2017/1/8
寒い日が続きますね。
まだお正月気分が残っている方も多いのではないでしょうか。
「先週は“笑って、明るく”と申し上げましたが、現実には悩みも多くある事と思います。お正月も過ぎると、現実が見えてくる頃ですね」という江原さん。
今日は、現実を直視し、私たちがどのように進んで行ったらいいのかという事を一緒に考えていきました。

今夜お届けしたナンバー
◇Blackbird / ビートルズ
◇風 / 江原啓之



「私は介護職で働かせていただいています。天職と思っていて、とても楽しいです。私は未婚で80歳を越える父親と二人で暮らしています。私はこのまま結婚せず、天職と思う仕事を努めるつもりです。けれど、今まで介護施設で勤務して、ここで親をみてほしいと思った施設はありません。独り暮らしの高齢者は、もっと心配する事があります。携帯電話を持っているのか、電気がきれたら誰が電球を変えてくれるのか、灯油がきれたらどうするのか、美味しいと思う物が食べられているのか、スーパーまで行けるのか。荷物が多い時は?タクシーは高いし、年金は安いし…。と、考えればきりがありません。どうか弱い立場の方が安心できる生活になる世の中になりますように。家族がいても、色々あって淋しい人もいらっしゃる。家庭の事情はあるだろうが、何も知らない他人の介護福祉士だからこそ接する事ができる。これはいいと思います。世の中が穏やかになりますよう。私の大好きな人たちが幸せになりますように」というメールをいただきました。

江原さん
「考えさせられますね。私は昨年末に、女性セブン(小学館)で緊急提言をしました。橋田壽賀子先生が安楽死を希望するという話に対し“戦争を生き抜き、描いてきた橋田先生が、安楽死をしたいなんて言ってはいけません”という記事を出した。橋田先生からは“江原さんは、お若いから”と短いコメントがあった。けれど“若いから”と言ったら、橋田先生より年上の方はあまりいらっしゃらないから、誰も言えなくなる。1月早々に橋田先生と対談をして参りました。それも、そのうち記事になると思いますのでぜひご覧ください」


「テレビで『今どきマンションは挨拶禁止』という特集を組んでいました。“挨拶でも見知らぬ人に声をかけられたら逃げなさい”と親が子へ教え、今まで挨拶をしていた年配の方も“無視されたら不愉快だったから挨拶禁止に賛成”と組合で意見が一致し、挨拶禁止ルールになったとの経緯。私は反対です。そんな決まりより、親同士が挨拶する姿を子どもに見せる事からではないかと思います。責任も取れない・判断ができない年齢であれば“見知らぬ人で、それ以上の関わりを求めてくる相手には警戒しなさい。相談しなさい”と、周りの大人が教えればよいと思います。例えば災害時。見知らぬ人同士助け合う。困った時はお互い様。私は日本人として、このような国民性を誇りに思っていましたが、この言葉を昔話にしてしまうのでしょうか。『困っていても関わるな』『自分さえ、自分たちさえ良ければいい』という無機質な物質的価値観に染まった未来が迫ってきている様に思います。中国の『子どもが道端で倒れていても誰も助けないで通り過ぎる無関心さ』を動画で観てゾッとしたのも束の間。日本もこのような事態になっている。江原さんの『子どもが危ない!』(集英社)の危険性が顕現された世界。責任主体という言葉を再認識する必要があると感じました」というメールをいただきました。

江原さん
「先程の介護福祉士の方からのメールの内容と違うようで、似ている問題。安楽死を希望する問題に関して、今、日本では60%の人が賛成しています。多くの方は“安楽死”と“尊厳死”の違いが分かっていない。“尊厳死”というのは、余命が幾ばくかとなった時、積極的治療を拒否し、生きている時間のクオリティを高めたいという事。例えば治療の薬などでまともに動けないというよりも、家族やお友達と会ったり、旅行をしたりした方がいいという考え。これは私は肯定しています。“安楽死”というのは“もうどうせ死ぬのだから、早くに逝きたい”という事。痛みの恐怖など、色んな事があるのでしょう。その“安楽死”を橋田先生はお望みになっていらっしゃる。みなさんも、ただ傍観するのではなく、何か意見を伝えて欲しいなと思います。多くの方が賛成していたり、ネットで“潔い”などの発言もあり、テレビでもやっている。私は無責任だと思う。そういう人たちがみんな本当にあなたも安楽死を望むのかというと、違かったりもする。“死にたい?いいんじゃないの?死ねば?”“自分の命なんだから自分で決めればいいよ。でも、自分は生きる”というような世間はちょっと冷たく、意地悪な気持ちが入っているような気がする。私も橋田先生の仰っている意味は分かる。私が熱海にいる時も、結構な確率で熱海市から “○○町で、お年寄りがいなくなりました。思い当る方はお知らせください”という緊急のアナウンスが流れる。認知症の方の徘徊。見つかると“見つかりました”というアナウンスもちゃんとある。橋田先生もそういった放送を聞く度にゾッとするんだとか。自分もそうなるのではないかという恐怖。ご家族もいないから、そうなる前にという考えらしい。けれど人が“安楽死”しますというというところを、みんなで“ハイ、じゃあさようなら”と言う心ってどうかなとも思う。最後は橋田先生の責任主体だけれど“ダメ”という事の優しさというのもあると思う。無関心であるという問題とつながっている気がする。年末の除夜の鐘がうるさいという話も同じ。自分の事しか考えていない。盆踊りがうるさいという意見に、イヤホンを着けて踊るという話もあった。“迷惑だ”と言った者の勝ちという世の中。なぜ、分かち合って共有して楽しんでという輪を持てないのだろうか。除夜の鐘も仏教徒以外はうるさいのかもしれないけれど、それは風情。“新しい年が…”と思うから、私はあの音が聞きたいですけどね。熱海に行って良かったなと思うのは、日本の未来が見える事。観光客以外はお年寄りだらけ。何の当てもなくバス停のベンチに座っている方もいる。これから社会はどんどんそうなっていくでしょう。こんな事を言っても始まらないけれど、まずは行政の問題。国がこういう風にしてきてしまっている。待機児童の問題もそう。みんな共稼ぎだし大変。その親世代は親世代で、お年寄りで気の毒だけれども、どこかで何も考えずにきてしまったというところもあると思う。だからといってお年寄りを責める気にもなれない。みんなで育んでいく必要があると思うのです。これは大きな問題。私は“安楽死”は自殺だと思うけれど、自殺は増えると思う。心中や介護など現実的な問題。これからの時代、福祉だけでは頼れない。みんなで助け合うという心がないと、日本はもうもたない。それに反し、挨拶もしないという風潮。これから益々、地獄化していくと思うのです。私は敢えて憎まれ者・嫌われ者になって、言い続ける事が大切だと思っているのです。優しい気持ちになりたいですね」


「先日、夜中にテレビをつけたら、東北の被災された男性の方がガラス張りの電話ボックスの様なものの中で、亡くなったご家族に向けて慟哭されていました。お父さん、お母さん、奥さんと1歳のお子さんまで亡くされて、独りぼっちになってしまって、何の為に生きているのか分からないと泣き叫んでいました。その映像を観て聞いて、私はなんてちっぽけな事で悩んでいるのかと申し訳なく思いました。悩みはたくさんあるし、理不尽な思いをする事も多いけど、私には家族もいるし、住む家もある。この事がどんなに幸せな事なのか、当たり前なんてこの世の中に一つもないのだと思い知らされました。人の為に私が出来る事をやっていきたいと思います」というメールをいただきました。

江原さん
「私もこの番組観ました。つながっていない電話ボックスの中。被災した後、みんな一生懸命頑張って、心を明かさず、家族であっても告げずに生きているんですよね。だけど、そこに本音を語りに行って泣く。自分の思いを告げるというのは大事な事。心に問いかけるようなこういう番組、もっとやって欲しいですね。今はお笑いの番組ばかり。笑いも大事。けれど、反対側も大事。ドキュメンタリー番組、減りましたね。また、倉本聰先生の『走る』というお芝居も始まります。今度はどういう問いかけがあるのかも楽しみです。私はいつも倉本先生のお芝居を観る時は、どんな問いかけがあるのかなと思う。上の句、下の句のように、自分の答えを出すというのをいつも楽しみにしているのです」

富良野GROUP特別公演『走る』の公演スケジュールはこちらから


●江原啓之 今夜の格言

「現実を直視すること。それが地に足をつけて生きる道です」
「現実を直視すること。それが先見の明です」

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