川島明 そもそもの話

TOKYO FM/JFN 37 Stations
Every Saturday 17:00-17:55
FM愛媛 Every Saturday 18:00-18:55
エフエム青森 Every Saturday 19:00-19:55

そもそも、なんでこの世界に?
そもそも、有名になったきっかけは?そもそも、あの作品を手がけた理由は?
芸人、俳優、ミュージシャン、漫画家、映画監督、スポーツ選手、料理人……
誰でも知ってるあの人の、意外と知らない“そもそもの話”。
平日の喧騒を逃れた土曜日。
バリトンボイスの聞き巧者 麒麟・川島明がおくるインタビュー番組。
様々な質問や相談に川島明が答えていきます。

番組では、リスナーからのメッセージも募集中!

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On Air Report

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18 Jan 2024

【#12】ゲストはキンタロー。さん!【2023.12.23 OA】

「なぜこの世界に?」「有名になったきっかけは?」などなど…誰でも知ってるあの人の意外と知らない“そもそもの話”を、麒麟・川島明が紐解いていくラジオ番組『川島明 そもそもの話』!

12月23日放送のゲストは、キンタロー。さんでした!

◆川島さんとの関係◆
川島さんとは以前、フジテレビ『ENGEIグランドスラム』のミニコーナーで共演!大胆な芸風のモノマネでおなじみのキンタロー。さんですが、この収録のときに川島さんは、舞台裏でド緊張しているキンタロー。さんの姿を目にして、イメージとのギャップに驚いたと言います。

◆モノマネレパートリー◆
そもそもは、前田敦子さんのモノマネでおなじみのキンタロー。さん。ですが最近は、アンジェリーナ・ジョリー、ねぶた、ドッスンなど”見た目特化型”のモノマネレパートリーも!今回も、ラジオブースで川島さんとスタッフだけに向けて披露してくださいました。
また、川島さんが気になったレパートリーが「ひとりサザエさん」。『サザエさん』の登場キャラクター・中島、カツオ、タラちゃん、サザエのモノマネを一人で演じ切るネタなのですが…川島さん、中島のモノマネだけ、そのクオリティに引っかかっている様子でした。

◆お笑い大好き少女◆
ここからは、キンタロー。さんの”そもそもの話”を伺いながら、その半生を紐解いていきます。
子どもの頃からお笑いが大好きだったと言うキンタロー。さん。『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』の高田純次さんに憧れていたとか。小学3年生の時、ダンスの授業で女子児童で一人だけ全力で”高田ダンス”を踊ったことがあり、当時クラス内でおとなしいキャラクターだったこともあり、そのギャップで大爆笑をかっさらったこともあるそう。
ただ、ご自身では「小学6年生の時が笑いのピークだった」と振り返ります。中学生に入っても笑いを追い求めていたものの、次第に下ネタに走るようになり、クラス内の女子に仲間外れにされてしまったのだとか。それ以来”暗黒期”に突入し、無口でおとなしいキャラクターになったそう。

◆お笑い芸人になるまで◆
高校時代を経て、大学は関西外国語大学短大へ進学。お笑いサークルがなかったため、他のサークルを探していたところ、競技ダンス部の豊かな表情と迫力のある集団ダンスに興味を惹かれ、入ることに。最終的には全国大会のサンバの部で4位に輝くほどの実力者へとのし上がりました。
大学卒業後はお笑い事務所に入りたかったものの、とある事情があってその道へは進めなかったそう。というのは、キンタロー。さんは短大生のため2年で卒業でしたが、社交ダンス部のパートナーの相方は4年制でした。このコンビを組ませてくれた男性の先輩は、当時キンタロー。さんの意中の相手。キンタロー。さんがお笑いの道に進もうと相談したところ、「そんな中途半端なことするつもりか!?」と怒ってきたのですが、このときキンタロー。さんは”私を引き留めてる!”と勘違いしてしまったそうで……結局、お笑いの道を一度諦め、社交ダンス講師の道へと進むことになり、その一方でこの恋も実らなかったのだそう。

◆前田敦子さんのモノマネでブレイク◆
こうして、30歳の時に松竹芸能に所属し、お笑い芸人デビュー。当初はFUJIWARA原西さんのようなギャガーを目指していたそうですが、なかなか上手くいかず、唯一反応が良かったというモノマネ芸へとシフトチェンジ。
ブレイクのきっかけとなったのが、当時AKB48のエースメンバーだった前田敦子さんのモノマネ!このモノマネは、スナックで働いていたとき、泥酔したお客さんに「キミさぁ、前田敦子に残念な感じで似てるよね!笑」と言われたことがきっかけ。モノマネレパートリーを探している中でこのことを思い出し、ちょうど前田さんがAKB48卒業を発表したことも話題になっていたタイミングだったこともあって生まれたネタなのだとか。
このネタを引っ提げて、フジテレビ『とんねるずのみなさんのおかげでした』の人気企画『細かすぎて伝わらないモノマネ選手権』で初出場初優勝!ただ、当時は他にも前田さんのモノマネをする方がおり、”あっちゃんダービー”が繰り広げられていたのだとか。『細かすぎて』も1本目のネタは大島優子さんのモノマネで出たのだとか。2本目で前田敦子さんのモノマネを初めて披露したところ、石橋貴明さんに大ウケ!この勢いのまま”あっちゃんダービー”を制し、”あっちゃんバブル”のようなブレイク期へと突入していきます。
ただ、ご自身では、この時期が暗黒期だったと言います。というのも、キンタロー。さんの人気に嫉妬した芸人たちのやっかみがヒドかったのだとか。川島さんいわく”大変面白い顔”をされながら、当時のことも振り返ってお話ししてくださいました。

◆笑いのシショウ◆
ここで、川島さんからは”ハリウッドザコシショウさんとキンタロー。さんはどこか姿が被る”というお話が。これを聞いて、キンタロー。さんはとても嬉しそうなご様子。というのも、ザコシショウさんはキンタロー。が特に憧れる、まさに師匠のような存在。
SNS上では、キンタロー。さんの投稿に対してザコシショウさんが”人が緑の液体を吐きだしている絵文字”を返信しているやりとりがよく見られますが、実はザコシショウさんが気に入った投稿にしか返信していないそうで、面白さによって絵文字の数も変わるのだとか。キンタロー。さんにとってあの絵文字は星のようなもので、”ゲロ3つ”が最高の評価なのだと言います。

◆これから◆
最後に、キンタロー。さんの今後について伺うと「お子さんに高田純次さんの度肝を抜くダンスやザコシショウの破壊力を教えていきたい」とお話しに。もう少しアグレッシブな人材を増やしていきたいのだと言いますが、将来は「キンタロー。変顔スクール」を開講するかも!?というところで、今回の放送はお開きとなりました。

♪オンエア・リスト♪

M1. フライングゲット / AKB48
M2. サイレントマジョリティー / 欅坂46
M3. やさしいキスをして / DREAMS COME TRUE
M4. 友達より大事な人 / 剛力彩芽
M5. ハピネス / AI

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11 Jan 2024

【#11】ゲストはaikoさん!【2023.12.16 OA】

「なぜこの世界に?」「有名になったきっかけは?」などなど…誰でも知ってるあの人の意外と知らない“そもそもの話”を、麒麟・川島明が紐解いていくラジオ番組『川島明 そもそもの話』!

12月16日放送のゲストは、シンガーソングライターのaikoさんでした!
川島さんも若手時代、なんばのCDショップの試聴機でaikoさんの曲をたまたま聴いて、思わずCDを手に取って買ったことがあるそう。

◆デビュー25周年◆
デビュー25周年を迎えたaikoさん。応援してくれているファンの方々の人生もついつい気になってしまうそうで、”他のバンドの曲聴いてへんかな…”と、束縛してしまうこともあるのだそう。

◆オーディション◆
そんなaikoさんはそもそも、どうしてシンガーソングライターとなったのか?ここからは、aikoさんの”そもそもの話”をたっぷりと伺うことに。
もともとアーティストになりたくて、高校時代はバンドをやっていたaikoさん。卒業する時に、後輩に「デビューしたらCD買います!」と声をかけられたそうで、この時初めて”デビューせな!”と思ったとか。
これがきっかけで初めてオーディションを受けたaikoさん。「ティーンズミュージックフェスティバル」というこのオーディションで、aikoさんは近畿大会で優勝できなかったものの、敗者復活戦をのし上がり、東京・渋谷公会堂で行われる全国大会に進むことができました。このステージには椎名林檎さんも出ており、当時はカバーを歌っていたとか。

◆ラジオDJ◆
デビュー前にはラジオDJもされていたaikoさん。そのきっかけは、「ティーンズミュージックフェスティバル」のオーディション会場にラジオ局の関係者がおり、少し話をしたことだったとか。
その後、半年程経ってから「ラジオ局に遊びに来ない?」と呼ばれて行ったところ、その場でオーディションが始まったそう。オリジナル・ラブの楽曲のイントロにのせて曲紹介をしてみてと言われてやってみたところ、次の日に番組が決まったのだとか。
こうして始まったaikoさんの番組は深夜2時~朝5時の音楽チャート番組。スタジオにはaikoさんのほかにディレクター、ミキサーの合計3人だけ。なかなか放送が思うようにいかないこともあったそうですが、それでも4~5年ほど、深夜のラジオDJを務めあげました。

◆デビュー◆
1998年にメジャーデビューを果たしたaikoさん。そこに至るまでの”そもそもの話”もたっぷりと。
もともとインディーズでCDを出していたところに、当時の事務所の方から「映画の主題歌を歌ってくれる人を探している」というお話が舞い込んできたそう。そのお話に乗っかってレコーディングしたところ、レコーディングスタジオで「これがデビューです」と言われ、デビューが決まっていたのだとか。
しかし、この時は”ワンショット契約”と呼ばれる、1枚きりの関係だったそう。ただ、大阪のラジオ局でパワープレイされたこともあり、売り上げで結果を出すことができ、契約が延長されたのだとか。
2枚目のシングル「ナキ・ムシ」を経て、3枚目を出す際、レインボーブリッジでレコード会社の担当者に「CDって3枚目が勝負なんだよね。」と言われたことを今でも覚えているといいます。この3枚目のシングルこそ、今も愛される名曲「花火」でした。大阪の夏の風物詩・淀川の花火大会に行けなかったことがきっかけで生まれたこの曲は大ヒットを記録!この曲がaikoさんの人生を大きく変えていきました。

◆KANさん◆
aikoさんが中学生の頃から大きく影響を受けたアーティストこそ、KANさん。
KANさんについて、aikoさんは「すっごいヘンな人」と話します。KANさんのペースにのまれると、全て見透かされているんじゃないか…というような、尊い存在でありながら、ダジャレが大好きなおちゃめな一面もあるのだとか。
ライブの演出にもとことんこだわっているKANさん。aikoさんもKANさんのライブを観るたびに、”自分もライブ中にお客さんが我に返る瞬間を1つでも無くす!”と決意していたそう。
そんなKANさんは先日、天国へと旅立たれましたが、aikoさんにとっては「今もいろんなサプライズをみんなに残している感じ」と、大好きなKANさんへの想いを話してくださいました。

◆人生に影響を与えた3曲◆
aikoさんの「人生に影響を与えた3曲」は、全てaikoさんの楽曲!「花火」「カブトムシ」「メロンソーダ」を選んでくださいました。
「花火」に続く4枚目のシングルとしてリリースされた「カブトムシ」は、10曲ほどの候補の中からスタッフによって選ばれたそう。当時、aikoさんはこの曲が選ばれた理由がよくわかっていなかったそうですが、この曲は多くの人に愛される恋愛ソングとして、今も歌い継がれる代表曲に。「過去の自分に感謝したい」と、この曲への想いを話してくれました。
「メロンソーダ」は、ラジオ局のキャンペーンソングとして書き下ろされた楽曲。1年間をかけて、少しずつ積み上げて作っていったそうで、Official髭男dismの藤原聡さんやマカロニえんぴつのはっとりさんなど、豪華なメンバーによってレコーディングされました。ライブでこの曲を歌うと、観客のみんなが笑顔になるそうで、その光景を見て”大事な曲書けたなあ”と感じるのだとか。

◆星の降る日に◆
aikoさんは、11月22日に44枚目のシングル『星の降る日に』をリリースされました!
そして、約5年ぶりのアリーナツアーも開催!
日程や会場など、詳しくはaikoさんのオフィシャルウェブサイトをチェック!

◆餃子の羽根とたくあん◆
最後に、川島さんは「aikoさんにとってアーティストとは?」と質問。するとaikoさんは考え込み、答えに悩んでいるご様子。
aikoさんは逆に「川島さんにとってお笑いとは?」と質問。川島さんは「餃子の羽根」と回答。”無くてもいいけど、あった方がいい”という理由からだそう。
これを受けて、aikoさんは「たくあん」と回答。「有事の際、音楽って何が救えるんだろう…?」と落ち込んだことがあったそうですが、それでも”みんなのそばにある、お漬物になれたら”という想いからのお答えでした。

♪オンエア・リスト♪
M1. ボーイフレンド / aiko
M2. アイツを振り向かせる方法 / aiko
M3. ラジオ / aiko
M4. 花火 / aiko
M5. 今度君に会ったら / KAN
M6. メロンソーダ / aiko
M7. 星の降る日に / aiko

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06 Jan 2024

【#10】ゲストはさらば青春の光 東ブクロさん!【2023.12.9 OA】

「なぜこの世界に?」「有名になったきっかけは?」などなど…誰でも知ってるあの人の意外と知らない“そもそもの話”を、麒麟・川島明が紐解いていくラジオ番組『川島明 そもそもの話』!

12月9日放送のゲストは、さらば青春の光 東ブクロさん!
川島さんいわく”人間性”が焦点になる55分!?
なかなか聴けない…かもしれない、東ブクロさんの”そもそも”を深掘りしていきました。

◆個人事務所 ザ・森東◆
現在、個人事務所「ザ・森東」に所属して活動されているさらば青春の光。設立10周年を迎えたこの事務所は、社長の森田さんとマネージャーが毎年会議を開いてその年の給料を決めるシステム。東ブクロさんはその会議には参加せず、後から”この金額に決まったよ”と知らさられるのだそう。
そのため、東ブクロさんは”働いても遊んでも、毎月決まった金額が入ってくる”という状況に。ゆえに「だからサボるでしょ!?」と話す東ブクロさん、一時期は”週5ゴルフ、週2仕事”という状況だったそうで…もはや自らの職業はゴルファーだとも冗談交じりに話していました…!

◆コンビのそもそも◆
そもそも、同志社大学在学中にお笑い芸人としての活動を始めた東ブクロさん。松竹芸能のタレント養成所に入ってからは、ピン芸人「ちらしずし半人前」として活動していました。
ピン芸人としてなかなか上手くいかず相方を探して、6年先輩の”偽デッカチャン”のような雰囲気の芸人と一度コンビを結成。ただ、その3日後に森田さんが当時組んでいたコンビを解散。かねてから森田さんとコンビを組みたいと思っていた東ブクロさんは、先輩の”偽デッカチャン”に正直に事情を告白。その先輩芸人の方から了承を得ることができたため、森田さんにコンビ結成のオファーをかけたそう。
しかし、なかなかオファーを受けてくれない森田さん…。それでも、粘り強く交渉を続け、なんとかコンビを組むことができたのだとか!ちなみに、初舞台はキングオブコント第1回の1回戦のステージだったとか。

◆元相方・カズレーザー◆
さらば青春の光を組む前の、大学時代のエピソードについて伺うと…”カズレーザーさんと一時期コンビを組んでいた”というお話が!
元々は別々のコンビで活動していたのですが、カズレーザーさんの方から誘う形でコンビを結成。サークル内では”スベり知らず”の最強コンビで、サークル内のライブでは2年程毎回1位だったとか。その勢いのまま、いくつかのお笑い事務所のオーディションを受けるも、なかなか思うような結果が出ず…”東ブクロさんの方からカズレーザーさんを振る”という形でコンビを解消したのだと言います。

◆上京、そして…◆
さらば青春の光は2012年、『キングオブコント』で準優勝!しかし翌年、所属していた事務所を離れることに。川島さんも当時、お笑い界には衝撃が走ったと言いますが、この真相についても伺います。
大阪時代から、”東京に出るなら事務所を変えても良いのでは…?”と話していた森田さん。キングオブコント準優勝を機に、”東京支出しよう。事務所も出よう。”とより一層言うようになり、事務所を離れて東京進出しました。
ただ、しばらくしてから東ブクロさんは人づてにこの背景にあった”とある理由”を耳にしました。それは、”森田さんの当時の彼女が東京への転勤が決まり、森田さんもついて行きたかったために、事務所を離れ東京に出てきた”というもの。当然、東ブクロさんとしては”どういうことや!?”となったのですが、その直後に東ブクロさんが起こした”2クリックくらいで出てくるとあるスキャンダル”が明るみに。結局、コンビ間のパワーバランスは変わらなかったのだそう。

◆芸名◆
番組の事前アンケートで、”キャリアにおける大きな出来事”として「2017年に改名したこと」を挙げた東ブクロさん。
もともと本名の「東口宜隆」を名乗っていましたが、ある時出演したバラエティ番組の生放送で、占い師に「画数が芸能人としては最悪。改名した方が良い。」と言われ、その場で改名する流れに。その占い師の方がその時にフクロウの指輪をつけていたことから「東フクロウ」という案が上がったものの、画数が悪いために却下。ならば「東ブクロ」はどうか?となったところ、「画数が最高」との診断が!最終的には視聴者投票で「東ブクロ」に決まり、実際に改名しました。
ちなみに、この一連のエピソードを話す際、誰の番組なのか話しても大体どの番組でもカットされていたそうなのですが、最近はよく使われるようになったと話す東ブクロさん。実はこの番組、FUJIWARAの藤本さんが出演していた『フジモンが芸能界から干される前にやりたい10のこと』というタイトルだったそう…。

◆これから◆
タレントとしての今後については「なるようにしかならない」と考えているという東ブクロさん。
冒頭で”本当の職業はプロゴルファー”というお話がありましたが、もちろん実際には難しい道。
タレントとして、「やれと言われたこともやるし、番組やらせていただけるのならやらせていただく」と力強くお話しいただきました。

♪オンエア・リスト♪
M1. 夜明けのBEAT / フジファブリック
M2. 嗚呼、青春の日々 / ゆず
M3. 遠く遠く / 槇原敬之
M4. 全部だきしめて / KinKi Kids

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17 Dec 2023

【#9】ゲストは蛍原徹さん!【2023.12.2 OA】

「なぜこの世界に?」「有名になったきっかけは?」などなど…誰でも知ってるあの人の意外と知らない“そもそもの話”を、麒麟・川島明が紐解いていくラジオ番組『川島明 そもそもの話』!

12月2日放送のゲストは、蛍原徹さん!
川島さんにとっては、お笑い芸人になる前から憧れていた存在。
そのルーツをたどっていきますが、ついついお二人が大好きな競馬の話題に!?

◆競馬◆
蛍原さんも川島さんも大の競馬好き!収録で一緒になると、楽屋では競馬の話しかしてないそう。
また、最近はプライベートでも一緒に競馬場に行ったそうですが、蛍原さんはメインレースの11Rが始まる直前に帰ってしまったとか。その理由を聞くと、「ちょっと子供と約束があって…」とのこと。「そんな直前まで打ちなさんな!」と話す川島さんでした。

◆幼少期◆
幼少期に漫才ブームを経験し、漫才師に憧れはずっと抱いていたという蛍原さん。高校卒業後、しばらくして”ちょっと真剣に何かに取り組みたい”と思った時に「漫才」を選び、NSCに入ったそう。
ここで、川島さんから「蛍原さんは(幼少期に)何の文化も通ってきてない!」という話が。すると、蛍原さんは「小学校の時に野球にハマって、とことん、それしか見えなくなった。」と言います。当時の蛍原少年は阪急ブレーブスの福本豊選手に憧れていたそうですが、憧れが強すぎるあまり、福本選手の背番号「7」が好きになり、「7」と書いた紙を壁に貼る…という奇行に走っていたのだとか…。

◆コンビ結成◆
NSC卒業後、雨上がり決死隊を結成!そのきっかけについてもたっぷりとお話を。
あるとき、心斎橋筋2丁目劇場でオーディションが行われることになり、蛍原さん、宮迫さんと同じアルバイトをしていた他の芸人に「一緒にやってみたら?」と薦められたことで、”ほんなら1回やってみよか”という雰囲気でコンビを組んでオーディションを受けたそう。蛍原さんいわく、そのオーディションに受かったためにコンビとしての活動が続いていったものの、もし落ちていたら、雨上がり決死隊のコンビ活動は続いていなかったかもしれないと言います。

◆明石家さんまさん◆
蛍原さんが若手時代に影響を受けた人物として挙げたのが、明石家さんまさん!初めてさんまさんを見たときの印象について、「光が何にもないのに、輝いて見えた」と話します。
今でも毎週のようにさんまさんとお会いする機会がある蛍原さんですが、未だにさんまさんとの共演は慣れないそう。これには川島さんも共感しているご様子で、「仕事が終わった後、こっちが元気になっている」「ちょっと仕事でしんどい時、さんまさんと一緒に仕事しようとしている」のだとか。まさに”パワースポット”のような、さんまさんの不思議な魅力について語り合うお二人でした。

◆京都発!吉本決死隊◆
1991年、雨上がり決死隊は当時の若手芸人を中心に結成されたユニット「吉本印天然素材」に参加。一大ムーブメントを巻き起こしますが、一旦落ち着いた後、今度は千原兄弟やジャリズムを中心とする”2丁目劇場ブーム”が到来。雨上がり決死隊をはじめとする天然素材のメンバーにとってはつらい時期が続きます。蛍原さんも「東京に行って、やってみてアカンかったらやめようか。」と当時の心境を振り返ります。
その時期に雨上がり決死隊とバッファロー吾郎の2組が京都で放送していたラジオ番組『京都発!吉本決死隊』は、川島さんもヘビーリスナーの一人でした。川島さんいわく、みなさん顔色がおかしい中で放送していたそうで…なかなかにカオスな放送が常に繰り広げられていたとか。番組内でムチャクチャな仕打ちを受けたバッファロー吾郎Aさんの一言があまりにも面白くて感動し、川島さんはお笑いの世界を目指したというお話も飛び出しました。

◆アメトーーク!◆
2003年4月にレギュラー放送がスタートしたテレビ朝日『アメトーーク!』は、現在も続く大人気番組!蛍原さんからは、番組が始まる”そもそも”のきっかけについて、意外な裏話が飛び出しました。
ある時、飲み屋さんで蛍原さん、宮迫さん、テレビ朝日の加地倫三プロデューサーが偶然それぞれ別々の席で飲んでいたことがあったそう。宮迫さんと加地さんが遭遇した際、何気なく「何かトーク番組でもやりたいですね」といった会話をしており、それを聞いたマネージャーが加地さんのもとに「やってくださいよ!?」と念押しの電話をしたことで、お試しの単発特番に繋がったのだとか!
当初は今のような「○○芸人」といったくくりもなく、ゲストを呼んで深掘りするトークバラエティーだったそう。蛍原さんいわく”くくりトーク”が生まれるきっかけとなったのは、『メガネ芸人』(2004年6月14日OA)の回。収録は大盛り上がりしたものの、この回の視聴率はあまり良くなかったのだとか。ただ、加地プロデューサーの”いや、これは面白いからもうちょっとやってみよう”という考えもあり、このスタイルを継続。今ではすっかり定着しました。
様々な企画がある中で、川島さんが印象的なのは”食シリーズ”。『あぶら揚げ芸人』(2008年8月21日OA)は、もともとは収録後の食事会でバッファロー吾郎Aさんがギャグのつもりで発したアイデアだったそうですが、深夜の食事会のテンションで”めっちゃ面白いやん!”となり、実際に放送まで漕ぎつけたのだとか…!
また、名物企画『運動神経悪い芸人』は川島さんもすっかりレギュラーメンバーとなっておりますが、実は1期生ではないのだとか!第1回の放送には呼ばれておらず、テレビの前でびくびくしていたそう。すると、第2回の収録に呼び出され、それが今に至るまで15年ほど続いているのだとか。今年の年末スペシャルでも『運動神経悪い芸人』の放送が予定されていますが、今年も川島さん、収録に呼び出されたそうです。どんな姿が見られるのでしょうか…!?

◆これから◆
最後に、蛍原さんのお笑い芸人としての今後の夢・目標について伺うと、蛍原さんからは衝撃のお答えが!
お笑い芸人としてのデビュー当時と今とでは夢や目標が変わってくると話す蛍原さんですが…今時点でのこれからについては「平日ゴルフ、土日競馬、でいいでしょう!」とキッパリ断言!「ほんとにそう思ってるんでね。」と、嘘偽りのない正直な想いをお話しいただきました。

♪オンエア・リスト♪
M1. 雨上がりの夜空に / RCサクセション

M2. 競馬場で会いましょう / 忌野清志郎
M3. ジョイササイズ / ジョイマン
M4. 千の風になって / 秋川雅史
M5. Good Bye Natuilus/さよならノーチラス号 / スクーデリア エレクトロ
M6. 北の国から 遥かなる大地より~螢のテーマ / さだまさし

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