「地図の日」に伊能忠敬のお話を
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- 2026/04/19
伊能忠敬研究会 副代表理事の柏木隆雄さんをお迎えして
1800年 旧暦の4月19日、伊能忠敬が蝦夷地の測量を行うために江戸を出発したことにちなんで、4月19日は「地図の日」「最初の一歩の日」と制定されています。そんな「地図の日」にちなんで、今回はスタジオに、伊能忠敬研究会 副代表理事で、伊能忠敬の子孫でもある柏木隆雄さんをお迎えしました。
小山「伊能忠敬という人のことは、地図を作った人ということくらいしか知らないのですが、そもそもどういうきっかけで地図を作ろうと思われたのですか?」
柏木「九十九里の方から17歳の時に、伊能家に養子に入ったんですね。伊能家は今でいう醸造業や金融業を幅広く商売をしていまして、一、二の大店だったんですよ。ミチさんという奥さんはバツイチで、ご主人と別れてから婿探しをしていて、伊能忠敬に白羽の矢が立って伊能家に養子に入ったんです。それから商売を一生懸命やっていたんです」
小山「お店は何屋さんだったんですか?」
柏木「醸造で、お米、酒、醤油、味噌。それから金融業や小作人に土地を貸したりと、大変な商売でした」
小山「資産家ということですね」
柏木「49歳まで佐原で商売をしていまして、隠居を早くしたかったのですが、それは許されないで。やっと49歳になって隠居を許された。それで50歳で江戸に出て、一生懸命力学とか天文学を勉強したりということで。佐原では伊能忠敬の蔵書が5,000冊というほど今も残っているんですけど、勉強好きというか小さい頃から向上心があったんですね。出世したいという意気込みがあったので、50歳になって江戸に出たんです」
柏木「伊能忠敬は17年間で日本全国を測量して歩いて。歩いた距離は大体地球一回り、38,000kmくらいを延べで歩いているんですよね」
宇賀「出発した時は結構高齢だったということですか?」
柏木「56歳です。56から17年間で日本全国を」
小山「当時の平均寿命なんて、結構……」
柏木「40代くらいじゃないですかね、当時は」
宇賀「薫堂さん、今から世界中を歩けますよ」
小山「いや、歩けないですよ(笑)。なかなか50を過ぎて、そんな未知なる世界に飛び込む人、いないですよね。会社を作る人くらいだったらいますけど。誰もやったことがない地図作りをやられたわけですもんね。日本地図が完成した時、初めて日本国民は自分がどういう島に住んでいるのかを知ったわけですよね。きっと地図を見て、今のように旅行に自由に行ける時代じゃなかったと思いますけど、行ってみたいという庶民の夢は膨らんだじゃないですかね」
柏木「そうですよね。伊能図はあまり一般に公開されなかったんです。秘図という意味で。一説に、イギリスの測量隊が日本を測量させてくれと来た時に、幕府が伊能図を見せたらその出来栄えがすごくて、測量をしないで帰ったという逸話がありまして。ロンドンのグリニッジ天文台には伊能図があるんですね」
小山「柏木家には、伊能忠敬の地図の原本があったりするんですか?」
柏木「地図そのものはないのですが、法隆寺に行った時の法隆寺の絵図とか、訪問図録とか。幕府の高官並みに接遇されて持ち帰っているんですね。どういうわけかその持ち帰ったものが我が家に伝わっておりまして。それで法隆寺の検証のためにコピーを差し上げたり、日記の部分を差し上げたり、今でも交流が続いています。伊能忠敬は測量の傍ら、好奇心もあるし、神社仏閣に造詣が深くて、主だった神社とかお寺にお参りしているんです。法隆寺に行った時も日記に出てきているのですが、法隆寺を前にした割には日記の記述が淡白だったんです。私はそれがすごく疑問に思いまして、我が家に伝わっている訪問図録があるので、おそらく日記の方は簡略に書いたんじゃないかな、と。それを法隆寺とやり取りしている間に『年会日次記』という日記が出てきまして、伊能忠敬には秘仏の聖徳太子の像なども特別に公開して見せた、と。そういう事実と訪問図録を渡した記録が出てきたので実証されたんですね」
小山「伊能忠敬さんは行く先々で歓待されていたんですね」
宇賀「この番組は『お手紙』をテーマにお送りしているのですが、柏木さんはこれまでいただいたお手紙で印象に残っているものはありますか?」
柏木「先ほどお話をしました法隆寺とは、かなりの手紙のやり取りをしました。こちらの熱意に動かされたのか、あれだけの古文書がたくさんある中から、伊能忠敬の訪問の記事なども抜き出してくださったり。そういう歴史的な事実は記録があって初めて立証されるわけですからね。我々としてはそういうのを確かめるためにいろんな手を尽くすのですが、法隆寺とのやり取りは自分の勉強にもなったし、交流もできました」
宇賀「今日は柏木さんに、『今、想いを伝えたい方』に宛てたお手紙を書いてきていただきました」
柏木「やはり伊能忠敬に宛てた手紙の方がいいかなと思いまして、書いてきました」
柏木さんから伊能忠敬へ宛てたお手紙の朗読は、ぜひradikoでお聞きください。
(*4月26日まで聴取可能)
宇賀「今日の放送を聞いて、柏木さんにお手紙を書きたい、と思ってくださった方は、ぜひ番組にお寄せください。責任をもってご本人にお渡しします。
【〒102-8080 TOKYO FM SUNDAY’S POST 柏木隆雄さん宛】にお願いします。応募期間は1ヶ月とさせていただきます」
柏木隆雄さん、ありがとうございました!
今回の放送は、radiko タイムフリーでもお楽しみいただけます。
「SUNDAY’S POST」Xのアカウントはこちらから。
柏木「九十九里の方から17歳の時に、伊能家に養子に入ったんですね。伊能家は今でいう醸造業や金融業を幅広く商売をしていまして、一、二の大店だったんですよ。ミチさんという奥さんはバツイチで、ご主人と別れてから婿探しをしていて、伊能忠敬に白羽の矢が立って伊能家に養子に入ったんです。それから商売を一生懸命やっていたんです」小山「お店は何屋さんだったんですか?」
柏木「醸造で、お米、酒、醤油、味噌。それから金融業や小作人に土地を貸したりと、大変な商売でした」
小山「資産家ということですね」
柏木「49歳まで佐原で商売をしていまして、隠居を早くしたかったのですが、それは許されないで。やっと49歳になって隠居を許された。それで50歳で江戸に出て、一生懸命力学とか天文学を勉強したりということで。佐原では伊能忠敬の蔵書が5,000冊というほど今も残っているんですけど、勉強好きというか小さい頃から向上心があったんですね。出世したいという意気込みがあったので、50歳になって江戸に出たんです」
柏木「伊能忠敬は17年間で日本全国を測量して歩いて。歩いた距離は大体地球一回り、38,000kmくらいを延べで歩いているんですよね」宇賀「出発した時は結構高齢だったということですか?」
柏木「56歳です。56から17年間で日本全国を」
小山「当時の平均寿命なんて、結構……」
柏木「40代くらいじゃないですかね、当時は」
宇賀「薫堂さん、今から世界中を歩けますよ」
小山「いや、歩けないですよ(笑)。なかなか50を過ぎて、そんな未知なる世界に飛び込む人、いないですよね。会社を作る人くらいだったらいますけど。誰もやったことがない地図作りをやられたわけですもんね。日本地図が完成した時、初めて日本国民は自分がどういう島に住んでいるのかを知ったわけですよね。きっと地図を見て、今のように旅行に自由に行ける時代じゃなかったと思いますけど、行ってみたいという庶民の夢は膨らんだじゃないですかね」
柏木「そうですよね。伊能図はあまり一般に公開されなかったんです。秘図という意味で。一説に、イギリスの測量隊が日本を測量させてくれと来た時に、幕府が伊能図を見せたらその出来栄えがすごくて、測量をしないで帰ったという逸話がありまして。ロンドンのグリニッジ天文台には伊能図があるんですね」小山「柏木家には、伊能忠敬の地図の原本があったりするんですか?」
柏木「地図そのものはないのですが、法隆寺に行った時の法隆寺の絵図とか、訪問図録とか。幕府の高官並みに接遇されて持ち帰っているんですね。どういうわけかその持ち帰ったものが我が家に伝わっておりまして。それで法隆寺の検証のためにコピーを差し上げたり、日記の部分を差し上げたり、今でも交流が続いています。伊能忠敬は測量の傍ら、好奇心もあるし、神社仏閣に造詣が深くて、主だった神社とかお寺にお参りしているんです。法隆寺に行った時も日記に出てきているのですが、法隆寺を前にした割には日記の記述が淡白だったんです。私はそれがすごく疑問に思いまして、我が家に伝わっている訪問図録があるので、おそらく日記の方は簡略に書いたんじゃないかな、と。それを法隆寺とやり取りしている間に『年会日次記』という日記が出てきまして、伊能忠敬には秘仏の聖徳太子の像なども特別に公開して見せた、と。そういう事実と訪問図録を渡した記録が出てきたので実証されたんですね」小山「伊能忠敬さんは行く先々で歓待されていたんですね」
宇賀「この番組は『お手紙』をテーマにお送りしているのですが、柏木さんはこれまでいただいたお手紙で印象に残っているものはありますか?」柏木「先ほどお話をしました法隆寺とは、かなりの手紙のやり取りをしました。こちらの熱意に動かされたのか、あれだけの古文書がたくさんある中から、伊能忠敬の訪問の記事なども抜き出してくださったり。そういう歴史的な事実は記録があって初めて立証されるわけですからね。我々としてはそういうのを確かめるためにいろんな手を尽くすのですが、法隆寺とのやり取りは自分の勉強にもなったし、交流もできました」
宇賀「今日は柏木さんに、『今、想いを伝えたい方』に宛てたお手紙を書いてきていただきました」
柏木「やはり伊能忠敬に宛てた手紙の方がいいかなと思いまして、書いてきました」
柏木さんから伊能忠敬へ宛てたお手紙の朗読は、ぜひradikoでお聞きください。
(*4月26日まで聴取可能)
宇賀「今日の放送を聞いて、柏木さんにお手紙を書きたい、と思ってくださった方は、ぜひ番組にお寄せください。責任をもってご本人にお渡しします。【〒102-8080 TOKYO FM SUNDAY’S POST 柏木隆雄さん宛】にお願いします。応募期間は1ヶ月とさせていただきます」
柏木隆雄さん、ありがとうございました!
今回の放送は、radiko タイムフリーでもお楽しみいただけます。「SUNDAY’S POST」Xのアカウントはこちらから。
公開収録 お手紙紹介
前回に引き続き、4月5日にMoN Takanawaで行われた公開収録から、リスナーの皆さまのお手紙の朗読の模様をお届けしました。ぜひ、radikoでお楽しみください!
『日本郵政グループ女子陸上部展』のお知らせ
現在、「日本郵政グループ女子陸上部展」が開催されています。会場は、押上駅前、東京スカイツリータウン・ソラマチ9階の郵政博物館。会期は5月10日(日)までです。皆さまのご来館をお待ちしています。詳しくは「日本郵政女子陸上部」もしくは「郵政博物館」のサイトをご覧ください。
皆さんからのお手紙、お待ちしています
毎週、お手紙をご紹介した方の中から抽選で1名様に、大分県豊後高田市の「ワンチャー」が制作してくださったSUNDAY’S POSTオリジナル万年筆「文風」をプレゼントします。引き続き、皆さんからのお手紙、お待ちしています。日常のささやかな出来事、薫堂さんと宇賀さんに伝えたいこと、大切にしたい人や場所のことなど、何でもOKです。宛先は、【郵便番号102-8080 TOKYO FM SUNDAY’S POST】までお願いします。
今週の後クレ
大道郵便局のみなさん
今回のメッセージは、山口県〈大道郵便局〉丸口 かおりさんでした!
「地域にある笑い講という神事が有名です。農業の神様をお迎えし、収穫の感謝と豊作を祈願するものです。その笑い講は大道郵便局の風景印にもなっています。三年前から年に一回、手紙信仰のための消しゴムハンコワークショップを、郵便局のロビーで実施しています。このイベントは大変喜んでいただき、夢中になれた、たまには手紙を書いてみようかな、また参加したいなどのお声をいただいています。もともと出すつもりはなかったけど、こういったきっかけで出してみようかなって思われた方もいらっしゃいました。なくなりかけていた繋がりを、それきっかけに繋がっていただけたことが嬉しかったです。」
※出演した郵便局、及び郵便局員宛ての手紙はいただいてもお返事できない場合がございます。あらかじめご了承ください。
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この番組ではみなさんからの手紙を募集しています。
全国の皆さんからのお便りや番組で取り上げてほしい場所
を教えてください。
〒102-8080 東京都千代田区麹町1−7
SUNDAY'S POST宛








