2026.05.05
プリザーブドフラワーで日本の美しさを世界に
- 株式会社ベル・フルール 代表取締役社長
- 今野 亮平さん
プリザーブドフラワーの販売及び
フラワーデザインスクールの運営
ONE MORNING「The Starters」
火曜日のこの時間は社会に風穴を開けようと取り組む若き起業家をお迎えして
そのアイデアの根っこにあるものや未来へ向けたビジョンを伺います。
今週のゲストは先週に引き続き、株式会社ベル・フルール 代表取締役社長の今野亮平さんです。今野亮平さんは1977年生まれ、東京のご出身。大学、専門学校を経て、グラフィックデザイナーになりますが25歳の時、前身となるお母様のフラワースクールを法人化。専務として事業に携わるとともに、ご自身もフラワーデザイナーとして活動し、2006年「日本フラワーデザイン大賞」の生花部門で1位を受賞。2018年、株式会社ベル・フルールの代表取締役に就任されています。
先週は主な事業内容をうかがいました。ベル・フルールは、お花を売っているお花屋さんではなく、「フラワーデザインカンパニー」。フラワーデザインを通して「世の中をライフスタイルを豊かにすること」をコンセプトに、お花を通してデザインを提供。商品として出来上がったものを販売するショップ展開と、技術や理論を伝えるスクールが両輪で展開されています。また銀座本店を起点に、主要都市の百貨店で展開されています。
お花と聞くと、もうすぐ母の日でお花を贈る印象が強いんですが、やっぱりこの時期の需要ありますか?
「そうですね!我々は今の時期とても繁忙期ですね。5月の第二日曜日は「母の日」。世界中がお母さんにありがとうを伝える日ですよね。そこでお花は大きな役割を担っていると思います。」
母の日に贈られるお花の種類は何が一番ポピュラーですか?
「今はバラのプリザーブドフラワーが人気ですね。カーネーションのイメージがあったと思うんですが、今は価値観が変わってきて、華やかで鮮やか、きらびやかなものがお母さんにぴったり、といった形で選ばれる方が多いです。色も、イエロー、ピーチ、オレンジ系、ハッピーになるポジティブな色合いが人気ですが、一番人気はピンクですね。」
色は紫濃い紫ですが、スタジオにお持ちいただいたお花もバラですよね!
「これだけ綺麗な色はプリザーブドフラワーならではで、もう一度色を吸わせているので、生花以上に美しいんです。プリザーブドフラワーは本来、生花。人の顔同様、誰一人同じ顔はないんですけれども、より色が鮮やかというところが本当に魅力ですね。」
本当に綺麗ですね!今回お持ちいただいたのものは薄い紫から濃い紫までいろいろな紫が使われています。こういったものをデザインされているのがまさに今野さんの領域になるわけですね。
「やはりいろいろな色を使いたくなっちゃうじゃないですか。その色の選択だったり、限られた色の中でその素材の良さを引き出すように、色をグラデーションで表現したりするのが私のデザインの特徴です。」
先週も伺いましたがお母様もお花関係で有名な方なんですよね。
「元々母親がやっているフラワースクールを法人化したんですが、常に私たちが考えているのがTPOで、生花、プリザーブドフラワー、アートフラワー、どれも大事にしています。そのシーンごとにで何を使うか考えながらやらせていただいていて、そこは母親から日々学ばせていただいているところですね。」
このベル・フルールという会社の始まりはお母様からだったんですね。
「そうなんです。母親がフラワー教室をやっているところを、25歳のころに会社にしたという形でした。当時は大反対されましたね。」
当時はお母様が個人でやっていた無料のフラワー教室だったとお聞きしました。
「おっしゃる通りです。私は男三兄弟なんですが、兄弟の同級生のお母さんたちや近所の方に教えていたところがスタートです。」
お母様は最初は自分の趣味を皆さんにお伝えする場のような形でされていたんですね。
「参加していた方々は、みんな自主的に花材費を寄付のような形でお菓子の缶に入れていってくれたのがスタートみたいです。」
個人で教えるにとどまらず、お母様のフラワー教室が評価され今につながるきっかけがあったとお聞きしました。
「そうなんです。プリザーブドフラワーでは、生花の専門学校が当時池袋の方にありまして、そこの先生になってくれないかという依頼があり、それが職業としてプロ化したきっかけでした。」
噂が噂を呼んでという形だったんですね!
今野さんはそもそもサラリーマンもされていたんですね。
「私はグラフィックデザイナーとしてデザインをしていまして、ちょっとずつ母親のサイトを作ったりしていました。当時は大阪に住んでいたんですが、そこで作品をコンテストに出したりする中で、仕事としてやっていきたいなと思った時に決断して東京に戻ってきてました。それが25歳でした。」
サラリーマンということは、デザイン会社でお勤めになっていたんですか?
「ベンチャー企業で、夜はデザインをして、昼は営業してという形でした。それが今にも経営者としてすごく生きていますね。」
それが今に生かされているんですね。自分はデザインの技術も学んできたし、お母さんにも技術がある。これを生かして法人化してビジネスにしようと思われたわけですが、その話をお母様に話された時のリアクションはどうだったんでしょうか?
「大反対でしたね。フラワーデザインで家族を養うなんてそんな甘いもんじゃないといった感じでした。そこから母を手伝うような形で始め、最終的には、反対で押し切らない両親なので、今に至っていますね。」
実際にはお母様は全然起業する気はなくて、それをビジネス化したのは息子さんである今野さんなわけですが、それを知らない周りの人から親の七光りなんだろうといった目はなかったですか?
「ありましたね。最初よく言われたのが、当時の撮影や雑誌で母が取材された時に、必ず私はアシスタントとして行っていたんですね。その時まず言われたのが、「お母さんのお手伝いして偉いわね」といったことでした。心の中ではバカ息子って言われている感じがしました。言葉自体はポジティブなんですが、自分で作った会社だったので何かバカにされているような感じがしました。」
そこから何か大きな節目として変わったきっかけはありますか?
「ありがたいことに、日本一を決めるフラワーデザインコンテスト、「日本フラワーデザイン大賞」に、そこに初めて作品を出したらそのまま日本一になってしまったんですね。」
すごいじゃないですか!
「やっぱり途端にオファーが多くなって、今まで、母、今野政代の息子だった今野亮平が、日本一を取った今野亮平に肩書が変わったんですね。そうすると、突然自分で二本足で立てたようになった印象になって、そこからより自分のクリエイティビティや、自己プロデュースじゃないですけども、自分から発信もやりやすく、よりダイナミックに進められるようになったところがありますね。」
デザイナーでもありながら経営者でもあるわけですが、デザイナー、そして経営者というところで共通点はあったりするんですか?
「共通して大事なことはやっぱりクリエイティビティだと思っています。解体と再生という言葉も好きなんですけども、継続はむしろ衰退の始まりだと思っていて、チャレンジして挑戦することで初めて新しいクリエイティビティを生み出すと考えています。それってデザインする時もそうですし、会社だとどうしてもたくさん人がいるので、人と人とのつながりでもクリエイティブを持って、一人一人が役割のブランドの中でみんながどう輝いてもらえるかということが大事だと思っています。」
起業する楽しさ、魅力についてぜひ教えてください。
「日々成長させていただくという意識ですね、私はいつも毎朝起きるとドアを開けて空を見て、「今日も成長できますように」ってやるんですけども、日々自分が成長することによって、みんなをハッピーにポジティブにできます。結果他人のためにやったことって、最後に自分にも返ってきます。でも自分が成長しなければやっぱり人の前に立てないし、魅力や影響力は出せないかなと思って、そういう思いで日々向き合っていますね。」
今日も成長できますようにって、謙虚で前向きで素敵ですね。
最後にこれからの夢教えてください。
「世界に行きたいです。この日本の美意識、文化を世界に発信して、プリザーブドフラワーを中心に世界にこの日本の美しさを発展させたいなと思っています。」






20代~30代の若手起業家をゲストに迎え、





