2025年12月21日Flow 第三百八十六回目「拓哉キャプテン × 小日向文世」Part2
今月のマンスリーゲストは、映画「教場」でも共演させていただいている、俳優の小日向文世さん!
今週はどんなトークになるのか? お楽しみに!
木村:本当に25年近く、色々な作品をやらせてもらってるんですけど、その中で「これは絶対共通の話題として挙がるだろうな」と思ってたのが、シンガーソングライターのUruさん。このFlowにもゲストで来てくださったりとか、あと「風間公親−教場0−」っていう作品の主題歌の「心得」という楽曲を作ってくださって。
小日向:すごいよね。
木村:あのUruさんを、一番最初に僕に(教えてくれたのは小日向さん)。撮影現場の前室でしたよね? あれは「HERO」でしたっけ? 「マスカレード」じゃないですよね?
小日向:どっちかだ。俺、その頃やたらYouTubeで(Uruさんの歌を)聴いてて、めっちゃ良くて。それで、Uruさんが色んな人の曲を歌ってる中で「夜空ノムコウ」を歌ってて、「お、いいな」と思って。俺が「木村くん、これいいよ。聴いたことある?」って。
木村:そう。それで、聴かせてくれたんですよ。聴かせてくれたと言うか、それはYouTubeだったんで動画を再生してくださって。
そしたらそこに映し出されたのが、当時、色んなアーティストの曲を、Uruさんがピアノを弾かれて、歌も歌って、レコーディングしてるっていうので。確か、マイクで顔半分が見えないような感じにされてて、ろうそくの明かりか何かを焚いて、ちょっと白黒で、すごい雰囲気があって。歌詞と歌詞の行間で、Uruさんが目を横に持っていく瞬間がすごくいいんですよね。
小日向:そうそう、いいんだよね。
木村:それを、撮影現場で、こひさんから「木村くん。この『夜空ノムコウ』聴いたことある?」って言われて、「え? 誰ですか?」って言ったら、「Uruちゃんって言ってね。いいから観て、これ最高だから」って観させてもらって、「おー確かに」、「他にどんな曲歌ってんだろう?」、と。
小日向:たくさん歌ってるんだよね。
木村:尾崎豊さんの「OH MY LITTLE GIRL」だったりとか、本当に素敵な歌のカバーをされていて。もう1曲、「ライオンハート」とかもやってくれてたんですよ。で、「うわ、すごい素敵な人だな」っていうのがずっと残ってて、今に至るから、なんかすごい不思議なんですよ。
で、実際にお会いして…。
小日向:ここに座ったわけでしょ?
木村:座りました。
小日向:おお…! だけどUruさんもさ、まさか木村拓哉と2人でTOKYO FMのラジオでこうやって会話するなんて、夢にも思ってなかっただろうね。
木村:いやいや。それよりも、ドラマの主題歌もやってくれましたし、僕もその作品がすごい好きになって。
それこそ「風間公親」っていう作品をやらせてもらった時に、あのUruさんの「心得」っていう歌がすごい支えてくれたんです。マジで。
自分的にもすごい助かったし、Uruさんは色んなアーティストの方をカバーしてらっしゃいますけど、逆に、「心得」っていうUruさんの作品を自分がやったらどうなのかな、と思って。「カバーしてもいいですか?」っていうお話をさせてもらって、UruさんからOKをいただいて、自分のアルバムに入れたんですけど。
小日向:おお〜。
木村:あそこで、あのYouTubeを「観て観て」って言ってくれて、今の現状っていうのは、何か不思議ですよ。こひさんのああいうアンテナはどこにあるんですか? 全部YouTube?
小日向:全部YouTube。YouTubeはとにかく、音楽から映像も全部見れるじゃない。
木村:確かに。だって、映像配信コンテンツですからね。
小日向:そうだよね。あと、色んな政治的な座談会とかも観れるしさ。俺は今もう全部そこから情報を得てますから。
木村:あ、情報はそこからなんですか?
小日向:そう。あとはYahoo!ニュースぐらいだね。でも俺はYouTubeがものすごい。もう「明日撮影あってセリフ入れなきゃいけないのに、YouTube見る時間が必要だ!」っていう感じでさ。
木村:(笑)。いやね、こひさんがそのYouTubeから仕入れた情報を、本番の2秒前まで喋るんですよ。
小日向:(笑)。
木村:でも、僕からすると、愛おしくてしょうがないです。すごいですからね。もう完璧になるまで、台本に描かれている、能勢さんなら能勢さん、四方田さんなら四方田さん、「Believe」だったら磯田社長の、「一時一句、句読点すら、僕は変えたくないんだよ」って言って、ご自身で書かれたやつだったりとか、あとは切り取ったやつを必ず懐に入れて、もう最後の最後まで確認をして、それで「よし、よし」って言って、本番に挑まれるんですけど。
もうそれを見るたびに、俺はその紙を取りたくてしょうがなくなって…(笑)。
小日向:取るんですよ、それを(笑)。人のポケットから。「教場」で、生徒の前で取るんですよ、この人。
木村:(笑)。
小日向:「ちょっと、それ返してよ〜!」ってさ(笑)。それを生徒たちは、「この校長、何なんだ」って(笑)。
木村:(笑)。
そうか、ごめん。まだ一切Flowしてなかったね。この番組って、ゲストの方がどう人生をFlowしてきたか、っていうトークをしていくんですけど。こひさんの、皆が知らない部分ってあると思うんですよ。例えば、北海道出身だったり。
小日向:知ってるでしょ? Wikipediaで調べればすぐ出てくるよ。
木村:これ、俺知らなかったんです。18歳の時に、スキー事故で重症を負って、2年間で8回の手術を経験している。これ、何やったんですか?
小日向:そうそう。僕は18で高校卒業して、上京して、御茶ノ水のデザインの専門学校に入ったわけ。ほら、高校時代、勉強はできないけど油絵はずっと描いてたからさ、絵の方だから楽しくてしょうがなかったの。グラフィックデザインをやってたのね。
それでその冬休みに、同居してたうちの姉貴が「よし、明日から冬休み」って言って、「バスツアーで、群馬県の尾瀬スキー場に予約したからね」、「お〜、いいね!」って。ほら、北海道出身だから、毎年冬になったらスキーをするのが当たり前だったから。
木村:こひさんにとって、スキーに乗るっていうのは…。
小日向:当たり前。
木村:じゃあもう、その群馬のスキー場に行っても余裕だなっていう感じで。
小日向:ああ、余裕。ところが、やっぱりデザイン学校では課題に追われて、睡眠不足で、風邪もひいてたわけ。それでも群馬県に深夜バスで行って、風邪ひいてたんだけど朝も起こされて、スキー場に行って。で、リフトはうわーって並んでんの。
俺は兄貴に借りたメタルスキーっていうのを履いてたの。元々は、僕ら子供は皆、合板の板なの。ところが、メタルスキーっていうのは、ピヨヨヨンってなるようなぐらいに薄くて。それを兄貴に借りて、初めてメタルスキーを履いて、それでようやっとリフト乗って、「よし、行くぞ」って言って。
もうほら、子供の頃から滑り慣れてるから、すぐにさーっと降りて、ザー、ザー、ってやったんだけど、ガッツリアイスバーンだったの。で、メタルスキーのエッジを効かしてギャッてやった瞬間に、ザッ、って転んだの。その時に、足元をすくわれて、左手を体の下にして倒れたの。それが尋常な痛さじゃなかったから「うっ!」っと触ったら、肘から下のここが“くの字”になってたわけ。
木村:嘘でしょ? じゃあ、肘が2か所ある感じ?
小日向:そうそう。ここが折れたの。うちの姉貴が笑いながら、「文世、これから1日楽しむのに、何転んでんの〜〜(笑)」って言ったから、俺が「折れた〜」って言ったら、姉貴が「ええ〜〜!?(せっかくこれから楽しもうと思ってるのに)」っていう。
それから救助隊が来て、降ろされてさ。
木村:慣れてるからこその怪我、っていう感じがしますよね。
小日向:またね、兄貴に借りたスキーが滑りやすくて。ザー、ザー、ってエッジ効いてさ。アイスバーンだったからスバーッて滑って。
木村:北海道は、あんなアイスバーンはないですもんね。
小日向:もうパウダースノーだから。ふわーって。転んだって痛くないんだもん。それが、ガッチガチの氷の上に転んだ感じ。
木村:分かります。コンクリートみたいですもんね。
小日向:そう。それから僕の人生は狂ったんですよ。それで結局デザイン学校を休んで。話せば長くなるから端折るけど、そこから2年間の間に病院を3ヶ所転々としたの。やり直し、やり直し、で。
木村:え、やり直し?
小日向:そう。最初の手術が失敗して。で、最終的に3つ目の病院が、骨盤移植。
木村:嘘でしょ?
小日向:本当。だから俺、ここの骨盤へこんでんだから。あと、大腿部の筋を移植。
木村:嘘でしょ?
小日向:本当だよ。
木村:すごいっすね…。もう全然、そういうイメージないです。
小日向:だから俺は最後に「もうあなたは、肉体労働は無理です」って言われたの。結局その後に、写真学校に入ったんだけどね。それで写真学校卒業してから、芝居に目覚めて劇団に入って芝居に行ったんだけど。そこでもう転んだり色んなことやってたわけ。
だから、転んでなかったら、俺は多分今ここにいない。後で思うと、「お前の進む道は違うよ」って、転ばされた感じ。
で、22歳で文学座を受けて、簡単に落っこちたの。それで、「来年また受けりゃいいよな」と思ってアルバイトしてた時に、バイト先の社員の人が「小日向くんさ、文学座を受けて落っこちただろう?」って。「はい」って言ったら、「中村雅俊さんのコンサートを俺の知り合いが企画してやってるんだけど、そこのスタッフでやらないかな?」って。
木村:スタッフで?
小日向:うん、スタッフで。そしたら「中村雅俊さんのスタッフやってれば、来年、コネで文学座に入れるかもしれないぞ」って言われて、「あ、それいいですね! やります!」って言って。で、バイトを辞めて、中村雅俊さんのコンサートの企画をする会社に入って、そこでスタッフやったの。俺はね、コンサートではシャボン玉とドライアイス係なの(笑)。あとは中村さんの楽屋を自分が作って、終わった後、タクシーに乗せて出す、っていう係。
木村:そして、その後に劇団に入団をしたりとか、そこでお知り合いになった今の奥様とご結婚されたりとか。なのに、劇団が解散してしまったりとか。
小日向:そうそう。だから中村雅俊さんのスタッフをやった後に劇団に入って、そこに19年いて。で、劇団が解散して、ようやっと映像の仕事を始めた、と。その映像の仕事を始めたのが42歳です。
木村:その映像っていうのが?
小日向:今の事務所に入って、そこでテレビや映画の仕事を始めた。なかなか仕事はないですよ。子供ができたりしたけど。もう借金生活ですよ。
それが、47歳の時に、「HERO」ですよ。
木村:2001年。
小日向:そうです。それまでは全然食えないです。もう暇な時がいっぱいあったので、事務所に電話して、「何か仕事入ってないですかね?」なんていうことはいっぱいあったもん。
木村:へぇ〜。あの時、47歳だったんですね。その時、俺は28歳ですって!
小日向:だから、木村くんとは19歳違いか。
木村:そうですね。でも、唯一かもしれないです。こんな先輩で、緊張しないの(笑)。
小日向:(笑)。
[OA曲]
M.Can You Keep A Secret?/宇多田ヒカル


NEW
ARCHIVE
LINK