NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

今、仕事も家庭も自分磨きにアクティブな生き様を実践する女性達。そんな女性達がいつまでも輝く心と勇気を失わず、体も心も健康な毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを送るのが、このノエビア カラーオブライフ。「生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと」をテーマにした、トークや音楽、話題、情報などが満載です。

TOKYO FM

NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

唐橋ユミ

今、仕事も家庭も自分らしく、いきいきと生きる女性たち。いつまでも輝く心を失わず、心も体も充実した毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを伝えます。“生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと”をテーマにした、トークと音楽が満載のプログラムです。

Guest戸田恵子さん

戸田恵子さん

愛知県出身。NHK名古屋放送児童劇団に小学5年生から在籍し、『中学生群像』で女優デビュー。1973年に上京し、翌74年「あゆ朱美」の芸名でアイドル演歌歌手としてもデビューする。その後、タレント活動中に声優・演出家の野沢那智より声をかけられ、77年に野沢主宰の劇団・薔薇座へ入団。本格的な演技を学び始め、看板女優として活動する。 主演した『スイート・チャリティ』で芸術祭賞演劇部門賞を、また外部出演したミュージカル『ミュージックマン』で葦原英了賞を受賞。89年には舞台『渾・身・愛』で第24回紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞。79年に『機動戦士ガンダム』のマチルダ・アジャン役で本格的に声優としての活動をスタート。その後、アニメ『ゲゲゲの鬼太郎』(三作目)の鬼太郎、『キャッツ・アイ』の瞳、『きかんしゃトーマス』のトーマス、『それいけ!アンパンマン』のアンパンマンなどの声で人気を集める。洋画の吹き替えも数多く手掛けジュリア・ロバーツ、ジョディ・フォスター、ビビアン・リーなどでよく知られている。 9月25日、植木豪と結成したユニット・BackGammonとしてアルバム「Show Must Go On」をリリース。10月28日から12月14日まで全国ツアー公演、12月19日から25日まで東京・スパイラルホールにて、三谷幸喜構成・演出の舞台「虹のかけら ~もうひとりのジュディ」に出演する。

運命の出会いが導いてくれた演技の世界

2019/10/19
歌手デビューを夢見て、15歳で上京してきた戸田恵子さん。
お呼びがかかるのはバラエティ番組ばかり・・・
しかし、その仕事先で運命的な出会いをします。
劇団薔薇座の主宰、野沢那智さんです。
    
「小さな劇団で、みんな自分たちで衣装も作り、道具も叩いて、チケットも自分達で売って、本当に地味な汗臭い劇団だったんですね。体を全部さらして舞台上に立つ仕事は、きっと厳しんだろうけどもちゃんと力をつけていったらそれなりに評価をしてもらえるかもしれないという期待を抱きました。舞台に立ってからは野沢さんが厳しくて、演出家で灰皿が飛ぶ、そういうイメージの最後の人なんじゃないかなって言うぐらい、とにかく物も飛んでくるし、とにかくもう、罵声を浴びせられながら頑張った劇団時代ですね」

その厳しさが現在も演劇を続けている基礎にもなっている。
そう戸田さんは仰います。

「劇団辞めてからも舞台はずっと続けているので今も勿論続けていますけど。そのあと、いろんな賞を頂けたり。でも、全てはその劇団で野沢さんに叩かれたのが本当に土台なんですよね、私のね。教わった事すべては私の中にあるっていう感じです」

還暦を迎え、今もなお現役で舞台に立ち続ける秘訣とは?

「ほぼ外食なので、外食か現場で食べるお弁当なので、ちょっと野菜が食べないとという事だけは気にはしているんです。だから、家の中、冷蔵庫の中には野菜は常にあるようにしておこうとか、すっごく辺鄙な所にロケが続く時とか、周りにほんと何もないと、ただ野菜をたくさん茹でて、他のキャストの分もドーンと持って行くみたいな、ただ茹でただけよ」

劇団薔薇座で本格的な演技を学び、瞬く間に看板女優になった戸田さん。
この時代に築き上げた礎は、三谷幸喜さんの心も揺さぶります。
戸田さんと三谷幸喜さん。
最強コンビで挑む一人芝居、
「虹のかけら~もうひとりのジュディ~」が公演が待っています。

10月28日の埼玉公演を皮切りに、全国を回り
東京公演は12月19日〜 25日。スパイラルホールにて。
詳しくは戸田恵子さんのホームページをチェックしてください。
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パワーの源は好奇心

2019/10/12
女優、声優、歌手として幅広い活躍をされる戸田恵子さん。
その少女時代とは?

「沢山の習い事を小さい時からしていました。ピアノ、お茶、お花、詩吟、剣舞、あと一般的な学習塾、そろばん塾とか、クラシックバレエにも行ったし、好奇心旺盛な子どもだったようで、学校から帰ったら何かしらの習い事に行っている忙しい子どもでした」

その好奇心は少女のころからエンタテイメントの世界で早くも花開きます。

「ちびっこのどじまんという番組がありまして、全国でやっていたんですけど。東海地区ののど自慢に自分で応募して、予選を受けて、それで番組に出て、東海地区のチャンピオンになったことがあるんですね。それが小学校5年生か6年生ぐらいなので、もうしっかり歌う事とか、人前で何かをする。パフォーマンスすることには興味があったと思います」

そして、チャンピオンになったことで戸田さんの人生が大きく変化するのでした。

「ちびっこのどじまんのプロデューサーが「戸田恵子さん本当に歌手になる気があるんでしょうか?もし、そんな気持ちがあるんだったら、僕が紹介したいプロダクションがあるんだけれども」と直々にプロデューサーからお電話を頂いて、せっかく誘ってくださるんだから、単身15歳で、一人で東京に来ました」

テレビ番組で歌ったことがきっかけとなりチャンスをつかんだ戸田さん。
生まれ育った名古屋から単身・東京へ。
15歳の少女に待っていた運命とは?

「あゆ朱美という芸名を頂いて、ド演歌ではないんですけど、少女の哀歌みたいな、ちょっとフォークっぽい演歌っぽい、中途半端な路線だったと思うですけれども。そういった、すごい悲しい歌をデビュー曲に頂き。あの愁いを帯びた線を狙おうとしていたみたいですね。「ギターをひいてよ」という曲がデビュー曲です」

戸田さんの歌手デビュー、それは決して順風満帆ではありませんでした。

「45回転のEPを4年の間に4枚出したんですが、鳴かず飛ばずで、全く売れなくて。バラエティー番組に凄く呼んで頂く事が多くてですね。伊東四朗さん、小松政夫さんとか、みんなと一緒にコントをやる。せんだみつおさん、湯原昌幸さんとかと一緒に歌バラエティーみたいな。今で言うタレントさんの様な仕事をいっぱい出させて頂いて。コントがとにかく面白くて、ハマってそれをやっていました」

伊東四朗さん、小松政夫さんと出会い。
10代の戸田さんの原動力は好奇心。
それでした。
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