NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

今、仕事も家庭も自分磨きにアクティブな生き様を実践する女性達。そんな女性達がいつまでも輝く心と勇気を失わず、体も心も健康な毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを送るのが、このノエビア カラーオブライフ。「生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと」をテーマにした、トークや音楽、話題、情報などが満載です。

TOKYO FM

NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

唐橋ユミ

今、仕事も家庭も自分らしく、いきいきと生きる女性たち。いつまでも輝く心を失わず、心も体も充実した毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを伝えます。“生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと”をテーマにした、トークと音楽が満載のプログラムです。

Guest杏子さん

杏子さん

長野県松本市生まれ。
高校時代からアマチュアバンドで活動を始め、
1983年にBARBEE BOYSに加入し、
翌1984年「暗闇でDANCE」でデビュー。
1992年のBARBEE BOYS解散後は、ソロシンガーとして活動を開始。
現在も精力的にライブ活動、舞台、ドラマ、ラジオパーソナリティなど
幅広いジャンルで活躍。

転がり続けることで、新しい自分に出会う--杏子のこれから

2026/08/29
1ヶ月に渡り杏子さんをお迎えする最終週。今日は、男子バレーボールへの愛、一人でパリまで足を運ぶフットワークの軽さ、そして「よりやんちゃに」歌い続けたいというこれからの十年まで、自然体で姉御肌な杏子さんの素顔に迫りました。

◆今の推しは、男子バレー!
仕事以外で熱中していることとして杏子さんが挙げたのが、男子バレーボール。「小学生の頃に『サインはV』や『アタックNo.1』を見て、成長期にバレーボールで細胞が作られている」という杏子さん。かつて日本男子が強かった時代に思春期を過ごし、バレー愛が体に染み付いているのだとか。
近年は石川祐希選手がイタリアリーグで活躍し、五か国語をマスターしているところにも「さすがだなとキュンキュンしちゃう」と語る杏子さん。試合後のインタビューで、他の選手が「最高です」とシャウトする中、石川キャプテンだけは「今日は集中できていました」と冷静に返すギャップも好きなのだとか。「そこはシャウトしないんだ!というところがいい」と、突っ込みながらも、愛情たっぷりでお話くださいました。

◆心が動くと、力が出る!一人でパリまで
「好きだと思うと力が出る」という杏子さん、驚くほどフットワークが軽く、ローリング・ストーンズのライブを追いかけてスコットランドへ。マドンナは一泊三日で。円山応挙が金比羅宮のために描いた襖絵の展示が「パリが最後」と聞けば、一人でパリの美術館まで足を運ぶほど。
とはいえ一人旅は「夜ご飯の時が寂しい」そうで、先輩たちからは「女性が一人で食事していると声がかかってウハウハよ」と聞いていたそうですが、「そんなことはない」と苦笑い。次からはパリに友人がいる人の繋がりを辿り、誰かと夕食を囲めるようにしているそうです。そんな刺激は活動にも生きているそうで、「ライブで見に来たファンにドキドキしてもらいたいから、そういう何かをいつも探している」と話します。

◆まず肉体を動かせば、心はあとからついてくる
落ち込んだときの立て直し方について、信条がある杏子さん。「気持ちって触れないから、まず肉体を使う」のだとか。外へ出て歩き、いろんな雰囲気を見る。作家・宇野千代が大失恋のあと、散々泣いても朝になるとお化粧をして街を歩いたというエピソードから、「肉体が健やかに動いていくと、気持ちもそこに沿ってくると信じている」といいます。
今の目の前の目標は「腹筋を割ること」。オンラインでトレーナーを探すときも、その人がどんな道のりを歩んできたかというストーリーまで見てしまうそうで、ミック・ジャガーが80代になっても毎日最低一時間は歌うと知り、杏子さんも日々のボイストレーニングを欠かさないそう。「大志を抱いてというより、毎日毎日の些末なことの繰り返しが、これからの10年を作っていく気がする」と話します。

◆よりやんちゃに、ぐるぐる回っていたい
これからの10年について、杏子さんは「先々これをやりたいとちゃんと考えない、行き当たりばったりの人生」と語ります。それでも「Like a Rolling Stone」・・・転がり続けることで新しい人や物事に出会い、自分がどう変わっていくのかに強い興味があるといいます。「最後、死ぬときに『ああ自分ってこうだったんだ』と、どう変化していくんだろうというのが楽しみ」。
大切にしている言葉は「好きこそものの上手なれ」。ワールドカップの選手たちを見ても、国を背負って戦いながら、根っこにあるのは「ずっとボールに触れていたい」という好きな気持ち。「それがすべての根源かな」と話してくれました。

杏子さんの最新シングル「サイボーグ009 ネメシス」の主題歌「誰がために」は現在配信中です!
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正解の見えない世界で・・・役者としての挑戦とアルバム「VIOLET」

2026/08/22
シンガーの杏子さんをお迎えしている今月。
今週は、表現者としてのもう一つの顔について。宮本亜門さん演出のミュージカルで受けた衝撃、ほぼすっぴんで挑んだドラマ「天城越え」、そして8年半ぶりのフルアルバム「Violet」の制作秘話まで、たっぷり伺いました。

◆台本が絵本のようになった・・ミュージカル「マランドロ」の衝撃
杏子さんが自身の分岐点の一つに挙げるのが、1990年、宮本亜門さん演出のミュージカル「マランドロ」への出演。名作「三文オペラ」を舞台にブラジルに移した作品で、高校生だった高岡早紀さんと田原俊彦さんを取り合う役どころでした。オープニングから踊って歌う場面がありながら、「振り付けの覚えが全く悪く」、当時はスマホで撮影もできない時代。アンサンブルのダンサーが「杏子ちゃん、振り移しやるわよ」と居残りで教えてくれたおかげで、右手・左手・腰の動きまで全て書き込んだ「絵本のような台本」を頼りに本番に立てたといいます。
宮本亜門さんの演出にも心を動かされたという杏子さん。真夏でも汗を拭きながら、役者やアンサンブル一人ひとりのところまで自ら走って行き、マイクを使わず直接細かく指示を出す姿。「そこに応えなくちゃと思った」という杏子さん。毎日同じ劇場で同じことを120%のレベルで届けるプロフェッショナルぶりを学び、「バービーで久しぶりにスタジオで会った時、『最高です、勉強してまいりました』という勢いだった」と笑います。

◆埴輪顔だから、和服が似合う?・・・ドラマ「天城越え」
映画「海猿」(2004年)「ヘルドッグス」(2022年)と俳優としても活動してきた杏子さん。昨年はドラマ「天城越え」で和装姿を披露しました。「ミュージカルは歌でどうにかできるけれど、俳優は正解が見えない」と語りつつ、「ヘルドッグス」を見た制作陣からの声がけで実現した出演。「私、顔が埴輪顔なので和服が似合うんです」と笑います。
大正時代が舞台のためアイラインもほぼ入れられず、限りなくすっぴんに近いメイクで撮影に臨んだそうで、事務所の最高顧問ジャイアンからは「あの特殊メイクいいな」と連絡が。「特殊メイクじゃなくてほぼすっぴんなんです」と苦笑いしつつ、寒い時期に何時間もかける制作陣の熱意を「ビシビシ感じた」といいます。俳優業には「ちょっとハマっちゃった」そうで、今年9月にはショーミュージカル「Dream High プレミアムライブ」への出演も控えています。

◆「ロックって何?」から始まったアルバム「Violet」
2021年にリリースされた8年半ぶりのフルアルバム「Violet」。プロデューサーには、Superflyを手がけた多保孝一さんを迎えました。「久しぶりにロックでガンガンいこう」と依頼した杏子さんですが、多保さんの中では「もうロックは終わり」。グラミー賞授賞式でノミネート曲がラップやクラブミュージックになっているのを目の当たりにし、新しい方向性を探っていた時期だったといいます。
「杏子さんのロックって何ですか」と問われ「オアシスとか」と答えたところから制作がスタート。ロックを軸にしつつR&Bやラップの要素も取り入れ、「たくさん話し合ってから取り掛かる」プロセスを経ました。完成した「Violet」を杏子さんは「何回も聞いた」といいます。自分の作品はあまり聞き返さないという杏子さんにとって、これは異例のこと。「自分の中のいろんな声をどんどん引き出していただいて、自分でも『よきよき』と思えた」と振り返ります。

◆田母道場と、戦う「バイオレット」
杏子さん自身が作詞を手がけた収録曲もあります。多保さんから「ぜひ書いてください」と託され、友人の恋愛話・・・付き合う前は彼が好きだったのに、いざ付き合うと彼女の方が夢中になってしまうという「こんなはずじゃなかった」というエピソードを歌詞に昇華。締め切りは雨の日曜日、韻を踏むダメ出しに応えながら電話で粘った制作の日々を、杏子さんは「田母道場」と呼び、今もファイルにそう書いてあるといいます。「優しく厳しい。引き出してくださる」ーそんな信頼が言葉の端々ににじみます。
アルバムタイトルの「Violet(すみれ)」には、「終わってしまった恋を見送る」というイメージが込められていました。ハムレットのオフィーリアが撒く花のように、すみれで恋を見送る——そんな散文を送ったところ、当初は却下されたそうです。「このバイオレットが生きる曲をちゃんと書くので引き下げてください」と言われ、出来上がったのは、いろんなものを見送りながらも「そこからスタートして戦います」という決意の一曲。戦うバイオレットが、アルバムの芯になりました。

来週はいよいよ最終週!杏子さんのプライベートに迫ります!
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自分で選んだソロの道ーー杏子とオフィスオーガスタの30年

2026/08/15
今週は、バービーボーイズ解散後のソロ活動について、自身のために創設された事務所オフィスオーガスタでの歩み、荒木経惟さんとのジャケット撮影、そして『長女』として弟妹たちと続ける夏祭りの話まで、たっぷり伺いました。

◆寝ないで作ったファーストアルバム
1992年、杏子さんのソロ活動をマネジメントするために創設されたのが、オフィスオーガスタ。以来30年以上にわたり、山崎まさよしさん、元ちとせさん、スキマスイッチ、秦基博さんら数多くのアーティストを輩出してきた事務所。創立者の森川欣信さん(ジャイアン)が「一緒にやろう」と声をかけ、杏子さんと山崎さんの二人からスタートしたといいます。
バービーという母体を失い、「誰と組んでどうやっていくのか」というゼロからの出発。作詞も自分でやらなければならず、背負うものは大きく、「ファーストアルバムのレコーディングは本当に寝ないで作っていた感じ」だったといいます。それでも「ロックで行きたい、冷たい感じで行きたい」というイメージは、はっきりと自分の中にあったのだとか。

◆荒木経惟さんとのジャケット撮影
ファーストアルバムのジャケットは、写真家・荒木経惟(アラーキー)さんの撮影。じっと立っているのが苦手でストールを回したり動き回ってしまう杏子さんに、荒木さんは「いいよいいよ」と応えつつ、最後は「動かないで」と切り取ったといいます。
通常カメラマンは自分の作品として厳選した写真を送ってくるものですが、荒木さんはネガを全部見せて「自分がいいと思うものを選んで」というスタイル。「どれもいいところを切り取ってくださっていて迷っちゃう」と言いながら、青山の歩道橋や路地裏をふらふら歩く一瞬を捉えた表情の中から、杏子さん自身が覚悟を決めて選び抜きました。「この表情はなかなかできない。一瞬一瞬をうまく切り取ってくださる」——その体験は大きなパワーになったそう。

◆山崎まさよしのギターで、歌の本質と向き合えた
ソロ4枚目のシングル「星のかけらを探しに行こう」(1995年)では、別れた恋人たちが再び出会うという前向きなストーリーを自分で作詞しておきながら、「いやいや、こんなことありえない」とレコーディングはできてもライブでどう歌えばいいか分からなくなってしまったそう。
そんなとき、山崎まさよしさんが「ええ歌やん、なんで歌わへんの」とギターを弾いてくれ他のだとか。「山がアコギでピロピロっとやってくれたら、ああいい歌だわと思って」——山崎さんのおかげで歌の本質と向き合うことができ、「今頃かと言われながら、レコーディングした後にいい曲だと気づいた」といいます。

◆オーガスタの長女として——弟や妹たちと続ける夏祭り
ファミリー的な雰囲気を持つオーガスタで、杏子さんは「長女」と呼ばれています。山崎さんが長男、そして「毎年夏になると親戚のいとこたちが集まる」ように開催されるオーガスタキャンプ。最近はスキマスイッチが「お兄ちゃんぶり」を発揮してライブを仕切るようになり、「個性のある兄弟で本当に面白い」と目を細めます。
山崎さん、杏子さんらによるユニット「福耳」も、実はジャイアン社長が勝手につけたポスターの名前が発端。「ダサい、ありえない」と抵抗したものの、今ではすっかり定着し、「後から入ってくる人はなぜか自動的に福耳になっていく」といいます。第1回のオーガスタキャンプでは、まだデビュー前だった元ちとせさんが杏子さんの浴衣の着付け役として同行し、「私もいつかこのステージに立ちたい」と語っていたのだそう。才能あふれる弟妹たちと年に一度集うこの夏祭りは、屋台やプロデュース企画も年々にぎやかになっているといいます。

「Augusta Camp 2026〜HATA MOTOHIRO & NAGASAWA TOMOYUKI 20th Anniversary〜」は、本日(8/15)神奈川・ぴあアリーナMMにて開催予定。
詳細は公式サイト(office-augusta.com/ac2026)をご確認ください
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OLからロックスターへ、そしてソロシンガーへの道

2026/08/08
今週も、アーティストの杏子さんをお迎えしました。
BARBEE BOYS加入から東京ドームでのライブ、解散、そしてソロの道へ——1983年から怒涛の10年間を過ごした杏子さん。今日は、そんな杏子さんが、初めて自分で選んだ人生の分岐点まで伺いました。

◆対バンからバンド加入へ
バービーボーイズとの出会いは、OL生活をしながら続けていたアマチュアバンドでの対バン。前日には、イマサさんが、「今回一緒にやらせてもらいます」とわざわざ挨拶に来たそう。そして、杏子さんのライブに惚れ込み、ゲストボーカルとしてのオファーをしてきたのだとか。そして、元々はKONTAさんが一人で歌っていた男女掛け合いの曲を杏子さんとのツインボーカルで歌ったところ、大盛り上がりに!翌日には急きょデモテープを制作。唯一締め切りに間に合ったソニーのオーディションでグランプリを獲得し、デビューが決まったのだとか。

◆ハスキーボイス誕生秘話
杏子さんのトレードマークであるハスキーボイスですが、実は元々は違ったのだとか。風邪をひいた声で歌ったところ「いいね」と言われて以来、ライブのたびに枕に顔をうずめて声を潰していたそう。その後、声帯にポリープができてしまいボイストレーナーの指導のもとポリープと仲良くなりながら、あの声が形成されていったそう。

◆ハイエースがビジョンに映っていた——東京ドーム5万人
1988年8月、日本人アーティスト初となる東京ドーム単独公演を実現したBARBEE BOYS。ライブ後に車でドームを出る演出があると聞き「ストーンズみたいにリムジンで颯爽と!」と想像していたところ、乗り込んだのは白いハイエース。「ビジョンに映ってるのかな」と振り返ると、白いハイエースがバッチリ大写しに。「ちょっとこれ、何かが違う」と思いながらも、5万人が目の前にいる・・・「上からもお客さんが来る感じがして、鳥肌ものでしたね」と笑います。

◆BARBEE BOYS解散と、初めて自分で決めたこと
1992年の1月、渋谷公会堂でのラストライブをもって活動に終止符を打った.BARBEE BOYS。リハーサル中に意見が合わず急きょ決まったラストライブだったそうですが、最後には、「負けるもんか!」と手袋を投げたところ自分もステージから落ちてしまったという杏子さん、「感動的なシーンのはずだったのに、いつもこういうのがついて回りますね」と笑います。
解散後、32歳で初めて「本当にやりたいことは何か」と向き合い、「やっぱりライブ」という答えにたどり着き、親や先生の言うことに従ってきた杏子さんにとって、ミュージシャンを続けるという選択は「初めて自分で決めたこと」だったのだとか。ソロになってからは詞も自ら書くようになり、独り立ちしていきました。

◆車椅子でも歌い続ける——BARBEE BOYS 4 PEACE
2020年の代々木第一体育館ワンマンを経て、今は「BARBEE BOYS 4 PEACE」として活動中の杏子さん。サンドウィッチマンさんのイベントがきっかけで、KONTAさんが車椅子になっていたことをその時初めて知ったといいます。「コンちゃんがやらないんじゃないか」と思いきや「ぜひやりたい」という言葉が届き、ギターとベースのみのアコースティックスタイルで再始動。「楽曲の素晴らしさに改めて対面できる」という杏子さん。最後には総立ちになった客席を前に、「やってよかった」としみじみ語ってくれました。

来週は、更に活動の幅を広げる杏子さんに迫ります!
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泣きたい日には切ない曲をーー音楽の原点からシンガー杏子が誕生するまで

2026/08/01
今月のゲストは、BARBEE BOYSのボーカルとして、またソロシンガーとして活躍する杏子さん。高校時代からバンド活動を始め、1984年のデビューから現在まで歌い続けてきた杏子さんに、その原点からお話、伺いました。

◆泣きたくてレコードをかけた幼稚園の帰り道
音楽との最初の出会いは、母がよくかけていたサントラのレコード。「聞くというよりも、レコードに針を落とす機械を操作するのが楽しかった」という杏子さん。中学に入るとラジオを聴くようになり、エルトン・ジョン、カーペンターズ、そしてミシェル・ポルナレフの「メロディーが切なくて美しい」世界に夢中になっていきます。
そのルーツは、さらに幼い頃に。「幼稚園から帰ってくる時に、今日はちょっと泣きたいなと思って、小鹿物語のレコードをかけてわあって泣いてスッキリするっていう」——帰り道を歩きながら「今日は泣く日かな」と考えていたという杏子さん。童謡の歌詞の中にも、傘を持っていない子やお迎えが来ない子の一節を見つけては「そこにキュンとする」という、切なさへの感度は幼い頃から育まれていたようです。

◆ギターは自由な楽器だった——中学でコードを覚え、高校でフォークユニットへ
中学の頃、叔父様からもらったガットギターがきっかけで、アイドル雑誌の付録歌本を見ながらコードを覚えていったという杏子さん。ピアノは「スタートが遅くてコンプレックスがあった」という杏子さんにとって、「ギターをやってる女子はあまりいなかったから、音楽で自由に何かをやれる楽器」として響いたのだとか。
高校では友人とフォークユニットを結成し、コンテストにも応募。結果は落選でしたが「2人でちょっと泣いてました」と笑います。カバーするだけでなく「自分で作らなきゃ」という意識も、この頃から芽生えていったといいます。

◆女子寮の門限7時——外の空気を吸いに、ライブハウスへ
大妻女子大学に進学した杏子さんを待っていたのは、埼玉・狭山の女子寮。駅からはバスで20分、門限は夜7時という環境で「それまでずっと共学だったから、女だけの暮らしは無理だ」と感じた杏子さんは、月に一度外の空気を吸うためにライブハウスのオーディションに応募。「そのためだけにオーディションを受けて、月一でライブハウスで歌ってました。高校時代の友達が集まってくれたり、楽しい時間でした」と振り返ります。
転機は、当時のボーイフレンドが美大に入学したこと。その学内の音楽部に遊びに行ったところ、ちょうど風邪をひいていた杏子さんにマイクが回ってきて、かすれた声で歌ったところ「ちょっと君いいね」と言われたそう。「いつもはこの声じゃないんですけど・・・」と苦笑いしながらも、その美大の学祭にバンドとして出演。「バンドって楽しい」と初めて感じた瞬間でした。

◆制服を脱いで、ステージへ——商社勤務の1年間
大学卒業後は母の希望もあって大手商社の総務部に就職。「バンドをアマチュアで続けるためにアルバイトでいいかなと思ったら、母に絶対許さないと言われて」——ただし条件はナイン・トゥ・ファイブで早く帰れる部署。それがOL生活とバンド活動の両立を可能にしたのだとか。
ロッカールームで制服からステージ衣装に着替え、ヒールの靴でカツカツと歩いていた日々。さらに社内でライブのチケットを営業して回り、「来なくていいので買ってください」と言いながら10枚・20枚まとめて買ってもらったこともあったといいます。あるライブでは、本部長が最前列真ん中で見ていたことに気づいて驚き、翌日お礼の言葉をもらったエピソードも。「1年しかいなかったけれど、家族を背負いながら満員電車に乗って定時に向かうサラリーマンの方たちを間近で見て、勉強になりました」と振り返ります。

来週は、BARBEE BOYSとの出会い、伺います!
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