口市長によれば、岩沼市にはおよそ10キロの海岸線があるのですが、
避難場所になるような高い建物はほとんどないと言います。
そこで、いざという時の避難場所として高さ10mの丘を15個作る予定。
この15個の丘を、3mの盛り土の上に植樹した「森」で繋ぐ。
このつなぎの部分が、防潮堤と避難経路を兼ねる長細い「森」となるわけです。

また、植樹する土台の中には、法律で認められたコンクリートガレキと、
津波で堆積した土砂が利用されてます。

そしてこの千年希望の丘の計画には、鎮魂や防災だけでなく、
「災害を語り継ぐ」意味もあるといいます。



番組ポットキャストでもお楽しみ下さい!


今週も、先週に引き続き、全国の森から切り出された木が、
木材となって集まる場所、東京江東区新木場からのレポートをお届けします。

この界隈は江戸時代から、木材問屋さんの街として栄えてきたのですが、
近年は、その数も減り続けているといいます。
その理由は何なのか、木と私たちの関係はこれからどうなっていくのか。
色々とお話を伺いました。

先週は、この新木場の木材問屋さんが、昭和38年の500社をピークに、
いまでは342社にまで減っているという状況を教えて頂きました。
そしてその理由は、日本の住宅の材料に木材が使われなくなったから、
ということでしたが…なぜ、そうなってしまったのでしょうか。
吉条さんはこう説明します。

「日本の木が使われなくなった原因ですが、
戦後復興がすさまじく、復興資材は木材が主だったのですが、
ものすごい勢いで森林伐採が続き、木材価格が高騰しました。

日本全体の森林から木が無くなるのではないかという懸念が出てきたんですね。
昭和25年に木材資源利用合理化法が閣議決定され、
できるだけ木材を使わないようにしようと政府主導があったのです。
当時としては一理あったのですが、それでも木材需要は伸びて行き足りなくなった。

そこで輸入木材を入れるため関税を下げ買いやすくしたのです。
ということで、昭和44年に木材の自給率が50%を割ることになったというわけです。」

日本の森を守るために、木材を輸入して、国産の木材を使わないようにしよう、
という国の方策があったということ。

こうして木材の自給率が減ったわけですが、
その結果、日本の林業はどうなっていったのでしょうか。

「木材需要が伸びて行って輸入され、(国産材の)供給が少なくなりました。
少なくなることで林業労働者が減ったのです。
しかし雇用の受け皿はいくらでもあった時代でした。
工業製品や自動車、家電業界などです。

その一方、木材はものすごく蓄積量が増えていったのです。
日本の需要は7000万立方強なので十分まかなえるくらい成長しているが、それを切って市場に出すための労働力も不足しており手入れもされていないのです。

やっと政府がそれに気が付き、木を使わない方向から木をどんどん使おうという時代へいま、舵を切ろうとしています。
持続可能な資材、持続可能な木材の循環。
木を植えて育て、切って使う。そしてまた新しい木材を植えて…という循環が必要です。

そのために公共建築物等木材需要促進法という法律ができて低層(三階建以下)の公共建築物は木造で建てようという方向転換がなされたんですよ。」

この番組ではなんどか紹介していますが、今日本は、
国産の木材を「どんどん使っていこう」という方向にありますよね。

ただ、日本は少子化が続いているため住宅の建設は少ないのです・
だから住宅以外の公共の建物や、都市部のビルなどにも
木材が使われるようになるのではないか、と吉条さんはおっしゃっていました。

今回取材した、東京木材問屋協同組合の本部がある『木材会館』も、
7階建てのビルですが、たくさんの木材が活用されていましたよ。

番組ポットキャストでもお楽しみくださいね!

番組で継続して取材している、森の長城プロジェクトの
植樹イベントの情報です。

次回は、6月9日(日)、宮城県岩沼市で行われます。

3万本の植樹のために、3000人のボランティアを募集中です。
申し込み締め切りは5月31日(金)。詳しくは森の長城プロジェクトの
ウェブサイトを御覧ください。

http://greatforestwall.com/p64.html

またはお電話でお問い合わせくださいね!

なんと、倉木麻衣さんも駆けつけてくれることになりましたよ!

03−3273−8851(平日10時〜17時まで)

番組スタッフも取材に参ります。
現地でお会いしましょう!! .


JFN38局結んでお送りする『いのちの森 voice of forest』。
この番組は、「森の長城プロジェクト」をはじめ、
全国に広がる植林活動や、自然保護の取り組みにスポットを当てる
プログラムです。各分野の「森の賢人」たちの声に耳を傾け、
森と共存する生き方を考えていきます。

今週は森ではなく、森で育った木が切り出された後、辿り着くところのお話です。
場所は東京江東区新木場。東京湾に荒川が注ぎ込む河口。
運河がいりくむ埋め立て地にある街です。
その名の通り、木材の問屋さんが密集するこの地区へ伺い、
東京木材問屋共同組合の方に、お話を伺ってきました。
森からやってきた木が、私たちのお家の柱や梁になる、その中間にあるお仕事。
色んなお話伺いました

今週は、東京江東区 新木場からのレポートです。
私、新木場の木材問屋さんが並ぶ界隈を歩いたのは・・・
はじめて!!

お邪魔したのは『木材会館』という、東京木材問屋協同組合の
本部がある建物。
この建物も、ヒノキを中心にたくさんの国産木材が使われています。

お話を伺ったのは、共同組合 理事長 吉条良明さん。
まず、この界隈がなぜ、木材問屋さんの街になったのか、その歴史から伺いました。


新木場という町の歴史は、
古くから言うと、材木屋は江戸城の築城にあたり全国から木材業者が集まったところから始まります。

それが江戸に残り、材木屋として幕府から免許を与えられた。1606年の江戸の大火で
材木を積み上げると火事になるということで、墨田川の対岸(元木場)を設定した。これが木場のスタート。
家康が関ヶ原で勝利して江戸城を築城しようと計画した時に行ったのが、木曾を直轄地にして、
そこから木材を供給して江戸城を開府したのです。

ということで、江戸幕府が出来たあと、江戸の町は八百八町と呼ばれるようになりました。
人口がどんどん増加して、100万人都市となり、木材の需要も高かったのです。
当然、木材問屋の集まる「木場」の木材商も本当に繁盛していたそう。

これが隅田川に近い江東区・木場で、今は埋め立てでかなり内陸にあります。

「新木場」の歴史、いかがだったでしょうか。

番組ポットキャストでもお楽しみくださいね!

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高橋万里恵
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