21.04.02
オリンピック開会式・閉会式の意義
今知っておくべき注目のトレンドをネットメディアを発信する内側の人物、現代の情報のプロフェッショナルたちが日替わりで解説します!!
金曜日は『スポーツ』をキーワードにお届けします。今日、お話を伺うプロフェッショナルは、スポーツジャーナリストの生島淳さんです。
生島さんに取り上げていただく話題はこちら!
【オリンピック開会式・閉会式の意義】
吉田:東京オリンピックの開催方法の変化にともなって、開会式・閉会式の演出についても大幅な簡素化が発表されています。 コロナ禍におけるオリンピックの新しい形が模索されるなか開会式と閉会式の在り方にも、目を向けてみたいと思います。
ユージ:今回は、『オリンピック開会式・閉会式の意義』について改めて考えてみたいと思います。まずは、開会式における演出の歴史を振り返ります。
生島さん:私の知る限りの歴史でいいますと、いくつかポイントとなる大会がありまして、1936年のベルリンオリンピック、こちらはヒトラーがナチスドイツを率いていた時で、聖火リレーが始まった大会としても有名ですけども、開会式で聖火リレーの最終走者が点火する演出が始まったというのがひとつ。あと、演出が加熱化してきたところでいいますと、1984年のロサンゼルスオリンピックは、映画の都、ハリウッドに近いということもありまして、当時、僕は高校生でしたけれども、ロケットマンが飛んできたというのは、非常に印象的で、ワクワクするような印象を受けたのを覚えています。そこから、お国柄というか、国を表現するような方向へと開会式が変化、急速に舵を切った印象がありまして、私が現場で見た体験だと、2008年の北京オリンピックは、本当に人海戦術で、たくさんの若者が演技者となって、グラウンド、フィールドを埋め尽くしたというのが非常に記憶にあります。そういった形で、どういうふうに国柄を表現していくか?というところで、ロンドンオリンピックとかでは、エリザベス女王が登場して、007 ジェームスボンドも登場する!ポール・マッカートニーも!スパイスガールズも!というところで、ポップカルチャーを表現していたわけですけど、そういったエンターテイメント性の重視というのは、ここ何回かは重視されてきている一方、選手団が増えてきてですね、とても長い開会式になるのは、選手にとっては、あまり優しくないという課題も含んできておりまして、それを東京オリンピックではどう料理するか?というようなことが、今も求められていますね。
吉田:開催国によるセレモニーの演出が加熱していく一方で、参加している選手達への負担も不安視されている現状。そんな中、異例の簡素化となる東京オリンピックの開会式と閉会式。それによって、今後どんな影響が予想されるのでしょうか?
生島さん:長すぎるというのは、僕は、開会式については感じていましたので、簡略化することでコンパクトに時間がやや短縮されていくのは、好ましいと思っています。特にラクビーW杯の開会式は非常にコンパクトで、30分なかったと記憶してますけども、それでも“伝わること”“伝えられること”は、たくさんあると実感しました。今回は、コロナウイルス対策というところで、あまり選手が入場できないと思いますので、おそらく開会式の長時間化を考えると、今後は人数を絞った形での入場行進ということになっていくのだろうと思います。演出面でも、今は、そんなに派手なことを仕掛けられるような世の中の雰囲気ではないと思いますので、今後は、拡大路線からちょっとサイズを見直すという方向に行くような気がいたします。
ユージ:そんな未来を予想して頂いた上で、最後は、オリンピックの開会式・閉会式について、今、思うことを伺いました。
生島さん:非常に大切なセレモニーであるということは、僕は間違いないと思います。特に開会式に関しては、本当に高額なチケットが販売されていることもあり、その国のクリエイターたちがどういうふうな演出をするのだろう?と楽しみにしている方がいる一方で、簡素化していいのではないか?というようなTVのコメンテーターの方もいらっしゃいますけども、僕は、四年に一度のお祭りが今日から始まるということで、その国らしさ、あるいは世界とどう繋がっているのか?ということを、発表していくというのは大切だと思います。あと、閉会式に関していうと、1964年の東京オリンピックの閉会式は素晴らしかったというふうに当時の方々は皆さんおっしゃいますね。その時は、整列ではなく、国、国籍、性別問わず、入り乱れて入ってきた、そこでスポーツの自由な部分を感じたと。記憶している人だと60歳以上の方々でしょうかね。そうしたスポーツの自由な面を発表する場であっても欲しいと思うので、僕としては、東京オリンピックの開閉会式、1964年のレガシーをうまく繋いだ形で開催できればいいなというふうに思いますね。
ユージ:生島さんが語る『1964年の東京オリンピックの閉会式のレガシー』。ここにヒントがありそうですね。開催規模はこれから変わっていくかもしれませんけど、“開会式、閉会式において一番大切なことは何なのか?”それが表現できれば、歴史に残るセレモニーにすることができるかもしれないということなんですね。同じ東京でやるのであれば、1964年、実際にあった東京オリンピックをまさに引き継ぐ形で、国、国籍、性別問わず、人種も問わず入り乱れて入ってくるというのは、今の時代を象徴しているような気がして、大事なのは、長さとかよりも、もしかすると、記憶に残ること。多分、長くやることが記憶に残ることではないので、一番いい形になればいいなと思います。
そして、今日の #ユジコメ はこちら。
"リポビタンD TREND NET"??
— TOKYOFM/JFN『ONE MORNING』 (@ONEMORNING_1) April 2, 2021
4/2(金)の #ユジコメ は【オリンピック開会式・閉会式の意義】について。いろんな意見がありましたが、目立ったのは「無理に開催することはない」でした。僕個人の意見としては、見たいです。ただ反対やみんなの気持ちのらない状況でやる必要はないのかな。続く?? #ワンモ
スポーツライターの生島 淳さんの言葉で、1964年の東京オリンピックでは「国籍、性別関係なく、入り乱れて集まった」というのが印象的で、何十年も前なのに現代に合った閉会式だったなと僕は感じていて、まさに今、ジェンダーレスが叫ばれる世の中…続く? #ユジコメ #ワンモ
— TOKYOFM/JFN『ONE MORNING』 (@ONEMORNING_1) April 2, 2021
今、日本で開催されたオリンピックを再現してもいいのかな?と思いました。そこにメッセージがたくさん込められているので、演出にすごくこだわる必要もないのかなと。いずれにしても、開・閉会式が万全の状態で行われるのが一番望ましいので、無理せずそうなることを願っています。#ユジコメ #ワンモ
— TOKYOFM/JFN『ONE MORNING』 (@ONEMORNING_1) April 2, 2021