SCHOOL OF LOCK!未来新聞 2016年3月11日号

SCHOOL OF LOCK!未来新聞 2016年3月11日号
被災地と呼ばれる地域が被災地としてではなく、
岩手県宮古として知られるように、私たちがしていかなければならない。


震災当時中学三年生、15歳だった私は、今年成人式を迎えました。
当時は毎晩SCHOOL OF LOCK!を楽しみに聞いていました。
震災の時も、ラジオや音楽が、暗くて静かな夜に心の支えになった記憶があります。

震災から5年。
日に日に地元への思いは強くなるばかりです。地元宮古(*岩手県)で店を出すと周囲にいい続け、自分を奮い立たせながら、今は宮古を離れ長野で大学生をしています。高校を卒業して感じるのは、地元を離れた仲間たちのなかで「宮古に帰りたい、宮古が好き」という声が聞こえてくるようになってきたことです。単に地元を離れたからなのか、はたまた震災を受けた後の3年間、目まぐるしく変わっていく故郷を見つめて暮らしてきた中で生まれた思いなのか、私には測りかねますが、震災が当時の中高生に大きな影響を与えたのは明らかです。特に震災の前からもっと宮古を元気にしたいと思っていた私にとって、震災後参加した高校生の活動を応援してくれるNPO団体での活動は大きなチャンスであり、今の私を作る大きな要素となりました。当時発足したばかりの団体も気づけば5年。今もなお宮古の魅力を自らで見つけ、発信しています。私達よりも熱く熱く活動しているみんなが正直羨ましい!大人になったらこういう子供達の力になりたいと思います。

私には震災以来ずっとひっかかっていることがあります。
それは、自分のことを被災者と言っていいのか、ということです。

私よりも大きな被害を受けた人がたくさんいる中で、私が被災者なんて言うべきではない、とずっと思い続けています。震災の記憶の風化、といえど、岩手の沿岸出身と言えば震災の話題になります。当時中学生で、なおかつほとんど被害を受けなかった私は、どう答えたらいいのか正直わかりません。そして、それが社交辞令的な質問になっていることにすこしの苛立ちというか、もやっとした気持ちを持ってしまいます。大丈夫だった?と聞いて、私がもし大きな被害を受けていたらそれは傷をえぐることになるって思わないのか、はじめましての会話でつらい気持ちになる人がいると思わないのか、と。どうせ聞くなら、宮古ね!いいところだよね!とか、行ったことあるよ!とか、どんなところ?とか、ポジティブな話題で広げていってほしいと思っています。私だから笑って話すけど、そうじゃない人のほうが多いんじゃないかな。私自身は被災者と言えないけど、宮古人だからそれはそれでいい、誇りをもっていこう。高校三年間でいろんな人と関わって、大学生になってまた色々な人と関わって、やっと最近はっきりした考えがこれです。

被災地と呼ばれる地域が被災地としてではなく、岩手として、宮古として知られるように、私たちがしていかなければならない。もう大人になる。当時は何もできなかったけど、これから宮古のために私たちから発信していけることがあるはずなんです。同級生たちはそれぞれの学びを深めている最中。あと少し、あと少ししたら、今度は私たちが故郷を作っていく番になる。それが楽しみすぎて!あの頃アツいな!と思った大人たちの背中を追いかけるんじゃなくて、並んでアツい大人になりたい!越えてもっとアツい大人になりたい、そう思う今日この頃です。

小野寺しお 長野県(岩手県出身) 20歳 女