夫であり同志!映画監督・青山真治との日々
2024/07/20
2002年に映画監督の青山真治さんと結婚されたとよたさん。
今日は、映画「月の砂漠」で、「監督」と「女優」として出会ったお二人が
公私共に、よきパートナーとして暮らした日々について伺いました。
「真面目さとか、こだわりがここまであるところとか、そういう部分に惹かれたんだと思います。あと勉強家だったんですよね。私は注意散漫でいろんなことに興味があるからいろいろやるんですが、監督は、映画と音楽と小説だけなんだ、って。それで自分で論文も書けるぐらいにねなるっていうのはすごいなと思って。」
と結婚前の青山真治監督について語るとよたさん、
結婚、ご家庭ではとにかくよく話をしたと言います。
「いろんな話をしましたね。例えば思いつくと、うちにそのとき猫が4匹いたんですが、この猫は人間だったら、俳優さんは誰だろうとか想像して、その猫の話を作って、アテレコしてみたり・・・」
ですが、家では、映画の構想の話などは秘密主義で一切しなかったという青山監督。
親戚の集まりなどでも客観的に傍観し、その描写が作品に盛り込まれていたということもあったとか。日常生活に映画のヒントが溢れていると感じられていたようです。
パートナーであり同志のような関係だったとよたさんと青山真治監督。
海外の映画祭などにも一緒に参加されたり、とよたさんが仕事で小笠原に行かれた際には、自腹で同行したことも。
新しいとこを探検するのが大好きだったという青山監督。同行した先では一人で散策して、それが後で小説に出てきたりと、ロケハンされていたそう。
そして、常にとよたさんの出演作品はチェックして、褒めてくれたり感想をくれたという青山監督。俳優「とよた真帆」にとって貴重な意見だったようです。
そんな仲睦まじい日々の中で、青山監督のガンが発覚。
もともと病気がちだったという青山監督ですが、1年ほどの闘病生活の中では、明るく振る舞っていました。
「でも、だんだん口数が少なくなって・・・、でも苦しいって一言も言わなかった。つらいとか痛いとか、それは何か周りに対しての愛情だったんだなと思い、やっぱりつらいとか痛いとか言われても周りがどうすることもできないってのわかってたんでしょうね」
芸術家との結婚ということで、普通の結婚生活ではなかったと当時を振り返るとよたさんですが、20年の結婚生活は、かけがえのない日々だったようです。
来週は、とよたさん、芸能生活40周年でチャレンジした新たな挑戦について
伺います。
今日は、映画「月の砂漠」で、「監督」と「女優」として出会ったお二人が
公私共に、よきパートナーとして暮らした日々について伺いました。
「真面目さとか、こだわりがここまであるところとか、そういう部分に惹かれたんだと思います。あと勉強家だったんですよね。私は注意散漫でいろんなことに興味があるからいろいろやるんですが、監督は、映画と音楽と小説だけなんだ、って。それで自分で論文も書けるぐらいにねなるっていうのはすごいなと思って。」
と結婚前の青山真治監督について語るとよたさん、
結婚、ご家庭ではとにかくよく話をしたと言います。
「いろんな話をしましたね。例えば思いつくと、うちにそのとき猫が4匹いたんですが、この猫は人間だったら、俳優さんは誰だろうとか想像して、その猫の話を作って、アテレコしてみたり・・・」
ですが、家では、映画の構想の話などは秘密主義で一切しなかったという青山監督。
親戚の集まりなどでも客観的に傍観し、その描写が作品に盛り込まれていたということもあったとか。日常生活に映画のヒントが溢れていると感じられていたようです。
パートナーであり同志のような関係だったとよたさんと青山真治監督。
海外の映画祭などにも一緒に参加されたり、とよたさんが仕事で小笠原に行かれた際には、自腹で同行したことも。
新しいとこを探検するのが大好きだったという青山監督。同行した先では一人で散策して、それが後で小説に出てきたりと、ロケハンされていたそう。
そして、常にとよたさんの出演作品はチェックして、褒めてくれたり感想をくれたという青山監督。俳優「とよた真帆」にとって貴重な意見だったようです。
そんな仲睦まじい日々の中で、青山監督のガンが発覚。
もともと病気がちだったという青山監督ですが、1年ほどの闘病生活の中では、明るく振る舞っていました。
「でも、だんだん口数が少なくなって・・・、でも苦しいって一言も言わなかった。つらいとか痛いとか、それは何か周りに対しての愛情だったんだなと思い、やっぱりつらいとか痛いとか言われても周りがどうすることもできないってのわかってたんでしょうね」
芸術家との結婚ということで、普通の結婚生活ではなかったと当時を振り返るとよたさんですが、20年の結婚生活は、かけがえのない日々だったようです。
来週は、とよたさん、芸能生活40周年でチャレンジした新たな挑戦について
伺います。