Every Sunday 12:30-12:55 JFN 38station

THE ONE 音楽界の偉人を毎週1人ピックアップ。アーティストの持つ世界をみつめます

2011年9月4日(日)
矢井田瞳
Life's Like A Love Song / 矢井田瞳
「Life's Like A Love Song」
矢井田瞳
2000年にデビューして以来、ヒット曲を数多く世に放ってきた矢井田さん。2年間の充電期間中に出産され、去年、母となってカムバック。今年はじめに、デビュー10周年を記念するライブを行い、音楽人生の第2章をスタートさせています。『娘ができて、モノの見方の角度が増えた』という矢井田さん。今、どんな思いで、音楽と向き合っていらしゃるのでしょうか?
“はじめてギターを買ってから、わずか2年後にはメジャーデビューを果たしていた。”にわかには信じられない話ですが、矢井田さんの場合、それも必然だったのかもしれません。矢井田さんは、1978年、大阪生まれ。子どもの頃から歌うことが大好きで、町の中で看板を見つけると、そのコピーにメロディをつけて歌う女の子でした。テレビのコマーシャルにも興味を示し、録音してつなぎ合わせたり、“自分だったらこうするのに・・・”と、作り変えて遊んでいたといいます。高校時代はバレー部。朝から晩まで練習漬けの日々。“大学に入学したらサークルに入って音楽をやろう”と思っていたそうです。ところが、矢井田さんはサークルに入る前に、衝撃的な出会いをしてしまうのです。大学構内で見かけた、ある男性。彼はギターで激しいロックをかき鳴らしていたのですが、その彼の手の動きが、なんともセクシーだったのです。その姿に魅了された矢井田さんは、その足でギターを買いに行き、茶色いアコースティックギターを手に入れました。それからは、サークルに入ることも忘れて、練習につぐ練習。近所の公園に毎日のようにでかけ、コードを覚えていきました。気がつくと、自然にメロディが出てきて、楽しくて仕方ありませんでした。そもそも矢井田さんは、興味のあることには、とことんのめり込むタイプ。“人間は1日で何キロ太れるか”を実験するため、友人と菓子パンを食べ続けたこともあったとか。『1か1000か。真ん中がない極端な性格』自分のことを、こう分析し、それゆえ、学生時代は周りとそぐわず、違和感を覚えていたんだそうです。そんな矢井田さんを救ったのが、音楽。『歌詞なら、その行間から流れ出すものがある。全部説明しなくてもいい。』こうして、矢井田さんは、わずか2年ほどで、メジャーデビュー。2ndシングル『my sweet darlin’』は大ヒットし、旋風を巻き起こしたのはみなさんご存知の通りだと思います。
Look Back Again / 矢井田瞳
「Look Back Again」
矢井田瞳
しかし、彼女の極端な性格は、ブレイク後も災いを引き起こしてしまいます。デビューしてから全力で走り続け、気を緩めることがなかった矢井田さん。半年後、ついに身体が悲鳴をあげたのです。高熱が出、歩くことも、食事をとることもできなくなり、入院。矢井田さんは、白い四角い箱の中で、1ヶ月の静養を余儀なくされるのです。『自分を見失っていくようだった』。矢井田さんが退院後に見せられたスケジュールには、1年後までのプロジェクトが、ビッシリと書き込まれ、嬉しい反面、驚いたといいます。決められたスケジュールにそって曲を作り、録音し、ライブを行う日々。大阪と東京でドーム公演を行い、のべ10万人の観客を魅了しました。しかし、矢井田さん自身は、はじめに自分がやりたいと思っていた音楽から、徐々にかけ離れて行くようだったといいます。私にできることは、妥協なき曲づくりと愛のあるライブだけ。このままでは、きっと音楽に嫌われる。そう感じた矢井田さんは、納得のいく創作をするため、環境を少しずつ整えていきます。
Simple is Best / 矢井田瞳
「Simple is Best」
矢井田瞳
デビューから5年。もうドームのような大きな場所でライブをやることはないと、ある雑誌のインタビューに答えています。そうした思いの中で見つけたのが、アコースティックツアーや、他のアーティストとのコラボレーション。デビュー7年目。矢井田さんは、小田和正さんと「恋バス」を発表。人と人がつながることで、可能性が広がることを実感しました。私生活では結婚。その後、充電期間中に出産も経験しました。そして、その子どもとの繋がりが、矢井田さんに、また新たな思いを抱かせます。それは…『おばあちゃんになっても、ライブをやっていたい!』というもの。ライブを続けて来たからこそ出てくるオーラを身につけたい。そのためには、コンスタントに、よい音楽を提供できるような力強さを持ちたい。雑誌のインタビューに、こう答える矢井田さん。大切な人に、好きだと伝えるだけではなく、その先に繋げることが大切だと気がついたのです。
出産後、はじめて書いたというこの曲。俯瞰で見ているもう一人の自分が、「今、その気持ちで曲を作っておけ」と命令して出来上がった曲だそうです。『子どもが生まれて、私がここにいなくても、あって欲しい愛や、続いて欲しい道、幸せでいて欲しいという感情が出て来ました』そう語る矢井田さん。そうした想いを歌に閉じ込めること、それが、矢井田さんの愛の表現方法なのかも知れませんね。今夜は、矢井田瞳さんをピックアップしました。