NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

今、仕事も家庭も自分磨きにアクティブな生き様を実践する女性達。そんな女性達がいつまでも輝く心と勇気を失わず、体も心も健康な毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを送るのが、このノエビア カラーオブライフ。「生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと」をテーマにした、トークや音楽、話題、情報などが満載です。

TOKYO FM

NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

唐橋ユミ

今、仕事も家庭も自分らしく、いきいきと生きる女性たち。いつまでも輝く心を失わず、心も体も充実した毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを伝えます。“生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと”をテーマにした、トークと音楽が満載のプログラムです。

Guest村治佳織さん

村治佳織さん

クラシック・ギタリスト。幼少の頃より数々のコンクールで優勝を果たし、15歳でCDデビュー。フランス留学から帰国後、積極的なソロ活動を展開。2003年、英国の名門レーベル・DECCAと日本人初の長期専属契約を結ぶ。出光音楽賞、村松賞、ホテルオークラ音楽賞、ベストドレッサー賞など数多くの賞を受賞している。

受動的と能動的のバランス

2022/01/22
村治佳織の分岐点、
スペインの作曲家ホアキン・ロドリーゴとの出会いがある。

「ホアキン・ロドリーゴというのはあのスペインの作曲家で98歳まで生きられた方ですね。大作曲家ですからお会いできるなんて思ったこともない、願ったこともなかったですが、でも曲は大好きで、あの中学生の頃から弾いていました。留学する前にロドリーゴさんの曲だけを集めたパストラルというアルバムをリリースしていたんです」

そアルバムはロドリーゴの元に届き、
村治の元にはお礼の手紙が届いた。

「ロドリーゴさんの住所見ましたらマドリッドって書いてあって、電話番号とか住所も書いて印刷されているんですね。雲の上の人と思っていたけど、実際にこの町のここにいるんだみたいなそんな気持ちでお会いしてみたいなと思っていたところ、テレビ番組の企画でお会いすることができて、最高の思い出ができました」

パリ留学を経て、村治の気持ちはスペインへ。

「マドリッドはそのままの自分の素でいられるっていう、なんか雰囲気もありました。23歳の時に行ってきたんですけど、朝の月曜日から金曜日の午前中は語学学校に行って、午後は帰ってきてギターの練習だったり、夜はホームステイ先の10代の女の子にディスコに連れてってもらったりとか、クラブですね。そんな楽しい日常でした」

作曲家ホアキン・ロドリーゴと出会いスペインへ。
すると村治佳織の人生に大きな変化が訪れる。
     
「素直に人生楽しいなって思えるようになりました。自分の好きな人たちと生活して、好きなことができてなんて人生楽しんだろうって心から思ったり、それを表現できる。それはね25歳ぐらいからよりできるようになりました」

それでスペインでの経験もあり、
25歳でレーベルをデッカレコードに移籍する。

「デッカというのはそのロンドンに拠点があるレコードレーベルなんですが。世界契約っていうかその日本で売るだけではなくて世界各国でアルバムを販売するっていうそういう条件での契約はどうですかっていう話が来まして。サインをしにロンドンに行きました。こういう方とコラボしたいって言ったら人脈が広いので、そういう方を共演者の人を用意してくださったりとか、自分の想像以上の展開がやってくる」

パリ、マドリッド、ロンドン。
村治佳織にとってはどんな時代だったのか?

「常に人との出会いに恵まれていたなと今でも思いますし。私の好奇心を刺激してくれる。で、ちょうどその受け身と能動的な良いバランスを20代で確立できたのかなーって思いますね」
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すべての出会いに意味がある

2022/01/15
天才女子高校生ギタリストと言われ注目された村治佳織。
高校卒業後はプロに専念しようと考えていたのか?

「プロに専念というよりも、まだ勉強したいという気持ちがあって、演奏活動は日本で行いながらも、本場のヨーロッパで勉強したいという気持ちはありました。だから、高校を春に卒業してその年の夏からパリに行きました」

入学したのはパリのエコールノルマルという音楽院。

「昔ながらの建物を音楽院に改装中か使っている感じだったので、手すりもアールデコ調の曲線美だったりとかお部屋の中も天井も高くて絵が飾られていたりとか、ヨーロッパのサロン的なそんなところでしたから全くその大学のようなの教室が広々としていてみたいなイメージではなかったですね」

パリでのキャンパスライフとは?

「学生の人数もそんなに多くはなくて一週間の中でギターのレッスンそれからフルートとかバイオリンとか他の楽器とか一緒にやるアンサンブルのレッスン、これが必ず入ってくる、後は音楽理論を学ぶレッスンがあるというそのキツキツなスケジュールが入っている感じではなかったです」

初めての一人暮らしでもあったパリ留学。
そこで見つけた 村治佳織のポリシーがある
     
どんなことも前向きにとらえようとする、
起こること会う人に何かの意味があると感じるようにする。

「私は、パリ留学する前からデビューしていたわけなんですけれども、やはり友人たちはこの先どんな風に音楽家としてやっていこうかっていうふうに考えている人もいたりとか、後は親御さんの反対を受けるって言うケースもあったんですよね。留学に対して。そういう1人1人違うあのバックグラウンドがあるんだなーって。改めて自分の人生っていうのはその親にサポートしてもらったりとか、チャンスを頂いたとか、一つ一つ起きてきた出来事っていうのも大事にしないといけないなという風に思いました」
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気持ちを高ぶらせてくれるものとの出会い

2022/01/08
村治佳織はギターのレッスンを受けていた福田進一氏をキッカケに人生を変える出会いがあった。
レコーディングプロデュ一サのーの野島友雄氏だ。

「野島さんが私の演奏を聴いてくださったところこれは CDを出せると思ってくださったみたいで、とんとん拍子に決まりました。デビューが。ギターのみならず色んな音楽を聞かれている方なので、音楽全般に対しての知識が物凄いあるか方なんだなと。また幸運だったのは、同じ時期に受けた大きなコンクール。こちらでも1位をいただけたので、何かそれでぐんとこ弾みがついたと言うか、一気に」

14歳でデビューリサイタル。
15歳で CD デビュー。

「恥ずかしかったですね。自分の顔写真がのったCD店頭に並んでいるってならしばらく行けませんでした。喜びに浸るというよりも。もっと頑張っていこうという感じでした。学校は学校で普通校に行っていたので、報告はしていましたけれども、アイドルのような出方ではないっていうところクラシックとゆうこジャンルを守るっていう感じだったので、必要以上に学校では目立たないようにしていました」

ギターと巡り合いプロデビュー。
村治佳織にとっての10代とは?
     
「初めてのアルバムを中学3年生の秋に出して、一年に一枚というペースでした。クラシックってポップスの様に何カ月もスタジオにこもって書くとかではなく3日、4日あれば終わるものなんです。事前に準備をしっかりして、人様の前で弾けるような状態にしてから、だからコンサートと一緒ですね。レコーディングもスタジオでやることもあるんですけど、でもコンサートホールを貸し切ってお客様のいない広々としたこの空間の中でずっと演奏するんですね。なので学生時代は春休みとか夏休みとか長いお休みの時にレコーディングをする感じでした」

高校生活はレコーディングにコンサート、そして学業、その日々とは?

「CD を出す期間なるとプロモーションとして学校帰ってくるともう家だったり他の場所でインタビュアーさんが待っていて、インタビューを受けたりとか。目まぐるしかったですね。ただその学業も専念する期間もあったので、青春を全部潰してという風には思ってないですね」

10代の村治佳織にとってどんな存在だったのか?

「とにかく自分を高めてくれるものって思っていましたし、社会とのその接点を私に与えてくれるものだし、多くの方に知っていただきたいっていう気持ち気づかせてくれるものにもなりました」
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ギターの調べ

2022/01/01
父親である村治昇は1966年より講師を務め、その後ギター教室を開講。
みずからの子どもである村治佳織、奏一姉弟をはじめ、
数々の若手有名ギタリストを指導。
ギター早期教育の第一人者とされる人物だ。

その父親について村治佳織はこう語る

「父がとても自然な形でギタ一の道を作ってくれました。
母が、趣味でギタ一を習いたいと思い、
父のギター教室の門を叩いたところから、
私の人生にも繋がってくるのだなと思うと、
人生の不思議、ご縁の不思議を感じずにはいられません。」

父親からギターを学んだ村治佳織は
10歳の時、
日本を代表するギタリスト福田進一氏に師事。
小学校5年生にして全国コンクールで史上最年少優勝すると
92年、中学2年生の時にはブローウェル国際ギターコンクール、
東京国際ギターコンクールでも最年少優勝。

「父と母、二人の元に生まれてきたことがそのままギタ一との出会いに繋がっています。
気がついたらギタ一を弾くことが日常の一部で他の職業を考えたこともなく、ここまで歩んできました」

そして、世の中は天才女子高生ギタリストと囃し立てることになる。
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