金村義明さんは、1963年生まれ、兵庫県のご出身で、1981年、報徳学園高等学校在学中に春夏で甲子園連続出場。
エースで4番として、春は初戦で槙原寛己さん擁する大府に敗れましたが、夏の甲子園では、荒木大輔さん擁する早実、工藤公康さん擁する名古屋電気(現在の愛工大名電)などを下し優勝。
高校卒業後は、近鉄バファローズに入団し「いてまえ打線」の中軸として活躍。
中日、西武を経て1999年に現役から退かれ、現在は野球評論を中心に、幅広い分野で活躍なさっています。
──甲子園での活躍、すさまじいですね。
今になって思うと、あそこが僕の野球人生のピークかなと(笑)。自分でも奇跡のような、あんなに活躍できるとは思っていなかったですね。
──高校3年生の春夏の通算の打率が5割7分7厘。ホームラン3本。夏は全6試合完投して優勝。まさにエースで4番の活躍ですよね。
何か、神ががっていましたよね。予選も兵庫県ですから、高校が多くて7試合あって1人で全部投げたんです。だから甲子園の6試合を合わせて13試合を1人で全イニングを投げたので、一体何球投げたんだろうというね…その時は夢中で、そういうことは一切考えていなかったですけれども。
──それぐらい活躍できるんだ、という自信や手応えを持っていたわけではないんですか?
全くなかったですね。
というのは、(高校3年生の春の)センバツで1回戦で敗退しまして。(当時の報徳学園は)センバツで1回戦敗退は初めてだったんですよ。ぼろくそに怒られまして…。
だから、(甲子園に)出ただけじゃダメなんですよ。出て、“逆転の報徳”という、先輩方が築いた伝統を1回戦で破れて(壊してしまった)。「お前のせいで負けた!」と。だから夏はなんとかリベンジをと思っていました。
僕は中学から報徳学園に入れていただきまして、報徳学園に対する愛着がすごくあって、結局甲子園に出たのが(高校)3年生の春が初めてなんですよ。ようやく叶ってセンバツに出たんですが、槙原 (寛己)くんへのライバル心が強くて、負けずに真っ直ぐ(ストレート)だけ投げて、コンコロコンコロ打たれて(笑)、監督から「お前のせいで負けた、1人相撲で負けた、野球やめろ!」とまで言われました。
──やっぱり、(対戦相手だった大府高校の)槙原 (寛己)投手のストレートに負けたくないという気持ちが勝ってしまった?
そうなんですよ。我が強くて(笑)。
入場行進の時に、「槙原、かかってこい!」みたいなことを本人に言っちゃいましてね。面識は全くなかったですけれども、“エースの槙原”という名前は知っていたんです。わざわざ入場行進のプラカードを持って、予行演習の時に前まで行って、「かかってこい!」って(笑)。
僕もソリコミとか入れてましたし、アイツは、“とんちんかんなヤツが来たな”みたいな顔で見ていましたけど。
──槙原さんもよけい燃えていたんじゃないですか?
いや、“こいつらとは関わらないでおこう”という(笑)。
ただ、僕の場合は(甲子園球場が)地元でしたから、超満員になるんですよ。ファンじゃなくて、OBたちが集まるんです。昔は、6点差をひっくり返して勝ったり、出たら“逆転の報徳”と言われるくらい、地元では人気のある高校だったんです。
だから、夏(の甲子園)は、とにかく監督は1回戦、2回戦を10番や11番(控え)のピッチャーに投げさせようと思うんですけれども、僕が振り切って「嫌です、僕が投げます!」と(訴えた)。
何が起こるかわからないですから、予選で僕が投げていない時に負けたら、僕も悔やみきれないですよ。それぐらい、もう本当に泣いて(両親に)土下座して頼んで入れていただいた高校で、そこまでの思いであの報徳のユニフォームに憧れたので、必死でした。
──本当に気持ちのこもった優勝だったわけですね。対戦相手もすごいですよね。(当時、早稲田実業高校の)荒木大輔さんは当時もうフィーバーしていたわけですよね?
荒木くんは前年度(1980年)の1年生の時に準優勝だったんですが、決勝でスーパーヒーローになりまして。関西の甲子園の球場で決勝戦が横浜と早実ですよ。愛甲(猛)さんのいる横浜高校が優勝して、僕らはもう指をくわえてテレビを見て、かっこいいなぁと(笑)。1年生で荒木くんが大スター、愛甲さんももちろん大スター!
で、2年生でまた甲子園に荒木くんが帰って来たんです。関西の女子校は、もう舞い上がってましたね。ジェラシーの塊でしたよ。羨ましいというか、雲の上の、テレビで見る存在なので。(そんな荒木くんが)1つ下の学年でスーパースターとして帰ってきたので、荒木くんだけには負けたくないと。
夏はリベンジで1回戦、盛岡工業には何とか勝って、じゃあ2回戦はというと、横浜高校なんです。前年度優勝校ですよ。愛甲さんはもういないですけれども、長尾(和彦)くんというサイドスローピッチャーがいまして。で、なんと奇跡的に、僕が2打席連続ホームランを打って抑えて勝って、今度3回戦が(荒木さん擁する)早稲田実業。強豪ばかりですよ。だからもう、“荒木には負けない!”と。ジェラシーの塊ですから(笑)。
でも、そこでまたセンバツと同じようなピッチングをしちゃって、一人相撲でコンコロコンコロ打たれて。で、1人で諦めて…。その時に、予選では1本もヒットを打ったことがないようなチームメイトが、奇跡的に(ヒットを打った)。「ありがとう!」と。「報徳学園の伝統は生きていた!」と思いながら。
──チームメイトに感謝ですね。
その時初めて、野球ってチームプレーだなと。僕は1人で投げて勝つことばかり考えていて、当時も高野連からは「金村のガッツポーズをやめさせろ!」とすぐクレームが入るぐらい(笑)。
で、前年度優勝の横浜早実を倒したので、「もうあとは負けることはない、もうどことやっても俺たちはいける!」と思ったんです。
だから、(春は)1回戦で負けたチームなのに、夏の大会では1回戦ずつどんどん強くなっていった。
──やっぱりそうやって勝つチームは、トーナメントでどんどん良くなっていくとか、強くなっていくミラクルが?
間違いないです。
あそこ(甲子園)にはやっぱり神がいて、その野球の神を引きつけた者が、最後、運を味方にして優勝する。それしか僕はないと思いますね。
──甲子園の優勝投手になって、プロでもピッチャーでやるぞ、という気持ちは?
全くなかったです。こんなしんどいことはもうこれでこりごりだと。
その時、僕はピッチャーであまりバッティング練習はしていなかったんですけれども、金属バットで気合と根性だけで打ったら、槙原くんからホームランを打ったり、夏も2打席連続で本塁打を打ったり…そうすると高校野球の雑誌で、「今大会ナンバー1打者」とかそういう称号をいただいて勘違いして(笑)。ピッチャーはしんどいからもうやめよう、バッターで行こうと、その時にスッと思いましたね。(ピッチャーには)何の未練もなかったですね。
──この番組では、ゲストの方にCheer Up Songを伺っています。金村義明さんの心の支えになっている曲を教えてください。
甲子園の時はいつも、僕らは専属バスもなかったですから、自転車で駅に行って電車で球場に現地集合、現地解散なんですよ。その時、いつも自転車で歌っていた歌が、布施明さんの「貴様と俺」という歌なんです。
この歌がもう大好きで、1番をずっと何回も繰り返し歌いながら駅まで自転車で行くという、僕の青春時代でした。
この“勝って帰らにゃ男じゃない”というところを1人で声を出して歌いながら、駅まで行って。だいたい4回ぐらい1番を繰り返し歌うと駅に着くんです(笑)。駅に自転車を置いて電車に乗って…ルーティンですね。
──大谷(翔平)選手の話ですが、40-40(ホームラン40本、40盗塁)、すごいですよね。
すごいですね!でももう、40-40ぐらいじゃ驚かないですね。ちょっと神がかっているというか、もうそんなところを超越してしまって。100年前のベーブルースですからね。ベーブルースって、僕らは伝記で読んだ選手ですから(笑)。その人の記録を抜いていくって、これはちょっとね。
ただ、ちょっと自慢できるのは、僕は大谷くんも1年目から追いかけていて、初めて大谷くんがブルペンに入るのを見たんですよ!
驚きを越えてびっくりしましたよね。18歳から素晴らしいの域を超えていましたよ。
──何がすごかったんですか?
ストレートもカーブも。
今、オリックスで名監督になっている中島(聡)という監督が、その時に日本ハムでコーチをしていたので、(初ブルペンを見て中島さんに)「(大谷選手は)もう今すぐにでもWBCにいけるぞ!」と言ったんです。
で、ブルペンを見た後に紅白戦だったんですが、(大谷選手は)すぐに(ピッチャーではなく)ライトで紅白戦デビューしたんですよ。
僕は、(プロになって)バットを金属から木に変更して、ついていけずにずいぶん悩みましたけど、(大谷選手はいきなり)二打数二安打。それを目の前で見て、とんでもない選手が出てきたなと思いました。
それと、一番驚いたのが足のスピード。ライトがジャックルしたら、もう2塁までゆうゆうセーフで。1年目から足が速い!
その当時、ルーキーの時から、コーチとかが「足がすごいぞ! №1やぞ」と言ってましたから。
──ではもう、当然といえば当然の40-40?
今年は最初からわかっていました。ピッチャーはリハビリ中ですから、バッター1本なんだから、(バッターとして)これはとんでもない数字を残すぞと。
おそらく僕らみたいなプロ野球、日本のOBよりも、メジャーで名だたるスタンディングオベーションを喰らうような選手たちがもっと言っているはずです。
ランディ・ジョンソンとか、サイヤング賞を獲ったようなピッチャーは、アーロン・ジャッジと(大谷と)どちらがMVPかと言えば、みんな大谷やと。ヤツはピッチャーをやりながらバッターもやってるんだぞと。我々はローテーションを守っているピッチャーの大変さをわかっているけれども、彼は投げた後、打って、ダブルヘッダーなって、またバッターとして出てきてホームランを打っている。
だから、アーロン・ジャッジも(ホームランを)60本打ったのはすごいんですけれども、評価はやっぱり大谷の方が上でしょう。
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