NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

今、仕事も家庭も自分磨きにアクティブな生き様を実践する女性達。そんな女性達がいつまでも輝く心と勇気を失わず、体も心も健康な毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを送るのが、このノエビア カラーオブライフ。「生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと」をテーマにした、トークや音楽、話題、情報などが満載です。

TOKYO FM

NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

唐橋ユミ

今、仕事も家庭も自分らしく、いきいきと生きる女性たち。いつまでも輝く心を失わず、心も体も充実した毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを伝えます。“生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと”をテーマにした、トークと音楽が満載のプログラムです。

Guest俵万智さん

俵万智さん

1962年大阪府門真市生まれ。早大在学中から短歌を始め、87年の「サラダ記念日」で現代歌人協会賞。単行本と文庫あわせて280万部のベストセラーに。短歌のほか、小説やエッセー、脚本など幅広く執筆活動を続けている。

親目線で学んだ言葉たち

2020/08/08
2003年。
俵万智は大きな転機を迎える。
息子という存在との出会いである。

「。この真っ白で生まれてきた人間が言葉を習得するとかな?その過程っていうのが本当面白かったですね。例えば、ツツジの花の季節なんかに、ピンクと白のツツジが咲いていて、息子にとっては全く違う花と思っている。それをツツジと言っても私たちなんにも疑問に思ってないんだねとか、息子を通してまたをもう1回自分も言葉に出会い直すようなそんな感覚がありましたね」

息子との日々を短歌にしてまとめた「プーさんの鼻」が若山牧水賞を受賞。
さらには第5回ベストマザー賞にも輝いた。

「すごく励みになりましたですね。立派なお母さんで表彰されるって言うんではなくって、頑張ってるねっていう感じの賞だったんですね」

言葉の達人・俵万智の才能は、
息子に受け継がれている。

「宿題やってるとすぐ疲れたって言うんですよね。だけど、遊んでる時は全然疲れないと。本当、随分違うねと、ちょっと嫌味っぽく言ったら”集中は疲れるけど夢中は疲れないんだよ”って」

「電子書籍についてちょっと説明した時とか”便利だけど、やっぱり俺はこの漫画の本をペラペラした時に顔に当たる風が好きなんだよね”とか言ったり」

言葉にあふれた毎日を過ごしている俵万智。
10年先のビジョンとは?

「これまでと変わらず短歌を大事に作り続けていきたいっていうのがもう基本中の基本ですね。
やっぱこのコロナのことがあって、すごく日常の大切さっていうのはなんか再認識させられるようなこともあって。やっぱ、短歌っていうのは、日常のトキメキやちょっとした心の揺れから生まれてくるものなんです」

そんな日々の中で一首を紹介してくれた。

オンライン歌会がトランプの絵札に見えたこと
こういう状況でも心と言葉が通い合えばね、楽しむ同じ時間を共有できる。
その状況をまとめたものだ。

「トランプの 絵札のように集まって 我ら画面に密を楽しむ」

あなたの日々も言葉に認めては?
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自分が保てた 日常という環境

2020/08/01
大学卒業後の進路。
言葉が好きな俵万智が選んだのは国語教員の道。

「やっぱり自分の好きなことをイカせるっていう意味では国語っていう教科がすごく好きでしたし、教育実習なんかも言ってね生徒たちと時間を過ごすのがすごく楽しかったので、神奈川の県立高校の高校の教員になりましたね」。

教職、短歌を綴る日々。

「短歌っていうのは自分が生きてるって言う事と並行してある感じなので、短歌を続けてましたね。角川から出てた短歌って雑誌の角川短歌賞というのが毎年あって、毎年のように作品をまとめて送って、3年しつこく送って賞もらったりしましたね」

そうした日々に、ある思いが芽生えます。

「欲も出てきて歌集にまとめてみたいっていう風な気持ちになって、ボーナスとか使わず貯めて自費出版しようと思ってたんですけれども、出版社の人が声をかけてくれるという大変幸運な出会いもあって、歌集を出版してもらうことになったですね」

教員なって2年目。
あのベストセラー作品「サラダ記念日」が誕生した。

代表的な一首は「この味がいいねと 君が言ったから 七月六日はサラダ記念日」

「なんでもないようなサラダでもこう、、、美味しいって言ってもらえたことで、その記念日になっていくっていうのが、ちょうど自分にとっての短歌ってそういうものだなあと思って、なんでもない日をサラダ記念日にしていくのが私にとっての短歌ですよっていうそんな気持ちでタイトルにもしましたね」

その「サラダ記念日」には、こんな話も                              
7月6日はサラダではなかった?

「その歌については、そもそも7月6日でもなかったんですけど。あの~たまたまね。あの~ボーイフレンドにお弁当作って、カレー味の唐揚げにしてみたんですよ。ちょっと工夫して暑いしてみたいな。それがすごい褒められて、いや今日記念日だわと思ったのが歌を作るスタートですね」

「サラダ記念日」がベストセラーとなり、
一躍、時の人となった俵万智
それは、身近な人のやさしさにも助けられた日々だったという。

「いろんなオファーが殺到するとはいっても、やっぱり月曜からその頃土曜日午前中まで学校があったので、そこがの砦になってくれたっていうのかな?そこはもう、今までと変わらない日常があって、子供たちとの時間が確保されてたので、あれが一週間全部だったら、なんかと私ちょっと平常心保てなかったんじゃないかなと思いますね。だから学校があって、自分は助かったって気がしています」
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自分にあった表現方法

2020/07/25
読書、方言、演劇部のセリフ。
様々な言葉に触れててきた俵万智の幼少時代。
東京での大学生活で、人生が大きく変わる出会いがあった。

「大学時代はアナウンス研究会というサークルに入りました。あの~、”美しい日本語を研究するサークルです”というキャッチフレーズも気に入ったし、高校時代では演劇してたんですけれども、演劇活動から体を抜いた活動みたいな感じですよね?アナウンスって。だから、すごく楽しかったですね」

楽しい大学生活。
しかし、それはホームシックとの戦いでもあった。

「学年でも有名なぐらいホームシックで、試験の最終日にはボストンバッグ持って試験会場行って、そのまんま新幹線乗って帰省するみたいな勢いで、家族がいて当たり前の暮らしがそれまで18年続いてたわけで、急に日常会話をこう、、、する人がいなくなっちゃったその不安っていうのかな大きかったですね。こういう日常って失われて初めて気づくんです。家族とおはよういうのがもう当たり前だけど、それが無くなって、どれだけ自分の元気になってたかとかね。なんかすごい思う」

そんなホームシックの日々をガラリと変えてくれたもの。
「短歌」である。

「たまたま早稲田で取った授業で、佐佐木幸綱先生が授業してて、そがすごくエネルギッシュで面白いお話で、この人の書いた物をちょっと読んでみたいなと思って本を探したら、短歌集があったんですね。その佐佐木先生の歌集を読んだら、今を生きるエネルギッシュな表現方法として生きてて、こういうのだったら私も書いてみたいと思ったのがきっかけでした」

「短歌は短いので、自分の思いを整理するのにすごく役立ってくれるって言うかな。
なんか、何文字でもいいよってなるとダラダラしてこう、、、とりとめなくなっちゃうんだけれど。この字数に収めるとなったら、より大事なものだけを残そうっていう風に厳しくなれるので、すごくいい形だなと思いますね」

アナウンス研究会
短歌との出会い。
大学4年間も言葉にあふれた日々を過ごした
俵万智であった。
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ターニングポイントは言葉との出会い

2020/07/18
言葉の達人、俵万智の人生は、
環境の変化によって育まれてきた。

「14歳まで大阪に住んでいて、本が大好きな子どもでした。近所にたくさんの本を持っている方がいて、毎日のように一冊2冊本を借りては次の日持ってってまた新しい本を借りるっていうそういう身近なところに言葉があふれていました」。

文字から興味を持った「ことばの世界」。
次に加わったのはイントネーションという「こどばの世界」であった。
中学の時に大阪府から福井県への引っ越しがもたらしたこととは?

「自分史を振り返る時はすごく大きなターニングポイントですねという点でなんかカルチャーショックも色々ありました。自分が大阪弁を喋ってるって事に初めて気付いたんです。福井弁を勉強したんですけど、人の輪に入って行くのも、一番の武器でもあるんだなーって思いましたね」

高校生の俵万智は演じるという新しい「ことばの世界」に出会う。

「高校でやっていたのは戯曲なんですけど、だってお前それは今アレじゃないかとかアレとかソレとか。曖昧な言い方がたくさん出てくるんですね、また新しい言葉の世界に触れました」

あらゆる言葉の出会いが
歌人・俵万智誕生へのステップだったのである。
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