山中正竹さんは、法政大学で1年の春から投手として活躍し、東京六大学リーグの歴代最多勝記録となる通算48勝を挙げられました。
住友金属では6年連続で都市対抗に出場、1981年から監督となり、1982年都市対抗優勝。
1992年にはバルセロナオリンピックの監督として銅メダルを獲得。
1994年から法政大学監督となり、リーグ優勝7回、全日本大学野球選手権大会優勝1回を達成。
2016年に野球人として最高の栄誉、野球殿堂入り選手指導者として活躍し、現在、全日本野球協会の会長を務めていらっしゃいます。
そんな山中さんに、アマチュア野球をテーマにお話を伺っていきました。
──山中さんは法政大学在学中、東京六大学野球リーグで史上最多となる48勝を記録していらっしゃいます。これは、後にプロ野球で大活躍した江川卓さんの47勝や関根潤三さんの41勝も届かなかった記録です。 六大学野球は相当歴史が長いですけれども、いまだに破られていない記録。すごい記録じゃないですか。
今考えると、とんでもない記録だと思います(笑)。
そもそも“東京六大学野球で1回でもいいから神宮のマウンドで投げたい”と思っていたので、私は大分県の佐伯の出身なんですけれども、佐伯鶴城高校から法政大学に入りまして、たまたま敗戦処理でスタートしたんですが、その時はもう大感激でした。その後運良く勝ち星が入ってきて、何となく勝ち星が増えていくに従って、“(リーグでは)いくつが一番多いんだろう”ぐらいのことを考えるようになったのが、大体2年生の秋ぐらいですかね。勝ち星が増えるということは、つまりチームが勝つことですから、これは目指していってやろう、という気持ちがありました。
それで最多記録になったわけですけれども、8年後に江川卓くんが47勝まで追いかけてきて。
──江川さんがどんどん勝ち星を挙げている時は、ドキドキしながら“(記録を)抜かないでくれ”という気持ちも?
そんな気持ちも確かにありましたし、“彼はやっぱりプロ野球に行って活躍する人でしょう”と。“学生野球では、自分のように170cm未満のピッチャーがヒョロヒョロ投げている方がみんなの励みになるかもしれないから良いんじゃないか”という気持ちもありました(笑)。
ただ当時はまだ六大学野球も放送の機会が多くて、“48勝に近づいてくる江川”ということで、私は解説に呼ばれたりしまして。
──山中さんの記録も注目されていたし、江川さんの活躍も注目されていたんですね。 そんな山中さんですが、チームメイトに田淵幸一さん、山本浩二さん、江本孟紀さんなど、その後にプロに行って大活躍されたそうそうたるメンバーがいらっしゃった。
彼らは、やっぱり大学時代からすごかったですね。プロ野球でももちろん活躍しましたし、大学でも、田渕さんが長嶋さんの8本のホームラン記録を2年生の時に更新して、それを増やしていって(最終的に)22本のホームランを打った。試合には学校を応援する学生たちがいっぱい来ていますし、卒業生のOB・OGの方もいっぱいいらっしゃる。でも、(観客は)「田渕のホームランを見たい」と。学生野球選手で、個人でお客さんを呼べるプレーヤーは長嶋さん以来じゃないかなと私は思いました。田渕の滞空時間の長いアーチを楽しみにして神宮に来られるお客さんが大勢いました。そんな時代でもありましたし、山本浩二のホームランであったり、江本は大学時代はそんなに活躍はできなかったんですが、ポテンシャルはやっぱりすごい。相手には明治の星野仙一がいたり、高田繁がいたり、そういう個人的に能力の高いプレーヤーの人たちもそれぞれの学校にいたので、面白かったと思いますね。
今年、東京六大学野球リーグの100周年の節目の年になるんですけれども、100年を振り返りますと、やっぱり先輩方の努力であったり、“今日出来上がっていることはこういう歴史があるからなんだ”ということを改めて感じさせてもらえる。歴史というのはすごいなと思います。
──山中さんは指導者として日本代表チームに参加していらっしゃいます。1988年のソウルオリンピックではコーチとして参加されています。当時は全員アマチュア選手で構成されていて、トヨタ自動車の古田敦也捕手、そして後にメジャーリーグで大活躍する野茂英雄投手などを擁し、銀メダルを獲得。そして1992年のバルセロナオリンピックでは監督として出場されていて、伊藤智仁投手、小久保裕紀選手など、後にプロ野球で活躍する選手を擁して銅メダルを獲得。 当時はアマチュア野球の最高峰の大会がオリンピックだったわけですよね。
そうでしたね。オリンピックそのものが「アマチュアの祭典」と言われていましたが、74年にオリンピック憲章から「アマチュア」という言葉が削除されて、“オリンピックはそれぞれの競技のトップアスリートが競い合う場”という定義づけがされ、そこからだんだんプロ解禁の時代になっていったんですね。
今の話のように、88年のソウルオリンピック、その前回大会84年のロサンゼルスオリンピックの両大会とも、(野球は)まだオリンピックの正式競技ではなかった。92年から正式競技になりまして、幸運にも僕はその時の監督であったと。
88年のメンバーは、野茂英雄であったり、潮崎であったり、キャッチャー古田であったり、ショート野村謙二郎であったり、非常に能力的に高かった。特に投手力はすごかったと思います。アメリカのメンバーもみんな後にメジャーリーグで活躍した人たちばかりで、その時に日本は決勝戦で残念ながら負けたんですけれども、相手のピッチャーがジム・アボットで、彼が素晴らしいピッチングをしたんです。
次のバルセロナオリンピックで野球は正式競技になりましたが、キューバがその時に世界最強だった一方で、その前から台湾も台頭してきていて、オリンピックが終わった後に阪神タイガースに入った郭李という投手がいまして、この人に(日本代表は)完璧に抑えられましてね。これはもう本当にショックでした。その投手がいるということはもちろん知っていますし、すごいピッチャーだということを知っていますので、みんなで郭李投手のビデオを何度も見ながら毎晩対策を立てて、でも打てなかったということで、負けた試合の後、球場から選手村に帰るバスの30分の間は一言も言葉が出ないぐらいのショックでした。
翌日の3位決定戦は相手がアメリカチームで、アメリカには勝ったので、とりあえず銅メダルを獲ったと。ただ、私たちにしてみると、目標はもうちょっと高かったんだけどな、という気持ちがありまして、これはバルセロナオリンピックメンバーみんながそういう思いを共有していて、いまだに集まるとその話になります(笑)。
相手側のアメリカも、やっぱり負けたことはショックであったと思います。アメリカの4番バッターが後にエンゼルスの監督にもなったフィル・ネビンという選手で、今は息子が西武でプレーしている。ですから、日本の野球も繋がっていますし、世界の野球も繋がっていて、世界に仲間はいっぱいいるんです。
──その時はライバルであっても、今はみんないろんなところで世界中で活躍している。結局は仲間なんだと感じられますよね。
近隣の韓国や台湾の仲間というのは、そんなに頻繁に会うわけではないんだけれども、(会うと)もう一瞬にして昨日の話になるような、そんな雰囲気で交流ができている。野球というものはありがたいな、大事にしたいなと思いますね。
──この番組では毎回ゲストの方にCheer up songを伺っています。山中正竹さんの心の支えになってる曲を教えてください。
カーペンターズの、「トップ・オブ・ザ・ワールド」。
これは私が20代の半ばぐらいの頃に聴いた曲です。練習や試合や仕事をして、帰ってきて疲れた…いう時に聴いたり、あるいは休みの日に聴くと、何となく気持ちが晴れて明るくなって、まさに世界のてっぺんに私を連れて行ってくれる。そんな曲で、すごく思い出に残っている曲です。
──山中さんは現在、1チーム5人制、5イニングから成る野球ソフトボールの新しいストリート競技、「ベースボール5」の普及に力を注いでいらっしゃいます。 この「ベースボール5」を大まかに説明しますと、1塁2塁3塁、そしてホームベースがありまして、基本的な得点ルールは野球と一緒なんですが、18m×18mのフィールドを使用、そしてボールは直径6.6センチのゴムボールを使用。ただ、バットもグローブも必要はないということなんですね。そして、いわゆるピッチャーが存在せず、他者が自らの手でボールをトスして打つことでゲームが進行していきます。国際大会などでは基本的に男女混合のチーム編成が必要となります。 この「ベースボール5」、日本での活動状況というのは、今どのような感じなんでしょうか?
既に2回ほど日本選手権をやっているんです。今、チームもどんどん増えています。間違いなく、「ベースボール5」は新しい楽しい野球型のスポーツになっていきます。
元々発祥はキューバの遊びなんですね。これを改良して「ベースボール5」としてルール化して、それを世界に普及しようと。特に野球の後進国といいますか、まだチームが少なかったりレベルが低かったりする、アフリカであったり、ヨーロッパであったり、そういうところでかなり普及してきていまして、来年はダカールでユースのオリンピックがありますけれども、それにも「ベースボール5」という競技が採用されて、日本はアジアでチャンピオンになって出場権を取りましたので、出場することになっています。
これからみなさんが「ベースボール5」というものを知ることになると思います。
場所もそんなに取りません。用具もボール1つで遊べますし、男女一緒に遊べます。ですから、手軽に楽しめるスポーツであるということで、これからはどんどん競技人口が増えてくると思います。
今回お話を伺った山中正竹さんのサイン入り色紙を、抽選で1名の方にプレゼントします。 ご希望の方は、番組公式X (旧ツイッター)をフォローして指定の投稿をリポストしてください。当選者には番組スタッフからご連絡を差し上げます。 そして今回お送りしたインタビューのディレクターズカット版を、音声コンテンツアプリ『AuDee』 で聴くことができます。 放送できなかったトークが盛りだくさん! ぜひお聴きください!