NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

今、仕事も家庭も自分磨きにアクティブな生き様を実践する女性達。そんな女性達がいつまでも輝く心と勇気を失わず、体も心も健康な毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを送るのが、このノエビア カラーオブライフ。「生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと」をテーマにした、トークや音楽、話題、情報などが満載です。

TOKYO FM

NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

唐橋ユミ

今、仕事も家庭も自分らしく、いきいきと生きる女性たち。いつまでも輝く心を失わず、心も体も充実した毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを伝えます。“生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと”をテーマにした、トークと音楽が満載のプログラムです。

Guest中村あゆみさん

中村あゆみさん

1966年、大阪府生まれ。福岡県出身。シンガーソングライター。
1984年9月、シングル「Midnight Kids」で歌手デビュー。
翌1985年、3枚目のシングル「翼の折れたエンジェル」がCMソングに起用され大ヒット。独特のハスキーボイスと骨太なロックサウンドで一躍全国区の人気を獲得。以降「ONE HEART」「BROTHER」「風になれ」など、シングル35枚、ベスト盤4枚を含む全30枚のアルバムをリリース。同時に継続的にライブ活動を行い、アーティストへの楽曲提供をするなどソングライターとしても活躍。
出産を機に音楽活動を一時休止するが、2004年から活動を再開。以来、ライブ活動を中心に精力的に活動を続ける。2021年から女性アーティストによるフェスティバル「ママホリ」をオーガナイズ。

大ヒットの裏側で〜葛藤とセルフプロデュース、恋愛と出産

2026/04/11
今月のゲストは、シンガーソングライターの中村あゆみさん。今週は、大ヒット後の葛藤とセルフプロデュースへの目覚め、そして恋愛・結婚・出産について伺いました。

◆「街を歩けなくなっていった」——ヒットがもたらした激変
「翼の折れたエンジェル」の大ヒットで日常は一変。365日サインをし続け、1日17本の取材をこなす日もあったといいます。声は枯れ、メンタルと体のバランスが崩れていく一方でセールスは上がり続け、「どんどん追い詰められていく感じでした」と振り返る中村さん。明治神宮野球場のワンマンライブに3万人、武道館で3か月連続公演…九州から出てきた女の子がスターになっていく過程で、「良いふうに変われる部分と、よくなく変わっちゃう部分の調整が自分でできなくて、ずっと葛藤がありました」と振り返ります。
◆「翼をもぎ取って抜け出した」——セルフプロデュースへの目覚め
そんな中、中村さんが葛藤の末に選んだのはセルフプロデュースの道。ドレミをカタカナで書きながら独学でコードを習得し、書き上げた曲がシングルカットされCMに起用されて再びヒット。「ありえないことがいっぱいありました」と笑います。ただ今振り返ると、「1人でやってたなんて大きな間違いで、いろんな人の力が加わって成り立ってた」——陰で奔走してくれたスタッフの存在に気づいたのは、ずっと後のことだったそう。
◆恋はロサンゼルスで——運命のお姫様抱っこ
LAレコーディングの際、マネージャーの石岡さんが現地コーディネーターに「英語堪能で素敵な日本人男性コーディネーターはいない?とこっそり依頼していたのだとか。最初はピリピリしていた中村さんでしたが、やがて「あれ?」となり、人生初のお姫様抱っこが人生を変えることに。2週間で恋に落ち、帰り道のハワイにも彼がついてきて——実は、その方が最初の結婚相手となり、24歳で出会い、27歳で結婚することに。
◆「赤ちゃんが欲しい」——すれ違いと別れ、そして出産
早く子どもを望んだ中村さんでしたが「今の2人じゃまだ無理だろう」と言われギクシャクが始まり、長年のスタッフとの別れとも重なって、変化が重なり合った20代に。その後、新たな出会いを経て33歳で出産を迎えます。「子どもができて、初めて音楽から解放されるわけですよ」——音楽漬けの日常を離れ、のんびりした時間を初めて手にしたのだとか。

来週は、復活を遂げた中村さんのネクストステージ、伺います。
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音楽との出会い〜コンプレックスだったハスキーボイス

2026/04/04
今月のゲストは、シンガーソングライターの中村あゆみさん。
1984年のデビューから昭和・平成・令和と歌い続け、「翼の折れたエンジェル」はYouTubeで1,500万回再生を超える今もなお愛される名曲。そんな中村さんのライフストーリーを伺いました。

◆お休みの朝は、20時間寝ることも
ライブや仕事が続く毎日の中で、オフの日はとにかくゆっくり過ごすスタイル。
「土曜が休みの日は、朝からゆっくりお風呂に入って、そのまま寝ます。忙しい時が続いたあとは10時間くらい寝ちゃって」と中村さん。
その後は1時間かけてお風呂に入り、果物を食べて「ああ、休みだなあ」という空気感を満喫。少し暇になると友達に電話してご飯に出かけるというのが定番の過ごし方だそう。また、「水回りをちょっと丁寧に掃除する」という習慣も。前日のライブの余韻をスタッフとグループLINEで振り返りながら調整していく日もあるといいます。

◆「自分の声は歌に向いていない」——コンプレックスだったハスキーボイス
大阪生まれ、その後すぐに福岡へ。幼少期の中村さんは、今や代名詞となったあのハスキーボイスにまったく自信がなかったのだとか。
「ちっちゃい頃はもうガラガラガラガラで、男の子が寄ってこなかったし、追いかけられても"きゃー"も出ない(笑)。歌を歌っても叫んでるみたいな感じで、合唱ではいつもカスタネットやトライアングルの担当になってました」
転機が訪れたのは小学5・6年生のとき。ピンクレディー全盛期で、ケイちゃん(増田惠子)の声が出せると気づいてから「ちょっとだけ自信がついてきた」といいます。さらに、福岡で中洲の有名なお店を経営していたお母様の店に来ていたお客様の中に、作曲家・平尾昌晃さんが。「本当に面白い声。聞いたことないタイプの子だから、歌を習いに来させたら」と声をかけてくれたことが大きな転換点になったそう。

◆「歌手じゃなくて女優になりたかった」——夢と本音
上京を決めたものの、当時の目標は実は歌手ではなく女優。「桃井かおりさんとか秋吉久美子さんみたいな、クセがあってかっこいいお姉さんになりたかった」と笑います。「でもとりあえず"歌手になる"と言えば親が東京に出してくれるから」と、夢と策略が入り交じりながら飛行機に乗ったそう。そのお母様も「あなたは絶対大丈夫だから行きなさい」と背中を押してくれたといいます。
平尾昌晃さんの自宅兼事務所で後輩の女の子と2人でレッスンを受ける生活がスタート。やがて一人暮らしを始めるように。

◆泥棒に入られた夜、運命の出会いが
その後も遊びと学校の日々を送っていたある夜、自宅に泥棒が入ったそう。「頼れる人がいなくて、そういえばあの人の電話番号があったな、と」——以前、ライブハウスで声をかけてきた女性、現在も42年来のマネージャーである石岡さんに泣きながら電話をしたのだとか。
その石岡さんの家族が営む中野のお店で出会ったのが、音楽プロデューサーの高橋健さん。当時アルフィーの楽曲を手がけていた高橋さんに「ちょっと歌ってみて」と言われ、杏里の曲を歌ったところ「僕がプロデュースしたい」と即決。佐野元春の「ガラスのジェネレーション」などを練習曲に猛特訓し、なんとデビューまで1年もかからなかったのだとか。

◆デビューから8ヶ月、「翼の折れたエンジェル」が生まれるまで
1984年9月、18歳でシングル「Midnight Kids」でデビュー。しかしなかなか思うように売れず、「ママ、帰りたい」と弱音を吐いた時、お母様から「絶対大丈夫。あなたが大勢の人の前で歌ってるのが見えるから、もうちょっと我慢しなさい」と言い切ってもらったのだとか。
そしてサードシングル「翼の折れたエンジェル」がCMに起用されて大ヒット。デビューからわずか8ヶ月でした。「早く売れるのはあまりおすすめじゃないんです」とあゆみさん。「夢を目指している方がいたら、コツコツいろんなものを獲得しながらゆっくり頑張って、ということを伝えたいです」。

「デビューしたのも、音楽が好きだったというよりも、私のことを馬鹿にした人たち、認めてくれなかった親たち、いじめた友達を一斉に見返せるものが何かあったら、これが一番近かった」と中村さんは言います。
現在も、「翼の折れたエンジェル」を歌う際には、「変化させないようにキープしています。年齢とともに歌い上げたくなりがちですが、なるべく鮮度を保って、聴いてくれた人がその時代を思い出したり、"あの頃の自分、頑張ったな"と思ってもらえる景色感をキープしたい」と語ってくれました。

来週は、その後の中村あゆみさんのキャリア、伺っていきます。
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