Yuming Chord
松任谷由実
2016.08.19.O.A
♪Onair Digest♪
8月も残りあと10日と少し・・・・・・、学生のみなさんはそろそろ、「夏休みの宿題」に焦りを感じはじめる頃でしょうか。
宿題の定番といえば、読書感想文。これ、ちょっと気が重い宿題でしたよね。
でも、じっくり物語の世界にひたりながらさまざまなことを感じる時間、大人の私たちからすれば、とっても贅沢なひととき・・・・・・。
残暑厳しい夏の週末は、大人の私たちも、本の世界にゆっくりひたってみたくなります。
そこで、今日のコードは「夏休みに出会う、宮沢賢治」です。


■今週のChordは“夏休みに出会う、宮沢賢治”

m1 星めぐりの歌
元ちとせ

学校が推薦する夏休みの課題図書。時代や学年に関わらず必ず含まれているのが、宮沢賢治の作品です。
教科書で読んで覚えている…、という方もいるかもしれません。
宮沢賢治のことばの世界を豊かに育んだのは、故郷・岩手の厳しくも豊かな自然だったといいます。
中学時代の賢治は岩手山にひとり分け入っては鉱物採集や昆虫採集、時には野宿して星の観察をしていたとか・・・。
ちなみに、彼の心の中に存在した理想郷の名前「イーハトーブ」とは、岩手をエスペラント風に発音したところからの命名という説もあります。
賢治文学の特徴のひとつが、オノマトペ。ものの音や様子をたとえた擬音語、擬態語がオリジナリティあふれる、味わい深いことばが連なっています。これもきっと、岩手の豊かな自然と賢治との交流のたまもの、という気がしますね。
春から夏へは“うるうるもり上がる山”や“真っ青なつるつるした空”。
秋から冬にかけての風は“どっどどどどうど どどうどどどう”。
雪の季節は”凍み雪(しみゆき)しんしん、硬雪(かたゆき)かんかん”など・・・。オノマトペはつい、声に出してみたくなるもの。


m1 " align="left" alt="m2" /> 11月3日(雨ニモマケズ)
ザ・フォーク・クルセダーズ

賢治は、1986年(明治29年)の8月27日、岩手県・花巻市に生まれました。
今年は、賢治の生誕120年というメモリアルイヤーでもあります。
これを記念して、花巻市では今年の春からおよそ1年間、さまざまなイベントを開催中です。
たとえば・・・誕生日をはさんだ8月26日から28日にかけての3日間開催さ れるのは、「イーハトーブフェスティバル」。
宮沢賢治童話村で繰り広げられるスペシャルトークやライブには、ジブリアニメの重鎮・高畑勲監督ほか、豪華ゲストが登場するそうです。
また、宮沢賢治記念館では、明日から28日まで、「雨ニモマケズ手帳」の実物を展示。死後、発見されたこの手帳には「雨ニモマケズ」をはじめ賢治の心象スケッチが書き留めてあります。
晩年、病床でこれまでの作品の推敲や改稿に力を注いた賢治でしたが、「雨ニモマケズ」はこの手帳に描かれたものだけ。
発表するつもりはなく、自分が理想とする生き方を記したものだったかもしれませんが、それでも、この詩は代表作になりました。
心象スケッチと呼ばれる原稿のきれはし、素描、書簡・・・、手書きの文字やイラストからは、彼の人となりが浮き彫りになっています。
宮沢文学をひもとくためのキーワードをあげてみると・・・・・・彼は、父の影響もあって、仏教のひとつ、法華経の教えに傾倒していました。
の心をつかんだのは、「命あるものはみな仲間」という教え。それが、彼の自己犠牲の精神の基本にあったといわれています。
仏教の教えは、賢治の宇宙的視点にもつながりますよね。弟への書簡には
『もし風や光のなかに自分を忘れ
世界がじぶんの庭になり、あるいは惚として、
銀河系全体を ひとりのじぶんだと感ずるときは
たのしいことでは、ありませんか』・・・・・・とあります。
賢治には、科学的な視点もありました。農学校の教師をしていた彼は、生徒たちへ贈ることばに、
『新しい時代のコペルニクスよ
余りに重苦しい重力の法則から
この銀河系統を解き放て』と書いています。
少年時代は石を集めるのに夢中になって、あだ名は“石っこ賢さん”。地学、鉱物学もきわめた彼の作品には、石について記したものがたくさんあり、“じつにそらは ひとつの宝石類の大集成”という表現もあります。
「ほんとうのさいわい(ほんたうのさいはい)」というのも彼のテーマ。
“世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない” ・・・・・・というのが賢治の考えでした。
「河鉄道の夜」では、ジョバンニはこう、決意を述べています
『僕もうあんな大きな暗(やみ)の中だってこわくない。
きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く』
その結果、賢治を玄米と味噌と野菜のみを食べるベジタリアンへと導きます。
生物のからだを食べるのをやめるようになって、“からだが無暗に軽く又ひっそりとした様に思います”と語っていたとか。
食べものは、こころを作りますよね。
そして、ユーモアも忘れなかった賢治。作品の中には“おかしみ”がありますよね。オノマトペもそのひとつといえそうです。
もちろん実生活でも、花巻農業学校の教師時代には、寄宿舎の生徒たちを呼び出して「途中に川があってもたんぼがあっても、直進あるのみ!」という長距離歩行大会を楽しんだりしたとか。


m3 緑の街に舞い降りて
松任谷 由実

宮沢賢治は音楽も愛していました。SPレコードにのめり込んで、彼ひとりの購買力で、花巻のレコード店が東京の本社から表彰されたこともありました。好きな作曲家はベートーヴェン、「運命」「田園」をよく聴いていたそうです。
ちなみに、賢治を写した有名な写真、コートを着て帽子をかぶり、手を後ろに組んで田園をうつむきがちに歩く姿。
あれは、ベートーヴェンの散策姿を真似したものだったとか。
また、チェロを抱きしめて「これは俺の女房だ!」と言った話も有名です。
ほんとうのさいわいについて、いつも考えていた賢治。
今も銀河のかなたを走る電車の窓から、私たちの幸せをきっと、願ってくれているに違いありません。
いつも自分はあとまわしだった賢治が、今、幸せな旅を続けていてくれることを夏の夜空に祈ってしまう私です。
「マリヴロンと少女」という賢治の短編から、こんな一説を引用してお別れしたいと思います。
『正しく清くはたらくひとは ひとつの大きな芸術を時間のうしろにつくるのです』
そんな気持ちで、私も日々、創作活動を続けていきますね。




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