宮城県気仙沼市のNPO「森は海の恋人」の活動についてレポートが続いていますが、きょうはその活動拠点である唐桑半島・舞根地区の自然についてお伝えしたいと思います。
舞根地区は東日本大震災のあとに持ち上がった巨大防潮堤の計画を、住民の総意として撤回させた地区としても知られています。
唐桑半島の付け根の、古くからの漁村で暮らす人々は、津波の後も、ありのままの自然を受け入れることを選んだんです。
そしてその選択は森に囲まれ、川と海が入り交じる、美しい風景をもたらしました。
森は海の恋人・副理事の畠山信さんに伺いました。


 ここは東日本大震災の前までは放棄されていた耕作地でした。それが震災によって地盤が70センチ位下がって、満潮に差し掛かると海水が川を遡上していって、湿地帯の中に海入って、汽水湖みたいになっているんですね。

 汽水の魚で、例えばチチブというハゼの仲間がその辺にたくさんいるんですけれども、あとはウナギとかアユなんかも遡上してきます。ウナギやアユは川と海を行ったり来たりする魚なんですけれども、後はカニなどの甲殻類ですね。たくさん海の生物と川の生物が混在するような場所になっています。

 東日本大震災のあと、自然環境調査をNPOの活動のひとつとして行っているんですが、いろんな大学の研究者と一緒に生物の調査や物質、水や泥の調査をしている過程で、生物が多様性に富んでいることがわかったんですね。ウナギなんかも見つかったりして、ここはそのまま残したい自然環境であるということがわかったので、じゃあそれをどうやって残すかが難しかったんですけれども、結果として残すことができた。そういう貴重な場所になります。
 自然の保護や保全のやり方っていろいろあるんですけど、ここの場合は基本的に“ほったらかす”という保護の方法です。人が手をつけない保全の方法をとっています。災害復旧の工事の中で埋め立てるという話も出たんですけれども、埋めなくてもよいよと地権者としての意見を述べて、このままの状態で放置している。すると勝手に生き物が増えていきまして、例えば小さい魚が増えていくとそれを食べにくる鳥が増えて、それを人が見に来るようになったんですね。生態系が保護されて、かつ、人の交流も生まれているという事例の一つですね。
 野生生物の回復はすごく早くて、おおよそ3年ぐらいかけて一気に回復していった感じですね。ただ一方で地盤の上昇がまだ続いています。震災で70センチくらい下がりまして、4年間で30センチくらいこの辺は地盤が上昇しているんですよ。さらにそれがまだ続いていて、どこまで上昇するかもわからない。地盤の高さが変わると水位が変わるので、そうなると住んでいる生物の種類も変わってくるんですね。それをモニタリングする調査を継続しています。

 ここは山と山の間に挟まれた谷になっていて、谷底を川が流れている。途中で何が起きるかわからないんですね、自然て。例えば大洪水が起きて湿地の形が変わったりとか、土砂が流されたりということもあるでしょうし、それを止めるのではなくて「そういうものなんだ」と人間側が受け入れて、そこにどういう生物が加入してくるか、増えるか、減っているかをモニタリングしていきます。生息を確認できて一番嬉しかったのはメダカですね。メダカはこの集落にはもともとたくさんいて、園芸品種ではない元々の自然種のミナミメダカという種類のメダカが生息していた場所なんですよ。それが津波で流されて全部死滅したと思っていたら、よくよく調べてみると結構回復しているんですね。それはすごく嬉しかったです。その背景には、子どもの頃メダカを取って遊んだという楽しい気持ちがわき起こったというのはありますね。そういう気持ちは僕だけじゃなくて、この集落のおじいさんおばあさんもみんなそうだったんですよ。川の護岸を削り取るって、災害の時はリスクが高まるという見方もありますので、そういう場合は周りの地権者の方々の了承を得なければいけないんですね。その了承を得る時に、ウナギを守るために、ウナギの生息地を増やすために護岸を開削しますという話をすると住民の方は納得してくれないんですよ。でも、メダカをもう少し増やしたいんですという話を住民の方にふると、「ぜひやろう」と変わるんですよね。やっぱり幼少の頃の自然体験はそういうところに効いてくるというか、子どもの頃楽しい思いをしたことが、大人になって自然災害が起きて新しく護岸を作るとなったときに、やっぱり感情、気持ちが高ぶってくる。そのきっかけがこの集落の場合はメダカだったようです。まさにそこを、NPOとしての環境教育プログラムに取り入れて、いかに幼少の頃の自然体験が大事なのかというのは、理屈じゃなくて肌で感じることができたので、それは我々が次世代に伝えるべきところだと思っています。子どもたちをここに来て連れてきて、環境教育のフィールドとして活用するとかですね、そういう将来像がありますね。



森は海の恋人・副理事の畠山信さんのお話、いかがでしょうか。ポッドキャストでも詳しくご紹介していますので、そちらもぜひお聞きください!

【番組内でのオンエア曲】
・My Baby Left Me / ROX
・Pretender / Official髭男dism

今週も、日本を代表する森の賢人、「森は海の恋人」理事長の畠山重篤さんのインタビューをお届けします。
森と川と海の繋がりを守るため、舞根湾につながる山で植樹祭が始まったのは平成元年のこと。いまから30年以上前です。
きょうは改めて、そのきっかけとなった30年前の舞根湾のお話。そして畠山さんが長年探求を続ける、森から流れ出る「鉄分」をめぐるお話です。


 木を植えるひとつの大きなきっかけは、川が汚れてきて、海も汚れてきて赤潮が発生し、赤潮にまみれた海を青い海を取り戻したいというのが大きな動機ですよね。赤潮が消えるまでに20年近くかかったんじゃないかな。自然を少しでも動かそうとしたら、いちばん時間がかかるのは人間の意識を変えるということですよね。川の流域に住んでいる方々と、意識を共有しないとなかなか海まで良くならないわけですよ。川の流域に住んでいる方々は農家の方々じゃないですか。そうすると農薬とか除草剤の問題とか畜産公害とかいろんな問題が横たわっているわけですよね。

〜人の意識が変わるのにはどのぐらいの年月、時間が必要だと感じていますか?
 かっこよく言うとさぁ、山に木を植えるだけではなくて人間の心にも植えなければならないということ。教育の世界から始めなければいけないとパッと気づくわけですよ。それで平成2年からいろいろな村の学校へ行って校長先生と会って。でも黒板でやっていてもだめだから、やっぱり海へ実際に連れてきて体験を通してそういうことを考える機会を作るお手伝いをしたいんですがと相談したら、子供たちがやってきたわけですよ。作業する漁船に子供たちを乗せて海に連れていった。そうしたら目が輝いているわけじゃないですか。それを見ただけでこれはやっぱり成功だろうと思いましたよね。それで牡蠣を食べさせたり、いかだに上げてみたり、要するに遊んで帰ったわけですよね。それで子どもたちに先生が体験談の作文を書かせるわけです。「私たちは行った次の日から朝シャンのシャンプーの量を半分にしました」「お父さんには農薬や除草剤をほんの少しで良いから減らしてくださいとお願いしました」と言うんですね。これがね、”ほんの少しで”と言うところがリアリティーなわけですよね。農家は農家の生活をしているわけじゃないですか。子どもはちゃんと知っているわけですよ。全部やめろと環境活動家はそういうことを言うけど、それはだめですよね。ほんの少しで良いんですよ、スタートは。女の子はお母さんと台所で洗い物をしていて、「お母さんそんなに洗剤を使わないで。それは全部海へ流れて食物連鎖で私たちにまた帰ってくるから量を決めて、しかも自然で分解する洗剤を使ってやりましょう」とか。原型は平成2年のその1度目の体験学習でできたね。もうずっと20年以上私たちは行政から人的、金銭的な援助は一切拒否してずっとやってきましたからね。それがやっぱり子どもたちに伝わるんですよ。実際漁師がそういう時間を割いて自分たちのためにそういうことをやってくれているというのが伝わるんですよ。
 そうしたらやっぱりそのことを教育テレビだとかいろんなところが取り上げるようになって、教育者が後追いしてくるわけですよ。筑波大学の附属の先生が来るんですよ。この方は教科書を書く人たち。それがあっという間に社会の教科書に載るようになったわけですよね。それから30年近くなって小学校、中学校、高校の教科書に全部出ていますし。教育を受けた子どもたちもどんどん育ってきて、もう40歳位にまでなってきていますから。

 16年前からは京都大学で、今まで縦割りで全部やっていたんだけども、トータルで見られる学問が森里海連環学という学問を立ち上げた。16年前から私は京都大学の、講義なんて言っていますけれども、こんな調子ですよ大体(笑)。少なくとも学生が寝ない話をしなければいけないってんで、今日みたいにいろいろ織り交ぜて、あっち飛んだりこっちで飛んだりめちゃくちゃですよ。それでね今年は教室も満杯ですよ。歌も歌うんですよ。旅姿三人男、ディックミネですよ。富士山は火山だから、溶岩は鉄なんですよ。だから富士山から鉄が海に降ってきて、植物プランクトンが湧いている。それでいろいろ話をしているうちにディックミネの替え歌を披露したわけですよ。「富士の高嶺に降る雪が溶けて流れる真清水で、駿河トラフに雪が降る。誰が名付けた、誰が名付けた、マリンスノー」意味がわかりますか。1700メートルの深い海になっている。これを駿河トラフというんですよ。ここへもぐっていた人が空を見たら、海の上から白いものが降っているんですよ。プランクトンの死骸が降っているんです。これをマリンスノーというんです。「駿河トラフに雪が降る。誰が名付けた誰が名付けたマリンスノー」。こういう風に物事を見なきゃいけないということですよ。海ばかり見ていないで陸をちゃんと見る。そういう鉄との絡みで日本列島を見れば、この国の100年先をどうしたら良いかもうわかるわけですよ。気仙沼湾に注いでいる大川ダムはストップでやめたんです。私たちの活動が功を奏したわけですよ。だからダムのない川なんですよ。この川だからこの環境が保たれているわけ。このちっぽけなこの環境こそ、これを日本の国のグランドデザインを描くときのモデルになるということですよ。森は海の恋人ってそういう意味があるんですよ。


畠山重篤さんのお話、いかがだったでしょうか。ポッドキャストでも詳しくご紹介していますので、そちらもぜひお聞きください!

【番組内でのオンエア曲】
・鳥のように / 大橋トリオ
・ビヨンド・ザ・シー / ロビー・ウィリアム
今週は「森は海の恋人」理事長の畠山重篤さんのインタビューです。
宮城県・気仙沼、舞根湾というリアスの海で代々、牡蠣漁師をしている方であり、“森は海の恋人”という団体名の通り、豊かな海を育てるために30年前から森作り・植林活動を続けている方。その活動を評価され、国連から「フォレストヒーローズ・森の英雄賞」を受賞したことでも知られています。
ご存じの方も多いかと思いますが、畠山さんは、気仙沼・舞根湾で長年 牡蠣漁師を続けながら、この湾を含む気仙沼湾へ注ぐ大川の源流にある室根山で森作りを続けています。
森の栄養が、川をつたい海へ注いで、その栄養が、美味しい牡蠣を育て、漁師たちに恵みを与えてくれる、というこの自然の循環。
畠山さんはこれに若い頃から興味を持ち、まるで科学者のように探求を続けているんですが・・・今回のインタビューは、その探究心が押さえられない!そんな畠山さんらしいお話がたくさん聞けました!


〜事務所のカーテンを開けていただいたら舞根湾が広がって、さらにその奥に森が広がっていて、とてもきれいですね
 海が深いですからね。その前の辺りで20メートル近くの推進がありますから。リアス式海岸てもともと川が削った谷底ですから、海が深いんですよ。だから深いと言う事は、水の色がちょっと緑っぽい感じになりますね。
 牡蠣の養殖をしているところって全世界、塩水だけの海で牡蠣は育たず、川が必ず絡んでいる汽水域なんですよね。川の水の中に植物プランクトンが育つ何かがあるということですよね。

 話が飛びますけど、明後日ミシシッピ川の河口に行くんですよ。アメリカで牡蠣が捕れる最大の地区ですよ。ミシシッピ川の上流、源流は五大湖の近くなんです。あるとき、カナダとの国境の5大湖周辺を行ったり来たりしていたら、狼の写真を撮っている人と出会ったんです(この番組にも以前にご出演いただいた写真家の大竹英洋さん)。その人が、そこにアメリカ最大の鉄鉱石の鉱山、メサビ鉄山というのがあるというんですよ。私はカキじいさんと言っていますが、最大の関心事は鉄なんですよ。鉄とプランクトンの関係を追い求めて30数年になった鉄じいさんとも呼ばれているわけですよ。鉄の鉱山があって鉄鉱石を五大湖から船で運んでいる。ミシシッピの本流は平らだからダムがないんです。ダムがなければメサビ鉄山の鉄はミシシッピを通ってニューオリンズまで来るわけですよ。鉄が来れば植物プランクトンも増えるわけです。
 話は日本に戻って、気仙沼に注いでいる川を上っていって、我々が木を植えている室根村というところに山があるわけです。ここは昔伊達政宗の時代にたたら製鉄と言って、鉄をとっているんですよ。明治のはじめには、日露戦争で武器をつくるために大量の鉄が要る。それには鉄鉱石から作った鉄じゃないとダメなんですが、日本の鉄はどこにあったかというと、青森県境から岩手県の三陸、それから仙台にかけての太平洋側のここに磁鉄鉱の日本最大の鉱脈があるということがわかったわけですよ。だから釜石に製鉄所ができたわけです。
 広島の江田島に、牡蠣がいっぱい捕れることで有名なところで、太田川という川が流れ込んでいる大汽水域があります。中国地方の背景の山は地質学的に花崗岩。昔からたたら製鉄の本場。だから瀬戸内海が魚介類や海藻が何でも捕れるという事は、背景の山に鉄分が多いという事なんですよ。その鉄は、そのまま流れてきたのじゃ錆びるわけです。ところが、森林の葉っぱが落ちて腐葉土の中にフルボ酸というキレート物質が生まれるわけ。キレートレモンって飲んでるでしょう。きれいになるという水だよ。キレートってミネラル分をくっつけて体内に運ぶという意味があるんですよ、キレートって。生牡蠣を食うときにレモンをかけるでしょう。レモンをかけると確かにうまいよね。あれはうまいだけじゃなくて、クエン酸が含まれていて、これがキレート物質。牡蠣の中に含まれている鉄でもマグネシウムでもカルシウムでも亜鉛でも、そのまま食べても吸収が良くない。ところがクエン酸をかけてあげると、キレート効果で、生体のなかに取り入れやすくなるわけです。植物プランクトンも自然界のキレート物質で、フルボ酸といって、森林の腐葉土の中で作られている。釜石とか大槌とか、あそこの上の山に行ってみると、ものすごい雑木林の葉っぱが落ちる落葉広葉樹です。それで腐葉土がつくられて、川があるから、フルボ酸鉄が川から海に全部供給されているわけです。だから山に木を植えているという事は、キレート物質の作るために落葉広葉樹の森を作っているということなんです。



〜木を植え始めて30年経った今の森ってどんな感じになってますか?
 3メートル、6メートルとか、木の種類にもよりますけどね。直径20センチから15センチ位。この間そこをちょっと間伐するというイベントがありました。切ったらパッと明るくなって。日がさします。日がさせば、そこにまた生えてくる。蕨が生えてきたり山菜なんかも生えてくるんじゃないかな。これからそれをどう利用するかという問題もありますから、楽しみながらやっていこうかなと思っていますけどね。

畠山さんのお話、いかがだったでしょうか。来週もインタビューの続きをお届けします!
【今週の番組内でのオンエア曲】
・Look Up / Nulbarich
・Same Thing (feat. Superorganism) / 星野源
先週に引き続き、宮城県南三陸町・戸倉地区で林業の担い手を目指す若者・小野寺翔くんのインタビューです。
東日本大震災を経て、地元・戸倉波伝谷で始まった持続可能な新たな林業。翔くんはそこにどんな希望を持っているのか。お伝えします!



 ここにある木は、基本的には50年とか60年前なので、僕らのおじいさん、ひいおじいさんの代が植えたものが今こういう風に育っているんです。なので、僕の家もそうなんですけど、震災の被害で家やり財産がなくなったんですけど、山だけは残っていたので、やっぱりせっかくの代々の地域の財産なので、やっぱり守っていきたいなと思いますね。
 もともと小さい頃から牡蠣とかホヤといったシーフードが当たり前にもらったり買ったりして食べてはいたんですが、それが美味しく出来るのも、山に降った雨が川をめぐって海に来て、それがまた蒸発して山に戻っていくという循環なんです。山の栄養だったり土壌の良さがないと良い栄養が流れていかないんですね。それってやっぱり、今ある森をしっかり手入れしてあげることで大切なんです。すごく海が有名だったり漁業が盛んだったりするんですが、そこには山の手入れをする人が必要なんだなと感じますね。

 僕は林業のほかに、昔からあるししおどりという郷土芸能の踊りをやっているんですけど、そこでも木材が太鼓のばちなど道具に使われています。山に生えているムラサキシキブという木だったりするのですが、1本のバチがどこで取れるのか、山に実際に入ってみないと見えなかったりするので、子供たちにこういうところで取れるんだよと、一緒にバチになる木を取りに行こうということもできると思うんですね。やっぱり木と暮らしが密接なんだということをいろんな人に感じてもらうというのが大事かなと思います。
 僕もバチなんかの簡単なのは作ったことがあるんですけど、椅子とか家具だったりとかも木でできるので、それに関わってくれる人も増えると良いですし、木には可能性がいろいろありますね。今は一部で、全体的に広げるのはこれからなんですが、いろんな所の間伐した材を使って、木を生かした家を作ろうという取り組みをしています。建築の先生や山で木を切る人と、製材屋さんと大工さんがセットになって、木の家を作るためのチームみたいなのが出来上がったので、先に始められた皆さんの努力もあって、今ちょっとずつ広がっているなと思います。
 なんといっても木は生き物ではあるので、人が植えて一生そこで成長するしかないものなので、そこは人の手でしっかり管理して生かしてあげるというのが植えた人間の使命だと思うので、そこはやっぱりやっていきたいなと思います。限られた資源を、長年にわたって回していかなければいけない仕事ですし、自然相手の仕事なので、職人になるにはまだまだ何十年とかかるんだなという気がします。この仕事は結構頭も使うので、大変な仕事なんですが、なぜそれをやっているのかというと、この良い木を次の代に残したいとかって思いもありますし、良い海を作るためにこうやって手入れができているという実感があるので、大変でもやりがいはありますね。
 復興ってよく使われる言葉ですが、震災の教訓をプラスに変えて、これを後世に残していくという意味では、新しい街に作り替えるということもより良い街にするという意味では必要だと思います。でも昔からあってなくなったものを取り戻すということってすごく難しいと思うんです。今はみんなバラバラになって町の外に出た親戚だったり知り合いも多いんですけど、そこで昔からあるもの、山であったり郷土芸能をしっかり引き継ぐ中で、そういうキーになれる存在というか、出て行った人もなんとなく地元でつなぐということも考えながらやっていければ良いのかなと思います。



小野寺翔くんのインタビューいかがだったでしょうか。ポッドキャストでも詳しくご紹介していますので、こちらもぜひお聞きください!

【番組内でのオンエア曲】
・フレア / Superfly
・October Road / James Taylor
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高橋万里恵
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