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THE ONE 音楽界の偉人を毎週1人ピックアップ。アーティストの持つ世界をみつめます

2009年12月27日(日)
和田アキ子
古い日記 / 和田アキ子
「古い日記」
和田アキ子
今年で、デビュー41周年を迎える和田アキ子さん。
和田さんは、17歳の時、大阪でスカウトされて単身東京へ。和製リズム・アンド・ブルースの女王というキャッチコピーのもと、1968年、阿久悠さんの書いた「星空の孤独」でデビュー。半年後にリリースされた「どしゃぶりの雨の中で」が大ヒットとなり、その後、歌にドラマにと、大人気タレントとして活躍していきます。
芸能界のご意見番でもある和田さん。芸能人への叱咤激励をはじめ、各界へのコメントが取り上げられる現在ですが、その発言のひとつひとつには、励ましの心が込められています。デビュー前は「ミナミのアコ」として知られる、大阪の不良だった和田さん。デビューしてからも、当初は、駄目だったら大阪に帰ればいいと気楽に考えていたそうです。当時、横浜にあるホリプロの社長宅に居候していましたが、朝まで飲んでは、テレビ局に向かうという生活をしていたんだそうです。そんなある日、和田さんをプロへと成長させたある事件が起こります。
朝9時からスタートするドラマのリハーサルに遅刻してしまったのです。デビュー間もない彼女は、当時、体も大きく態度も大きいと芸能界でいじめられていたそうです。そんな彼女に対して、真剣に叱ってくれたのが、ドラマで共演していた、今は亡き女優の山岡久乃さんでした。すごい剣幕で和田さんを叱り、ドラマはみんなで作っていくものだと教えてくれた山岡さん。自分のためを思って言ってくれていると感じ、それ以来、一度も遅刻したことが無いそうです。叱ってくれる人がいる幸せ。あなたは愛情に飢えているんだね、と言って、山岡さんはドラマの撮影中、毎朝、朝ご飯を作ってくれたそうです。
これをきっかけに、和田さんは、素顔はどうであれ家を一歩出たら、プロの「和田アキ子」にならなきゃいけないんだと自覚し、心から感謝したそうです。
星空の孤独 / 和田アキ子
「星空の孤独」
和田アキ子
去年、デビュー40週年をむかえ、アメリカのアポロシアターで、日本人として初めての単独公演を行った和田さん。
日本のソウルダイナマイトとして、その名を世界へと知らしめました。そんな彼女が愛してやまないのが、今は亡き、レイ・チャールズ。生前から、彼と親交のあった和田さんは、日本での来日公演では共演し、公私ともに親交がありました。和田さんは今でも、常に二人で写った写真を持ち歩き、自宅で彼の歌を聞いては心から泣き、改めて心から本当のブルースを歌っていきたいと思うんだそうです。そんな彼女の歌うソウル・ミュージックが、アポロシアターで響いた時、彼女はもう一つ、念願の想いを達成させました。それは、ハーレムの孤児院を訪ねること。
子どもが大好きという和田さん。これまでも、マネージャーの子供たちを、自分の子どものようにかわいがってきました。実は和田さんは、二度目のご結婚の後に体を壊し、それが元で子どもが産めない体になってしまったんだそうです。もしも子どもを産んでいたら、芸能界を辞めていたかもしれないというくらい、子供が好きなんだそうです。
そんな和田さんは、ご自身の著書の中で、子供を産めなかった代わりに、東南アジアで子供たちの里親になるというボランティアを20年以上続けていらっしゃるとお書きになっています。「もしかしたら自己満足なのかもれません」とも。
しかし、大人の都合で不幸になる子どもが一人でも減るならと、今なお、活動を続けていらっしゃいます。
SUNNY / 和田アキ子
「SUNNY」
和田アキ子
和田さんの著書、「大人の叱り方」の中で、自分は小心者だとおっしゃっています。
「叱る側にも痛みがある。多くの人のおかげで今があり、「和田アキ子」ができている。 プロの芸能人として、「和田アキ子」を演じ続けたい。そして、いい仕事をして、みなさんに喜んでいただくことが、使命だと思う」と、おっしゃる和田さん。それだけに、体のことも考えて、今年は、長年やめられなかったタバコに別れを告げています。裸の王様にならないよう、自分を叱咤激励しながら、周りの方に感謝をすることで、見えてくる自分。
これからも、大人を叱ってくれるソウルクイーンとして和田さんの活動を楽しみにしていきたいですね。
今夜は、和田アキ子さんをピックアップしました。