今週は、東京の自然散策のレポートです。
今月中旬、皇居のお堀のひとつ「千鳥ヶ淵」を中心とした水辺などの環境を、散策しながら知ることができるツアーが実施されました。
これは「千鳥ヶ淵 環境再生プラン 自然再生ガイダンスツアー」という企画で、環境省が進める千鳥ヶ淵の環境再生計画の一環として行われているもの。
桜の名所として知られる千鳥ヶ淵ですが、実は、この一体、桜だけでなく都心では珍しい貴重な自然も残されていて、これを保全する動きも続いています。
ということで、千鳥ヶ淵とその周辺の自然再生の取り組みをガイドの方とともに、散策しながら見て回るこのツアー。まずは案内役・プレック研究所のガイドの方による解説で、日本武道館の近く、北の丸公園からスタートしました。

◆牛ヶ淵、千鳥ヶ淵の稀少な動物
奥のほうが牛ヶ淵、左側の林の向こう側が千鳥ヶ淵になります。ご覧になった方もいらっしゃるかと思うんですが、牛ヶ淵では、蓮、ヒメガマなどの植物が見られると思いますし、動物もお堀の中ではいちばん豊富です。トンボや魚も色んな種類がいて、トンボにはベニイトトンボという絶滅危惧種も含めて10数種います。他にもジュズカケハゼという、やはり絶滅危惧種のほかに、牛ヶ淵ではヘイケボタルが見られます。これは遺伝子解析の結果、外部から持ち込まれたものではなく、少なくとも関東由来のものであろうということがわかっておりまして、非常に貴重なものだと思われます。


まずは、この北の丸公園と、それを取り囲む千鳥ヶ淵、牛ヶ淵というお堀の自然、生き物の解説がありました。
「北の丸公園」は江戸城 北の丸が由来です。明治以降は陸軍の練兵場でしたが、戦後に整備され、木が植えられました。昔から森だったわけではないんですね。また、徐々に樹木も増え、最近は鬱蒼とした森になりつつあるため、剪定して明るい森にすることも検討中とのこと。
ちなみに、千鳥ヶ淵の400本の桜も、やっぱり江戸時代にはなく、全て昭和30年代に植えられたものだそう。そして牛ヶ淵はヘイケボタルがいる!そうですが、保護の取り組みはなかなか難しく、現在は、絶滅しないように別のところ飼育して増やし、放流することを計画中です。
そんな解説を聞きながら、ツアー参加者たちは、皇居との境「代官町通り」へと進みます。ここからは、千鳥ヶ淵の上を首都高速が走る、東京ならではの景色が見渡せるのですが、ここでは、土地の歴史と自然に関する興味深いお話が色々と聞けました。

◆千鳥ヶ淵の桜、いきものたち
ここは桜の名所ですが、堀に面して一面に桜が咲くこの景観は元々あったわけではありません。戦後、平和を祈念して、いろいろなところから寄贈されたり、千代田区が植えたりしたのが始まりで、これだけのボリュームのある桜の景観がいまできあがっています。桜まつりというのを千代田区の観光協会が昭和29年からはじめました。それによって、ここが桜の名所になっているわけですが、親しまれている景観でもありますので、この景観は当面は継承していこうということを環境再生プランの中にも書いています。

1590年に徳川家康が江戸にやってきて最初にやったのが水の確保と塩の確保でした。牛ヶ淵と千鳥ヶ淵という貯水池をつくって真水の確保をしました。ですから、1600年ころにはほとんどこの形ができていたということです。当然、堤の部分は、貯水池の縁という意味と同時に城の防御施設です。そのために、いま見ると、傾斜の角度がきれいに揃っているのがわかると思います。35度あります。35度という傾斜は、敵が攻めてきても駆け上がれないですね。
いま、環境省は牛ヶ淵も千鳥ヶ淵もあわせて、約200本の桜の管理をしております。そのほとんどは、あまり丈夫ではないソメイヨシノです。ソメイヨシノの場合、よく寿命は50年といわれますが、ここの桜はだいたい60年位です。そのくらいになりますと、色々支障が出てきます。ひとつはナラタケというキノコの菌で枯れてしまうという病気がありました。それから、増生病といって、コブ状になってその先が枯れてしまうというウィルス病が出ました。こういったようなものが出始めて、また、60年経つと、みんな木が大きくなって、枝がかぶっちゃったりしてるんですね。桜は陽樹ですから、お日さまが当たらないとどんどん枯れていってしまいます。
そういった過密に伴う支障も出てきたという中で、平成26年2月に東京に珍しく雪が振りました。20センチ以上この辺りでも積もりました。そうしたら、もう根こそぎひっくり返ってしまった。両方合わせて10本以上倒れたんですが、もうそのままお堀に落ちました。その根を見ますと、ぜんぜん垂下根が入っていません。もともとが岩の斜面を切って整えたところですから、そこに生えた桜も下に根が入りにくいという状況のなかで大きくなったので、上に重石がのったら倒れて落ちてしまったんです。これはもう大変な重さですから、引き上げることはできません。倒れた桜は、輪切りにして処分するしかないという状況です。
ですから、桜がそういうような形で危険な状況になってきてしまった。大きくなりすぎてしまって、また老齢ということもありまして、いろんな状況が出てきています。いまは10本くらい倒れてしまっていて、ちょうど正面の空いているところも倒れたところです。本当だったら、どんどん土壌改良していきたいところなのですが、場所柄それも不可能ですので、上からかぶっている、いまクスノキなんかが上から桜にかぶっていますが、そういうような上の木を処分して、下の桜を守ったり、病気が出てるような枝を落としてやったり、腐朽した太い枝を落としてやったりということで、一本一本をなるべく健全な状態で、今後も生育させようという形での管理をしております。
そしてここにいるのは桜だけではありません。東京23区では絶滅してしまった種がここにはあります。ソバナという絶滅種や、ほかにも8種類、絶滅危惧、もしくは準絶滅危惧種がこの斜面生息しています。

それらに共通してるのは、ほとんどが明るい林、明るいすすきの原っぱなどが好きな植物です。昔は、江戸八百八町といっても住宅密集地は今の千代田区、中央区くらいでした。ほかは街道に沿って市街があっただけで、あとは広漠たる里、里山です。そこにいたものが、今ここにいるわけです。昔の農村の景観のなかで生きていた植物が、この地で明るい環境を維持されて、なんと400年にも渡って継承されてきています。もちろん、植物ばかりではなく、タヌキやアオダイショウ、シマヘビといった蛇もいますし、夏にはアオバズクもやってきます。都市のなかとしては、まさにタイムカプセル状態の自然がここに残っているということなんです。


今回のお話、いかがだったでしょうか。ポッドキャストでも詳しくご紹介していますので、こちらもぜひお聞きください!

【今週の番組内でのオンエア曲】
・Say You Won't Let Go / James Arthur
・チェリー / スピッツ
先週に引き続き、東京の西早稲田にある、「木組み博物館」からのレポートです。
一昨年の11月にオープンしたこの博物館、木組みはじめ、日本の伝統的な建築技術に、実際に触れることができる博物館。木材だけでなく、木材にについても学ぶことが出来ます。
実際、博物館には、色んな木の「切り株」もそのまま展示されていて、木が、木材として生まれ変わる過程で、どんな手が加えられているのか、どんな知恵が隠されているのかを知ることが出来るんです。
ということで木組み博物館・館長、谷川一雄さんに展示されている切り株を前に説明していただきました。

◆死に節と生き節
「枝打ち」っていうのをよくしますよね。山に入って、若いときに下の枝を落としたり。この状態で木がどんどん成長していくと、枝打ちした面がかくれちゃうんですね。そうすると材料として使う時も、節の穴がない材料で、建築材としてはいい材料になる。
枯れた枝も同じように、くるまってくると皮がついた状態になるので、節のところを叩くと、その部分が抜けちゃうんですね。枯れたところは、枯れた枝が木にくるまれていっちゃうんで、枯れたものは残っちゃうんです。
ところが、生きている枝がくるまっていくと、枝と本体の幹の部分が一体になるので、材としていい材料になる。「死に節」「生き節」っていうんです。節がない方が材料として高いから、日本人は結構好みで、そっちを使うんですけど、でも木はもともと節があるものだから、あっていいと思うんですね。西岡常一さんは木を生えているまま使えっていう。南側には枝がいっぱいあるので、柱を立てたときも南側には節がいっぱい出ている。それはそれでいいんですね。

薬師寺三重塔を修復した伝説の宮大工・西岡常一さんの言葉「木は生えていたままに使え」。
昔からの日本の大工さんの知恵も教えてくれたわけですが、そのほか博物館には、土壁の左官技術や、日本古来の釘「和釘」、 鬼瓦や、木彫りの彫刻などなど、本当にいろんな展示がありました。その中から、左官技術、そして漆の技術についての解説です。

◆土壁と漆
 これは土壁がどうやって塗られていくかっていうことを表している模型です。「竹小舞」っていうんですが、竹を割ったものを縦横に縄で組んで下地をつくります。それに粘土質の土と藁を刻んだものを混ぜて、水を混ぜてこねるんですよ。しばらく経つと発酵してきて、それでまた切り返しっていうことでこねるんですね。それで半年以上寝かせる。藁に含まれているバクテリアが藁自体を柔らかくし、土も噛み砕いて柔らかくして、強くして、それで塗るので丈夫なんですね。
この材料は再利用できるんです。100年経ったような土壁がありますよね?それもまた水を入れて藁を入れてこねるとまた使える。だけども、漆喰が塗ってあると、漆喰は強いアルカリなんで、混ざっているとだめなんです。自分があるとき、蔵を壊したときに土を取っておいたんですよ。そのとき漆喰が混ざってたんですが、ふるいにかければ、漆喰が取り除かれていると思ってたんです。そして20年位経って、いざ使おうと思って左官屋さんに話してみたら、ふるった土を見て、ちょっと白いものが混じっていたので、「これひょっとして漆喰入っていますか?」って言うんです。実はこうだったと言ったら、それはだめだと言うんです。このなかでバクテリアがアルカリ性になったせいで働かないからだめだっていうことで、結局20年撮っておいた土を捨てて、また新しい土を買ったんです。

 これは漆です。削って、漆を塗って、順番にこうやっていいくんですが、実際には13回くらい塗っています。塗っては削り、塗っては削って、だんだん仕上げの方に行くと、細かい材料を使って、仕上げていく。これは塗りっぱなしの仕上げなんですよ。刷毛目を残した「刷毛跡の美」は、工芸の先生でも、そういうのがいいという人もいるんです。平の方がいいという人もいて、それは好みの問題ですね。自分は刷毛目があってもいいと思いますけどね。きれいですよね。
漆って英語では「japan」っていうんですね。いま、日本に残っている最古の漆を使った製品っていうのは、函館にある遺跡から出てきたんです。それは副葬品で出てきたということなんですが、肩に当てる木に漆が塗ってあったんです。それは9000年前なんですよ。縄文時代ですね。中国で発見されているのは7000年前らしいんですよ。日本のほうが2000年古いんです。それにもっと驚いたのは、北陸地方で貝塚の中から、漆の枝がでてきた。ということは、やっぱりこういうふうに接着剤として使ったりとか、器に塗ってたかもしれない。それはなんと12600年前なんですよ。その時代にもう漆を使っていた軌跡がある。何に使っていたかというのはわからないらしいんですが、でもそれだけのものがあったということなんですね。

いま、国産の漆はほとんど建築に使われていないそうで、これをなんとかしないと、「英語でジャパン」と呼ぶ本物の漆の文化はどんどん衰退していくことになるかも、ということもおっしゃっていました。
最後にもう一つ。宮大工の技術ではなく、日本のお茶室などで見られる「数寄屋造り」と、そこに使われる木材のお話です。

◆数寄屋造り
お茶室とかにつかう銘木で、たとえば、こういうアカマツの皮付きのものとか、京都の北山の磨き丸太とか、昔よく女性が冬の寒いときに、特殊な砂をつけて、水で磨いてきれいにしたんです。こういうのは錆丸太っていって、ヒノキの皮を剥いだところにカビがでてきてこうなる。こっちは絞り丸太。これは人工的につくっているんですが、ツルツルです。天然の絞り丸太っていうのは高いみたいですね。天然のものだと1本100万だとかいうのもある。それを人工的につくったりするわけですよね。
 数寄屋大工さんとか宮大工さんとか、普通の大工さんとか、いろいろいるんですが、お茶室をつくるのは数寄屋大工さんなんですね。それぞれ少なくなってきていますね。だから、木造のお茶室を作りたいとか、木造でお寺とか神社をつくりたいとか、そういう人がいれば、材木屋さんも材料を売れるし、大工さんも仕事ができるし、関わってくる左官屋さんだって屋根屋さんだって、仕事になっていくるわけですよね。だからやっぱり消費者のつくりたいって言う人がいないとなかなか難しいんじゃないかと思うんですけどね。

木組み博物館は、外国人の来場者も多いそうで、ヨーロッパから建築を学ぶ学生が真剣に見学する姿もあるとか。海外には見られない「木組み」を体験すると本当に驚くそうなんです。また、最近は若い世代で宮大工の技術を学びたいという人も増えているそうです。
こういう伝統技術、文化を継承する人だけでなく、博物館を見学してご自宅を建てる・リフォームに採用するのも技術の保護に繋がるのかもしれませんね。


今回のお話はポッドキャストでも詳しくご紹介していますので、こちらもぜひお聞きください!

【今週の番組内でのオンエア曲】
・明日へ / Galileo Galilei
・Change / MONKEY MAJIK

今週は、日本に古来から伝わる、森の木を、木材・建築材として利用する優れた技術「木組み」のお話です。
木組み…つまり釘などを使わず、木だけで組み合わせてお家の骨組みを作る技術。日本の伝統的な建築で用いられてきた技術です。
東京の西早稲田に一昨年オープンした、「木組み博物館」の館長で、一級建築士でもある谷川一雄さんにお話しをうかがいました。

◆木組み博物館をつくった理由とは
高橋:はじめて木組み博物館に来たんですが、入った瞬間に木のいい香りがして、たくさん切り株や木組みが置いてあって、どうしてこんな博物館をつくろうと思ったんですか?
谷川:自分は建築学科を出て40年間、伝統木造建築の施工管理に携わってきたんですが、そのなかで、日本の伝統建築を立てたいという人が少なくなっていて、職人さんも少なくなっていて、材料なんかも少なくなってきているということをすごく感じていました。そこで、自分に何ができるかなと思ったときに、いろんな現場で集めた物があったものですから、それを一般の人に見ていただいて、日本の伝統木造建築の技術と文化を理解してもらいたいなっていうのが最初のきっかけです。
 名前が「木組み博物館」ですから、日本に古来から伝わる木組みを、はずしてみたり、組み立ててみたりして、実際に手にとって見てもらいたいと思いました。それに関連して、左官屋さんが壁を塗ったりだとか、漆を塗ったりだとか、彫刻をしたりだとか、いろんなことがありますから、付随するいろんなものも一緒にあわせて見ていただきたいなと思っています。

高橋:「木組み」っていうと、宮大工さんの技術で、釘を使わずに組んでいくというような簡単な理解しか無いんですが、どういうものか説明して頂いてもよろしいですか?
谷川:1300年前に大陸から朝鮮半島経由で入ってきたものとか、あるいは直接唐から入ってきたものが奈良のお寺など、いっぱいあるわけなんですが、それとは別に富山県の桜町の遺跡で、4000年前の木組みが発見されています。縄文時代ですからね。日本人が古来から持っている技術というは、ここからスタートしてるのかと思ったりしてるんです。ですから、日本固有の技術が4000年前からあったんじゃないかと思っているんです。桜町遺跡の場合は、木に穴を開けたものや掘ったものなど、色々なものが出てきて、それが今現在あるものの元になっているものがかなりの部分あるんじゃないかっていわれているんです。




「木組み博物館」はあくまで日本の伝統的な建築とその技術を展示する博物館です。  その中でも代表的で親しみやすい「木組み」を博物館の名前にしたんだそうです。
 展示されている木組みはおよそ40種類。実際には4000種類ほどあるそう。そして、展示されている40種類ほどの木組みの中に、特に目を引く展示がありました。

◆宮大工に代々伝えられる言葉
高橋:いま目の前にすごく大きな木組みがあるんですが、これはなんですか?
谷川:これは薬師寺の三重塔なんです。初層部分の軒の下の「枡組」っていうものです。普通でしたら足場に登らないと見れないものが、ここでは目の前で見れます。なおかつ、触っていただけます。釘は一本も使ってないです。ですから、ちょっと揺すってもらうと…
高橋:ああ、ちょっとキシキシという音がしますね。組み合わせ方が複雑ですね。この、いま私が見ている木組みをつくった、八田さんという方は?
谷川:八田さんというのは宮大工の棟梁なんですが、西岡常一さんという有名な棟梁のもとで西塔の工事があったときに携わったんです。西岡常一さんは法隆寺の宮大工で、20年前に亡くなったんですが、宮大工の神様みたいな人ですね。
法隆寺の大工さんに伝わる、いろんな口伝があるんですが、その中の言葉で、「塔組は木のくせ組、人のこころ組」というのを西岡さんがよく言ってました。木というのは真っ直ぐな木だけではなく、ねじれている木とかいろいろありますよね。右にねじれた木ばっかりで組んだら、みんな右にねじれて倒れてしまいます。ですから、右にねじれている木があったら、こんどは左にねじれている木を使って造っていきなさいということです。また、それを造るにあたっては、色んな人が関わります。大工さんだとか、左官屋さん、屋根屋さん。そういう、人の心も組んであげないと、できませんよっていうことなんです。
 そういうのが10項目くらいあって、ほかには例えば、「木を使うときは、山を買え」とか。一本一本買うのではなくて、山全体を買って、生えている方向で使いなさい。南向きの木は建築材料になっても南向きで建てなさいとか、そういうお話がいっぱいあるんです。それを、この人が後継者と決めたときに口伝で伝えるんです。



そういう宮大工さんの技術や、言葉や、心を後世に伝えようと博物館を開いた、館長の谷川さん。ご自身もかつて、建築会社で神社仏閣の再建事業に関わって来たといいます。
神社やお寺を再建をする時に、強度などをテストするために、「木組みの部分模型」を作るそうなのですが、そのテスト用の木組みの模型が、この博物館で展示されています。その中には、博物館のすぐお隣にある神社ゆかりの木組みもありました。

◆滑り勾配
高橋:真ん中のこの大きい木組みは、丸い柱に十字に木組みがされていますが、これはなんですか?
谷川:これは、この博物館の隣にある穴八幡宮の随神門の一階部分の柱の頭の木組みなんです。これは実物の大きさです。柱の太さは直径30センチあります。「滑り勾配」といいますが、ここが斜めになってますよね。で、上が広くて下が狭くなっています。要するに、滑って入っていくんですね。
高橋:広いところから、だんだん狭いところに入るから、最後、キュッとなって動かなくなるんですね。
谷川:これは室町時代あたりにあったものを改造したんです。重要文化財を修理解体すると、工事報告書というものを作るんですが、木組みは1300〜1500種類くらいあるそうなんです。そのなかの一つにこういうのがあったんです。
高橋:昔、朝鮮半島からやってきたときよりも、日本の宮大工さんが組み方を増やしていっているんですか?
谷川:そうですね。最初の頃は、材料もいっぱいあったので、木組みがなくても組んでいけたようなところがあったんですが、だんだん材料も少なくなり、建物も大きくなっていくと、材料を足さないといけない。材料が細いから、しっかり組まなくてはいけないっていうことで、木組みもいろいろ改良されていった。あと、大工さんの腕比べなんかもあって凄いものになっていたんだと思うんですけどね。


今回のお話いかがだったでしょうか。来週も引き続き「木組み博物館」のお話です。

【今週の番組内でのオンエア曲】
・Bang Bang / Mani
・輪廻ハイライト / 椎名林檎
水中写真家・中村征夫さんのインタビュー、年末からお届けしてきましたが、今週でラストとなります。
中村さんが、去年発表した写真集『遙かなるグルクン』。40年にわたり、沖縄に通い、地元でグルクンと呼ばれる魚と、それを獲る漁師…海人の生活をカラーではなくあえてモノクロの写真に収めてきた一冊です。
カラーだと、沖縄の青い海と空。鮮やかな風景に どうしても目を奪われるので、うみんちゅたちの営みを伝える方法として、モノクロを選んだという中村さん。それは、そこまでして伝えたいコトがあるからなんです。

 沖縄の方たちに最も愛されている魚っていうのがタカサゴっていう魚で、方言でグルクンって言われるんです。グルクンは海の中では青い姿で群れで泳ぎます。一部黄色い線が入ってるけど、とっても美しい色なんです。これは沖縄の海のように美しいということで、沖縄が1972年に本土に復帰になると同時にグルクンも沖縄の県の魚に認定されるんですよ。
 グルクンというのはとにかく刺身よし、煮てもよし、唐揚げもよしで、一番沖縄の人に愛されていて食されている魚なんですね。それを取る漁が追い込み漁という伝統漁法で、明治時代から沖縄の糸満が発祥の地で、そこで編み出された漁なんです。この漁は多くの人を必要とした。みんな潜って網を貼らなくちゃいけないから。巻き網船とか底引きで取ればいいじゃないかって思ったら大間違いで、グルクンはサンゴ礁に沿って一緒に群れで泳ぐので網が全部引っかかって網が破けちゃう。そこからみんな魚が逃げちゃうので、まず群れを見つけて飛び込んで、自分らで網を張るしかないんです。
 グルクンのいるところっていうのは結構流れが早いです。魚はそういうところを好むんです。と同時にサメも来るわけですよ。だから非常に危険な海域なんですね。そこに30m、40mも素潜りで潜って漁をやってるわけですよ。それがアギヤーっていうんだけども、アギンするっていうんですよ。魚を上に追い上げることをアギンって言うんですね。それでアギンってことを何回も言っていくうちにアギヤーってなったんじゃないかと思います。だからアギヤー漁っていうのは沖縄の糸満が発祥の地で、一つの船団が5、60人もの人手が必要だったんです。それで色んな島々に受け継がれていくんですね。今は宮古島の隣の伊良部島にわずか10人切っちゃいましたけど、細々とやってる船団が残ってるだけなんです。
やがて数年後には消えちゃう運命にもあるということで、今すぐこのグルクンをアギヤーの漁師たちのドラマをまとめて写真集に出さないと、若者が何人でもいいから後継者となってくれればいいなという思いも込めて出した本なんですね。でないと、もうグルクンが食べられなくなっちゃう。
 実はアギヤーは糸満から編み出された漁だけども、グルクンだけじゃなくていろんな魚も追い込んで全部取っちゃうんですよ。それで糸満では漁ができなくなってしまった。それで母船に十艘くらいのサバニを積んでシンガポールだとか、東南アジア方面に漁に行ったんです。そこで糸満という名前が世界に知れ渡っていくんです。すごい漁師の集団がいるぜってことで。


〜中村さんが初めてその漁を見た時ってどんな印象を受けられたんですか?
 まず4、50人でドーッと沖へ行く。そしてパパッと数人飛び込むのね。そして永遠と泳いで魚群を探すんですよ。この潮の流れの早いところを潮に逆らってよく泳ぐなと思いました。裸足ですよ。そして、ミーカガンと呼ばれる木彫りのメガネをつけて永遠と泳いでるんですよ。シュノーケルもなく息を吸いながらまた顔を付けて。
 そして魚を見つけてパッと手を上げると組合長と漁労長がダーッと舟を走らせてあっという間に潮の流れを計算して、網を張る。海底のサンゴ礁がどうなってるかっていうのはもう100〜1000くらいの数のポイント全部わかってるらしいです。地形まで。だからこの潮だったら、今日は旧暦の何月何日だから潮はこう向くとか全部わかってるんです。だから今の時間を計算して、風も計算して、潮を切るように袋網を張っちゃうのね。その為にみんな潜ります。サンゴとか岩に底の方を縛るわけですよ。簡単にほどけるように縛っちゃう。それで袋網が潮を受けて弧を描くわけですよ。そうすると今度そこに魚を導く袖網っていうのをサンゴ礁に一枚。沖合の方に一枚。要するに扇を広げた格好、扇の付け根のところに袋網があります。数百メートルにも渡って張るわけです。連結して。それで昔は何キロも沖合からみんなもぐって追い込んできたの。袖網に。それで潜ったり上がったり潜ったり上がったりしながら追い込んできて、それで袋網にグルクンがドッと入ると袖網をパパッと外して袋網をすぐ結んで袋状にして上げていくんですよね。それが目にもとまらぬ速さでそれが美しいのなんの!それこそ子供も10歳くらいから鍛えられてきた海人たちなんですよ。貧しくて農家の子供はみんな売られてきてるんですよ。親元から離れて。そういう子供たちが今のグルクンを獲って沖縄の県民の方たちが喜んで食卓で食べてるってことはほとんどの人が知らない。


〜そういう歴史的背景の上にグルクンの漁があって、水産の歴史があってってことなんですね。
そうなるとカラーじゃないでしょ?やっぱり。

〜沖縄の海といえば、今も本当にいろんな問題があって、例えば辺野古の問題とかあると思いますが、そういうことについてはどう考えていますか?
 辺野古も潜ってます僕は。海藻が南国特有のジュゴンが食べる海藻ですね。そういうものがいっぱい繁茂してますね。そして魚も結構多いですよ。だから沖で大きな魚がやってきて、辺野古の海辺りにやっぱり産卵場があるんですよね。そこに卵を産んで帰っていくわけでしょ。だからああいうところにそういう基地を創るっていうことはいかがなものかなってすごく思うんです。生態系がかなり破壊されてしまう。
 海の環境っていうのは、生き物たちはヤワじゃないけども、と同時に元々自然に無かったものを持ち込むことによってあっという間に環境が悪化してしまう。そこで人間の暮らしぶりをちょっと抑えることによって一気によみがえるそういう世界でもあると思うのね。そういうものを様々なところでいろんなことを目にしてきたので、もっと自然界から、この生き物たちから学ぶべきことはたくさんあるのになと思って残念でならないですね。


中村征夫さんのお話いかがだったでしょうか。今回のお話はポッドキャストでも詳しくご紹介していますので、こちらもぜひお聞きください!

『遙かなるグルクン』


【今週の番組内でのオンエア曲】
・Ob-La-Di,Ob-La-Da / Beatles
・海の声 / 桐谷健太
あけましておめでとうございます!今年もどうぞよろしくお願いいたします!
年をまたいで今週も、世界の海を股に掛ける水中写真家・中村征さんのインタビューをお届けします。
流氷ながれつく知床、東北・気仙沼から、東京湾まで、各地の海に、カメラとともに潜り続けてきた中村さんですが、今回はそんな中村さんが、数十年にわたり追いかけている沖縄の海と、そこで営みを続ける「うみんちゅ」たちのお話です。

〜中村郁夫さんの「美ら海 きらめく」には、すごく魚と近くて、正面切って向き合ってるシーンもすごく多くあるなと思ったんですが、この一枚はどうやって撮られたんでしょう?
 相当時間かけてます。一枚撮るのに一時間じゃきかないですね。魚が僕を危険な生き物じゃないと認めてくれるまでは近づけてくれないんですよ。普通はサンゴの中なんかにヒュッと入っちゃいますよね。隠れてしまいますね。だからいつも笑われるんですが、僕は動かないんです。動くと魚は逃げちゃうんです。だから動かないでじっとしてると、自分の縄張りを荒らしに来た生き物じゃないんだなって思うようになるんですね。僕の写真は5僂箸10僂箸、近くで撮ってるのが多いです。だから触るくらいまで近づいて撮ることが多いんですけども、そこまで近づけてくれるには相当の時間をかけないとだめなんです。
 一緒に潜ったアマチュアの方たちが一時間くらい楽しんで戻って来ると、僕まだ同じところにいるわけですよ。これはみっともないなと思って、死んでるんじゃないかなと思われるかなと思うから、わざと立ち上がって、岩を一回りしたりしてみんなと挨拶して、みんなが船に上がるのを見届けてからまたそこで粘るとか結構気使いますね(笑)「全然動かないですね」ってよく言われますよ。
 ドーンと飛び込んで、下に撮りたいものがペアでいた場合、一気に近づくとすぐ穴の中に入っちゃって出てこないから、徐々に徐々に近づくんです。最低50僂箸近づいていって、そこからまた徐々に寄っていくんだけども、水の中だから波長とかでこっちの気持ちまで全部わかってるしまうんですよ。例えばピント合わせながら「うまそうだなあ」と思うとすぐ逃げちゃう。ヒラメとかカレイとか。それで、カメラのレンズが飛び道具に見えちゃうから、レンズは向けないように斜めにしておきます。それで、呼吸したときに泡がバーッと出るでしょ。あの泡も嫌うんです。だからポロポロ、ポロポロっと少しずつ出すようにして、本当にだから大変ですよ。


〜撮る瞬間はどうなんですか?魚たちは撮られた!って思う?
 まず自分の縄張りを守ってるから、小さな穴があれば穴の前でデンと構えてるんですよね。縄張りを僕によって追い出されちゃうと、すぐ餌として他の魚に食べられちゃう可能性があるんです。だから何があってもここは守らなくちゃいけない。それでもう怖い顔をして僕をにらみつけてくるんですよね。それで僕は目と目を合わせないようにして、隣にある丸い石とか四角い石をじっと見てるんです。「良い石だなあ」なんて言って。そうすると魚もね、フッと石を見るような気がするんですよ僕は。「何見てるの?石なの?この石か?」ってフッと顔を背けてね。だから僕は魚の顔と石と僕と三角形の頂点にいるようにするんですよ。そして今だと思ってヒュッとカメラ向けてパシッとストロボ光るじゃないですか。そうすると「やられた!」って感じでピョンッとジャンプします。そして背びれが全部立ちます。ピッと。緊張した瞬間ですね。その瞬間をもう一枚パシッと撮るとまたピョンとジャンプして。でもねそのジャンプは二回までです。たったの二回で「光ったストロボは大丈夫」って学習しちゃうんですよ。もう驚かない。あとはどんどん前にくる。おそらくレンズのガラスに自分が写るんじゃないかなと思うんですよ。それで覗きに来ちゃうんじゃないかな。「なんだこいつ?」みたいな。だからそうやってほとんど騙し合いですね。自然に住む生き物と駆け引きして、やったぜ!って瞬間はものすごく快感なんですよね。

〜新刊のお話をさせていただきたいんですが、「遙かなるグルクン」が出たばかりですね。この番組でも沖縄の伝統木造船「サバニ」を取材したんですが、本当にサバニに乗っている漁師たちの今とそして昔がわかる一冊だなと思ったんですが、これはいつから撮影されてるんですか?
 最初は40年程前ですね。当初はカラーで撮ってたんだけれども、数年してこれは失敗した!と思ったんです。この漁師たちとこの漁の様子っていうのは、カラーではこの味は出せない。色が逆に邪魔しちゃうなと思ったんです。沖縄の青い空とか、白い雲、青い海、カラフルないろんな船の装飾品とかが先に目に飛び込んできちゃうので、彼らの勇壮な漁業、それから彼らの生い立ち、厳しい訓練を受けて一人前になった人となりがカラーでは出せないなと思って白黒に切り替えたんです。それで三十数年になります。もう一回撮り直したって感じです。

〜なんでこんなに沖縄の海きれいなのに、全部モノクロなのかなって思ったんですよね。
 そう思うでしょ。だから色を想像してほしいということなんですね。一枚の杉の木材を削って作ったのが刳り船といって、サバニはさらにその一枚の杉の木材を貼り合わせて作ったのがサバニで細長いんですね。それで非常に不安定です。横揺れが激しい。ただスピードが出るんです。だからそういう設計なんですが、「サバニ」の名前の由来はあまり知られてないんですけども、サメのことを沖縄の方言でサバって言うんです。サバニは杉材なので強烈な太陽の光を浴びて痛むんですよ。だから亀裂が入ったりするし、それでサメの肝臓をよく塗るんですね。それによって腐食を防ぐわけですよ。だからしょっちゅうその木造の舟で沖合に行ってはサメを釣って、サメを満載にして帰ってくる。サバの荷を満載にしてくるからサバニと呼ばれるようになったということらしいんですよ。

今回のお話いかがだったでしょうか。
今日のお話に出てきた写真集『美ら海 きらめく』『遙かなるグルクン』はナショナルジオグラフィックから出ています。ぜひお手に取ってみて下さい。

『美ら海 きらめく』 『遙かなるグルクン』

【今週の番組内でのオンエア曲】
・光 / 宇多田ヒカル
・Only Love Can Break Your Heart / Neil Young
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高橋万里恵
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