今日は、東京の西、奥多摩の里山を職場とする若い林業家たちの集団、「東京チェンソーズ」のレポートの3回目です。
平均年齢35歳、7人のメンバーの中には、20代前半の方もいます。

◆大学を中退し、林業の道へ
今年で24歳です。この近くの五日市出身なんですが、子どもの頃からずっと自然に触れ合う仕事、自然に関する仕事に就きたいと思っていました。大学も環境系の学部にいったんですが、自分が考えていたものとは違うなと思ったんですね。もっと体を使って自然と触れ合う仕事に就きたいなと思って、大学を中退して東京チェンソーズに入社しました。卒業まで待てませんでしたね(笑)
実際、この仕事は環境も良いし、すごく気持ちいいですね。僕はアトピー性皮膚炎だったんですが、この仕事をはじめてから治りました。日の出とともに起きて、日が沈んだら終り。とても良い生活サイクルです。体がすごく良い状態で、健康的になりましたね。
この仕事でいちばん楽しいのは、木を切るときに自分が倒したいと狙った場所にスパッと倒した時。楽しいというか、気持ちいいですね。



さて現在、50代から20代まで、世代を繋ぐように徐々にメンバーを増やしている東京チェンソーズ。
そこには次の世代、また次の世代へ、しっかり里山を受け継いでいきたいという想いがあります。

◆林業を次の世代へ
林業というのは、世代間で代々リレーのようにつないでいく仕事です。たとえば、おじいさんたちが植えた木を、自分たちの代が手入れをして、自分たちの子どもの代が伐採する。伐期が長くなればなるほど、色んな人が関わります。自分たちが植えた木を伐採するのを見られないというのは普通にあることです。逆にそこで変な仕事をすると、自分たちの子ども、孫の世代に「あの世代はまともな仕事をしていないな」と思われるのが怖い(笑)今いない人たちにどういう評価をされるのかなという怖さがありますね。
もし東京の森林をきちんと管理して守っていくとなると、その担い手が必要になってきます。ですから、子どもたちには、木に対していいイメージを持ってもらう必要があると思っています。
そういう意味で、東京チェンソーズという分かりやすい名前にしたというのもあるし、色んな取り組みで子どもたちに山に目を向けてもらうきっかけを作っています。


そう語るのは、東京チェンソーズ・代表の青木亮輔さん。
美しい里山を、これからも持続していくためには、そこを職場とする林業の担い手が必要。
ですから、未来の林業家としての子どもたちが、森を身近に感じる環境づくりが欠かせないわけです。
そこで東京チェンソーズ、こんな取り組みにチカラを入れています!

◆ツリークライミング
子どもたちに、木に対して良い印象を持ってもらうため、まずは山に入って木を触って好きになってもらうところから始めたいと考えています。そこでツリークライミングの体験会をやっています。
檜原村にはブナの原生林があり、そこに樹齢約100年といわれる大きなブナの木があるのですが、特別に許可を頂いて、ロープやハーネスを付けて、子どもたちに登ってもらいます。まずは木は楽しい、木っていいなと思ってもらうんです。最初は木に触れて、木の堅さや丈夫さを感じてもらったり、ハンモックを吊るしたり、木の股に腰かけてぼーっとしたり…子どもたちに、木に対してプラスのイメージを持ってもらうということでやっています。
東京チェンソーズの社員は入社するとツリークライミングジャパンの資格を取るので、みんな指導ができます。ただ木を切れるということだけではなく、幅を持ってやっていきたいと考えています。いずれ東京チェンソーズが伐採した木で家具を作った時、ツリークライミングに参加した子ども、家族にもお客様になってもらえるようなネットワークづくりということでもあります。色んなところで東京チェンソーズの名前を聴いてもらえれば、何かアクションを起こすときに応援してもらえるのではないかと思っています。


このツリークライミングの体験会は、檜原都民の森というところで、次回は8/8金曜日、9/6土曜日に様々な団体と東京チェンソーズのコラボレーションとして行われます。詳しくは東京チェンソーズのサイトでご覧ください。

最後に東京チェンソーズ代表の青木さんに、檜原村の魅力を教えていただきました。

◆檜原村の魅力
檜原村は本当に素朴でよい村です。平地がないので広大な畑はありませんが、自分たちが食べる分プラスアルファくらいは作っていて、よく野菜をもらったりしています。サルもイノシシも熊もいますし、林業にとっては天敵ですが、鹿、カモシカもいます。また、檜原村の川は秋川という清流で、本当に東京とは思えないくらいきれいな水です。ヤマメや、清流にしかいないカジカもいますし、トウキョウサンショウウオなんかもいて、すごいんですよ。


イノシシや熊もいるなんて、檜原村は本当に自然豊かな場所なんですね。

3回にわたって、東京・檜原村の林業家集団、東京チェンソーズのレポートをお届けしましたがいかがだったでしょうか。
今回のお届けした内容もポッドキャストで詳しくご紹介しています。
こちらもぜひお聞きください!


【今週の番組内でのオンエア曲】
・It's A Beautiful Day / Michael Bublé
・フィルム / 星野源
先週に引き続き、東京・奥多摩の里山で活動する若き林業家たちの集団「東京チェンソーズ」のレポートです。


お話を伺ったのは東京チェンソーズ代表の青木亮輔さん。8年前に地元、檜原村の林業組合から独立し、若い世代の林業家とともに東京チェンソーズを立ち上げた、林業界のベンチャー社長です。
青木さんは、林業を取り巻く、決して良いとはいえない状況を変えるために独立という道を選んだのですが、いまその選択に追い風が吹いていると青木さんは感じています。

◆東京都の花粉対策事業
林業は季節によって仕事が違います。春は植林をする時期ですし、夏は植林した苗木の周りの下草を刈ります。秋から冬にかけては、木が水を上げていない時期なので、切って木材として使ったり、間伐をしたりといった仕事をするんです。ですが、花粉対策事業が始まるまでは春、夏の仕事がなかったんです。木があまり売れませんでしたので、伐採の必要がなかったからです。ですので、独立当初は春、夏の仕事を探すのが本当に大変でした。
しかし、東京都の花粉対策事業ができたおかげで、一年を通して仕事量が増え、安定してきました。花粉対策事業は石原元都知事の時代に、東京のスギ・ヒノキから出る花粉をなんとか減らそうということで、伐採して花粉の少ないスギ・ヒノキや広葉樹に植え替えていこうということで始まった事業です。花粉を出すスギ・ヒノキの伐採の他にも、春には花粉の少ないスギ・ヒノキや広葉樹を植える仕事、夏にはその植えた苗木の下草刈りをする仕事が増えたんです。
そうすると人を採用しようということになってきます。また、それと並行して、緑の雇用という制度も使いながら3〜4年かけて人を育てていけば、4年めにはちゃんと稼げるようになってきます。それでようやく会社としても軌道に乗ってきましたし、収入も少しずつ上がってきています。


ということで東京チェンソーズはいよいよ軌道に乗り、目の前に広がる里山の可能性もさらに広がりつつあるんです。

◆檜原村の林業のこれから
檜原村はここ数年、林業を村の一大産業と位置づけて、道路沿いのスギ・ヒノキを伐採し、広葉樹に植え替えています。
それには色んな目的があるんですが、道路沿いの木は意外と搬出コストが高く、切られないケースが多いんですね。そうすると、車でその道を走っていても圧迫感がありますし、暗くなることで雪が溶けづらく、凍結してしまったりすることもあります。ですので、ちょうど伐採適期でもありますし、事業として伐採をして、建材として使っていこうということになりました。
それに加えて、檜原村に薪ステーションというところがあるんですが、そこに建材として使えない端材を運んで、薪にして温泉施設の薪ボイラーなどで利用したり、薪ストーブを持っている人に販売したりしています。そういった端材まで含めて利用していこうという取り組みをしています。
また、檜原村として搬出する技術を身につけてもらいたいという思いもあるようで、当社でもそこはすごく助かっています。いままでは、木を育てるということはやってきたのですが、搬出はあまりやっていなかったんです。木を山から搬出するというのはすごく技術が必要なのですが、先輩たちにいろいろ教わりながら、いま取り組み始めているところです。
搬出というところまでできるようになると、育てることもできる、山から木を出すこともできる。となれば、最終的にはそれをいかに使ってもらえるかというところにかかってくると思うんですね。
本来、林業とは木を使ってもらうためにある産業なので、ひとつは今までどおり建材として使ってもらう。もうひとつはバイオマス、先ほどの薪燃料ですね。その二つが大きなものなんですが、もうひとつ産業として欲しいということで、檜原村と一緒に、檜原村のなかに木のおもちゃを作る会社をつくりたいと思っています。
たとえば東京チェンソーズが育てた木を使って木のおもちゃをつくり、それを買って使うことで東京の山が良くなるということが見えるようにする。そういう取り組みが必要なのではないかと思って、準備しているところです。



東京チェンソーズは現在7人。メンバーは元広告代理店や外資系コンサルティング会社の社員、編集者など、ちょっと変わった経歴を持つ方たちばかり。里山の魅力と可能性に気づいた若き林業家たちは、徐々に数を増やしています。なかにはお酢をつくるメーカーから林業に転職したというひともいました。

◆異業種から林業へ
元々自然が好きで、研究室では酢を醸造するのに必要な菌を扱っていました。菌というのはミクロの世界なのですが、ミクロの世界にも生態系というものが関係しています。ですので、視野を広げただけであって、林業も同じようなものなのかなと思います。経験と知識が役に立つところもあって、とても楽しいです。


お酢をつくる仕事と林業、離れているようでもつながりがあるんですね。
また、取材した日はちょうど道路近くの木を伐採していました。この木が子どもたちのおもちゃになるというのも素敵ですね。木のおもちゃは子どもたちの心にもすごくいい影響があるといわれていますし、この東京の木でできたおもちゃを使うことで、森林の整備にも役立って、とてもいい循環ができそうですね。

今回ご紹介した内容はポッドキャストでも配信中です。
こちらもぜひお聞きください!


【今週の番組内でのオンエア曲】
・OLE!OH! / 木村カエラ
・Change -FPM LEGENDARY HOUSE MIX- / MONKEY MAJIK+吉田兄弟
今週は東京の一番西、西多摩郡檜原村から、「東京チェンソーズ」にスポットを当ててお届けします。
東京チェンソーズウェブサイト→http://www.tokyo-chainsaws.jp/

檜原村は、東京では島を除いて唯一の村です。都心からだいたい車で2時間ほどの場所なんですが、村の9割が森に囲まれていて、本当に東京とは思えない環境が残っている地域です。
三頭山、御前山、大岳山という3つの山は奥多摩三山とよばれ、格好の登山ルートにもなっています。
また、山間を流れる清流では今の時期、鮎も釣れるそうです。
そんな自然があふれる地域で林業を営む若い世代の集団、それが「東京チェンソーズ」です。まるでロックバンドのような名前ですが、10年ちかくこの檜原村で林業を営んでいる方々です。
さて、この東京チェンソーズとはどのような集団なのでしょうか。
檜原村の作業現場で、代表の青木亮輔さんにお話を伺いました。

◆林業を始めたきっかけ
大学が東京農業大学の林学科というところを出たので、元々林業について知識としては持っていました。林業を仕事にするとは思っていなかったのですが、造園のバイトをしていたことがあって、芝生の上を足袋で歩く感触がとても気持ちよくて、こんな仕事ができればいいなと漠然とは思っていました。それで林業の世界に入ろうと思ったんです。


足袋が気持ちいいというのがきっかけだという青木さん。見た目はさわやかなお兄さんという感じですね。
この日はまさに山間の道路沿いの斜面で木の伐採作業をしている最中に、仕事の手を止めて頂いてお話を伺いました。もちろん足元は地下足袋。ちょっとかっこいい、ハイテクな地下足袋を履いていました。
青木さんは大学を卒業後、一度は会社員になったのですが、昔のアルバイトで経験した地下足袋の感覚が忘れられず、林業の世界へと入っていきます。
これがいまから13年くらい前のこと。そこで林業の楽しさ、問題点を知ることになります。

◆もっといろんなことができるはずと独立
元々は檜原村の森林組合に入って、その後合併して東京都森林組合という大きな組織になったのですが、若い人はあまりいませんでした。自分は24歳だったのですが、すぐ上の先輩は50代半ば、その上は60代半ばより上でした。先輩たちは一回り以上年上で、やっぱり山に関する知識をたくさん持っていました。木を一本切るにもいろんな切り方があるとか、色々教えてもらったので、最初はとても楽しかったですね。しかし、こんなに林業が不景気だというなかで、どうしてこんなにのんびりやっているんだろうとも思っていました。
当時の林業は日給だったり、社会保険が無かったり、賞与が無かったり、事務職の人と現場の人で待遇に差がありました。現場で働いている人は危険もありますし、ハードワークです。でも待遇に差があるのはおかしいと思い、職場で交渉をしたんです。月給にして欲しいとか、現場の待遇を向上させる必要があるんじゃないかとか、いろんな話をしたものの、それは難しいということになりました。だったら独立しようと、本当にできないのかやってみたかったというのがひとつの理由です。
また、当時の林業は既成概念にしばられていて、あきらめムードがありました。木材価格が安いとか、いろんな理由探しをしているような雰囲気だったんです。でも、もっといろんなことができるはず、アクションを起こすことでなにかが変わっていくんじゃないかと思ったのももうひとつの理由です。


かつて檜原村の林業は、現在のような木材のために杉やヒノキを切るというものではなく、広葉樹を切って薪、炭をつくるための林業で、檜原村の男性はほとんどが関連の仕事についていたといいます。
しかし、時代とともにその役割は失われ、さらに建物の材料としての国産材の需要も減り続けました。
そんななか、青木さんは林業の世界に飛び込んだわけです。
そして今からちょうど8年前、青木さんは若い林業家とともに独立を決意。東京チェンソーズを立ち上げました。

◆子どもが憧れるような仕事にしたい
最初は4人で独立しました。名前はいろんなアイデアがあったんですが、東京でやっているということがわかるような名前がいいと思っていました。それに子どもにもわかるようなシンプルな名前がいいという話になり、東京チェンソーズにしました。せっかく独立するのであれば、それまでの林業のイメージを払しょくするような、子どもが憧れるような林業を目指したいということが大きなキーワードとしてありました。
地元には森林があって、先祖代々育ててきたような木もある。そういう状況なのに、地元の人が儲からない、危ないといって林業をやらないというのはもったいないと思っていたので、子どもに憧れてもらえるような会社にしていこうと考えたんです。


そして現在、東京チェンソーズは森で働きたいという若いメンバーを少しずつ増やしています。みんな共通して自然が好き、森で働きたいという思いを持つ人たちだそうです。自分たちの足元、東京の森を手入れして林業を活性化することが、ひいては環境を良くすることにつながる。そんな考えに賛同する若き林業家が東京にも集まり始めています。

◆変わり始めた林業のイメージ
いまは正社員が7名。平均年齢は35歳くらいです。自分は37歳、一番上は50歳です。私は元々は広告代理店に勤めていましたが、他にも外資系のコンサルティング会社にいた人とか、雑誌の編集者をしていた人など、異業種からきた人が多いですね。19歳で大学をやめてうちに入ってきた人もいます。
自分がこの仕事を始めたころは、林業は後ろ向きなイメージでしたが、この10年で変わってきたと思います。国も緑の雇用事業というものをはじめて、映画「WOOD JOB!」も緑の雇用事業で林業に入ってきた人の話ですが、自分もその一期生です。それで若い人が入る窓口ができたのは大きな効果があったと思いますね。若い人が入ってくるといろいろなアイデアがあったり、不満があったり、状況が動くんですよね。その結果として、ようやくこの2〜3年でひとつの分岐点を超えたんじゃないかなと思います。


林業の会社で平均年齢35歳は若いですよね。また、みなさんは東京の人ばかりでなく、長野や神奈川など、全国から集まってきているんだそうです。本当にみんな森や自然が好きで集まっているんでしょうね。

今回の模様はポッドキャストでも詳しくご紹介しています。
こちらもぜひお聞きください!


【番組内でのオンエア曲】
・THE BALLAD OF MR. STEAK / KISHI BASHI
・ハピエスト・フール / マイア・ヒラサワ

今週は前回に引き続き「狩猟女子」こと、ちはるさんのインタビューの後編です。
東日本大震災をきっかけに、生きていく為に必要な「食べ物」について考え、自分が食べる分は自分の手で捕まえる「猟師」という職業を選んだ ちはるさん。
現在は、福岡県の糸島市でシェアハウスの運営をしながら、数人の仲間とともに生活を続けています。その様子は、『ちはるの森』という、ちはるさんのブログでも見られるのですが、こにアップされる、「猟師」としての生活を見ると本当に「いのち」について、色んなことを考えさせられます。
例えばこのブログで「ラビットファー」、つまりウサギの毛皮についての記事が写真とともにアップされているのですが・・・

◆命の線引き
このうさぎの皮は去年2月頃、新潟に「うさぎ狩り体験」に行った時のものです。猟師さんが獲って私が解体し、皮を福岡に持ち帰って、自分でなめして作りました。はじめて自分でなめした皮です。
やっぱり自分で肉を獲ってきて食べると、命を頂いているという印象は持ちやすいんですが、身の回りのファー製品やフェザー製品、革細工も元々は動物の体の一部だったんですね。そういう繋がりがどんどん切り離されてきているのではないかと感じます。
私のブログでは、すごくポップに書いているので誤解されることも多いんです。うさぎ狩りの記事はとくに反響が大きく、「これだけ食べ物があふれている中でわざわざ山にうさぎ狩りに行かなくてもいいじゃないか」というコメントがありました。「うさぎにも家族がいて、痛みも感じる。これ以上動物を殺すのはやめて下さい」というコメントもきていました。
しかし、食べてもいい生き物、食べちゃいけない生き物というのは、その人が何を大事にしているかで変わってくると思います。結局人間は生きていく上で何かの命を奪わずには生きていけません。畑を守るためにもたくさんの動物が駆除されているし、自分が住んでいる家も、もともとそこに住んでいた動物のすみかを奪っている。自分たちの着ている服をつくるのにも広大な土地が必要です。
動物の命を奪わずに生きようとすると身動きがとれなくなってしまいます。ですから、何かの命を自分の一部として生きていることを認めながら、自分の身の丈以上の消費をしないというのが、私は命に対して誠実な生き方なんじゃないかと思うんです。
今はできるだけ、それを自分の手で出来るような暮らしを実践しています。


「何かの命を、自分の一部として生きていることを認めながら、身の丈以上の消費をしない。それが命に対して誠実な生き方じゃないか」。
この言葉をどう感じたでしょうか。
そして、ちはるさんは最近また新しいことに挑戦しているのですが、これも「命と向き合う」ことの意味を痛切に感じるお話です。

◆烏骨鶏を育てる
動物を飼って食べるということをしたくて、烏骨鶏を飼い始めました。烏骨鶏は人間の手で品種改良されていない、原種に近い鳥です。普段わたしたちが食べる鳥は、例えば食用の鶏は短い期間で大きく育つように品種改良をされています。その代わり体が大きすぎて早く走れなかったり、卵を温める本能がなくなってしまっている。動物らしさがなくなってしまった肉や卵なんですね。ですので、自分で育てるなら、できるだけその動物が、その動物らしく生きられるものと自分が同化したいと思って、烏骨鶏を飼い始めました。
最初はすごく可愛くて、「スヤ」と「モグ」という名前もつけました。すやすや寝るスヤとよく食べるモグ。しかし、二人が来て1〜2ヶ月たったころ、モグが猫に食べられてしまいました。私は育てるなら放し飼いがしたかったので安易に庭で放し飼いしていたら、たまたま来た野良猫に食べられてしまったんです。
その時は、食べ物というより家族という気持ちだったので、家族を奪われた気持ちになって猫がとても憎かった。モグを食べた猫を追いかけたんですが見つからず、泣きながら帰ってきたら、シェアメイトに「猫もハンターだから」といわれてハッとしました。私も猫も飼っている烏骨鶏も同じ生存競争の中にいることをすっかり忘れていました。
それがあってから、残ったスヤだけは幸せに育ててあげたい、絶対に守ってあげたいという気持ちで大事に育てて・・・食べました。
名前もつけたし、ずっと一緒にいたので愛情も湧いていて、最初はすごく迷いましたが、やっぱり食べようとなりました。でも、育ててきた動物が苦しむところを見るのは一番つらい。首をひねる時はすごく辛かったですね。今までたくさん鳥をしめてきましたが、あんなにお肉を味わって食べることはないんじゃないかと思うくらい、大事に食べました。すごく美味しかったです。
次はヤギを飼いたいと考えています。ミルクを摂って、最後はお肉を食べて、皮は楽器にしたいと思っています。


今回のお話、改めて「いただきます」という言葉の意味を考えさせられますね。
ちはるさんの猟師としての生活、「ちはるの森」ブログで色々見られます。最近は「養蜂」をはじめたという記事がありました。その様子もまたすごいのでぜひ一度ご覧になってみてください。
ちはるの森 | @chiharuh の日々。

今回のお話もポッドキャストで詳しくご紹介しています。
こちらもぜひお聞きください!


【今週の番組内でのオンエア曲】
・Summer Wind / The White Buffalo
・リルラリルハ / 木村カエラ
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高橋万里恵
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